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'''元素'''(げんそ、 |
'''元素'''(げんそ、{{lang-en-short|element}})は、[[化学物質]]を構成する基礎的な[[成分]](要素)を指す[[概念]]である。[[古代]]から[[中世]]において、万物の根源は[[仮説]]を積み上げる手段で考えられ、その源にある不可分なものを「元素」と捉えていた<ref name=Saito22>[[#斉藤1982|斉藤 (1982)、pp.22-24、1.3原子と元素]]</ref>。[[ヨーロッパ]]で成立した[[近代]][[科学]]の成立以降、[[物質]]の基礎単位は[[原子]]という[[理論]]が構築されてからは、原子は「物質を構成する具体的要素」、元素は「性質を包括する抽象的概念」というように変わった<ref name=Saito22 /><ref name=New12>[[#ニュートン別2010|ニュートン別 (2010)、pp.12-13、原子と元素はどうちがうのか?]]</ref>。 |
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[[ファイル:Periodic table.svg|thumb|450px|[[周期表]]。元素の種類と基本的な特徴をその並びで説明する表。]] |
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{{ウィキポータルリンク|化学|[[ファイル:Nuvola apps edu science.png|32px|ウィキポータル 化学]]}} |
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==概 |
== 概要 == |
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[[原子]]は構造的な概念であるのに対して、元素は特性の違いを示す概念である<ref name=Saito9>[[#斉藤1982|斉藤 (1982)、pp.9-22、1.2近代科学と元素]]</ref>。具体的には、各元素の差異は[[原子番号]]すなわち[[原子核]]に存在する[[陽子]]の数([[核種]])で区分される。したがって[[中性子]]の総数により[[質量数]]が異なる[[同位体]]も同じ元素として扱われる<ref name=New12 />。これに対し原子は中性子の個数を厳密に捉える。したがって、元素とは原子の集合名詞と言うこともできる<ref name=Saito22 />。なお、[[電子]]の増減によって生じる状態である[[イオン]]は、原子が[[電荷]]を帯びた状態として考えられる<ref name=New14>[[#ニュートン別2010|ニュートン別 (2010)、pp.14-15、原子は電子を出入りさせイオンとなる]]</ref>。英語elementは「根本にあるもの」を意味する。他の用例では[[電気回路]]の「[[素子]]」も同じ単語が用いられる<ref name=Saito9 />。 |
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古代ギリシャ時代にはstoikeiaと言った。もともと字母を意味していたstoicheionという言葉を、根源的な物質の名として用い、重要概念としたのはプラトンであった。 |
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中世ヨーロッパでは[[ラテン語]]でelementumと呼んだ。elementumは13世紀には「世の中の根元をなす物」といった、元素とほぼ同義で用いられていた。elementumの由来は、諸説あるがはっきりとしていない。それが後世に英語でelement(エレメント)と呼ばれることになった。 |
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いろいろなモノが一体何からできているのかという疑問と考察は洋の東西を問わず古代からあり、[[物質観]]・[[自然観]]・[[世界観]]と関連づけながらそれぞれの[[文明]]圏で体系がなされた。それらが「火」「水」「土」など自然の現象から抽出された少数の「元素」であり、[[宗教]]と関連づけられることもあった<ref name=Saito2>[[#斉藤1982|斉藤 (1982)、pp.2-9、1.1昔の物質観]]</ref>。物資の根源が体系づけられ、これが科学者の共通認識として広がったことは[[アイルランド]]の[[ロバート・ボイル]](1627年 - 1691年)に始まると言われる。彼は[[実験]]・[[測定]]・[[分析]]を重視し、それらの結果から「これ以上細かく分けられない物質」を元素と定義した<ref name=Saito9 />。以後、様々な考察とそれを裏付ける実験が行われ、元素を「[[粒子]]」として捉える今日の元素観および[[原子論]]が確立された<ref name=Saito9 />。 |
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元素の概念はいわゆる西洋や東洋でも見られた。 |
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西洋での元素の概念を概念史的に見ると大きく分けて三つの相がある。(1) 古代ギリシャと中世ヨーロッパ 、(2)ヨーロッパのルネサンスから18世紀まで、(3)ラヴォワジエ、ドルトン、メンデレーエフなど以降の近代科学となる。 |
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元素の性質は[[最外殻電子]](価電子)に大きく影響される為、同様な性質を持つ元素は[[元素の族]](元素群)として、[[周期表]]においても族(周期表の列)や系列として纏められている<ref name=New34>[[#ニュートン別2010|ニュートン別冊 (2010)、pp.34-35、メンデレーエフの正しさは、原子構造で証明された]]</ref>。現在、元素は118種類が知られている。このうち112個は[[国際純正・応用化学連合]](International Union of Pure and Applied Chemistry, IUPAC)から正式名称が与えられ、113‐116および118番目の5個は各国の研究機関から合成に成功したという報告がなされた。117番目元素のみ追試が待たれる状態にある<ref name=New70>[[#ニュートン別2010|ニュートン別冊 (2010)、pp.70-74、周期表の元素が112個にふえた]]</ref>。なお、元素は173番目まで存在可能との説も唱えられている<ref name=New70 />。 |
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古代ギリシャでは万物のアルケー、つまり根源は何かということを考える人がいて、アルケーは水だ、空気だ、火だ、土だとしたり、地上世界は四大元素でできていると考え、それに対して天界はエーテルでできていると考えたりした。ルネサンスのヨーロッパになると塩、硫黄、水銀を三原質という説も登場し、その説と古代ギリシャ以来の四大元素説が混交した五大元素説が採用された。 |
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== 古代の万物の根元観 == |
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17世紀にボイルによって化学の粒子論的な再解釈が行なわれたものの、他の化学者にとっては何ら影響力が無かった。化学者に広く近代風の元素説が受け入れられるのは、ラヴォワジエの化学体系やドルトンの化学的な原子論やメンデレーエフによる周期律表が登場してからのことである。 |
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[[File:Wuxing.svg|thumb|right|150px|[[五行思想]]における5つの元素]] |
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=== 古代中国 === |
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[[古代中国]]における物質の根源に関わる思想は、[[周]]代の紀元前11-4世紀頃には体系づけられた。『周易』は、自然現象は「天・流水・火・雷・風・水・山・地」の8つの基本に帰し、これと[[陰陽思想]]の根源である対位思想「[[陰]]」と「[[陽]]」が組み合わさったものと見なした。物質の根源要素には「木」「火」「土」「金」「水」の5つを基本物質である「元素」と考える[[五行思想]]を置き、これに陰陽が関わり[[宇宙]]のすべてが成り立つと考える[[陰陽五行思想]]を構築した<ref name=Saito2 />。 |
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この思想を基礎に、[[未来]]を予想する方法が発達し[[易|易法]]となった。また[[道教]]にも取り入れられ、成立した[[陰陽道]]は[[日本]]にも伝わった<ref name=Saito2 />。 |
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まず歴史を辿り、次に現代の元素概念を詳しく見てみよう。 |
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=== 古代インド === |
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[[古代インド]]における根源論には、古[[ウパニシャッド]]に登場する[[ウッダーラカ・アールニ]]の思想「[[有]](う、sat)の哲学」に汲み取れる。彼の思想には、すべてのものは微小な[[アートマン]](我)だと言及する部分がある<ref name=Yama>{{cite web|url= http://repository.osakafu-u.ac.jp/dspace/bitstream/10466/8850/1/2009200398.pdf |format=PDF|title=インドとギリシアの古代「原子論」:比較思想の基本的問題|author=山口義久|year=1996年|publisher=[[大阪府立大学]]学術情報リポジトリ|language=日本語|accessdate=2011-01-08}}</ref>。 |
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元素の歴史は万物の性質の根源を探究する歴史であり、古代の哲学者らは様々な物性が少数の基本的性質の混合により多様性を発現していると考察した。[[デモクリトス]]の説を別にすれば、原子や分子など物質の構造に関する探究はそれらよりも遅れて近世以降に発生・発展してきた。 |
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具体的な根源物質観は、『[[パーリ語経典]]』経蔵・長部の『沙門果経』に見ることができる。ここで述べられている考えは、紀元前5世紀前後の[[釈迦]]と同時代人と伝わる[[思想家]]集団である「[[六師外道]]」たちによって形成された古代インド原子論である<ref name=Yama />。[[アジタ・ケーサカンバリン]]は「存在を構成する物質元素は、地・水・火・風の四大である」という論を主張した<ref>{{cite web|url=http://user.numazu-ct.ac.jp/~nozawa/b/ajita.htm |title=3.アジタ・ケーサカンバリンの唯物論|author=野沢正信|publisher=沼津高専教養科|language=日本語|accessdate=2011-01-08}}</ref><ref>{{cite web|url=http://www.j-theravada.net/explain/syamonka-4.html |title=パーリ仏典を読む 沙門果経(6) 第二章 六師外道の話 (三)アジタ・ケーサカンバラの教え|author= A・スマナサーラ、編集:杜多千秋|publisher=日本テーラワーダ仏教協会|language=日本語|accessdate=2011-01-08}}</ref>。また、[[パクダ・カッチャーヤナ]]は「生命は絶対的な地・水・火・風・楽・苦・命の7つの要素から構成されている」と説いた<ref>{{cite web|url=http://user.numazu-ct.ac.jp/~nozawa/b/pakuda.htm |title=4.バクダ・カッチャーヤナの七要素説|author=野沢正信|publisher=沼津高専教養科|language=日本語|accessdate=2011-01-08}}</ref><ref>{{cite web|url=http://www.j-theravada.net/explain/syamonka-5.html |title=パーリ仏典を読む 沙門果経(6) 第二章 六師外道の話 (四)パクダ・カッチャーヤナの教え|author= A・スマナサーラ、編集:杜多千秋|publisher=日本テーラワーダ仏教協会|language=日本語|accessdate=2011-01-08}}</ref>。彼らの思想は、カッチャーヤナの「ものを切る剣は、この要素の隙間を通る」という言葉に表される通り、元素をanu(微小なもの)、paramanu(極限まで微小なもの)と説明しており、これらが漢語において「極微」と訳される事から「極微論」と言うことができる<ref name=Yama />。 |
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=== [[古代ギリシア]] === |
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元素という言葉は後年に作られた為、ギリシア時代には存在しないが、ギリシャ哲学では万物の変化・流転は一大命題として扱われ、多くの哲学者により万物の構成要素として元素の概念が論ぜられた。 |
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インドの極微論は[[六派哲学]]や[[宗教]]に引き継がれていった。[[ニヤーヤ学派]]・[[ヴァイシェーシカ学派]]が4つの元素に対応する4つの極微(原子)を想定したのに対し、六師外道の一人[[マハーヴィーラ]]が創始した[[ジャイナ教]]では初期の頃、極微に種類を設けなかったと考えられる。しかしジャイナ教もやがて「蝕・味・香・色」という性質と、「冷湿・冷乾・熱湿・熱乾」という現れ方があると考えるようになり、複数の極微を想定するようになった<ref name=Yama />。 |
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[[タレス]]は万物の根源に'''[[アルケー]]'''という呼名を与え[[水]]であるとした。その他、[[空気]]であると考えた人、[[火]]であると考えた人、[[土]]だと考えた人がおり、それぞれがアルケーであるという立場を採った。[[エンペドクレス]]はアルケーが、火、空気([[風]]とも)、水、土の4つの'''[[リゾーマタ]]'''からなるとする後世にいう'''[[四大元素|四元素説]]'''を唱えた。[[プラトン]]はこれに[[階層]]的な概念を導入し、土が[[正六面体]]でもっとも重く、他のリゾーマタは[[三角形]]からなる[[正多面体]]で、火が最も軽いリゾーマタであり、これら[[四大元素]]はそれぞれの重さに応じて運動し互いに入り混じると考えた。なおプラトンの作かどうか疑問視されている著書では、4つのリゾーマタに加え、天の上層を構成するとして'''アイテール'''が導入されている。[[紀元前4世紀|紀元前350年]]ごろ、[[アリストテレス]]は四元素説を継承した上で、4つのリゾーマタは相互に変換できるものと考え、また天上にのみ存在するアイテールを4つのリゾーマタの上位リゾーマタとして立てた。[[アイテル]]を語源とするアイテールは、のちの自然学における[[第五元素]]([[ラテン語]]のquinta essentia。なお英語の quintessence (「真髄」 の意)の語源でもある)とされ、宇宙を満たす媒質'''[[エーテル (神学)|エーテル]]'''の構想へとつながっていく。アリストテレスと同時代の[[デモクリトス]]は、無から発生し、再び消滅する究極微粒子('''アトム''')から万物が構築され、その構造的変化が物性の変化となると論じたが、彼の[[原子論#ギリシャ哲学のアトム論|アトム論]]は発展を見ることは無く、ヨーロッパにおいては四元素説が[[スコラ哲学]]へと継承されてゆくことになる<ref>『世界大百科事典』、CD-ROM版、平凡社</ref>。 |
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仏教においても万物の構成要素として「地・水・火・風」を「四大」または「四大種」という考え方がある。ただしこれらにはそれぞれに「[[形]]・[[象徴]]・[[色]]・[[機能]]」といった付帯的な特徴を持ち、様々な現象(rupa、「[[色 (仏教)|色]]」)の根本という抽象的解釈で語られる。この概念は拡大して「[[空 (仏教)|空]](くう)」を加えた[[五大]](マウアラカキヤ)、さらに「[[識]]」を加えた[[六大]]へと発展し、観念的・哲学的な思想へと意義を変化させた。これらは中国の五行思想ともども近代的な物質要素の科学には繋がらなかった<ref name=Saito2 />。 |
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===ルネサンスから18世紀=== |
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[[錬金術]]が行なわれていた時代であった。[[パラケルスス]]が扱っていた三原質(塩、硫黄、水銀)というのは形相的なものも含んでいたので必ずしも物質を指さなかったが、化学的な現象の説明には重宝された。17世紀-18世紀初頭には、錬金術師たちは三原質説と四元素説が混交した五元素説を採用していた。これは[[塩]]、[[硫黄]]、[[水銀]]、[[土]]、[[水]]を元素とするものである。だが同時代に[[ヘルモント]]は水一元素説を唱えていたので、人々の元素への見方が一致していたわけではない。 |
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=== 古代ギリシア === |
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西アジアやヨーロッパでも[[古代エジプト]]や[[メソポタミア]]など高度な古代文明が発達したが、これらからは物質の根源に関わる記録が発見されておらず、唯一[[古代ギリシア]]における思想が伝わっており、この考え方は長くヨーロッパで受け入れられた<ref name=Saito2 />。この時代の哲学者たちは、万物のあらゆる生成と変化の根源にある原理を「[[アルケー]]」(arkhē)と呼び、これが一体何なのかを論じた<ref>{{cite web|url=http://c-faculty.chuo-u.ac.jp/~tsuchi/lec04hist.html |title=西洋古代・中世哲学史(2004年度)|author=土橋茂樹|publisher=[[中央大学]]文学部哲学専攻 |language=日本語|accessdate=2011-01-08}}</ref>。 |
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古代インドの[[哲学]]者・思想家[[アジタ・ケーサカムバリン]]<ref>[[パーリ語]]読みの人名。仏典の中に仏教より劣る思想家・哲学者として紹介されているものとしてしか名前が残っていないので正確な言い方・発音は不明。</ref>は「『存在』を構成するものは、地・水・火・風の四大であり、この四大以外にはない」という論を主張した。また、[[パクダ・カッチャーヤナ]]は「人間のからだは[[地]]・水・火・風・[[苦]]・[[楽]]・[[霊魂]]の7つから構成されている」、[[マッカリ・ゴーサーラ]]は「生きているものは、地・水・火・風・苦・楽・霊魂・[[虚空]]・[[得]]・[[失]]・[[生]]・[[死]]の12の要素から構成される」と主張した。 |
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[[ファイル:Thales.jpg| thumb|right|150px|[[タレス]]は、「水」に根元「要素」というよりも根元「性質」を重視した主張を仮託していた。]] |
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=== 古代中国 === |
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[[タレス]](紀元前624年 - 紀元前546年頃)は、[[氷]]や[[水蒸気]]などの[[相]]を持ち、硬い岩も[[風化]]させる[[水]]がアルケーだと論じた<ref group="2-">[[アリストテレス]]『形而上学』第1巻第3章</ref>。これは正しくは、水のような流体性を持つものが根本物質であるという事を指している<ref>[[#石村1998|石村 (1998)、第6項 本当に実在するものは、ものか、性質か pp.167-170、「もの」と「性質」の無限遡及]]</ref>。タレスの孫弟子に当る<ref name=Isi177>[[#石村1998|石村 (1998)、第6項 本当に実在するものは、ものか、性質か pp.177-178、「気」の迷い‐「万物は気である」(アナクシメネス)]]</ref>[[アナクシメネス]](紀元前585年頃 - 紀元前525年頃)はこの考えをさらに深め、アルケーは[[空気]]だと置き、これが濃くなれば風や雲、やがて水や岩などに変化すると述べた。ただしアナクシメスの主張は、タレスと同じく流体性が根本にあると見なし、[[生物]]の[[呼吸]]などを含めアルケーを的確に表すものとして空気を示している<ref name=Isi177/>。同時代には、根源を[[火]]として「万物は流転する」と述べ、火が変化して空気や水または土などを生成すると述べる<ref name=Yama />[[ヘラクレイトス]]も現れた<ref name=Saito2 />。ただし彼が言う火も基本物質ではなく闘争原理を指す<ref name=Isi183>[[#石村1998|石村 (1998)、第6項 本当に実在するものは、ものか、性質か pp.183-186、4人の偉大な「形而上学」者]]</ref>。これらは、一つの原理で自然界の多様性を説明する方法論であった<ref name=Yama />。 |
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世の中は「[[陰]]」と「[[陽]]」から成り立っていて([[陰陽思想]])、更に「木」「火」「土」「金」「水」の5要素([[五行思想|五行]])に分かれていると考えた([[陰陽五行思想|陰陽五行説]])。[[インド哲学]]の諸論争や[[古代]][[中国]]の[[陰陽五行説]]をみてわかる通り「物質を構成する基本的な成分がある」、という考え方は「『世界』というものに対する人間の一つの哲学的・思想的・宗教的態度」でもある([[西洋科学]]の実験の積み重ねを否定するものではない。ようするに実験の積み重ねが不十分な時点での西洋科学の「元素」説は「事実」より「哲学」や「思想」、「世界論・宇宙論・世界観」に近いと言う事)。 |
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[[ファイル:Empedokles.jpeg| thumb|left|150px|[[エンペドクレス]]は、不変かつ複数の根元物質が混ざり合うことで自然の多様性を説明した。]] |
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=== 密教 === |
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これに対し、[[パルメニデス]](紀元前500年頃 - 没年不明)や[[ゼノン (エレア派)|ゼノン]](紀元前490年頃 - 紀元前430年頃)ら[[エレア派]]は「ある」ものの不変・不動性を説く立場から、単一の原理とその変化で多様な世界を説明することは誤りという主張を行った<ref name=Yama />。このエレア派の論理に矛盾せずに自然の多様性を説明した学者が、アルケーがひとつではなく4つのリゾーマタ(rizomata、「根」、「[[四大元素]]」)から成立すると述べた[[エンペドクレス]](紀元前490年頃 - 紀元前430年頃)であった。彼は四大元素を「火・水・土・空気」と置く多数の元素を提唱し、新生も消滅もしないこれらが離散・集合を行うと述べた<ref>{{cite web|url=http://www.tamabi.ac.jp/idd/shiro/mecha/fluid/entropy/entropy.html |title=八雲|author=高橋士郎|publisher=[[多摩美術大学]]|language=日本語|accessdate=2011-01-08}}</ref>。 |
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古代インドから伝わった[[仏教]]・[[密教]]でも万物の構成要素として、四大(「地」、「水」、「火」、「風」)、[[五大]](マウアラカキヤ)は四大に「[[空 (仏教)|空]](くう)」が加えられ、六大は五大に「[[識]]」が加わる。 |
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[[ピタゴラス]](紀元前580年頃 - 紀元前500年頃)は「万物は数である」と述べ、四大元素論と当時発見されていた[[正多面体]]を対応させ、「火・土・水・空気」が「[[正4面体]]・[[正6面体|6]]・[[正8面体|8]]・[[正20面体|20]]」と置き、後に見つかった[[正12面体]]は[[宇宙]]を現すと主張した<ref>{{cite web|url=http://www.math.h.kyoto-u.ac.jp/~takasaki/soliton-lab/chron/has-hist/chap2.html |title=古代~ギリシャ・ローマの数学|author=長谷川浩司|publisher=[[京都大学]]大学院人間・環境学研究科数理科学講座|language=日本語|accessdate=2011-01-22}}</ref>。[[プラトン]](紀元前427年 - 紀元前347年)は四大元素論に[[階層]]的な概念を導入し、土が[[正六面体]]でもっとも重く、他のリゾーマタは[[三角形]]からなる[[正多面体]]で、火が最も軽いリゾーマタであり、これらはそれぞれの重さに応じて運動し互いに入り混じると考えた。これは、物体は物体でしかないという彼の主張から導き出された<ref name=Chiba>{{cite web|url= http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/33998/1/104_PL1-93.pdf |format=PDF|title=アリストテレス哲学における方法論|author=千葉恵|publisher=[[北海道大学]]文学研究科|language=日本語|accessdate=2011-01-22}}</ref>。なおプラトンの作かどうか疑問視されている著書では、4つのリゾーマタに加え、天の上層を構成するとして「アイテール」が導入されている。彼に続く一派は、物質の多様性を説明するために[[イデア論]]を機軸に置き、三角形が[[イデア]]を示すかたちであり、これは分割ができないものという「極微論」に似た主張を行った<ref name=Chiba />。 |
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=== 近世 === |
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* [[1662年]]、[[ロバート・ボイル]]は[[実験]]によってそれ以上分割できない物質が元素であると[[定義]]した。[[硫黄]]・[[水銀]]・[[銅]]・[[銀]]などが元素と考えられた。 |
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[[ファイル:Democritus2.jpg|thumb|right|150px|[[原子論#ギリシャ哲学のアトム論|アトム論]]を確立した[[デモクリトス]]]] |
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* [[1774年]]、[[アントワーヌ・ラヴォアジエ]]がペリカンと称するガラス容器中に封じた水を101日間加熱し続けて、水は土になり得ないことを証明した。これにより、アリストテレス以来の元素変換の考えが打ち破られた。 |
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[[紀元前4世紀|紀元前350年]]ごろ、[[アリストテレス]]は[[無限]]を考察する際に、これを否定する論述のひとつにおいて有限個数の四大元素論を用い、4つのリゾーマタは相互に反対の性質を持ち、もし無限が存在するならば世界はどれか一つの性質で満たされてしまうと述べた<ref name=Chiba />。また、『天体論』において天上にのみ存在し円運動をするアイテールを、直線的に動く4つのリゾーマタの上位として立てた<ref name=Chiba />。[[アイテル]]を語源とするアイテールは、のちの自然学における[[第五元素]]([[ラテン語]]のquinta essentia。なお英語の quintessence (「真髄」 の意)の語源でもある)とされ、宇宙を満たす媒質[[エーテル (神学)|エーテル]]の構想へとつながっていく。アリストテレスと同時代の[[デモクリトス]]は、無から発生し、再び消滅する究極微粒子(アトム)から万物が構築され、その構造的変化が物性の変化となると論じたが、彼の[[原子論#ギリシャ哲学のアトム論|アトム論]]は発展を見ることは無く、ヨーロッパにおいては四元素説が[[スコラ哲学]]へ継承されてゆくことになる<ref>『世界大百科事典』、CD-ROM版、平凡社</ref>。 |
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* [[1789年]]、[[ラヴォアジエ]]が当時知られていた33種の[[単体]]を分類して元素とし、具体的な元素概念を確立した。約30種類の元素が知られるようになった。 |
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* [[1813年]]、[[イェンス・ベルセリウス]]が[[元素記号]]を考案した。 |
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=== 錬金術 === |
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* [[1869年]]、[[ドミトリ・メンデレーエフ]]により[[周期表]]が発表された。 |
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ギリシア哲学の元素論は中世ヨーロッパに直接伝わらず、[[エジプト]]や[[アラブ]]世界を経由して[[錬金術]]に組み込まれた。ここでは経験的技術の蓄積や実験手段の洗練化が行われたが、[[卑金属]]から[[貴金属]]をつくるという目的と、成果が秘匿されたために情報が孤立する傾向にあり、元素の探求にはあまり寄与しなかった。その中で、[[ジャービル・イブン=ハイヤーン]](721年? - 815年?)や[[パラケルスス]](1493年? - 1541年)<ref name=Kashida>{{cite web|url= http://www.ed.kanazawa-u.ac.jp/~kashida/PDF/chemIb/chap1/chemt101.pdf |format=PDF|title=Chapter1 物質の構造|author=樫田豪利|publisher=[[金沢大学教育学部附属高等学校]] |language=日本語|accessdate=2011-03-11}}</ref>が唱えた根源物質としての三元素が伝わっているが、これは[[硫黄]]・[[水銀]]・[[塩]]を指した<ref name=Saito2 /><ref name=Saito9 />。この三元素のうち硫黄と水銀は単体だが、塩は化合物の[[塩化ナトリウム]]であり、今日的な元素概念からすれば意味は無い。ただし、この三物質はそれぞれ[[共有結合]]・[[金属結合]]・[[イオン結合]]という[[化学結合]]の主な3種類に対応している。しかし、ジャービルがこれを意識していたかどうかはわからない<ref>[[#斉藤1982|斉藤 (1982)、p.10、錬金術の3元素]]</ref>。 |
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* [[1875年]]、メンデレーエフが[[ガリウム]]、[[ゲルマニウム]]、[[スカンジウム]]の存在とその性質を予言。 |
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== 現代的元素観の確立 == |
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[[File:PSM V42 D450 Robert Boyle.jpg|thumb|left|150px|現代的元素観確立の端緒を開いた[[ロバート・ボイル]]。]] |
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=== 原子説 === |
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物質の根源は何かという問いを改めて提議した人物が[[アイルランド]]生まれの[[ロバート・ボイル]](1627年 - 1691年)である。彼は著作『懐疑的化学者』にて思索だけに頼った古代ギリシアの元素論を批判し、実験を重視して元素を探求すべきという主張を行った。また彼は、元素に「これ以上単純な物質に分けられないもの」という粒子説<ref name=Kashida />の定義を与え<ref group="注">ただしボイルの定義は、元素と単体の区分が不明瞭であった。([[#斉藤1982|斉藤 (1982)、p13、単体と元素]])</ref>、さらに元素は古代的考えの4-5個では収まらないという先見的な予測を示した<ref name=Saito9 />。 |
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=== 元素発見の推移 === |
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{{Main|化学元素発見の年表}} |
{{Main|化学元素発見の年表}} |
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ボイルの主張後、実験によって様々な「不可分なもの」の探求が行われた。[[アントワーヌ・ラヴォアジエ]]は1789年の著作『化学原論』にて、当時見つかっていた33種類の元素を纏めた表を採録した。ただしその中には[[熱素]]や[[光]]があった。また化合物である[[マグネシア]]や[[アルミナ]]なども含まれていたが、これは当時の実験技術の限界によるもので、ボイル以来の考え方そのものは正しかった<ref name=Saito9 />。 |
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[[File:Dalton atomic symbols.jpg|thumb|right|150px|ドルトンの原子記号(左)と原子量(右の数字)<ref name=Saito9 />]] |
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ラヴォアジエの「[[質量保存の法則]]」や<ref name=Kashida />[[ジョゼフ・プルースト]]が1799年に発表した「[[定比例の法則]]」を元に、[[ジョン・ドルトン]]は1801-1808年に執筆した一連の論文で「原子説」を唱えた。これは、物質の根元は[[原子]] (atom) であり、これは元素の種類に対応するだけの数がある、同じ原子は質量や大きさが同一で異なる原子はそれらが一致しないと述べ、[[原子量]]の概念を提示した。さらに物質は同じ原子の集まりである[[単体]]と異なる原子の集まりである[[化合物]]があるとし、窒素と酸素からなる5つの化合物を示してこれを証明した<ref name=Saito9 />。この理論は、内包した矛盾点を[[ジョセフ・ルイ・ゲイ=リュサック]]の「[[気体反応の法則]]」や[[アメデオ・アヴォガドロ]]の「[[アボガドロの法則]]」などが修正し、広く受け入れられるようになった<ref name=Saito9 />。 |
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=== 元素の発見と整理 === |
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古代から知られていた単体の種類は貴金属や炭素など11に過ぎなかったが、17世紀以降には実験を通じて様々な単体が得られ、その数に応じて発見された元素の個数は増えた。17世紀には[[リン]]など3種、18世紀には水素や酸素からウランを含む13種、19世紀には56種の元素が見つかった。20世紀には自然界に存在する元素の残り5種類に加え、[[人工放射性元素]]が15種類合成された<ref name=Saito32>[[#斉藤1982|斉藤 (1982)、pp.32-41、2.1. 近代科学と元素]]</ref>。 |
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{{Main|周期律|周期表}} |
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このような元素の増加に伴い、特性に応じた分類や系統立てが行われた。ラヴォアジエは化合物の性質から[[金属元素]]・土類元素<ref group="注">酸化物しか作らない元素([[#斉藤1982|斉藤 (1982)、p.34]])</ref>・非金属元素の3種類の区分を提案した。さらに測定精度が高まった原子量を重視した並びから規則性([[周期律]])を見出そうとする試みも提案された。そして、1869年に[[ドミトリ・メンデレーエフ]]が提案した[[周期表]]は改良を重ねて[[原子価]]を重視した特長で並べられ、当時未発見の元素を予言するなど洗練された系統表として広く認められるようになった<ref name=Saito32 />。 |
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=== 元素の正体 === |
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[[File:Ernest Rutherford 1908.jpg|thumb|left|150px|元素の解明に様々な貢献を果たし、「原子物理学の父」と呼ばれる[[アーネスト・ラザフォード]]。]] |
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{{Main|核分裂反応|自発核分裂}} |
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19世紀には各元素の発見が相次ぎ、それぞれの特徴が把握され蓄積されたが、このような性質がどのような原理で生じるかは分かっていなかった。そして、各元素は不変だと考えられていた。しかし19世紀末から20世紀初頭にかけ、[[放射性元素]]と[[放射能]]が発見され、[[アルファ崩壊]]が確認された。これによって、一部の元素は原子量を低くする方向へ分裂する事が判明した<ref name=Saito53>[[#斉藤1982|斉藤 (1982)、pp.53-62、2.3. つくられた元素]]</ref>。 |
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[[ファイル:Helium atom QM.svg|thumb|right|150px|最新の原子論で描く[[ヘリウム]]。この構造について詳細は[[原子]]を参照。]] |
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{{Main|原子}} |
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アルファ崩壊発見などで業績を残した[[アーネスト・ラザフォード]]は[[原子核]]を発見し、1911年に[[ラザフォードの原子模型]]を提唱した。これに[[ニールス・ボーア]]は量子仮説を加えて[[ボーアの原子模型]]を発表した。これによって基本的な原子の構造や周期律が生じる理由などが説明され、元素は原子という構造を持つ物質として知られるようになり<ref>{{cite web|url= http://www2.nagano-nct.ac.jp/~jig/TQresults/40605/rekishi1.html |title=原子力の歴史 黎明期1895年-1952年|author=|publisher=[[長野工業高等専門学校]] |language=日本語|accessdate=2011-03-11}}</ref>、その研究は[[化学]]から[[物理学]]の[[素粒子物理学]]分野へと発展していった。 |
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{{Main|原子核融合}} |
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1911年、ラザフォードは窒素に[[アルファ線]]を放射して水素イオンとその時は検出されなかったが酸素を作り出し、低原子量の元素を転換させることに成功した。1920年代からは様々な元素を人工的に変える実験が行われ、[[粒子加速器]]も発明された。これらから、低原子量の元素変換には高い[[エネルギー]]が必要になることが判明してきた。1932年には以前から存在が予測されていた[[中性子]]が発見され、これを用いた実験を通じて[[半減期]]が短く基本的に地球上には存在しない[[人工放射性元素]]や[[超ウラン元素]]が作られるようになった。さらにこの実験を通じて1938年には[[核分裂]]が発見され、人類は[[原子力]]エネルギーを手にすることになった<ref name=Saito53 />。 |
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=== 主な元素の発見 === |
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* [[1766年]] - [[水素]]([[ヘンリー・キャヴェンディッシュ|キャヴェンディッシュ]]) |
* [[1766年]] - [[水素]]([[ヘンリー・キャヴェンディッシュ|キャヴェンディッシュ]]) |
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* [[1772年]] - [[酸素]]([[カール・ヴィルヘルム・シェーレ|シェーレ]]) |
* [[1772年]] - [[酸素]]([[カール・ヴィルヘルム・シェーレ|シェーレ]]) |
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* [[1898年]] - [[ラジウム]]、[[ポロニウム]]([[マリ・キュリー]]と[[ピエール・キュリー]]) |
* [[1898年]] - [[ラジウム]]、[[ポロニウム]]([[マリ・キュリー]]と[[ピエール・キュリー]]) |
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== 元素の種類 == |
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{{See|元素の一覧|周期表}} |
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[[ファイル:Periodic table.svg|thumb|450px|[[周期表]]]] |
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{{周期表/周期別 凡例}} |
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約118種類の元素が知られている。 |
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== 表記法 == |
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{{See|元素の番号順一覧|周期表}} |
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元素を表すには[[元素記号]]が使われ、これは原子や[[分子]]を表すためにも用いられる。例えば、[[水]]は元素は酸素Oと水素Hから作られH<sub>2</sub>Oと表記される。これら元素の表示方法はラヴォアジエが命名法を提議した。元素記号はドルトンから始まり、多くの原子量決定にも貢献した[[イェンス・ベルセリウス]](1779年 - 1844年)によって定められた<ref>{{cite web|url= http://kuchem.kyoto-u.ac.jp/ossc/old_ossc/kisobukka/kisobukka_1-1.doc |title=有機物理化学の基礎 第1章 囲み5|author=齋藤軍治|publisher=[[京都大学]]大学院理学研究科化学専攻|language=日本語|accessdate=2011-03-11}}</ref>。 |
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{{-}} |
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== 現在の元素と原子の違い == |
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原子は構造的な概念であるのに対して、元素は特性の違いを示す概念である。 |
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例として[[酸素]]と[[窒素]]を用いて説明すると、[[酸素]]と[[窒素]]とはいずれも[[原子核]]と[[電子]]とが形成する構造である[[原子]]から成り立っている。一方、等しく原子核と電子とから構成されるもののその性質は異なることから酸素と窒素とは異なる元素として識別される。 |
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元素は原子の種類を表すがそれは原子核の違い、すなわち[[核種]]の違いのうち[[陽子]]の数の違いによる分類である。原子核を構成する陽子および[[中性子]]の総数により[[質量数]]が異なり、陽子の数により[[原子番号]]が異なる。したがって、原子番号が1の[[軽水素]]原子、[[重水素]]原子、[[三重水素]]原子はいずれも同じ元素である[[水素]]に属するが質量数が異なる[[同位体]]と呼ばれるグループを形成する。 |
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分かりやすく言うと、元素は[[周期表]]の枠である。各枠には[[原子番号]]に対応する元素が一つずつあてはめられていて、安定な同位体の存在確率に基づく原子量が記載されている。安定な核種がない場合には代表的な核種の質量数が記載されている。すなわち、[[周期表]]は『元素の周期表』であって、決して原子の周期表や単体の周期表ではない。 |
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== 表記 == |
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元素を表すには[[元素記号]]が使われる。これは原子を表すためにも使われる。例えば、[[水]]を構成する元素は[[酸素]]Oと水素Hである。 |
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元素の性質は[[最外殻電子]](価電子)に大きく影響される為、同様な性質を持つ元素は[[元素の族]](元素群)は[[周期表]]においても、族(周期表の列)や系列として纏められている。 |
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[[有機化学]]においては、[[水素]]と[[炭素]]以外の元素を'''ヘテロ元素'''('''ヘテロ原子''')と呼ぶ。水素と炭素とが特別に扱われるのは、炭素は任意の長さに鎖構造を伸ばすことが出来、任意の場所で分岐や環構造を形成することも可能な性質を持つので、[[有機化合物]]は[[炭化水素]]を分子構造の基本骨格として扱う為である。 |
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=== 日本語表記 === |
=== 日本語表記 === |
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[[File:Brake shoe metal specimen.JPG|thumb|200px|様々な元素と日本語表記]] |
[[File:Brake shoe metal specimen.JPG|thumb|200px|様々な元素と日本語表記]] |
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元素名の日本語表記については[[学術用語集]]化学編に定められている。原則としてIUPAC名を「化合物名日本語表記の原則」の「化合物名の字訳標準表」の規則に従いアルファベットの綴り字を機械的にカタカナと置き換えて日本語化する(訳字)。それ故、必ずしも発音に忠実なカタカナ表記にはならない。また、学術用語集の初版制定時にすでに日本語化しているものと、すでに英語以外の言語を基に訳字された用語はそのまま固定するように定めたので、英語以外の言語を語源とする日本語表記も存在する。次に示す。なお、日本語表記されている元素の中にはフッ素(弗素)などのように漢字表記はあるものの、使用している漢字が[[当用漢字]](現在の[[常用漢字]])に含まれていなかったために学術用語上ではカタカナ表記にしているものもある。 |
元素名の日本語表記については『[[学術用語集]] 化学編』に定められている。原則としてIUPAC名を「化合物名日本語表記の原則」の「化合物名の字訳標準表」の規則に従いアルファベットの綴り字を機械的にカタカナと置き換えて日本語化する(訳字)。それ故、必ずしも発音に忠実なカタカナ表記にはならない。また、学術用語集の初版制定時にすでに日本語化しているものと、すでに英語以外の言語を基に訳字された用語はそのまま固定するように定めたので、英語以外の言語を語源とする日本語表記も存在する。次に示す。なお、日本語表記されている元素の中にはフッ素(弗素)などのように漢字表記はあるものの、使用している漢字が[[当用漢字]](現在の[[常用漢字]])に含まれていなかったために学術用語上ではカタカナ表記にしているものもある。 |
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* [[水素]] - すでに日本語化、Hydrogen (英語、IUPAC名) |
* [[水素]] - すでに日本語化、Hydrogen (英語、IUPAC名) |
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* [[ホウ素]] - すでに日本語化、Boron (英語、IUPAC名) |
* [[ホウ素]] - すでに日本語化、Boron (英語、IUPAC名) |
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* [[鉛]] - 元来日本語、Lead(英語、IUPAC名) |
* [[鉛]] - 元来日本語、Lead(英語、IUPAC名) |
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* [[ウラン]] - Uran(ドイツ語), Uranium(英語、IUPAC名) |
* [[ウラン]] - Uran(ドイツ語), Uranium(英語、IUPAC名) |
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== 元素の誕生 == |
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{{Main|元素合成}} |
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=== ビッグバンにおける元素生成 === |
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{{Main|ビッグバン原子核合成}} |
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[[File:Big bang manifold.png|thumb|left|200px|すべての根元物質は、ビックバン開始から約10分間で創造された。]] |
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現代、[[宇宙]]は[[ビッグバン]]で始まったというビッグバン理論が広く受け入れられている。これによると、宇宙開闢では非常に高いエネルギーの解放が起こり、ビッグバンと呼ばれる大爆発とともに急速な膨張を起こしながら温度を下げ、エネルギーが転移してすべての物質が生まれたというものである<ref name=Aoki35>[[#青木2004|青木 (2004)、pp.35-47、第2章 ビッグバンと元素合成]]</ref>。 |
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ビッグバン発生直後は高エネルギーのみで宇宙は満たされていたが、1秒経過後には温度が1000億度程度まで下がり、陽子と中性子が生成される。この時点では電子やニュートリノと反応を起こして陽子と中性子は双方向に変化しつつ平衡状態にある。しかしこの環境下では、陽子と電子が反応するにはエネルギーを要するのに対し、中性子はニュートリノを放出して容易に陽子へと変化する。そのため、膨張による温度低下とともに相対的に陽子の数が多くなってゆく<ref name=Aoki35 />。 |
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100秒程が経ち温度が100億度前後まで下がると、陽子と中性子が結びつき始め、重水素の原子核が生成され始め、さらに質量数4のヘリウム<sup>4</sup>Heへ原子核反応を起こす。ヘリウム原子核を構成すると中性子は安定し崩壊は起こらなくなる。この合成が進行した頃、陽子と中性子の個数比は7対1であったため陽子が大量に残り、これが水素となった。宇宙がさらに冷えて電子を取り込み元素となった際、この陽子と中性子の差から、水素とヘリウムの個数比はほぼ12対1となった。これらビッグバンにおける元素生成は約10分間で終了したと言われる<ref name=Aoki35 />。 |
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ただし、ビックバンで生成された元素には、微量のリチウムも存在したと考えられる。高エネルギー下で元素が生成される際、若干ながら[[三重水素]]<sup>3</sup>Hや[[ヘリウム3]] <sup>3</sup>Heが生じ、これが<sup>4</sup>Heと核融合することがあり、これが質量数7の[[リチウムの同位体]]となった可能性が指摘された。宇宙誕生直後に生まれた非常に古い第一世代の星を観測すると、恒星内での核融合や外部からの元素取り込みが無いため重元素はほとんど観測されないが、有意なリチウムの含有が確認された例があり、これはビッグバンで生成された元素だと考えられている。ただし、理論と観測ではその量に差があり、ビッグバン理論には修正が求められる可能性がある<ref name=Aoki35 />。 |
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[[ファイル:FusionintheSun.svg|thumb|right|200px|[[陽子-陽子連鎖反応]]模式図。合計4つの陽子(赤玉‐Proton) が3段階の衝突を繰り返し、陽子2と中性子(黒玉‐Neutron)2によるヘリウム原子核となる。その過程で2個の電子(白玉‐Positron)と各2度の[[ニュートリノ]](ν‐Neutrino)と[[ガンマ線]](γ‐Gamma Ray)を発する。]] |
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=== 恒星内での核融合 === |
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{{Main|恒星内元素合成}} |
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ほとんどが水素かヘリウムであったビックバンで生成された元素は、そのままでは宇宙の中に散ってしまっていたが、やがて密度が高い領域で集まり、高温高圧となった部分が第一世代の恒星となり核融合反応が始まった。最初の恒星は、ビックバンから2億年後に生まれたと考えられている<ref name=Aoki53>[[#青木2004|青木 (2004)、pp.53-79、第3章 星の中での元素合成]]</ref>。恒星の中では[[陽子-陽子連鎖反応]]によって水素(陽子)がヘリウムへ核融合を起こし、これによって生じるエネルギーで輝く星を[[主系列星]]という<ref name=SaitoYamagata>{{cite web|url= http://ksgeo.kj.yamagata-u.ac.jp/~kazsan/class/chronology/synthesis.html |title=星の一生と元素合成|author=齋藤和男|year=2009年|publisher=[[山形大学]]理学部地球環境学科 |language=日本語|accessdate=2011-03-12}}</ref>。なお、恒星内で炭素・窒素・酸素を媒介に陽子がヘリウムへ変化する[[CNOサイクル]]もエネルギー発生のメカニズムであるが、この反応では炭素などの元素は基本的に増加しない<ref name=Aoki53 />。 |
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恒星は水素を消費しながらエネルギーを生じるが、それが進むと中心核にはヘリウムが溜まり、水素の核融合反応は核の周辺部で行われるようになる。そしてある程度のヘリウムが蓄積され温度が1億度に達すると中心核でヘリウム3個の核融合<ref name=SaitoYamagata />である[[トリプルアルファ反応]]が起こり、炭素が生成される([[ヘリウム燃焼過程]]<ref name=SaitoYamagata />)。比較的軽い星では膨張し[[赤色巨星]]となり、やがて星間ガスとして元素を放出しながら[[白色矮星]]となる<ref name=Aoki53 />。 |
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質量が太陽の3倍程度までの恒星では、核融合反応で生成される元素は炭素止まりだが、より大きな星では核に溜まった炭素や酸素を使う反応([[炭素燃焼過程]]や[[酸素燃焼過程]])へ進み<ref name=SaitoYamagata />、ネオンやケイ素等を経て最終的に鉄までが生成される。安定した鉄の原子核は電気反発力が強く<ref name=Aoki82>[[#青木2004|青木 (2004)、pp.82-105、第4章 鉄より重い元素の合成]]</ref>核融合を起こさないため、恒星の中心部ではエネルギー発生が止まる。この段階で恒星は鉄を中心に外側に段々と軽い元素が多層を成し、[[たまねぎ]]のような構造となる。これが超新星爆発を経て放出される<ref name=Aoki53 />。 |
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[[ファイル:S and r process.png|thumb|right|250px|[[キセノン]]を起点にした[[中性子捕獲]]([[s過程]]及び[[r過程]])の例。]] |
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=== 中性子捕獲による元素合成 === |
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{{main|中性子捕獲|超新星元素合成}} |
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恒星内の核融合反応では、鉄より重い元素はほとんど生成されず、ごくわずか生じてもすぐに分解してしまう。これらは、原子核が電気反発力を生じない中性子を獲得するという全く別の方法で生じるが、そのような反応が可能となる場所は限られる。ひとつは、既に鉄などの重い元素を含む第二世代の恒星内であり、もうひとつは[[超新星爆発]]の瞬間である<ref name=Aoki82 />。 |
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太陽よりやや重い程度の恒星(中質量星)では、中心部の核融合で生成される元素は炭素までに止まる。このような星の晩年には、メカニズムははっきり分かっていないが剥き出しの中性子が生じ、第二世代星が元々含んでいた重元素がこれを捕獲する。すると、同じ陽子の数ながら中性子数が多い同位体となる。これが不安定な同位体となると、中性子が[[ベータ崩壊]]を起こして陽子に変化し、原子番号がひとつ多い元素へ変化する。この反応が繰り返され、鉄よりも重い元素が生成される。中質量星の内部では比較的中性子の数が少なく、捕獲とベータ崩壊が順次繰り返される。これは「遅い過程・[[s過程]]」(s-プロセス、sはslowの略)と呼ばれる<ref name=Aoki82 />。この過程において、中性子捕獲は数万年から数十万年に1個であり、ビスマスまでの重元素を生成すると考えられる<ref name=SaitoYamagata />。 |
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「遅い過程」に対し、中性子数が多くベータ崩壊の機会を与えない環境が、超新星爆発である。太陽の10倍以上の質量を持つ恒星では、その末期になると中心部に中性子のかたまりが形成され、やがて重力崩壊による大規模な爆発を起こして終焉を迎える。このII型に分類される超新星爆発の際も中性子が発生し、恒星内の元素に中性子捕獲を起こす。しかもこれは数秒間という短い時間に大量の中性子を供給し、不安定な同位体にベータ崩壊を起こす暇を与えず、質量数をどんどん増やす合成を行う。そのため、高質量数となった同位体は宇宙空間へ放出された後に、崩壊すると原子番号が高い元素へ変換される。これは「早い過程・[[r過程]]」(r-プロセス、rはrapidの略)と呼ばれる<ref name=Aoki82 />。この過程では、観測からウランより重いカリフォルニウムの生成が確認されている<ref name=SaitoYamagata />。しかしこのメカニズムも不明な点が多い<ref name=Aoki82 />。 |
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=== その他の元素合成 === |
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過程の詳細は判明していないが、他にも元素合成を起こす宇宙の現象がある。質量が太陽程度の恒星が中性子星と[[連星]]になっている場合、その質量が太陽の約1.4倍になるとIa型超新星爆発を起こし、重い元素が生成される可能性が指摘されている<ref>{{cite web|url= http://www.s.u-tokyo.ac.jp/story/rigakuru/world/02/01.html |title=錬金に必要な重力 恒星の成長過程で作られる重い元素|author=茂山俊和 |publisher=[[東京大学]]大学院理学系研究科・理学部|language=日本語|accessdate=2011-03-14}}</ref>。 |
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また、中性子星同士が衝突した際にも元素合成が生じるとの指摘もある。恒星を舞台に元素合成する理論だけでは説明できなかった地球上に存在する金や白金などの量について、イギリスの[[レスター大学]]とスイスの[[バーゼル大学]]の協同チームは[[スーパーコンピュータ]]を用いて試算し、中性子星同士が衝突することで生成・放出される説を発表した<ref>{{cite web|url= http://www.astroarts.co.jp/news/2001/04/09gold_formation/index-j.shtml |title=星の錬金術 金などの重元素の生成に関する新説|author= |year=2001年|publisher=AstroArts |language=日本語|accessdate=2011-03-14}}</ref>。 |
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== 元素の分布・存在比 == |
== 元素の分布・存在比 == |
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元素の分布には偏りがあり、その存在比は範囲によって大きく異なる。 |
元素の分布には偏りがあり、その存在比は範囲によって大きく異なる。この比率構成は[[元素構成比]]と呼ばれる。 |
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[[File:ElementsAbundance.svg|right|thumb|200px|スース・ユーリー図表]] |
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=== 宇宙での存在比 === |
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[[宇宙]]の元素構成比は、[[宇宙論]]により推定され、[[隕石]]分析や星の光の[[フラウンホーファー線]]解析および[[宇宙線]]調査など天文学的観測により裏付けられる。ただし宇宙の大きさが確定していない現在では、各元素の絶対量を決定できず、存在比のみが推計されている。これは1956年にスース・ユーリー図表として発表され、1968年にデータの更新を受けている。これによると、ビックバンで生成された水素次いでヘリウムの存在比が多く、それに比べてリチウム、ベリリウム、ホウ素の比率は極端に低い。炭素以下はほぼ原子番号の増加とともに比率が下がってゆく傾向を持つが、特徴的な部分は原子番号偶数の元素が隣り合う奇数の元素よりも存在比が多いところにある<ref name=Saito92>[[#斉藤1982|斉藤 (1982)、pp.92-97、4.1. 宇宙にある元素]]</ref>。 |
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また中性子捕獲による元素合成では、原子核に存在する数によって安定する中性子の[[魔法数]]が影響を及ぼす。これは中性子数が50, 82, 126 等になると、さらに中性子を捕獲して原子量を高める反応が鈍くなるもので、結果的にこれらの中性子数を持つストロンチウム(陽子:中性子=38:50)、バリウム(56:82)、鉛(82:126)元素が比較的多くなる<ref name=Aoki82 />。 |
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=== 地球での元素の分布・存在比 === |
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[[地球化学]]においては、[[地殻]]を構成する主たる元素を主要元素(しゅようげんそ)、それ以外の元素を[[微量元素]]と呼ぶ。古典的な研究成果として[[クラーク数]]が広く知られているが、最近の研究ではクラーク以外の研究成果が利用される場合が多い。 |
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=== 地球での分布・存在比 === |
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比較的[[比重]]が小さい化合物を形成する元素は[[地殻]]あるいは[[大気|大気圏]]や[[水圏]]に分布する。地球の内部では岩石成分(ケイ酸塩)を主とする[[マントル]]と[[鉄]]を主成分とする核とから構成されるので比重の大きい元素は地球内部に多く含まれると推定されている。[[地球]]内部ではマントル対流が存在する為、核付近の成分の一部は対流作用により地殻付近まで輸送されるので、中心核付近に多い元素では、全体のごく一部は火山噴出物や鉱脈として地表付近にも分布することになる。 |
|||
地球全休の元素構成は、コアやマントルを直接調査できないため、隕石(コアとしての[[隕鉄]]、マントルとしての[[アコンドライト]])の分析や[[地震波]]から各層の弾性率・密度等の解析を組み合わせて推計される。これによると存在比で酸素が最も多く、宇宙に多い水素やヘリウムの比率は低い。金属類も多く、ケイ素、マグネシウム、鉄などが上位を占める<ref name=Saito101>[[#斉藤1982|斉藤 (1982)、pp.101-116、4.3. 地球にある元素]]</ref>。なお、硫黄は硫化鉄状で広範囲に分散しているため、存在比がはっきり分かっていない<ref name=Saito101 />。 |
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{{Main|地殻中の元素の存在度}} |
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[[地殻]]を構成する主たる元素は、古典的な研究成果として質量比で示される[[クラーク数]]が広く知られている。酸化物として地殻に、水として[[水圏]]に、そしてガスとして[[大気|大気圏]]に存在する酸素が全球の存在比と同じく最も多い。違いはマグネシウムやニッケルが少なく、水素やナトリウムおよびアルミニウムが多い点がある<ref name=Saito101 />。 |
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{{main|宇宙の元素合成}} |
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[[宇宙]]の元素の存在量とその比率は、[[宇宙論]]により推定され、天文学的観測により裏付られている。[[ビッグバン]]で始まった原初の宇宙で生成されたのは、ほとんど[[水素]]と[[ヘリウム]]だけであった。それ以外の元素のうち、鉄までの軽い元素は[[恒星]]が輝く際の[[原子核融合|核融合]]で生成され、鉄より重い元素は主に[[超新星爆発]]の際に生成された。 |
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== |
=== 人体での存在比 === |
||
人間の体を構成する元素は、水をつくる水素と酸素が圧倒的に多い。その存在比は海水との相関性が指摘されているが、唯一の例外は[[リン]]である。また人体は、微量ながら[[酵素]]の活性に必要な[[微量元素]]が使われている<ref name=Saito116>[[#斉藤1982|斉藤 (1982)、pp.116-123、4.4. 生命と元素]]</ref>。 |
|||
超重元素の場合には、原子核が不安定であり自己崩壊して安定な元素に変化する。また核反応、核融合などにより変換が起こることが知られている。<!-- 特許の出願と審査は別であり、パラジウム電極上での常温核融合は今ただ中性子の発生が確認されていないため割愛する--><!--またパラジウム多層膜に重水素通す手法によりCs([[セシウム]]、133)が、Pr([[プラセオジム]]、141)に、またSr([[ストロンチウム]]、88)がMo([[モリブデン]]、96)に変わることが三菱工業により[[2002年]]、報告されている。--> |
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== 元素鉱物 == |
== 元素鉱物 == |
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[[鉱物学]]において、単一の元素あるいは合金からなる[[鉱物]]のことを |
[[鉱物学]]において、単一の元素あるいは[[合金]]からなる[[鉱物]]のことを「元素鉱物」(げんそこうぶつ、elemental mineral)という<ref>{{cite web|url= http://webdb2.museum.tohoku.ac.jp/data_base/mineral/koubutu/index.htm |title=収蔵資料の紹介|publisher=[[東北大学]]総合学術博物館|language=日本語|accessdate=2011-03-11}}</ref>。単体のものは元素名と区別するため、「自然」(native)を付けて「[[自然金]]」(native gold)、「[[自然蒼鉛]]」(native bismuth)などと呼ばれる<ref>{{cite web|url= http://webdb2.museum.tohoku.ac.jp/data_base/mineral/koubutu/mineraldb/index01.html |title=元素鉱|publisher=[[東北大学]]総合学術博物館|language=日本語|accessdate=2011-03-11}}</ref>。 |
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== 脚注 == |
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{{脚注ヘルプ}} |
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{{reflist}} |
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== 関連項目 == |
== 関連項目 == |
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{{Commons&cat|Chemical element|Chemical elements}} |
{{Commons&cat|Chemical element|Chemical elements}} |
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{{Wiktionarypar|元素}} |
{{Wiktionarypar|元素}} |
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{{ウィキポータルリンク|化学|[[ファイル:Nuvola apps edu science.png|32px|ウィキポータル 化学]]}} |
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* [[化学]] |
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* [[物理学]] |
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* [[人工放射性元素]] |
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* [[元素の番号順一覧]] |
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* [[未発見元素の一覧]] |
* [[未発見元素の一覧]] |
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* [[周期表]] |
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* [[鉱物学]]、[[鉱物]]、[[鉱物の一覧]] |
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* [[元素構成比]] |
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{{元素周期表}} |
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== 参考文献 == |
== 参考文献 == |
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*{{cite book|和書|title=元素の話|author=斉藤一夫|publisher=[[培風館]]|edition=初版第12刷| origyear=1982年|year=1996年|isbn=4-563-02014-1|ref=斉藤1982}} |
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2011年3月21日 (月) 14:01時点における版
元素(げんそ、英: element)は、化学物質を構成する基礎的な成分(要素)を指す概念である。古代から中世において、万物の根源は仮説を積み上げる手段で考えられ、その源にある不可分なものを「元素」と捉えていた[1]。ヨーロッパで成立した近代科学の成立以降、物質の基礎単位は原子という理論が構築されてからは、原子は「物質を構成する具体的要素」、元素は「性質を包括する抽象的概念」というように変わった[1][2]。
概要
原子は構造的な概念であるのに対して、元素は特性の違いを示す概念である[3]。具体的には、各元素の差異は原子番号すなわち原子核に存在する陽子の数(核種)で区分される。したがって中性子の総数により質量数が異なる同位体も同じ元素として扱われる[2]。これに対し原子は中性子の個数を厳密に捉える。したがって、元素とは原子の集合名詞と言うこともできる[1]。なお、電子の増減によって生じる状態であるイオンは、原子が電荷を帯びた状態として考えられる[4]。英語elementは「根本にあるもの」を意味する。他の用例では電気回路の「素子」も同じ単語が用いられる[3]。
いろいろなモノが一体何からできているのかという疑問と考察は洋の東西を問わず古代からあり、物質観・自然観・世界観と関連づけながらそれぞれの文明圏で体系がなされた。それらが「火」「水」「土」など自然の現象から抽出された少数の「元素」であり、宗教と関連づけられることもあった[5]。物資の根源が体系づけられ、これが科学者の共通認識として広がったことはアイルランドのロバート・ボイル(1627年 - 1691年)に始まると言われる。彼は実験・測定・分析を重視し、それらの結果から「これ以上細かく分けられない物質」を元素と定義した[3]。以後、様々な考察とそれを裏付ける実験が行われ、元素を「粒子」として捉える今日の元素観および原子論が確立された[3]。
元素の性質は最外殻電子(価電子)に大きく影響される為、同様な性質を持つ元素は元素の族(元素群)として、周期表においても族(周期表の列)や系列として纏められている[6]。現在、元素は118種類が知られている。このうち112個は国際純正・応用化学連合(International Union of Pure and Applied Chemistry, IUPAC)から正式名称が与えられ、113‐116および118番目の5個は各国の研究機関から合成に成功したという報告がなされた。117番目元素のみ追試が待たれる状態にある[7]。なお、元素は173番目まで存在可能との説も唱えられている[7]。
古代の万物の根元観
古代中国
古代中国における物質の根源に関わる思想は、周代の紀元前11-4世紀頃には体系づけられた。『周易』は、自然現象は「天・流水・火・雷・風・水・山・地」の8つの基本に帰し、これと陰陽思想の根源である対位思想「陰」と「陽」が組み合わさったものと見なした。物質の根源要素には「木」「火」「土」「金」「水」の5つを基本物質である「元素」と考える五行思想を置き、これに陰陽が関わり宇宙のすべてが成り立つと考える陰陽五行思想を構築した[5]。
この思想を基礎に、未来を予想する方法が発達し易法となった。また道教にも取り入れられ、成立した陰陽道は日本にも伝わった[5]。
古代インド
古代インドにおける根源論には、古ウパニシャッドに登場するウッダーラカ・アールニの思想「有(う、sat)の哲学」に汲み取れる。彼の思想には、すべてのものは微小なアートマン(我)だと言及する部分がある[8]。
具体的な根源物質観は、『パーリ語経典』経蔵・長部の『沙門果経』に見ることができる。ここで述べられている考えは、紀元前5世紀前後の釈迦と同時代人と伝わる思想家集団である「六師外道」たちによって形成された古代インド原子論である[8]。アジタ・ケーサカンバリンは「存在を構成する物質元素は、地・水・火・風の四大である」という論を主張した[9][10]。また、パクダ・カッチャーヤナは「生命は絶対的な地・水・火・風・楽・苦・命の7つの要素から構成されている」と説いた[11][12]。彼らの思想は、カッチャーヤナの「ものを切る剣は、この要素の隙間を通る」という言葉に表される通り、元素をanu(微小なもの)、paramanu(極限まで微小なもの)と説明しており、これらが漢語において「極微」と訳される事から「極微論」と言うことができる[8]。
インドの極微論は六派哲学や宗教に引き継がれていった。ニヤーヤ学派・ヴァイシェーシカ学派が4つの元素に対応する4つの極微(原子)を想定したのに対し、六師外道の一人マハーヴィーラが創始したジャイナ教では初期の頃、極微に種類を設けなかったと考えられる。しかしジャイナ教もやがて「蝕・味・香・色」という性質と、「冷湿・冷乾・熱湿・熱乾」という現れ方があると考えるようになり、複数の極微を想定するようになった[8]。
仏教においても万物の構成要素として「地・水・火・風」を「四大」または「四大種」という考え方がある。ただしこれらにはそれぞれに「形・象徴・色・機能」といった付帯的な特徴を持ち、様々な現象(rupa、「色」)の根本という抽象的解釈で語られる。この概念は拡大して「空(くう)」を加えた五大(マウアラカキヤ)、さらに「識」を加えた六大へと発展し、観念的・哲学的な思想へと意義を変化させた。これらは中国の五行思想ともども近代的な物質要素の科学には繋がらなかった[5]。
古代ギリシア
西アジアやヨーロッパでも古代エジプトやメソポタミアなど高度な古代文明が発達したが、これらからは物質の根源に関わる記録が発見されておらず、唯一古代ギリシアにおける思想が伝わっており、この考え方は長くヨーロッパで受け入れられた[5]。この時代の哲学者たちは、万物のあらゆる生成と変化の根源にある原理を「アルケー」(arkhē)と呼び、これが一体何なのかを論じた[13]。
タレス(紀元前624年 - 紀元前546年頃)は、氷や水蒸気などの相を持ち、硬い岩も風化させる水がアルケーだと論じた[2- 1]。これは正しくは、水のような流体性を持つものが根本物質であるという事を指している[14]。タレスの孫弟子に当る[15]アナクシメネス(紀元前585年頃 - 紀元前525年頃)はこの考えをさらに深め、アルケーは空気だと置き、これが濃くなれば風や雲、やがて水や岩などに変化すると述べた。ただしアナクシメスの主張は、タレスと同じく流体性が根本にあると見なし、生物の呼吸などを含めアルケーを的確に表すものとして空気を示している[15]。同時代には、根源を火として「万物は流転する」と述べ、火が変化して空気や水または土などを生成すると述べる[8]ヘラクレイトスも現れた[5]。ただし彼が言う火も基本物質ではなく闘争原理を指す[16]。これらは、一つの原理で自然界の多様性を説明する方法論であった[8]。
これに対し、パルメニデス(紀元前500年頃 - 没年不明)やゼノン(紀元前490年頃 - 紀元前430年頃)らエレア派は「ある」ものの不変・不動性を説く立場から、単一の原理とその変化で多様な世界を説明することは誤りという主張を行った[8]。このエレア派の論理に矛盾せずに自然の多様性を説明した学者が、アルケーがひとつではなく4つのリゾーマタ(rizomata、「根」、「四大元素」)から成立すると述べたエンペドクレス(紀元前490年頃 - 紀元前430年頃)であった。彼は四大元素を「火・水・土・空気」と置く多数の元素を提唱し、新生も消滅もしないこれらが離散・集合を行うと述べた[17]。
ピタゴラス(紀元前580年頃 - 紀元前500年頃)は「万物は数である」と述べ、四大元素論と当時発見されていた正多面体を対応させ、「火・土・水・空気」が「正4面体・6・8・20」と置き、後に見つかった正12面体は宇宙を現すと主張した[18]。プラトン(紀元前427年 - 紀元前347年)は四大元素論に階層的な概念を導入し、土が正六面体でもっとも重く、他のリゾーマタは三角形からなる正多面体で、火が最も軽いリゾーマタであり、これらはそれぞれの重さに応じて運動し互いに入り混じると考えた。これは、物体は物体でしかないという彼の主張から導き出された[19]。なおプラトンの作かどうか疑問視されている著書では、4つのリゾーマタに加え、天の上層を構成するとして「アイテール」が導入されている。彼に続く一派は、物質の多様性を説明するためにイデア論を機軸に置き、三角形がイデアを示すかたちであり、これは分割ができないものという「極微論」に似た主張を行った[19]。
紀元前350年ごろ、アリストテレスは無限を考察する際に、これを否定する論述のひとつにおいて有限個数の四大元素論を用い、4つのリゾーマタは相互に反対の性質を持ち、もし無限が存在するならば世界はどれか一つの性質で満たされてしまうと述べた[19]。また、『天体論』において天上にのみ存在し円運動をするアイテールを、直線的に動く4つのリゾーマタの上位として立てた[19]。アイテルを語源とするアイテールは、のちの自然学における第五元素(ラテン語のquinta essentia。なお英語の quintessence (「真髄」 の意)の語源でもある)とされ、宇宙を満たす媒質エーテルの構想へとつながっていく。アリストテレスと同時代のデモクリトスは、無から発生し、再び消滅する究極微粒子(アトム)から万物が構築され、その構造的変化が物性の変化となると論じたが、彼のアトム論は発展を見ることは無く、ヨーロッパにおいては四元素説がスコラ哲学へ継承されてゆくことになる[20]。
錬金術
ギリシア哲学の元素論は中世ヨーロッパに直接伝わらず、エジプトやアラブ世界を経由して錬金術に組み込まれた。ここでは経験的技術の蓄積や実験手段の洗練化が行われたが、卑金属から貴金属をつくるという目的と、成果が秘匿されたために情報が孤立する傾向にあり、元素の探求にはあまり寄与しなかった。その中で、ジャービル・イブン=ハイヤーン(721年? - 815年?)やパラケルスス(1493年? - 1541年)[21]が唱えた根源物質としての三元素が伝わっているが、これは硫黄・水銀・塩を指した[5][3]。この三元素のうち硫黄と水銀は単体だが、塩は化合物の塩化ナトリウムであり、今日的な元素概念からすれば意味は無い。ただし、この三物質はそれぞれ共有結合・金属結合・イオン結合という化学結合の主な3種類に対応している。しかし、ジャービルがこれを意識していたかどうかはわからない[22]。
現代的元素観の確立
原子説
物質の根源は何かという問いを改めて提議した人物がアイルランド生まれのロバート・ボイル(1627年 - 1691年)である。彼は著作『懐疑的化学者』にて思索だけに頼った古代ギリシアの元素論を批判し、実験を重視して元素を探求すべきという主張を行った。また彼は、元素に「これ以上単純な物質に分けられないもの」という粒子説[21]の定義を与え[注 1]、さらに元素は古代的考えの4-5個では収まらないという先見的な予測を示した[3]。
ボイルの主張後、実験によって様々な「不可分なもの」の探求が行われた。アントワーヌ・ラヴォアジエは1789年の著作『化学原論』にて、当時見つかっていた33種類の元素を纏めた表を採録した。ただしその中には熱素や光があった。また化合物であるマグネシアやアルミナなども含まれていたが、これは当時の実験技術の限界によるもので、ボイル以来の考え方そのものは正しかった[3]。
ラヴォアジエの「質量保存の法則」や[21]ジョゼフ・プルーストが1799年に発表した「定比例の法則」を元に、ジョン・ドルトンは1801-1808年に執筆した一連の論文で「原子説」を唱えた。これは、物質の根元は原子 (atom) であり、これは元素の種類に対応するだけの数がある、同じ原子は質量や大きさが同一で異なる原子はそれらが一致しないと述べ、原子量の概念を提示した。さらに物質は同じ原子の集まりである単体と異なる原子の集まりである化合物があるとし、窒素と酸素からなる5つの化合物を示してこれを証明した[3]。この理論は、内包した矛盾点をジョセフ・ルイ・ゲイ=リュサックの「気体反応の法則」やアメデオ・アヴォガドロの「アボガドロの法則」などが修正し、広く受け入れられるようになった[3]。
元素の発見と整理
古代から知られていた単体の種類は貴金属や炭素など11に過ぎなかったが、17世紀以降には実験を通じて様々な単体が得られ、その数に応じて発見された元素の個数は増えた。17世紀にはリンなど3種、18世紀には水素や酸素からウランを含む13種、19世紀には56種の元素が見つかった。20世紀には自然界に存在する元素の残り5種類に加え、人工放射性元素が15種類合成された[23]。
このような元素の増加に伴い、特性に応じた分類や系統立てが行われた。ラヴォアジエは化合物の性質から金属元素・土類元素[注 2]・非金属元素の3種類の区分を提案した。さらに測定精度が高まった原子量を重視した並びから規則性(周期律)を見出そうとする試みも提案された。そして、1869年にドミトリ・メンデレーエフが提案した周期表は改良を重ねて原子価を重視した特長で並べられ、当時未発見の元素を予言するなど洗練された系統表として広く認められるようになった[23]。
元素の正体
19世紀には各元素の発見が相次ぎ、それぞれの特徴が把握され蓄積されたが、このような性質がどのような原理で生じるかは分かっていなかった。そして、各元素は不変だと考えられていた。しかし19世紀末から20世紀初頭にかけ、放射性元素と放射能が発見され、アルファ崩壊が確認された。これによって、一部の元素は原子量を低くする方向へ分裂する事が判明した[24]。
アルファ崩壊発見などで業績を残したアーネスト・ラザフォードは原子核を発見し、1911年にラザフォードの原子模型を提唱した。これにニールス・ボーアは量子仮説を加えてボーアの原子模型を発表した。これによって基本的な原子の構造や周期律が生じる理由などが説明され、元素は原子という構造を持つ物質として知られるようになり[25]、その研究は化学から物理学の素粒子物理学分野へと発展していった。
1911年、ラザフォードは窒素にアルファ線を放射して水素イオンとその時は検出されなかったが酸素を作り出し、低原子量の元素を転換させることに成功した。1920年代からは様々な元素を人工的に変える実験が行われ、粒子加速器も発明された。これらから、低原子量の元素変換には高いエネルギーが必要になることが判明してきた。1932年には以前から存在が予測されていた中性子が発見され、これを用いた実験を通じて半減期が短く基本的に地球上には存在しない人工放射性元素や超ウラン元素が作られるようになった。さらにこの実験を通じて1938年には核分裂が発見され、人類は原子力エネルギーを手にすることになった[24]。
主な元素の発見
- 1766年 - 水素(キャヴェンディッシュ)
- 1772年 - 酸素(シェーレ)
- 1774年 - 塩素、バリウム、マンガン(シェーレ)
- 1778年 - モリブデン(シェーレ)
- 1781年 - タングステン(シェーレ)
- 1782年 - テルル(E.J.ミュラー)
- 1817年 - セレン(イェンス・ベルセリウス)
- 1824年 - ジルコニウム(ベルセリウス)
- 1828年 - タンタル(ベルセリウス)
- 1860年 - セシウム(ブンゼン)
- 1861年 - ルビジウム(ブンゼン)
- 1894年 - アルゴン(レイリー卿とラムゼー)
- 1898年 - ネオン、クリプトン、キセノン(ラムゼーとトラヴァース)
- 1898年 - ラジウム、ポロニウム(マリ・キュリーとピエール・キュリー)
元素の種類
表記法
元素を表すには元素記号が使われ、これは原子や分子を表すためにも用いられる。例えば、水は元素は酸素Oと水素Hから作られH2Oと表記される。これら元素の表示方法はラヴォアジエが命名法を提議した。元素記号はドルトンから始まり、多くの原子量決定にも貢献したイェンス・ベルセリウス(1779年 - 1844年)によって定められた[26]。
日本語表記
元素名の日本語表記については『学術用語集 化学編』に定められている。原則としてIUPAC名を「化合物名日本語表記の原則」の「化合物名の字訳標準表」の規則に従いアルファベットの綴り字を機械的にカタカナと置き換えて日本語化する(訳字)。それ故、必ずしも発音に忠実なカタカナ表記にはならない。また、学術用語集の初版制定時にすでに日本語化しているものと、すでに英語以外の言語を基に訳字された用語はそのまま固定するように定めたので、英語以外の言語を語源とする日本語表記も存在する。次に示す。なお、日本語表記されている元素の中にはフッ素(弗素)などのように漢字表記はあるものの、使用している漢字が当用漢字(現在の常用漢字)に含まれていなかったために学術用語上ではカタカナ表記にしているものもある。
- 水素 - すでに日本語化、Hydrogen (英語、IUPAC名)
- ホウ素 - すでに日本語化、Boron (英語、IUPAC名)
- 炭素 - すでに日本語化、Carbon (英語、IUPAC名)
- 窒素 - すでに日本語化、Nitrogen(英語、IUPAC名)
- 酸素 - すでに日本語化、Oxygen(英語、IUPAC名)
- フッ素 - すでに日本語化、Fluorine(英語、IUPAC名)
- ケイ素 - すでに日本語化、Sillicon(英語、IUPAC名)
- リン - すでに日本語化、Phosphorus(英語、IUPAC名)
- 硫黄 -すでに日本語化、 Sulfur(英語、IUPAC名)
- 塩素 - すでに日本語化、Chlorine(英語、IUPAC名)
- ナトリウム - Natrium(ドイツ語), Sodium(英語、IUPAC名)
- カリウム - Kalium(ドイツ語), Potassium(英語、IUPAC名)
- チタン - Titan(ドイツ語), Titanium(英語、IUPAC名)
- クロム - Chrom(ドイツ語), Chromium(英語、IUPAC名)
- マンガン - Mangan(ドイツ語), Manganese(英語、IUPAC名)
- 鉄 - すでに日本語化、Iron(英語、IUPAC名)
- 銅 - すでに日本語化、Copper(英語、IUPAC名)
- 亜鉛 - すでに日本語化、Zinc(英語、IUPAC名)
- ヒ素 - すでに日本語化、Arsenic(英語、IUPAC名)
- セレン - Selen(ドイツ語), Selenium(英語、IUPAC名)
- 臭素 - すでに日本語化、Bromine(英語、IUPAC名)
- ニオブ - Niob(ドイツ語), Niobium(英語、IUPAC名)
- モリブデン - Molybdän(ドイツ語)、Molybdenum(英語、IUPAC名)
- 銀 - すでに日本語化、Silver(英語、IUPAC名)
- スズ - すでに日本語化、 Tin(英語、IUPAC名)
- アンチモン - Antimon(ドイツ語)、Antimony(英語、IUPAC名)
- テルル - Tellur(ドイツ語)、Tellurium(英語、IUPAC名)
- ヨウ素 - すでに日本語化、Iodine(英語、IUPAC名)
- ランタン - Lanthan(ドイツ語)、Lanthanum(英語、IUPAC名)
- プラセオジム - Praseodym(ドイツ語)、Praseodymium(英語、IUPAC名)
- ネオジム - Neodym(ドイツ語)、Neodymium(英語、IUPAC名)
- タンタル - Tantal(ドイツ語)、Tantalum(英語、IUPAC名)
- 白金 - すでに日本語化、Platinum(英語、IUPAC名)
- 金 - すでに日本語化、Gold(英語、IUPAC名)
- 水銀 - すでに日本語化、Mercury(英語、IUPAC名)
- 鉛 - 元来日本語、Lead(英語、IUPAC名)
- ウラン - Uran(ドイツ語), Uranium(英語、IUPAC名)
元素の誕生
ビッグバンにおける元素生成
現代、宇宙はビッグバンで始まったというビッグバン理論が広く受け入れられている。これによると、宇宙開闢では非常に高いエネルギーの解放が起こり、ビッグバンと呼ばれる大爆発とともに急速な膨張を起こしながら温度を下げ、エネルギーが転移してすべての物質が生まれたというものである[27]。
ビッグバン発生直後は高エネルギーのみで宇宙は満たされていたが、1秒経過後には温度が1000億度程度まで下がり、陽子と中性子が生成される。この時点では電子やニュートリノと反応を起こして陽子と中性子は双方向に変化しつつ平衡状態にある。しかしこの環境下では、陽子と電子が反応するにはエネルギーを要するのに対し、中性子はニュートリノを放出して容易に陽子へと変化する。そのため、膨張による温度低下とともに相対的に陽子の数が多くなってゆく[27]。
100秒程が経ち温度が100億度前後まで下がると、陽子と中性子が結びつき始め、重水素の原子核が生成され始め、さらに質量数4のヘリウム4Heへ原子核反応を起こす。ヘリウム原子核を構成すると中性子は安定し崩壊は起こらなくなる。この合成が進行した頃、陽子と中性子の個数比は7対1であったため陽子が大量に残り、これが水素となった。宇宙がさらに冷えて電子を取り込み元素となった際、この陽子と中性子の差から、水素とヘリウムの個数比はほぼ12対1となった。これらビッグバンにおける元素生成は約10分間で終了したと言われる[27]。
ただし、ビックバンで生成された元素には、微量のリチウムも存在したと考えられる。高エネルギー下で元素が生成される際、若干ながら三重水素3Hやヘリウム3 3Heが生じ、これが4Heと核融合することがあり、これが質量数7のリチウムの同位体となった可能性が指摘された。宇宙誕生直後に生まれた非常に古い第一世代の星を観測すると、恒星内での核融合や外部からの元素取り込みが無いため重元素はほとんど観測されないが、有意なリチウムの含有が確認された例があり、これはビッグバンで生成された元素だと考えられている。ただし、理論と観測ではその量に差があり、ビッグバン理論には修正が求められる可能性がある[27]。
恒星内での核融合
ほとんどが水素かヘリウムであったビックバンで生成された元素は、そのままでは宇宙の中に散ってしまっていたが、やがて密度が高い領域で集まり、高温高圧となった部分が第一世代の恒星となり核融合反応が始まった。最初の恒星は、ビックバンから2億年後に生まれたと考えられている[28]。恒星の中では陽子-陽子連鎖反応によって水素(陽子)がヘリウムへ核融合を起こし、これによって生じるエネルギーで輝く星を主系列星という[29]。なお、恒星内で炭素・窒素・酸素を媒介に陽子がヘリウムへ変化するCNOサイクルもエネルギー発生のメカニズムであるが、この反応では炭素などの元素は基本的に増加しない[28]。
恒星は水素を消費しながらエネルギーを生じるが、それが進むと中心核にはヘリウムが溜まり、水素の核融合反応は核の周辺部で行われるようになる。そしてある程度のヘリウムが蓄積され温度が1億度に達すると中心核でヘリウム3個の核融合[29]であるトリプルアルファ反応が起こり、炭素が生成される(ヘリウム燃焼過程[29])。比較的軽い星では膨張し赤色巨星となり、やがて星間ガスとして元素を放出しながら白色矮星となる[28]。
質量が太陽の3倍程度までの恒星では、核融合反応で生成される元素は炭素止まりだが、より大きな星では核に溜まった炭素や酸素を使う反応(炭素燃焼過程や酸素燃焼過程)へ進み[29]、ネオンやケイ素等を経て最終的に鉄までが生成される。安定した鉄の原子核は電気反発力が強く[30]核融合を起こさないため、恒星の中心部ではエネルギー発生が止まる。この段階で恒星は鉄を中心に外側に段々と軽い元素が多層を成し、たまねぎのような構造となる。これが超新星爆発を経て放出される[28]。
中性子捕獲による元素合成
恒星内の核融合反応では、鉄より重い元素はほとんど生成されず、ごくわずか生じてもすぐに分解してしまう。これらは、原子核が電気反発力を生じない中性子を獲得するという全く別の方法で生じるが、そのような反応が可能となる場所は限られる。ひとつは、既に鉄などの重い元素を含む第二世代の恒星内であり、もうひとつは超新星爆発の瞬間である[30]。
太陽よりやや重い程度の恒星(中質量星)では、中心部の核融合で生成される元素は炭素までに止まる。このような星の晩年には、メカニズムははっきり分かっていないが剥き出しの中性子が生じ、第二世代星が元々含んでいた重元素がこれを捕獲する。すると、同じ陽子の数ながら中性子数が多い同位体となる。これが不安定な同位体となると、中性子がベータ崩壊を起こして陽子に変化し、原子番号がひとつ多い元素へ変化する。この反応が繰り返され、鉄よりも重い元素が生成される。中質量星の内部では比較的中性子の数が少なく、捕獲とベータ崩壊が順次繰り返される。これは「遅い過程・s過程」(s-プロセス、sはslowの略)と呼ばれる[30]。この過程において、中性子捕獲は数万年から数十万年に1個であり、ビスマスまでの重元素を生成すると考えられる[29]。
「遅い過程」に対し、中性子数が多くベータ崩壊の機会を与えない環境が、超新星爆発である。太陽の10倍以上の質量を持つ恒星では、その末期になると中心部に中性子のかたまりが形成され、やがて重力崩壊による大規模な爆発を起こして終焉を迎える。このII型に分類される超新星爆発の際も中性子が発生し、恒星内の元素に中性子捕獲を起こす。しかもこれは数秒間という短い時間に大量の中性子を供給し、不安定な同位体にベータ崩壊を起こす暇を与えず、質量数をどんどん増やす合成を行う。そのため、高質量数となった同位体は宇宙空間へ放出された後に、崩壊すると原子番号が高い元素へ変換される。これは「早い過程・r過程」(r-プロセス、rはrapidの略)と呼ばれる[30]。この過程では、観測からウランより重いカリフォルニウムの生成が確認されている[29]。しかしこのメカニズムも不明な点が多い[30]。
その他の元素合成
過程の詳細は判明していないが、他にも元素合成を起こす宇宙の現象がある。質量が太陽程度の恒星が中性子星と連星になっている場合、その質量が太陽の約1.4倍になるとIa型超新星爆発を起こし、重い元素が生成される可能性が指摘されている[31]。
また、中性子星同士が衝突した際にも元素合成が生じるとの指摘もある。恒星を舞台に元素合成する理論だけでは説明できなかった地球上に存在する金や白金などの量について、イギリスのレスター大学とスイスのバーゼル大学の協同チームはスーパーコンピュータを用いて試算し、中性子星同士が衝突することで生成・放出される説を発表した[32]。
元素の分布・存在比
元素の分布には偏りがあり、その存在比は範囲によって大きく異なる。この比率構成は元素構成比と呼ばれる。
宇宙での存在比
宇宙の元素構成比は、宇宙論により推定され、隕石分析や星の光のフラウンホーファー線解析および宇宙線調査など天文学的観測により裏付けられる。ただし宇宙の大きさが確定していない現在では、各元素の絶対量を決定できず、存在比のみが推計されている。これは1956年にスース・ユーリー図表として発表され、1968年にデータの更新を受けている。これによると、ビックバンで生成された水素次いでヘリウムの存在比が多く、それに比べてリチウム、ベリリウム、ホウ素の比率は極端に低い。炭素以下はほぼ原子番号の増加とともに比率が下がってゆく傾向を持つが、特徴的な部分は原子番号偶数の元素が隣り合う奇数の元素よりも存在比が多いところにある[33]。
また中性子捕獲による元素合成では、原子核に存在する数によって安定する中性子の魔法数が影響を及ぼす。これは中性子数が50, 82, 126 等になると、さらに中性子を捕獲して原子量を高める反応が鈍くなるもので、結果的にこれらの中性子数を持つストロンチウム(陽子:中性子=38:50)、バリウム(56:82)、鉛(82:126)元素が比較的多くなる[30]。
地球での分布・存在比
地球全休の元素構成は、コアやマントルを直接調査できないため、隕石(コアとしての隕鉄、マントルとしてのアコンドライト)の分析や地震波から各層の弾性率・密度等の解析を組み合わせて推計される。これによると存在比で酸素が最も多く、宇宙に多い水素やヘリウムの比率は低い。金属類も多く、ケイ素、マグネシウム、鉄などが上位を占める[34]。なお、硫黄は硫化鉄状で広範囲に分散しているため、存在比がはっきり分かっていない[34]。
地殻を構成する主たる元素は、古典的な研究成果として質量比で示されるクラーク数が広く知られている。酸化物として地殻に、水として水圏に、そしてガスとして大気圏に存在する酸素が全球の存在比と同じく最も多い。違いはマグネシウムやニッケルが少なく、水素やナトリウムおよびアルミニウムが多い点がある[34]。
人体での存在比
人間の体を構成する元素は、水をつくる水素と酸素が圧倒的に多い。その存在比は海水との相関性が指摘されているが、唯一の例外はリンである。また人体は、微量ながら酵素の活性に必要な微量元素が使われている[35]。
元素鉱物
鉱物学において、単一の元素あるいは合金からなる鉱物のことを「元素鉱物」(げんそこうぶつ、elemental mineral)という[36]。単体のものは元素名と区別するため、「自然」(native)を付けて「自然金」(native gold)、「自然蒼鉛」(native bismuth)などと呼ばれる[37]。
関連項目
参考文献
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- 編集長:水谷仁『ニュートン別冊周期表第2版』ニュートンプレス、東京都、2010。ISBN 978-4-315-51876-4。
- 石村多門『<無限>の快楽』(第1版第1刷)窓社、1998。ISBN 4-89625-003-6。
- 青木和光『物質の宇宙史』(初版)新日本出版社、2004。ISBN 4-406-03068-9。
脚注
注釈
- ^ ただしボイルの定義は、元素と単体の区分が不明瞭であった。(斉藤 (1982)、p13、単体と元素)
- ^ 酸化物しか作らない元素(斉藤 (1982)、p.34)
脚注
- ^ a b c 斉藤 (1982)、pp.22-24、1.3原子と元素
- ^ a b ニュートン別 (2010)、pp.12-13、原子と元素はどうちがうのか?
- ^ a b c d e f g h i j 斉藤 (1982)、pp.9-22、1.2近代科学と元素
- ^ ニュートン別 (2010)、pp.14-15、原子は電子を出入りさせイオンとなる
- ^ a b c d e f g 斉藤 (1982)、pp.2-9、1.1昔の物質観
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脚注2
本脚注は、出典・脚注内で提示されている「出典」を示しています。
外部リンク
- 中村泰久、遠藤絢香、小瀧拓也、杉田一馬 ( エラー: year に「年」の漢字は付けないでください。月や日まで含める場合や「年」の漢字を付ける必要のある場合は year を使用せず date に記入してください。). “「元素」及びその起源と分布をどう学んでいるか‐学校「理科」教科書での扱いなど‐” (PDF). 福島大学総合教育センター. 2011年1月8日閲覧。