川越孝洋
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川越 孝洋 かわごえ たかひろ | |
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生年月日 | 1943年7月12日 |
出生地 | 日本 大分県 |
没年月日 | 2024年4月13日(80歳没) |
死没地 | 日本 長崎県長崎市 |
出身校 | 大分県立大分工業高等学校 |
前職 |
三菱電機労組長崎支部執行委員長 長崎市議会議員 長崎県議会議員 |
所属政党 |
(日本社会党→) (社会民主党→) (民主党→) (民進党→) 国民民主党 |
称号 | 旭日小綬章 |
選挙区 | 比例九州ブロック |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 2009年 - 2012年 |
選挙区 | 長崎市選挙区 |
当選回数 | 4回 |
在任期間 | 1995年 - 2007年 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1989年 - 1995年 |
川越 孝洋(かわごえ たかひろ、1943年7月12日 - 2024年4月13日)は、日本の政治家。元衆議院議員(1期)。
経歴
[編集]大分県出身。大分県立大分工業高等学校卒業後三菱電機に入社。同社労組長崎支部執行委員長、長崎市議会議員(2期)、長崎県議会議員(4期)を歴任。日本社会党、社会民主党に在籍していたが途中で民主党に移籍。党長崎県連幹事長を務めた。
2009年の第45回衆議院議員総選挙で民主党の比例九州ブロックより単独29位で立候補し、初当選した。
2012年、第46回衆議院議員総選挙では、長崎2区に立候補したが、自由民主党新人の加藤寛治のみならず、無所属で出馬した元雲仙市長の奥村慎太郎にも敗れ選挙区3位となり、比例復活もならず落選した。
2024年4月13日午後1時20分頃、病気のため長崎市内の病院で死去[3][4]。80歳没。
脚注
[編集]- ^ 『官報』号外96号、平成26年4月30日
- ^ 役員紹介 - 民主党長崎県連合会
- ^ “元民主党衆議院議員 川越孝洋さん 亡くなる《長崎》”. 日テレNEWS (2024年4月14日). 2024年4月14日閲覧。
- ^ “川越孝洋氏死去 元民主党衆院議員”. 時事通信. (2024年4月15日) 2024年4月15日閲覧。