サクラチトセオー
サクラチトセオー | |||||||||||||||
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1995年6月4日 京都競馬場 | |||||||||||||||
欧字表記 | Sakura Chitose O | ||||||||||||||
品種 | サラブレッド | ||||||||||||||
性別 | 牡 | ||||||||||||||
毛色 | 鹿毛 | ||||||||||||||
生誕 | 1990年5月11日 | ||||||||||||||
死没 | 2014年1月30日(24歳没) | ||||||||||||||
登録日 | 1992年3月4日 | ||||||||||||||
抹消日 | 1996年1月10日 | ||||||||||||||
父 | トニービン | ||||||||||||||
母 | サクラクレアー | ||||||||||||||
母の父 | ノーザンテースト | ||||||||||||||
生国 | 日本(北海道静内郡静内町) | ||||||||||||||
生産者 | 谷岡牧場 | ||||||||||||||
馬主 | (株)さくらコマース | ||||||||||||||
調教師 | 境勝太郎(美浦) | ||||||||||||||
厩務員 | 佐々木義男 | ||||||||||||||
競走成績 | |||||||||||||||
生涯成績 | 21戦9勝 | ||||||||||||||
獲得賞金 | 5億2097万9000円 | ||||||||||||||
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サクラチトセオーは、日本の元競走馬、種牡馬である。1995年のJRA賞最優秀5歳以上牡馬(部門名は当時)。半妹にサクラキャンドル(エリザベス女王杯優勝馬)がいる。主戦騎手は小島太。
鋭い切れ味を誇る差し脚を武器に活躍し、1995年の天皇賞(秋)を制した。その他にも1994年中山記念、1995年アメリカジョッキークラブカップなど中央競馬の重賞を4勝した。特に1994年の京王杯オータムハンデキャップで勝利した時は当時の芝1600メートルの日本レコード(1分32秒1)を樹立した。
戦績
※馬齢は旧表記に統一する。
3 - 4歳
デビュー前から能力の高さを買われていたサクラチトセオーは3歳の10月、東京の新馬戦でデビューした。この新馬戦で快勝すると、続くひいらぎ賞(500万下)では1位入線馬の降着によって勝利し、クラシック候補に名を連ねた。
ところが、4歳になるとサクラチトセオーは右腰の状態が悪くなり、なかなかレースを使えなくなった。それでも、ダービートライアルのNHK杯で3着に入り、何とか日本ダービーに出走することができた。しかし、ダービーでは先行したものの、キャリア4戦という経験の浅さを露呈したことと体調が今一つだったこともあり11着と大敗を喫した。ダービー後、サクラチトセオーは休養に入ったが、腰の状態が思わしくないこともあり、秋は1度も出走できなかった。
5歳
年が明けて古馬になったサクラチトセオーは900万下の条件馬からスタートした。2戦目のテレビ埼玉杯で勝利すると、格上挑戦ながら中山記念に挑んだ。3番人気に推されたこのレースで優勝し、初重賞制覇を遂げた。
遂に重賞ウイナーの仲間入りしたサクラチトセオーだったが、GIレースでは凡走が続いた。宝塚記念では後方待機から追い上げたものの6着、京王杯オータムハンデキャップでレコード勝ちして臨んだ天皇賞(秋)では直線で進路をカットされて6着、富士ステークス(当時オープン特別)1着後、打倒ナリタブライアンを掲げて挑んだ有馬記念では第4コーナーでそのナリタブライアンに並び掛けながら、直線で失速し6着に敗れた。
6歳
6歳になったサクラチトセオーの春シーズンはナリタブライアン、ヒシアマゾンの不在もあってGI戦線の主軸を担った。アメリカジョッキークラブカップ1着、中山記念2着を経て臨んだ安田記念では、ここまでマイル戦無敗であり、マイルの日本レコードホルダーであることが評価され1番人気に推された。しかし、レースでは最後方から追い込みながら、優勝したハートレイクにハナ差届かず2着に敗れ、初のGI制覇はならなかった。続く宝塚記念も1番人気に推されたが、超がつく高速馬場で先行馬が前残りになる展開となり、7着まで押し上げるのが精一杯だった。
秋になり、サクラチトセオーは毎日王冠から復帰したが、重馬場に苦戦して4着と敗れた。だが、1度叩いたことでサクラチトセオーの調子が上昇、絶好調の状態で2度目の天皇賞(秋)を迎えることになった。
天皇賞(秋)を前にして、サクラチトセオーの主戦を務めている小島太が調教師転向を表明し、翌年2月限りでの引退がほぼ濃厚となっていた。これで陣営としてもGI奪取へ向けて後がない状況となった。
股関節の故障で戦線を離脱していたナリタブライアンがぶっつけでの挑戦を表明し、1番人気に支持されていた。そして、サクラチトセオーは3番人気に支持されていた(最終的には2番人気だったマイシンザンが出走を取消したため、2番人気に繰り上がった)。一般的に東京芝2000mは外枠不利と言われているが、追い込み馬が最内枠に入るとこれまた不利であった。サクラチトセオーは1番枠に入っており、苦戦が予想されていた。しかし、レースでは道中16番手(後方から2番手)を追走し、小島自らも「スタンドに馬をぶつけに行くつもりで大外へ出した」と最後の直線だけで15頭をごぼう抜きし、先頭で懸命に粘っていたこの年の皐月賞馬ジェニュインをハナ差差し切って優勝した。先行馬優位な展開の中での大逆転劇、そして小島が引退表明直後だっただけにファンの歓声も大きかった。同馬を管理する境勝太郎調教師はレース後の表彰式でサクラチヨノオーのダービー以来という涙をみせ、「これまではあっちが痛い、こっちが痛いと泣いてばかりいた馬。こんな素晴らしい状態で出走できたのはデビュー以来初めてだった」と最高潮に充実した体調を最大の勝因にあげている[1]。この天皇賞から2週間後にエリザベス女王杯を制した半妹サクラキャンドルとともに、小島の引退の花道を飾った名兄妹として記憶されている。
天皇賞後、サクラチトセオーは有馬記念に出走。この有馬記念はサクラチトセオーにとっても、鞍上の小島太にとっても最後のGIレースだった。このレースでも先行馬優位の展開になったが、サクラチトセオーは直線で猛然と追い込み、3着と健闘した。この有馬記念を最後にサクラチトセオーは引退。翌1996年1月7日、東京競馬場で引退式が行われ、種牡馬生活に入った。
引退後
サクラチトセオーは1996年から静内スタリオンステーションで種牡馬入りした。2005年に同場が閉鎖すると、レックススタッドへ移動して種牡馬生活を続けた。
初年度産駒から中央競馬の重賞勝ち馬を出したが、2002年以降の産駒からは地方競馬の重賞勝ち馬すら送り出せないほど不振に陥り、次第に人気は下降。2010年には遂に種付け頭数がゼロとなったため、2011年1月に用途変更が行われて、種牡馬を引退した。引退後は新和牧場で功労馬として繋養されていた。2014年1月30日、老衰のため死亡した[2]。
中央競馬のサイアーランキングではほとんどの年で芝の順位がダートの順位を上回っており、ダートより芝を得意とする産駒傾向になっている。
主な産駒
- ラガーレグルス(ラジオたんぱ杯2歳ステークス)
- ナムラサンクス(ダイヤモンドステークス)
- ナムラリュージュ(阪神スプリングジャンプ)
地方重賞勝ち馬
ブルードメアサイアーとしての主な産駒
- レガルスイ(テレ玉杯オーバルS(中央交流) 3着)
- サクラバレット(火打山特別 1000万下 2着)
- レディージャスミン(オパールカップ 2着)
競走成績
年月日 | 競馬場 | 競走名 | 格 | 頭 数 |
枠 番 |
馬 番 |
オッズ (人気) |
着順 | 騎手 | 斤量 [kg] |
距離(馬場) | タイム (上り3F) |
着差 | 勝ち馬/(2着馬) | ||
1992 | 10. | 11 | 東京 | 3歳新馬 | 15 | 7 | 12 | 3.4(1人) | 1着 | 小島太 | 53 | 芝1600m(良) | 1:36.3 (35.7) | 1馬身 | (ハシノハヤト) | |
12. | 19 | 中山 | ひいらぎ賞 | 500万下 | 15 | 7 | 12 | 5.0(2人) | 1着 | 小島太 | 54 | 芝1600m(良) | 1:35.0 (36.0) | 4馬身 | (ハシノハヤト) | |
1993 | 5. | 1 | 東京 | 青葉賞 | OP | - | - | - | - | - | 小島太 | 56 | 芝2400m(良) | 出走取消 | - | ステージチャンプ |
5. | 9 | 東京 | NHK杯 | GII | 13 | 8 | 13 | 8.8(3人) | 3着 | 小島太 | 56 | 芝2000m(良) | 2:01.5 (35.5) | 1.2秒 | マイシンザン | |
5. | 30 | 東京 | 東京優駿 | GI | 18 | 3 | 6 | 21.1(6人) | 11着 | 小島太 | 57 | 芝2400m(良) | 2:27.9 (38.8) | 2.4秒 | ウイニングチケット | |
1994 | 2. | 5 | 東京 | 節分賞 | 900万下 | 16 | 7 | 13 | 1.5(1人) | 3着 | 小島太 | 56 | ダ1400m(良) | 1:26.3 (37.7) | 0.1秒 | ロイヤルハーバー |
2. | 20 | 東京 | テレビ埼玉杯 | 900万下 | 15 | 4 | 6 | 4.2(2人) | 1着 | 小島太 | 56 | 芝1600m(良) | 1:34.6 (34.6) | 2 1/2馬身 | (キオイスマート) | |
3. | 13 | 中山 | 中山記念 | GII | 14 | 8 | 13 | 6.7(3人) | 1着 | 小島太 | 56 | 芝1800m(良) | 1:48.9 (36.0) | 1 1/4馬身 | (フジヤマケンザン) | |
4. | 10 | 中山 | エイプリルS | OP | 10 | 8 | 10 | 1.3(1人) | 2着 | 小島太 | 57 | 芝2000m(良) | 2:00.1 (34.7) | 0.0秒 | アンダーキング | |
5. | 1 | 東京 | メトロポリタンS | OP | 10 | 1 | 1 | 1.4(1人) | 1着 | 小島太 | 57 | 芝2300m(良) | 2:20.9 (35.5) | 1 3/4馬身 | (マーメイドタバン) | |
6. | 12 | 阪神 | 宝塚記念 | GI | 14 | 5 | 7 | 21.6(4人) | 6着 | 小島太 | 56 | 芝2200m(良) | 2:12.6 (35.7) | 1.4秒 | ビワハヤヒデ | |
9. | 11 | 中山 | 京王杯オータムH | GIII | 14 | 3 | 4 | 3.8(2人) | 1着 | 的場均 | 58 | 芝1600m(良) | R1:32.1 (33.9) | 3/4馬身 | (エアリアル) | |
10. | 30 | 東京 | 天皇賞(秋) | GI | 13 | 5 | 6 | 11.9(4人) | 6着 | 小島太 | 58 | 芝2000m(良) | 1:59.1 (34.9) | 0.5秒 | ネーハイシーザー | |
11. | 13 | 東京 | 富士S | OP | 11 | 4 | 4 | 1.3(1人) | 1着 | 小島太 | 57 | 芝1800m(良) | 1:46.9 (34.3) | 3 1/2馬身 | (スタビライザー) | |
12. | 25 | 中山 | 有馬記念 | GI | 14 | 7 | 12 | 17.9(5人) | 6着 | 小島太 | 57 | 芝2500m(良) | 2:33.3 (35.4) | 1.1秒 | ナリタブライアン | |
1995 | 1. | 22 | 中山 | AJCC | GII | 10 | 5 | 5 | 3.9(2人) | 1着 | 小島太 | 58 | 芝2200m(良) | 2:14.4 (34.5) | クビ | (ホクトベガ) |
3. | 12 | 中山 | 中山記念 | GII | 12 | 8 | 11 | 1.4(1人) | 2着 | 小島太 | 58 | 芝1800m(稍) | 1:50.4 (35.2) | 0.1秒 | フジヤマケンザン | |
5. | 14 | 東京 | 安田記念 | GI | 18 | 6 | 11 | 3.3(1人) | 2着 | 小島太 | 57 | 芝1600m(良) | 1:33.2 (34.2) | 0.0秒 | ハートレイク | |
6. | 4 | 京都 | 宝塚記念 | GI | 17 | 3 | 6 | 4.4(1人) | 7着 | 小島太 | 57 | 芝2200m(良) | 2:10.9 (34.4) | 0.7秒 | ダンツシアトル | |
10. | 8 | 東京 | 毎日王冠 | GII | 14 | 8 | 13 | 4.1(2人) | 4着 | 小島太 | 58 | 芝1800m(重) | 1:49.0 (35.2) | 0.6秒 | スガノオージ | |
10. | 29 | 東京 | 天皇賞(秋) | GI | 17 | 1 | 1 | 5.3(2人) | 1着 | 小島太 | 58 | 芝2000m(良) | 1:58.8 (34.3) | ハナ | (ジェニュイン) | |
12. | 24 | 中山 | 有馬記念 | GI | 12 | 7 | 10 | 7.0(4人) | 3着 | 小島太 | 56 | 芝2500m(良) | 2:34.0 (35.0) | 0.4秒 | マヤノトップガン |
- タイム欄のRはレコード勝ちを示す。
血統表
サクラチトセオーの血統 | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父系 | ゼダーン系(グレイソヴリン系) |
[§ 2] | ||
父 *トニービン Tony Bin 1983 鹿毛 |
父の父 *カンパラKampala 1976 黒鹿毛 |
Kalamoun | *ゼダーン | |
Khairunissa | ||||
State Pension | *オンリーフォアライフ | |||
Lorelei | ||||
父の母 Severn Bridge1965 栗毛 |
Hornbeam | Hyperion | ||
Thicket | ||||
Priddy Fair | Preciptic | |||
Campanette | ||||
母 サクラクレアー 1982 鹿毛 |
*ノーザンテースト Northern Taste 1971 栗毛 |
Northern Dancer | Nearctic | |
Natalma | ||||
Lady Victoria | Victoria Park | |||
Lady Angela | ||||
母の母 *クレアーブリッジClare Bridge 1967 鹿毛 |
Quadrangle | Cohoes | ||
Tap Day | ||||
Abeyance Lass | Ambiorix | |||
Vulcania | ||||
母系(F-No.) | クレアーブリッジ系(FN:13-c) | [§ 3] | ||
5代内の近親交配 | Hyperion 4×5、Lady Angela 5・4(母内) | [§ 4] | ||
出典 |
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- 世界中で多くの活躍馬を輩出した名門牝系のフリゼット系に属する。
- 5代母Vagrancyは1942年のCCAオークス勝ち馬。
- 甥にサクラメガワンダー、サクラアンプルール。
- そのほかの主な近親にヘヴンリーロマンス、シルクプリマドンナ。
脚注
- ^ 優駿増刊号 TURFHERO'95
- ^ “1995年の天皇賞(秋)覇者・サクラチトセオーが死亡”. netkeiba.com (2014年1月31日). 2014年1月31日閲覧。
- ^ 平出貴昭 (2014年9月17日). “『覚えておきたい日本の牝系100』収録の全牝系一覧”. 競馬“血統”人生/平出貴昭. 2019年9月21日閲覧。
外部リンク
- 競走馬成績と情報 netkeiba、スポーツナビ、JBISサーチ、Racing Post
- サクラチトセオー - 競走馬のふるさと案内所
- サクラチトセオー - 引退名馬(名馬.jp)