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「ノーサンバーランド公爵」の版間の差分

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{{Infobox peerage title
'''ノーサンバーランド公爵'''(英:Duke of Northumberland)は、[[イングランド]]における[[公爵]]位の一つ。[[1551年]]に[[エドワード6世 (イングランド王)|エドワード6世]]によって[[ジョン・ダドリー (初代ノーサンバランド公)|ジョン・ダドリー]]のために創設されたことにはじまる。
|name=ノーサンバーランド公爵<br>Duke of Northumberland
|image=[[File:Coronet of a British Duke.svg|90px|centre]] [[File:Coat of Arms of the Duke of Northumberland.svg|100px]]
|blazon=
|creation date=[[1766年]][[10月22日]]
|monarch=[[ジョージ3世 (イギリス王)|ジョージ3世]]
|peerage=[[グレートブリテン貴族]]
|first holder=[[ヒュー・パーシー (初代ノーサンバランド公)|ヒュー・パーシー]](2代ノーサンバーランド伯)
|present holder={{仮リンク|レイフ・パーシー (第12代ノーサンバーランド公爵)|label=レイフ・パーシー|en|Ralph Percy, 12th Duke of Northumberland}}(12代公)
|heir apparent = {{仮リンク|ジョージ・パーシー (パーシー伯爵)|label=ジョージ・パーシー|en|George Percy, Earl Percy}}(儀礼称号パーシー伯)
|remainder to=初代公の直系の嫡出の男系男子(the 1st Duke's heirs male of the body lawfully begotten)
|subsidiary titles=ノーサンバーランド伯爵、パーシー伯爵、{{仮リンク|ビバリー伯爵|en|Earl of Beverley}}、{{仮リンク|パーシー男爵|en|Baron Percy}}、ワークワース男爵、ロヴェイン男爵、{{仮リンク|スミソン準男爵|label=(スタンウィックの)準男爵|en|Smithson baronets}}
|}}
'''ノーサンバーランド公爵'''({{lang-en-short|'''Duke of Northumberland'''}} {{IPA-en|nɔːˈθʌmbələnd|}})は、[[イギリス]]の[[公爵]]位。ノーサンバーランドの他{{sfn|松村赳|富田虎男|2000| p=528}}、ノーサンバランドとも表記される{{sfn|海保眞夫|1999|p=48}}{{sfn|今井宏(編)|1990|p=59}}。


過去に3回創設されており、現存する3期目のノーサンバーランド公爵位は[[1766年]]に第2代[[ノーサンバーランド伯爵]][[ヒュー・パーシー (初代ノーサンバランド公)|ヒュー・パーシー(旧姓スミソン)]]が[[グレートブリテン貴族]]として叙されたのに始まる。彼は{{仮リンク|スミソン準男爵|label=スミソン準男爵家|en|Smithson Baronets}}の出身だが、旧ノーサンバーランド伯爵{{仮リンク|パーシー家|en|House of Percy}}の血を引く第7代[[サマセット公爵]][[アルジャーノン・シーモア (第7代サマセット公)|アルジャーノン・シーモア]]の娘{{仮リンク|エリザベス・パーシー (ノーサンバーランド公爵)|label=エリザベス・シーモア|en|Elizabeth Percy, Duchess of Northumberland}}と結婚した関係で岳父が新規に叙されたノーサンバーランド伯爵位を継承のうえパーシーと改姓することでパーシー家を再興していた人物である。
エドワード6世が夭折すると、ダドリーは息子の一人[[ギルフォード・ダドリー|ギルフォード]]の妻[[ジェーン・グレイ]]を女王に推戴したが、[[メアリー1世 (イングランド女王)|メアリー1世]]によって[[大逆罪|国家反逆罪]]により処刑され、爵位は消滅した。[[1674年]]に[[ジョージ・フィッツロイ (初代ノーサンバランド公)|ジョージ・フィツロイ]]が授爵したが、子がなく断絶した。[[1766年]]には全く系統の異なるパーシー伯家が公爵に陞爵されたことにともないノーサンバーランド公が叙爵され、これが現在に至っている。


== 歴史 ==
居城は[[ノーサンバーランド (イングランド)|ノーサンバーランド]]、アニック([[:en:Alnwick|Alnwick]])の[[アニック・カースル]]で、[[ロンドン]]における邸宅は[[ブレントフォード]]の[[サイオン・ハウス]]である。付随する爵位は[[ノーサンバランド伯|ノーサンバーランド伯爵]]、パーシー伯爵、ベヴァリー伯爵、ワークワース男爵、アニックのロヴァイン男爵である。これらの爵位は全て[[グレートブリテン貴族]]に属している。後継者はパーシー伯爵を[[儀礼称号]]として使用している。
=== パーシー家前 ===
最初にノーサンバーランド公に叙されたのは、[[テューダー朝]]の廷臣[[ジョン・ダドリー (初代ノーサンバランド公)|ジョン・ダドリー]]<small>(1502-1553)</small>である。彼は専制君主
[[ヘンリー8世 (イングランド王)|ヘンリー8世]]とつづく少年王[[エドワード6世 (イングランド王)|エドワード6世]]の治世下において出世し、ヘンリー8世時代の[[1542年]][[3月12日]]に'''{{仮リンク|ライル子爵|en|Viscount Lisle}}'''(Viscount Lisle)、エドワード6世即位直後の[[1547年]][[2月16日]]に'''[[ウォリック伯爵]]'''(Earl of Warwick)に叙せられた。そして[[1551年]]10月に摂政[[サマセット公]][[エドワード・シーモア (初代サマセット公)|エドワード・シーモア]]<small>(1506-1552)</small>を失脚に追い込んだことで国政を主導する立場になり、この際の[[1551年]][[10月11日]]に'''ノーサンバーランド公'''に叙された。しかし[[1553年]]7月にエドワード6世が崩御すると[[カトリック]]の[[メアリー1世 (イングランド女王)|メアリー王女]]の即位を防ぐべく、[[ジェーン・グレイ]]を女王に擁立。それに反発して蜂起したメアリーに敗れた結果、[[大逆罪 (イギリス)|大逆罪]]で処刑されるという末路をたどった{{sfn|今井宏(編)|1990|p=59-62}}。ノーサンバーランド公の爵位も剥奪された<ref name="CP DN1551">{{Cite web |url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/online/content/northumberland1551.htm|title=Northumberland, Duke of (E, 1551 - 1553)|accessdate= 2016-2-2 |last= Heraldic Media Limited |work= [http://www.cracroftspeerage.co.uk/online/content/introduction.htm Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage] |language= 英語 }}</ref>。


2期目のノーサンバランド公に叙されたのは[[チャールズ2世 (イングランド王)|チャールズ2世]]の私生児{{仮リンク|ジョージ・フィッツロイ (初代ノーサンバーランド公爵)|label=ジョージ・フィッツロイ|en|George FitzRoy, 1st Duke of Northumberland}}<small>(1665-1716)</small>である。彼は[[バーバラ・パーマー]]<small>(1641-1709)</small>が生んだチャールズ2世の3人の私生児の末息子であり、[[1674年]][[10月1日]]に'''[[ノーサンバーランド伯爵]]'''(Earl of Northumberland)、'''コーンウォール州における{{仮リンク|ファルマス子爵|en|Viscount Falmouth}}'''(Viscount Falmouth in the county of Cornwall)、'''ヨーク州におけるポンテフラクト男爵'''(Baron of Pontefract in the county of York)に叙され、さらに[[1683年]][[4月6日]]に'''ノーサンバーランド公爵'''に叙された。しかし子供がなかったため、彼の死とともに全爵位が廃絶した<ref>{{cite DNB|wstitle=Fitzroy, George (1665-1716)|volume=19}}</ref>。
==ノーサンバーランド公爵(第1期、1551年創設)==
*[[ジョン・ダドリー (初代ノーサンバランド公)|初代ノーサンバランド公 ジョン・ダドリー]](1504-1553)
**(1553年剥奪)


=== パーシー家 ===
==ノーサンバーランド公爵(第2期、1674年創設)==
[[File:10th Duke of Northumberland 6 Allan Warren.jpg|250px|thumb|ノーサンバーランド公爵家邸宅{{仮リンク|シオン・ハウス|en|Syon House}}をバックに立つ第10代ノーサンバーランド公爵{{仮リンク|ヒュー・パーシー (第10代ノーサンバーランド公爵)|label=ヒュー・パーシー|en|Hugh Percy, 10th Duke of Northumberland}}]]
*[[ジョージ・フィッツロイ (初代ノーサンバランド公)|初代ノーサンバランド公 ジョージ・フィッツロイ]](1665-1716)
[[File:Alnwick Castle 02.jpg|250px|thumb|ノーサンバーランド公爵家所有の[[アニック城]]]]
**(1716年無嗣断絶)
現存する3期目のノーサンバーランド公に叙されたのは[[ヒュー・パーシー (初代ノーサンバランド公)|ヒュー・パーシー(スミソン)]]<small>(1714-1786)</small>である。彼は{{仮リンク|スミソン準男爵|label=スミソン準男爵家|en|Smithson Baronets}}の生まれであり、[[1733年]]に第4代[[準男爵]]位を継承し、[[1740年]]には第7代[[サマセット公爵]][[アルジャーノン・シーモア (第7代サマセット公)|アルジャーノン・シーモア]]<small>(1684–1750)</small>の娘{{仮リンク|エリザベス・パーシー (ノーサンバーランド公爵)|label=エリザベス・シーモア|en|Elizabeth Percy, Duchess of Northumberland}}<small>(1716-1776)</small>と結婚した<ref name="thepeerage1">{{Cite web |url= http://www.thepeerage.com/p1048.htm#i10475 |title=Hugh Percy, 1st Duke of Northumberland|accessdate= 2016-2-1 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref><ref name="CP DN1766">{{Cite web |url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/online/content/northumberland1766.htm|title=Northumberland, Duke of (GB, 1766)|accessdate= 2016-2-2 |last= Heraldic Media Limited |work= [http://www.cracroftspeerage.co.uk/online/content/introduction.htm Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage] |language= 英語 }}</ref>。


彼女の父サマセット公は、[[ノーサンバーランド伯爵]]パーシー家最後の当主である第11代ノーサンバーランド伯爵{{仮リンク|ジョスリン・パーシー (第11代ノーサンバーランド伯)|label=ジョスリン・パーシー|en|Josceline Percy, 11th Earl of Northumberland}}<small>(1644–1670)</small>の孫にあたる。この血縁関係からサマセット公には[[1749年]][[10月2日]]に娘婿ヒュー・スミソンへの特別継承権を認めた[[グレートブリテン貴族]]爵位'''ノーサンバーランド伯爵'''と'''ノーサンバーランド州におけるワークワース城のワークワース男爵'''(Baron Warkworth, of Warkworth Castle in the County of Northumberland)が与えられた<ref>{{Cite web |url= http://www.thepeerage.com/p1048.htm#i10474 |title=Algernon Seymour, 7th Duke of Somerset|accessdate= 2016-2-2 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref><ref name="CP DS">{{Cite web |url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/online/content/somerset1546.htm|title=Somerset, Duke of (E, 1546/7)|accessdate= 2016-2-2 |last= Heraldic Media Limited |work= [http://www.cracroftspeerage.co.uk/online/content/introduction.htm Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage] |language= 英語 }}</ref>{{sfn|海保眞夫|1999|p=107-109}}。この特別継承権の規定により[[1750年]]2月のサマセット公の死去でヒューは第2代ノーサンバーランド伯位を継承するとともに議会の議決によりスミソン姓をパーシー姓に改めた<ref name="thepeerage1"/><ref name="CP DN1766"/>。ここに80年ぶりに「ノーサンバーランド伯爵パーシー家」が復活することとなった{{sfn|海保眞夫|1999|p=109}}。
==ノーサンバーランド伯爵(1749年創設)==
*[[アルジャーノン・シーモア (第7代サマセット公)|初代ノーサンバーランド伯 アルジャーノン・シーモア]](1684–1750)
*[[ヒュー・パーシー (初代ノーサンバランド公)|第2代ノーサンバランド伯 ヒュー・パーシー]](1714–1786)
**(1766年公爵陞爵)


彼はその後も[[トーリー党 (イギリス)|トーリー党]]の政治家として[[アイルランド総督 (ロード・レフテナント)|アイルランド総督]](在職1763-1765)などの官職を歴任して活躍したため、[[1766年]][[10月22日]]に'''ノーサンバーランド公爵'''と'''パーシー伯爵'''(Earl Percy)に叙せられた。これがノーサンバーランド公爵家の創始となる<ref name="thepeerage1"/><ref name="CP DN1766"/>。さらに[[1784年]][[1月28日]]には次男{{仮リンク|アルジャーノン・パーシー (初代ビバリー伯爵)|label=アルジャーノン・パーシー|en|Algernon Percy, 1st Earl of Beverley}}<small>(1750–1830)</small>への特別継承権を認めたグレートブリテン貴族爵位'''ノーサンバーランド州におけるアニックのロヴェイン男爵'''(Baron Lovaine, of Alnwick in the County of Northumberland)に叙された<ref name="CP DN1766"/>。このアルジャーノンは[[1790年]]に{{仮リンク|ビバリー伯爵|en|Earl of Beverley}}に叙されており、後に彼の息子が5代公となる<ref name="CP EB">{{Cite web |url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/online/content/beverley1790.htm|title=Beverley, Earl of (GB, 1790)|accessdate= 2016-2-2 |last= Heraldic Media Limited |work= [http://www.cracroftspeerage.co.uk/online/content/introduction.htm Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage] |language= 英語 }}</ref>。
==ノーサンバーランド公爵(第3期、1766年創設)==
*[[ヒュー・パーシー (初代ノーサンバランド公)|初代ノーサンバランド公 ヒュー・パーシー]](1714–1786)
*[[ヒュー・パーシー (第2代ノーサンバランド公)|第2代ノーサンバランド公 ヒュー・パーシー]](1742–1817)
*[[ヒュー・パーシー (第3代ノーサンバランド公)|第3代ノーサンバランド公 ヒュー・パーシー]](1785–1847)
*[[アルジャーノン・パーシー (第4代ノーサンバランド公)|第4代ノーサンバランド公 アルジャーノン・パーシー]](1792–1865)
*[[ジョージ・パーシー (第5代ノーサンバランド公)|第5代ノーサンバランド公 ジョージ・パーシー]](1778–1867)
*[[アルジャーノン・パーシー (第6代ノーサンバランド公)|第6代ノーサンバランド公 アルジャーノン・ジョージ・パーシー]](1810–1899)
*[[ヘンリー・パーシー (第7代ノーサンバランド公)|第7代ノーサンバランド公 ヘンリー・ジョージ・パーシー]](1846–1918)
*[[アラン・パーシー (第8代ノーサンバランド公)|第8代ノーサンバランド公 アラン・イアン・パーシー]](1880–1930)
*[[ヘンリー・パーシー (第9代ノーサンバランド公)|第9代ノーサンバランド公 ヘンリー・ジョージ・アラン・パーシー]](1912–1940)
*[[ヒュー・パーシー (第10代ノーサンバランド公)|第10代ノーサンバランド公 ヒュー・アルジャーノン・パーシー]](1914–1988)
*[[ヘンリー・パーシー (第11代ノーサンバランド公)|第11代ノーサンバランド公 ヘンリー・アラン・ウォルター・リチャード・パーシー]](1953–1995)
*[[ラルフ・パーシー (第12代ノーサンバランド公)|第12代ノーサンバランド公 ラルフ・ジョージ・アルジャーノン・パーシー]](1956生)
*法定推定相続人はパーシー伯爵ジョージ・ドミニク・パーシー(1984生)である。


初代公の長男で2代公を継承した[[ヒュー・パーシー (第2代ノーサンバーランド公爵)|ヒュー・パーシー]]<small>(1742-1817)</small>は大将まで昇進した陸軍軍人であり、トーリー党の政治家でもあった<ref name="CP DN1766"/><ref name="thepeerage2">{{Cite web |url= http://www.thepeerage.com/p1044.htm#i10436 |title=General Hugh Percy, 2nd Duke of Northumberland|accessdate= 2016-2-2 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref>。彼は父から公爵位を継承する前の[[1776年]][[12月5日]]に母エリザベスから'''{{仮リンク|パーシー男爵|en|Baron Percy}}'''(Baron Percy)を継承していた。この爵位は7代サマセット公が叙されたものだが{{仮リンク|議会招集令状|en|Writ of summons}}による爵位であるため、男子なき場合に姉妹間に優劣のない女系継承が可能であり、そのためサマセット公の死後にエリザベスが継承していた<ref name="CP DN1766"/><ref>{{Cite web |url= http://www.thepeerage.com/p1048.htm#i10480 |title=Elizabeth Seymour, Baroness Percy|accessdate= 2016-2-2 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref>。
[[Category:ノーサンバランド公|*]]

[[Category:イギリスの公爵位|のさんはらんと]]
2代公の長男で3代公を継承した{{仮リンク|ヒュー・パーシー (第3代ノーサンバランド公)|label=ヒュー・パーシー|en|Hugh Percy, 3rd Duke of Northumberland}}<small>(1785-1847)</small>もトーリー党の政治家であり、[[1829年]]から[[1830年]]にかけてアイルランド総督を務めた<ref name="CP DN1766"/>。しかし反動保守的な人物であり、[[1832年]]の選挙法改正に反対している{{sfn|海保眞夫|1999|p=114}}。

2代公の末息子で4代公を継承した{{仮リンク|アルジャーノン・パーシー (第4代ノーサンバランド公)|label=アルジャーノン・パーシー|en|Algernon Percy, 4th Duke of Northumberland}}<small>(1792-1865)</small>も[[保守党 (イギリス)|保守党]]の政治家であり、公爵位を継承する前の[[1816年]][[11月27日]]に[[連合王国貴族]]爵位'''ノーサンバーランド州におけるプルードホー城のプルードホー男爵'''(Baron Prudhoe, of Prudhoe Castle in the County of Northumberland)に叙されていた。公爵襲爵後の[[1852年]]には第一次[[エドワード・スミス=スタンリー (第14代ダービー伯爵)|ダービー伯爵]]内閣で{{仮リンク|海軍大臣 (イギリス)|label=海軍大臣|en|List of the First Lords of the Admiralty}}を務めている<ref name="CP DN1766"/><ref name="thepeerage4">{{Cite web |url= http://www.thepeerage.com/p1026.htm#i10257 |title=Algernon Percy, 4th Duke of Northumberland|accessdate= 2016-2-2 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref>。

4代公の死去により2代公の男系男子は絶えた。初代公の次男初代ビバリー伯アルジャーノン・パーシーの息子である2代ビバリー伯{{仮リンク|ジョージ・パーシー (第5代ノーサンバランド公)|label=ジョージ・パーシー|en|George Percy, 5th Duke of Northumberland}}<small>(1778-1867)</small>が5代公を継承した(この際にプルードホー男爵位は廃絶し、また女系継承が可能なパーシー男爵位は第7代[[アソル公爵]]{{仮リンク|ジョン・ステュワート=マレー (第7代アソル公爵)|label=ジョン・ステュワート=マレー|en|John Stewart-Murray, 7th Duke of Atholl}}に継承された)。以降ノーサンバーランド公爵位は2016年現在まで彼の男系男子によって継承される<ref name="CP DN1766"/>。

その息子である6代公[[アルジャーノン・パーシー (第6代ノーサンバーランド公爵)|アルジャーノン・パーシー]]<small>(1810-1899)</small>は[[ヴィクトリア朝]]の保守党政権下で閣僚職を歴任した<ref name="CP DN1766"/>。トーリー気質の者が多いノーサンバーランド公爵家の歴代当主の中でも特に保守反動的だったことで知られ、[[1867年]]の第二次選挙法改正や[[1886年]]に提出されたアイルランド自治法案に強く反対した{{sfn|海保眞夫|1999|p=114-115}}。

その孫である8代公{{仮リンク|アラン・パーシー (第8代ノーサンバーランド公爵)|label=アラン・パーシー|en|Alan Percy, 8th Duke of Northumberland}}<small>(1880-1930)</small>は、貴族院の極右グループの指導者となり、『愛国者』と名付けた定期刊行物を発行し、「大英帝国をユダヤ人とボルシェヴィズムから守る」と称して反ユダヤ主義と反共主義の宣伝を行った{{sfn|海保眞夫|1999|p=115}}。

その長男の9代公{{仮リンク|ヘンリー・パーシー (第9代ノーサンバーランド公爵)|label=ヘンリー・パーシー|en|Henry Percy, 9th Duke of Northumberland}}<small>(1912-1940)</small>は、[[第二次世界大戦]]に従軍したが、[[1940年]]5月のドイツ軍の[[西方電撃戦]]の際に[[ベルギー]]・{{仮リンク|エスケルム|nl|Esquelmes}}で戦死している<ref name="thepeerage9">{{Cite web |url= http://www.thepeerage.com/p1044.htm#i10434 |title=Henry George Alan Percy, 9th Duke of Northumberland|accessdate= 2016-2-2 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref>。

その弟である10代公{{仮リンク|ヒュー・パーシー (第10代ノーサンバーランド公爵)|label=ヒュー・パーシー|en|Hugh Percy, 10th Duke of Northumberland}}<small>(1914-1988)</small>の代の[[1957年]]に第9代アソル公爵{{仮リンク|ジェイムズ・ステュワート=マレー (第9代アソル公爵)|label=ジェイムズ・ステュワート=マレー|en|James Stewart-Murray, 9th Duke of Atholl}}が死去し、彼が所持していたパーシー男爵位は10代公が継承することになった。4代公の死去以来アソル公爵家に移っていたパーシー男爵位が再びノーサンバーランド公爵家に戻る形となった<ref name="CP DN1766"/><ref name="thepeerage10">{{Cite web |url= http://www.thepeerage.com/p1044.htm#i10435 |title=Hugh Algernon Percy, 10th Duke of Northumberland|accessdate= 2016-2-2 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref>。

[[2016年]]現在の当主は10代公の次男である12代公{{仮リンク|レイフ・パーシー (第12代ノーサンバーランド公爵)|label=レイフ・パーシー|en|Ralph Percy, 12th Duke of Northumberland}}<small>(1956-)</small>である<ref name="CP DN1766"/><ref name="thepeerage12">{{Cite web |url= http://www.thepeerage.com/p6827.htm#i68268 |title=Ralph George Algernon Percy, 12th Duke of Northumberland|accessdate= 2016-2-2 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref>。

初代公が領地で鉱山開発に励み、子孫たちが鉱山を賃貸して金を稼いだため、非常に裕福な貴族である。[[20世紀]]には経済的に没落する貴族が増え、領地売却が盛んになったが、ノーサンバーランド公爵家はうまく立ち回って大きな没落を防いだ。18万エーカーもの領地を有した19世紀後半の最盛期と比べると減少したものの、いまだ10万5000エーカー(1976年の発表)にも及ぶ領地を所有する大地主である{{sfn|海保眞夫|1999|p=111-112}}。

邸宅は[[ノーサンバーランド]]にある[[アニック城]]と[[ミドルセックス]]にある{{仮リンク|シオン・ハウス|en|Syon House}}である<ref name="CP DN1766"/>。家訓は「'''神を信じよ'''(Esperance En Dieu)」<ref name="CP DN1766"/>。

== 現当主の保有爵位/準男爵位 ==
現在の当主第12代ノーサンバーランド公爵{{仮リンク|レイフ・パーシー (第12代ノーサンバーランド公爵)|label=レイフ・パーシー|en|Ralph Percy, 12th Duke of Northumberland}}は以下の爵位・準男爵位を保有している<ref name="CP DN1766"/><ref name="thepeerage12"/>。
*'''第12代ノーサンバーランド公爵''' <small>(12th Duke of Northumberland)</small>
*:([[1766年]][[10月22日]]の{{仮リンク|勅許状|en|Letters patent}}による[[グレートブリテン貴族]]爵位)
*'''第13代[[ノーサンバーランド伯爵]]''' <small>(13th Earl of Northumberland)</small>
*:([[1749年]][[10月2日]]の勅許状によるグレートブリテン貴族爵位)
*'''第12代パーシー伯爵''' <small>(12th Earl Percy)</small>
*:(1766年10月22日の勅許状によるグレートブリテン貴族爵位)
*'''第9代{{仮リンク|ビバリー伯爵|en|Earl of Beverley}}''' <small>(9th Earl of Beverley)</small>
*:([[1790年]][[11月2日]]の勅許状によるグレートブリテン貴族爵位)
*'''第11代{{仮リンク|パーシー男爵|en|Baron Percy}}''' <small>(11th Baron Percy)</small>
*:([[1723年]][[1月21日]]の{{仮リンク|議会招集令状|en|Writ of summons}}によるグレートブリテン貴族爵位)
*'''ノーサンバーランド州におけるワークワース城の第13代ワークワース男爵''' <small>(13th Baron Warkworth, of Warkworth Castle in the County of Northumberland)</small>
*:(1749年10月2日の勅許状によるグレートブリテン貴族爵位)
*'''ノーサンバーランド州におけるアニックの第10代ロヴェイン男爵''' <small>(10th Baron Lovaine, of Alnwick in the County of Northumberland)</small>
*:([[1784年]][[1月28日]]の勅許状によるグレートブリテン貴族爵位)
*'''(ヨーク州におけるスタンウィックの)第15代{{仮リンク|スミソン準男爵|label=準男爵|en|Smithson baronets}}''' <small>(15th Baronet, "of Stanwick in the County of York")</small>
*:([[1660年]][[8月2日]]の勅許状によるイングランド[[準男爵]]位)

== 一覧 ==
=== ノーサンバーランド公 第1期 (1551年) ===
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:smaller"
! 肖像
! 爵位の代数<br/>名前<br/><small>(生没年)</small>
! 受爵期間
! 備考
! その他の爵位
|-
| [[File:John Dudley (Penshurst, Kent).gif|80px]]
| 初代ノーサンバーランド公爵<br/>'''[[ジョン・ダドリー (初代ノーサンバランド公)|ジョン・ダドリー]]'''<br/><small>(1502年-1553年)</small>
| [[1551年]][[10月11日]]<br/>- [[1553年]]8月
| [[大逆罪 (イギリス)|大逆罪]]で処刑・爵位剥奪
| [[ウォリック伯]]<br>{{仮リンク|ライル子爵|en|Viscount Lisle}}<br>{{仮リンク|ライル男爵|en|Baron Lisle}}
|}

=== ノーサンバーランド公 第2期 (1683年) ===
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:smaller"
! 肖像
! 爵位の代数<br/>名前<br/><small>(生没年)</small>
! 受爵期間
! 備考
! その他の爵位
|-
| [[File:1stDukeOfNorthumberland.gif|80px]]
| 初代ノーサンバーランド公爵<br/>'''[[ジョージ・フィッツロイ (初代ノーサンバランド公)|ジョージ・フィッツロイ]]'''<br/><small>(1665年-1716年)</small>
| [[1683年]][[4月6日]]<br/>- [[1716年]][[6月28日]]
| [[チャールズ2世 (イングランド王)|チャールズ2世]]の私生児<br>嗣子なく廃絶
| [[ノーサンバーランド伯]]<br>{{仮リンク|ファルマス子爵|en|Viscount Falmouth}}<br>ポンテフラクト男爵
|}

=== ノーサンバーランド公 第3期 (1766年) ===
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:smaller"
! 肖像
! 爵位の代数<br/>名前<br/><small>(生没年)</small>
! 受爵期間
! 備考
! その他の爵位
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| [[File:Hugh Percy (né Smithson), 1st Duke of Northumberland by James Scott, after Thomas Gainsborough mezzotint, 1871.jpg|80px]]
| 初代ノーサンバーランド公爵<br/>'''[[ヒュー・パーシー (初代ノーサンバランド公)|ヒュー・パーシー(旧姓スミソン)]]'''<br/><small>(1714年-1786年)</small>
| [[1766年]][[10月22日]]<br/>- [[1786年]][[6月6日]]
| 4代{{仮リンク|スミソン準男爵|label=スミソン準男爵|en|Smithson Baronets}}
| [[ノーサンバーランド伯]]<br>{{仮リンク|パーシー伯|en|Earl Percy}}<br>{{仮リンク|ワークワース男爵|en|Baron Warkworth}}<br>{{仮リンク|ロヴェイン男爵|en|Baron Lovaine}}<br>{{仮リンク|スミソン準男爵|label=(スタンウィック)準男爵|en|Smithson baronets}}
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| [[File:Portrait of Hugh Percy, Second Duke of Northumberland by Gilbert Stuart, c. 1788.jpg|80px]]
| 第2代ノーサンバーランド公爵<br/>'''[[ヒュー・パーシー (第2代ノーサンバーランド公爵)|ヒュー・パーシー(旧姓スミソン)]]'''<br/><small>(1742年-1817年)</small>
| [[1786年]][[6月6日]]<br/>- [[1817年]][[7月10日]]
| 先代の長男
| rowspan="2" | ノーサンバーランド伯<br>パーシー伯<br>{{仮リンク|パーシー男爵|en|Baron Percy}}<br>ワークワース男爵<br>(スタンウィック)準男爵
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| [[File:Hugh Percy (1785–1847), 3rd Duke of Northumberland, by Thomas Phillips 1817.jpg|80px]]
| 第3代ノーサンバーランド公爵<br/>'''{{仮リンク|ヒュー・パーシー (第3代ノーサンバランド公)|label=ヒュー・パーシー|en|Hugh Percy, 3rd Duke of Northumberland}}'''<br/><small>(1785年-1847年)</small>
| [[1817年]][[7月10日]]<br/>- [[1847年]][[2月11日]]
| 先代の長男
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| [[File:Duke of Northumberland.jpg|80px]]
| 第4代ノーサンバーランド公爵<br/>'''{{仮リンク|アルジャーノン・パーシー (第4代ノーサンバランド公)|label=アルジャーノン・パーシー|en|Algernon Percy, 4th Duke of Northumberland}}'''<br/><small>(1792年-1865年)</small>
| [[1847年]][[2月11日]]<br/>- [[1865年]][[2月12日]]
| 先代の弟
| ノーサンバーランド伯<br>パーシー伯<br>パーシー男爵<br>ワークワース男爵<br>{{仮リンク|プルードホー男爵|en|Baron Prudhoe}}<br>(スタンウィック)準男爵
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| [[File:5th Duke of Northumberland cropped.jpg|80px]]
| 第5代ノーサンバーランド公爵<br/>'''{{仮リンク|ジョージ・パーシー (第5代ノーサンバランド公)|label=ジョージ・パーシー|en|George Percy, 5th Duke of Northumberland}}'''<br/><small>(1778年-1867年)</small>
| [[1865年]][[2月12日]]<br/>- [[1867年]][[8月22日]]
| 先代の[[従兄弟]]
| rowspan="5" | ノーサンバーランド伯<br>パーシー伯<br>{{仮リンク|ビバリー伯|en|Earl of Beverley}}<br>ワークワース男爵<br>ロヴェイン男爵<br>(スタンウィック)準男爵
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| [[File:Duke of Northumberland 1886 Hollyer.jpg|80px]]
| 第6代ノーサンバーランド公爵<br/>'''[[アルジャーノン・パーシー (第6代ノーサンバーランド公爵)|アルジャーノン・ジョージ・パーシー]]'''<br/><small>(1810年-1899年)</small>
| [[1867年]][[8月22日]]<br/>- [[1899年]][[1月2日]]
| 先代の長男
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| [[File:Earl Percy Vanity Fair 27 August 1881.jpg|80px]]
| 第7代ノーサンバーランド公爵<br/>'''{{仮リンク|ヘンリー・パーシー (第7代ノーサンバーランド公爵)|label=ヘンリー・ジョージ・パーシー|en|Henry Percy, 7th Duke of Northumberland}}'''<br/><small>(1846年-1918年)</small>
| [[1899年]][[1月2日]]<br/>- [[1918年]][[5月14日]]
| 先代の息子
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| [[File:Alan Ian Percy 8th Duke of Northumberland - Alexander Bassano - pre-1913.jpg|80px]]
| 第8代ノーサンバーランド公爵<br/>'''{{仮リンク|アラン・パーシー (第8代ノーサンバーランド公爵)|label=アラン・イアン・パーシー|en|Alan Percy, 8th Duke of Northumberland}}'''<br/><small>(1880年-1930年)</small>
| [[1918年]][[5月14日]]<br/>- [[1930年]][[8月23日]]
| 先代の長男
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| 第9代ノーサンバーランド公爵<br/>'''{{仮リンク|ヘンリー・パーシー (第9代ノーサンバーランド公爵)|label=ヘンリー・ジョージ・アラン<br>パーシー|en|Henry Percy, 9th Duke of Northumberland}}'''<br/><small>(1912年-1940年)</small>
| [[1930年]][[8月23日]]<br/>- [[1940年]][[5月21日]]
| 先代の長男
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| [[File:10th Duke of Northumberland 4 Allan Warren.jpg|80px]]
| 第10代ノーサンバーランド公爵<br/>'''{{仮リンク|ヒュー・パーシー (第10代ノーサンバーランド公爵)|label=ヒュー・アルジャーノン・パーシー|en|Hugh Percy, 10th Duke of Northumberland}}'''<br/><small>(1914年-1988年)</small>
| [[1940年]][[5月21日]]<br/>- [[1988年]][[8月23日]]
| 先代の弟
| rowspan="3" | ノーサンバーランド伯<br>パーシー伯<br>ビバリー伯<br>パーシー男爵<small>(1957年から)</small><br>ワークワース男爵<br>ロヴェイン男爵<br>(スタンウィック)準男爵
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| [[File:11th Duke of Northumberland 5 Allan Warren (cropped).jpg|80px]]
| 第11代ノーサンバーランド公爵<br/>'''{{仮リンク|ヘンリー・パーシー (第11代ノーサンバーランド公爵)|label=ヘンリー・アラン・ウォルター・リチャード<br>パーシー|en|Henry Percy, 11th Duke of Northumberland}}'''<br/><small>(1953年-1995年)</small>
| [[1988年]][[8月23日]]<br/>- [[1995年]][[10月31日]]
| 先代の長男
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| [[File:12th Duke of Northumberland 3 Allan Warren.jpg|80px]]
| 第12代ノーサンバーランド公爵<br/>'''{{仮リンク|レイフ・パーシー (第12代ノーサンバーランド公爵)|label=レイフ・ジョージ・アルジャーノン<br>パーシー|en|Ralph Percy, 12th Duke of Northumberland}}'''<br/><small>(1956年-)</small>
| [[1995年]][[10月31日]]<br/>- 受爵中
| 先代の弟
|-
| [[File:George Percy, Early Percy (cropped).jpg|80px]]
| パーシー伯爵<small>([[儀礼称号]])</small><br/>'''{{仮リンク|ジョージ・パーシー (パーシー伯爵)|label=ジョージ・ドミニク・パーシー|en|George Percy, Earl Percy}}'''<br/><small>(1984年-)</small>
| [[法定推定相続人]]
| 現当主の長男
|
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== 系図 ==
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== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{reflist|group=注釈|1}}
=== 出典 ===
<div class="references-small"><!-- references/ -->{{reflist|1}}</div>
== 参考文献 ==
*{{Cite book|和書|author=[[今井宏 (歴史学者)|今井宏(編)]]|date=1990年(平成2年)|title=イギリス史〈2〉近世|series=世界歴史大系|publisher=[[山川出版社]]|isbn=978-4634460201|ref=harv}}
*{{Cite book|和書|author=[[海保眞夫]]|date=1999年(平成11年)|title=イギリスの大貴族|series= [[平凡社新書]]020|publisher=[[平凡社]]|isbn=978-4582850208|ref=harv}}
*{{Cite book|和書|author1=[[松村赳]] |author2=[[富田虎男]]|date=2000年(平成12年)|title=英米史辞典|publisher=[[研究社]]|isbn=978-4767430478|ref=harv}}

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[[Category:ノーサンバランド公]]
[[Category:イギリスの公爵位]]

2016年2月7日 (日) 06:30時点における版

ノーサンバーランド公爵
Duke of Northumberland
創設時期1766年10月22日
創設者ジョージ3世
貴族グレートブリテン貴族
初代ヒュー・パーシー(2代ノーサンバーランド伯)
現所有者レイフ・パーシー英語版(12代公)
相続人ジョージ・パーシー英語版(儀礼称号パーシー伯)
相続資格初代公の直系の嫡出の男系男子(the 1st Duke's heirs male of the body lawfully begotten)
付随称号ノーサンバーランド伯爵、パーシー伯爵、ビバリー伯爵英語版パーシー男爵英語版、ワークワース男爵、ロヴェイン男爵、(スタンウィックの)準男爵英語版

ノーサンバーランド公爵: Duke of Northumberland [nɔːˈθʌmbələnd])は、イギリス公爵位。ノーサンバーランドの他[1]、ノーサンバランドとも表記される[2][3]

過去に3回創設されており、現存する3期目のノーサンバーランド公爵位は1766年に第2代ノーサンバーランド伯爵ヒュー・パーシー(旧姓スミソン)グレートブリテン貴族として叙されたのに始まる。彼はスミソン準男爵家英語版の出身だが、旧ノーサンバーランド伯爵パーシー家の血を引く第7代サマセット公爵アルジャーノン・シーモアの娘エリザベス・シーモア英語版と結婚した関係で岳父が新規に叙されたノーサンバーランド伯爵位を継承のうえパーシーと改姓することでパーシー家を再興していた人物である。

歴史

パーシー家前

最初にノーサンバーランド公に叙されたのは、テューダー朝の廷臣ジョン・ダドリー(1502-1553)である。彼は専制君主 ヘンリー8世とつづく少年王エドワード6世の治世下において出世し、ヘンリー8世時代の1542年3月12日ライル子爵英語版(Viscount Lisle)、エドワード6世即位直後の1547年2月16日ウォリック伯爵(Earl of Warwick)に叙せられた。そして1551年10月に摂政サマセット公エドワード・シーモア(1506-1552)を失脚に追い込んだことで国政を主導する立場になり、この際の1551年10月11日ノーサンバーランド公に叙された。しかし1553年7月にエドワード6世が崩御するとカトリックメアリー王女の即位を防ぐべく、ジェーン・グレイを女王に擁立。それに反発して蜂起したメアリーに敗れた結果、大逆罪で処刑されるという末路をたどった[4]。ノーサンバーランド公の爵位も剥奪された[5]

2期目のノーサンバランド公に叙されたのはチャールズ2世の私生児ジョージ・フィッツロイ(1665-1716)である。彼はバーバラ・パーマー(1641-1709)が生んだチャールズ2世の3人の私生児の末息子であり、1674年10月1日ノーサンバーランド伯爵(Earl of Northumberland)、コーンウォール州におけるファルマス子爵(Viscount Falmouth in the county of Cornwall)、ヨーク州におけるポンテフラクト男爵(Baron of Pontefract in the county of York)に叙され、さらに1683年4月6日ノーサンバーランド公爵に叙された。しかし子供がなかったため、彼の死とともに全爵位が廃絶した[6]

パーシー家

ノーサンバーランド公爵家邸宅シオン・ハウス英語版をバックに立つ第10代ノーサンバーランド公爵ヒュー・パーシー英語版
ノーサンバーランド公爵家所有のアニック城

現存する3期目のノーサンバーランド公に叙されたのはヒュー・パーシー(スミソン)(1714-1786)である。彼はスミソン準男爵家英語版の生まれであり、1733年に第4代準男爵位を継承し、1740年には第7代サマセット公爵アルジャーノン・シーモア(1684–1750)の娘エリザベス・シーモア英語版(1716-1776)と結婚した[7][8]

彼女の父サマセット公は、ノーサンバーランド伯爵パーシー家最後の当主である第11代ノーサンバーランド伯爵ジョスリン・パーシー英語版(1644–1670)の孫にあたる。この血縁関係からサマセット公には1749年10月2日に娘婿ヒュー・スミソンへの特別継承権を認めたグレートブリテン貴族爵位ノーサンバーランド伯爵ノーサンバーランド州におけるワークワース城のワークワース男爵(Baron Warkworth, of Warkworth Castle in the County of Northumberland)が与えられた[9][10][11]。この特別継承権の規定により1750年2月のサマセット公の死去でヒューは第2代ノーサンバーランド伯位を継承するとともに議会の議決によりスミソン姓をパーシー姓に改めた[7][8]。ここに80年ぶりに「ノーサンバーランド伯爵パーシー家」が復活することとなった[12]

彼はその後もトーリー党の政治家としてアイルランド総督(在職1763-1765)などの官職を歴任して活躍したため、1766年10月22日ノーサンバーランド公爵パーシー伯爵(Earl Percy)に叙せられた。これがノーサンバーランド公爵家の創始となる[7][8]。さらに1784年1月28日には次男アルジャーノン・パーシー(1750–1830)への特別継承権を認めたグレートブリテン貴族爵位ノーサンバーランド州におけるアニックのロヴェイン男爵(Baron Lovaine, of Alnwick in the County of Northumberland)に叙された[8]。このアルジャーノンは1790年ビバリー伯爵英語版に叙されており、後に彼の息子が5代公となる[13]

初代公の長男で2代公を継承したヒュー・パーシー(1742-1817)は大将まで昇進した陸軍軍人であり、トーリー党の政治家でもあった[8][14]。彼は父から公爵位を継承する前の1776年12月5日に母エリザベスからパーシー男爵英語版(Baron Percy)を継承していた。この爵位は7代サマセット公が叙されたものだが議会招集令状英語版による爵位であるため、男子なき場合に姉妹間に優劣のない女系継承が可能であり、そのためサマセット公の死後にエリザベスが継承していた[8][15]

2代公の長男で3代公を継承したヒュー・パーシー英語版(1785-1847)もトーリー党の政治家であり、1829年から1830年にかけてアイルランド総督を務めた[8]。しかし反動保守的な人物であり、1832年の選挙法改正に反対している[16]

2代公の末息子で4代公を継承したアルジャーノン・パーシー(1792-1865)保守党の政治家であり、公爵位を継承する前の1816年11月27日連合王国貴族爵位ノーサンバーランド州におけるプルードホー城のプルードホー男爵(Baron Prudhoe, of Prudhoe Castle in the County of Northumberland)に叙されていた。公爵襲爵後の1852年には第一次ダービー伯爵内閣で海軍大臣英語版を務めている[8][17]

4代公の死去により2代公の男系男子は絶えた。初代公の次男初代ビバリー伯アルジャーノン・パーシーの息子である2代ビバリー伯ジョージ・パーシー(1778-1867)が5代公を継承した(この際にプルードホー男爵位は廃絶し、また女系継承が可能なパーシー男爵位は第7代アソル公爵ジョン・ステュワート=マレー英語版に継承された)。以降ノーサンバーランド公爵位は2016年現在まで彼の男系男子によって継承される[8]

その息子である6代公アルジャーノン・パーシー(1810-1899)ヴィクトリア朝の保守党政権下で閣僚職を歴任した[8]。トーリー気質の者が多いノーサンバーランド公爵家の歴代当主の中でも特に保守反動的だったことで知られ、1867年の第二次選挙法改正や1886年に提出されたアイルランド自治法案に強く反対した[18]

その孫である8代公アラン・パーシー英語版(1880-1930)は、貴族院の極右グループの指導者となり、『愛国者』と名付けた定期刊行物を発行し、「大英帝国をユダヤ人とボルシェヴィズムから守る」と称して反ユダヤ主義と反共主義の宣伝を行った[19]

その長男の9代公ヘンリー・パーシー(1912-1940)は、第二次世界大戦に従軍したが、1940年5月のドイツ軍の西方電撃戦の際にベルギーエスケルムオランダ語版で戦死している[20]

その弟である10代公ヒュー・パーシー英語版(1914-1988)の代の1957年に第9代アソル公爵ジェイムズ・ステュワート=マレー英語版が死去し、彼が所持していたパーシー男爵位は10代公が継承することになった。4代公の死去以来アソル公爵家に移っていたパーシー男爵位が再びノーサンバーランド公爵家に戻る形となった[8][21]

2016年現在の当主は10代公の次男である12代公レイフ・パーシー英語版(1956-)である[8][22]

初代公が領地で鉱山開発に励み、子孫たちが鉱山を賃貸して金を稼いだため、非常に裕福な貴族である。20世紀には経済的に没落する貴族が増え、領地売却が盛んになったが、ノーサンバーランド公爵家はうまく立ち回って大きな没落を防いだ。18万エーカーもの領地を有した19世紀後半の最盛期と比べると減少したものの、いまだ10万5000エーカー(1976年の発表)にも及ぶ領地を所有する大地主である[23]

邸宅はノーサンバーランドにあるアニック城ミドルセックスにあるシオン・ハウス英語版である[8]。家訓は「神を信じよ(Esperance En Dieu)」[8]

現当主の保有爵位/準男爵位

現在の当主第12代ノーサンバーランド公爵レイフ・パーシー英語版は以下の爵位・準男爵位を保有している[8][22]

  • 第12代ノーサンバーランド公爵 (12th Duke of Northumberland)
    (1766年10月22日勅許状によるグレートブリテン貴族爵位)
  • 第13代ノーサンバーランド伯爵 (13th Earl of Northumberland)
    (1749年10月2日の勅許状によるグレートブリテン貴族爵位)
  • 第12代パーシー伯爵 (12th Earl Percy)
    (1766年10月22日の勅許状によるグレートブリテン貴族爵位)
  • 第9代ビバリー伯爵英語版 (9th Earl of Beverley)
    (1790年11月2日の勅許状によるグレートブリテン貴族爵位)
  • 第11代パーシー男爵英語版 (11th Baron Percy)
    (1723年1月21日議会招集令状英語版によるグレートブリテン貴族爵位)
  • ノーサンバーランド州におけるワークワース城の第13代ワークワース男爵 (13th Baron Warkworth, of Warkworth Castle in the County of Northumberland)
    (1749年10月2日の勅許状によるグレートブリテン貴族爵位)
  • ノーサンバーランド州におけるアニックの第10代ロヴェイン男爵 (10th Baron Lovaine, of Alnwick in the County of Northumberland)
    (1784年1月28日の勅許状によるグレートブリテン貴族爵位)
  • (ヨーク州におけるスタンウィックの)第15代準男爵英語版 (15th Baronet, "of Stanwick in the County of York")
    (1660年8月2日の勅許状によるイングランド準男爵位)

一覧

ノーサンバーランド公 第1期 (1551年)

肖像 爵位の代数
名前
(生没年)
受爵期間 備考 その他の爵位
初代ノーサンバーランド公爵
ジョン・ダドリー
(1502年-1553年)
1551年10月11日
- 1553年8月
大逆罪で処刑・爵位剥奪 ウォリック伯
ライル子爵英語版
ライル男爵英語版

ノーサンバーランド公 第2期 (1683年)

肖像 爵位の代数
名前
(生没年)
受爵期間 備考 その他の爵位
初代ノーサンバーランド公爵
ジョージ・フィッツロイ
(1665年-1716年)
1683年4月6日
- 1716年6月28日
チャールズ2世の私生児
嗣子なく廃絶
ノーサンバーランド伯
ファルマス子爵
ポンテフラクト男爵

ノーサンバーランド公 第3期 (1766年)

肖像 爵位の代数
名前
(生没年)
受爵期間 備考 その他の爵位
初代ノーサンバーランド公爵
ヒュー・パーシー(旧姓スミソン)
(1714年-1786年)
1766年10月22日
- 1786年6月6日
4代スミソン準男爵英語版 ノーサンバーランド伯
パーシー伯英語版
ワークワース男爵英語版
ロヴェイン男爵英語版
(スタンウィック)準男爵英語版
第2代ノーサンバーランド公爵
ヒュー・パーシー(旧姓スミソン)
(1742年-1817年)
1786年6月6日
- 1817年7月10日
先代の長男 ノーサンバーランド伯
パーシー伯
パーシー男爵英語版
ワークワース男爵
(スタンウィック)準男爵
第3代ノーサンバーランド公爵
ヒュー・パーシー英語版
(1785年-1847年)
1817年7月10日
- 1847年2月11日
先代の長男
第4代ノーサンバーランド公爵
アルジャーノン・パーシー
(1792年-1865年)
1847年2月11日
- 1865年2月12日
先代の弟 ノーサンバーランド伯
パーシー伯
パーシー男爵
ワークワース男爵
プルードホー男爵英語版
(スタンウィック)準男爵
第5代ノーサンバーランド公爵
ジョージ・パーシー
(1778年-1867年)
1865年2月12日
- 1867年8月22日
先代の従兄弟 ノーサンバーランド伯
パーシー伯
ビバリー伯英語版
ワークワース男爵
ロヴェイン男爵
(スタンウィック)準男爵
第6代ノーサンバーランド公爵
アルジャーノン・ジョージ・パーシー
(1810年-1899年)
1867年8月22日
- 1899年1月2日
先代の長男
第7代ノーサンバーランド公爵
ヘンリー・ジョージ・パーシー
(1846年-1918年)
1899年1月2日
- 1918年5月14日
先代の息子
第8代ノーサンバーランド公爵
アラン・イアン・パーシー英語版
(1880年-1930年)
1918年5月14日
- 1930年8月23日
先代の長男
第9代ノーサンバーランド公爵
ヘンリー・ジョージ・アラン
パーシー

(1912年-1940年)
1930年8月23日
- 1940年5月21日
先代の長男
第10代ノーサンバーランド公爵
ヒュー・アルジャーノン・パーシー英語版
(1914年-1988年)
1940年5月21日
- 1988年8月23日
先代の弟 ノーサンバーランド伯
パーシー伯
ビバリー伯
パーシー男爵(1957年から)
ワークワース男爵
ロヴェイン男爵
(スタンウィック)準男爵
第11代ノーサンバーランド公爵
ヘンリー・アラン・ウォルター・リチャード
パーシー

(1953年-1995年)
1988年8月23日
- 1995年10月31日
先代の長男
第12代ノーサンバーランド公爵
レイフ・ジョージ・アルジャーノン
パーシー
英語版

(1956年-)
1995年10月31日
- 受爵中
先代の弟
パーシー伯爵(儀礼称号)
ジョージ・ドミニク・パーシー英語版
(1984年-)
法定推定相続人 現当主の長男

系図

ノーサンバーランド公爵パーシー家系図
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ノーサンバーランド伯家(1416年)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
11代ノーサンバーランド伯
ジョスリン・パーシー

(1644–1670)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ノーサンバーランド伯(1416年)廃絶
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
6代サマセット公
チャールズ・シーモア

(1662–1748)
 
エリザベス
(1667-1722)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ノーサンバーランド伯(1749年)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
7代サマセット公
初代ノーサンバーランド伯
アルジャーノン・シーモア

(1684–1750)
 
 
 
 
 
スミソン準男爵家英語版
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ノーサンバーランド公(1766年)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2代ノーサンバーランド伯
初代ノーサンバーランド公
ヒュー・パーシー

(1714–1786)
 
エリザベス英語版
(1716-1776)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2代ノーサンバーランド公
ヒュー・パーシー

(1742–1817)
 
初代ビバリー伯爵
アルジャーノン・パーシー

(1750–1830)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
3代ノーサンバーランド公
ヒュー・パーシー

(1785–1847)
 
4代ノーサンバーランド公
アルジャーノン・パーシー

(1792–1865)
 
5代ノーサンバーランド公
ジョージ・パーシー

(1778–1867)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
6代ノーサンバーランド公
アルジャーノン・パーシー

(1810–1899)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
7代ノーサンバーランド公
ヘンリー・パーシー

(1846–1918)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
8代ノーサンバーランド公
アラン・パーシー
英語版

(1880–1930)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
9代ノーサンバーランド公
ヘンリー・パーシー

(1912–1940)
 
10代ノーサンバーランド公
ヒュー・パーシー
英語版

(1914–1988)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
11代ノーサンバーランド公
ヘンリー・パーシー

(1953–1995)
 
12代ノーサンバーランド公
レイフ・パーシー
英語版

(1956-)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
パーシー伯(儀礼称号)
ジョージ・パーシー英語版
(1984–)
 

脚注

注釈

出典

  1. ^ 松村赳 & 富田虎男 2000, p. 528.
  2. ^ 海保眞夫 1999, p. 48.
  3. ^ 今井宏(編) 1990, p. 59.
  4. ^ 今井宏(編) 1990, p. 59-62.
  5. ^ Heraldic Media Limited. “Northumberland, Duke of (E, 1551 - 1553)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年2月2日閲覧。
  6. ^ Stephen, Leslie, ed. (1889). "Fitzroy, George (1665-1716)" . Dictionary of National Biography (英語). Vol. 19. London: Smith, Elder & Co.
  7. ^ a b c Lundy, Darryl. “Hugh Percy, 1st Duke of Northumberland” (英語). thepeerage.com. 2016年2月1日閲覧。
  8. ^ a b c d e f g h i j k l m n o Heraldic Media Limited. “Northumberland, Duke of (GB, 1766)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年2月2日閲覧。
  9. ^ Lundy, Darryl. “Algernon Seymour, 7th Duke of Somerset” (英語). thepeerage.com. 2016年2月2日閲覧。
  10. ^ Heraldic Media Limited. “Somerset, Duke of (E, 1546/7)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年2月2日閲覧。
  11. ^ 海保眞夫 1999, p. 107-109.
  12. ^ 海保眞夫 1999, p. 109.
  13. ^ Heraldic Media Limited. “Beverley, Earl of (GB, 1790)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年2月2日閲覧。
  14. ^ Lundy, Darryl. “General Hugh Percy, 2nd Duke of Northumberland” (英語). thepeerage.com. 2016年2月2日閲覧。
  15. ^ Lundy, Darryl. “Elizabeth Seymour, Baroness Percy” (英語). thepeerage.com. 2016年2月2日閲覧。
  16. ^ 海保眞夫 1999, p. 114.
  17. ^ Lundy, Darryl. “Algernon Percy, 4th Duke of Northumberland” (英語). thepeerage.com. 2016年2月2日閲覧。
  18. ^ 海保眞夫 1999, p. 114-115.
  19. ^ 海保眞夫 1999, p. 115.
  20. ^ Lundy, Darryl. “Henry George Alan Percy, 9th Duke of Northumberland” (英語). thepeerage.com. 2016年2月2日閲覧。
  21. ^ Lundy, Darryl. “Hugh Algernon Percy, 10th Duke of Northumberland” (英語). thepeerage.com. 2016年2月2日閲覧。
  22. ^ a b Lundy, Darryl. “Ralph George Algernon Percy, 12th Duke of Northumberland” (英語). thepeerage.com. 2016年2月2日閲覧。
  23. ^ 海保眞夫 1999, p. 111-112.

参考文献