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2016年11月12日 (土) 13:46時点における版
H.O.T. | |
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別名 | H.O.T |
出身地 | 韓国 ソウル |
ジャンル | K-POP、ダンスポップ |
活動期間 | 1996年9月7日 - 2001年5月13日 |
レーベル | SMエンターテインメント |
事務所 | SMエンターテインメント |
共同作業者 | ユ・ヨンジン |
公式サイト | www.smtown.com/smtown/hot/ |
メンバー |
ムン・ヒジュン チャン・ウヒョク トニー・アン カンタ イ・ジェウォン |
H.O.T.(エイチオーティー、에이치오티)は、韓国の男性5人組ダンス・アイドルグループ。韓国アイドル界第1世代。
グループ名は“High-five Of Teenagers”(ハイファイブ・オブ・ティーンエイジャー)の略で、「10代の勝利」という意味が込められている[1]。ファンからは「エチョティ」(에쵸티)とも呼ばれている[2]。1996年のデビューから2001年の解散まで韓国で圧倒的な人気を誇り、韓国ポップス界の歴史を変えたとも言われている。
ファンクラブもしくはファンの総称は『CLUB H.O.T.』。公式応援カラーは白。
来歴
ティーンエイジャーがそれまでの世代とは異なる高い消費力で、新たに韓国のポップカルチャーを担うようになっていた1994年に、彼らの取り込みを目論んだ韓国の芸能プロダクションSMエンターテインメント(以下「SM」)によって「10代の代弁者」として企画され、1年の選抜期間を経て1995年[3]に結成[4][5][6][7]。
1996年に、韓国音楽界にラップとダンスを浸透させ、10代に圧倒的な人気を誇りながらも、突如として解散したソテジワアイドゥルと入れ替わるように、デビューした[5]。
当時の韓国では、自己の音楽的アイデンティティーを反映させるのではなく、芸能プロダクションなど他者がつくったコンセプトに基づいて結成され、活動をする大量消費を前提としたアイドルグループというのは珍しかったが[8]、「1318世代」(13歳から18歳までの若年層)の女性らから熱狂的な人気を獲得して、たちまちブレイクし、第2のH.O.T.を狙ってデビューしたSechs Kiesなどのアイドルグループとともに、韓国ポップス界をアイドル中心に一変させる一大ブームを巻き起こした[5][9]。
その後、のちにSMP(SMミュージック・パフォーマンス)とも呼ばれる、社会問題をテーマにした歌詞にラップコア調の曲と派手なダンスを融合させた独特のスタイルを確立する一方[10]、1998年にリリースした3集からは、メンバーらが直接楽曲制作に携わり[11]、2000年の5集ではリード曲も含め全曲の作詞・作曲・編曲を手掛けるなど[12]、次第に他のアイドルグループとは異なる独自性を見せるようになった。
また、グループの人気は韓国に留まらず、中国本土にも波及し、2000年に北京公演を成功させて、他の韓国歌手の中国進出の呼び水を作るなど、韓流という形で、韓国のポップスを中国国内に浸透させる大きな役割も果たした[10][13]。
しかし、人気は衰えていなかったものの、メンバーが全員20代になり、アイドルとしては難しい年齢になったことや、大学卒業が迫り、兵役の先延ばしが難しくなったことから、次第に「人気があるうちに解散するのでは」との憶測が囁かれ始め、2000年末にメンバーの1人が飲酒運転事故を起こして活動自粛に入った頃からは、その噂が現実味を帯びるようになっていった[14][15][16]。
2001年4月、SMとの専属契約が満了したトニー・アン、チャン・ウヒョク、イ・ジェウォンの3人が翌5月、元SM社長[17]のチョン・ヘイクが理事を務めるエンターテインメント企業「サイダス」(後のサイダスFNHとiHQ)と当時同系列であった「イェジョン・メディア」に移籍し[18]、同年6月、契約が残っていたカンタとムン・ヒジュンがソロ歌手として、SMと再契約を結んだため、事実上解散を迎えた[19]。
移籍した3人は、2001年末に新たなグループ「JTL」(jtL) を結成[20]。3人はSMに残った2人より人気の面では劣ることから当初、活躍が疑問視されていたが、アルバムは50万枚を超えるヒットとなり予想を裏切る活躍を見せた[21]。しかし、このグループも、メンバー個々が2004年から2005年にかけて独立や移籍をして、ソロ活動を開始したため[22][23][24]、そのまま自然消滅している[25]。
メンバー
- ムン・ヒジュン(文熙畯、문희준)
- ボーカル担当、リーダー。1978年3月14日生まれ、ソウル市出身。京畿大学校大学院多重媒体映像学科修士課程修了[26]。2005年11月陸軍入隊。2007年11月転役。
- チャン・ウヒョク(張佑赫、장우혁)
- ラップ担当。1978年5月8日生まれ、韓国慶尚北道亀尾市出身。世宗大学校大学院体育学科修士課程修了[27]。2005年、イェジョン・メディアからスポンジ・エンターテインメントに移籍[22]。2007年11月に公益勤務要員として召集、国民年金管理公団で服務した。[28]。2009年11月召集解除。
- トニー・アン(토니 안、Tony An)
- ボーカル・ラップ担当。本名はアン・スンホ(安勝浩、안승호)。1978年6月7日生まれ、韓国ソウル市出身。2004年、芸能プロダクション「TNエンターテインメント」を設立して元アイドルの女優チョン・リョウォンやコメディアンのチョ・ヘリョンなどをスターダムに押し上げる傍ら、「スクールルックス」(Skoolooks) 社を立ち上げて学生服事業に参入し、財閥系ブランドが大半のシェアを占めるなか同社を大手にまで育て上げた[23][注釈 1]。2008年11月、兵役により陸軍に現役入隊し、国防部勤務支援団広報支援隊に配属[28]。「芸能兵士」として国軍放送FMと国軍放送TVで番組を受け持った[29]。2010年9月転役。
- カンタ(강타)
- メインボーカル担当。本名はアン・チリョン(安七炫、안칠현)。1979年10月10日生まれ、韓国ソウル市出身。東国大学校文化芸術大学院公演映像学科修士課程修了[26]。2008年4月陸軍入隊。2010年2月転役。
- イ・ジェウォン(李在元、이재원)
- ラップ担当。1980年4月5日生まれ、韓国ソウル市出身。祥明大学校デジタルメディア大学院修士課程修了[30][31]。2005年、イェジョン・メディアからアイピム・エンターテインメントに移籍し、ソロ活動を開始[24][32]。その後無所属となり[33]、2009年5月、兵役により陸軍に現役入隊した[28]。2011年3月7日転役。
年表
- 1996年
- 9月 - 1stアルバム(1集)『We Hate All Kinds Of Violence...』を発売。本作からは「戦士の後裔」「キャンディ」が韓国内でヒット。
- 12月8日 - 大韓民国映像音盤大賞ゴールデンディスク部門「SKC新人歌手賞」を受賞[34]。
- 1997年
- 1998年
- 1月23日 - 同月25日まで、韓国ソウルのオリンピック公園第1体育館(体操競技場)でグループ初の単独公演を開催。
- 2月 - 同年3月まで、アメリカ(ニューヨーク、ハワイ、ワシントン、ロサンゼルス)でライブツアーを開催[3]。収益金4万ドル(約6,000万ウォン)をアジア通貨危機に対応する民間支援組織「失業克服国民運動」に全額寄付し、同年11月26日に韓国大統領府主催の昼食会に招待される[38]。
- 9月 - 金大中大統領(当時)と共演した韓国文化観光部・韓国観光公社の韓国広報CM、世界各国で放送開始[39][40]。
- 9月 - 3rdアルバム(3集)『RESURRECTION』を発売。「列を合わせろ」「光」が韓国内でヒット。
- 12月6日 - KMTV歌謡大典「大賞」を受賞[37]。
- 12月17日 - 『RESURRECTION』が韓国経済新聞社主催「'98韓経消費者大賞」(レコード部門)を受賞[41]。
- 12月18日 - ソウル歌謡大賞「今年の最高歌手賞」(大賞)を受賞(ジェクスキスとの共同受賞)[42]。
- 12月27日 - SBS歌謡大典「大賞」を受賞[37]。
- 12月30日 - KBS歌謡大賞「大賞」を受賞[43]。放送終了後、観覧に来ていたH.O.T.とジェクスキスのファン同士が集団乱闘[44]。
- 12月31日 - MBC歌謡祭典「30歳未満の国民が選んだ最高人気歌謡賞」(大賞)を受賞[45]。
- 1999年
- 1月22日 - 同月28日まで、韓国ソウルの世宗文化会館で単独12回公演を開催。
- 9月9日 - MTVビデオ・ミュージック・アワード「MTVコリア・インターナショナル・ビューワーズ・チョイス」を受賞[46]。
- 9月11日 - ムン・ヒジュンとの交際の噂が流れていたベイビーボックスのカン・ミヨンにH.O.T.のファンから殺害予告の手紙が送りつけられ、カンが現地警察当局に捜査を要請。これ以前もサイン会でカミソリで襲い掛かられたり、排泄物を投げつけられたりといった被害を受けていた[47]。
- 9月15日 - 4thアルバム(4集)『I yah!』を発売。「アイヤ!」が韓国内でヒット。
- 9月18日 - 韓国歌手では初[48]となる蚕室総合運動場オリンピック主競技場での単独公演を開催。観客200人超が失神し、病院に担ぎ込まれる騒ぎに[49]。
- 9月19日 - 前日の公演に来ていた韓国大邱市在住の女子高生が、H.O.T.に熱中していることを親にとがめられ飛び降り自殺[50]。その後、失神騒ぎも含め同国国会で問題に[51]。
- 11月21日 - 韓国MBC(テレビ)でH.O.T.がホスト役のバラエティ番組『Log in H.O.T.』を放送。
- 11月27日 - 映像音楽大賞「視聴者最高人気賞」(最高賞相当)を受賞[52]。
- 2000年
- 1月9日 - 韓国MBC(テレビ)で単独音楽ライブ番組『H.O.T. Forever』を放送。
- 2月1日 - 中国北京工人体育館で単独公演を開催。
- 7月15日 - 主演短編映画『平和の時代』(Age of Peace) が韓国で封切り。
- 10月2日 - 5thアルバム(5集)『Outside Castle』を発売。「アウトサイド・キャッスル」が韓国内でヒット。
- 11月20日 - メンバーが飲酒運転による交通事故を起こし立件される[53]。以後、グループは活動自粛期間に突入[54]。
- 11月24日 - Mnetミュージックビデオ・フェスティバル「最高人気ミュージックビデオ賞」(最高賞相当)を受賞[52]。活動自粛中のため授賞式は不参加[54]。
- 2001年
- 2月27日 - 蚕室総合運動場オリンピック主競技場で単独公演を開催(積雪による会場の屋根崩壊で中止となった同月23日から同月27日のオリンピック公園第1体育館(体操競技場)公演の代替公演[55])。ムン・ヒジュンがステージ上で解散説に触れ、これを否定[56]。
- 3月4日 - トニー・アン、専属契約が満了[57]。
- 4月1日 - イ・ジェウォン、専属契約が満了[57]。
- 4月25日 - チャン・ウヒョク、専属契約が満了[57]。
- 5月13日 - トニー・アン、イ・ジェウォン、チャン・ウヒョクが記者会見の場で、同月11日付のイェジョン・メディアへの移籍と新グループ結成の計画を発表[18]。H.O.T.は分裂状態に。
- 6月27日 - カンタ、ムン・ヒジュンが記者会見を開催し、SMエンターテインメントとの再契約締結を発表[19]。明確な解散宣言がないまま、H.O.T.は事実上解散へ。
エピソード
メンバーの入れ替え
グループ名に「ティーンエイジャー」という言葉が使われていることからも分かるように、もともとは「10代による10代のためのグループ」であり、10代でなくなったメンバーは入れ替えられる予定であった[58]。しかし、予想以上に人気が出てしまったため所属先のSMエンターテインメントはその計画を取り止め、結果的に解散までメンバーの交代は行われなかった[58]。
風船の色
韓国ではアイドルのファンクラブごとに色を定め、その色の風船などを用いて応援するスタイルが定着しているが、これは元々H.O.T.のファンクラブがシンボル・カラーを白にして、白い風船を応援道具に用いたことに由来する[59]。この応援カラーには他の歌手のファンクラブと重複しないという不文律があるものの、色には限りがあるため同色を選んだファンクラブ同士で諍いが起こることが多く、H.O.T.のファンも2006年、男性歌手ピのファンらが既定の銀色ではなく白く光っているように見えるケミカルライト(サイリューム)を使ったことから、50人以上がピの所属事務所に押し掛けてそのケミカルライトの使用を止めるよう要請したことがある[60]。
茶髪で出入り禁止
韓国の公共放送局KBSは青少年に悪影響を与えるとして1997年に服装規定を設けて、出演者の衣装や髪型などに対する規制を開始したことから、H.O.T.は仕方なく、2集や3集の活動時はバンダナやキャップで茶髪や染色した髪を隠したが[61][62]、長い髪に濃いメイク、そして黒尽くめの衣装と日本のビジュアル系ロックバンドの影響を受けたと思われる姿でイメージ・チェンジを図った4集の際は[63]何も被らずに出演しようとしたため、KBSから出演許可が出ず、同局でのプロモーション活動が一切できなかった[64]。それでもKBS側は年末のKBS歌謡大賞だけでも出てもらおうと局長級のプロデューサーまで駆り出してSMエンターテインメントやリーダーのムン・ヒジュンと掛け合ったものの、ムンがKBSにおもねっていると思われることを嫌って出演を固辞したことから、前年獲得した同大賞の候補者からも除外された[64]。
解散の真相
解散は、トニー・アン、イ・ジェウォン、チャン・ウヒョクの3人が将来に不安を抱いていたことに加え[18]、SMエンターテインメントとの金銭的条件が合わなかったこと[注釈 2]が原因だと言われている[67]。ただどちらが解散の引き金を引いたのかについては双方の説明に相違があり、3人は移籍会見の時、2001年1月にはすでにSMから「解散通知」を受け取っていたと語り、SM側はこれを否定して、H.O.T.の中国での人気を重視していたことから解散の意思はなく[68]、移籍先の親会社が株価釣り上げのため[注釈 3]SMのスタッフを引き抜いた上で契約の切れた3人を奪取したものであって[76]、逆に3人からはそれぞれ契約満了時に「解約通知」が送られてきたと反論している[77]。
いずれにしてもメンバーらは、この件に関して月日を重ねても多くを語ろうとしないため、真相は明らかとなっていない[78]。
実現寸前だった再結成
メンバーらは決して仲違いしているわけではなく、解散後もH.O.T.の歌を披露することはないものの、数度イベントやコンサートで一堂に会している[79][80]。ただ再結成については、メンバーらは会うたびに話し合い[81]、解散2年後の2003年には中国での韓流を盛り上げるため、SMエンターテインメントのオーナーでプロデューサーでもあるイ・スマンの音頭で実現寸前までいったが、復活を目前にして多額のCM契約金が目当てと勘繰られ兼ねない報道が出てしまったことから、誤解を避けるため見送られてしまい[82][83]、その後もたびたび話題には上るものの実現には至っていない。
ディスコグラフィー
オリジナル・アルバム
- We Hate All Kinds Of Violence... (1996年9月)
- 1集。活動曲(シングルの代わりとしてアルバムのプロモーション活動に使用する曲)は「戦士の後裔」(チョンサエ フイェ、Descent of Warrior)と「キャンディ」(Candy)。リード曲は校内暴力がテーマの「戦士の後裔」であったが、メロディーがサイプレス・ヒルの「ロコトス」(Locotes) と「エイント・ゴーイン・アウト・ライク・ザット」(I Ain't Goin' Out Like That) に酷似していると指摘されたため、急遽活動曲を愛らしさを前面に出した「キャンディ」に切り替えた[84][85]。
- Wolf & Sheep (1997年7月)
- 2集。活動曲は「狼と羊」(ヌッテワ ヤン、Wolf & Sheep)、「幸福」(ヘンボク、Full of Happiness)、「ウィ・アー・ザ・フューチャー」(We are the future)。リード曲の「狼と羊」はサビで「乞食野郎(빌어먹을)」(「くそったれ」程度の憎まれ口)という言葉が使われていたが、韓国の放送局から放送不可判定を受けたため、放送ではその箇所が修正されたクリーン・バージョンが使用された[86]。日本盤には、その修正済のものが収録されている[要出典]。
- RESURRECTION (1998年9月)
- 3集。活動曲は「列を合わせろ」(ヨルマッチョ、Line Up!)と「光」(ピッ、Hope)。リード曲の「列を合わせろ」は前作の「ウィ・アー・ザ・フューチャー」で原型が出来上がっていたSMPの完成形だが、発表当時レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンの「キリング・イン・ザ・ネーム」(Killing In The Name) の盗作ではないかとして論議を呼んだ[10]。ただ、この事実を把握していたレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンのメンバーらは、このことをライブで笑い話として取り上げるだけで、特に問題にすることはなかった[87]。
- I yah! (1999年9月)
- 4集。活動曲は「アイヤ!」(I yah!)、「闘志」(トゥジ、Git It Up!)、「歓喜」(ファニ、It's Been Raining Since You Left Me)。このほか、本作には「コリアン・プライド」(Korean Pride) や「8.15」という曲が収録されるなど愛国的なイデオロギーが見受けられる。また、ところどころある放送禁止用語の部分がピー音で消されている。
- Outside Castle They are nothing different with us. (2000年10月)
- 5集。売り上げは90万枚弱で、1集から続いていたミリオンセラー記録が途切れた[5][88]。活動曲は「アウトサイド・キャッスル(ザ・キャッスル・アウトサイダーズ)」(Outside Castle (The Castle Outsiders)) と「そう!そのように!」(クレ!クロッケ!、We can do it)。作曲・作詞・編曲は全てメンバーが手掛けた。ムン・ヒジュンがつくったリード曲「アウトサイド・キャッスル」は、偏見の目に晒されている障害者がテーマになっている[89]。カンタが手掛けた2曲目(後続曲)の「そう!そのように!」は、プロモーションの途中でメンバーが不祥事を起こして(具体的にはカンタの飲酒運転)活動中断に追い込まれた上、これに伴って所属先がテレビ局に音楽番組のチャートから除外するよう求めたことから活動曲としてはほとんど使われなかった[54][90]。
ライブ・アルバム
- Greatest H.O.T. Hits-song Collection Live Album (1999年4月)
- 99 Live In Seoul (2000年1月)
- H.O.T. Forever H.O.T. Live Concert in Seoul Olympic Stadium (2001年4月)
ベスト・アルバム
- H.O.T. (1999年2月) - 台湾限定盤。
- The Best (2002年1月) - 日本限定盤。オリジナル・アルバムと同じくavex traxレーベルからの発売。
その他
- Age Of Peace (2000年7月) - 主演映画『平和の時代』(Age of Peace) のサウンドトラック。
脚注
注釈
- ^ スクールルックスを除く韓国の大手学生服メーカー3社のうち、アイビークラブはサムスングループの第一毛織から分社、エリートベーシックはサムスングループの第一合繊から新韓グループに移り「新韓」と社名変更した後分社、「スマート」ブランドのSKネットワークスはSKグループの系列と、いずれも財閥系ないし旧財閥系の企業である。
- ^ 解散当時、1人に付き1枚当たり20ウォンというH.O.Tの歌唱印税が余りに少なすぎるとして大きな話題を集めたが、これは1組当たりなら100ウォンという韓国では珍しくない額であり[65]、また韓国の音楽界は当時から売上が損益分岐点を超えないと支払われないことも多かったため、実際は必ずしも少ないとは言いがたいものであった[66]。その上、芸能界の構造が酷似している隣国の日本と比べても、1組当たり単価の1%(当時韓国でのアルバムの単価は10,000ウォン程度)という歌唱印税は遜色ない額であった[66]。
- ^ 3人が移籍したレコード会社「イェジョン・メディア」の当時の親会社「ローカス・ホールディングス」(以下「ローカスHD」)は、元は「コアテック・システム」という変圧器の鉄心を製造する会社であったが[69]、2000年3月に「サイダス」を設立した[70]情報通信関連企業「ローカス」の代表理事が同年8月に筆頭株主になってからは娯楽企業へと変貌し、移籍2か月前の2001年3月にはイェジョン・メディアやカン・ウソク率いる韓国最大手の映画配給会社「シネマ・サービス」を立て続けに買収して[71][72]株価を急騰させていた[73]。そして、移籍の数か月後にはローカスの代表理事がローカスHDの株式をローカスに買わせ、ローカスはそれをすぐに売却して300億ウォンの利益を上げるなどしていたことから、当時から投機目的の経営なのではとの指摘が多かったが[73]、実はこの裏でローカスが事業の悪化で総額530億ウォンもの粉飾決算を続けていたことが2005年になって発覚し[74]、ローカスの代表理事は翌2006年、横領や背任などの疑いで検察当局に逮捕されている[75]。
出典
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