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2016年11月6日 (日) 08:03時点における版

ジャスティン・ティンバーレイク
Justin Timberlake
2016年7月撮影
基本情報
出生名 ジャスティン・ランダル・ティンバーレイク
別名 JT
生誕 (1981-01-31) 1981年1月31日(43歳)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国テネシー州メンフィス
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国・テネシー州シェルビーフォレスト
ジャンル ポップR&B
職業 シンガーソングライターミュージシャン音楽プロデューサーダンサー俳優
担当楽器 鍵盤楽器ギターヒューマンビートボックス
活動期間 1993年 - 現在
レーベル ジャイヴ・レコード アメリカ合衆国の旗
BMG JAPAN 日本の旗
共同作業者 イン・シンクブリトニー・スピアーズティンバランドT.I.ザ・ネプチューンズクリスティーナ・アギレラデュラン・デュランマドンナネリー・ファータドThe Y'sアンディー・サンバーグエスミー・デンターズ

ジャスティン・ランダル・ティンバーレイク(Justin Randall Timberlake, 1981年1月31日[1] - )は、アメリカ合衆国男性シンガーソングライター俳優である。

マイケル・ジャクソンとの30年の時を越えたデュエット曲「Love Never Felt So Good」を発表し話題となった。

身長185cm。

6つのグラミー賞とともに2つのエミー賞を獲得している。アメリカのテレビ番組「スター・サーチ」の挑戦者として登場して以来早くから名声を手にし、ディズニー・チャンネルのテレビシリーズ『ミッキーマウス・クラブ』出演して将来のバンド仲間JC・シャゼイに出会う。1990年代後半、男性ポップグループイン・シンクのリード・シンガーとして有名になった(イン・シンクの設立は、ルー・パールマンの融資によるもの)。

2002年、ソロデビューアルバム『ジャスティファイド』を発表すると世界中で700万枚以上を売り上げ、『ライク・アイ・ラヴ・ユー』『ロック・ユア・ボディー』などのヒットも生んだ。2枚目のアルバム『フューチャー・セックス/ラヴ・サウンズ』(2006年)はビルボード200で初登場1位となり、『セクシー・バック』『マイ・ラブ』『ワット・ゴーズ・アラウンド.../... カムズ・アラウンド』などもUSチャートで1位となった。アルバムの累計販売は、900万枚以上である。

音楽活動以外ではファッションブランドやレストランを立ち上げており、近年は俳優としてのキャリアも開始した。

生い立ち

テネシー州メンフィスにて、イギリス人ネイティブ・アメリカンの血を引く両親の間に生まれる[1]。彼の父方の祖父、チャールズ・L・ティンバーレイクはバプテストの牧師であった。ジャスティンもバプテストとして育ったにも関わらず、現在は自身を「宗教的というよりはスピリチュアルに」と考えている。

1985年に両親は離婚。その後両者とも再婚しており、ジャスティンには3人の異母弟妹がいる。ティンバーレイクは、メンフィス近郊のシェルビーフォレストでコミュニティで育った。

歌手としての最初の試みは、オーディション番組『スター・サーチ』でのカントリー・ミュージックの歌唱であった。この時は「ジャスティン・ランダル」として出演している[2]

キャリア

音楽活動

1993年から1994年まではブリトニー・スピアーズクリスティーナ・アギレラと同じく、子供番組『ミッキーマウス・クラブ』に出演。1995年にポップグループイン・シンクに入り、最年少メンバーとして活躍。イン・シンクは2001年までに4枚のアルバムを発表し、特に3作目『No Strings』ではアメリカの初動売り上げ枚数歴代1位(約241万枚)を記録するなどトップアイドルとして大成功を収める。

2002年にソロデビュー。敏腕プロデューサー・チーム、ザ・ネプチューンズや、R&Bヒップホップ界の名プロデューサー、ティンバランドと組んで製作されたアルバム『Justified』は、「Cry Me A River」「Rock Your Body」など4曲のシングルヒットを出し、アルバムの販売もアメリカ国内だけで300万枚を記録する大ヒット、「白人ポップシンガーによるアーバンソング」という2000年代のヒットの構図に先鞭をつけた。この成功で2003年のグラミー賞も受賞し、ステージではキーボードを弾きながらファンキーにアレンジしたシングルを披露した。

2004年にはスーパーボウルのハーフタイムショーでジャネット・ジャクソンと共演中、ジャネットの胸を露出させる演出が問題視され大スキャンダルとなる。

2006年秋、2ndアルバム『FutureSex/LoveSounds』を発表。ここからのシングル「Sexy Back」「My Love」「What Goes Around...Comes Around」の3曲が連続で全米No.1を記録する快挙を達成(3曲連続は2003年のアッシャー以来4年ぶり)。その後もヒットは続き、このアルバムからだけで合計6曲の全米Top40ヒットを輩出した。これはマイケル・ジャクソンの『Dangerous』(1991年発売・6曲がTop40入り)以来15年ぶりの記録である。

このアルバムからのシングルカットが途絶えた2008年ごろから、マドンナシアラデュラン・デュランロンリー・アイランドらの楽曲へのフィーチャリングゲストとして散発的にシーンに登場し、自身が見出したエスミー・デンタースをデビューさせるなどの形でも音楽活動を続けるが、自身がメインとなる活動はなくなりしばらく俳優業に専念するようになる。

2013年3月に3rdアルバム『20/20エクスペリエンス』を発表。長年音楽活動から遠ざかっており俳優への転向も噂される中で突如として発表された7年ぶりの新作ということもあって大きな話題となり、アメリカではこの年の発売初週最大記録である96万8000枚を売り上げてBillboard 200チャート初登場1位を記録した。同年9月には早くもその続編となる4thアルバム『20/20エクスペリエンス 2/2』を発表し、こちらも米Billboard 200チャートで初登場1位を記録した(初週売上枚数は35万枚)[3]

俳優活動

2005年に『エジソン』で映画初出演を果たす(映画自体は公開されず、DVD発売だった)。その後もいくつかの映画に出演。2007年公開のアニメーション映画『シュレック3』では声優を務めている。また2010年公開の映画『ソーシャル・ネットワーク』にも主人公に大きな影響を与える重要な役どころで出演している。 2011年公開の『TIME/タイム』では主演に抜擢され、時間が通貨となる近未来サスペンス調の脚本には本人も好意を寄せ、撮影にも意欲的に取り組んでいたという。

その他の活動

2006年に洋服ブランド「William Rast」を立ち上げる。翌年にはBBQレストラン「Southern Hospitality」をニューヨーク市内でオープンさせる。

私生活

1999年早く、ティンバーレイクはニュー・ミッキー・マウス・クラブで共演した同じポップス歌手のブリトニー・スピアーズとの関係に注目を浴びる有名人になった。これは2002年3月に、スピアーズとティンバーレイクの共通の友達である振り付け師のウェイド・ロブソンとのスピアーズの不倫におけるタブロイド判のマスコミの推測の中で突然終わりを迎えた。リン・ハルレスは、母親として彼女は破局に関して荒れていたと言ったが、スピアーズについてこの日は温かい口調で語った。「ブリトニーは私の居間の床で成長した。私はまだ彼女を死ぬほど愛している。彼ら(ジャスティンとブリトニー)は、10年間か11年間一緒にいて、1日目から2人の間ですぐにケミストリーがおきていた。彼女はいとしい少女です。私はただ、彼女が今直面していることが嫌いです」。破局は『ジャスティファイド』で最も人気があるシングル曲の1つである「クライ・ミー・ア・リバー」の歌詞とテーマに影響を及ぼした。

1997年から1999年まではヴェロニカ・フィンと、2000年から2002年まではブリトニー・スピアーズと、2003年から2007年まではキャメロン・ディアスと交際。またジャネット・ジャクソンファーギースカーレット・ヨハンソンとの交際も噂された。その後ジェシカ・ビールと交際し、別れている。2011年にはミラ・クニスとの交際も騒がれていた。しかし本人は「ミラとは映画『ステイ・フレンズ』で共演したが、デートはしていない」と語っており「兄弟みたいなものだ」と噂を否定した。 また、その後ジェシカ・ビールと復縁。2012年1月、彼女と婚約。同年10月、イタリアで彼女と結婚した。

2010年1月、ザ・デイリー・ビーストのホームページが「2009年度に最も寄付金を集めたアーティスト」のランキングを発表し、2009年度に集めた寄付金額が919万8,072ドル(日本円で約8億5,000万円)で1位にランクインした。この寄付金はジャスティンのお気に入りのチャリティーであるシュライナーズ子ども病院に寄付された[4]

2015年4月11日(現地時間)、ジェシカ・ビールとの間に第1子となる男児が誕生。 米ピープル誌によると、男児はサイラス・ランダル・ティンバーレイクと名付けられた。“サイラス”は、2012年に亡くなったジャスティンの母方の祖父ビル・ボーマーさんのミドルネーム。“ランダル”はジャスティンの父の名前で、ジャスティン本人のミドルネームでもある。

ディスコグラフィ

主な出演作品

日本語吹き替え

吹き替えは「ソーシャル・ネットワーク (映画)」以降主に浪川大輔が担当している。

脚注・出典

  1. ^ a b Justin Timberlake Biography (1981-)”. Film Reference. 2008年4月22日閲覧。
  2. ^ Justin Timberlake”. AskMen.com. 2008年4月22日閲覧。
  3. ^ Justin Timberlake Scores His Second No. 1 Album Of 2013”. ビルボード (2013年10月9日). 2013年10月9日閲覧。
  4. ^ http://www.cinematoday.jp/page/N0021617

外部リンク