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2016年6月8日 (水) 01:15時点における版

小林節
人物情報
生誕 (1949-03-27) 1949年3月27日(75歳)
東京都新宿区
国籍 日本の旗 日本
出身校 慶應義塾大学法学部法律学科卒業
慶應義塾大学大学院法学研究科博士課程修了
学問
研究分野 憲法学
学位 博士
学会 日本公法学会、日米法学会、国際憲法学会、比較憲法学会、全国憲法研究会、国際人権法学会、他
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小林 節(こばやし せつ、1949年3月27日 - )は、日本法学者弁護士。専門は憲法学慶應義塾大学名誉教授東京都出身[1]

日本公法学会、日米法学会、国際憲法学会、比較憲法学会、全国憲法研究会、国際人権法学会等の学会に所属。

経歴

1949年3月27日、東京都新宿区生まれ。

新宿区立淀橋第七小学校(現・新宿区立柏木小学校)から新宿区立淀橋中学校(現・新宿区立西新宿中学校)を経て、東京都立新宿高等学校に入学。同校では学年430人中400番以下の成績で[2]、高校2年の時、授業をサボタージュして歌舞伎町を徘徊し、成人映画を観るために映画館に入ったところを婦人警官に補導されたこともある[3]

1年間の浪人生活を経て、1968年慶應義塾大学法学部法律学科に入学。大学時代は当時隆盛を極めていた学生運動に背を向け、睡眠1日2時間[4]の生活を4年間貫いて伊東乾のもとで猛勉強を重ね、首席で卒業。

1974年から母校・慶應義塾大学に勤務し、1989年法学部教授に就任。2014年3月末で教授を退職[5]し、同年4月から慶應義塾大学名誉教授。2016年1月、「立憲政治を取り戻す国民運動委員会」(民間立憲臨調)を憲法学者・弁護士市民運動家・俳優・アイドル[6]など200人と共に立ち上げ事務局担当[7][8]

2016年4月頃からイタリアの「オリーブの木」に倣った「さくらの木構想」という参院比例区統一名簿案構想を模索し、2016年5月9日、政治団体「国民怒りの声」から確認団体として参院選出馬を表明。

立場

憲法改正

改憲論者(日本国憲法改正議論の頁も参照)として、サンデープロジェクト朝まで生テレビ!など多数のテレビ番組に出演している。かつては「1億人を守る戦争で3千人が死ぬのは『コスト』のうち」といった乱暴な議論も行っていたが、日本政府によるイラクインド洋への自衛隊員の派兵の際の成り行きを見て「こんなインチキな手段で(憲法を)改正されてはいけない」という思いを強くし、また娘が成長するのを見て少しずつ考えを改め、平和であることの意味を深く考えるようになったという[9][10]

日本国憲法第9条の改正については賛成の立場をとっている[11]が、日本国憲法第96条の改正や憲法内に「愛国の義務」や「家族は助け合わなければならない」というような道徳に関する事柄を明記することについては反対の立場をとっている[1]。また、安倍晋三の解釈改憲については「たいへん危険なこと」であると述べ[11]、安倍政権による憲法改正は実現させてはならないと主張している[1]

自らの改憲論と集団的自衛権に関する立場については、改憲派として知られるようになってから徐々に変化している。2015年6月15日、同じく憲法学者である長谷部恭男とともに臨んだ日本記者クラブでの記者会見において、日本にはどのような国際貢献が可能かと問われた際には「私、ここ二年の議論で真剣に考えて、ちょっと考えが変わりました。集団的自衛権というのは、私の考える憲法改正案でももういらない」と述べ、その上で、自らがより現実的と考える「専守防衛のとじこもり論」について簡潔に述べた[12]。なお、自衛隊(自衛軍)保持の明記を含む小林の改憲論は、複雑な解釈理論によって安全保障と両立されている現在の日本国憲法第9条に代え、自衛隊(自衛軍)の活動の要件についても憲法によって明示的に規定、制限する(具体的には、国益維持擁護に託けた侵略戦争は行わない、外国への派兵は国際連合安全保障理事会決議によってのみ行なう)など、より具体的な記述と禁止規定によって国家権力の暴走を抑制する立憲主義を強めるものである[13]

立憲主義

奥平康弘樋口陽一長谷部恭男ら著名な憲法学者をはじめ、人文学関係から理系まで多数の学者の呼びかけによって発足した「立憲デモクラシーの会」に、呼びかけ人の一人として名を連ねている[14]。立憲デモクラシーの会は、立憲主義の危機を訴え、立憲主義を守るために行動することを謳う学者団体であり、第2次安倍内閣及び第3次安倍内閣の集団的自衛権の行使容認等に反対を表明している。2015年6月4日、立憲主義や現行憲法(日本国憲法)制定の経緯などを議題として開かれた衆議院憲法審査会に長谷部恭男、笹田栄司とともに参考人の憲法学者として出席した際にも、2015年の通常国会で審議されている安全保障法案(平和安全法制)の、特に集団的自衛権行使の点について、長谷部・笹田両氏とともに「違憲」と表明した[15][16]

解釈改憲による集団的自衛権の行使に反対し、立憲主義の擁護を標榜する組織としては、立憲デモクラシーの会の他、「国民安保法制懇」に参加している[17]。なお、国民安保法制懇のメンバーのうち、憲法学者の樋口陽一、長谷部恭男、青井未帆らは、小林と同様に立憲デモクラシー会の呼びかけ人でもある。

その他

2008年11月、民間懸賞において「日本は侵略国家ではなかった」と論じた田母神俊雄(元・航空幕僚長)の論文に対して、「あまりにも稚拙な内容であり、(田母神俊雄は)発表の場にも細心の注意を払いつつ、学問的に語るべきである」といった主旨のコメントをしている[18]

宗教団体の政治参加を一部容認しており、会員ではないが創価学会公明党の機関誌への寄稿も50回以上にのぼる[19]。創価学会系の出版社である第三文明社によって出版された『大学教授になった不登校児』によると小林は池田大作名誉会長のことを、思いを込めて「池田大作博士」[20]と呼び、「男らしい」[21]「大好きだ」[21]と絶賛しているという。また、幸福実現党マニフェストにも期待を寄せている[22]

日本共産党創立93周年記念講演会にビデオメッセージを寄せ、「憲法擁護とか国民というレベルで考えたらね、共産党がいちばん頼りになります」「いま共産党、頑固な共産党があってくれるおかげで、私などは憲法擁護のたたかいがとてもとてもやりやすい。ですから93年、ほんとに深ーい思いをこめて、おめでとうございます、と言わせていただきます」等と祝意を表している[23]。小林は著名な改憲論者、日本共産党は改憲反対・護憲の立場であり、政策的な違いはあるが、安倍内閣による集団的自衛権の行使容認などに対しては、立憲主義の危機と捉え一致して反対の行動をとっている。その他、2015年、日本共産党が民主党など野党各党との選挙協力及び連立政権を視野に入れた「国民連合政府」構想を立てた際には、それに賛意を表し、志位和夫小池晃とともに、同党公式のインターネット番組に出演している[24]

いわゆる外国人参政権の導入に関しては、容認しない立場をとっている[25]。ただし、外国人参政権に道を開く憲法改正案を出した、東浩紀らとの話し合いにおいては、基本的には外国人参政権は認め難い(基本的には国籍を有することが参政権を得る条件である)としつつも、東らの改憲案に肯定的な評価をしていることを述べた上で、一定の条件下においては外国人参政権も認められるとの見解を述べるに至っている[26]

朝鮮学校に対してまで、「わが国の高校授業料無償化を適用するのは違法性がある」と反対している[27]

人物

  • 司法試験合格者ではないが、法学博士課程が設置された大学院を有する大学の法学部法律学科の教授を5年以上務めた事で、弁護士法第5条により1998年に弁護士登録[28]
  • 大学における講義中の学生の私語・携帯電話の使用・居眠りを禁止しており、学生を教室から追い出すこともある[29]
  • 政界にも人脈があり、特に自民党関係者と親密である[30]。自身の講義に現職の国会議員平沢勝栄[31]衆議院議員)をゲストとして招いたこともある。
  • が先天的に全て欠損しており義手のため、手袋を常用している(この障害の原因は、薬物副作用と推定されている[32])。この当時は世間の障害者に対する偏見・無理解がまだまだ強かったため、幼い頃からいじめを受けて育った他、成人後、母方の祖母から面と向かって「あなたのような片輪の孫が生まれて、うちの家はひどい迷惑を蒙った」[33]と言われたこともある。

略歴

学歴

留学

職歴

  • 1974 - 1979年 慶應義塾大学法学部助手
  • 1979 - 1983年 慶應義塾大学法学部専任講師
  • 1983 - 1989年 慶應義塾大学法学部助教授
  • 1989年 - 慶應義塾大学法学部教授(憲法・英米法担当)
  • 2014年 - 慶應義塾大学名誉教授

他に、人事院・公務員研修所(1999年 - )等各講師及びバーナビー・カレッジ学長特別顧問(1992年 - )、財団法人日本船舶振興会日本財団)理事(1994年)、財団法人アジア刑政財団評議員(1996年 - )、読売新聞社ブレーン(1996年 - )、弁護士(1998年 - )、大阪日日新聞(2002年 - )・日本海新聞客員論説委員、日体桜華高等学校校長・現学校法人日本体育大学理事(2010年 - 2014年)、エアリンク株式会社 社外取締役(2010年3月 - )等を兼務している。

また、山梨大学(1982年 - 1983年、1987 - 1990年)、日本大学(1983年 - 1991年)、駒澤大学(1984年 - 1985年)、国税庁・税務大学校(1986年 - 1988年)、国鉄・中央鉄道学園(1986年 - 1987年)、郵政省・電気通信研修所(1987 - 1990年)、東京文化短期大学(1988年 - 1989年)、防衛大学校(1993年 - 1996年)、北京大学(1995年)、消防庁・消防大学校(1996年)で教鞭をとり、郁文館学園中学校・高等学校郁文館国際高等学校校長を務めていた。

著書

単著

  • 『政治問題の法理』、日本評論社、1988年。
  • 『憲法守って国滅ぶ――私たちの憲法をなぜ改正してはいけないのか』、ベストセラーズ・ワニの本、1992年。
  • 『宗教は政治参加の権利を持つ――憲法二十条の正しい読み方』、潮出版社、1996年。
  • 『憲法と政治』、潮出版社、1999年。
  • 『国家権力の反乱――新貸金業法は闇金を利するだけではないか』、日新報道、2008年。ISBN 978-4817406590
  • 『「憲法」改正と改悪――憲法が機能していない日本は危ない』、時事通信出版局、2012年。ISBN 978-4788711792
  • 『白熱講義! 日本国憲法改正』、ベスト新書、2013年。ISBN 978-4584124055
  • 『白熱講義! 集団的自衛権』、ベスト新書、2014年。
  • 『憲法改正の覚悟はあるか――主権者のための「日本国憲法」改正特別講座』、ベストセラーズ、2015年。

共著

関連書籍

  • 久保治雄、『大学教授になった不登校児――「傷心キッズ」に贈る応援歌』、第三文明社、1998(小林の高校・大学・大学院時代に詳しい伝記)

弟子

脚注

  1. ^ a b c 小林節 (26 April 2013). "改憲論者が体を張って反対する自民党憲法改正草案愛される政治をせずして愛国を強要するストーカー的発想~小林節氏" (Interview). Interviewed by 安川昌之. 日本ビジネスプレス. 2013年7月18日閲覧
  2. ^ 久保治雄『大学教授になった不登校児』p.53(第三文明社1998年
  3. ^ 久保治雄『大学教授になった不登校児』p.43-44(第三文明社、1998年)
  4. ^ 久保治雄『大学教授になった不登校児』p.66(第三文明社、1998年)
  5. ^ 小林節教授最終講義のご案内”. 慶應義塾大学 法学部. 2014年1月閲覧。
  6. ^ 制服向上委員会橋本美香も参加
  7. ^ 「立憲政治を取り戻す」団体結成 200人が参加 共同通信 2016年1月19日
  8. ^ 立憲主義回復へ情報発信 戦争法反対する学者らが「会」 結成記者会見 しんぶん赤旗 2016年1月20日
  9. ^ 「沈黙する憲法」(北海道新聞2009年4月30日号)
  10. ^ 改憲の動き強める政権、改正論者も疑問 識者3人に聞く 朝日新聞(2015年5月4日)2015年6月17日閲覧。
  11. ^ a b 「お坊ちゃま改憲論」安倍政権の危険な解釈改憲 日本ビジネスプレス2013年4月26日、2015年6月17日閲覧。
  12. ^ 小林節慶応大学名誉教授、長谷部恭男早稲田大学法学学術院教授「憲法と安保法制」①2015.6.15(YouTube・日本記者クラブの公式チャンネルより)1時間2分5秒経過あたりから――この日は、日本記者クラブとともに日本外国特派員協会でも会見が行われ、小林節・長谷部恭男両氏は、安倍内閣の提出によって国会で審議中である安全保障関連法案(平和安全法制整備法案)について、特に集団的自衛権の行使にかかわる部分に対してその違憲性を訴え、法案の撤回を求めるスピーチを行っていた。
  13. ^ 著書『「憲法」改正と改悪』及び『白熱講義! 日本国憲法改正』などを参照。
  14. ^ 「立憲デモクラシーの会」呼びかけ人
  15. ^ 東京新聞「安保法案 参考人全員「違憲」 衆院憲法審 与党推薦含む3氏」
  16. ^ ハフィントンポスト「集団的自衛権は違憲です」憲法審査会で専門家3人、全員ノーを突きつける
  17. ^ 国民安保法制懇
  18. ^ 「田母神論文は、民族派の主張と同じであまりに稚拙だ。国家と軍事力に関する部分は、現職の空自トップが言っていい範囲を明らかに逸脱した政治的発言で、シビリアンコントロール(文民統制)の根幹を揺るがす。諸国に仕掛けられた戦争だったとしても、出て行って勝とうとしたのも事実で、負けた今となって「はめられた」と言っても仕方がない。現在の基準や戦争相手国の視点で見れば、日本アジア諸国を侵略したのは間違いのない事実だ。世界史に関する“新説”を述べるのは自由だが、発表の場にも細心の注意を払い、学問的に語るべきだ」(『東京新聞』2008年11月1日朝刊)
  19. ^ 小林節 園田康博『憲法』、参考文献
  20. ^ 久保治雄『大学教授になった不登校児』p.190(第三文明社、1998年)
  21. ^ a b 久保治雄『大学教授になった不登校児』p.191(第三文明社、1998年)
  22. ^ 「一刀両断」(大阪日日新聞2009年6月2日号)
  23. ^ しんぶん赤旗「共産党創立93周年記念講演会ビデオメッセージ」2015年7月19日
  24. ^ 戦争法廃止へ日本共産党の提案――国民連合政府の実現を
  25. ^ 「一刀両断」(大阪日日新聞 2009年12月15日号)
  26. ^ 2014年5月13日、ゲンロンカフェにおけるイベント、小林節×ゲンロン憲法委員会(境真良西田亮介東浩紀)「憲法から考える国のかたち―人権、統治、平和主義」。
  27. ^ 「一刀両断」(大阪日日新聞 2010年8月10日号)
  28. ^ 同様のシステムで1982年三ヶ月章、1983年加藤一郎、2004年菊田幸一
  29. ^ 「私語は授業妨害」学部長が掲示 モンスター大学生が増えた!”. ジェイ・キャスト (2008年11月14日). 2013年7月29日閲覧。
  30. ^ 「沈黙する憲法」(北海道新聞2009年4月30日号)
  31. ^ 平沢勝栄・小林節 『憲法、危篤!』(KKベストセラーズ、2002年10月)
  32. ^ 久保治雄『大学教授になった不登校児』p.8(第三文明社、1998年)
  33. ^ 久保治雄『大学教授になった不登校児』p.12(第三文明社、1998年)
  34. ^ 小林節 園田康博『憲法』190頁
  35. ^ 駒村圭吾『権力分立の諸相』南窓社、2000年「あとがき」ISBN 978-4816502477
  36. ^ 鈴木秀美『放送の自由』信山社出版、2000年「あとがき」ISBN 978-4797221657
  37. ^ 小林節先生 論文指導 竹田恒泰の楚々たる日々 2016年1月15日閲覧
  38. ^ 小林節『タカ派改憲論者はなぜ自説を変えたのか―護憲的改憲論という立場』皓星社、2015年、261頁以下(「解説」)
  39. ^ 応援メッセージ 梅津ようせいHP 2016年1月15日閲覧
  40. ^ 応援メッセージ 梅津ようせいHP 2016年1月15日閲覧
  41. ^ 第164回国会 日本国憲法に関する調査特別委員会 第11号(平成18年5月18日(木曜日)) 2016年1月15日閲覧
  42. ^ 土日の活動報告 2011年11月14日 オフィシャルサイト 2016年1月15日閲覧
  43. ^ 平成27年第3回総務委員会(6月24日) 東大和市HP 2016年1月15日閲覧
  44. ^ 市民集会第2回目 平成26年月11日夜 ピースウイングHP 2016年1月15日閲覧
  45. ^ 山形市長選で飛び出した 遠藤五輪担当相の“知事恫喝”疑惑 日刊ゲンダイ 2015年9月9日付 2016年1月23日閲覧
  46. ^ あえば直道の履歴書 あえば直道のブログ 2016年1月15日閲覧
  47. ^ “あすわか”弁護士急増中28人→340人 自民改憲案に危機感 しんぶん赤旗 2014年9月24日 2016年1月15日閲覧

関連項目

外部リンク