コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「狐の嫁入り」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Greeneyes3 (会話 | 投稿記録)
m編集の要約なし
加筆、節分け再考。江戸時代の草双紙や絵本は古典の怪談の部類というより創作作品だろうと思い、作品として別節にした
(同じ利用者による、間の1版が非表示)
1行目: 1行目:
{{Otheruses|日本の伝承|気象|天気雨|漫画|きつねのよめいり}}
{{Otheruses|日本の伝承|気象|天気雨|漫画|きつねのよめいり}}
'''狐の嫁入り'''(きつねのよめいり)は、[[日本]]の[[本州]]・[[四国]]・[[九州]]に伝わる怪異<ref name="村上">{{Harvnb|村上|2005|p=117}}</ref>。「狐の嫁入り」といわれるものには、夜間の[[怪火]]、俗にいう[[天気雨]]、古書や[[伝説]]などに見られる異様な嫁入り行列などがある。本項ではそれぞれについて述べる。
[[ファイル:Hokusai_Kitsune-no-yomeiri.jpg|right|thumb|180px|[[葛飾北斎]]画『狐の嫁入図』]]
'''狐の嫁入り'''(きつねのよめいり)は、[[日本]]の[[本州]]・[[四国]]・[[九州]]に伝わる怪異<ref name="murakami">{{Cite book | 和書 | author=[[村上健司]]編著 | title=日本妖怪大事典 | year=2005 | publisher=[[角川書店]] | series=Kwai books | isbn=978-4-04-883926-6 | page=117}}</ref>。


== 怪火としての「狐の嫁入り」 ==
== 伝承 ==
[[宝暦]]時代の[[越後国]](現・[[新潟県]])の地誌『越後名寄』には、怪火としての「狐の嫁入り」の様子が以下のように述べられている{{Sfn|日野|1926|p=76}}。
一般{{誰|date=2013年5月}}には夜の山中や川原などで、無数の[[狐火]]が一列に連なって[[提灯]]行列のように見えることをいい、[[キツネ|狐]]が婚礼のために提灯を灯しているといって「狐の嫁入り」と呼ぶ<ref>{{Cite book | 和書 | author=[[笹間良彦]] | title=図説・日本未確認生物事典 | edition= | year=1994 | publisher=[[柏書房]] | isbn=978-4-7601-1299-9 | pages=109頁}}</ref>。これらの怪火は遠くからしか見えないという特徴がある。[[徳島県]]ではこれを嫁入りではなく狐の[[葬儀|葬式]]とし、死者の出る予兆としている<ref name="murakami" />。
{{quotation|
夜何時(いつ)何處(いづこ)共云う事なく折静かなる夜に、提灯或は炬の如くなる火凡(およそ)一里余も無間続きて遠方に見ゆる事有り。右何所にても稀に雖有、蒲原郡中には折節有之。これを児童輩狐の婚と云ひならはせり<ref group="注">{{Harvnb|日野|1926|p=76}}より引用。</ref>。
}}
ここでは夜間の怪火が4キロメートル近く並んで見えることを「狐の婚」と呼ぶことが述べられており<ref>{{Cite book|和書|author=[[笹間良彦]]]|title=図説・日本未確認生物事典|year=1994|publisher=[[柏書房]]|isbn=978-4-7601-1299-9|page=109}}</ref>、同様に新潟県[[中頚城郡]]や同県[[魚沼市|魚沼地方]]<ref name="鈴木">{{Harvnb|鈴木|1982|pp=198-199}}</ref>、[[秋田県]]<ref>{{Cite journal|和書|author=武田鉄城|date=1937-5|title=光と民俗(秋田県仙北郡角館町附近)|journal=旅と伝説|volume=10巻|issue=5号(通巻113号)|pages=30-32|publisher=[[三元社]]|url=http://www.nichibun.ac.jp/YoukaiCard/1230497.shtml |id={{NCID|AN00139777}}}}</ref>、[[茨城県]][[桜川市]][[桜川市]]<ref>{{Cite journal|和書|date=1971-7|title=信仰|journal=調査報告 山梨県北都留郡小菅村長作 茨城県真壁郡大和村本木茂賀坪|issue=5号|page=94|publisher=[[東京学芸大学]]民俗学研究会|url=http://www.nichibun.ac.jp/YoukaiCard/1390079.shtml}}</ref>、同県[[西茨城郡]][[七会村 (茨城県西茨城郡)|七会村]]<ref>{{Cite journal|和書|date=1971-10|title= 茨城県西茨城郡七会村 |journal=民俗採訪|issue=昭和45年度号|pages=|publisher=[[國學院大學]]民俗学研究会|url=http://www.nichibun.ac.jp/YoukaiCard/2361238.shtml |id={{NCID|AN00313874}}}}</ref>(現・[[城里町]])、同県[[常陸太田市]]<ref>{{Cite journal|和書|date=1988-3|title=口承文芸|journal=町田の民俗|issue=昭和61年度号|page=117|publisher=[[東洋大学]]民俗研究会|url=http://www.nichibun.ac.jp/YoukaiCard/1460353.shtml}}</ref>、[[埼玉県]][[越谷市]]や同県[[秩父郡]][[東秩父村]]<ref name="鈴木" /><ref>{{Cite journal|和書|author=[[田中正明]]|date=1975-3|title= 東秩父旧槻川村の民俗|journal=秩父民俗|issue=10号|pages=|publisher= 秩父民俗研究会|url=http://www.nichibun.ac.jp/YoukaiCard/1240035.shtml |id={{NCID|AN00142090}}}}</ref>、[[東京都]][[多摩地域]]<ref>{{Cite journal|和書|author=増田昭子・今越祐子|date=1983-8|title=多摩の昔話|journal=常民文化研究|issue=7号|page=37|publisher=常民文化研究会|url=http://www.nichibun.ac.jp/YoukaiCard/1080134.shtml |id={{NCID|AN00332766}}}}</ref>、[[群馬県]]<ref name="鈴木" />、[[栃木県]]<ref>{{Cite journal|和書|author=青木直記|date=1958-10|title=見聞覚書|journal=民間伝承|volume=22巻|issue=10号|pages=28029|publisher= 民間伝承の会 |url=http://www.nichibun.ac.jp/YoukaiCard/2180399.shtml |id={{NCID|AN00236605}}}}</ref>、[[山梨県]][[北杜市]][[武川村 (山梨県)|武川村]]<ref>{{Cite journal|和書|date=1996-3|title=信仰|journal=柳沢の民俗|issue=29号|pages=|publisher=[[東京女子大学]]史学科民俗調査団|url=http://www.nichibun.ac.jp/YoukaiCard/1422272.shtml}}</ref>、[[三重県]]<ref name="鈴木" />、[[奈良県]][[橿原市]]<ref>{{Cite journal|和書|author=比較民話研究会 |date=1998-7|title=奈良県橿原市・耳成の民話|journal=昔話 研究と資料|issue=26号|pages=|publisher=日本昔話学会|url=http://www.nichibun.ac.jp/YoukaiCard/2450194.shtml |id={{NCID|AN00313160}}}}</ref>、[[鳥取県]][[西伯郡]][[南部町 (鳥取県)|南部町]]などで<ref>{{Cite journal|和書|date=1989-2|title=鳥取県西伯郡西伯町 調査報告書|journal=常民|issue=25号|page=169|publisher=[[中央大学]]民俗研究会|url=http://www.nichibun.ac.jp/YoukaiCard/1070472.shtml |id={{NCID|AN00116782}}}}</ref>、夜間の山野に怪火([[狐火]])が連なって見えるものを「狐の嫁入り」と呼ぶ<ref name="鈴木" />。


地方によっては様々な呼び名があり、同様のものを埼玉県[[草加市]]や[[石川県]][[鳳至郡]][[能都町]](現・[[鳳珠郡]][[能登町]])では「狐の嫁取り(きつねのよめとり){{Sfn|倉林他|1987|p=833}}<ref>{{Cite journal|和書|date=1967-11|title=石川県鳳至郡能都町 高倉地区 調査報告書|journal=常民|issue=6号|page=108|publisher=中央大学民俗研究会|url=http://www.nichibun.ac.jp/YoukaiCard/1070037.shtml |id={{NCID|AN00116782}}}}</ref>」といい、[[静岡県]][[沼津市]]などでは「狐の祝言(きつねのしゅうげん)」とも呼ぶ<ref name="飛田">{{Harvnb|飛田|1998|p=58}}</ref><ref>{{Cite book|和書|author=山崎祐子他|editor=[[大島建彦]]他編|title=沼津市史|year=2002|publisher=[[沼津市]]|volume=資料編 民俗|ncid=BN09985235|page=762}}</ref>。
怪火が狐の嫁入りと考えられただけでなく、[[江戸時代]]の随筆『古今妖談集』には実際に嫁入りに遭ったという話がある。[[寛保]]5年([[1745年]])に、[[本所 (墨田区)|本所]]竹町の渡し場に現れた男が、自分の仕える主人の家で婚礼があるために渡し船を多数寄せるよう依頼し、渡し場の亭主に祝儀として金子一両を渡した。亭主が喜んで多くの船を準備して待っていると、立派な嫁入り行列がやって来たので、亭主は丁重に一行を送り届けた。しかし翌朝には、祝儀の金はおろか、渡し賃まですべての金が木の葉に変わっていた。人々は[[葛西]][[金町]](現 [[東京都]][[葛飾区]])の半田稲荷から[[浅草]]の安左衛門稲荷への婚礼があったと噂したという<ref name="murakami" />。


日本で[[結婚式場]]の普及していなかった[[昭和]]中期頃までは、[[結婚式]]では夕刻の結婚先の家へ嫁いでゆく嫁が[[提灯]]行列に迎えられるのが普通であり<ref name="大沢">{{Harvnb|大沢|1981|pp=80-81}}</ref>、連なる怪火の様子が[[松明]]を連ねた婚礼行列の様子に似ているため<ref name="武光">{{Harvnb|武光|1998|p=134}}</ref>、または[[キツネ]]が婚礼のために灯す提灯と見なされたためにこう呼ばれたものと考えられている<ref name="渡辺">{{Harvnb|渡辺|1985|p=597}}</ref><ref name="尚学">{{Harvnb|尚学|1986|p=442}}</ref>。嫁入りする者がキツネと見なされたのは、嫁入りのような様子が見えるにもかかわらず実際にはどこにも嫁入りがないことを、人を化かすといわれるキツネと結び付けて名づけられた<ref name="飛田" /><ref name="堀井">{{Harvnb|堀井|1995|p=84}}</ref>、または、遠くから見ると灯りが見えるが、近づくと見えなくなってしまい、あたかもキツネに化かされたようなため<ref name="大沢" />、などの説がある。
[[新潟県]]の麒麟山にも狐が多く住み、夜には提灯を下げた嫁入り行列があったといわれる。これに由来する祭事が同県の[[狐の嫁入り行列]]である<ref>{{Cite web|date=1999-11|url=http://www.suntory.co.jp/sfnd/prize_cca/detail/1995c1.html |title=津川 狐の嫁入り行列実行委員会 狐のメイクをした人々が練り歩く幻想的なイベントを町を挙げて展開|publisher=[[サントリー]]|accessdate=2013-3-20}}</ref>。

かつて[[江戸]]の豊島村(現・東京都[[北区 (東京都)|北区]][[豊島 (東京都北区)|豊島]]、同区[[王子 (東京都北区)|王子]])でも、暗闇に怪火が連続してゆらゆらと揺れるものを「狐の嫁入り」と呼ばれており、これは同村に伝わる「豊島七不思議」の一つにも数えられている<ref name="岡崎">{{Harvnb|岡崎|1998|pp=104-107}}</ref>。

新潟県の麒麟山にもキツネが多く住み、夜には提灯を下げた嫁入り行列があったといわれる<ref name="阿賀町">{{Cite web|url=http://www.town.aga.niigata.jp/kankou/yomeiri/nagare/ |title=つがわ 狐の嫁入り行列|publisher=[[阿賀町]]|accessdate=2013-6-15}}</ref>。この新潟や奈良県[[磯城郡]]などでは、狐の嫁入りは[[農業]]と結び付けて考えられており、怪火の数が多い年は豊年、少ない年は不作といわれた<ref name="阿賀町" /><ref>{{Cite journal|和書|author= 前田廣造|date=1939-1|title=狐の嫁入|journal=民間伝承|volume=4巻|issue=4号|page=4|publisher= 民間伝承の会 |url=http://www.nichibun.ac.jp/YoukaiCard/2180875.shtml|id={{NCID|AN00236605}}}}</ref>。

地域によっては怪火が見えるだけではなく、実際に嫁入りの痕跡が見られるという伝承もある。埼玉県[[行田市]]では、谷郷の春日神社に狐の嫁入りがよく現れるといい、そのときには実際に道のあちこちにキツネの糞があったという<ref name="大沢" />。[[岐阜県]][[武儀郡]][[洞戸村]](現・[[関市]])では、怪火が見えるだけではなく、竹が燃えて裂ける音が聞こえるなどが数日続き、確かめてもそんな痕跡はないといわれた<ref>{{Cite journal|和書|date=1987-12|title=岐阜県武儀市洞戸村 調査報告書|journal=常民|issue=24号|page=122|publisher=[[中央大学]]民俗研究会|url=http://www.nichibun.ac.jp/YoukaiCard/1070472.shtml |id={{NCID|AN00116782}}}}</ref>。

[[徳島県]]では、こうした怪火を嫁入りではなくキツネの[[葬儀|葬式]]とし、死者の出る予兆としている<ref name="村上" />。

これらの怪火の正体については、実際の灯を誤って見たか、異常屈折の光を錯覚したものとも考えられている<ref name="渡辺" />。


== 天候に関する言い伝え ==
== 天候に関する言い伝え ==
[[ファイル:Rainbow over U.S. Air Force aircraft in Spain.jpg|thumb|right|300px|天気雨直後の様子]]
[[天気雨]]のことを「狐の嫁入り」と呼ぶのは、天気雨のときには狐の嫁入りがあるという[[俗信]]に由来しており、「狐の祝言」とも呼ばれる。江戸時代の[[浮世絵|浮世絵師]]・[[葛飾北斎]]による『狐の嫁入図』ではの俗信に基き、狐の嫁入り行列と、突然の天気雨に驚いて農作物を取り込む人々の様子が描かれている<ref>{{Cite book | 和書 | author=[[京極夏彦]] [[多田克己]]・[[久保田一洋]]編 | title=北斎妖怪百景 | year=2004 | publisher=[[国書刊行会]] | isbn=978-4-336-04636-9 | page=58}}</ref>(画像参照)。
[[関東地方]]<ref name="鈴木" />、[[中部地方]]<ref name="鈴木" />、[[近畿地方]]<ref name="鈴木" />、[[中国地方]]<ref name="鈴木" />、[[四国]]<ref name="鈴木" />、[[九州]]など<ref name="鈴木" />、日本各地で[[天気雨]]のことを「狐の嫁入り」と呼ぶ。


怪火と同様、地方によっては様々な呼び名があり、[[青森県]]南部地方では「狐の嫁取り<ref name="静岡県方言研究会">{{Harvnb|静岡県方言研究会他|1987|p=147}}</ref>」、[[神奈川県]][[茅ヶ崎市]]芹沢や[[徳島県]][[麻植郡]]山類では「狐雨(きつねあめ)<ref name="静岡県方言研究会" />」、[[千葉県]]東夷隅郡では同様に「狐の祝言<ref name="静岡県方言研究会" />」という。千葉県[[東葛飾郡]]でも青森同様に「狐の嫁取り雨(きつねのよめどりあめ)」というが、これは、かつてこの地域の農家では嫁は労働力と見なされ、一家の繁栄のために子孫を生む存在として嫁を「取る」ものと考えられていたことに由来する<ref name="岡崎" />。
狐の嫁入りと天候との関連は地方によって異なることもあり、[[熊本県]]では[[虹]]が出たとき、[[愛知県]]では[[霰]]が降ったときに狐の嫁入りがあるという。[[福島県]]では[[10月10日 (旧暦)|旧暦10月10日]]の夕方に[[すり鉢]]を頭にかぶり、腰にすりこぎをさして[[マメガキ]]の下に立つと、狐の嫁入りが見えるという<ref>{{Cite book | 和書 | author=[[水木しげる]] | title=[[妖鬼化]] | volume=1 | year=2004 | publisher=[[Softgarage]] | isbn=978-4-86133-004-9 | page=42}}</ref>。

天気雨をこう呼ぶのは、晴れていても雨が降るという嘘のような状態を、何かに化かされているような感覚を感じて呼んだものと考えられており<ref name="鈴木" />、ほかにも、山のふもとは晴れていても山の上ばかり雨が降る天気雨が多いことから、山の上を行くキツネの行列を人目につかせないようにするため、キツネが雨を降らせると考えられたとも<ref name="武光" />、めでたい日にもかかわらず涙をこぼす嫁もいたであろうことから、妙な天気である天気雨をこう呼んだとも<ref name="半藤" />、日照りに雨がふるという異様さを、前述の怪火の異様さを転用して呼んだともいう<ref name="堀井" />。

狐の嫁入りと天候との関連は地方によって異なることもあり、[[熊本県]]では[[虹]]が出たとき<ref name="鈴木" />、[[愛知県]]では[[霰]]が降ったときに狐の嫁入りがあるという<ref name="鈴木" />。

== 古典・伝説での「狐の嫁入り」 ==
前述までのように嫁入りを思わせる自然現象だけではなく、[[江戸時代]]の古書や、地方によっては[[伝説]]上にも、実際に嫁入りが見られたという話がある。

[[寛永]]時代の随筆『今昔妖談集』には[[江戸]]の[[本所 (墨田区)|本所]]竹町<ref>{{Cite book|和書|author=角田義治|title=怪し火・ばかされ探訪|year=1982|publisher=創樹社|isbn=978-4-7943-0170-3|pages=28-29}}</ref>、[[文政]]時代の草紙『江戸塵拾』には同じく江戸の[[八丁堀]]<ref name="岡崎" /><ref name="柴田">{{Harvnb|柴田|1963|pp=91-93}}</ref>、[[寛政]]時代の怪談集『怪談老の杖』には[[上野国|上州]](現・[[群馬県]])神田村で<ref name="柴田" />、それぞれ奇妙な嫁入り行列が目撃され、それが実はキツネだったという話がある。

このようにキツネ同士の婚礼をそれとなく人間たちに見せる話は、全国的に分布している<ref name="岡崎" />。一例として民間の[[伝承]]においては、埼玉県[[草加市]]の伝承で、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]、ある女性が恋人と結婚を約束したにもかかわらず病死してしまい、その無念さがキツネに乗り移り、女性の葬られた場所の付近で狐の嫁入り行列が見られるようになったという伝説がある{{Sfn|倉林他|1987|p=833}}。また[[信濃国]](現・[[長野県]])の[[民話]]では、ある老人が子ギツネを助けたところ、やがて成長したキツネが婚礼を迎え、老人に礼として引出物を持参したという話がある<ref name="岡崎" />。こうした嫁入りの話では、前述までのような自然現象および超自然の「狐の嫁入り」が舞台装置のように機能しており、日中の嫁入りは天気雨の中、夜間の嫁入りは怪火の中で行なわれることが多い<ref name="岡崎" />。

特定の動作を行なうことで狐の嫁入りが見えるという伝承も各地にあり、[[福島県]]では[[10月10日 (旧暦)|旧暦10月10日]]の夕方に[[すり鉢]]を頭にかぶり、腰にすりこぎをさして[[マメガキ]]の下に立つ<ref>{{Cite journal|和書|author=川端豊彦 |date=1939-8|title= カンプライモ |journal=民間伝承|volume=4巻|issue=11号|pages=9-10|publisher=民間伝承の会 |url=http://www.nichibun.ac.jp/YoukaiCard/2181036.shtml |id={{NCID|AN00236605}}}}</ref>、[[愛知県]]では[[井戸]]に唾を吐き、指を組み合わせてその穴から覗くと、狐の嫁入りが見えるという<ref>{{Cite journal|和書|author=丸山学|date=1935-9|title= 唾考 |journal=旅と伝説|volume=8巻|issue=9号(通巻93号)|page=15|publisher=[[三元社]]|url=http://www.nichibun.ac.jp/YoukaiCard/1232955.shtml |id={{NCID|AN00139777}}}}</ref>。
[[ファイル:Onabake-jinja Kitsune.jpg|righft|thumb|240px|[[茨城県]][[龍ケ崎市]]の[[女化神社]]]]

キツネ同士の結婚ではなく、人間の男性のもとにメスのキツネが嫁ぐ話もあり、代表的なものとしては、[[人形浄瑠璃]]にもなり、[[平安時代]]の[[陰陽師]]・[[安倍晴明]]の出生にまつわるものとしても知られる『[[葛の葉]]』が挙げられる<ref name="岡崎" />。このほかにも『[[日本現報善悪霊異記]]』や、[[1857年]]([[安政]]4年)の地誌『利根川図志』などに同様の話がある<ref name="岡崎" />。後者は、関東の[[諸葛亮|諸葛孔明]]と喩えられる実在の[[武将]]・[[栗林義長]]にまつわるもので<ref name="岡崎" />、[[茨城県]][[牛久市]]の[[女化町]]の名の由来でもあり、同県[[龍ケ崎市]]に[[女化神社]]としてキツネが祀られている<ref>{{Cite book|和書|author=稲垣泰一|title=となりの神様仏様|year=2004|publisher=[[小学館]]|isbn=978-4-09-362069-7|page=197}}</ref>。

また『[[今昔物語集]]』や、[[1689年]]([[元禄]]2年)の『本朝故事因縁集』、[[1696年]](元禄9年)の怪談集『玉掃木』には、既婚の男のもとに、キツネがその妻に化けて現れる話がある<ref name="岡崎" />。ちなみに[[1677年]]([[延宝]]5年)の怪談集『宿直草』では逆に、オスのキツネが人間の女性に惚れ、その女の夫に化けて契り、異形の子供が生まれる話がある<ref name="岡崎" />。

[[ファイル:Hokusai_Kitsune-no-yomeiri.jpg|right|thumb|180px|[[葛飾北斎]]画『狐の嫁入図』]]
== 関連作品 ==
[[江戸時代]]の[[浮世絵|浮世絵師]]・[[葛飾北斎]]による『狐の嫁入図』では、天気雨ときには狐の嫁入りがあるという[[俗信]]に基き、狐の嫁入り行列と、突然の天気雨に驚いて農作物を取り込む人々の様子が描かれている<ref>{{Cite book | 和書 | author=[[京極夏彦]] | editor=[[多田克己]]・久保田一洋編 | title=北斎妖怪百景 | year=2004 | publisher=[[国書刊行会]] | isbn=978-4-336-04636-9 | page=58}}</ref>(画像参照)。

同時代の[[俳句|俳諧師]]・[[小林一茶]]の句にも「秋の火や山は狐の嫁入雨」とある<ref name="半藤" />。[[歌人]]の[[正岡子規]]は[[短歌]]で「青空にむら雨すぐる馬時狐の大王妻めすらんか<ref group="注">{{Harvnb|柴田|1963|p=91}}より引用。</ref>」と読んでいる。

人形浄瑠璃『壇浦兜軍記』([[1732年]]初演)でも「たつた今までくわんくわんした天気であったが、ええ聞こえた、狐の嫁入のそばえ雨」とあり<ref name="鈴木">{{Harvnb|鈴木|1963|p=107}}</ref><ref name="尚学" />、戦後では[[時代小説]]『[[鬼平犯科帳]]』に「狐雨」と題した1篇がある<ref name="半藤">{{Harvnb|半藤|1999|p=186}}</ref>。
[[ファイル:Shugen Kitsne no Mukoiri.jpg|left|thumb|320px|『祝言狐のむこ入』。近世の作品とされるが、制作時期および作者は不詳。]]

そのほかに[[1785年]]([[天明]]5年)の『無物喰狐婿入』([[北尾政美]]画)、[[1796年]]([[寛政]]8年)の『昔語狐娶入』([[北尾重政]]画)、[[1799年]](寛政11年)の『穴賢狐縁組』([[十返舎一九]]画)などの江戸時代の[[草双紙]]や[[黄表紙]]、『祝言狐のむこ入』『絵本あつめ草』といった江戸時代の[[上方]][[絵本]]にも、擬人化されたキツネが嫁入りを行なう「狐の嫁入り」が描かれている<ref name="小池">{{Harvnb|小池|1988|pp=22-23}}</ref>。これらは擬人化された動物の嫁入りを描いた「嫁入り物」と呼ばれる種類の作品だが、キツネたちに江戸の具体的な[[稲荷神]]の名前が付けられているという特徴がある<ref name="小池" />。このことは、[[稲荷神#信仰|稲荷信仰]]と嫁入り物の双方が江戸の庶民に深く浸透していたことを示すものと見られている<ref name="小池" />。

民間では、[[高知県]]の[[赤岡町]](現・[[香南市]])などで、「日和に雨が降りゃ 狐の嫁入り<ref group="注">{{Harvnb|近松他|1980|p=551}}より引用。</ref><ref group="注">{{Harvnb|近森|1974|p=37}}より引用。</ref>」という童歌があり、天気雨の日には実際にキツネの嫁入り行列が見られるといわれた{{Sfn|近松他|1980|p=551}}{{Sfn|近森|1974|pp=37-38}}。

== 関連行事 ==
前述の新潟県の麒麟山の嫁入り行列に由来する祭事として、同県[[東蒲原郡]][[阿賀町]][[津川町|津川]]地区では「[[狐の嫁入り行列]]」が行なわれている<ref name="阿賀町">{{Cite web|url=http://www.town.aga.niigata.jp/kankou/yomeiri/nagare/ |title=つがわ 狐の嫁入り行列|publisher=[[阿賀町]]|accessdate=2013-6-15}}</ref>。もとは狐火の名所として、[[昭和]]27年頃から狐火に関するイベントが行われており、一度は途絶えたこのイベントが、[[1990年]]に嫁入り行列を主体とした観光イベントとして復活されたもので、毎年4万人もの観光客で賑わっている(詳細は[[狐の嫁入り行列]]を参照)<ref name="村上2008">{{Harvnb|村上|2008|pp=8-11}}</ref>。

[[山口県]][[下松市]]の花岡福徳稲荷社でも、毎年[[11月3日]]の稲穂祭で「きつねの嫁入り」が行なわれている<ref name="村上2008" />。こちらは怪火や天気雨には関連せず、同神社で古くから行なわれていた豊作祈願の稲穂祭が、[[戦後]]の混乱期に途絶えていたところを、地元の有志たちが、同神社で白いキツネの夫婦が失せ物捜しや五穀豊穣・商売繁盛の神として祀られていたことを参考にして、キツネ夫婦の結婚式を再現したものである<ref name="村上2008" />。下松市民の中からキツネ夫婦を演じる市民が選ばれるが、新婦役となった女性は良縁に恵まれることから、同神社は縁結びの利益もあるといわれている<ref name="村上2008" />。

[[三重県]][[四日市市]]海山道の[[洲崎浜宮神明神社|海山道稲荷神社]]でも、毎年[[節分]]に「狐の嫁入り道中」の神事が行われる。こちらも[[江戸時代]]に[[追儺]]として行なわれていたものが、やはり戦後に甦ったもので、その年の[[厄年]]の男女が、[[神使]]の総本家での小ギツネと、海山道稲荷神社の神使の家の娘のキツネに扮し、嫁入りの様子が再現され<ref>{{Cite web|url=http://miyamado-jinja.com/yomeiri.htm|title=狐の嫁入り神事|publisher=[[洲崎浜宮神明神社|海山道神社]]|accessdate=2013-6-16}}</ref><ref>{{Cite web|url=http://www.showa-yokkaichi.co.jp/likethiscc.html |title=こんな会社&こんな街|publisher=[[昭和四日市石油]]|accessdate=2013-6-16}}</ref>、数万人の参拝客の賑わいを見せている<ref>{{Cite news|url=http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/mie/kikaku/023/10.ht |title=開運の社、ずらり20余|newspaper=[[YOMIURI ONLINE]]|publisher=[[読売新聞]]|accessdate=2013-6-16}}</ref>。


== 脚注 ==
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{脚注ヘルプ}}
; 注釈
<div class="references-small"><references group="注"/></div>
; 出典
{{Reflist}}
{{Reflist}}

== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書|author=大沢俊吉|title=行田の伝説と史話|year=1981|publisher=[[国書刊行会]]|ncid=BN05063182|ref={{SfnRef|大沢|1981}}}}
* {{Cite book|和書|author=岡崎柾男|title=江戸の闇・魔界めぐり 怨霊スターと怪異伝説|year=1998|publisher=[[東京美術]]|isbn=978-4-8087-0652-4|ref={{SfnRef|岡崎|1998}}}}
* {{Cite book|和書|author=倉林正次他編著|title=草加市史|year=1987|publisher=[[草加市]]|volume=民俗編|ncid=BN0133756X|ref={{SfnRef|倉林他|1987}}}}
* {{Cite book|和書|author=小池正胤|title= 江戸の絵本 初期草双紙集成|year=1988|publisher=国書刊行会|volume=III|isbn=978-4-336-02082-6|ref={{SfnRef|小池|1988}}}}
* {{Cite book|和書|author=静岡県方言研究会・静岡大学方言研究会共編|title=図説静岡県方言辞典|year=1987|publisher=吉見書店|ncid=BN01241212|ref={{SfnRef|静岡県方言研究会他|1987}}}}
* {{Cite book|和書|author=[[柴田宵曲]]|title=妖異博物館|year=1963|publisher=青蛙房|ncid=BN11938012|ref={{SfnRef|柴田|1963}}}}
* {{Cite book|和書|author=尚学図書編|title=故事ことわざの辞典|year=1986|publisher=[[小学館]]|isbn=978-4-09-501121-9|ref={{SfnRef|尚学|1986}}}}
* {{Cite book|和書|author=[[鈴木棠三]]編|title=俳説ことわざ辞典|year=1963|publisher=[[東京堂出版]]|ncid=BN09490017|ref={{SfnRef|鈴木|1963}}}}
* {{Cite book|和書|author=鈴木棠三|title=日本俗信辞典 動・植物編|year=1982|publisher=[[角川書店]]|isbn=978-4-04-031100-5|ref={{SfnRef|鈴木|1982}}}}
* {{Cite book|和書|author=[[武光誠]]|title=歴史から生まれた日常語の由来辞典|year=1998|publisher=東京堂出版|isbn=978-4-490-10486-8|ref={{SfnRef|武光|1998}}}}
* {{Cite book|和書|author=近森敏夫|title=土佐わらべうたの記|year=1974|publisher=塙書房|series=塙新書|ncid=BN06413676|ref={{SfnRef|近森|1974}}}}
* {{Cite book|和書|author=近森敏夫他|title=赤岡町史|year=1980|publisher=[[赤岡町]]|ncid=BN06396555|ref={{SfnRef|近松他|1980}}}}
* {{Cite book|和書|author=飛田健彦|title=百貨店ものがたり 先達の教えにみる商いの心|year=1998|publisher=国書刊行会|isbn=978-4-336-04100-5|ref={{SfnRef|飛田|1998}}}}
* {{Cite book|和書|author=[[半藤一利]]|title=一茶俳句と遊ぶ|year=1999|publisher=[[PHP研究所]]|series=PHP新書|isbn=978-4-569-60607-1|ref={{SfnRef|半藤|1999}}}}
* {{Cite book|和書|author=日野巌|title=動物妖怪譚|origyear=1926|year=2006|publisher=[[中央公論新社]]|series=[[中公文庫]]|isbn=978-4-12-204792-1|volume=下|ref={{SfnRef|日野|1926}}}}
* {{Cite book|和書|author=[[堀井令以知]]編|title=大坂ことば辞典|year=1995|publisher=東京堂出版,|isbn=978-4-490-10400-4|ref={{SfnRef|堀井|1995}}}}
* {{Cite book | 和書 | author=[[村上健司]]編著 | title=日本妖怪大事典 | year=2005 | publisher=[[角川書店]] | series=Kwai books | isbn=978-4-04-883926-6 |ref={{SfnRef|村上|2005}}}}
* {{Cite book|和書|author=村上健司|title=DISCOVER妖怪 日本妖怪大百科|year=2008|publisher=[[講談社]]|series=KODANSHA Official File Magazine|volume=VOL.07||isbn=978-4-06-370037-4|chapter=奇祭「狐の嫁入り」を訪ねて|ref={{SfnRef|村上|2008}}}}
* {{Cite book|和書|author=[[渡辺昭五]]他|editor=渡辺静夫編|title=[[日本大百科全書]]|edition=2版|origyear=1985|year=1994|publisher=[[小学館]]|volume=第6巻|isbn=978-4-09-526106-5|ref={{SfnRef|渡辺|1985}}}}


{{DEFAULTSORT:きつねのよめいり}}
{{DEFAULTSORT:きつねのよめいり}}
23行目: 99行目:
[[Category:怪火]]
[[Category:怪火]]
[[Category:気象伝承]]
[[Category:気象伝承]]
[[Category:日本の伝説]]

2013年6月15日 (土) 22:37時点における版

狐の嫁入り(きつねのよめいり)は、日本本州四国九州に伝わる怪異[1]。「狐の嫁入り」といわれるものには、夜間の怪火、俗にいう天気雨、古書や伝説などに見られる異様な嫁入り行列などがある。本項ではそれぞれについて述べる。

怪火としての「狐の嫁入り」

宝暦時代の越後国(現・新潟県)の地誌『越後名寄』には、怪火としての「狐の嫁入り」の様子が以下のように述べられている[2]

夜何時(いつ)何處(いづこ)共云う事なく折静かなる夜に、提灯或は炬の如くなる火凡(およそ)一里余も無間続きて遠方に見ゆる事有り。右何所にても稀に雖有、蒲原郡中には折節有之。これを児童輩狐の婚と云ひならはせり[注 1]

ここでは夜間の怪火が4キロメートル近く並んで見えることを「狐の婚」と呼ぶことが述べられており[3]、同様に新潟県中頚城郡や同県魚沼地方[4]秋田県[5]茨城県桜川市桜川市[6]、同県西茨城郡七会村[7](現・城里町)、同県常陸太田市[8]埼玉県越谷市や同県秩父郡東秩父村[4][9]東京都多摩地域[10]群馬県[4]栃木県[11]山梨県北杜市武川村[12]三重県[4]奈良県橿原市[13]鳥取県西伯郡南部町などで[14]、夜間の山野に怪火(狐火)が連なって見えるものを「狐の嫁入り」と呼ぶ[4]

地方によっては様々な呼び名があり、同様のものを埼玉県草加市石川県鳳至郡能都町(現・鳳珠郡能登町)では「狐の嫁取り(きつねのよめとり)[15][16]」といい、静岡県沼津市などでは「狐の祝言(きつねのしゅうげん)」とも呼ぶ[17][18]

日本で結婚式場の普及していなかった昭和中期頃までは、結婚式では夕刻の結婚先の家へ嫁いでゆく嫁が提灯行列に迎えられるのが普通であり[19]、連なる怪火の様子が松明を連ねた婚礼行列の様子に似ているため[20]、またはキツネが婚礼のために灯す提灯と見なされたためにこう呼ばれたものと考えられている[21][22]。嫁入りする者がキツネと見なされたのは、嫁入りのような様子が見えるにもかかわらず実際にはどこにも嫁入りがないことを、人を化かすといわれるキツネと結び付けて名づけられた[17][23]、または、遠くから見ると灯りが見えるが、近づくと見えなくなってしまい、あたかもキツネに化かされたようなため[19]、などの説がある。

かつて江戸の豊島村(現・東京都北区豊島、同区王子)でも、暗闇に怪火が連続してゆらゆらと揺れるものを「狐の嫁入り」と呼ばれており、これは同村に伝わる「豊島七不思議」の一つにも数えられている[24]

新潟県の麒麟山にもキツネが多く住み、夜には提灯を下げた嫁入り行列があったといわれる[25]。この新潟や奈良県磯城郡などでは、狐の嫁入りは農業と結び付けて考えられており、怪火の数が多い年は豊年、少ない年は不作といわれた[25][26]

地域によっては怪火が見えるだけではなく、実際に嫁入りの痕跡が見られるという伝承もある。埼玉県行田市では、谷郷の春日神社に狐の嫁入りがよく現れるといい、そのときには実際に道のあちこちにキツネの糞があったという[19]岐阜県武儀郡洞戸村(現・関市)では、怪火が見えるだけではなく、竹が燃えて裂ける音が聞こえるなどが数日続き、確かめてもそんな痕跡はないといわれた[27]

徳島県では、こうした怪火を嫁入りではなくキツネの葬式とし、死者の出る予兆としている[1]

これらの怪火の正体については、実際の灯を誤って見たか、異常屈折の光を錯覚したものとも考えられている[21]

天候に関する言い伝え

天気雨直後の様子

関東地方[4]中部地方[4]近畿地方[4]中国地方[4]四国[4]九州など[4]、日本各地で天気雨のことを「狐の嫁入り」と呼ぶ。

怪火と同様、地方によっては様々な呼び名があり、青森県南部地方では「狐の嫁取り[28]」、神奈川県茅ヶ崎市芹沢や徳島県麻植郡山類では「狐雨(きつねあめ)[28]」、千葉県東夷隅郡では同様に「狐の祝言[28]」という。千葉県東葛飾郡でも青森同様に「狐の嫁取り雨(きつねのよめどりあめ)」というが、これは、かつてこの地域の農家では嫁は労働力と見なされ、一家の繁栄のために子孫を生む存在として嫁を「取る」ものと考えられていたことに由来する[24]

天気雨をこう呼ぶのは、晴れていても雨が降るという嘘のような状態を、何かに化かされているような感覚を感じて呼んだものと考えられており[4]、ほかにも、山のふもとは晴れていても山の上ばかり雨が降る天気雨が多いことから、山の上を行くキツネの行列を人目につかせないようにするため、キツネが雨を降らせると考えられたとも[20]、めでたい日にもかかわらず涙をこぼす嫁もいたであろうことから、妙な天気である天気雨をこう呼んだとも[29]、日照りに雨がふるという異様さを、前述の怪火の異様さを転用して呼んだともいう[23]

狐の嫁入りと天候との関連は地方によって異なることもあり、熊本県ではが出たとき[4]愛知県ではが降ったときに狐の嫁入りがあるという[4]

古典・伝説での「狐の嫁入り」

前述までのように嫁入りを思わせる自然現象だけではなく、江戸時代の古書や、地方によっては伝説上にも、実際に嫁入りが見られたという話がある。

寛永時代の随筆『今昔妖談集』には江戸本所竹町[30]文政時代の草紙『江戸塵拾』には同じく江戸の八丁堀[24][31]寛政時代の怪談集『怪談老の杖』には上州(現・群馬県)神田村で[31]、それぞれ奇妙な嫁入り行列が目撃され、それが実はキツネだったという話がある。

このようにキツネ同士の婚礼をそれとなく人間たちに見せる話は、全国的に分布している[24]。一例として民間の伝承においては、埼玉県草加市の伝承で、戦国時代、ある女性が恋人と結婚を約束したにもかかわらず病死してしまい、その無念さがキツネに乗り移り、女性の葬られた場所の付近で狐の嫁入り行列が見られるようになったという伝説がある[15]。また信濃国(現・長野県)の民話では、ある老人が子ギツネを助けたところ、やがて成長したキツネが婚礼を迎え、老人に礼として引出物を持参したという話がある[24]。こうした嫁入りの話では、前述までのような自然現象および超自然の「狐の嫁入り」が舞台装置のように機能しており、日中の嫁入りは天気雨の中、夜間の嫁入りは怪火の中で行なわれることが多い[24]

特定の動作を行なうことで狐の嫁入りが見えるという伝承も各地にあり、福島県では旧暦10月10日の夕方にすり鉢を頭にかぶり、腰にすりこぎをさしてマメガキの下に立つ[32]愛知県では井戸に唾を吐き、指を組み合わせてその穴から覗くと、狐の嫁入りが見えるという[33]

茨城県龍ケ崎市女化神社

キツネ同士の結婚ではなく、人間の男性のもとにメスのキツネが嫁ぐ話もあり、代表的なものとしては、人形浄瑠璃にもなり、平安時代陰陽師安倍晴明の出生にまつわるものとしても知られる『葛の葉』が挙げられる[24]。このほかにも『日本現報善悪霊異記』や、1857年安政4年)の地誌『利根川図志』などに同様の話がある[24]。後者は、関東の諸葛孔明と喩えられる実在の武将栗林義長にまつわるもので[24]茨城県牛久市女化町の名の由来でもあり、同県龍ケ崎市女化神社としてキツネが祀られている[34]

また『今昔物語集』や、1689年元禄2年)の『本朝故事因縁集』、1696年(元禄9年)の怪談集『玉掃木』には、既婚の男のもとに、キツネがその妻に化けて現れる話がある[24]。ちなみに1677年延宝5年)の怪談集『宿直草』では逆に、オスのキツネが人間の女性に惚れ、その女の夫に化けて契り、異形の子供が生まれる話がある[24]

葛飾北斎画『狐の嫁入図』

関連作品

江戸時代浮世絵師葛飾北斎による『狐の嫁入図』では、天気雨のときには狐の嫁入りがあるという俗信に基き、狐の嫁入り行列と、突然の天気雨に驚いて農作物を取り込む人々の様子が描かれている[35](画像参照)。

同時代の俳諧師小林一茶の句にも「秋の火や山は狐の嫁入雨」とある[29]歌人正岡子規短歌で「青空にむら雨すぐる馬時狐の大王妻めすらんか[注 2]」と読んでいる。

人形浄瑠璃『壇浦兜軍記』(1732年初演)でも「たつた今までくわんくわんした天気であったが、ええ聞こえた、狐の嫁入のそばえ雨」とあり[4][22]、戦後では時代小説鬼平犯科帳』に「狐雨」と題した1篇がある[29]

『祝言狐のむこ入』。近世の作品とされるが、制作時期および作者は不詳。

そのほかに1785年天明5年)の『無物喰狐婿入』(北尾政美画)、1796年寛政8年)の『昔語狐娶入』(北尾重政画)、1799年(寛政11年)の『穴賢狐縁組』(十返舎一九画)などの江戸時代の草双紙黄表紙、『祝言狐のむこ入』『絵本あつめ草』といった江戸時代の上方絵本にも、擬人化されたキツネが嫁入りを行なう「狐の嫁入り」が描かれている[36]。これらは擬人化された動物の嫁入りを描いた「嫁入り物」と呼ばれる種類の作品だが、キツネたちに江戸の具体的な稲荷神の名前が付けられているという特徴がある[36]。このことは、稲荷信仰と嫁入り物の双方が江戸の庶民に深く浸透していたことを示すものと見られている[36]

民間では、高知県赤岡町(現・香南市)などで、「日和に雨が降りゃ 狐の嫁入り[注 3][注 4]」という童歌があり、天気雨の日には実際にキツネの嫁入り行列が見られるといわれた[37][38]

関連行事

前述の新潟県の麒麟山の嫁入り行列に由来する祭事として、同県東蒲原郡阿賀町津川地区では「狐の嫁入り行列」が行なわれている[25]。もとは狐火の名所として、昭和27年頃から狐火に関するイベントが行われており、一度は途絶えたこのイベントが、1990年に嫁入り行列を主体とした観光イベントとして復活されたもので、毎年4万人もの観光客で賑わっている(詳細は狐の嫁入り行列を参照)[39]

山口県下松市の花岡福徳稲荷社でも、毎年11月3日の稲穂祭で「きつねの嫁入り」が行なわれている[39]。こちらは怪火や天気雨には関連せず、同神社で古くから行なわれていた豊作祈願の稲穂祭が、戦後の混乱期に途絶えていたところを、地元の有志たちが、同神社で白いキツネの夫婦が失せ物捜しや五穀豊穣・商売繁盛の神として祀られていたことを参考にして、キツネ夫婦の結婚式を再現したものである[39]。下松市民の中からキツネ夫婦を演じる市民が選ばれるが、新婦役となった女性は良縁に恵まれることから、同神社は縁結びの利益もあるといわれている[39]

三重県四日市市海山道の海山道稲荷神社でも、毎年節分に「狐の嫁入り道中」の神事が行われる。こちらも江戸時代追儺として行なわれていたものが、やはり戦後に甦ったもので、その年の厄年の男女が、神使の総本家での小ギツネと、海山道稲荷神社の神使の家の娘のキツネに扮し、嫁入りの様子が再現され[40][41]、数万人の参拝客の賑わいを見せている[42]

脚注

注釈
  1. ^ 日野 1926, p. 76より引用。
  2. ^ 柴田 1963, p. 91より引用。
  3. ^ 近松他 1980, p. 551より引用。
  4. ^ 近森 1974, p. 37より引用。
出典
  1. ^ a b 村上 2005, p. 117
  2. ^ 日野 1926, p. 76.
  3. ^ 笹間良彦]『図説・日本未確認生物事典』柏書房、1994年、109頁。ISBN 978-4-7601-1299-9 
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 鈴木 1982, pp. 198–199 引用エラー: 無効な <ref> タグ; name "鈴木"が異なる内容で複数回定義されています
  5. ^ 武田鉄城「光と民俗(秋田県仙北郡角館町附近)」『旅と伝説』10巻5号(通巻113号)、三元社、1937年5月、30-32頁、NCID AN00139777 
  6. ^ 信仰」『調査報告 山梨県北都留郡小菅村長作 茨城県真壁郡大和村本木茂賀坪』5号、東京学芸大学民俗学研究会、1971年7月、94頁。 
  7. ^ 茨城県西茨城郡七会村」『民俗採訪』昭和45年度号、國學院大學民俗学研究会、1971年10月、NCID AN00313874 
  8. ^ 口承文芸」『町田の民俗』昭和61年度号、東洋大学民俗研究会、1988年3月、117頁。 
  9. ^ 田中正明東秩父旧槻川村の民俗」『秩父民俗』10号、秩父民俗研究会、1975年3月、NCID AN00142090 
  10. ^ 増田昭子・今越祐子「多摩の昔話」『常民文化研究』7号、常民文化研究会、1983年8月、37頁、NCID AN00332766 
  11. ^ 青木直記「見聞覚書」『民間伝承』22巻10号、民間伝承の会、1958年10月、28029頁、NCID AN00236605 
  12. ^ 信仰」『柳沢の民俗』29号、東京女子大学史学科民俗調査団、1996年3月。 
  13. ^ 比較民話研究会「奈良県橿原市・耳成の民話」『昔話 研究と資料』26号、日本昔話学会、1998年7月、NCID AN00313160 
  14. ^ 鳥取県西伯郡西伯町 調査報告書」『常民』25号、中央大学民俗研究会、1989年2月、169頁、NCID AN00116782 
  15. ^ a b 倉林他 1987, p. 833.
  16. ^ 石川県鳳至郡能都町 高倉地区 調査報告書」『常民』6号、中央大学民俗研究会、1967年11月、108頁、NCID AN00116782 
  17. ^ a b 飛田 1998, p. 58
  18. ^ 山崎祐子他 著、大島建彦他編 編『沼津市史』 資料編 民俗、沼津市、2002年、762頁。 NCID BN09985235 
  19. ^ a b c 大沢 1981, pp. 80–81
  20. ^ a b 武光 1998, p. 134
  21. ^ a b 渡辺 1985, p. 597
  22. ^ a b 尚学 1986, p. 442
  23. ^ a b 堀井 1995, p. 84
  24. ^ a b c d e f g h i j k 岡崎 1998, pp. 104–107
  25. ^ a b c つがわ 狐の嫁入り行列”. 阿賀町. 2013年6月15日閲覧。
  26. ^ 前田廣造「狐の嫁入」『民間伝承』4巻4号、民間伝承の会、1939年1月、4頁、NCID AN00236605 
  27. ^ 岐阜県武儀市洞戸村 調査報告書」『常民』24号、中央大学民俗研究会、1987年12月、122頁、NCID AN00116782 
  28. ^ a b c 静岡県方言研究会他 1987, p. 147
  29. ^ a b c 半藤 1999, p. 186
  30. ^ 角田義治『怪し火・ばかされ探訪』創樹社、1982年、28-29頁。ISBN 978-4-7943-0170-3 
  31. ^ a b 柴田 1963, pp. 91–93
  32. ^ 川端豊彦「カンプライモ」『民間伝承』4巻11号、民間伝承の会、1939年8月、9-10頁、NCID AN00236605 
  33. ^ 丸山学「唾考」『旅と伝説』8巻9号(通巻93号)、三元社、1935年9月、15頁、NCID AN00139777 
  34. ^ 稲垣泰一『となりの神様仏様』小学館、2004年、197頁。ISBN 978-4-09-362069-7 
  35. ^ 京極夏彦 著、多田克己・久保田一洋編 編『北斎妖怪百景』国書刊行会、2004年、58頁。ISBN 978-4-336-04636-9 
  36. ^ a b c 小池 1988, pp. 22–23
  37. ^ 近松他 1980, p. 551.
  38. ^ 近森 1974, pp. 37–38.
  39. ^ a b c d 村上 2008, pp. 8–11
  40. ^ 狐の嫁入り神事”. 海山道神社. 2013年6月16日閲覧。
  41. ^ こんな会社&こんな街”. 昭和四日市石油. 2013年6月16日閲覧。
  42. ^ “開運の社、ずらり20余”. YOMIURI ONLINE (読売新聞). http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/mie/kikaku/023/10.ht 2013年6月16日閲覧。 

参考文献