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2016年11月13日 (日) 03:24時点における版
田中 甲 たなか こう | |
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生年月日 | 1957年1月8日(67歳) |
出生地 | 千葉県市川市 |
出身校 | 立教大学社会学部卒業 |
前職 | 衆議院議員 |
現職 | リーダーシップ研究所 代表 |
所属政党 |
(自由民主党→) (新党さきがけ→) (旧民主党→) (民主党→) (みんなの党→) 日本維新の会 |
公式サイト | こう!と決めたら田中甲 |
選挙区 |
(旧千葉4区→) 千葉5区 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1993年7月19日 - 2003年10月10日 |
田中 甲(たなか こう、1957年(昭和32年)1月8日 - )は、日本の政治家。日本維新の会所属。みんなの党結党メンバー。衆議院議員(3期)を務めた。「リーダーシップ研究所」を設立し、代表・講師を務めている。
略歴
千葉県市川市出身。立教高等学校(現・立教新座高等学校)、立教大学社会学部卒業。
自由民主党の市川市議1期、千葉県議2期を経て、1993年(平成5年)第40回衆議院議員総選挙において新党さきがけ新人として千葉4区から出馬し、初当選。
1996年(平成8年)に、旧民主党の結党に参加。その直後に行われた第41回衆議院議員総選挙において、千葉5区から出馬し、当選。千葉県内小選挙区における唯一の旧民主党が確保した議席となった。
1998年(平成10年)、民主党の結成に参加。1999年(平成11年)に行われた、2度の民主党代表選挙で、1月では松沢成文の推薦人、9月では鳩山由紀夫の推薦人となる。2001年(平成13年)、労働組合の支援を受ける姿勢への不満から離党し、政党・尊命を設立、自らが代表となる。2003年(平成15年)の第43回衆議院議員総選挙では、古巣の民主党から出馬した村越祐民に敗れ、落選。
第44回衆議院議員総選挙には立候補しなかったが、2009年(平成21年)1月6日、次期衆議院議員総選挙に、千葉5区から無所属で出馬することを表明。その後、7月政治団体・日本の夜明けへの合流を表明し、同団体を母体とするみんなの党を渡辺喜美らと結党。同党公認で千葉5区より2期ぶりに出馬したが落選。
2012年12月16日の第46回衆議院議員総選挙に日本維新の会公認で比例南関東ブロックから立候補したが落選。
政策
- 1999年(平成11年)、日本の戦争責任資料センター代表の荒井信一が主催する「恒久平和調査局設置を求める院内集会」に参加。自由民主党は責任や賠償から逃れたいために、歴史の事実を明らかにすることに反対している、と述べた[1]。
- 選択的夫婦別姓制度を推進[2]。
関連項目
脚注
- ^ 「恒久平和調査局設置を求める院内集会」開催
- ^ 第151回国会請願3748号