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2016年6月8日 (水) 04:18時点における版
悠仁親王 | |
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秋篠宮家 | |
続柄 | 秋篠宮文仁親王第一男子(今上天皇皇孫) |
全名 | 悠仁 |
身位 | 親王 |
敬称 | 殿下 |
お印 | 高野槇 |
出生 |
2006年9月6日(18歳) 日本・東京都港区、愛育病院 |
父親 | 秋篠宮文仁親王 |
母親 | 秋篠宮妃紀子 |
皇室 |
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悠仁親王(ひさひとしんのう、2006年〈平成18年〉9月6日 - )は、日本の皇族。秋篠宮文仁親王と同妃紀子の第一男子。身位は親王。皇室典範に定める敬称は殿下。お印は高野槇。皇位継承順位第3位。今上天皇の孫にあたり(皇孫)、姉に眞子内親王と佳子内親王がいる。
住居は東京都港区元赤坂二丁目の赤坂御用地内にある秋篠宮宮邸。
略歴
2006年(平成18年)9月6日 午前8時27分、東京都港区の愛育病院にて誕生した。出生時の身長は48.8cm、体重は2558g。
日本の皇族としては史上初めて帝王切開により誕生した。秋篠宮家においては佳子内親王以来12年ぶりの子女の誕生であり、皇室においては父である秋篠宮文仁親王以来41年ぶりの男子である。
誕生当日に、賜剣の儀が行われ、祖父である今上天皇から守り刀(天田昭次作)が贈られた[1]。9月12日、命名の儀が行われ「悠仁」と名付けられた。「ゆったりとした気持ちで、長く久しく人生を歩んでいくことを願って」、また過去の皇族との重複を避けつつ音と意味を重視して、父・秋篠宮文仁親王が字を選んだ[2]。家族からは「ゆうゆう」の愛称で呼ばれている[3]。お印は高野槇で、「大きく、まっすぐに育ってほしい」との思いが込められている[2]。
誕生の前年、2005年(平成17年)には皇族男子の不足から皇位継承問題が表面化していたこともあり、各地で奉祝をもって迎えられた。明治神宮をはじめ、各地の神社・神社庁で、神輿の奉納・提灯行列・奉祝行進など祝賀行事が行われた。悠仁親王の誕生によって、皇統断絶の危機が当面は解消されたことで、皇室典範改正案の提出は見送られた。
愛育病院からの退院時、宮邸のある赤坂御用地までの沿道には約1800人が集まった。警備は警視庁の機動隊など計1200人態勢で行なわれた[4]。
2010年(平成22年)4月にお茶の水女子大学附属幼稚園に入園した。母である秋篠宮妃紀子が同大学を拠点に研究活動を行っていることから、女性研究者を支援するために同大学が創設した特別入園制度での合格によるもので[5]、悠仁親王が適用第一号である。
2011年(平成23年)春にも、着袴の儀が予定されていたが、東日本大震災を受け延期された[6]。同年11月3日、赤坂東邸で、着袴の儀と深曽木の儀に臨んだ[7]。
2012年(平成24年)11月7日、秋篠宮・秋篠宮妃とともに奈良県橿原市の神武天皇陵に参拝し、玉串をささげた[8]。悠仁親王が御陵を参拝するのはこれが初めてである。
同年12月14日、2013年(平成25年)4月にお茶の水女子大学附属小学校へ入学することが発表された[9]。戦後、皇族が学習院初等科以外の小学校に入学するのは初めてである。2013年4月7日、両親の文仁親王と紀子妃とともに、小学校の入学式に参加した[10]。
2013年(平成25年)3月15日、お茶の水女子大学附属幼稚園卒業につき、両親の文仁親王と紀子妃とともに、武蔵野陵(昭和天皇陵)と武蔵野東陵(香淳皇后陵)を参拝した。同年3月25日から2日間、三重県の伊勢神宮に参拝した。
同年12月10日、沖縄県糸満市にある沖縄戦跡国定公園に供花、平和の礎を見学した。
逸話
誕生に際して
ご懐妊
秋篠宮文仁親王・紀子妃はご懐妊報道の前年9月24日に兵庫県豊岡市にて開催されたコウノトリの放鳥記念式典へ参加しており、「コウノトリが赤ん坊を運んでくる」といういわれが現実となったかのような出来事となった。
祝辞
誕生時には、21か国の元首から天皇・皇后夫妻へ、31か国の元首から天皇へ、それぞれ皇孫誕生の祝電が寄せられた[11]。タイ政府は、タイ王室にも前年に王孫が誕生していることをあげ、両国の親密さを示したと思えるとコメントした。インドネシアのユドヨノ大統領は、2006年(平成18年)11月27日に来日した際に天皇との会談において「国をあげて悠仁親王殿下の誕生をお祝いしております」と述べた。
祝賀
天皇・皇后夫妻が初めて見舞いに訪れた際には、白いベビーシューズを母子に贈った。この靴は、悠仁親王1歳の誕生日の記念写真でソファ脇の机に飾られているのを見ることができる[12]。
トルコのトプカプ宮殿博物館からは国宝「金のゆりかご」が貸し出され、2007年(平成19年)8月から9月まで東京都美術館で開催された「トプカプ宮殿至宝展」で特別展示された[13]。これは門外不出の国宝で、トプカプ宮殿博物館館長の厚意により実現したもの。
お印が高野槇と決まった後、高野槇を市の木とする岐阜県中津川市の中津川観光協会が高野槇の写真入のパンフレット用紙袋を製作した。また高野槇の名の由来である高野山への交通手段である南海電気鉄道では、誕生記念として難波駅で高野槇1000本を乗客に無料配布した。
記帳所
悠仁親王は皇室では41年ぶりの男子誕生だったが、宮内庁はあくまで一宮家の生まれであるとして誕生を祝うための記帳所を設けなかった。しかし地方自治体や寺社などでは独自に記帳所を設けたところもあった。
国内外メディアの報道
悠仁親王の誕生は世界各国のメディアで報道された。王室を持つイギリスでは日本の皇位継承問題に関心があったこともあり、BBCニュースはトップニュースで報道[14]。アメリカのCNNでは速報で東京特派員が「It's a boy!」と伝えた。またアメリカのニューヨーク・タイムズ紙電子版やTIME誌[15]、中国の新華社通信、韓国の聯合ニュースや朝鮮日報紙[16]なども速報記事や特集記事を出した。また日本国内でも各メディアが報じたが、独立局である三重テレビでは10:59のスポットCM枠で特設ニュース枠が設けられ報じられた。
系譜
悠仁親王 | 父: 文仁親王(秋篠宮) |
祖父: 今上天皇 |
曾祖父: 昭和天皇 |
曾祖母: 香淳皇后 | |||
祖母: 美智子 |
曾祖父: 正田英三郎 | ||
曾祖母: 正田富美子 | |||
母: 紀子 |
祖父: 川嶋辰彦 |
曾祖父: 川嶋孝彦 | |
曾祖母: 川嶋紀子 | |||
祖母: 川嶋和代 |
曾祖父: 杉本嘉助 | ||
曾祖母: 杉本栄子 |
系図
122 明治天皇 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
123 大正天皇 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
124 昭和天皇 | 秩父宮雍仁親王 | 高松宮宣仁親王 | 三笠宮崇仁親王 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
125 上皇 | 常陸宮正仁親王 | 寬仁親王 | 桂宮宜仁親王 | 高円宮憲仁親王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
126 今上天皇 | 秋篠宮文仁親王 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
悠仁親王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
称号・宮号の有無や敬称の表記など
一宮家(秋篠宮家)の生まれであり、また当主ではないため、「礼宮」のような称号は持たず「秋篠宮」という宮号も冠さない。
身位・敬称を含めた表現は宮内庁公式HPでは「悠仁親王殿下」と表記している。なお、宮家の嗣子を呼ぶ際の古い慣習(詳細は若宮を参照)に従えば「秋篠若宮」と呼称することができる。 ただし、幼稚園においては姉の眞子内親王・佳子内親王同様、便宜上「秋篠宮」を名字の代わりとして用いている[注釈 1]。
出典・注釈
出典
- ^ 2006年(平成18年)9月7日 読売新聞「紀子さまご出産 「お祝いありがとう」 陛下、国際会議で予定外のお言葉」
- ^ a b 2006年(平成18年)9月13日 読売新聞「秋篠宮家ご長男に命名 『悠仁さま』 ゆったりと長い人生を願い」
- ^ “皇室:「ゆうゆう」より大きいよ 秋篠宮ご夫妻、千葉・鴨川を旅行”. 毎日新聞. (2012年4月9日) 2013年10月18日閲覧。
- ^ “紀子さまと悠仁さま退院”. 東奥日報. (2006年9月15日) 2013年10月18日閲覧。
- ^ 2009年(平成21年)12月3日 読売新聞「悠仁さまがお茶大幼稚園へ 3年保育、来春から」
- ^ 週刊朝日 2011年(平成23年)4月29日号「天皇ご夫妻が見せた「決意」と「象徴天皇」の形」
- ^ 2011年(平成23年)11月3日 時事通信「悠仁さま、着袴と深曽木の儀=成長祝い、男子で41年ぶり」
- ^ “悠仁さま、神武天皇陵を参拝”. 日本経済新聞. (2012年11月7日) 2013年10月18日閲覧。
- ^ “悠仁さま お茶の水女子大付属小学校に”. MSN産経ニュース (産業経済新聞社). (2012年12月14日). オリジナルの2013年4月13日時点におけるアーカイブ。 2013年10月19日閲覧。
- ^ “悠仁さま、お茶の水女子大付属小学校にご進学”. MSN産経ニュース (産業経済新聞社). (2013年4月7日). オリジナルの2013年9月28日時点におけるアーカイブ。 2013年10月19日閲覧。
- ^ 官報本紙皇室事項欄(2006年(平成18年)11月10日付及び同年12月13日付)。
- ^ “悠仁さま満1歳”. 読売新聞. (2007年9月6日) 2013年10月18日閲覧。 ※写真2枚目
- ^ “休日お出かけ情報 トプカプ宮殿の至宝展”. 日経BP 2011年9月29日閲覧。
- ^ “Japan princess gives birth to boy”. BBC NEWS. (2006年9月6日)
- ^ Walsh, Bryan (2006年9月5日). “Japan Celebrates: It's a Boy!”. TIME
- ^ “【速報】秋篠宮紀子妃、男児出産”. Chosun Online (朝鮮日報). (2006年9月6日). オリジナルの2007年9月1日時点におけるアーカイブ。 2013年10月19日閲覧。
注釈
- ^ 2010年(平成22年)4月9日 朝日新聞「悠仁さま、幼稚園の入園式」
入園式では"秋篠宮悠仁さん"と呼ばれた
関連項目
外部リンク
- ウィキソースには、文仁親王妃紀子殿下は、愛育病院において御出産、親王が御誕生になった件の原文があります。
- ウィキソースには、御誕生になった文仁親王殿下の第一男子は、御名を悠仁と御命名になった件の原文があります。
- 文仁親王同妃両殿下(秋篠宮) - 秋篠宮夫妻と子女の紹介(宮内庁)