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高校卒業後は「ダメな子供だから、親元にいたらダメになる一方だ」という父の考え<ref name=QJI>渋谷直角「高橋留美子15,000字インタビュー」『QuickJapan』Vol.71、76頁-83頁</ref>で上京。大学では[[目白花子]]と漫画研究会「(没)」を設立し、会誌『びびっと』上で作品を発表していた。その一方で1年生の終わり頃より[[劇画村塾]]に入学し[[小池一夫]]に師事、小池に「お前はプロになれる」と声をかけられすぐに特別研修生となる。
高校卒業後は「ダメな子供だから、親元にいたらダメになる一方だ」という父の考え<ref name=QJI>渋谷直角「高橋留美子15,000字インタビュー」『QuickJapan』Vol.71、76頁-83頁</ref>で上京。大学では[[目白花子]]と漫画研究会「(没)」を設立し、会誌『びびっと』上で作品を発表していた。その一方で1年生の終わり頃より[[劇画村塾]]に入学し[[小池一夫]]に師事、小池に「お前はプロになれる」と声をかけられすぐに特別研修生となる。


在学中の1978年、投稿作「[[勝手なやつら]]」で[[小学館新人コミック大賞]]佳作を受賞しデビュー。ギャグ漫画家の[[吾妻ひでお]]は当時この作品を読み「マンガが帰ってきた」と感動し、『週刊少年サンデー』の掲載号を3冊も買ったという<ref name=QJW>飛鳥杏華ほか「高橋留美子大辞典」『QuickJapan』Vol.71、98頁-111頁</ref>。同年よりSFコメディ『[[うる星やつら]]』の連載を開始。平行して1980年より青年誌にて「[[めぞん一刻]]」を連載。1987年まで二つの連載をこなした
在学中の1978年、投稿作「[[勝手なやつら]]」で[[小学館新人コミック大賞]]佳作を受賞しデビュー。少年誌でSF的な作品を描こうとして、編集者に何度も制止された経験をもつ、ギャグ漫画家の[[吾妻ひでお]]は当時この作品を読み「マンガが帰ってきた」と感動し、『週刊少年サンデー』の掲載号を3冊も買ったという<ref name=QJW>飛鳥杏華ほか「高橋留美子大辞典」『QuickJapan』Vol.71、98頁-111頁</ref>。

同年よりSFコメディ『[[うる星やつら]]』の連載を開始。当時の少年マンガ雑誌は、[[横山光輝]]作品ぐらいしかSF的な作品はない「SF漫画冬の時代」であり、1980年より連載開始した[[鳥山明]]の『[[Dr.スランプ]]』とともに、「少年誌におけるSF作品の再興」の旗手となった。両作品ともSFコメディであり、後の漫画家たちに与えた影響は大きかった。

平行して、1980年より青年誌にて「[[めぞん一刻]]」を連載。1987年まで二つの連載をこなした。


1987年に両作品が終了し、同年より「[[らんま1/2]]」の連載を開始、この作品からはより低年齢層を意識してアクション要素を増やした。1996年に同作品を終了、同年「[[犬夜叉]]」の連載を開始。かねてより興味のあった伝奇ものの本格連載で、この作品ではギャグ要素をほとんど無くしシリアスな路線を取っている。
1987年に両作品が終了し、同年より「[[らんま1/2]]」の連載を開始、この作品からはより低年齢層を意識してアクション要素を増やした。1996年に同作品を終了、同年「[[犬夜叉]]」の連載を開始。かねてより興味のあった伝奇ものの本格連載で、この作品ではギャグ要素をほとんど無くしシリアスな路線を取っている。

2008年3月19日 (水) 01:35時点における版

高橋 留美子
生誕 (1957-10-10) 1957年10月10日(67歳)
日本の旗 日本 新潟県
国籍 日本
活動期間 1978年 -
ジャンル 少年漫画青年漫画
代表作うる星やつら
めぞん一刻
らんま1/2
犬夜叉
受賞 第26回小学館漫画賞
第18回星雲賞コミック部門
(以上『うる星やつら』)
第20回星雲賞コミック部門
(『人魚の森』)
第47回小学館漫画賞
(『犬夜叉』)
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高橋 留美子(たかはし るみこ、女性、1957年10月10日-)は日本漫画家新潟県新潟市出身。

1978年勝手なやつら』でデビュー。代表作に『うる星やつら』、『めぞん一刻』、『らんま1/2』、『犬夜叉』など。特にラブコメディを得意としており、そのキャラクター造形は「萌え」の原型とも言われている[1]少年漫画の分野における女性漫画家の草分け的存在で、代表作はいずれもTVアニメ化され大ヒットを記録、単行本の累計発行部数は1995年に1億部を突破した。岡田斗司夫は「マンガの神様」手塚治虫でさえも少年漫画を描き続けられなかったことを引き合いに出し、30年もの間少年漫画誌で人気を保ち続けている高橋を「マンガの怪物」と評している[2]

来歴

新潟市古町産婦人科医院を開業していた高橋家の末っ子(2男1女の長女)として生まれる。父、高橋光雄は「高橋卯木」の俳号を持つ俳人でもあった。医院の創設者である曽祖父、高橋辰五郎明治時代に大阪の産婦人科医、緒方正清(緒方洪庵の義理の孫)の元で研修し、帰郷後は新潟県の近代産婆(助産師)教育に貢献している。

幼少期から兄の持ち物であった少年漫画を愛読し、中学の頃から『週刊少年サンデー』・『ガロ』などに作品の投稿を始める。高校在学中、同級生であった近藤ようことともに漫画研究会を設立。またこの頃より筒井康隆を愛読するようになり、影響を受けてスラップスティックなSF作品を描いていた。2年生の時に40枚ほどの作品を『週刊少年マガジン』に投稿するも落選、一時は漫画家になるのを諦めたという。

高校卒業後は「ダメな子供だから、親元にいたらダメになる一方だ」という父の考え[3]で上京。大学では目白花子と漫画研究会「(没)」を設立し、会誌『びびっと』上で作品を発表していた。その一方で1年生の終わり頃より劇画村塾に入学し小池一夫に師事、小池に「お前はプロになれる」と声をかけられすぐに特別研修生となる。

在学中の1978年、投稿作「勝手なやつら」で小学館新人コミック大賞佳作を受賞しデビュー。少年誌でSF的な作品を描こうとして、編集者に何度も制止された経験をもつ、ギャグ漫画家の吾妻ひでおは当時この作品を読み「マンガが帰ってきた」と感動し、『週刊少年サンデー』の掲載号を3冊も買ったという[4]

同年よりSFコメディ『うる星やつら』の連載を開始。当時の少年マンガ雑誌は、横山光輝作品ぐらいしかSF的な作品はない「SF漫画冬の時代」であり、1980年より連載開始した鳥山明の『Dr.スランプ』とともに、「少年誌におけるSF作品の再興」の旗手となった。両作品ともSFコメディであり、後の漫画家たちに与えた影響は大きかった。

平行して、1980年より青年誌にて「めぞん一刻」を連載。1987年まで二つの連載をこなした。

1987年に両作品が終了し、同年より「らんま1/2」の連載を開始、この作品からはより低年齢層を意識してアクション要素を増やした。1996年に同作品を終了、同年「犬夜叉」の連載を開始。かねてより興味のあった伝奇ものの本格連載で、この作品ではギャグ要素をほとんど無くしシリアスな路線を取っている。

年譜

受賞歴

  • 1978年 - 第2回小学館新人コミック大賞佳作(『勝手なやつら』)
  • 1981年 - 第26回小学館漫画賞少年部門(『うる星やつら』)
  • 1987年 - 第18回星雲賞コミック部門(『うる星やつら』)
  • 1989年 - 第20回星雲賞コミック部門(『人魚の森』)
  • 2002年 - 第47回小学館漫画賞少年部門(『犬夜叉』)

人物

速筆
自他共に筆の速いことを認めており、目白花子は高橋が『うる星やつら』の原稿を27時間で完成させたことがあると述べている。本人のインタビューでは、『らんま1/2』の頃は毎回16ページを2日で完成させ、『犬夜叉』連載時にも下描きとペン入れを合わせて2日、1ページにつき1時間で完成させていると答えている[4]
好きな漫画家
インタビューでは好きな漫画家として池上遼一(後述)、ちばてつや諸星大二郎花輪和一吉田戦車中川いさみ伊藤潤二などを挙げており、これらの作家の単行本はほとんど揃えていると語っている。ほかに好きな作品は『あしたのジョー』(ちばてつや)『ケロロ軍曹』(吉崎観音)など[3]。上記の作家の多くは『うる星やつら』新装版でラムのイラストを寄稿している。
阪神ファン
中学の頃からの阪神タイガースの熱心なファン。1973年に読売ジャイアンツとのリーグ優勝をかけた最終戦で優勝を逃した時には大きなショックを受け、一時期はファンであることをやめていたが、その後再びファンとなった[3]2003年セ・リーグ制覇した時には、デイリースポーツにタイガースを応援するラムのイラストを掲載している。
お笑い
ダウンタウンの「ガキの使いやあらへんで!!」を欠かさず観るなどお笑い好きで、バラエティ番組を仕事中に流すことも多いという。好きなお笑いグループとしてオール阪神・巨人、ダウンタウン、ナインティナインタカアンドトシ次長課長チュートリアルなどを挙げている[3]

作品リスト

連載作品

うる星やつら小学館週刊少年サンデー』1978年39号 - 1987年8号)
初連載作品。女たらしの主人公・諸星あたると、押しかけ女房で異星人のヒロイン・ラムを中心に多彩なキャラクターの登場するSFコメディ。1981年-1983年にTVアニメ化、劇場版アニメも6本製作された。
めぞん一刻(小学館『ビッグコミックスピリッツ』1980年増刊号 - 1987年19号)
安アパート「一刻館」に下宿する浪人生・五代と、彼が憧れを抱く「管理人さん」響子を中心としたラブコメディ。1986年にTVアニメ化、同年実写映画化。2007年に伊東美咲主演でTVドラマ化された。
らんま1/2(『週刊少年サンデー』1987年36号 - 1996年12号)
水を被ると女になってしまう格闘家の青年・乱馬と、親同士が決めた彼の許婚・あかねを中心とした格闘コメディ。1989年-1992年にTVアニメ化、その後OVAシリーズも製作された。
1ポンドの福音(小学館「週刊ヤングサンデー」1987年 - 2007年不定期連載)
減量の苦手なボクサー・畑中と敬虔な修道女・シスターアンジェラとの恋愛を描いたスポーツ・ラブコメディ。「ヤングサンデー」に不定期連載され20年かけて完結、耕作役は古谷徹でOVAも製作された。2008年に亀梨和也主演でTVドラマ化された。
犬夜叉(『週刊少年サンデー』1996年50号 - )
戦国時代にタイムスリップしてしまった中学生の少女・かごめと、彼女が出合った半妖・犬夜叉を主人公とした伝奇作品。2000年-2004年にTVアニメ化。10年を超える長期連載で高橋の最長作品。

シリーズ作品

人魚シリーズ(1984年 -、週刊少年サンデー(増刊含む)不定期掲載)
『人魚の森』を初めとする連作の総称で、人魚の肉を食べたことにより永遠の生を生きることになった青年・湧太と少女・真魚の運命を描いた伝奇シリーズ。OVA化ののち下記『高橋留美子劇場』とともにTVアニメ化されている(未放送分は15禁)。
高橋留美子劇場(1987年 -、ビッグコミックオリジナル、不定期掲載)
「ビッグコミックオリジナル」に年1回のペースで掲載されている、サラリーマンや家族などをテーマにした読み切りシリーズ。2008年現在まで『Pの悲劇』『専務の犬』『赤い花束』の3冊が刊行されている。2003年にTVアニメ化された。

読み切り・短期連載

  • 勝手なやつら(『週刊少年サンデー』1978年28号)
  • 腹はらホール(小学館『別冊BIG GORO』シリーズ6(1978年))
  • がんばり末世(『週刊少年サンデー』1978年8月増刊号)
  • 黄金の貧乏神(『週刊少年サンデー』1978年9月増刊号)
  • ダストスパート!!(『週刊少年サンデー増刊』1979年5月号 - 9月号)
  • ザ・超女(『週刊少年サンデー』1980年10月増刊号)
  • 笑え! ヘルプマン(『週刊少年サンデー』1981年9月増刊号)
  • 戦国生徒会(『週刊少年サンデー』1982年2月増刊号)
  • 闇をかけるまなざし(『週刊少年サンデー』1982年8月増刊号)
  • 笑う標的(『週刊少年サンデー』1983年2月増刊号)
  • 炎トリッパー(『週刊少年サンデー』1983年8月増刊号)
  • 忘れて眠れ(『週刊少年サンデー』1984年1月増刊号)
  • われら顔面仲間(『週刊少年サンデー』25周年記念増刊号(1984年))
  • ハッピートーク(小学館『ビッグコミックスピリッツ』1984年8月20日増刊号)
  • お婆さんといっしょ(『ビッグコミックスピリッツ』1985年8月20日号)
  • 犬でわるいか!!(『週刊少年サンデー』1985年47号)
  • うちが女神じゃ!!(『週刊少年サンデー』30周年記念増刊号(1989年))
  • スリム観音(小学館『プチコミック』1991年9月号)
  • 宝塚への招待(『ビッグコミックスピリッツ』1993年34号)
  • 1 or W(『週刊少年サンデー』1994年36号)
  • withCAT(『週刊少年サンデー』1999年46号)

その他

アシスタント

関連人物

池上遼一
高橋は学生時代から池上の熱心なファンであった。中学生の時池上の『スパイダーマン』(小野耕世、平井和正原作)に魅せられ、掲載誌を入手するため廃品回収業者を訪れたというエピソードもある。1986年に復刊された『スパイダーマン』(朝日ソノラマ)第1巻では池上作品への思いを語った文章を寄稿している[4]。高校の頃は池上風の絵でドタバタギャグを描いていたという[5]
平井和正
高橋が学生時代より筒井康隆とともに愛読していた伝奇・SF作家。上述のように中学時代は平井原作、池上遼一作画による『スパイダーマン』に傾倒していた。後年平井との対談を果たした際には「30を過ぎたら平井先生の作品に影響を受けた漫画を書きます」と述べている[6]。一方の平井も高橋の作品に魅せられ、高橋の作家論である『高橋留美子の優しい世界』(徳間書店、1985年)を執筆している。
あだち充
1980年代より高橋とともに『週刊少年サンデー』の看板作家を務める友人でありライバル。あだちは自身が少年誌にこだわる理由として「高橋先生の存在が大きい」と述べている[7]。一方高橋もあだちについて「戦友というとおこがましいんですが、同じ時代をともに頑張ってきたという思いがあります」と述べている[8]
椎名高志
妻は高橋の元アシスタント。妻がもらったシャンプーのサインを家宝としている。『GS美神 極楽大作戦!!』ではデビュー直後の高橋を作中に登場させている(「GS美神 '78!!」その6)。『うる星やつら』新装版にラムのイラストを寄稿した際には「人生を変えてくださってありがとうございます」とコメントした。

主要参考文献

  • QuickJapan Vol.71(永久保存版 高橋留美子)太田出版、2007年

出典

  1. ^ 磯部涼「岡田斗司夫×中川翔子 徹底対談」『QuickJapan』Vol.71、90頁-93頁
  2. ^ 岡田斗司夫「手塚治虫が『マンガの神様』なら、高橋留美子こそ『マンガの怪物』である」『大学漫画』Vol.5、大阪芸術大学、2006年、24頁
  3. ^ a b c d 渋谷直角「高橋留美子15,000字インタビュー」『QuickJapan』Vol.71、76頁-83頁
  4. ^ a b c 飛鳥杏華ほか「高橋留美子大辞典」『QuickJapan』Vol.71、98頁-111頁
  5. ^ 根岸康雄『まんが家インタビュー オレのまんが道』小学館、1989年、9頁-20頁
  6. ^ 高橋留美子 平井和正『語り尽くせ熱愛時代』徳間書店、1984年
  7. ^ 磯部涼「あだち充 ロングインタビュー」『QuickJapan』Vol.62、96頁-107頁
  8. ^ さくらい伸「ロングインタビュー 高橋留美子」前掲『大学漫画』Vol.5、6頁-22頁

外部リンク