「鈴木義雄 (鈴屋)」の版間の差分
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2016年6月8日 (水) 02:18時点における版
すずき よしお 鈴木 義雄 | |
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生誕 |
1925年11月28日(99歳) 大日本帝国・東京府東京市下谷区 (現: 日本・東京都台東区下谷) |
出身校 | 慶應義塾大学 |
職業 | 実業家 |
子供 | 鈴木 健司 |
鈴木 義雄(すずき よしお、1925年(大正14年)11月28日 - )は、日本の実業家である。株式会社鈴屋の社長や会長のほか、日本専門店協会会長などを歴任した。
人物
紳士服を扱う東京府・下谷の被服店 『鈴木シャツ被服店』の長男として生まれた。実姉は、後に呉服店「鈴乃屋」を興す小泉清子であった。
1950年(昭和25年)、慶應義塾大学経済学部を卒業し、伊藤萬東京店貿易部に勤務した[1]。
1954年(昭和29年)になると生家である鈴木シャツ被服店に移った[1]。専務として同店に就任した彼は、それまで紳士服店だった鈴木シャツ被服店を婦人服専門店とするとともに、21〜22歳の独身女性を主な対象とするブランド『SUZUYA(スズヤ)』を始めた[2]。また、同時に会社を「鈴屋」に改称した[1]。
1962年(昭和37年)には社長に就任、1970年代にかけて鈴屋を婦人服専門店の最大手とし、日本チェーンストア協会副会長、日本小売協会副会長、日本専門店協会会長などを歴任した[2]。これらのなかで、日本専門店協会は、鈴木が中心になって1988年(昭和63年)10月4日に設立し、自身が初代会長に就任したものであった[3]。また、1976年(昭和51年)には大型商業施設、「青山ベルコモンズ」を、東京・青山に完成させた。
しかしながら、鈴屋は1990年代後半から経営難となり、一時は姉・小泉清子の呉服店・鈴乃屋の支援などを受けて不渡りの危機をしのぐなどしたものの、1999年(平成11年)に和議を申請し、事実上倒産した[1]。