コンテンツにスキップ

「古賀敬章」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m Bot作業依頼:日本維新の会・自由党改名にともなうカテゴリ修正依頼 - log: Category:生活の党の人物Category: 自由党の人物 (日本 2016-)
78行目: 78行目:
[[Category:山口県選出の衆議院議員]]
[[Category:山口県選出の衆議院議員]]
[[Category:福岡県選出の衆議院議員]]
[[Category:福岡県選出の衆議院議員]]
[[Category:生活の党の人物]]
[[Category: 自由党の人物 (日本 2016-)]]
[[Category:日本未来の党の人物]]
[[Category:日本未来の党の人物]]
[[Category:国民の生活が第一]]
[[Category:国民の生活が第一]]

2016年11月13日 (日) 03:42時点における版

古賀 敬章
こが たかあき
生年月日 ( 1953-04-25) 1953年4月25日(71歳)
出生地 日本の旗佐賀県佐賀市
出身校 東京大学法学部
前職 山口県議会議員
所属政党無所属→)
自由民主党→)
新生党→)
新進党→)
無所属→)
自由党→)
民主党→)
国民の生活が第一→)
日本未来の党→)
生活の党
称号 法学士

選挙区旧山口1区→)
福岡4区
当選回数 2回
在任期間 1993年 - 1996年
2009年 - 2012年11月16日
テンプレートを表示

古賀 敬章(こが たかあき、1953年4月25日 - )は、日本政治家生活の党所属。

衆議院議員(2期)、山口県議会議員(2期)を務めた。

来歴

佐賀県佐賀市で生まれ、山口県下関市で育つ。ラ・サール中学校・高等学校東京大学法学部卒業。東大卒業後、全日本空輸に入社。

自民党時代

1983年、大学時代の親友である中川昭一第37回衆議院議員総選挙出馬に伴い全日空を退社し、北海道で中川の選挙を手伝う。中川の初当選後、郷里の山口県下関市に戻り、山口県議会議員選挙に無所属で出馬して初当選した。当選後、自由民主党に入党。

県議時代は自民党山口県連青年局長を務め、下関市が地盤安倍晋太郎の薫陶を受け媒酌人も務めてもらった。しかし安倍が死去した後、山口県連内の主導権争い(安倍晋太郎系列、林義郎系列の対立)や晋太郎の後継争い(晋太郎の二男・安倍晋三が擁立された)に巻き込まれ、古賀は自民党を離党し、1993年新生党入党。

新生党・新進党・自由党

第40回衆議院議員総選挙に県議を辞職して旧山口1区から出馬し、初当選した。1996年第41回衆議院議員総選挙では、小選挙区比例代表並立制導入に伴い新進党公認で山口4区から出馬したが、安倍晋三に敗れ落選。

1999年、下関市長選挙に出馬するが、安倍の支援を受けた江島潔下関市長に敗北した。

2001年には自由党公認で第19回参議院議員通常選挙比例区から出馬するも落選。

民主党時代

2004年には民主党公認で第20回参議院議員通常選挙に出馬するも落選。さらに支持母体の日東建設が破産し、選挙で古賀を支援した関連業者が軒並み多額の負債を抱えたため、引退を表明する。

2007年福岡4区が地盤の楢崎欣弥元衆院議員が政界引退を表明し、2004年の参院選で古賀の選対本部長を楢崎が務めた縁で、古賀を福岡4区の後継候補に指名した。福岡4区の党支部や後援会には寝耳に水の話であったが、最終的に民主党福岡県連に決定が一任され、古賀の公認が内定。2009年第45回衆議院議員総選挙に福岡4区から出馬し、自民党前職の渡辺具能を破り13年ぶりに国政に復帰した。

2012年野田佳彦内閣総理大臣消費税増税などを含む社会保障・税一体改革関連法案の提出を表明した際には、法案の内容を批判[注釈 1]衆議院本会議における社会保障・税一体改革関連法案の採決では、反対票を投じた。同年7月2日に離党届を提出するも受理されず、9日に除籍処分が確定した[1]

国民の生活が第一・日本未来の党

2012年7月11日国民の生活が第一結党に参加した[2]

同年12月16日第46回衆議院議員総選挙日本未来の党公認で福岡4区及び比例九州ブロック重複立候補するも、小選挙区で有効得票数の9%しか得票できず(供託金没収)、落選。

脚注

注釈

  1. ^ 野田は「消費税の引き上げを現在の衆議院議員の任期終了後となる14年4月を予定しているため、公約違反ではありません」と述べている。j-cast2012年1月27日

関連項目