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「出雲大社教」の版間の差分

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== 沿革 ==
== 沿革 ==
1873年(明治6年)、千家尊福が布教のため創設した「出雲大社敬神講」を前身とする。[[1882年]](明治15年)の「'''[[神官]][[教導職]]分離令'''<ref>[http://www.izumotaisya-tokyobunshi.com/kora50.htm コラム その五十(特立130年に思うこと)] - 出雲大社東京分祠</ref>」によって神職の布教活動が原則禁止されたため、出雲大社より独立し別組織「神道大社派」(のちに「神道大社教」へ改称)となる。[[1951年]](昭和26年)、出雲大社は国家管理を離れ、1882年の分離令も失効したため、出雲大社に復帰合併し、出雲大社の職員が出雲大社教の職員を兼ねる。また教団名を「〜たいしゃきょう」から「'''〜おおやしろきょう'''」と改称する。
1873年(明治6年)、千家尊福が布教のため創設した「出雲大社敬神講」を前身とする。[[1882年]](明治15年)の「'''[[神官]][[教導職]]分離令'''<ref>[http://www.izumotaisya-tokyobunshi.com/kora50.htm コラム その五十(特立130年に思うこと)] - 出雲大社東京分祠</ref>」によって神職の布教活動が原則禁止されたため、出雲大社より独立し別組織「神道大社派」(のちに「神道大社教」へ改称)となる。[[1951年]](昭和26年)、出雲大社は国家管理を離れ、1882年の分離令も失効したため、出雲大社に復帰合併し、出雲大社の職員が出雲大社教の職員を兼ねる。また教団名を「〜たいしゃきょう」から「'''〜おおやしろきょう'''」と改称する。

== 教師の称号・等級 ==
*大教正 (一級)
*権大教正(二級)
*中教正 (三級)
*権中教正(四級)
*少教正 (五級)
*権少教正(六級)
*大講義 (七級)
*権大講義(八級)
*中講義 (九級)
*権中講義(十級)
*少講義 (十一級)
*権少講義(十二級)
*訓導  (十三級)
*権訓導 (十四級)<ref>『出雲大社教教規』出雲大社教教務本庁昭和58年6月9日発行全31頁中18頁
</ref>。



=== 年表 ===
=== 年表 ===

2015年10月7日 (水) 21:23時点における版

出雲大社教
(いずもおおやしろきょう)
祖霊社。左が御霊(霊魂)を祀るための拝殿。出雲大社社務所の西方にある。
略称 大社教
前身 出雲大社敬神講 → 神道大社派 → 神道大社教
設立 1873年
設立者 千家尊福
種類 宗教法人
法人番号 4280005003181 ウィキデータを編集
本部 日本の旗 日本 島根県出雲市大社町杵築東195(出雲大社社務所)
公用語 日本語
関連組織 出雲大社(大社教職員を兼務)
ウェブサイト [1]
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出雲大社教(いずもおおやしろきょう)は、1873年明治6年)、当時の出雲大社大宮司千家尊福(せんげたかとみ)が創設した教団である。教派神道(神道十三派)の一。

概要

島根県出雲市の出雲大社社務所内に本部(教務本庁)があり、出雲大社の職員が教職員を兼務している。布教機関は全国に渡り設けられていて、特に中国地方を中心とした西日本に多くの分祠教会等がある。教団としての組織性はあまり強くない。

統理者にあたる管長職は千家家が代々世襲している。2014年現在の管長は六代・千家隆比古である[1]

出雲大社附属の神職養成所である大社國學館では、卒業の際、神社本庁の神職の階位のほかに出雲大社教の教師資格も授与される。

教義

大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)を奉斎し、「生死一つながらの一如の道[注 1]」を説く。また、人間は「霊止(ひと)」として霊的な存在であり、親神のムスヒ幸魂・奇魂(さきみたま・くしみたま)の恩頼(みたまのふゆ)[注 2]によって先祖からの一貫した霊を継承し、現身(うつしみ)の誕生があるとする。

沿革

1873年(明治6年)、千家尊福が布教のため創設した「出雲大社敬神講」を前身とする。1882年(明治15年)の「神官教導職分離令[2]」によって神職の布教活動が原則禁止されたため、出雲大社より独立し別組織「神道大社派」(のちに「神道大社教」へ改称)となる。1951年(昭和26年)、出雲大社は国家管理を離れ、1882年の分離令も失効したため、出雲大社に復帰合併し、出雲大社の職員が出雲大社教の職員を兼ねる。また教団名を「〜たいしゃきょう」から「〜おおやしろきょう」と改称する。

教師の称号・等級

  • 大教正 (一級)
  • 権大教正(二級)
  • 中教正 (三級)
  • 権中教正(四級)
  • 少教正 (五級)
  • 権少教正(六級)
  • 大講義 (七級)
  • 権大講義(八級)
  • 中講義 (九級)
  • 権中講義(十級)
  • 少講義 (十一級)
  • 権少講義(十二級)
  • 訓導  (十三級)
  • 権訓導 (十四級)[3]


年表

  • 1873年明治6年) - 出雲大社が「出雲大社敬神講」を組織、社務所内に大社教院を設ける
  • 1875年(明治8年) - 全国の神道家によって神道事務局設立
  • 1882年(明治15年)
    • 1月 - 政府により、神官の布教および葬祭の禁止法令(神官教導職分離令)
    • 5月15日 - 出雲大社と分離、「神道大社派」の設立
    • 11月 - 「神道大社教」と改称、千家尊福が宮司職を後継へ譲り初代管長となる
  • 1886年(明治19年) - 祖霊社が出雲大社(銅鳥居前)を離れ、西方の現在地へ移転
  • 1951年昭和26年)4月 - 出雲大社と出雲大社教が復帰統合
  • 1982年(昭和57年) - 特立100周年祭
  • 1994年平成6年)- 初代管長生誕150周年祭

脚注

注釈

  1. ^ 人間とは、生に始まり死に終わるものではなく、幽世(かくりよ=あの世)と顕世(うつしよ=この世)が交互に連なる、一筋の道
  2. ^ 神を敬うことで得られる恩恵など

出典

  1. ^ 出雲大社教新管長に千家氏が就任 - 産経新聞 2014年6月19日
  2. ^ コラム その五十(特立130年に思うこと) - 出雲大社東京分祠
  3. ^ 『出雲大社教教規』出雲大社教教務本庁昭和58年6月9日発行全31頁中18頁

関連項目

外部リンク