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2016年11月10日 (木) 19:41時点における版

あいはら ゆう
相原 勇
本名 小原 靖子
別名義 YASUKO
生年月日 (1967-04-01) 1967年4月1日(57歳)
出生地 日本の旗 日本広島県広島市
身長 156 cm
血液型 A型
職業 女優歌手
活動期間 1986年 -
配偶者
事務所 ボールド
主な作品
舞台
ピーター・パン
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相原 勇(あいはら ゆう、1967年4月1日 - )は、日本タレント女優歌手。本名、小原 靖子(おばら やすこ)[1]

広島県安佐郡祇園町(現・広島市安佐南区)出身[2]。ボールド所属。

来歴・人物

鈴峯女子高等学校卒業[要出典]

中学生の時にミュージカル『ピーター・パン』で、榊原郁恵の演ずるピーターパンが観客の上を飛ぶのを観て感動し、「ピーター・パンを演じるために芸能界に入った」と語っている[3]

1984年、ピーター・パンを演じるためには芸能界に入る必要があると考え、高校生の時、第9回ホリプロタレントスカウトキャラバンに応募。中国・四国地区代表として応募総数12万人の中から決勝まで残る[4]

1985年4月、西村知美が優勝した「第1回ミス・モモコクラブ」で見事準優勝をし、芸能プロダクション原プランニングにスカウトされる。父親から「東京の大学に送ったと思って4年間は待ってやるから、4年経っても成功出来なかったらあきらめて帰って来い」と言われ[3]、芸能界デビューのため上京。その後、おニャン子クラブのオーディションを受け、合格ももらっていたが「専属のレコード会社、雑誌も全て決まっているから仕事の幅が狭くなってしまう」という事務所の判断でおニャン子クラブへの加入を辞退し、ソロデビューを選択することになった[3]

1986年4月、原プランニングから、本名の小原靖子名義で「ちょっとHENSHIN」(ワーナーパイオニア)という曲で念願の芸能界デビューを果たす。秋元康のプロデュースで、当時秋元が手掛けていたおニャン子クラブの「おっとCHIKAN!」に見せかけた企画モノで、相原自身「間違えて買ってくれる人がいないかなって」と思っていた。弱小事務所だったため、テレビ出演は少なかった。その後、当初デビュー曲予定だった、同じ秋元プロデュースで広島弁「ぶち」を題名に使い「じゃけぇ」や「たいぎぃ」などの広島弁を随所に散りばめた「恋はBUCHIBUCHI!」という曲を同年8月に出すも、事務所の倒産もあり、芸能界での活動は一時制限された[5]

1987年、小学館の雑誌『GORO』の激写篠山紀信撮影のヌードを披露。それが縁でGOROで一時期小さいコラムを持ったり編集部の手伝いをしていた。

1989年2月、TBS平成名物TV』内の1コーナー「三宅裕司のいかすバンド天国」(通称「イカ天」)の司会者に抜擢され[6]、明るく元気な女の子といったキャラクターで大ブレイク。この年の4月が、前述のように父親に言われていた4年間のタイムリミットだった。「もし「イカ天」に抜擢されていなかったら、広島に帰っていた」と本人も語っている[7]。この番組出演を機に芸名を相原 勇に変えての再スタートであった。なお、この芸名は「『相』には“私=I”と“愛”をいっぱい込めた意味、『勇』は男子にも女子にも通用する名前、“あなた=YOU”、自分に勇気を奮い立たせて励ますといった意味で、IとYOUを両方入れて“自分は一人じゃない”ということを込めた」由来であるといったことを語っている[3]

1990年は、女優として4月に映画『香港パラダイス』に、10月にフジテレビ月9ドラマ『すてきな片想い』に出演し、7月には歌手としてシングル「ボクはパワー」で相原勇として歌手デビュー、また4月から10月まで文化放送のラジオ番組『相原勇のBEBOP YOU』に出演する他、CM出演や番組司会でも活躍した。

1993年から1995年まで3年連続で、芸能界に入るきっかけとなったミュージカル『ピーター・パン』で主役のピーター・パンに抜擢され夢を叶えた[6][8]

その後、横綱として活躍していたと交際をしたが、突然破局したことで大きくマスコミに取り上げられた[9]。それを機に人気が急激に低迷、芸能活動を休止してニューヨークに渡った[6]

1998年に芸名をYASUKOに改名し芸能活動を再開。その後、相原 勇に再改名。

英語と演劇を学んでいる時に出会ったアイルランド人の画商とアメリカ同時多発テロ事件をきっかけに結婚。ニューヨークで歌とダンスの稽古を積み、2006年8月には16年ぶりのアルバム『Thank You』(デビュー20周年記念アルバム)をリリースした。

2013年5月13日、2011年9月に前夫と離婚後に2013年3月に現在の夫と再婚していたことが明らかになった。所属芸能事務所によると、再婚相手はハワイに住む一般男性で、相原もハワイに居住しているという。

音楽

シングル

  1. ちょっとHENSHIN (1986年4月10日) - 小原靖子名義
    (c/w) 嫌い
  2. 恋はBUCHIBUCHI! (1986年8月11日) - 小原靖子名義
    (c/w) ミラージュ ドリーム -蜃気楼の中へ-
  3. ボクはパワー (1990年7月21日)
    (c/w) フジヤマ・ママ
  4. 約束するよ (1991年3月21日) - NHK総合テレビアニメおばけのホーリーテーマソング 
    (c/w) あ・そ・ぼ・ぜ
  5. 恋愛シネマシアター (1992年1月21日)
    (c/w) 雨とファニー・フェイス

アルバム

  • Hello, Good-Day!!(1990年11月)
  • Thank You(2006年8月)

NHK みんなのうた

  • 魔法のクレヨン (放送時期:1992年6月~1992年7月期) 作詞:YU・KA・RI 、作曲:大堀薫、編曲:大堀薫、アニメーション:大井文雄
  • 主題歌 作詞:織田ゆり子、作曲:上条はじめ


出演

テレビドラマ

バラエティ

映画

  • 香港パラダイス(1990年、東宝)- 水沢かおり 役

ラジオ

  • 相原勇のBEBOP YOU
  • 今日は一日“バブル世代”三昧(2013年8月11日、NHK-FM) - MC

CM

脚注・出典

  1. ^ 公式プロフィール”. ボールド. 2014年7月31日閲覧。
  2. ^ [1]MAKING SENSE
  3. ^ a b c d 相原勇 (2012-6). "やりたいことを貫くには夢が必要。それは自分の夢でもあり、社会の夢、世の中の夢でもあるんです" (Interview). Interviewed by 新田哲嗣. 2014-7-31閲覧 {{cite interview}}: |date=の日付が不正です。 (説明); 不明な引数|program=は無視されます。 (説明)
  4. ^ この時の優勝者は井森美幸であった。他に決勝に残った中に鈴木保奈美がいる。
  5. ^ 2006年9月28日付 東京スポーツ
  6. ^ a b c 世界の日本人妻は見た!|2015/07/14(火)放送”. TVでた蔵. ワイヤーアクション. 2015年7月15日閲覧。
  7. ^ 「イカ天年鑑 平成元年編」(ワニブックス)より。
  8. ^ 舞台『ピーター・パン』はホリプロ所属のタレントが演じるのが通例だが、ホリプロ以外のタレントが演じたのは現時点では相原だけである。
  9. ^ 破局疑惑報道のさなか、記者のインタビュー(横綱とご結婚なさいますか?)に対し、「I hope!」(したいです)と答えたこともあった。
  10. ^ 交際していた曙とのなれ初めから破局まで赤裸々に語った。当時の結婚条件は「優勝すること」。しかし、1997年の5月場所で優勝した時の記者会見では、相原との約束を破って結婚を公言しなかった。曙との結婚は消滅したことを悟って、呆然とする相原へ曙から頼まれた小錦が破局の旨を伝えに来たという。小錦は、落ち込む相原を「靖子、お前は自分の人生を生きなさい」と慰め、精神的にどん底だった相原の側に24時間付き人が交代で監視する処置を取った。そんな小錦を細木は「彼はものすごい人格者で良い人間」、相原は「ものすごく温かくて良い人」と評した。相原は細木数子が好きで、ニューヨークでもDVDで『ズバリ言うわよ!』を見ていると話した。この時の視聴率は16.0%(関東地区・ビデオリサーチ調べ)。

外部リンク

先代
沖本富美代沖本美智代
3代目ピーター・パン
(1993年〜1995年)
次代
宮本裕子