「タシュケント」の版間の差分
編集の要約なし |
m →脚注: リンク作成 |
||
(2人の利用者による、間の9版が非表示) | |||
6行目: | 6行目: | ||
|愛称 = |
|愛称 = |
||
|標語 = |
|標語 = |
||
|画像 = |
|画像 =Tashkent-Uzbekistan.jpg |
||
|画像サイズ指定 = |
|画像サイズ指定 =300px |
||
|画像の見出し = |
|画像の見出し = |
||
|市旗 = |
|市旗 = |
||
37行目: | 37行目: | ||
|下位区分名4 = |
|下位区分名4 = |
||
|規模 =市 <!--必須--> |
|規模 =市 <!--必須--> |
||
|最高行政執行者称号 = |
|最高行政執行者称号 =市長 |
||
|最高行政執行者名 = |
|最高行政執行者名 =Rakhmonbek Usmonov |
||
|最高行政執行者所属党派 = |
|最高行政執行者所属党派 = |
||
|総面積(平方キロ) =334.8 |
|総面積(平方キロ) =334.8 |
||
76行目: | 76行目: | ||
|備考 = |
|備考 = |
||
}} |
}} |
||
[[File:Statue of Amir Timur in Tashkent.jpg|thumb|right|250px|[[アミール・ティムール広場]]にある[[ティムール]]像]] |
|||
'''タシュケント'''は、[[ウズベキスタン]]の[[首都]]。ウズベキスタン北東部、[[シルダリア川]]の支流である[[チルチク川]]の流域に位置する歴史的な[[オアシス]]都市。 |
|||
'''タシュケント''' ({{IPAc-en|ˌ|t|æ|ʃ|ˈ|k|ɛ|n|t}}; {{lang-uz|'''Toshkent''', Тошкент}} {{IPA-all|tɒʃˈkent|}}、{{lang-ru|link=no|Ташкент}}, {{IPA-ru|tɐʂˈkʲent|}}、石の街を意味する) は、[[ウズベキスタン]]の[[首都]]。ウズベキスタン北東部、[[シルダリヤ川]]の支流である[[チルチク川]]の流域に位置する歴史的な[[オアシス]]都市。 |
|||
都市名は[[テュルク諸語|テュルク語]]で「石の町」という意味である。[[ウズベク語|現代ウズベク語]]表記は Toshkent、[[ロシア語]]表記は{{lang|ru|Ташкент}} (Tashkent)。[[ペルシア語]]表記では{{Lang|ru|تاشكند}} (Tāshkand)。'''タシケント'''と表記されることも多い。 |
都市名は[[テュルク諸語|テュルク語]]で「石の町」という意味である。[[ウズベク語|現代ウズベク語]]表記は Toshkent、[[ロシア語]]表記は{{lang|ru|Ташкент}} (Tashkent)。[[ペルシア語]]表記では{{Lang|ru|تاشكند}} (Tāshkand)。'''タシケント'''と表記されることも多い。 |
||
262行目: | 264行目: | ||
|source=[http://www.climate-charts.com/Locations/u/UZ38457.php World Climate Charts] |
|source=[http://www.climate-charts.com/Locations/u/UZ38457.php World Climate Charts] |
||
}}--> |
}}--> |
||
==人口統計== |
|||
1983年時点において、タシュケント256[[平方キロメートル|km<sup>2</sup>]]圏内に住む人口は約1,902,000人であった。1991年、タシュケント在住者の人数は約2,136.600人へと増大した。タシュケントは旧ソビエト連邦内において、[[モスクワ]]、レニングラード ([[サンクトペテルブルク]])、[[キエフ]]に続く人口第4の都市となった。今日、タシュケントは[[独立国家共同体|CIS諸国]]と[[バルト三国]]を合わせた中において人口第4の都市の地位を維持している。 |
|||
2012年1月1日時点のタシュケントの人口は約2,309,300人 (これは非公式の数字であり、100~120万人ほどの一時的な移民を含んでいると推定されている。) 2008年時点で、タシュケントの民族構成は以下のようになっている。 |
|||
*63.0% - [[ウズベク人]] |
|||
*20.0% - [[ロシア人]] |
|||
*4.5% - [[タタール人]] |
|||
*2.2% - [[高麗人]] |
|||
*2.1% - [[タジク人]] |
|||
*1.2% - [[ウイグル人]] |
|||
*7.0% - その他 |
|||
==地区== |
|||
[[File:Tashkent City districts.png|thumb|right|250px|タシュケントの地区]] |
|||
[[File:Stadium Bunyodkor (Tashkent, Uzbekistan).jpg|thumb|right|250px|ブニョドコル・スタジアム]] |
|||
[[File:International Business Center (IBC).jpg|thumb|right|250px|国際ビジネスセンター]] |
|||
[[File:Tashkent Japanese Cemetery (Yakkasaray) 01aug2009-07.jpg|thumb|right|250px|ヤッカサライ地区にある[[日本人墓地]]]] |
|||
[[File:Tashkent Downtown.jpg|thumb|right|250px|タシュケントの通り]] |
|||
タシュケントは現在以下の地区 ({{lang-uz|Tuman}}) にわかれている。 |
|||
{| class="wikitable sortable" |
|||
|- |
|||
! 番号 |
|||
! 地区名 |
|||
! 人口 <br> (2009)<ref name=TD>{{ru icon}} [http://tashkent.uz/ru/articles/351/ Statistics of the subdivisions of Tashkent]</ref> |
|||
! 面積 <br> ([[平方キロメートル|km<sup>2</sup>]])<ref name=TD /> |
|||
! 人口密度 <br> (人/km<sup>2</sup>)<ref name=TD /> |
|||
! 地図 |
|||
|- |
|||
|1 |
|||
|'''ベクテミール地区''' |
|||
| 27,500 |
|||
| 20.5 |
|||
| 1,341 |
|||
| [[File:Tashkent District 1 - Bektemir.png|50px]] |
|||
|- |
|||
|2 |
|||
|'''チランザール地区''' |
|||
| 217,000 |
|||
| 30.0 |
|||
| 7,233 |
|||
| [[File:Tashkent District 2 - Chilanzar.png|50px]] |
|||
|- |
|||
|3 |
|||
|'''ハムザ地区''' |
|||
| 204,800 |
|||
| 33.7 |
|||
| 6,077 |
|||
| [[File:Tashkent District 3 - Hamza.png|50px]] |
|||
|- |
|||
|4 |
|||
|'''ミラバード地区''' |
|||
| 122,700 |
|||
| 17.1 |
|||
| 7,175 |
|||
| [[File:Tashkent District 4 - Mirobod.png|50px]] |
|||
|- |
|||
|5 |
|||
|'''ミルザ・ウルグベク地区''' |
|||
| 245,200 |
|||
| 31.9 |
|||
| 7,687 |
|||
| [[File:Tashkent District 5 - Mirzo Ulugbek.png|50px]] |
|||
|- |
|||
|6 |
|||
|'''セルゲリ地区''' |
|||
| 149,000 |
|||
| 56.0 |
|||
| 2,661 |
|||
| [[File:Tashkent District 6 - Sergeli.png|50px]] |
|||
|- |
|||
|7 |
|||
|'''シャイハンターフル地区''' |
|||
| 285,800 |
|||
| 27.2 |
|||
| 10,507 |
|||
| [[File:Tashkent District 7 - Shaykhontohur.png|50px]] |
|||
|- |
|||
|8 |
|||
|'''アルマザール地区''' |
|||
| 305,400 |
|||
| 34.5 |
|||
| 8,852 |
|||
| [[File:Tashkent District 8 - Olmazar.png|50px]] |
|||
|- |
|||
|9 |
|||
|'''ウチュテパ地区''' |
|||
| 237,000 |
|||
| 28.2 |
|||
| 8,404 |
|||
| [[File:Tashkent District 9 - Uchtepa.png|50px]] |
|||
|- |
|||
|10 |
|||
|'''ヤッカサライ地区''' |
|||
| 115,200 |
|||
| 14.6 |
|||
| 7,890 |
|||
| [[File:Tashkent District 10 - Yakkasaray.png|50px]] |
|||
|- |
|||
|11 |
|||
|'''ユヌサバード地区''' |
|||
| 296,700 |
|||
| 41.1 |
|||
| 7,219 |
|||
| [[File:Tashkent District 11 - Yunusabad.png|50px]] |
|||
|} |
|||
[[トルキスタン総督府]]が置かれていた時代は以下の4つの地区 (daha) から成り立っていた。 |
|||
<ol> |
|||
<li> ベシュヤグハチュ |
|||
<li> ククチャ |
|||
<li> シャイハンターフル |
|||
<li> セブザール |
|||
</ol> |
|||
1940年に地区 ({{lang-ru|район}}) の見直しが行われた。 |
|||
<ol> |
|||
<li> [[10月革命|オクティアブル]] |
|||
<li> [[セルゲイ・キーロフ|キーロフ]] |
|||
<li> [[ヨシフ・スターリン|スターリン]] |
|||
<li> [[ミハイル・フルンゼ|フルンゼ]] |
|||
<li> [[ウラジーミル・レーニン|レーニン]] |
|||
<li> [[ヴァレリヤン・クイビシェフ|クイビシェフ]] |
|||
</ol> |
|||
1981年までに以下のように組織改編された<ref name="tga">Sadikov, A C; Akramob Z. M., Bazarbaev, A., Mirzlaev T.M., Adilov S. R., Baimukhamedov X. N., et al. Geographical Atlas of Tashkent (Ташкент Географический Атлас) (72 × 112) (in Russian) (2 ed.). Moscow. p. 64</ref>。 |
|||
<ol> |
|||
<li> ベクテミール |
|||
<li> アクマル・イクラモフ (ウチュテパ) |
|||
<li> ハムザ |
|||
<li> レーニン (ミラバード) |
|||
<li> クイビシェフ (ミルザ・ウルグベク) |
|||
<li> セルゲリ |
|||
<li> オクティアブル (シャイハンターフル) |
|||
<li> サビル・ラヒモフ (アルマザール) |
|||
<li> チランザール |
|||
<li> フルンゼ (ヤッカサライ) |
|||
<li> キーロフ (ユヌサバード) |
|||
</ol> |
|||
== 観光 == |
|||
[[File:Prince Romanov Palace in Tashkent.jpg|thumb|250px|[[ウズベキスタン外務省迎賓館]]]] |
|||
[[File:Navoi Theater - Tashkent.jpg|thumb|right|250px|[[ナヴォイ劇場]]]] |
|||
[[File:Tashkent museum of applied arts.jpg|thumb|250px|[[ウズベキスタン国立応用美術館]]]] |
|||
[[File:Historical museum Tashkent.jpg|thumb|250px|[[アミール・ティムール博物館]]]] |
|||
[[File:Lac Tcharvak.jpg|thumb|right|250px|[[チャルヴァク湖]]]] |
|||
1917年の[[ロシア革命]]で一旦古い町並みが破壊され、さらに[[1966年]]の[[タシュケント地震]]で古い建物はほとんどが破壊されたため歴史ある建物は数少ない。しかし、タシュケントはソビエト連邦時代に建設されたモニュメントなどの像が多く街に残っている。ウズベキスタンの首都、および中央アジア最大の都市ということもあり、観光施設も多い。<ref>[http://www.uzbek.jp/city/tashkent UZBEK friends(ウズベクフレンズ)]</ref> |
|||
* [[タシュケントタワー]]、中央アジアで最も高い建築物である。(375メートル) |
|||
*クケルダシュ・マドラサ、[[ブハラ・ハン国]]の{{仮リンク|アブドゥッラーフ2世|en|Abdullah Khan II}} (1557-1598) の治世に建設された[[マドラサ]]。現在[[トランスオクシアナ|マーワラーアンナフル]]イスラム会により修復作業が行われている。内部を博物館へと作り変える議論も行われているが、2013年時点ではモスクとして使用されている。 |
|||
*[[チョルスー・バザール]]、クケルダシュ・マドラサの付近に位置する。巨大な屋外[[バザール]]はタシュケント旧市街の中心的な役割を担っている。想像しうる全ての物が販売されているとされる。 |
|||
*テリャシャヤフ・モスク (ハスト・イマーム・モスク)、このモスクには世界最古の[[クルアーン]] (イスラム教の教典) とされる[[ウスマーン写本]]が置かれている。殺害された第3代[[正統カリフ]]、[[ウスマーン・イブン・アッファーン|ウスマーン]]の血痕が付着しているとされる。[[ティムール]]により[[サマルカンド]]へと持ち帰られたと考えられている。[[トルキスタン総督府]]時代に一旦[[サンクトペテルブルク]]へと持ち去られたものの、1924年に再びウズベキスタンに返還された<ref>{{cite news |url=http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/4581684.stm |title=Tashkent's hidden Islamic relic |author=MacWilliams, Ian |date=2006-01-05 |publisher=BBC News |accessdate=2013-05-04}}</ref>。 |
|||
*ユーヌス・ハーン廟群、15世紀に建設された3つの[[霊廟]]の集合体。19世紀に修復作業が行われた。最大の霊廟は[[ムガル帝国]]の創始者[[バーブル]]の祖父であった [[ユーヌス (モグーリスタン)|ユーヌス・ハーン]]の墓である。 |
|||
*[[ウズベキスタン外務省迎賓館]] (旧称: ニコライ・コンスタンチノヴィチ・ロマノフ大公宮殿) 19世紀に[[アレクサンドル3世]]の初のいとこであった[[ニコライ・コンスタンチノヴィチ]][[ロシア大公|大公]]はアメリカ合衆国の娼婦に唆される形でロシア帝国の宮殿から宝石を盗み出し、精神面で問題が在るとされてタシュケントへと追放された。彼の宮殿は現在も街の中心部に残っており、[[ウズベキスタン国立美術館]]として利用された後、現在は[[ウズベキスタン外務省]]の[[迎賓館]]として利用されている。ソ連建築の中、イギリス風の建築は目立つ。 |
|||
*[[ナヴォイ劇場|アリシェル・ナヴォイ・オペラ・バレエ劇場]]。モスクワにある[[レーニン廟]]と同じ設計者である[[アレクセイ・シューセフ]]により設計された。[[第二次世界大戦]]の際、[[シベリア抑留]]により[[大日本帝国|日本]]の軍人が多数タシュケントへと連行され、この建物の礎を築いた。 |
|||
*[[ウズベキスタン国立美術館]]、世界各国の美術品約5万点の展示。主力は近世ロシアの美術品コレクション。手製の刺繍である[[スーザニ]]のような、19~20世紀の近代[[応用美術]]品とともに、ロシア帝国以前の[[ソグディアナ]]の壁画、[[仏像]]や[[ゾロアスター教]]美術のような美術品が展示されている。より興味深いのは、タシュケントに幽閉されていた[[ニコライ・コンスタンチノヴィチ]][[ロシア大公|大公]]が、自身の宮殿を華やかなものとするために[[エルミタージュ美術館]]から'''借りて'''、返還されなかった絵画の大規模コレクションである。美術館の後ろには小さな公園があり、1917年の[[ロシア革命]]と1919年の{{仮リンク|コンスタンチン・オシポフ|ru|Осипов, Константин Павлович}}の反乱で死亡した[[ボルシェヴィキ]]の荒れ果てた墓がある。ここには[[ウズベク・ソビエト社会主義共和国|ウズベクSSR]]初の大統領[[ユルダシュ・アフンババイェフ]]も眠っている。 |
|||
*[[ウズベキスタン国立応用美術館]]、陶芸品など、19世紀前半の美術品約7000点が展示。伝統のある施設はロシア帝国の裕福な外交官から寄付されたものであり、施設自体が主な見どころとなっている。また19~20世紀の中央アジアやロシアの[[応用美術]]品が展示されている。 |
|||
*[[ウズベキスタン国立歴史博物館]]、ウズベキスタン国内だけでなく中央アジア最古の歴史博物館である。 |
|||
*[[アミール・ティムール博物館]]、鮮やかな青のドームと東洋風の内装が非常に目を引く建物。[[ティムール朝]]時代に関する展示を行なっている他、[[イスラム・カリモフ]]大統領の展示もある。隣接する[[アミール・ティムール広場]]には馬の背に乗った[[ティムール]]の像が設置されており、付近の広い庭園と噴水は市民の憩いの場となっている。 |
|||
*ナヴォイ文学博物館、ウズベキスタン文学最大の英雄とされる[[アリー・シール・ナヴァーイー]] (アリシェル・ナヴァーイー) を記念した博物館。レプリカの著書のほか、[[ペルシア語|ペルシア]]の[[カリグラフィー]]や15世紀の{{仮リンク|ペルシア細密画|label=ミニアチュール|en|Persian miniature}}などが展示されている。 |
|||
* [[タシュケント動物園]]、水族館も併設。約370種の生物が展示されている。 |
|||
アミール・ティムール広場に設置されていた[[ロシア正教会]]は[[1898年]]に建設されたが、[[2009年]]に取り壊された<ref>{{Cite web|url=http://www.uznews.net/news_single.php?lng=en&sub=&cid=8&nid=12165|title=Tashkent's central park is history|publisher=[[uznews.net]]|date=2009-11-25|accessdate=2013-05-04}}</ref><ref>{{Cite web|url=http://www.uznews.net/news_single.php?lng=en&sub=&cid=8&nid=12165 |title=Army memorial dismantled in Tashkent|publisher=[[uznews.net]]|date=2009-11-24|accessdate=2013-05-04}}</ref><ref>{{Cite web|publisher=Ferghana.ru|url=http://www.ferghana.ru/news.php?id=13819&mode=snews |title=МИД России указал послу Узбекистана на обеспокоенность «Наших»|date=2010-01-16|accessdate=2013-05-04}}</ref>。 |
|||
また、タシュケント郊外の[[チャルヴァク湖]]は行楽地として有名で、[[マリンスポーツ]]、[[ウィンタースポーツ]]を楽しむことができる。 |
|||
==都市開発== |
|||
* 中央アジアで2つしかない[[地下鉄]]のある都市である。 (もう一つは[[カザフスタン]]の[[アルマトイ]]) |
|||
* [[独立広場 (タシュケント)|独立広場]]にはかつてソビエト連邦でもっとも高い[[ウラジーミル・レーニン]]の像 (約30m) が建設されていた。レーニン像は1992年に撤去され、代わりにウズベキスタンの位置を示した地球儀の像が設置された。 |
|||
*ウズベキスタン政府、労働組合、民間の医療施設や歯科施設がある。 |
|||
*[[アーンスト・アンド・ヤング]]、[[デロイト トウシュ トーマツ]]、[[プライスウォーターハウスクーパース]]、Gravamen Fidelis、Fides LLPなどのアメリカ合衆国やヨーロッパのコンサルティング会社の事務所がある<ref>[http://www.gff.uz/eng/index_eng.htm GFF.uz]</ref>。 |
|||
==教育== |
|||
[[File:Toshkent Westminster University.jpg|thumb|right|250px|ウェストミンスター国際大学タシュケント校のキャンパス]] |
|||
タシュケントには、[[ウズベキスタン科学アカデミー]]のような国内でも重要とされる科学研究所が設置されている。タシュケントには大学や研究所をはじめとする複数の[[高等教育]]機関がある。 |
|||
*[[タシュケント自動車道路建設研究所]]<ref>[http://www.tayi.uz TAYI.uz]</ref> |
|||
*[[タシュケント州立技術大学]] |
|||
*タシュケント建築研究所<ref>[http://www.tasi.uzsci.net TASI.uzsci.net]</ref> |
|||
*国際ビジネススクール「{{仮リンク|ケラジャク・イルミ|en|Kelajak Ilmi}}」<ref>[http://www.ibs.uz IBS.uz]</ref> |
|||
*[[タシュケント情報技術大学]]<ref>[http://www.tuit.uz TUIT.uz]</ref> |
|||
*[[ウェストミンスター国際大学タシュケント校]]<ref>[http://www.wiut.uz WIUT.uz]</ref> |
|||
*[[ウズベキスタン国立大学]]<ref>[http://www.nuu.uz NUU.uz]</ref> |
|||
*[[世界経済外交大学]] |
|||
*[[タシュケント州立経済大学]] |
|||
*[[タシュケント州立法学研究所]] |
|||
*[[タシュケント金融研究所]] |
|||
*タシュケント州立外国語大学 |
|||
*音楽学校 |
|||
*[[タシュケント小児医学研究所]]<ref>[http://www.tashpmi.uz Ташкентского Педиатрического медицинского института]</ref> |
|||
*[[タシュケント州立医学アカデミー]]<ref>{{cite web|author=Abror Musahonov, Uzb |url=http://www.tma.uz |title=Toshkent tibbiyot akademiyasi - Тошкент тиббиёт академияси |publisher=TMA.uz |date=2011-01-11 |accessdate=2013-05-04}}</ref> |
|||
*東洋学研究所 |
|||
*[[タシュケント・イスラム大学]]<ref>[http://www.tiu.uz TIU.uz]</ref> |
|||
*[[シンガポール経営開発研究所タシュケント校]]<ref name="MDIS.uz">[http://www.mdis.uz MDIS.uz]</ref> |
|||
*[[タシュケント紡績軽工業研究所]]<ref>[http://titli.uz/en TITLI.uz]</ref> |
|||
*[[タシュケント鉄道交通工学研究所]]<ref>[http://www.tashiit.uz/index-setlang-uk.html Tashiit.uz]</ref> |
|||
==メディア== |
|||
*[[ウズベク語]]による新聞9紙が発行されており、その他に英字新聞4紙、ロシア語新聞9紙が発行されている。 |
|||
*複数のテレビ局と[[ケーブルテレビ]]局が中央アジア最大の建築物である[[タシュケントタワー]]から電波に乗せて放送を行なっている。 |
|||
また、中央アジアでは唯一[[デジタル放送]]が導入されている。 |
|||
== 交通 == |
== 交通 == |
||
[[File:Tashkent Airport Wallner.jpg|thumb|right|250px|[[タシュケント国際空港]]]] |
|||
[[File:Tashkent metro drushbanarod.jpg|thumb|right|250px|[[タシュケント地下鉄]]の車輌]] |
|||
市内[[交通]]は、[[地下鉄]]、[[路面電車]]などがある。[[タシュケント地下鉄]]は、[[中央アジア]]初で、[[ソ連]]時代にソ連で7番目の地下鉄として[[1977年]]に開業した(着工のきっかけとなったのは、[[1966年]]の[[地震]]である)。現在3路線で29駅。 |
市内[[交通]]は、[[地下鉄]]、[[路面電車]]などがある。[[タシュケント地下鉄]]は、[[中央アジア]]初で、[[ソ連]]時代にソ連で7番目の地下鉄として[[1977年]]に開業した(着工のきっかけとなったのは、[[1966年]]の[[地震]]である)。現在3路線で29駅。 |
||
;空港 |
;空港 |
||
* [[タシュケント国際空港]]が12km南東にある。ウズベキスタンのみならず中央アジア最大の空港である。 |
* [[タシュケント国際空港]]が12km南東にある。ウズベキスタンのみならず中央アジア最大の空港である。ウズベキスタンとアジア、ヨーロッパ、北アメリカ大陸を結ぶ空の玄関口となっている。 |
||
;鉄道 |
;鉄道 |
||
* [[タシュケント駅]]と南駅の2つがある。 |
* [[タシュケント駅]]と南駅の2つがある。 |
||
273行目: | 494行目: | ||
* [[トルキスタン・シベリア鉄道]] |
* [[トルキスタン・シベリア鉄道]] |
||
* [[カスピ海横断鉄道]] |
* [[カスピ海横断鉄道]] |
||
* [[タシュケント・サマルカンド高速鉄道]] |
|||
* [[タシュケント市電]] |
|||
*[[タシュケント地下鉄]] |
|||
;バス |
;バス |
||
* [[タシュケント市営バス]] |
* [[タシュケント市営バス]] |
||
* [[タシュケント市営トロリーバス]] - 2010年廃止 |
* [[タシュケント市営トロリーバス]] - 2010年廃止 |
||
== |
==スポーツ== |
||
[[File:Pakhtakor Markaziy Stadium.jpg|thumb|right|250px|ウズベキスタンの国立競技場、[[パフタコール・マルカジイ・スタジアム]]はタシュケントにある。]] |
|||
ウズベキスタンの首都、および中央アジア最大の都市ということもあり、観光施設も多い。<ref>[http://www.uzbek.jp/city/tashkent UZBEK friends(ウズベクフレンズ)]</ref> |
|||
[[File:Trophy of 1999 World Kurash Championships.jpg|thumb|right|250px|1999年世界[[クラッシュ (格闘技)|クラッシュ]]選手権のトロフィー。クラッシュはウズベキスタンの国技である。]] |
|||
[[サッカー]]はタシュケントで最も人気の高いスポーツであり、タシュケントを本拠地とするサッカークラブ、[[FCパフタコール・タシュケント]]、[[ロコモティフ・タシュケント]]、[[FCブニョドコル]]が国内最上位リーグの[[ウズベク・リーグ]]に参加している。FCブニョドコルは2008年に[[AFCチャンピオンズリーグ2008|AFCチャンピオンズリーグ]]の決勝トーナメントにまで進出、2012年には[[AFCチャンピオンズリーグ2012]]でベスト4にまで進出した。サッカー選手の[[ピーター・オデムウィンギー]]や{{仮リンク|ヴァシリス・ハツィパナギス|en|Vasilis Hatzipanagis}}もまたこの街の出身である。 |
|||
* [[タシュケントタワー]]・・・中央アジアで最も高い建築物。(375メートル) |
|||
* [[ウズベキスタン国立歴史博物館]]・・・中央アジア文明の発展が展示されている。 |
|||
* [[タシュケント動物園]]・・・水族館も併設。約370種の生物が展示されている。 |
|||
* [[ウズベキスタン国立美術館]]・・・世界各国の美術品約5万点の展示。主力は近世ロシアの美術品コレクション。 |
|||
* [[ウズベキスタン国立応用美術館]]・・・陶芸品など、19世紀前半の美術品約7000点が展示。 |
|||
* 迎賓館・・・ウズベクキスタンの歓迎館。ソ連建築の中、イギリス風の建築は目立つ。 |
|||
また、タシュケント郊外の[[チャルヴァク湖]]は行楽地として有名で、[[マリンスポーツ]]、[[ウィンタースポーツ]]を楽しむことができる。 |
|||
世界でも有名な自転車競技選手[[ジャモリディネ・アブドヤパロフ]]はこの街の出身である。また、テニス選手の[[デニス・イストミン]]はこの街で育った。 |
|||
== スポーツ == |
|||
[[アクグル・アマンムラドワ]]や[[イロダ・ツルヤガノワ]]もまたタシュケント出身のテニス選手として名高い。 |
|||
[[FCパフタコール・タシュケント]]、[[ロコモティフ・タシュケント]]、[[FCブニョドコル]]が、タシュケントを本拠地とする[[サッカー]]クラブ。FCブニョドコルが、2008年における[[AFCチャンピオンズリーグ]]の決勝トーナメントにまで進出した。 |
|||
[[新体操]]選手の[[アリーナ・カバエワ]]や[[体操]]選手の{{仮リンク|アレクサンデル・シャティロフ|en|Alexander Shatilov}}はこの街の出身である。 |
|||
[[カヌー]]競技の[[カヤック]]一人乗り500mスプリント前世界王者でオリンピック銅メダリストの{{仮リンク|ミカエル・コルガノフ|en|Michael Kolganov}}もまたタシュケント出身である<ref>[http://www.sports-reference.com/olympics/athletes/ko/michael-kolganov-1.html Sports-reference.com]</ref>。 |
|||
Natella Tellerはタシュケント出身の[[バドミントン]]選手として初めてオリンピックでメダルを獲得した。 |
|||
== 姉妹都市 == |
== 姉妹都市 == |
||
* [[ビシュケク]]({{KGZ}}) |
|||
{{Commons|Category:Tashkent}} |
|||
* [[ |
* [[アスタナ]]、[[アルマトイ]]({{KAZ}}) |
||
* [[北京]]({{CHN}}) |
|||
* [[ソウル特別市|ソウル]]({{KOR}}) |
|||
* [[カラチ]]({{PAK}}) |
* [[カラチ]]({{PAK}}) |
||
* [[ |
* [[アンカラ]]、[[イスタンブル]]({{TUR}}) |
||
* [[ |
* [[コルトレイク]]({{BEL}}) |
||
* [[チュニス]]({{TUN}}) |
|||
* [[ドニプロペトロウシク]]、[[キエフ]]({{UKR}}) |
|||
* [[ベルリン]]({{GER}}) |
* [[ベルリン]]({{GER}}) |
||
* [[ |
* [[ハスコヴォ]]({{HUN}}) |
||
* [[ |
* [[リガ]]({{LVA}}) |
||
* [[スコピエ]]({{MKD}}) |
* [[スコピエ]]({{MKD}}) |
||
* [[ |
* [[モスクワ]]({{RUS}}) |
||
* [[ドニプロペトロウシク]]、[[キエフ]]({{UKR}}) |
|||
* [[シアトル]]({{USA}}) |
|||
* [[カイロ]]({{EGY}}) |
|||
* [[チュニス]]({{TUN}}) |
|||
== 脚注 == |
== 脚注 == |
||
{{Commonscat|Tashkent}} |
|||
{{Reflist}} |
{{Reflist}} |
||
== 関連項目 == |
|||
*[[ホテル・ウズベキスタン]] |
|||
{{ウズベキスタンの地方行政区画}} |
{{ウズベキスタンの地方行政区画}} |
||
{{ウズベキスタンの都市}} |
|||
{{アジアの首都}} |
|||
{{昭武九姓}} |
{{昭武九姓}} |
||
2013年5月18日 (土) 17:32時点における版
タシュケント Toshkent | |||
---|---|---|---|
| |||
位置 | |||
座標 : 北緯41度18分 東経69度16分 / 北緯41.300度 東経69.267度 | |||
行政 | |||
国 | ウズベキスタン | ||
行政区画 | タシュケント特別市 | ||
市 | タシュケント | ||
市長 | Rakhmonbek Usmonov | ||
地理 | |||
面積 | |||
市域 | 334.8 km2 | ||
標高 | 455 m | ||
人口 | |||
人口 | (2012年現在) | ||
市域 | 2,197,907人 | ||
備考 | [1] | ||
その他 | |||
等時帯 | UTC+5 (UTC+5) | ||
市外局番 | +998 71(2) | ||
公式ウェブサイト : http://www.tashkent.uz/ |
タシュケント ([ˌtæʃˈkɛnt]; ウズベク語: Toshkent, Тошкент [tɒʃˈkent]、ロシア語: Ташкент, [tɐʂˈkʲent]、石の街を意味する) は、ウズベキスタンの首都。ウズベキスタン北東部、シルダリヤ川の支流であるチルチク川の流域に位置する歴史的なオアシス都市。
都市名はテュルク語で「石の町」という意味である。現代ウズベク語表記は Toshkent、ロシア語表記はТашкент (Tashkent)。ペルシア語表記ではتاشكند (Tāshkand)。タシケントと表記されることも多い。
歴史
タシュケントはソグド語での古名をチャーチュ(c'c : Čāč)、またはチャーチュカンドともいい、ペルシア語でもチャーチュ( چاچ Chāch)と称し、アラビア語ではシャーシュ( شاش Shāsh)と呼ばれた。『シャー・ナーメ』でもそのように記されている。チルチク川の形作るタシュケント・オアシスの主邑として、またカザフ草原・天山山脈北麓の遊牧地帯とトランスオクシアナのオアシス定住農耕地帯を中継する商業都市として古代から繁栄した。 康居の中心地であったと推定される。
国際交易では中国にまで名を知られ、『後漢書』以来石国と呼ばれた。また「チャーチュ」の音写として「者舌」(『魏書』)や隋唐時代の「柘支」、玄奘三蔵の『大唐西域記』では「赭時」と書かれた。ソグド人が中国地域で用いた一字姓では、チャーチュ出身者は「石」姓を名乗った。750年には唐の将軍高仙芝が石国に侵攻したためにシャーシュ(チャーチュ)はイスラム帝国に支援を求め、タラス河畔の戦いのきっかけをつくった。その後、さまざまなイスラム王朝と北方の遊牧民の支配を経て次第に都市住民のイスラム化・テュルク化が進展した。サーマーン朝時代にはBinkathとも呼ばれた。
カラハン朝の10世紀末頃から「タシュケント」の名も現れる。1214年にはホラズム・シャー朝に、1219年にはチンギス・カンに、それぞれ破壊される。しかし、ティムール朝そしてシャイバーニー朝によって町は再建される。『西域番国志』によると、15世紀初頭、明の永楽帝の命を受けた陳誠が、陸路でこの地(「達失干」と記録されている)を訪れている。
モンゴル帝国時代にはペルシア語の「チャーチュ」やアラビア語の「シャーシュ」で呼ばれるのが一般的であったようだが、ムガル朝の始祖バーブルは自伝である『バーブル・ナーマ』において「タシュケンドは書物には“シャーシュ”または“チャーチュ”と書かれて」いると述べており、彼が中央アジアで活躍した16世紀頃には既に「タシュケント」の方がティムール朝の王族たちなどではより一般化していたらしいことが伺える。都市の名前が「チャーチュ(シャーシュ)」から「タシュケント」へ変化した原因は、恐らく「チャーチュ」の音写に由来する「石国」をウイグル地方などのテュルク語で直訳した形だと思われるが、これが現地でも使われるようになったのはウイグル地方とマーワラーアンナフル双方を領有していたチャガタイ・ウルスの影響が考えられる。
タシュケントは、1809年にはコーカンド・ハン国の支配下に入った。当時、人口は10万人を越えてロシアとの交易で栄える経済都市となった。
1865年、帝政ロシア軍が夜間攻撃で侵攻、防御が堅固で激しい戦闘となったが制圧に成功、ロシアはタシュケントを直轄領に組み入れ、1867年にトルキスタン総督府が設置され、ロシアの中央アジア支配の拠点となった。旧市街の外側にロシア人の住む新市街ができ、ロシア人商人などが続々と移住してきた。また、中央アジアをめぐるロシアと英国の衝突で、スパイの暗躍する町となった。1874年のトルキスタン軍管区設置や1889年のカスピ海横断鉄道延伸などの新事業に従事する労働者階級のロシア人は、やがてロシア革命の中央アジアでの担い手となっていった。
ロシア革命が起こると、トルキスタン自治ソビエト社会主義共和国の首都となり、再び中央アジアをめぐるロシアと英国が衝突し、英国のフレデリック・ベイリーらスパイの暗躍する町となった。1924年にはウズベク・ソビエト社会主義共和国に編入され、1930年、サマルカンドに代わって首都となった。
第二次世界大戦が起こると、ナチス・ドイツの侵攻を受けたヨーロッパ・ロシアから工場が疎開され、市の工業化が進み、ロシア人の割合も急増していった。戦後シベリア抑留を受けた日本人捕虜はここタシュケントにも回され、中央アジア最大のバレエ・オペラ劇場たるナヴォイ劇場の工事などに従事した。下記の地震にも全くの無傷という、過酷な強制労働にも関わらず見事な仕事を為し、道路・工場といった多くのインフラが今でも現役で機能し、それが現在ウズベキスタンで親日感情が高いことに繋がっている。
1966年4月26日、大地震に見舞われ、78000棟の家屋が倒壊した。地震後、計画的な都市作りが行われた。そのため非常にソ連的な町並みとなり、最盛期にはソ連で4番目の人口を誇る大都市に成長した。独立後の今日でも大きなロシア人社会を抱えているが、町並みからロシア色は消えつつあり、イスラム原理主義の動きも出ている。
気候
ケッペンの気候区分では地中海性気候に属する。夏は、7月の平均気温が27.8℃で、最高気温は40度に達する日も多く、暑さと乾燥が厳しいが朝晩は涼しくなる。冬は降水量が多く、1月の平均気温は1.9度と寒さはそれほど厳しくないため雨の場合が多いが、寒気による影響で積雪となることもある。年によってはマイナス15度前後まで下がることもあり、過去には-28.0度を記録している。年間平均気温は14.8度。年間総降水量は440mmである。
タシュケント (1981-2010)の気候 | |||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 22.2 (72) |
25.7 (78.3) |
32.5 (90.5) |
36.4 (97.5) |
39.9 (103.8) |
43.0 (109.4) |
44.6 (112.3) |
43.1 (109.6) |
39.8 (103.6) |
37.5 (99.5) |
31.1 (88) |
27.3 (81.1) |
44.6 (112.3) |
平均最高気温 °C (°F) | 6.8 (44.2) |
9.4 (48.9) |
15.2 (59.4) |
22.0 (71.6) |
27.5 (81.5) |
33.4 (92.1) |
35.7 (96.3) |
34.7 (94.5) |
29.3 (84.7) |
21.8 (71.2) |
14.9 (58.8) |
8.8 (47.8) |
21.6 (70.9) |
日平均気温 °C (°F) | 1.9 (35.4) |
3.9 (39) |
9.4 (48.9) |
15.5 (59.9) |
20.5 (68.9) |
25.8 (78.4) |
27.8 (82) |
26.2 (79.2) |
20.6 (69.1) |
13.9 (57) |
8.5 (47.3) |
3.5 (38.3) |
14.8 (58.6) |
平均最低気温 °C (°F) | −1.5 (29.3) |
0.0 (32) |
4.8 (40.6) |
9.8 (49.6) |
13.7 (56.7) |
18.0 (64.4) |
19.7 (67.5) |
18.0 (64.4) |
12.9 (55.2) |
7.8 (46) |
4.1 (39.4) |
0.0 (32) |
8.9 (48) |
最低気温記録 °C (°F) | −28 (−18) |
−25.6 (−14.1) |
−16.9 (1.6) |
−6.3 (20.7) |
−1.7 (28.9) |
3.8 (38.8) |
8.2 (46.8) |
3.4 (38.1) |
0.1 (32.2) |
−11.2 (11.8) |
−22.1 (−7.8) |
−29.5 (−21.1) |
−29.5 (−21.1) |
降水量 mm (inch) | 53 (2.09) |
64 (2.52) |
69 (2.72) |
61 (2.4) |
41 (1.61) |
14 (0.55) |
4 (0.16) |
1 (0.04) |
6 (0.24) |
24 (0.94) |
44 (1.73) |
59 (2.32) |
440 (17.32) |
平均降水日数 | 13.7 | 12.3 | 13.8 | 12.9 | 10.2 | 5.1 | 2.9 | 1.9 | 3.2 | 8.1 | 10.2 | 12.8 | 107.1 |
% 湿度 | 73 | 68 | 62 | 60 | 53 | 40 | 39 | 42 | 45 | 57 | 66 | 73 | 56 |
平均月間日照時間 | 124.0 | 112.0 | 155.0 | 240.0 | 310.0 | 360.0 | 403.0 | 372.0 | 300.0 | 248.0 | 150.0 | 124.0 | 2,898 |
出典1:Pogoda.ru.net[2], World Meteorological Organisation (number of precipitation days)[3] | |||||||||||||
出典2:Hong Kong Observatory (sun only)[4] |
人口統計
1983年時点において、タシュケント256km2圏内に住む人口は約1,902,000人であった。1991年、タシュケント在住者の人数は約2,136.600人へと増大した。タシュケントは旧ソビエト連邦内において、モスクワ、レニングラード (サンクトペテルブルク)、キエフに続く人口第4の都市となった。今日、タシュケントはCIS諸国とバルト三国を合わせた中において人口第4の都市の地位を維持している。 2012年1月1日時点のタシュケントの人口は約2,309,300人 (これは非公式の数字であり、100~120万人ほどの一時的な移民を含んでいると推定されている。) 2008年時点で、タシュケントの民族構成は以下のようになっている。
地区
タシュケントは現在以下の地区 (ウズベク語: Tuman) にわかれている。
番号 | 地区名 | 人口 (2009)[5] |
面積 (km2)[5] |
人口密度 (人/km2)[5] |
地図 |
---|---|---|---|---|---|
1 | ベクテミール地区 | 27,500 | 20.5 | 1,341 | |
2 | チランザール地区 | 217,000 | 30.0 | 7,233 | |
3 | ハムザ地区 | 204,800 | 33.7 | 6,077 | |
4 | ミラバード地区 | 122,700 | 17.1 | 7,175 | |
5 | ミルザ・ウルグベク地区 | 245,200 | 31.9 | 7,687 | |
6 | セルゲリ地区 | 149,000 | 56.0 | 2,661 | |
7 | シャイハンターフル地区 | 285,800 | 27.2 | 10,507 | |
8 | アルマザール地区 | 305,400 | 34.5 | 8,852 | |
9 | ウチュテパ地区 | 237,000 | 28.2 | 8,404 | |
10 | ヤッカサライ地区 | 115,200 | 14.6 | 7,890 | |
11 | ユヌサバード地区 | 296,700 | 41.1 | 7,219 |
トルキスタン総督府が置かれていた時代は以下の4つの地区 (daha) から成り立っていた。
- ベシュヤグハチュ
- ククチャ
- シャイハンターフル
- セブザール
1940年に地区 (ロシア語: район) の見直しが行われた。
1981年までに以下のように組織改編された[6]。
- ベクテミール
- アクマル・イクラモフ (ウチュテパ)
- ハムザ
- レーニン (ミラバード)
- クイビシェフ (ミルザ・ウルグベク)
- セルゲリ
- オクティアブル (シャイハンターフル)
- サビル・ラヒモフ (アルマザール)
- チランザール
- フルンゼ (ヤッカサライ)
- キーロフ (ユヌサバード)
観光
1917年のロシア革命で一旦古い町並みが破壊され、さらに1966年のタシュケント地震で古い建物はほとんどが破壊されたため歴史ある建物は数少ない。しかし、タシュケントはソビエト連邦時代に建設されたモニュメントなどの像が多く街に残っている。ウズベキスタンの首都、および中央アジア最大の都市ということもあり、観光施設も多い。[7]
- タシュケントタワー、中央アジアで最も高い建築物である。(375メートル)
- クケルダシュ・マドラサ、ブハラ・ハン国のアブドゥッラーフ2世 (1557-1598) の治世に建設されたマドラサ。現在マーワラーアンナフルイスラム会により修復作業が行われている。内部を博物館へと作り変える議論も行われているが、2013年時点ではモスクとして使用されている。
- チョルスー・バザール、クケルダシュ・マドラサの付近に位置する。巨大な屋外バザールはタシュケント旧市街の中心的な役割を担っている。想像しうる全ての物が販売されているとされる。
- テリャシャヤフ・モスク (ハスト・イマーム・モスク)、このモスクには世界最古のクルアーン (イスラム教の教典) とされるウスマーン写本が置かれている。殺害された第3代正統カリフ、ウスマーンの血痕が付着しているとされる。ティムールによりサマルカンドへと持ち帰られたと考えられている。トルキスタン総督府時代に一旦サンクトペテルブルクへと持ち去られたものの、1924年に再びウズベキスタンに返還された[8]。
- ウズベキスタン外務省迎賓館 (旧称: ニコライ・コンスタンチノヴィチ・ロマノフ大公宮殿) 19世紀にアレクサンドル3世の初のいとこであったニコライ・コンスタンチノヴィチ大公はアメリカ合衆国の娼婦に唆される形でロシア帝国の宮殿から宝石を盗み出し、精神面で問題が在るとされてタシュケントへと追放された。彼の宮殿は現在も街の中心部に残っており、ウズベキスタン国立美術館として利用された後、現在はウズベキスタン外務省の迎賓館として利用されている。ソ連建築の中、イギリス風の建築は目立つ。
- アリシェル・ナヴォイ・オペラ・バレエ劇場。モスクワにあるレーニン廟と同じ設計者であるアレクセイ・シューセフにより設計された。第二次世界大戦の際、シベリア抑留により日本の軍人が多数タシュケントへと連行され、この建物の礎を築いた。
- ウズベキスタン国立美術館、世界各国の美術品約5万点の展示。主力は近世ロシアの美術品コレクション。手製の刺繍であるスーザニのような、19~20世紀の近代応用美術品とともに、ロシア帝国以前のソグディアナの壁画、仏像やゾロアスター教美術のような美術品が展示されている。より興味深いのは、タシュケントに幽閉されていたニコライ・コンスタンチノヴィチ大公が、自身の宮殿を華やかなものとするためにエルミタージュ美術館から借りて、返還されなかった絵画の大規模コレクションである。美術館の後ろには小さな公園があり、1917年のロシア革命と1919年のコンスタンチン・オシポフの反乱で死亡したボルシェヴィキの荒れ果てた墓がある。ここにはウズベクSSR初の大統領ユルダシュ・アフンババイェフも眠っている。
- ウズベキスタン国立応用美術館、陶芸品など、19世紀前半の美術品約7000点が展示。伝統のある施設はロシア帝国の裕福な外交官から寄付されたものであり、施設自体が主な見どころとなっている。また19~20世紀の中央アジアやロシアの応用美術品が展示されている。
- ウズベキスタン国立歴史博物館、ウズベキスタン国内だけでなく中央アジア最古の歴史博物館である。
- アミール・ティムール博物館、鮮やかな青のドームと東洋風の内装が非常に目を引く建物。ティムール朝時代に関する展示を行なっている他、イスラム・カリモフ大統領の展示もある。隣接するアミール・ティムール広場には馬の背に乗ったティムールの像が設置されており、付近の広い庭園と噴水は市民の憩いの場となっている。
- ナヴォイ文学博物館、ウズベキスタン文学最大の英雄とされるアリー・シール・ナヴァーイー (アリシェル・ナヴァーイー) を記念した博物館。レプリカの著書のほか、ペルシアのカリグラフィーや15世紀のミニアチュールなどが展示されている。
- タシュケント動物園、水族館も併設。約370種の生物が展示されている。
アミール・ティムール広場に設置されていたロシア正教会は1898年に建設されたが、2009年に取り壊された[9][10][11]。
また、タシュケント郊外のチャルヴァク湖は行楽地として有名で、マリンスポーツ、ウィンタースポーツを楽しむことができる。
都市開発
- 中央アジアで2つしかない地下鉄のある都市である。 (もう一つはカザフスタンのアルマトイ)
- 独立広場にはかつてソビエト連邦でもっとも高いウラジーミル・レーニンの像 (約30m) が建設されていた。レーニン像は1992年に撤去され、代わりにウズベキスタンの位置を示した地球儀の像が設置された。
- ウズベキスタン政府、労働組合、民間の医療施設や歯科施設がある。
- アーンスト・アンド・ヤング、デロイト トウシュ トーマツ、プライスウォーターハウスクーパース、Gravamen Fidelis、Fides LLPなどのアメリカ合衆国やヨーロッパのコンサルティング会社の事務所がある[12]。
教育
タシュケントには、ウズベキスタン科学アカデミーのような国内でも重要とされる科学研究所が設置されている。タシュケントには大学や研究所をはじめとする複数の高等教育機関がある。
- タシュケント自動車道路建設研究所[13]
- タシュケント州立技術大学
- タシュケント建築研究所[14]
- 国際ビジネススクール「ケラジャク・イルミ」[15]
- タシュケント情報技術大学[16]
- ウェストミンスター国際大学タシュケント校[17]
- ウズベキスタン国立大学[18]
- 世界経済外交大学
- タシュケント州立経済大学
- タシュケント州立法学研究所
- タシュケント金融研究所
- タシュケント州立外国語大学
- 音楽学校
- タシュケント小児医学研究所[19]
- タシュケント州立医学アカデミー[20]
- 東洋学研究所
- タシュケント・イスラム大学[21]
- シンガポール経営開発研究所タシュケント校[22]
- タシュケント紡績軽工業研究所[23]
- タシュケント鉄道交通工学研究所[24]
メディア
- ウズベク語による新聞9紙が発行されており、その他に英字新聞4紙、ロシア語新聞9紙が発行されている。
- 複数のテレビ局とケーブルテレビ局が中央アジア最大の建築物であるタシュケントタワーから電波に乗せて放送を行なっている。
また、中央アジアでは唯一デジタル放送が導入されている。
交通
市内交通は、地下鉄、路面電車などがある。タシュケント地下鉄は、中央アジア初で、ソ連時代にソ連で7番目の地下鉄として1977年に開業した(着工のきっかけとなったのは、1966年の地震である)。現在3路線で29駅。
- 空港
- タシュケント国際空港が12km南東にある。ウズベキスタンのみならず中央アジア最大の空港である。ウズベキスタンとアジア、ヨーロッパ、北アメリカ大陸を結ぶ空の玄関口となっている。
- 鉄道
- バス
- タシュケント市営バス
- タシュケント市営トロリーバス - 2010年廃止
スポーツ
サッカーはタシュケントで最も人気の高いスポーツであり、タシュケントを本拠地とするサッカークラブ、FCパフタコール・タシュケント、ロコモティフ・タシュケント、FCブニョドコルが国内最上位リーグのウズベク・リーグに参加している。FCブニョドコルは2008年にAFCチャンピオンズリーグの決勝トーナメントにまで進出、2012年にはAFCチャンピオンズリーグ2012でベスト4にまで進出した。サッカー選手のピーター・オデムウィンギーやヴァシリス・ハツィパナギスもまたこの街の出身である。
世界でも有名な自転車競技選手ジャモリディネ・アブドヤパロフはこの街の出身である。また、テニス選手のデニス・イストミンはこの街で育った。 アクグル・アマンムラドワやイロダ・ツルヤガノワもまたタシュケント出身のテニス選手として名高い。
新体操選手のアリーナ・カバエワや体操選手のアレクサンデル・シャティロフはこの街の出身である。
カヌー競技のカヤック一人乗り500mスプリント前世界王者でオリンピック銅メダリストのミカエル・コルガノフもまたタシュケント出身である[25]。
Natella Tellerはタシュケント出身のバドミントン選手として初めてオリンピックでメダルを獲得した。
姉妹都市
- ビシュケク( キルギス)
- アスタナ、アルマトイ( カザフスタン)
- 北京( 中国)
- ソウル( 韓国)
- カラチ( パキスタン)
- アンカラ、イスタンブル( トルコ)
- コルトレイク( ベルギー)
- ベルリン( ドイツ)
- ハスコヴォ( ハンガリー)
- リガ( ラトビア)
- スコピエ( 北マケドニア)
- モスクワ( ロシア)
- ドニプロペトロウシク、キエフ( ウクライナ)
- シアトル( アメリカ合衆国)
- カイロ( エジプト)
- チュニス( チュニジア)
脚注
- ^ “World Gazetteer - Uzbekistán: Las ciudades más grandes con estadísticas de población”. population-statistics.com. 2013年3月19日閲覧。
- ^ “Pogoda.ru.net (Weather and Climate-The Climate of Tashkent)” (ロシア語). Weather and Climate. 2013年3月19日閲覧。
- ^ “World Weather Information Service – Tashkent”. 世界気象機関. 2013年3月19日閲覧。
- ^ “Climatological Normals of Tashkent”. 香港天文台 (2010年8月). 2013年3月19日閲覧。
- ^ a b c Statistics of the subdivisions of Tashkent
- ^ Sadikov, A C; Akramob Z. M., Bazarbaev, A., Mirzlaev T.M., Adilov S. R., Baimukhamedov X. N., et al. Geographical Atlas of Tashkent (Ташкент Географический Атлас) (72 × 112) (in Russian) (2 ed.). Moscow. p. 64
- ^ UZBEK friends(ウズベクフレンズ)
- ^ MacWilliams, Ian (2006年1月5日). “Tashkent's hidden Islamic relic”. BBC News 2013年5月4日閲覧。
- ^ “Tashkent's central park is history”. uznews.net (2009年11月25日). 2013年5月4日閲覧。
- ^ “Army memorial dismantled in Tashkent”. uznews.net (2009年11月24日). 2013年5月4日閲覧。
- ^ “МИД России указал послу Узбекистана на обеспокоенность «Наших»”. Ferghana.ru (2010年1月16日). 2013年5月4日閲覧。
- ^ GFF.uz
- ^ TAYI.uz
- ^ TASI.uzsci.net
- ^ IBS.uz
- ^ TUIT.uz
- ^ WIUT.uz
- ^ NUU.uz
- ^ Ташкентского Педиатрического медицинского института
- ^ Abror Musahonov, Uzb (2011年1月11日). “Toshkent tibbiyot akademiyasi - Тошкент тиббиёт академияси”. TMA.uz. 2013年5月4日閲覧。
- ^ TIU.uz
- ^ MDIS.uz
- ^ TITLI.uz
- ^ Tashiit.uz
- ^ Sports-reference.com