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「うたごえ運動」の版間の差分

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[[阿久悠]]は歌声喫茶には行かず、モダンジャズ喫茶に行っていたことを回想している<ref>[[阿久悠]] 『愛すべき名歌たち <small>私的歌謡曲史</small>』 [[岩波新書]] 新赤版625 ISBN 4004306256、87p</ref>。[[山本夏彦]]は、テレビ番組の[[懐メロ]]企画において、[[古賀政男]]のヒット曲は出ても、うたごえ運動からのヒット曲は一つも出てこないことを指摘している<ref>[[山本夏彦]] 『男女の仲』 [[文春新書]] 341 ISBN 4166603418、262p</ref>。
[[阿久悠]]は歌声喫茶には行かず、モダンジャズ喫茶に行っていたことを回想している<ref>[[阿久悠]] 『愛すべき名歌たち <small>私的歌謡曲史</small>』 [[岩波新書]] 新赤版625 ISBN 4004306256、87p</ref>。[[山本夏彦]]は、テレビ番組の[[懐メロ]]企画において、[[古賀政男]]のヒット曲は出ても、うたごえ運動からのヒット曲は一つも出てこないことを指摘している<ref>[[山本夏彦]] 『男女の仲』 [[文春新書]] 341 ISBN 4166603418、262p</ref>。

== ドイツでの「うたごえ運動」 ==
[[20世紀]]初頭、[[ドイツ]]で医師のハンス・ブロイヤー([[:de:Hans Breuer (Arzt)]])が「'''青少年音楽運動'''([[:de:Jugendmusikbewegung]])」を提唱した。古い時代の合唱曲やドイツ民謡をギターなどの伴奏楽器で取り上げ、芸術を民衆に近づける目的があったとされる。また近い目的の運動として[[ワンダーフォーゲル]]運動も同時期にドイツで始まっている。

その中でも特に第一次世界大戦後の[[1923年]]頃からの活動を、「'''うたごえ運動'''(''Singbewegung'')」と称する。この時期の活動の中心人物に、ヴァルター・ヘンゼル([[:de:Walther Hensel (Musikerzieher)]])やフリッツ・テーデ(Fritz Töde)などがいる。

[[ナチス]]が政権を握った[[1933年]]以降、この運動はナチスの組織に吸収されていった。<ref>クルト・トーマス 『合唱指揮教本1』 糸賀英憲・天野晶吉訳、音楽之友社、1965年、17頁。</ref>


== 脚注 ==
== 脚注 ==

2016年9月12日 (月) 16:26時点における版

日本共産党 > うたごえ運動

うたごえ運動(うたごえうんどう)は、第二次世界大戦後の日本における、合唱団の演奏活動を中心とした、大衆的な社会運動政治運動である。共産主義、もしくは社会民主主義を思想的な基盤として、労働運動学生運動と結びつきながら、全国各地の職場、学園、居住地に合唱サークルを組織し、1950年代 - 1960年代にその最盛期を迎えた。声楽家関鑑子が運動の創始者とされる[1]

うたごえ運動においては、「うたごえ」と平仮名表記を行う。これは、初代団長・清宮正光が中央合唱団の機関紙名として、「当時まで中学も出られなかったような労働者を広く対象にして運動する目的からです」との趣旨でつけたのがはじまりとされている[2]

概説

革命歌労働歌平和のうたロシア民謡などをレパートリーとしつつ、歌の創作活動も行う。

うたごえ運動は、1960年代に職場や学生のサークル、当時流行した歌声喫茶などを拠点に、日本全国での普及をみた。「歌ってマルクス、踊ってレーニン」というキャッチコピーが用いられた[3]。また、日本の工業化や農村離れが進むなか、失われつつある民謡や演舞などを再発掘する、民族主義的な側面も持ち合わせていた。柴垣和夫はこの運動の流行原因を、これらの歌(ロシア民謡や日本の大衆運動の中から生まれた歌)には多かれ少なかれ、抑圧に対する抵抗や反戦平和を訴える歌詞と、流行歌やラジオ歌謡にはない斬新なメロディーが含まれていて、青年や学生の心を捉えたと分析している[4]

「日本のうたごえ全国協議会」は2013年の段階で、加盟団体(うたごえサークル)の達成目標数を「500団体」としている[5]

歴史

日本のうたごえ実行委員会の声明(「うたごえ新聞」1960年6月11日号より)
日本共産党主催赤旗まつり内企画としての「うたごえ喫茶」(2010年東京)
赤旗まつりで模擬店を出すうたごえ団体(2010年東京)

うたごえ運動とポピュラー音楽

創作を活動の源泉とするうたごえ運動であるが、荒木栄などが活動した1960年頃から1970年代初頭までの間は、自分たち以外の音楽ジャンルについて、ジャズポップスアメリカ帝国の日本への文化侵略、演歌や歌謡曲は単なる大衆迎合などという解釈を与えていた。また、当時流行していた「反戦フォーク」等に対しては、「社会派歌謡曲」「資本に泳がされている」「大衆の不満をそらすためのガス抜き弁」等との解釈を与え、ほぼ敵対に近い状態であった。

1970年代になって安保闘争など左翼の大衆運動が衰退すると、今度はポップスを研究して新しい傾向の創作を始めた。

また、日本のポピュラー音楽界にも、もんたよしのり[17]上條恒彦さとう宗幸[18]のように、歌声喫茶のリーダーの経験者もいる。いずみたくは、うたごえ運動より、日本のポップスの作曲を多く手がけている。

うたごえと労働運動

「うたは闘いとともに」のスローガンのもと、企業で不当差別されている人を励ます曲が多く創作されている。また1960年代には、職場・学園・地域にうたごえ活動家を育成し、その思想的・政治的・芸術的資質を高めることが、日本共産党の文化・大衆活動における重要課題であった。1960年安保闘争三池闘争を経験したうたごえ活動家たちの中から、大勢の入党者が生まれたとされる[19]

うたごえでよく歌われる歌

うたごえ運動でよく歌われる歌は、みんなで歌いやすく、広く普及している歌が中心である。ロシア民謡やフォークソングもよく歌われる。

阿久悠は歌声喫茶には行かず、モダンジャズ喫茶に行っていたことを回想している[20]山本夏彦は、テレビ番組の懐メロ企画において、古賀政男のヒット曲は出ても、うたごえ運動からのヒット曲は一つも出てこないことを指摘している[21]

ドイツでの「うたごえ運動」

20世紀初頭、ドイツで医師のハンス・ブロイヤー(de:Hans Breuer (Arzt))が「青少年音楽運動de:Jugendmusikbewegung)」を提唱した。古い時代の合唱曲やドイツ民謡をギターなどの伴奏楽器で取り上げ、芸術を民衆に近づける目的があったとされる。また近い目的の運動としてワンダーフォーゲル運動も同時期にドイツで始まっている。

その中でも特に第一次世界大戦後の1923年頃からの活動を、「うたごえ運動Singbewegung)」と称する。この時期の活動の中心人物に、ヴァルター・ヘンゼル(de:Walther Hensel (Musikerzieher))やフリッツ・テーデ(Fritz Töde)などがいる。

ナチスが政権を握った1933年以降、この運動はナチスの組織に吸収されていった。[22]

脚注

  1. ^ うたごえ運動(うたごえうんどう)とは”. コトバンク. 2016年6月29日閲覧。
  2. ^ 河西秀哉 (2013年3月4日). “うたごえ運動の出発 - 中央合唱団『うたごえ』の分析を通じて” (PDF). 神戸女学院大学. p. 90. 2016年6月29日閲覧。
  3. ^ 伴野準一 『全学連と全共闘』 平凡社新書 552 ISBN 978-4582855524、29p
  4. ^ 柴垣和夫 文庫判『昭和の歴史9 講和から高度成長へ 国際社会への復帰と安保闘争小学館 ISBN 4094011099、195-196p
  5. ^ 13全国総会 • 方針 - 日本のうたごえ全国協議会” (DOC). 日本のうたごえホームページ. p. 14. 2016年6月29日閲覧。
  6. ^ 藤本洋「うたは闘いとともに-うたごえの歩み-」(東京、音楽センター 1980年)
  7. ^ a b c 関鑑子追想集編集委員会 編「大きな紅ばら: 関鑑子追想集」(音楽センター 1981年)関鑑子略年譜
  8. ^ 「うたごえ新聞」1954年12月15日号 「うたごえ新聞」サイト (PDF)
  9. ^ 「うたごえ新聞」1956年2月20日付「関先生と語る美空ひばりさん」 「うたごえ新聞」サイト (PDF)
  10. ^ 「うたごえ新聞」1960年5月6日号 「うたごえ新聞」サイト (PDF)
  11. ^ 沖縄のうたごえ運動編集委員会「ひびけ平和のうたごえ-米軍占領下の沖縄のうたごえ運動」(あけぼの出版 2004年)83ページ
  12. ^ 歌劇「沖縄」-1967~69年、部分試演と全幕上演の日程 - 歌劇「沖縄」演奏団”. 歌劇「沖縄」演奏団. 2016年7月3日閲覧。
  13. ^ 「うたごえ新聞」1970年1月1日・10日合併号 「うたごえ新聞」サイト (PDF)
  14. ^ 国立国会図書館サーチ「季刊日本のうたごえ」
  15. ^ a b うたごえ年表「1970年代」”. うたごえサークル「おけら」. 2016年7月3日閲覧。
  16. ^ a b 前衛』1974年12月増刊号118~120ページ、日本のうたごえ全国協議会幹事長(当時)藤本洋の報告。
  17. ^ 読売新聞社会部 『東京今昔探偵 古写真は語る中公新書ラクレ 012 ISBN 4121500121、165p
  18. ^ 渡辺裕 『歌う国民 唱歌、校歌、うたごえ中公新書 2075 ISBN 978-4121020758、264p
  19. ^ アカハタ』1960年12月9日号所載の論説“「日本のうたごえ祭典」を迎えて”
  20. ^ 阿久悠 『愛すべき名歌たち 私的歌謡曲史岩波新書 新赤版625 ISBN 4004306256、87p
  21. ^ 山本夏彦 『男女の仲』 文春新書 341 ISBN 4166603418、262p
  22. ^ クルト・トーマス 『合唱指揮教本1』 糸賀英憲・天野晶吉訳、音楽之友社、1965年、17頁。

関連項目

外部リンク