「ズームイン!!朝!」の版間の差分
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1996年からは土曜日にも[[ズームイン!!サタデー]]を放送している。 |
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生放送の中継 |
生放送の中継中に水死体が上がったり、新年スペシャルで懸賞に当選した人の家へ突撃で行ったら親類のお葬式へ出かけるところだった、海岸で生中継をしていたら入水自殺をしようとしていた人がいた、など縁起の悪いエピソードも残されている。一時期天気予報で徳光和夫の歌が流れていた事があった。また、徳光は「ズームイン」をする時、机で度々指をぶつけていた。 |
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1993年頃特別企画として、徳光和夫・福留功男のダブル司会で夜、「ズームイン!!夜!」という番組が数回放送された。また、同タイトルで、バラエティ番組の企画も行われている。 |
1993年頃特別企画として、徳光和夫・福留功男のダブル司会で夜、「ズームイン!!夜!」という番組が数回放送された。また、同タイトルで、バラエティ番組の企画も行われている。 |
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*1988年4月1日~1998年8月29日/[[福留功男]] |
*1988年4月1日~1998年8月29日/[[福留功男]] |
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*1998年9月1日~2001年9月28日/[[福澤朗]] |
*1998年9月1日~2001年9月28日/[[福澤朗]] |
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*:※歴代司会者は、その後フリーアナウンサーとなっており、ズームイン!!朝!の司会者は“フリーアナウンサーへの道”であるとも言われている。 |
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*:※なお、2005年6月30日で福澤朗氏が日本テレビを退社。徳光和夫氏、福留功男氏に次ぐフリーアナウンサーとなる |
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*:また、ズームインの司会者は[[高校生クイズ]]の司会者やアシスタントで登場している |
*:また、ズームインの司会者は[[高校生クイズ]]の司会者やアシスタントで登場している |
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*:東京の総合司会が朝の一言を言った後、カメラに向かって“ズームインポーズ”をとり、それと同時にカメラが総合司会者に向かってズームされ「朝一番は○○(各地名)に向かってズームイン!!」で番組スタート、番組テーマ曲に乗せ、各局は中継地の様子、天気、番組オリジナル温度計で気温を伝え、次の局へ中継を渡す。このスタイルは番組のテンポの良さを凝縮しているものだった。 |
*:東京の総合司会が朝の一言を言った後、カメラに向かって“ズームインポーズ”をとり、それと同時にカメラが総合司会者に向かってズームされ「朝一番は○○(各地名)に向かってズームイン!!」で番組スタート、番組テーマ曲に乗せ、各局は中継地の様子、天気、番組オリジナル温度計で気温を伝え、次の局へ中継を渡す。このスタイルは番組のテンポの良さを凝縮しているものだった。 |
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*N.Sヘッドライン |
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*:開始当初は報道番組との区切りがあったので「ニュース」という言葉が使えず、その結果このタイトルになった。 |
*:開始当初は報道番組との区切りがあったので「ニュース」という言葉が使えず、その結果このタイトルになった。 |
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*:他の全国ネットの番組ではあまり取り上げない地域のニュースも各局のアナウンサーが読むのが特徴的であった。 |
*:他の全国ネットの番組ではあまり取り上げない地域のニュースも各局のアナウンサーが読むのが特徴的であった。「[[きょうの出来事]]」や「[[ニュースプラス1]]」のニュース映像をそのまま使い回していたため(音声・BGM部分はカットしてキャスター読みにしていた)荒かったり汚かったりしていた。 |
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*:「きょうの出来事」や「ニュースプラス1」のニュース映像をそのまま使い回していたため(音声・BGM部分はカットしてキャスター読みにしていた)荒かったり汚かったりしていた。 |
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*ズバリ!!橋本五郎 |
*ズバリ!!橋本五郎 |
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*:2000年1月5日、このコーナーを行っている際に当時の[[総理大臣]][[小渕恵三]]が許可を取らずにスタジオに電話をかけた(ブッチホン。前年の流行語大賞)。この日の前後にも複数の番組に電話をかけ、話題になった。 |
*:2000年1月5日、このコーナーを行っている際に当時の[[総理大臣]][[小渕恵三]]が許可を取らずにスタジオに電話をかけた(ブッチホン。前年の流行語大賞)。この日の前後にも複数の番組に電話をかけ、話題になった。 |
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*プロ野球イレコミ情報 |
*プロ野球イレコミ情報 |
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*:全国の局でそれぞれ応援している球団のハッピやジャンパーを着て、試合結果などを伝えていた。読売テレビが阪神、中京テレビが中日、広島テレビが広島を担当し、回によっては福岡放送がパリーグ代表としてダイエー(現在のソフトバンク)の結果を伝えることもあった。 |
*:全国の局でそれぞれ応援している球団のハッピやジャンパーを着て、試合結果などを伝えていた。読売テレビが阪神、中京テレビが中日、広島テレビが広島を担当し、回によっては福岡放送がパ・リーグ代表としてダイエー(現在のソフトバンク)の結果を伝えることもあった。 |
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*:胸には現在のチームの順位が書かれた名札をつけており、Aクラスのチームは赤色(途中から首位のみ金色)、Bクラスのチームは黒色と分けられていた。各局が情報を伝える時は「○○(チーム名)ワリコミ情報~!」と言いながら中継がその局に切り替わっていた(番組後期では東京の司会者が各局にふる形となった)。終了15秒前からカウントダウン表示が画面右上に出ていたが、ズームインサタデーに移行した。 |
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*:東京の総合司会が巨人を応援するので、結果的には巨人の情報に(番組後期は特に)偏りがちになっていた。時々、関東エリア担当のリポーターがヤクルト・大洋(横浜)の応援役として登場し、また、山口放送の勝津リポーターが下関発祥の大洋(横浜)の応援役となったこともあった。 |
*:東京の総合司会が巨人を応援するので、結果的には巨人の情報に(番組後期は特に)偏りがちになっていた。時々、関東エリア担当のリポーターがヤクルト・大洋(横浜)の応援役として登場し、また、山口放送の勝津リポーターが下関発祥の大洋(横浜)の応援役となったこともあった。 |
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*Jリーグおまかせ情報 |
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*:プロ野球イレコミ情報とは異なり中継は結ばず、東京のマイスタから[[金子茂]]アナウンサー(現報道局キャスター)が試合結果を伝えていた。 |
*:プロ野球イレコミ情報とは異なり中継は結ばず、東京のマイスタから[[金子茂]]アナウンサー(現報道局キャスター)が試合結果を伝えていた。 |
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*[[集英社]]の雑誌です |
*[[集英社]]の雑誌です |
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*:[[グラビアアイドル]]が、今日・今週発売する集英社の雑誌を告知する[[生コマーシャル]]。 |
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*朝の詩(ポエム)(1994年9月末まで) |
*朝の詩(ポエム)(1994年9月末まで) |
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*:[[花王]]が提供。番組開始当時は朝の番組に固定スポンサーがつくことは珍しかったため、ネット局開拓の際にはこのコーナーの存在が大きなセールスポイントになったという。 |
*:[[花王]]が提供。番組開始当時は朝の番組に固定スポンサーがつくことは珍しかったため、ネット局開拓の際にはこのコーナーの存在が大きなセールスポイントになったという。 |
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*ウィッキーさんのワンポイント英会話 |
*ウィッキーさんのワンポイント英会話 |
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*:街角で、通りがかった一般の人と英会話を行うコーナー。通勤途中で時間がなかったり、テレビに映るのを嫌う人が多いため、通りがかりの人を追いかけながら英会話することが多かった。 |
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*今朝のキーワード |
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*朝生リポート→きょうの現場 |
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==主な出演者== |
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*[[細川隆一郎]] |
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*[[アントン・ウイッキー]](奥羽大学教授) |
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*[[橋本五郎]](読売新聞編集委員) |
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*[[呉文彦]](日本テレビ報道記者) |
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== ネット局 == |
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系列局のない沖縄県地域及び[[四国放送]]と、番組後期では[[NNN]]のみ加盟の[[テレビ宮崎]]を除く(ただし、テレビ宮崎は九州特集で1度だけ中継に参加している)。1996年から2000年9月までは「[[CS★日テレ]]」でも放送されていた。<BR>四国放送で放送はされていなかったが、専門のキャスターは存在し、徳島からの中継も行われていた。(この件に関しては、同時間帯に放送されていた四国放送の番組『[[おはようとくしま]]』に詳述。)<BR>秋田県と愛媛県では日本テレビ系列の[[秋田放送]]と[[南海放送]]は1992年9月まで[[東京放送|TBS]]系列の番組が放送されていたが、地元に3局目の民放テレビ局が新規開局したのを機に、[[秋田放送]]と[[南海放送]]では同年10月からネット開始した。(それまで秋田県のリポートを[[青森放送]]が、愛媛県のリポートを[[西日本放送]]が担当することがあった。)<BR>長崎県と鹿児島県では、放送開始時からネットしていた局がフジテレビ系列となったため、新たに開局した日本テレビ系列の[[長崎国際テレビ]]、[[鹿児島読売テレビ]]にそれぞれネット局が変更された。<BR>また、石川県は、富山[[北日本放送]]のアナウンサーに金沢情報専属担当者がいて中継していたが、[[テレビ金沢]]の開局に伴い1990年4月から放送を開始し、同時に[[北日本放送]]担当の金沢中継は終了した。なお、[[北日本放送]]では、この番組の放送開始以前の昭和52年から、自社制作番組「おはようKNBです」(7: |
系列局のない沖縄県地域及び[[四国放送]]と、番組後期では[[NNN]]のみ加盟の[[テレビ宮崎]]を除く(ただし、テレビ宮崎は九州特集で1度だけ中継に参加している)。1996年から2000年9月までは「[[CS★日テレ]]」でも放送されていた。<BR>四国放送で放送はされていなかったが、専門のキャスターは存在し、徳島からの中継も行われていた。(この件に関しては、同時間帯に放送されていた四国放送の番組『[[おはようとくしま]]』に詳述。)<BR>秋田県と愛媛県では日本テレビ系列の[[秋田放送]]と[[南海放送]]は1992年9月まで[[東京放送|TBS]]系列の番組が放送されていたが、地元に3局目の民放テレビ局が新規開局したのを機に、[[秋田放送]]と[[南海放送]]では同年10月からネット開始した。(それまで秋田県のリポートを[[青森放送]]が、愛媛県のリポートを[[西日本放送]]が担当することがあった。)<BR>長崎県と鹿児島県では、放送開始時からネットしていた局がフジテレビ系列となったため、新たに開局した日本テレビ系列の[[長崎国際テレビ]]、[[鹿児島読売テレビ]]にそれぞれネット局が変更された。<BR>また、石川県は、富山[[北日本放送]]のアナウンサーに金沢情報専属担当者がいて中継していたが、[[テレビ金沢]]の開局に伴い1990年4月から放送を開始し、同時に[[北日本放送]]担当の金沢中継は終了した。なお、[[北日本放送]]では、この番組の放送開始以前の昭和52年から、自社制作番組「おはようKNBです」(7:00 - 8:10)を制作・放送していたため、番組スタートの1ヶ月後の1979年4月からネットを開始。7:30 - 8:10をローカル枠(後に8:00 - 8:30)に充て「ズームイン!!朝! おはようKNBです」の名称で放送していた。<BR> |
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また、熊本県においては、一応以前、NNNとFNNとANNのクロスネットだった[[テレビ熊本]]があったが、この局も、朝は[[FNNニュース]]を放送していた関係で未放送だったが、[[熊本県民テレビ]]の開局で、熊本では1982年4月に、ズームインの放送を開始している(なお実際は[[サービス放送]]時から)。 |
また、熊本県においては、一応以前、NNNとFNNとANNのクロスネットだった[[テレビ熊本]]があったが、この局も、朝は[[FNNニュース]]を放送していた関係で未放送だったが、[[熊本県民テレビ]]の開局で、熊本では1982年4月に、ズームインの放送を開始している(なお実際は[[サービス放送]]時から)。 |
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2005年8月27日 (土) 06:32時点における版
ズームイン!!朝!(-あさ)は、日本テレビ系で1979年3月5日から2001年9月28日にかけて生放送されていた早朝の情報ワイド番組である。2001年10月からはズームイン!!SUPERとしてリニューアルされている。
放送
1979年3月5日放送開始。平日の7:00~8:30に日本テレビとその系列各局で放送されていた。
概要
東京都千代田区麹町(二番町)の日本テレビ社屋(当時)のオープンスタジオ「マイスタジオ」(通称:マイスタ)を拠点に全国各地の中継点を結び、最新のニュース、スポーツ情報から、番組の目玉である日本列島各所の中継、特集を放送した。なお、総監督として番組終了時まで東阪企画の澤田隆治らが関わっていた。
マイスタジオはこの番組の開始にあわせ日本テレビ本社一階部分を改造し、新設されたもの。
司会は徳光和夫から始まり、福留功男、福澤朗と引き継がれた。その当時の日本テレビの看板アナウンサーがこの番組の司会を勤めていた。
各局が地元球団を応援しながら伝える「プロ野球イレコミ情報」街角からの中継で通りがかった一般の人と英会話を行う「ウィッキーさんのワンポイント英会話」、「朝の詩(ポエム)」など人気コーナーも多かった。
毎年1月1日の元旦放送は、時間を拡大して「新春ズームイン!!朝!」として放送し、全国の名産品をお年玉として視聴者へプレゼントしていた。
1987年、「'プロ野球イレコミ情報」で当時読売テレビアナウンサーの辛坊治郎、森たけしが阪神タイガースのあまりの弱さに「なんぎやなぁ」と言った。この言葉はその後流行語となり、流行語大賞の銀賞を受賞した。(フレーズを考えたのは森たけし)
他に、高橋佳代子、きくち教児、堤信子などこの番組で全国区となった人も多い。
また、松本明子のデビュー前、1981年の宇高連絡船での上京を中継した番組として知られている。
開始当初はNHKの朝のニュース番組が強く苦戦続きだったが、徐々に向上し、1980年代にはNHKと並ぶ視聴率ほどまでになった。1996年には平均視聴率がNHKをはるかに上回る20%前後を記録。その後も高視聴率が続き、日本の朝番組の頂点に立った。
1996年からは土曜日にもズームイン!!サタデーを放送している。
生放送の中継中に水死体が上がったり、新年スペシャルで懸賞に当選した人の家へ突撃で行ったら親類のお葬式へ出かけるところだった、海岸で生中継をしていたら入水自殺をしようとしていた人がいた、など縁起の悪いエピソードも残されている。一時期天気予報で徳光和夫の歌が流れていた事があった。また、徳光は「ズームイン」をする時、机で度々指をぶつけていた。
1993年頃特別企画として、徳光和夫・福留功男のダブル司会で夜、「ズームイン!!夜!」という番組が数回放送された。また、同タイトルで、バラエティ番組の企画も行われている。
東京の総合司会者が休暇中の際は、ネット局のアナウンサーや日本テレビのアナウンサーが司会を代行していた。
天才・たけしの元気が出るテレビ!!のどっきり企画でビートたけし(鞍馬天狗の格好)と高田純次、ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!の罰ゲームで松本人志が乱入したときがあった。(どちらも福留時代)
歴代司会者
- 1979年3月~1988年3月/徳光和夫
- 1988年4月1日~1998年8月29日/福留功男
- 1998年9月1日~2001年9月28日/福澤朗
- ※歴代司会者は、その後フリーアナウンサーとなっており、ズームイン!!朝!の司会者は“フリーアナウンサーへの道”であるとも言われている。
- また、ズームインの司会者は高校生クイズの司会者やアシスタントで登場している
コーナー
- オープニング・天気リレー
- 東京の総合司会が朝の一言を言った後、カメラに向かって“ズームインポーズ”をとり、それと同時にカメラが総合司会者に向かってズームされ「朝一番は○○(各地名)に向かってズームイン!!」で番組スタート、番組テーマ曲に乗せ、各局は中継地の様子、天気、番組オリジナル温度計で気温を伝え、次の局へ中継を渡す。このスタイルは番組のテンポの良さを凝縮しているものだった。
- N.Sヘッドライン
- ズバリ!!橋本五郎
- プロ野球イレコミ情報
- 全国の局でそれぞれ応援している球団のハッピやジャンパーを着て、試合結果などを伝えていた。読売テレビが阪神、中京テレビが中日、広島テレビが広島を担当し、回によっては福岡放送がパ・リーグ代表としてダイエー(現在のソフトバンク)の結果を伝えることもあった。
- 胸には現在のチームの順位が書かれた名札をつけており、Aクラスのチームは赤色(途中から首位のみ金色)、Bクラスのチームは黒色と分けられていた。各局が情報を伝える時は「○○(チーム名)ワリコミ情報~!」と言いながら中継がその局に切り替わっていた(番組後期では東京の司会者が各局にふる形となった)。終了15秒前からカウントダウン表示が画面右上に出ていたが、ズームインサタデーに移行した。
- 東京の総合司会が巨人を応援するので、結果的には巨人の情報に(番組後期は特に)偏りがちになっていた。時々、関東エリア担当のリポーターがヤクルト・大洋(横浜)の応援役として登場し、また、山口放送の勝津リポーターが下関発祥の大洋(横浜)の応援役となったこともあった。
- Jリーグおまかせ情報
- プロ野球イレコミ情報とは異なり中継は結ばず、東京のマイスタから金子茂アナウンサー(現報道局キャスター)が試合結果を伝えていた。
- 集英社の雑誌です
- 朝の詩(ポエム)(1994年9月末まで)
- 花王が提供。番組開始当時は朝の番組に固定スポンサーがつくことは珍しかったため、ネット局開拓の際にはこのコーナーの存在が大きなセールスポイントになったという。
- ウィッキーさんのワンポイント英会話
- 街角で、通りがかった一般の人と英会話を行うコーナー。通勤途中で時間がなかったり、テレビに映るのを嫌う人が多いため、通りがかりの人を追いかけながら英会話することが多かった。
- 今朝のキーワード
- 朝生リポート→きょうの現場
- なるほどエブリデイ
- ズームインズーム→おもしろ発見
- 各局が持ち回りで担当する特集枠。読売テレビのみ地元ローカル枠差し替えの関係上、金曜日しかコーナーを担当できなかった時期がある。
- ニュースチェック→ズームイン!!チェック
- バンヅケ
- 情報トレイン
- 共通のテーマで各局から中継を行う。毎回どこかの地方局がホスト局を務める。
- 見て聞いてホント!
- こだわりの逸品
- 名物・日本の味
- 31分31秒
- おはよう新婚さん
- 花とおじさん
- エンドリレー
特別企画
- 小学生チャレンジランキング大会(通称:チャレラン)
- 年数回、祝日などに行われた全国各地の小学校対抗の運動大会。空き缶積み・背中渡り競争・靴とばし・ぞうきんがけリレー・30人31脚等の競技で順位を争い、優勝校を決定した。その日は90分間の放送がまるまる利用され、通常のコーナーを休止して(プロ野球イレコミ情報だけは放送)大々的に開催された。ネット局どうしの連携が高技術の同番組ならではの企画だった。
- 投稿ビデオ大賞
- 「チャレラン」に代わる企画として登場。視聴者から面白いビデオ募集して、大賞や個人賞等を決定した。また、この企画はゴールデン枠のスペシャル番組としても放送された。
主な出演者
- 細川隆一郎
- アントン・ウイッキー(奥羽大学教授)
- 橋本五郎(読売新聞編集委員)
- 呉文彦(日本テレビ報道記者)
お天気担当
「プロ野球イレコミ情報」の解説者
ネット局
系列局のない沖縄県地域及び四国放送と、番組後期ではNNNのみ加盟のテレビ宮崎を除く(ただし、テレビ宮崎は九州特集で1度だけ中継に参加している)。1996年から2000年9月までは「CS★日テレ」でも放送されていた。
四国放送で放送はされていなかったが、専門のキャスターは存在し、徳島からの中継も行われていた。(この件に関しては、同時間帯に放送されていた四国放送の番組『おはようとくしま』に詳述。)
秋田県と愛媛県では日本テレビ系列の秋田放送と南海放送は1992年9月までTBS系列の番組が放送されていたが、地元に3局目の民放テレビ局が新規開局したのを機に、秋田放送と南海放送では同年10月からネット開始した。(それまで秋田県のリポートを青森放送が、愛媛県のリポートを西日本放送が担当することがあった。)
長崎県と鹿児島県では、放送開始時からネットしていた局がフジテレビ系列となったため、新たに開局した日本テレビ系列の長崎国際テレビ、鹿児島読売テレビにそれぞれネット局が変更された。
また、石川県は、富山北日本放送のアナウンサーに金沢情報専属担当者がいて中継していたが、テレビ金沢の開局に伴い1990年4月から放送を開始し、同時に北日本放送担当の金沢中継は終了した。なお、北日本放送では、この番組の放送開始以前の昭和52年から、自社制作番組「おはようKNBです」(7:00 - 8:10)を制作・放送していたため、番組スタートの1ヶ月後の1979年4月からネットを開始。7:30 - 8:10をローカル枠(後に8:00 - 8:30)に充て「ズームイン!!朝! おはようKNBです」の名称で放送していた。
また、熊本県においては、一応以前、NNNとFNNとANNのクロスネットだったテレビ熊本があったが、この局も、朝はFNNニュースを放送していた関係で未放送だったが、熊本県民テレビの開局で、熊本では1982年4月に、ズームインの放送を開始している(なお実際はサービス放送時から)。
ネット各局キャスター・アナウンサー
中継時、画面右上に中継地と放送局名が表示された。
- STV 笹原嘉弘→吉住秀和→春日和彦→木村洋二→森中慎也・萩原隆雄 権田裕子→石田久美子→橋本登代子→今中麻貴→内山佳子
- RAB 鈴木伸夫→米澤章子→浜舘明→窪寺美穂子→大友寿郎→青山良平→秋山博子
- ABS 井関裕貴→原志保→村野涼子→柳本雪絵→鍋倉美保
- TVI 高橋佳代子→平井直子→藤村惠一
- YBC 芳賀道也→佐伯敏光→芳賀道也
- MMT 日高充 加賀谷牧子 盛朋子→水本豊
- FCT 佐貫洋一→上野孝志→徳光雅英
- NTV 魁三太郎 戸澤真帆 伊藤奈穂子 堀敏彦 伊藤克信 藤井恒久
- YBS 伊藤英敏→大柴堅志→細野俊晴→佐藤和子→村瀬寛美
- TSB 伊東かなえ 伊東陽司 杉江奏子
- SDT 若月雄介→森きく子→橋本恵子→竹内朱実→秋元啓二
- CTV きくち教児→佐藤啓・大藤晋司→本田恵美・板谷学
- TeNY 小幡章→峰剛一→須山司→小紫真由美→鈴木えーもん
- KNB 鞍田朝夫→相本芳彦・小野塚里佳→→数家直樹・湊晃(金沢情報)→村上由美→陸田陽子→小林淳子
- KTK 塚田誉→平体好孝
- FBC 清田精二→森本茂樹→伊藤裕樹
- YTV 小林大作 萩原章嘉 辛坊治郎 森たけし 脇浜紀子 三浦隆志 村上順子 野村明大 中元綾子 鳥羽美音子 国木田かっぱ
- RNC 植松おさみ→山崎達也・岸たけし 山口喜久一郎
- HTV 脇田義信(故人) 安井まみ子 藤村直己 田坂るり
- NKT 宮川敬学(天徳寺の住職)→尾崎真美→福浜隆宏→朝倉浩之→岡崎典子
- KRY 勝津正男→藤井達也→沖山嘉→高島由美→高橋裕
- (JRT 保岡栄二)
- RKC 浜田容助→石田佳世
- RNB 山下泰則→寺尾英子
- FBS 安田栗之助→古賀ゆきひと 堤信子 今泉清保 加茂川里美 舘恭子 浜崎正樹・奥田美香子
- KKT 佐藤良諭→本橋馨→久保里美→吉永真樹
- KTN 橋口泰介→浦里和弘 ⇒NIB 藤村幸司→島田啓子
- TOS 柴田岸雄→畠山のりえ→小笠原正典
- KTS 崎島誠 ⇒KYT 長島崇彦→糸永直美→→今井智久→ 近藤久美子
- 沖縄 川満聡 (番組内のテロップでは、当初は「沖縄・日本テレビ」と紹介していた(これは日本テレビ那覇支局が当時から存在していたからである。)が、末期は「沖縄」のみの表示になった。)
ほか
その他
- 「マイスタジオ」はこの番組の開始のために日本テレビ本社(南本館)一階部分を改造し新設されたもので、第一回放送時に徳光和夫は「私のスタジオ、そしてあなたのためのスタジオです」と説明している。(ただし、「 スーパースペシャル2000 ズームイン!!朝! 衝撃&爆笑映像スペシャル」の番組内において、第1回放送スタート時の映像を、福留功男、福澤朗らと振り返った徳光和夫は、このマイスタジオの説明について「今日久々に聞いてあんなこと言ってたのかと思いましたけどね。オレねぇ結構口から出まかせだったんだよ。ほとんどそうなんだよ、ゴメン!!」とのコメントを残している。)ちなみに同スタジオは、元々日本テレビ25年史を展示する展示室と郵便集配室だったものを無理やりスタジオに改装したため、改装費に約4億円を費やしたという。またスタジオと副調整室の間に壁のないスタジオはこのマイスタが日本初。
- 番組の企画段階での仮タイトルは『今日、あなたは』。その後『ズームイン!!全国的に朝!』と変更されたが、社長決裁の段階で「全国的に」の部分だけが取れて『ズームイン!!朝!』に落ち着いた。
※参考資料:「ディレクターにズームイン!!」(斎藤太朗著・日本テレビ)