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楢崎欣弥

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
楢崎欣弥
ならざき きんや
生年月日 (1943-08-19) 1943年8月19日
出生地 日本の旗福岡県福岡市
没年月日 (2019-03-15) 2019年3月15日(75歳没)
死没地 日本の旗福岡県福岡市中央区
出身校 日本大学法学部政治経済学科
前職 楢崎弥之助秘書
所属政党新進党→)
民主党
親族 父・楢崎弥之助
母の大叔父・松本治一郎

選挙区 比例九州ブロック福岡4区
当選回数 2回
在任期間 2000年 - 2005年8月8日
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楢崎 欣弥(ならざき きんや、1943年8月19日 - 2019年3月15日)は、日本政治家民主党所属の元衆議院議員(2期)。

衆議院議員、社会民主連合書記長・副代表を務めた楢崎弥之助は父。母は、部落解放同盟執行委員長の松本治一郎の姪の長女である[1]。名前は泉鏡花の『瀧の白糸』に登場する検事・村越欣弥に由来[2]

来歴

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福岡県福岡市生まれ。東福岡高等学校日本大学法学部政治経済学科卒業。大学卒業後、農用地開発機械公団(現森林整備センター)勤務を経て、父・楢崎弥之助の秘書を務める。

1996年第41回衆議院議員総選挙新進党公認で福岡3区から立候補したが、自由民主党太田誠一に敗れ、落選した。福岡3区は、父・弥之助の選出選挙区であった旧福岡1区に含まれる。なお弥之助が所属していた社会民主連合1994年に解党し、所属議員の多くは日本新党新党さきがけに加わったが、弥之助はいずれの党にも入党しなかった。日本新党は1995年、新進党に合流している。

2000年第42回衆議院議員総選挙では福岡4区に国替えし、選挙区では自民党の渡辺具能に敗れたが、重複立候補していた比例九州ブロックで復活し、初当選した。2003年第43回衆議院議員総選挙でも渡辺に敗れ、比例復活で再選。2005年第44回衆議院議員総選挙では、比例復活も叶わず落選した。落選後も第45回衆議院議員総選挙に立候補する意向を示していたが、2007年10月、次期総選挙に立候補せず政界から引退する意向を表明した(後継は古賀敬章)。

2010年、民主党の参議院議員候補・村田直治への投票を呼びかける文書を公示前に作成・郵送し、公選法違反(事前運動、法定外文書頒布)容疑で略式起訴され、30万円の罰金刑を受けた。

2019年3月15日、肺炎のため福岡市中央区の病院で死去[3]。75歳没。

政策・主張

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2003年静岡空港建設反対の国会議員署名活動で署名者に加わっている[4]

脚注

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  1. ^ 岩尾清治『遺言・楢崎弥之助…命ひとすじ』p.50
  2. ^ 岩尾清治『遺言・楢崎弥之助…命ひとすじ』p.64
  3. ^ 楢崎欣弥氏死去 元衆院議員 - 山陽新聞デジタル 2019年3月18日
  4. ^ 国会議員署名これまでと今後の展望 - 空港はいらない静岡県民の会(2009年3月7日時点のアーカイブ

関連項目

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