「登山」の版間の差分
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{{pp-vandalism|small=yes}} |
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{{redirect|山岳部|地形|山地|アメリカ合衆国の地方|アメリカ合衆国山岳部}} |
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{{複数の問題 |
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[[画像:Frères Bisson - 1862 - La crevasse (Départ).jpg|thumbnail|200px|クレバスを行く登山者(1862年)]] |
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| 出典の明記 = 2021年3月 |
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[[画像:Maki Yuko.JPG|thumbnail|200px|{{Flagicon|JPN}} [[槇有恒]] |
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| 更新 = 2021年3月 |
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<small>[[アイガー]]東山稜の初登攀者。</small>]] |
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[[ファイル:Frères Bisson - 1862 - La crevasse (Départ).jpg|thumb|200px|[[モンブラン]]の[[クレバス]]を行く登山者たち(1862年)]] |
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[[File:Josef_Feid_Anastasius_Grün.jpg|thumb|200px|登山するAnastasius Grün([[1830年]]ころの絵画)]] |
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[[ファイル:Alpinistes_Aiguille_du_Midi_03.JPG|thumb|right|200px|フランス、[[エギーユ・デュ・ミディ]]の尾根をゆく登山者たち(2007年)]] |
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[[ファイル:Shirouma_dai_sekkei_upper.jpg|thumb|right|200px|日本の[[白馬大雪渓]]の上部を登る大勢の登山者たち([[2015年]])]] |
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[[File:Wikimanians climbing the San Defendente mountain 1.jpg|thumb|right|200px|夏に[[低山]]を、ガイドされつつ登るウィキマニアたち。まわりは樹木が生い茂っている。(2016年)]] |
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'''登山'''(とざん、{{Lang-en-short|mountain climbing, mountaineering, alpinism}})は、[[山]]に登ることに楽しみを求め、登ること自体を目的とすること<ref name="kotobank_britannica">{{Cite web|和書|url=https://kotobank.jp/word/%E7%99%BB%E5%B1%B1-105083 |title=登山(とざん)とは - コトバンク |website= |publisher= |accessdate=2018-12-22}}</ref>。そのような[[スポーツ]]<ref name="kotobank_britannica" />。 |
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== 概説 == |
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'''登山'''(とざん)とは、[[山]]に登ること。 |
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登山は山に登ることではある。だが、登山は登山そのものを目的とし、そこに最大の喜びを見出し、自分の人生に活かしてゆくことである<ref name="dainihonhyakka">『大日本百科全書』「登山」[[徳久球雄]] 執筆。</ref>。山菜や動物を採集したり、地質調査のため等々のために山に入ってそこを登ることは登山自体を目的としておらず、異なっている<ref name="dainihonhyakka" />。 |
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狩猟や信仰のための登山は古くから行われているが、これらは今日的な意味での登山からは除外される<ref name="kotobank_mypedia">[https://kotobank.jp/word/%E7%99%BB%E5%B1%B1-105083 コトバンク-マイペディア]</ref>。山頂から景色を眺めることがしたくて登山をした、という今日的な意味の登山へとつながる登山をした最初の記録はイタリアの[[ペトラルカ]](14世紀の詩人)のものである<ref name="kotobank_mypedia" />。→[[#歴史]] |
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古くは宗教的な意味を込めて山に登ったり、戦争など何らかの必要性から山を越えることはあったが、現代ではこの他にそれ自体が目的となった[[スポーツ]]、[[エンターテインメント|娯楽]]として、広範な人々に親しまれている。また、[[職業]]として登山を行う人も生まれている。 |
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山に登ることそのものを目的とする登山とその[[思想]]({{Lang-en-short|alpinism}}, '''[[アルピニズム]]''', '''近代登山''')が[[18世紀]]後半の[[ヨーロッパ]]で始まった<ref name="kotobank_britannica" /><ref name="コトバンク-アルピニズム" />{{sfn|平凡社|2011|p=265}}。この意味での登山は[[スポーツ]]の一種とされる<ref name="kotobank_britannica" /><ref name="コトバンク-アルピニズム" />{{sfn|平凡社|2011|p=265}}。 |
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西欧語の ''alpinism'' は「近代登山」と訳されるが、これは山に登ること自体に喜びを見出し、登山が[[精神]]や[[体|肉体]]に与えるものを重視し[[人生]]のうるおいとすることを目的にする<ref name="sekaip">平凡社『世界大百科事典』vol.20, pp.266-269、[[徳久球雄]]執筆</ref>。それ自体が目的となっている点で[[スポーツ]]の一種であり<ref name="sekaip" />、現代的な意味での登山の対象は、簡単に登ることができる近隣の[[丘陵]]から[[ヒマラヤ山脈]]まで様々である。 |
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;アルピニズム |
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{{Lang-en-short|alpinism}}(アルピニズム) は広義には登山全体を指すが、特に近代登山([[近代]]的な[[スポーツ]]登山)とその[[思想]]を指す<ref name="コトバンク-アルピニズム">{{Cite web|和書|url=https://kotobank.jp/word/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%94%E3%83%8B%E3%82%BA%E3%83%A0-428615 |title=アルピニズムとは - コトバンク |website= |publisher= |accessdate=2018-12-22}}</ref>。18世紀後半を始まりとする近代登山は{{efn2|ただしアルピニズムという語が生まれたのは19世紀後半であるとされている<ref name="コトバンク-アルピニズム" /><ref>{{Cite web |url=https://www.merriam-webster.com/dictionary/alpinism#examples |title=Alpinism | Definition of Alpinism by Merriam-Webster |website= |publisher=Merriam-Webster, Incorporated |accessdate=2018-12-23}}</ref>。}}、山に登ること自体に喜びを見出し、登山が[[精神]]や[[体|肉体]]に与えるものを重視し、[[人生]]のうるおいとすることを目的とする{{sfn|平凡社|2011|p=265}}<ref name="コトバンク-アルピニズム" />。アルピニズムはまた、登山の知識と技術を総合的に養い、全[[人格]]的に山に対していこうとする思想でもある<ref name="コトバンク-アルピニズム" />。登るという行為以外に目的がない点で近代登山は[[スポーツ]]の一種であり、この点において[[宗教]]的な登山{{efn2|[[モーセ]]は[[シナイ山]]で[[ヤハウェ|神]]から[[十戒]]を授かり、神との契約関係に入ったとされる{{harv|平凡社|2011|p=265}}<ref>{{Cite web|和書|url=https://kotobank.jp/word/%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%BB-142410 |title=モーセとは - コトバンク |website= |publisher= |accessdate=2018-12-22}}</ref>。}}や[[戦争]]、[[狩猟]]、[[測量]]、[[研究]]などのための登山と異なっている{{sfn|平凡社|2011|p=265}}<ref name="kotobank_britannica" /><ref name="コトバンク-アルピニズム" />。 |
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日本では[[第二次世界大戦|戦後]]に登山者が増加した{{sfn|平凡社|2011|p=267}}。[[高齢者|高年齢]]の登山者や女性も多くなり、登山は野外スポーツとして定着しているとされるが、遭難の続発は[[社会問題]]となっている{{sfn|平凡社|2011|p=267}}。高齢になって始めた登山者が、体力や技術を過信したり、気象変化を軽くみがちで、それが原因となって遭難し、[[山岳救助]]を要請する事態となっている。 |
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登山を広く捉えると、スリーシーズンの(雪が無い時期の)[[ハイキング]]、[[トレッキング]]、[[縦走|縦走登山]]といった比較的平易なものから、[[雪山|雪山登山]]、[[山スキー]]、[[沢登り]]、[[藪漕ぎ]]、[[ロッククライミング|岩登り(ロッククライミング)]]、[[アイスクライミング]]、[[フリークライミング]]、他にも[[トレイルランニング]]などと登山の難易度が高く技術や経験が必要なものまで、登山の形態は、方法、技術、難易度、季節、時期などによって多岐にわたる。 |
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== 歴史 == |
== 歴史 == |
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近代登山が始まる以前の段階(近代登山から見れば一種の「前史」に当たるもの)から解説する。 |
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山を登るということは[[先史時代]]から行われていたようである。[[イタリア]]と[[オーストリア]]の国境にて約5,300年前の男性の[[ミイラ]]である[[アイスマン]]が[[エッツタール|エッツ渓谷]](海抜3,210[[メートル|m]])で発見された。アイスマンがここまで登った理由は不明であるが、山に登ったことは確かである。他にも、狩猟などでも登山は行われていたが、これらは今日の登山とは除外される。また、多くの[[宗教]]で山は崇拝や[[信仰]]の対象とされ、神そのものであるとされる場合もあったことから、様々な[[聖典]]や[[伝説]]で登山が記録されている。[[モーセ]]は[[シナイ山]]で神の[[啓示]]を受けたとされる<ref name="sekaip" />。 |
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=== 先史時代 === |
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山を登るということは[[先史時代]]から行われていたようである。[[イタリア]]と[[オーストリア]]の国境にて約5,300年前の男性の[[ミイラ]]である[[アイスマン]]が[[エッツタール|エッツ渓谷]](海抜3,210[[メートル|m]])で発見された。アイスマンがここまで登った理由は不明であるが、山に登ったことは確かである。他にも、狩猟などでも登山は行われていたが、これらは今日の登山とは除外される。{{要出典範囲|また、多くの[[宗教]]で山は崇拝や[[信仰]]の対象とされ、神そのものであるとされる場合もあったことから、様々な[[聖典]]や[[伝説]]で登山が記録されている。|date=2018年12月21日|title=}}。 |
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宗教で山に登った記録としては、旧約聖書にある[[モーセの十戒]]に関連する[[シナイ山]]、新約聖書の[[山上の垂訓]]などがある。 |
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日本では[[縄文時代]]の早い段階から[[黒曜石]]を求めて登山したことが[[長野県]]の[[星糞峠黒曜石原産地遺跡]]や[[栃木県]]の[[高原山黒曜石原産地遺跡群#発掘調査の歴史|高原山黒曜石原産地遺跡群]]などから確認されている(当項目の「概要」および「発掘調査の歴史」を参照)ことから資源目的の登山は石器時代から行われていた。 |
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[[15世紀]]の[[南アメリカ]]の[[インカ帝国]]の都市遺跡である[[マチュ・ピチュ]]は王家の別邸説が有力であり、常住するものではなかったことから、登山をしたことが確認できる<ref>{{cite web|work=ナショナル ジオグラフィック|date=2011年7月21日|accessdate=2024年9月23日|title=マチュピチュ建設の理由、5つの説|url=https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/4622/?ST=m_news|author=Ker Than}}</ref>。 |
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=== ヨーロッパ === |
=== ヨーロッパ === |
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==== 中世以前 ==== |
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[[画像:Hannibal3.jpg|thumb|left|180px|[[アルプス山脈]]を越えるハンニバルの軍]] |
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[[ファイル:Hannibal3.jpg|thumb|right|180px|[[アルプス山脈]]を越えるハンニバルの軍]] |
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[[ハンニバル]]は[[紀元前218年|前218年]]に第二次ポエニ戦争の時、6万人の兵と37頭の象とともにピレネーやアルプスの山脈を越えたとされている<ref name="sekaip" />。 |
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[[紀元前218年|前218年]]、[[ハンニバル]]は[[第二次ポエニ戦争]]において、6万人の兵と37頭の[[ゾウ]]とともにピレネーや[[アルプス山脈|アルプスの山脈]]を越えたとされている{{sfn|平凡社|2011|p=265}}。 |
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[[125年]]にローマ帝国の[[ハドリアヌス]]帝は朝日を見るために[[エトナ火山]]に登った<ref>[[ローマ皇帝群像|ヒストリア・アウグスタ]] ハドリアヌス 13</ref>。 |
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[[1336年]]4月26日にイタリアの[[詩人]]、[[ペトラルカ]]が弟ジェラルドを連れて[[フランス]]のアビニョン近郊[[モン・ヴァントゥ|ヴァントゥ山]]の登山に挑み、その頂上まで登った。その後ペトラルカは、このときの旅程を友人に手紙に書き留めて送っている。このことから、ペトラルカは「登山の父」と呼ばれ、この日を登山の生まれた日としている。これは、文化史家の[[ヤーコプ・ブルクハルト]]の『イタリア・ルネサンスの文化』の中で紹介されている。旅の途中での必然的な山越えではなく、山に登ること自体を目的として試みられた近代最初の出来事である。 |
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[[125年]]にローマ帝国の[[ハドリアヌス]]帝は[[日の出|朝日]]を見るために[[エトナ火山]]に登った<ref>[[ローマ皇帝群像|ヒストリア・アウグスタ]] ハドリアヌス 13。</ref>。 |
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[[ルネサンス]]の始まりとともに趣味やスポーツとしての登山が行われるようになった。また、測量目的の登山も行われるようになり、フランス王[[シャルル8世 (フランス王)|シャルル8世]]が[[1492年]]に{{仮リンク|エギーユ山|fr|Mont Aiguille}}<!--もしくはエギュイーユ-->の登頂を命じたのは、この範疇に入る。[[レオナルド・ダ・ヴィンチ]]はヴァル・セシア郊外の雪山に登り、様々な実験や観察を行った。[[16世紀]]には[[スイス]]の[[チューリッヒ]]を中心に登山を賞賛する動きがあり、[[コンラート・ゲスナー|コンラッド・ゲスナー]]とジョシアス・シムラー([[:en:Josias Simmler|Josias Simmler]])が度々登山を行っていたことが記録されている。{{要出典|date=2016年6月|}}。2人はロープとピッケルを使ったが、一般には広まらなかった。[[17世紀]]のヨーロッパには登山の記録がまったく残されていない。 |
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==== ルネサンス期から18世紀前半 ==== |
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[[ファイル:00 Chamonix-Mont-Blanc - M G Paccard.jpg|thumb|モンブランを見つめる[[:en:Michel-Gabriel Paccard|M.G.パカール]]の像]] |
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[[ヨーロッパ]]近代の精神が、山に登ることそのものに喜びを見出す近代登山に道を開いた<ref name="コトバンク-アルピニズム" />{{efn2|山が美の対象として認識されるようになったのは[[ルネサンス]]時代からであるとされる{{harv|平凡社|2011|p=266}}。}}。[[イタリア]]の[[詩人]][[ペトラルカ]]がその先駆けとなった<ref name="コトバンク-アルピニズム" />。[[1336年]]、ペトラルカは[[フランス]]南部の[[アヴィニョン|アビニョン]]近郊の[[モン・ヴァントゥ|モンバントゥー]]に登った{{sfn|平凡社|2011|p=265}}<ref name="kotobank_britannica" /><ref name="コトバンク-アルピニズム" />。これが、山頂からの眺望を得るために登山をした最初の記録とされる<ref name="kotobank_britannica" /><ref name="コトバンク-アルピニズム" />。{{要出典範囲|その後ペトラルカは、このときの旅程を友人に手紙に書き留めて送っている。このことから、ペトラルカは「登山の父」と呼ばれ、この日を登山の生まれた日としている。これは、文化史家の[[ヤーコプ・ブルクハルト]]の『イタリア・ルネサンスの文化』の中で紹介されている。旅の途中での必然的な山越えではなく、山に登ること自体を目的として試みられた近代最初の出来事である。|date=2018年12月21日 (金) 07:55 (UTC)|title=}} |
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[[ファイル:Chamonix 2007 100 0022.JPG|thumb|right|140px|[[:en:Jacques Balmat|J.バルマ]]と[[オラス=ベネディクト・ド・ソシュール|H.B.deソシュール]]の像]] |
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18世紀後半、アルプス最高峰の[[モンブラン]]登頂が達成され、近代的登山の幕開けとなった<ref name="sekaip" />。1760年のこと、自然科学者[[オラス=ベネディクト・ド・ソシュール]]が[[シャモニー=モン=ブラン|シャモニー]]を訪れ、モンブラン初登頂を成し遂げた者に賞金を出すと宣言し、それに応える形で1786年にM・G・パカール([[:en:Michel-Gabriel Paccard|Michel-Gabriel Paccard]])およびJ・バルマ([[:en:Jacques Balmat|''Jacques Balmat'']] )が登頂に成功し<ref name="sekaip" />、翌年にはソシュール自身も登頂に成功した<ref name="sekaip" />。 |
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{{要出典範囲|[[ルネサンス]]の始まりとともに趣味やスポーツとしての登山が行われるようになった。また、測量目的の登山も行われるようになり、フランス王[[シャルル8世 (フランス王)|シャルル8世]]が[[1492年]]に{{仮リンク|エギーユ山|fr|Mont Aiguille}}<!--もしくはエギュイーユ-->の登頂を命じたのは、この範疇に入る。[[レオナルド・ダ・ヴィンチ]]はヴァル・セシア郊外の雪山に登り、様々な実験や観察を行った。[[16世紀]]には[[スイス]]の[[チューリッヒ]]を中心に登山を賞賛する動きがあり、[[コンラート・ゲスナー|コンラッド・ゲスナー]]と{{仮リンク|ジョシアス・シムラー|en|Josias Simmler}}が度々登山を行っていたことが記録されている。2人はロープとピッケルを使ったが、一般には広まらなかった。[[17世紀]]のヨーロッパには登山の記録がまったく残されていない。|date=2018年12月21日 (金) 07:55 (UTC)|title=}} |
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==== 近代登山の始まり ==== |
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[[ファイル:00 Chamonix-Mont-Blanc - M G Paccard.jpg|thumb|200px|モンブランを見つめる[[:en:Michel-Gabriel Paccard|M.G.パカール]]の像]] |
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[[ファイル:Chamonix 2007 100 0022.JPG|thumb|140px|[[:en:Jacques Balmat|J.バルマ]]と[[オラス=ベネディクト・ド・ソシュール|H.B.deソシュール]]の像]] |
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18世紀後半、アルプス最高峰の[[モンブラン]]登頂が達成されたことが、近代的登山(近代登山、スポーツとしての登山<ref name="kotobank_britannica" /><ref name="コトバンク-アルピニズム" />)の幕開けとなった{{sfn|平凡社|2011|p=266}}<ref name="kotobank_britannica" /><ref name="コトバンク-アルピニズム" />。1760年、[[自然科学]]者[[オラス=ベネディクト・ド・ソシュール]]が[[シャモニー=モン=ブラン|シャモニー]]を訪れ、モンブラン初登頂を成し遂げた者に賞金を出すと宣言し、それに応える形で1786年に{{仮リンク|ミシェル・ガブリエル・パカール|en|Michel-Gabriel Paccard}}および{{仮リンク|ジャック・バルマ|en|Jacques Balmat}}が登頂に成功した{{sfn|平凡社|2011|p=266}}<ref name="kotobank_britannica" /><ref name="コトバンク-アルピニズム" />{{efn2|翌年にはソシュール自身も登頂に成功した{{harv|平凡社|2011|p=266}}。}}。 |
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==== アルプス黄金時代 ==== |
==== アルプス黄金時代 ==== |
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[[19世紀]] |
[[19世紀]]に入って、[[アルプス山脈|ヨーロッパ・アルプス]]の登山は盛んになった{{sfn|平凡社|2011|p=266}}。特に[[イギリス]]人によって'''[[アルプス黄金時代]]'''がもたらされ、登山技術の面でも急激な進歩があった{{sfn|平凡社|2011|p=266}}。[[マッターホルン]](4,477m)は従来、登ることが不可能と見なされていたが、1865年7月14日に[[エドワード・ウィンパー]]が登頂に成功した{{sfn|平凡社|2011|p=266}}{{sfn|堀田|1990|pp=10-18}}。1857年には世界で最初の登山団体となる[[英国山岳会|イギリス山岳会]]が設立された{{sfn|平凡社|2011|p=266}}。1854年の{{仮リンク|ヴェッターホルン|en|Wetterhorn}}初登頂から1865年のマッターホルン初登頂までをアルプス黄金時代と呼ぶ{{sfn|堀田|1990|pp=10-18}}<ref name="kotobank_britannica" />。{{main|アルプス黄金時代}} |
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==== アルプス銀の時代 ==== |
==== アルプス銀の時代 ==== |
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アルプス黄金時代の間に、アルプス山脈の4,000m級の峰が登りつくされ[[未登峰]]がなくなると、岩壁や側稜などからの登山といったより困難なルート(バリエーションルート)からの登頂や、[[冬]]季登山、案内人を付けない登山などが行われるようになった{{sfn|平凡社|2011|p=266}}<ref name="コトバンク-アルプス">{{Cite web|和書|url=https://kotobank.jp/word/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%97%E3%82%B9-28605 |title=アルプスとは - コトバンク |website= |publisher= |accessdate=2018-12-22}}</ref>。その背景には、より困難なルートからの登山を提唱した[[アルバート・フレデリック・ママリー|ママリー]](1855-1895)の思想があり、これがママリズムとして近代のアルピニズムの主な思想となった{{sfn|平凡社|2011|p=266}}<ref>{{Cite web|和書|url=https://kotobank.jp/word/%E3%83%9E%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%83%BC-1208197 |title=ママリーとは - コトバンク |website= |publisher= |accessdate=2018-12-22}}</ref>。新しい山を求めて[[コーカサス|カフカス]]、[[アンデス山脈|アンデス]]などにも目が向けられ始めた{{sfn|平凡社|2011|p=266}}。1865年のウィンパーによるマッターホルン登頂から、1882年の{{仮リンク|ダン・デュ・ジュアン|en|Dent_du_Géant}}初登頂までを'''アルプス銀の時代'''と呼ぶ{{sfn|堀田|1990|pp=19-26}}。{{main|アルプス銀の時代}} |
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==== 銀の時代以後 ==== |
==== 銀の時代以後 ==== |
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{{節スタブ}} |
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銀の時代が終わっても登山は低迷せず、ドイツやオーストリアのクライマーによりさらにエスカレートした。 |
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ヨーロッパのアルプス以外にも目が向けられるようになり、[[コーカサス山脈]]、[[アンデス山脈]]などの山々、また[[アラスカ州|アラスカ]]の山などにも挑戦が行われるようになった。 |
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=== ヒマラヤ === |
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[[ジョージ・マロリー]]が「そこにそれがあるから-Because it is there.-」と答えたのはあまりに有名であるが、記者の「なぜ"未踏峰([[エベレスト]])"に登るのか」という質問への答えであることはあまり知られていない。[[北極]]、[[南極]]に次ぐ第3の極地[[エベレスト]]は、征服すべき対象であるとも説明している。 |
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[[ファイル:アンナプルナⅢ、マチャプチャレ1.jpg|thumb|230px|登山のメッカ、[[ヒマラヤ山脈|ヒマラヤ]]連峰の[[アンナプルナ]]III峰]] |
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世界最高峰の[[エベレスト]]が有名である。 |
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=== 日本 === |
=== 日本 === |
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[[ファイル:Akadake3.JPG|thumb|[[赤岳 (八ヶ岳山系)|赤岳]]山頂の登山者]] |
[[ファイル:Akadake3.JPG|thumb|230px|[[赤岳 (八ヶ岳山系)|赤岳]]山頂の登山者]] |
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==== 山岳修行 ==== |
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[[日本]]においては、[[717年]]に[[泰澄]]和尚が開山した[[白山]]、[[701年]]に[[越中国]](富山県)[[国司]]の息子[[佐伯有頼|有頼]]が開山した[[立山]]など、宗教にまつわり山を開いたとする開山縁起が残っている<ref name="wp5">『北アルプス この百年』 pp.11-72</ref><ref name="wp6">『北アルプス博物誌 I 登山・民俗』 pp.260-273 日本の登山小史 山崎安治</ref>。[[都良香]]の富士山記に、富士山頂の様子の記述がある<ref name="wp6">『北アルプス博物誌 I 登山・民俗』 pp.260-273 日本の登山小史 山崎安治</ref>。[[鎌倉時代]](1185年頃 - 1333年)・[[室町時代]](1336年 - 1573年)以降、山に関する記録が減っていくが、何らかの理由で記録を残さなかったのか、実際に人が山に入らなくなったのかは不明である<ref name="wp5">『北アルプス この百年』 pp.11-72</ref>。 |
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[[日本]]においては、[[717年]]に[[泰澄]]和尚が開山した[[白山]]、[[701年]]に[[越中国]](富山県)[[国司]]の息子[[佐伯有頼|有頼]]が開山した[[立山]]など、宗教にまつわり山を開いたとする開山縁起が残っている{{sfn|菊地|2003|pp=11-72}}{{sfn|大町山岳博物館|1974|pp=260-273}}。[[都良香]]の富士山記に、富士山頂の様子の記述がある{{sfn|大町山岳博物館|1974|pp=260-273}}。[[鎌倉時代]](1185年頃 - 1333年)・[[室町時代]](1336年 - 1573年)以降も北海道を除く全国各地の山岳寺院に所属する山伏による山岳修行が盛行し<ref>{{cite book|和書|author=鈴木正崇 |title=山岳信仰 : 日本文化の根底を探る |publisher=中央公論新社 |year=2015 |series=中公新書 |ISBN=9784121023100}}</ref>、各山地の尾根道をメインルートとした入峰修行登山の記録が残されている<ref>{{Cite book|和書|author=城川隆生|title=丹沢の行者道を歩く|year=2005|publisher=白山書房 |ISBN=4894750961}}</ref>。最も記録が多く残されているのは紀伊半島の大峰山脈で、東北では羽黒山・月山、関東では日光、丹沢、中部地方の富士山、九州では英彦山など、[http://www.sangakushugen.jp 調査研究も進んでいる]<ref>{{Cite book|和書|title=山岳宗教史研究叢書|date=|year=1974-1985|publisher=名著出版}}</ref>。ただし、この登山文化は明治5年(1872)の修験道廃止令で一旦は途絶えることになった。 |
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==== 近世の登山 ==== |
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日本において、宗教目的以外で記録される著名な登山といえば、[[安土桃山時代]]、[[1584年]](天正12年)12月の[[佐々成政]]による「さらさら越え」([[飛騨山脈|北アルプス]]越え)である。しかも、これは比較的容易な無積雪期ではなく、冬季の積雪期に敢行されたという点でも注目されている。ルートは、立山温泉-ザラ(佐良)峠-平の渡し([[黒部川]])-針ノ木峠-籠川(かごかわ)の経路が有力視されているが、確証はない。[[立山]]の一の越-御山谷ルート、別山-内蔵助谷ルートをとったという説もある。 |
日本において、宗教目的以外で記録される著名な登山といえば、[[安土桃山時代]]、[[1584年]](天正12年)12月の[[佐々成政]]による「さらさら越え」([[飛騨山脈|北アルプス]]越え)である。しかも、これは比較的容易な無積雪期ではなく、冬季の積雪期に敢行されたという点でも注目されている。ルートは、立山温泉-ザラ(佐良)峠-平の渡し([[黒部川]])-針ノ木峠-籠川(かごかわ)の経路が有力視されているが、確証はない。[[立山]]の一の越-御山谷ルート、別山-内蔵助谷ルートをとったという説もある。 |
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ザラ峠とは[[安房峠]](古安房峠)のことを指す、佐々成政は安房峠を越える[[鎌倉街道]]を通って越中富山-遠江浜松を往復したのだ、という説もある |
ザラ峠とは[[安房峠]](古安房峠)のことを指す、佐々成政は安房峠を越える[[鎌倉街道]]を通って越中富山-遠江浜松を往復したのだ、という説もある{{sfn|服部|2007|pp=61-104,105-155}}。 |
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同様の軍事的な意味合いの登山としては、[[武田信玄]]の配下の武将[[山県昌景]]が、[[1559年]](永禄2年)に[[飛騨国|飛騨]]を攻めるのに[[上高地]]から安房峠(古安房峠)を超えて入った事例が知られている |
同様の軍事的な意味合いの登山としては、[[武田信玄]]の配下の武将[[山県昌景]]が、[[1559年]](永禄2年)に[[飛騨国|飛騨]]を攻めるのに[[上高地]]から安房峠(古安房峠)を超えて入った事例が知られている{{sfn|大町山岳博物館|1974|pp=260-273}}{{sfn|服部|2007|pp=136,138-155}}。 |
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[[1640年]](寛永17年)に[[加賀藩]]によって設置され[[1870年]](明治3年)まで続いた黒部[[奥山廻り]]役は、藩林保護のための検分登山を行い、[[飛騨山脈|北アルプス]]の主峰のほとんどを登って回った |
[[1640年]](寛永17年)に[[加賀藩]]によって設置され[[1870年]](明治3年)まで続いた黒部[[奥山廻り]]役は、藩林保護のための検分登山を行い、[[飛騨山脈|北アルプス]]の主峰のほとんどを登って回った{{sfn|大町山岳博物館|1974|pp=260-273}}。 |
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文化13年(1816年)、[[小尾権三郎]](延命行者)の[[甲斐駒ヶ岳]]、 |
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[[化政文化|文化・文政期]](1804年 - 1829年)、[[1819年]]の明覚法師と永昌行者による[[乗鞍岳]]、[[1828年]]の[[播隆]]上人による[[槍ヶ岳]]など、[[開山]]が相次ぐ。また、立山講や御岳講、駒ヶ岳講などの[[講]]中登山が盛んになる。[[寛政|寛政期]](1789年 - 1800年)に寺社詣でが解禁され、『[[東海道中膝栗毛]]』(1802年 - 1822年)が[[人気]]を博すなど、[[大衆|民衆]]の間に[[旅行#歴史|旅行]]人気が広まったことが背景として考えられ、参加する者の多くにとっては、宗教的な意味合いよりも、物見遊山としてのものだったと考えられる{{sfn|菊地|2003|pp=11-72}}。 |
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[[江戸時代]]、[[文人画]]家[[池大雅]]、[[医者]][[川村錦城]]、[[医学者]][[橘南谿]]、[[画家]][[谷文晁]]などが、山そのものを味わうために山に登ったことが知られている{{sfn|大町山岳博物館|1974|pp=260-273}}。 |
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[[化政文化|文化・文政期]](1804年 - 1829年)、[[1819年]]の明覚法師と永昌行者による[[乗鞍岳]]、[[1828年]]の[[播隆]]上人による[[槍ヶ岳]]など、開山が相次ぐ。また、立山講や御岳講などの[[講]]中登山が盛んになる。[[寛政|寛政期]](1789年 - 1800年)に寺社詣でが解禁され、『[[東海道中膝栗毛]]』(1802年 - 1822年)が[[人気]]を博すなど、[[大衆|民衆]]の間に[[旅行#歴史|旅行]]人気が広まったことが背景として考えられ、参加する者の多くにとっては、宗教的な意味合いよりも、物見遊山としてのものだったと考えられる<ref name="wp5">『北アルプス この百年』 pp.11-72</ref>。 |
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[[江戸時代|江戸]][[幕末]]、[[飛騨山脈|北アルプス]]麓にある入四ヵ村で年に薪五千間、板子八万梃を伐採しに[[大天井岳|二ノ俣]]あたりまで入っていたなど、多くは記録に残っていないが、歴史を通じて、[[杣]]人や[[狩猟]]や[[鉱山|採鉱]]などの山[[労働|仕事]]でたくさんの人が山に入っていたと考えられる{{sfn|菊地|2003|pp=11-72}}。 |
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[[江戸時代]]、[[文人画]]家[[池大雅]]、[[医者]][[川村錦城]]、[[医学者]][[橘南谿]]、[[画家]][[谷文晁]]などが、山そのものを味わうために山に登ったことが知られている<ref name="wp6">『北アルプス博物誌 I 登山・民俗』 pp.260-273 日本の登山小史 山崎安治</ref>。 |
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[[ファイル:Fujisan Hongu Sengen okunomiya.jpg|thumb|230px|富士山頂の登山者(富士宮口頂上)]] |
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江戸幕末以降、複数の[[欧米]]人が[[富士山_(代表的なトピック)|富士山]]に登った。[[1860年]](万延元年)7月、[[ラザフォード・オールコック|オールコック]]が[[大宮・村山口登山道]]から登り登頂している。[[1867年]](慶応3年)10月には[[ハリー・パークス|パークス]]夫人が、[[1868年]](明治元年)7月に[[アーネスト・サトウ|サトウ]]が登っている{{sfn|大町山岳博物館|1974|pp=260-273}}。 |
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[[江戸時代|江戸]][[幕末]]、[[飛騨山脈|北アルプス]]麓にある入四ヵ村で年に薪五千間、板子八万梃を伐採しに[[大天井岳|二ノ俣]]あたりまで入っていたなど、多くは記録に残っていないが、歴史を通じて、[[杣]]人や[[狩猟]]や[[鉱山|採鉱]]などの山[[仕事]]でたくさんの人が山に入っていたと考えられる<ref name="wp5">『北アルプス この百年』 pp.11-72</ref>。 |
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[[ファイル:Fujisan Hongu Sengen okunomiya.jpg|thumb|富士山頂の登山者(富士宮口頂上)]] |
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江戸幕末以降、複数の[[欧米]]人が[[富士山]]に登った。[[1860年]](万延元年)7月、[[ラザフォード・オールコック|オールコック]]が[[富士山村山口登山道]]から登り登頂している。[[1867年]](慶応3年)10月には[[ハリー・パークス|パークス]]夫人が、[[1868年]](明治元年)7月に[[アーネスト・サトウ|サトウ]]が登っている<ref name="wp6">『北アルプス博物誌 I 登山・民俗』 pp.260-273 日本の登山小史 山崎安治</ref>。 |
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==== 日本での近代登山の幕開け ==== |
==== 日本での近代登山の幕開け ==== |
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[[明治]]時代([[1868年]] - [[1912年]])、[[1874年]]に[[ウィリアム・ゴーランド|ガウランド]]、[[ロバート・ウィリアム・アトキンソン|アトキンソン]]、[[アーネスト・サトウ|サトウ]]の三人の外国人パーティが、[[ピッケル]]とナーゲルを用いた登山を日本で初めて[[六甲山]]で行った。ガウランドは[[1881年]]に[[槍ヶ岳]]と前[[穂高岳]]に登山して「[[日本アルプス]]」を命名した人物で、サトウは[[富士山]]に最初期に登った外国人としても知られる<ref>『山と高原地図 51六甲・摩耶・有馬』1994年 |
[[明治]]時代([[1868年]] - [[1912年]])、[[1874年]]に[[ウィリアム・ゴーランド|ガウランド]]、[[ロバート・ウィリアム・アトキンソン|アトキンソン]]、[[アーネスト・サトウ|サトウ]]の三人の外国人パーティが、[[ピッケル]]とナーゲルを用いた登山を日本で初めて[[六甲山]]で行った。ガウランドは[[1881年]]に[[槍ヶ岳]]と前[[穂高岳]]に登山して「[[日本アルプス]]」を命名した人物で、サトウは[[富士山_(代表的なトピック)|富士山]]に最初期に登った外国人としても知られる<ref name="昭文社1994">『山と高原地図 51六甲・摩耶・有馬』 昭文社〈エアリアマップ〉、1994年、小冊子p.12『登山史』。調査執筆:赤松滋。</ref>。 |
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日本アルプスには、上記3名のほか、[[ウォルター・ウェストン]]、[[バジル・ホール・チェンバレン]]、フランシス、ミルン など複数の欧米人が登った。15版まで重版されるベストセラーとなった[[志賀重昂]]の『日本風景論』が[[1894年]](明治27年)10月に出版されるまでの時期を、明治時代日本アルプス登山史の第一期とする見方がある |
日本アルプスには、上記3名のほか、[[ウォルター・ウェストン]]、[[バジル・ホール・チェンバレン]]、フランシス、ミルン など複数の欧米人が登った。15版まで重版されるベストセラーとなった[[志賀重昂]]の『日本風景論』が[[1894年]](明治27年)10月に出版されるまでの時期を、明治時代日本アルプス登山史の第一期とする見方がある{{sfn|はま|1994|pp=165-171}}。 |
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その見方では、それ以降[[参謀本部 (日本)|参謀本部]][[陸地測量部]]による[[1913年]](大正2年)の[[地図]]刊行までをその第二期とする。第二期には、[[冠松次郎]]、[[木暮理太郎]]、[[小島烏水]]、近藤茂吉、三枝守博、武田久吉、[[田部重治]]、鳥山悌成、中村清太郎 らが北アルプスに登った{{sfn|はま|1994|pp=165-171}}。<!---ここまで--->陸地測量部は[[館潔彦]]、[[柴崎芳太郎]]などの測量官を派遣し、一等[[三角測量]]を完成し、地図を刊行した。第二期を、小島烏水は日本登山史上の[[探検]]時代と呼んでいる{{sfn|大町山岳博物館|1974|pp=260-273}}。 |
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明治期の日本アルプスの登山では、[[長野県]]の内野常次郎、[[上條嘉門次]]([[梓川]][[渓谷]])、[[小林喜作]](中房渓谷)、[[遠山品右衛門]](高瀬川渓谷)、横沢類蔵、[[富山県]]の[[宇治長次郎]]、佐伯源次郎、佐伯平蔵、[[山梨県]]の大村晃平、中村宗義(早川谷)など、地元の[[猟師]]が案内をした |
明治期の日本アルプスの登山では、[[長野県]]の[[内野常次郎]]、[[上條嘉門次]]([[梓川]][[渓谷]])、[[小林喜作]](中房渓谷)、[[遠山品右衛門]](高瀬川渓谷)、横沢類蔵、[[富山県]]の[[宇治長次郎]]、佐伯源次郎、佐伯平蔵、[[山梨県]]の大村晃平、中村宗義(早川谷)など、地元の[[猟師]]が案内をした{{sfn|はま|1994|pp=165-171}}{{sfn|大町山岳博物館|1974|p=2}}。 |
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[[ファイル:Maki Yuko.JPG|thumb|100px|{{Flagicon|JPN}} [[槇有恒]]-----<small>[[アイガー]]東山稜の初登山者。</small>]] |
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日本の「近代登山」の始まりをどの時点に置くかは、人によって解釈が様々であるが、[[1874年]](明治7年)に[[六甲山]]における、[[ウィリアム・ゴーランド|ガウランド]]、[[ロバート・ウィリアム・アトキンソン|アトキンソン]]、[[アーネスト・サトウ|サトウ]]の3人の外国人パーティによる[[ピッケル]]とナーゲルを用いた登山が、日本の近代登山の最初とされることが多い<ref>『山と高原地図 51六甲・摩耶・有馬』1994年版小冊子p.12『登山史』、調査執筆:[[赤松滋]]</ref>。[[1889年]](明治22年)には、ウェストンによってテント・ザイル等が持ち込まれ、ウェストンの助言で小島烏水らが[[1905年]](明治38年)に日本で最初の山岳会「山岳会」(後の「[[日本山岳会]]」)を設立した。この年を近代登山の始まりとする説もある。また[[今西錦司]]の言うように[[1918年]](大正7年)の[[第一次世界大戦]]の終戦時をもって近代登山の幕開けとされることもある。 |
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日本の「近代登山」の始まりをどの時点に置くかは、人によって解釈が様々であるが、[[1874年]](明治7年)に[[六甲山]]における、[[ウィリアム・ゴーランド|ガウランド]]、[[ロバート・ウィリアム・アトキンソン|アトキンソン]]、[[アーネスト・サトウ|サトウ]]の3人の外国人パーティによる[[ピッケル]]とナーゲルを用いた登山が、日本の近代登山の最初とされることが多い<ref name="昭文社1994" />。[[1889年]](明治22年)には、ウェストンによってテント・ザイル等が持ち込まれ、ウェストンの助言で小島烏水らが[[1905年]](明治38年)に日本で最初の山岳会「山岳会」(後の「[[日本山岳会]]」)を設立した。この年を近代登山の始まりとする説もある。また[[今西錦司]]の言うように[[1918年]](大正7年)の[[第一次世界大戦]]の終戦時をもって近代登山の幕開けとされることもある。 |
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[[測量]]や[[地理学]]的な目的での登山も行われた。[[1882年]](明治15年)8月の内務省地質測量長[[ハインリッヒ・エドムント・ナウマン|ナウマン]]博士の命令による[[横山又次郎]]一行の[[赤石山脈|南アルプス]]横断、[[1885年]](明治18年)全国地質測量主任ライマンの助手坂本太郎の[[槍ヶ岳]]-[[薬師岳]]縦走、[[1889年]](明治22年)[[農商務省 (日本)|農商務省]][[地質調査所]]の[[大塚専一]]による[[針ノ木岳]]-[[立山]]-[[後立山連峰|後立山]]縦走などである{{sfn|大町山岳博物館|1974|pp=260-273}}。 |
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明治時代、北アルプスの地元では、学校登山が行われた。[[1883年]](明治16年)に窪田畔夫と[[白馬岳]]に登った渡辺敏は、[[長野県長野西高等学校|長野高等女学校]][[校長]]時代、[[理科]]・[[体育]][[教育]]の目的で、[[1902年]](明治35年)より毎年、[[戸隠山]]、[[白馬岳]]、[[富士山]]などへの登山を実施した。[[富山師範学校]][[教諭]]の保田広太郎は、[[1885年]](明治18年)頃より、[[学生]]を連れて[[立山]]などに登った。[[河野齢蔵]]は[[1893年]](明治26年)から[[植物採集|動植物採集]]の目的で北アルプスの山々に登り、大町小学校校長のとき、学校で登山を奨励した<ref name="wp9">『北アルプス博物誌 I 登山・民俗』 p.48 山でつくられた郷土の科学者 高橋秀男</ref><ref name="wp10">『北アルプス この百年』 pp.60-62, 156-169 </ref>。 |
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==== 黎明期は学校登山 ==== |
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明治時代、[[測量]]や[[地理学]]的な目的での登山が行われた。[[1882年]](明治15年)8月の内務省地質測量長[[ハインリッヒ・エドムント・ナウマン|ナウマン]]博士の命令による横山又次郎一行の[[赤石山脈|南アルプス]]横断、[[1885年]](明治18年)全国地質測量主任ライマンの助手坂本太郎の[[槍ヶ岳]]-[[薬師岳]]縦走、[[1889年]](明治22年)大塚専一の[[針ノ木岳]]-[[立山]]-[[後立山連峰|後立山]]縦走などである<ref name="wp6">『北アルプス博物誌 I 登山・民俗』 pp.260-273 日本の登山小史 山崎安治</ref>。 |
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明治時代、北アルプスの地元では、学校登山が行われた。[[1883年]](明治16年)に[[窪田畔夫]]と[[白馬岳]]に登った渡辺敏は、[[長野県長野西高等学校|長野高等女学校]][[校長]]時代、[[理科]]・[[体育]][[教育]]の目的で、[[1902年]](明治35年)より毎年、[[戸隠山]]、[[白馬岳]]、[[富士山_(代表的なトピック)|富士山]]などへの登山を実施した。[[富山師範学校]][[教諭]]の保田広太郎は、[[1885年]](明治18年)頃より、[[学生]]を連れて[[立山]]などに登った。[[河野齢蔵]]は[[1893年]](明治26年)から[[植物採集|動植物採集]]の目的で北アルプスの山々に登り、大町小学校校長のとき、学校で登山を奨励した{{sfn|大町山岳博物館|1974|p=48}}{{sfn|菊地|2003|pp=60-62,156-169}}。 |
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==== 三角点設置 ==== |
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[[陸地測量部]]によって、[[1907年]](明治40年)までに、[[日本アルプス]]の主峰のほとんどに、[[三角点]]が設置された<ref name="wp6">『北アルプス博物誌 I 登山・民俗』 pp.260-273 日本の登山小史 山崎安治</ref>。 |
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[[陸地測量部]]によって、[[1907年]](明治40年)までに、[[日本アルプス]]の主峰のほとんどに、[[三角点]]が設置された{{sfn|大町山岳博物館|1974|pp=260-273}}。 |
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==== 登山ブーム到来 ==== |
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探検時代の後<ref>『山の遭難 あなたの山登りは大丈夫か』 p.16、18</ref>、明治末から[[大正]]にかけて、日本アルプスへ登山する人たちが増え始め<ref name="wp11">『北アルプス この百年』 pp.74-125、170-187</ref>、大正期に[[大衆]]化した<ref>『山の遭難 あなたの山登りは大丈夫か』 p.18、25。本書は、近代登山以降という尺度で見た場合という観点からとして、この大正期から昭和初期、戦争によって下火になるまでの間のブームを、第1次登山ブームと呼んでいる。</ref>。[[1915年]](大正4年)の[[上高地]] [[大正池 (松本市)|大正池]]の出現や、皇族の登山などが、人々を山へ誘った<ref>『山の遭難 あなたの山登りは大丈夫か』 p.18、19。[[東久邇宮稔彦王]]や[[秩父宮雍仁親王]]が登山に親しんだ。</ref>。 |
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探検時代の後{{sfn|羽根田|2010|pp=16,18}}、明治末から[[大正]]にかけて、日本アルプスへ登山する人たちが増え始め{{sfn|菊地|2003|pp=74-125,170-187}}、大正期に[[大衆]]化した{{sfn|羽根田|2010|pp=18,25}}{{efn2|羽根田治『山の遭難 あなたの山登りは大丈夫か』 (平凡社、2010年)は、近代登山以降という尺度で見た場合という観点からとして、この大正期から昭和初期、戦争によって下火になるまでの間のブームを、第1次登山ブームと呼んでいる{{harv|羽根田|2010|pp=18,25}}。}}[[1915年]](大正4年)の[[上高地]] [[大正池 (松本市)|大正池]]の出現や、皇族の登山などが、人々を山へ誘った{{sfn|羽根田|2010|pp=18,19}}{{efn2|[[東久邇宮稔彦王]]や[[秩父宮雍仁親王]]が登山に親しんだ{{harv|羽根田|2010|pp=18,19}}。}}。 |
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一方、日本の登山は当時のイギリスの上流階級の趣味としての登山の受容から始まっており、戦前の登山において大学・高校の山岳部の現役・OBが大きな役割を占めるのも、彼らの多くが上流階級の子弟で経済的にも時間的にも余裕がある人々だったからだという指摘がある。登山の大衆化はこうした既存の担い手との摩擦も生じ、当時は(お金をかけて)案内人を雇って登るのがマナーと考えられていたためにタブー視されてきた単独行を行ってその草分け的存在となった[[加藤文太郎]]は、加藤自身の内向的な性格も相俟って批判の対象とされた<ref>羽根田治『山岳遭難の傷痕』山と渓谷社、2020年 ISBN 978-4-635-17199-1 P52-63.</ref>。 |
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これを受けて、[[1907年]](明治40年)に松沢貞逸が白馬岳山頂近くに橋頭堡を築いて営業を開始したのに始まり、[[1916年]](大正5年)に松沢貞逸が白馬尻小屋を、[[1918年]](大正7年)に穂苅三寿雄がアルプス旅館(槍沢小屋)を、[[1921年]](大正10年)に赤沼千尋が燕ノ小屋(燕山荘)を、百瀬慎太郎が[[1925年]](大正14年)に大沢小屋、[[1930年]](昭和5年)に針ノ木小屋の営業を開始するなど、山中で登山者が休憩・宿泊する山小屋の営業が始まった<ref name="wp11">『北アルプス この百年』 pp.74-125、170-187</ref>。 |
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==== 遭難事故の増加 ==== |
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また、[[1917年]](大正6年)の百瀬慎太郎による大町登山案内者組合結成をはじめ、[[1918年]](大正7年)の赤沼千尋の有明登山案内者組合、[[1919年]](大正8年)の松沢貞逸の四ツ谷(白馬)登山案内者組合、[[1922年]](大正11年)の奥原英男による島々口登山案内者組合結成など、山案内人(山岳ガイド)の利用料金および利用者と案内人の間のルールの明示・統一が試みられた<ref name="wp11">『北アルプス この百年』 pp.74-125、170-187</ref><ref>『北アルプス この百年』 pp.178-180。1925年(大正14年)長野県制定の登山者休泊所及案内者取締規則により山案内人の公的な資格認定が始まり、その流れは1953年(昭和28年)の長野県観光案内業条例に引き継がれた。この条例の資格を受けた者は、2001年(平成13年)は579人。</ref>。 |
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登山の広がりは遭難事故の増加をもたらすことになる。登山家・作家の[[春日俊吉]]の調査によると、近代登山における記録に残る最古のものは、1891年9月に青山学院(当時は[[東京英和学校]])の学生が友人ら2名と[[木曽駒ヶ岳]]に登山した際に雨に打たれて体力を消耗したことで下山中に死亡した事故とみられている<ref>春日俊吉『山と雪の墓標 松本深志高校生徒落雷遭難の記録』有峰書店、1970年、P235-238.</ref>。初期の遭難事件としては、軍隊の訓練による[[八甲田雪中行軍遭難事件]]や学校の集団登山による[[木曽駒ヶ岳大量遭難事故]]は著名であるが、前述の春日によれば記録が伝わる遭難事故は明治期には199名の犠牲者を出した八甲田山の遭難事件を除くとわずか3件6名の犠牲者に過ぎないが、大正の15年間(実質14年弱)で21件64名の犠牲者が出ているとしている<ref>春日俊吉『山と雪の墓標 松本深志高校生徒落雷遭難の記録』有峰書店、1970年、P243-244.</ref>。 |
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==== 山小屋の設置 ==== |
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[[1921年]](大正10年)の[[槇有恒]]の[[アイガー]]東山稜登攀をきっかけとして、大正末期に[[アルピニズム]]の時代に入った。「先鋭的な登攀」が実践され、「岩と雪の時代」「バリエーションの時代」と呼ばれた<ref>『山の遭難 あなたの山登りは大丈夫か』 p.19</ref>。大学や高校の山岳部が、より困難なルートの制覇を目指して山を登った<ref>『山の遭難 あなたの山登りは大丈夫か』 p.22、24</ref>。 |
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[[1907年]](明治40年)に[[松沢貞逸]]が白馬岳山頂近くに橋頭堡を築いて営業を開始したのに始まり、[[1916年]](大正5年)に松沢貞逸が白馬尻小屋を、[[1918年]](大正7年)に穂苅三寿雄がアルプス旅館(槍沢小屋)を、[[1921年]](大正10年)に赤沼千尋が燕ノ小屋(燕山荘)を、百瀬慎太郎が[[1925年]](大正14年)に大沢小屋、[[1930年]](昭和5年)に針ノ木小屋の営業を開始するなど、山中で登山者が休憩・宿泊する山小屋の営業が始まった{{sfn|菊地|2003|pp=74-125,170-187}}。 |
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==== 登山案内者組合結成 ==== |
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[[1937年]](昭和12年)に始まる[[日中戦争]]、[[1938年]](昭和13年)に制定される[[国家総動員法]]などの時代情勢により、登山ブームは下火になる<ref>『山の遭難 あなたの山登りは大丈夫か』 p.25。登山者は[[非国民]]と呼ばれるなどの[[時代精神|時代情勢]]になった。</ref>。 |
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[[1917年]](大正6年)の[[百瀬慎太郎]]による大町登山案内者組合結成をはじめ、[[1918年]](大正7年)の赤沼千尋の有明登山案内者組合、[[1919年]](大正8年)の松沢貞逸の四ツ谷(白馬)登山案内者組合、[[1922年]](大正11年)の奥原英男による島々口登山案内者組合結成など、山案内人(山岳ガイド)の利用料金および利用者と案内人の間のルールの明示・統一が試みられた{{sfn|菊地|2003|pp=74-125,170-187}}{{efn2|1925年(大正14年)長野県制定の登山者休泊所及案内者取締規則により山案内人の公的な資格認定が始まり、その流れは1953年(昭和28年)の長野県観光案内業条例に引き継がれた。この条例の資格を受けた者は、2001年(平成13年)は579人{{harv|菊地|2003|pp=178-180}}。}} |
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==== アルピニズムの時代 ==== |
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[[1945年]](昭和20年)の[[第二次世界大戦]]終了後、大学・高校の山岳部の活動が再開された<ref>『山の遭難 あなたの山登りは大丈夫か』 pp.25-26</ref>。 |
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[[1921年]](大正10年)の[[槇有恒]]の[[アイガー]]東山稜登攀をきっかけとして、大正末期に[[アルピニズム]]の時代に入った。「先鋭的な登攀」が実践され、「岩と雪の時代」「バリエーションの時代」と呼ばれた{{sfn|羽根田|2010|p=19}}。大学や高校の山岳部が、より困難なルートの制覇を目指して山を登った{{sfn|羽根田|2010|pp=22,24}}。 |
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==== ヒマラヤ遠征 ==== |
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[[1936年]](昭和11年)には日本では初(戦前では唯一)となる[[ヒマラヤ山脈]]への遠征が、[[堀田弥一]]を隊長とする[[立教大学]]隊により{{仮リンク|ナンダ・コート|en|Nanda Kot}}(標高6867メートル、当時は[[イギリス領インド帝国]]内)を目標に実施され、初登頂に成功した<ref>{{Cite Kotobank|word=堀田弥一|encyclopedia=ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典|accessdate=2021-11-24}}</ref>。 |
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1950年代、[[ヒマラヤ山脈|ヒマラヤ]]で、[[1950年]](昭和25年)の[[アンナプルナ]]、[[1953年]](昭和28年)の[[エベレスト]]、[[1956年]](昭和31年)の[[マナスル]]の初登頂など、8000メートル峰(14座ある)の初登頂ラッシュ<ref>『山の遭難 あなたの山登りは大丈夫か』 pp.29-30。</ref><ref group="注釈">アンナプルナはフランス隊による「人類初」の8000メートル峰登頂、エベレストはイギリス隊のエドモンド・ヒラリーとシェルパのテンジン・ノルゲイによる世界最高峰初登頂、マナスルの初登頂は[[槇有恒]]率いる日本山岳会隊の[[今西壽雄]]とシェルパのギャルツェン・ノルブによるもの。</ref>が続き、これを受け再び登山ブームが起きた。このブームの特徴は、大学や高校の山岳部に代わって、社会人山岳会の活動が活発になったことである<ref>『山の遭難 あなたの山登りは大丈夫か』 p.30</ref>。この時期、[[1955年]](昭和30年)有名な[[ナイロンザイル事件]]が起きた<ref>『山の遭難 あなたの山登りは大丈夫か』 pp.29-32</ref>。また、[[谷川岳]]では、多発する遭難事故を受けて、群馬県が[[1966年]](昭和41年)に[[登山条例|群馬県谷川岳遭難防止条例]]を制定した<ref>『山の遭難 あなたの山登りは大丈夫か』 p.32-35。谷川岳の遭難死者数は[[2008年]](平成20年)までに792人で、本書によれば、「世界でいちばん遭難死者が多い山」として[[ギネス世界記録]]に認定されているという。</ref>。[[1971年]](昭和46年)、海外で「先鋭的な登攀」を行ってきた人達が(社)日本アルパイン・ガイド協会を設立し、登山のガイドや山岳ガイドの養成、資格認定などを行い始めた<ref>『山の遭難 あなたの山登りは大丈夫か』 pp.236-238</ref>。[[1960年代]] - [[1970年代]]、山岳部や山岳会が「先鋭的な登攀」を続ける一方で、一般の人々が[[ハイキング]]から縦走登山、[[ロッククライミング|岩登り]]まで、好みと能力にあわせて広く楽しむようになった<ref>『山の遭難 あなたの山登りは大丈夫か』 p.39</ref>。<ref>『山の遭難 あなたの山登りは大丈夫か』 p.29、30、39。本書は、近代登山以降という尺度で見た場合という観点からとして、このブームを第2次登山ブームと呼んでいる。p.18によれば、一般的には、このブームを第1次登山ブームと呼ぶ場合が多いという。</ref> |
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==== 日中戦争の影 ==== |
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1980年代、山岳部や山岳会が衰退し始め、また、登山者に占める[[中年|中高年]]者の割合が増え始めた。若い世代が山登りを[[3K]]というイメージで捉えて敬遠するようになり、育児が一段落した人たちが山登りを趣味とし始め、仕事をリタイアした世代が若い頃に登った山に戻り始めたことが理由であると考えられる。これに[[健康ブーム|健康志向]]と[[日本百名山]]ブームが輪をかけ、[[2010年]]現在に至っている。このブームで、ツアー登山が盛んになった<ref>『山の遭難 あなたの山登りは大丈夫か』 pp.224-227。「旅行会社のパック旅行のような」(p.225)形態のツアー登山の先駆けは、1970年代末頃と考えられる。</ref>。このブームの時代、[[1990年]](平成2年)、各地に設立された山岳ガイド団体が日本山岳ガイド連盟を設立し、ガイド資格の発給を行うようになった。[[2003年]](平成15年)、日本アルパイン・ガイド協会が日本山岳ガイド連盟を合併して(社)日本山岳ガイド協会が発足、日本全国統一基準のガイド資格が生まれた<ref>『山の遭難 あなたの山登りは大丈夫か』 pp.236-238。[[2007年]](平成19年)日本アルパイン・ガイド協会が日本山岳ガイド協会を脱会、[[2010年]](平成22年)1月現在、山岳ガイドの資格認定を行う全国的な団体は2団体となっている。</ref>。また2010年今日、また若者が登山に戻りつつある<!--- 山ガールなど? --->。<ref>『山の遭難 あなたの山登りは大丈夫か』 pp.50-53。本書は、近代登山以降という尺度で見た場合という観点からとして、ここから続くブームを第3次登山ブームと呼んでいる。p.52 では、このブームの始期は、1980年代後半から1990年代初頭と認識するのが妥当ではないかとしている。</ref> |
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[[1937年]](昭和12年)に始まる[[日中戦争]]、[[1938年]](昭和13年)に制定される[[国家総動員法]]などの時代情勢により、登山ブームは下火になる{{sfn|羽根田|2010|p=25}}{{efn2|登山者は[[非国民]]と呼ばれるなどの[[時代精神|時代情勢]]になった{{harv|羽根田|2010|p=25}}。}}。 |
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==== 戦後 ==== |
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[[1945年]](昭和20年)の[[第二次世界大戦]]終了後、大学・高校の山岳部の活動が再開された{{sfn|羽根田|2010|pp=25-26}}。 |
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もともと本来の登山は競技ではなく<ref name="sekaip" />(つまり他人と競って優劣をつけるためのものではなく)、技術の優劣を簡単に言えるものではなく、また同一の山、同一コースでも、自然条件が異なればその難易度がまったく異なる性質を持っている<ref name="sekaip" />。 |
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==== 日本隊のマナスル初登頂の影響 ==== |
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よって登山技術というのは、広い意味で言えば、十分な準備をすること、十分な訓練をすること、そのうえで行動計画を立案し、自然と人間の力関係を慎重に判断してゆくことが基本であり重要な点であり、登攀・歩行などの個々の技というのはむしろ2次的なものである<ref name="sekaip" />。 |
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1950年代、ヒマラヤで、[[1950年]](昭和25年)の[[アンナプルナ]]、[[1953年]](昭和28年)の[[エベレスト]]、[[1956年]](昭和31年)の[[マナスル]]の初登頂など、8000メートル峰(14座ある)の初登頂ラッシュ{{sfn|羽根田|2010|pp=29-30}}{{efn2|アンナプルナはフランス隊による「人類初」の8000メートル峰登頂、エベレストはイギリス隊のエドモンド・ヒラリーとシェルパのテンジン・ノルゲイによる世界最高峰初登頂、マナスルの初登頂は[[槇有恒]]率いる日本山岳会隊の[[今西壽雄]]とシェルパのギャルツェン・ノルブによるもの。}}が続き、これを受け再び登山ブームが起きた。このブームの特徴は、大学や高校の山岳部に代わって、社会人山岳会の活動が活発になったことである{{sfn|羽根田|2010|p=30}}。この時期、[[1955年]](昭和30年)有名な[[ナイロンザイル事件]]が起きた{{sfn|羽根田|2010|pp=29-32}}。また、[[谷川岳]]では、多発する遭難事故を受けて、群馬県が[[1966年]](昭和41年)に[[登山条例|群馬県谷川岳遭難防止条例]]を制定した{{sfn|羽根田|2010|pp=32-35}}{{efn2|谷川岳の遭難死者数は[[2008年]](平成20年)までに792人であり、「世界でいちばん遭難死者が多い山」として[[ギネス世界記録]]に認定されているという{{harv|羽根田|2010|pp=32-35}}。}}。[[1971年]](昭和46年)、海外で「先鋭的な登攀」を行ってきた人達が(社)日本アルパイン・ガイド協会を設立し、登山のガイドや山岳ガイドの養成、資格認定などを行い始めた{{sfn|羽根田|2010|pp=236-238}}。[[1960年代]] - [[1970年代]]、山岳部や山岳会が「先鋭的な登攀」を続ける一方で、一般の人々が[[ハイキング]]から縦走登山、[[ロッククライミング|岩登り]]まで、好みと能力にあわせて広く楽しむようになった{{sfn|羽根田|2010|pp=29-30,39}}{{efn2|羽根田治『山の遭難 あなたの山登りは大丈夫か』 (平凡社、2010年)は、近代登山以降という尺度で見た場合という観点からとして、このブームを第2次登山ブームと呼んでいる{{harv|羽根田|2010|pp=29-30,39}}。同書によれば、一般的には、このブームを第1次登山ブームと呼ぶ場合が多いという{{harv|羽根田|2010|pp=18}}。}}。 |
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1966年3月26日、富山県が、全国初の登山届出条例を制定、12月1日実施。12月17日、群馬県は、谷川岳遭難防止条例を制定、1967年3月1日実施。 |
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=== 登山計画 === |
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登山というのは、登山計画を立てる段階からすでに始まっているとも言える。多くの遭難事故は計画の時点ですでに遭難しているというが、地形図や経験者から難所の情報を得ること、出発直前の天気図を元に登山を中止するかどうか判断すること、によって防ぎ得た遭難事故はままある。 |
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==== 高齢化社会と登山 ==== |
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登山計画の立て方には様々方法があるが、その概要の一例を述べると、(1)山選び (2)期日選び (3)リーダー決定、などがある<ref name="sekaip" />。 |
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1980年代、山岳部や山岳会が衰退し始め、また、登山者に占める[[中年|中高年]]者の割合が増え始めた。若い世代が山登りを[[3K]]というイメージで捉えて敬遠するようになり、育児が一段落した人たちが山登りを趣味とし始め、仕事をリタイアした世代が若い頃に登った山に戻り始めたことが理由であると考えられる。これに[[健康ブーム|健康志向]]と[[日本百名山]]ブームが輪をかけ、[[2010年]]現在に至っている。このブームで、ツアー登山が盛んになった{{sfn|羽根田|2010|pp=224-227}}{{efn2|「旅行会社のパック旅行のような{{sfn|羽根田|2010|p=225}}」形態のツアー登山の先駆けは、1970年代末頃と考えられる{{harv|羽根田|2010|pp=224-227}}。}}。このブームの時代、[[1990年]](平成2年)、各地に設立された山岳ガイド団体が日本山岳ガイド連盟を設立し、ガイド資格の発給を行うようになった。[[羽根田治]]は『山の遭難 あなたの山登りは大丈夫か』 (平凡社、2010年)で、近代登山以降という尺度で見た場合という観点からとして、ここから続くブームを第3次登山ブームと呼んでおり{{sfn|羽根田|2010|pp=50-53}}、このブームの始期は1980年代後半から1990年代初頭と認識するのが妥当ではないかとしている{{sfn|羽根田|2010|pp=52}}。 |
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[[2003年]](平成15年)、日本アルパイン・ガイド協会が日本山岳ガイド連盟を合併して(社)日本山岳ガイド協会が発足、日本全国統一基準のガイド資格が生まれた{{sfn|羽根田|2010|pp=236-238}}{{efn2|[[2007年]](平成19年)日本アルパイン・ガイド協会が日本山岳ガイド協会を脱会、[[2010年]](平成22年)1月現在、山岳ガイドの資格認定を行う全国的な団体は2団体となっている{{harv|羽根田|2010|pp=236-238}}。}}。 |
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目的とする山の選定には、参加メンバー全員の体力・技術・経験をしっかり把握し、それらを十分に考慮する必要がある<ref name="sekaip" />。体力・技術・経験以上の難度の山を選んでしまったり、強者を標準として弱者に無理を強いたりしてしまうと、事故や[[遭難]]につながる。メンバーがすでに決まっている場合は、メンバーの中の弱者に合わせて山を選定すべきである。 |
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==== 若者層の開拓 ==== |
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参加メンバーは登山前に何度か会合を持ったり連絡をとりあったりしつつ、(1)目的地およびコースの選定 (2)グループ(パーティ)のリーダーとメンバーの決定 (3)各自の任務分担の決定 (4)予算の決定 (5)行動予定表、装備・食糧表、参加者名簿などの文書作成作業などを行う<ref name="sekaip" />。 |
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2010年前後には旧来の山岳雑誌とは異なったライト感覚の登山・アウトドア雑誌が多く創刊され、それとともに[[山ガール]]という言葉がマスコミに踊ったことにより、従来の汗臭い、泥臭い男性中心で危険な登山というイメージからの脱皮が計られるようになった。また、登山ウェアや用具なども技術革新、新素材の登場によって、よりファッショナブルで軽量な物が開発されるようになった。『[[ゆるキャン△]]』などの登山を描いた漫画もヒットした。2020年前後頃からは[[登山YouTuber]]と呼ばれる人たちが[[インターネット]]上で山行動画を公開し始めたことも、初心者の若者中心に登山需要を喚起している。これを第4次登山ブームと呼ぶべきかについてはまだ諸説ある。 |
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一方これらの多くの若者が[[山岳部]]や山岳会などに所属しないフリーな登山活動であったため、経験の蓄積のないままランクの高い山に不用意に入ってしまうという安全上の懸念も生んでいる。また、2019年には動画配信中の富士山滑落事故が発生している。 |
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上記の過程で、メンバー全員が目的の山について充分な知識を持ち、コースを熟知しているような状態になっていることが望ましい<ref name="sekaip" /><ref group="注釈">リーダーのみが熟知しているだけでは事故や遭難のリスクが高まる</ref>。 |
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== 登山の技術 == |
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パーティ(グループ)が大きい場合<ref group="注釈">例えば4-5名程度を超えたら。どの程度の人数からサブリーダーを置くか、判断は様々</ref>は、リーダー以外にサブリーダーも決めておき、サブリーダーにメンバー指導などの仕事を分担させ、リーダーの過負荷を回避するとよい<ref name="sekaip" />。 |
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登山は競技ではないので、技術の優劣をつけることは難しいとされる{{sfn|平凡社|2011|p=267}}。また、同一の山やコースであっても、自然条件が異なればその難易度は異なる{{sfn|平凡社|2011|p=267}}。従って、広い意味においての登山技術とは、十分な準備と訓練をふまえて行動計画を立案することと、自然と人間の力関係を判断していくことが基本であり、登攀・歩行・生活などの具体的な技術は2次的なものである{{sfn|平凡社|2011|p=267}}。 |
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=== 登山計画 === |
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また、トレーニングも登山直前ではなく、常日頃から行われていなければならない<ref name="sekaip" />。登山のトレーニングというのは、単なる筋力トレーニングというよりも、むしろ持久力を重視したものが行われていなければならないのであり<ref name="sekaip" />、健康の維持が重視されなければならない<ref name="sekaip" />。 |
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目的の山を選び{{efn2|メンバーの体力・技術・経験からパーティの能力を考え、それに適合した山を選ぶ{{harv|平凡社|2011|p=267}}。}}、期日を決め、パーティ(隊)のリーダーを決める{{sfn|平凡社|2011|p=267}}。さらに、予算、各自の任務分担、行動予定、食料・装備などについて協議する会合をもつことにより、全ての参加者が、目的の山についての知識を得て、コースも熟知しているようになれば理想的である{{sfn|平凡社|2011|p=267}}。 |
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登山者が2人以上の場合には、必ずリーダーが定められる{{sfn|平凡社|2011|p=267}}。パーティ(グループ)が大人数の場合はサブリーダーも置き、リーダーの補助をさせる{{sfn|平凡社|2011|p=267}}。 |
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=== 歩行技術 === |
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登山の歩行技術というのは、ペースのとりかた、および休憩のとりかたで巧拙が決まる<ref name="sekaip" />。山での歩行というのは平地での歩行とは異なり、一定の速度・リズムを保ち、足の裏全体を使って歩く<ref name="sekaip" />。山では、(メンバー全員の身体的な能力の範囲内で、かつ)疲労の少ない一定の歩行速度を見つける必要がある<ref name="sekaip" />。(平地では、思いつきで速く歩き、無理だと気付きゆっくり歩くなど、速度をフラつかせてもさほどバテはしないが、上下動をともなう登山でそれをするとすぐにバテる)。 |
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登山にはトレーニングも必要である{{sfn|平凡社|2011|p=267}}。筋肉を強くすることよりも、耐久力をつけることと健康の堅持に重点を置くトレーニングを平素から行うべきだとされる{{sfn|平凡社|2011|p=267}}。 |
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理想としては、歩幅は靴の長さ以下、一歩あたりの高低差は一般的な階段の半分以下にするとバテない。また、氷の上を歩いているような感覚で体重移動するとよい。 |
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=== 歩行技術 === |
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一般的に言えば、歩きだして最初の20分で、一度は休んで、衣服・荷物の不都合な部分(リュックの肩ひもの長さ、靴ひもの締め具合、衣服の重ね具合など)を調整・修正する<ref name="sekaip" />。その後は40-50分程度歩いては10分程度休憩する、ということの繰り返しで歩んでゆくのが一般的である。 |
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体力、山の状況、荷物の重さなどに応じて、疲労を少なくするように歩くことが重要だとされる{{sfn|平凡社|2011|p=267}}。一定の心拍数で、足の裏全体を使ってリズミカルに歩くことを提唱する説もある{{sfn|平凡社|2011|p=267}}。 |
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一般的には、歩き始めて最初の20分で一度休憩し、身体・衣服・荷物を調整する{{sfn|平凡社|2011|p=267}}。その後は40-50分ごとに10分程度の休憩をとることが普通である{{sfn|平凡社|2011|p=267}}。地図上で位置を確認しながら歩く{{sfn|平凡社|2011|p=267}}。パーティでの歩行は、体力的な弱者を標準とする{{sfn|平凡社|2011|p=267}}。 |
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グループ(パーティ)の歩行速度は当然、体力的な弱者を標準とする<ref name="sekaip" />。(強者を標準としてはならない。弱者に無理を強いることになり事故・遭難の原因になる)。脚は歩行しつつも、つねに心を働かせ、自分たちの位置を地図上で確認する<ref name="sekaip" />。たとえ気の合う仲間と一緒にいようが、山では歩きながら、はしゃいだり、ふざけたりすることは控える。(はしゃいだりふざけたりして歩行姿勢や歩行速度を乱すと事故につながる。) |
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リーダーなど読図の技術があるものを先頭に配置するべきだが、他にもサブリーダーなどの経験者がいるならば最後尾に配置して補佐をさせるとよい。 |
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=== 極地法 === |
=== 極地法 === |
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多数の人々の支援を受けて、ベースキャンプから順に前進キャンプを設営しつつ物資や人員を進めてゆき、各キャンプの隊員の援助のもとに、少数の隊員が頂上に到達するという登山法{{sfn|平凡社|2011|p=267}}<ref name="コトバンク-極地法">{{Cite web|和書|url=https://kotobank.jp/word/%E6%A5%B5%E5%9C%B0%E6%B3%95-479454 |title=極地法(キョクチホウ)とは - コトバンク |website= |publisher= |accessdate=2018-12-22}}</ref>。高山や、登頂までのアプローチが長い山で用いられる<ref name="コトバンク-極地法" />。登山では1922年にイギリスの[[エベレスト]]遠征隊が初めて用いた<ref name="コトバンク-極地法" />{{efn2|極地法と反対に、少人数でメンバー交代をせず、行動開始地点から短期間で一挙に目的地に達する方法をラッシュタクティクスという<ref name="コトバンク-極地法" /><ref>{{Cite web|和書|url=https://kotobank.jp/word/%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%BF%E3%82%AF%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%AF%E3%82%B9-656273 |title=ラッシュタクティクスとは - コトバンク |website= |publisher= |accessdate=2018-12-22}}</ref>。}}。スポーツとしての登山では、最早過去のものだが、気象状況が極めて困難な場所でのトライにわずかに使用されたり、高所へのガイド登山で使用される方法である。 |
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ヒマラヤなどの高高度の山頂を目指す場合などでは、「[[極地法]]」と呼ばれる方法、すなわち、多数の人々の支援をうけつつ、低高度からキャンプ(テント群)を設営しそれを足がかりにさらに上方にキャンプを設営することで物資を上へ上へと運び、最後に頂上近くのキャンプから(それまで他の人々の働きのおかげで体力を温存した)数名程度の攻撃隊が頂上をきわめる、という手法がある<ref name="sekaip" />。 |
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== 登山の装備 == |
== 登山の装備 == |
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{{出典の明記|date=2018年12月20日 (木) 09:15 (UTC)|title=節の前半は無出典。|section=1}} |
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[[ファイル:Mount Fuji from Mount Aino.jpg|thumb|[[テント]]を担いで[[赤石山脈|南アルプス]]を縦走する登山者、間ノ岳山頂部、遠景は[[富士山]]]] |
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[[ファイル:Mount Fuji from Mount Aino.jpg|thumb|230px|[[テント]]を担いで[[赤石山脈|南アルプス]]を縦走する登山者、間ノ岳山頂部、遠景は[[富士山_(代表的なトピック)|富士山]]]] |
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[[File:Protections communément utilisées en alpinisme sur rocher.jpg|thumb|ロッククライミング装備]] |
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;基本 |
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[[File:Eisklettern kl engstligenfall.jpg|thumb|手の[[アイスバイル]]、足のアイゼンを使ってアイスクライミングを行う様子。]] |
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:夏期を想定した携行品・装備の基本としては、[[リュックサック]](ザック)、[[防寒着]]、[[雨具]]、[[靴]]、手袋、[[地図]]、[[方位磁針]](コンパス)、光源、[[携行食]]、緊急連絡用の[[携帯電話]]など |
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登山というのは主に歩くのであり(自分で荷物を背負わなければならないので)多くの用具や食料を携行することはできない<ref name="dainihonhyakka" />。また、登山では危険に直面することもあるので、十分な安全対策を検討したものである必要もある<ref name="dainihonhyakka" />。「安全」「堅牢(けんろう、=丈夫であること)」「軽量」「扱いやすさ」は登山用具の必要条件である<ref name="dainihonhyakka" />。 |
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* 防寒具(必携) : [[フリース]]ジャケットや[[ダウンジャケット]]など [[防寒着]](夏でも北アルプスや富士山などの夜間には氷点下になる)や[[懐炉]]。 |
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* [[雨具]](必携) : [[レインウェア]]([[雨合羽]])。防寒具も兼ねる。山は風が強く基本的に傘は使えない。 |
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;基本装備品 |
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*[[方位磁針]](コンパス) |
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*[[ヘルメット]] : 落石あるいは滑落したときに頭を守る。[[JISマーク]]製品などの規格品が望ましい |
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* 防寒具(必携) : [[フリース]]ジャケットや[[ダウンジャケット]]などの[[防寒着]](夏でも北アルプスや富士山などの夜間には氷点下になる)や[[懐炉]]。遭難時の対策に[[エマージェンシーブランケット]]も有用。 |
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* [[雨具]](必携): [[レインウェア]]([[雨合羽]])。防寒具も兼ねる。山は風が強く基本的に傘は使えない。 |
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* 靴 : 数百m程度の低山に登るのなら[[スニーカー]]でも足りる。中程度以上の山では底材がしっかりしていて様々な工夫がこらしてある[[登山靴]]が望ましい。 |
* 靴 : 数百m程度の低山に登るのなら[[スニーカー]]でも足りる。中程度以上の山では底材がしっかりしていて様々な工夫がこらしてある[[登山靴]]が望ましい。 |
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* 手袋 : 怪我防止と防寒。夏山では基本的には[[軍手]]で足りる。登山用の機能的でおしゃれなものもありはする。冬季は下記参照。 |
* 手袋 : 怪我防止と防寒。夏山では基本的には[[軍手]]で足りる。登山用の機能的でおしゃれなものもありはする。冬季は下記参照。 |
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* [[地形図]](必携) : 登山の行程ごとの時間や交通機関の問い合わせ等の登山に必要な情報を書き込んだ'''登山地図'''がある。[[国土地理院]]発行の地図も使える。登山ガイドブックなどに付属することもある。現代では[[スマートフォン]]のアプリや[[グローバル・ポジショニング・システム]](GPS)受信機で代替する場合もあるが、電池の消耗には注意が必要である。 |
* [[地形図]](必携) : 登山の行程ごとの時間や交通機関の問い合わせ等の登山に必要な情報を書き込んだ'''登山地図'''がある。[[国土地理院]]発行の地図も使える。登山ガイドブックなどに付属することもある。現代では[[スマートフォン]]のアプリや[[グローバル・ポジショニング・システム]](GPS)受信機で代替する場合もあるが、電池の消耗には注意が必要である。 |
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* 光源(必携) : 基本は[[懐中電灯]]。最近はLEDのもの。山は日暮れが早く、日が暮れると街とは異なり基本的に明かりがなくなる。懐中電灯などを持っていないと[[遭難]]を招く。行動時は両手が自由になることから[[前照灯 |
* 光源(必携) : 基本は[[懐中電灯]]。最近はLEDのもの。山は日暮れが早く、日が暮れると街とは異なり基本的に明かりがなくなる。懐中電灯などを持っていないと[[遭難]]を招く。行動時は両手が自由になることから[[前照灯|ヘッドランプ]]が好まれ、[[野営]]時には[[ランプ (照明器具)|ランタン]]が好まれる。 |
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* [[携行食]](必携) : [[チョコレート]]、[[飴玉]]、[[おにぎり]] 、一口ようかん等。 |
* [[携行食]](必携) : [[チョコレート]]、[[飴玉]]、[[おにぎり]] 、一口ようかん等。 |
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* [[非常食]](必携):上記の行動食とは別に、体を温めるための粉末スープやフリーズドライ食品を少量携行することが勧められる。 |
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* [[飲料]](必携) : 基本は[[水]]。軽い水筒やペットボトルに入れたもの。 |
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* [[飲料]](必携) : 基本は[[水]]。水筒やペットボトルに入れたもの。 |
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* [[マルチツールナイフ]](必携) : (ここは基本を説明する節なので通常の登山について説明するが)通常の登山であれば大型のナイフではなく、マルチツールナイフが推奨される。調理を行う予定がない場合でも携行食の開封やその他装備品のトラブルなどが発生した場合の修理に使える事がある。 |
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* 時計(必携) : [[腕時計]]や携帯電話の時計など。時刻・時間が判らないと、様々な判断が困難になり、遭難の可能性が高まる。 |
* 時計(必携) : [[腕時計]]や携帯電話の時計など。時刻・時間が判らないと、様々な判断が困難になり、遭難の可能性が高まる。 |
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* [[ツェルト]] |
* [[ツェルト]] : 必携ではなく、持たない人のほうが多いが、テントを持参した場合は[[ビバーク]]に使え、もしもの時に命を救うことがある |
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* [[エスビット]]等の小型固形燃料ストーブ : 必携ではないが、万が一の遭難時や[[ビバーク]]を行う際に調理や暖房として利用が可能なため持ち込むユーザーも多い。 |
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* [[熊鈴]] : 登山中に熊による事故も起きている。熊よけスプレーもあるとよい |
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* [[使い捨てカイロ]] : 3000m以上の高地は夏でも冬である。低体温症を防ぐためにカイロは必須である |
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* [[衛星電話]] : 遭難するような奥地はスマホの電波が届かないことも多いが衛星電話ならどこでも救助を呼べる。 |
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;高度の高い山用 |
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:エベレストでの[[高所呼吸器]]である酸素ボンベ使用は1921年に始まったが、信頼性が低く重いものであった<ref>{{Cite journal |last=貫田 |first=宗男 |date=2014 |title=エベレスト登山における酸素補給の変遷 |url=https://www.jstage.jst.go.jp/article/medicalgases/16/1/16_13/_article/-char/ja/ |language=ja |doi=10.32263/medicalgases.16.1_13}}</ref>。 |
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;テント泊の場合 |
;テント泊の場合 |
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:基本装備に比べ、宿泊および食事に必要な道具と消耗品が増える。 |
:基本装備に比べ、宿泊および食事に必要な道具と消耗品が増える。 |
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* [[テント]]一式<ref group=" |
* [[テント]]一式<ref group="*">うっかりテントの[[ポール]](柱)をザックに入れ忘れて、山中で窮地に陥る登山者も多い。</ref>、[[寝袋]](シュラフ)、寝袋用のシーツ{{ill2|インナーシュラフ|en|Sleeping bag liner}}。山用マットレス。 |
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* 食事の道具。「[[ストーブ]]」と呼ばれるきわめて小型の登山用[[焜炉]]。[[コッヘル]]、[[カトラリー]]類([[スプーン]]・フォーク・箸 |
* 食事の道具。「[[ストーブ]]」と呼ばれるきわめて小型の登山用[[焜炉]]。[[コッヘル]]、[[カトラリー]]類([[スプーン]]・[[フォーク (食器)|フォーク]]・箸など) |
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* 食料。調理しやすく、比較的軽く、しかも体力の回復に役立つものが中心になる<ref group=" |
* 食料。調理しやすく、比較的軽く、しかも体力の回復に役立つものが中心になる<ref group="*">登山の楽しみのひとつでもあるので、若干量ならば嗜好品も持ってゆく登山者も多い。</ref>。[[缶詰]]、[[インスタント食品]]、[[レトルト食品]]、[[フリーズドライ]]食品、[[アルファ化米]]など調理が簡便な物も多用される。 |
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;岩登り |
;岩登り |
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* [[クライミングロープ]](ザイル)、[[カラビナ]]、[[ハーケン (登山用品)|ハーケン]]、[[槌|ハンマー]]、[[ |
* [[クライミングロープ]](ザイル)、[[カラビナ]]、カムディバイス、スリング、シューズ、[[ハーケン (登山用品)|ハーケン]]、[[槌|ハンマー]]、確保器、ザイル用中型ナイフ(登山[[ナイフ]]) |
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;冬季 |
;冬季 |
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:[[防寒着]]や[[手袋]]などは冬季専用の充分な保温性能のものを用いる。手先や足先の防寒が足りないと[[凍傷]]を起こし[[指]]を失ってしまうことがある。 |
:[[防寒着]]や[[手袋]]などは冬季専用の充分な保温性能のものを用いる。手先や足先の防寒が足りないと[[凍傷]]を起こし[[指]]を失ってしまうことがある。 |
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* [[アイゼン]]、[[ピッケル]]、[[輪かんじき|ワカン]]、[[スノーシュー]]、[[スキー]]、[[ストック (トレッキング)]]<!--雪の深い山で杖として使います。--> |
* [[アイゼン]]、[[ピッケル]]、[[アイスバイル]]、[[輪かんじき|ワカン]]、[[スノーシュー]]、[[スキー]]、[[ストック (トレッキング)]]<!--雪の深い山で杖として使います。--> |
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=== レイヤリング === |
=== レイヤリング === |
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体温調節のために防寒具や雨合羽などを含む衣類(ウェア)を組み合わせて、体感温度や運動強度に適した服装にすることをレイヤリングと |
体温調節のために防寒具や雨合羽などを含む衣類(ウェア)を組み合わせて、体感温度や運動強度に適した服装にすることを'''レイヤリング'''<ref name="モンベル">{{Cite web|和書|url=https://webshop.montbell.jp/material/aboutclothing/ |title=レイヤリングシステム |accessdate=2018-07-07|publisher=株式会社モンベル}}</ref><ref name="山渓992">{{cite journal|和書|date=2017-11|title=ステップアップ雪山登山2018 ②雪山レイヤリング術|publisher=[[山と渓谷社]]|journal=山と渓谷 (2017年12月号)|volume=通巻|issue=992|location=東京|language=日本語|asin=B0765RJDTP|pages=92-117}}</ref>、または'''レイヤード'''<ref name="高橋">{{Cite |和書|author=高橋庄太郎|title=トレッキング実践学|publisher=エイ出版|isbn=978-4777916047|date=2010|pages=50-51}}</ref>という。 |
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登山では''できるだけ汗をかかず、なおかつ寒さを感じない程度の快適な服装''が求められる。肌寒い季節を例にとると、行動中は体が温まっているために薄手のフリースのみでも寒さを感じないこともあるが、休憩中は体が冷えるために他の防寒着を着込む必要がある。そのまま再び行動をすると汗をかき、反って体が冷えてしまうために防寒着を脱いでから行動をはじめなければならない。このように運動強度や気温、標高、天候の変化に合わせたレイヤリングを行う必要がある。<br /> |
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{{要出典範囲|登山では''できるだけ汗をかかず、なおかつ寒さを感じない程度の快適な服装''が求められる。肌寒い季節を例にとると、行動中は体が温まっているために薄手のフリースのみでも寒さを感じないこともあるが、休憩中は体が冷えるために他の防寒着を着込む必要がある。そのまま再び行動をすると汗をかき、反って体が冷えてしまうために防寒着を脱いでから行動をはじめなければならない。このように運動強度や気温、標高、天候の変化に合わせたレイヤリングを行う必要がある。|date=2018年12月22日 (土) 08:08 (UTC)|title=}} |
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着替えを持ち運ぶ必要があるため、特に脱ぎ着の機会が多い中間着では軽量かつ嵩張らないものが好まれる。[[パーカー|フード]]がついた上着は[[目出し帽]]の代わりとなるため、防寒性能が高いとして好まれる<ref group="注釈">ただし、複数のウェアにフードがついている場合は反って邪魔になることもある。レイヤリングの中で1着だけフード付きのウェアにすると解決できる。</ref>。また、[[線ファスナー|ファスナー]]付きの服は、ファスナーを開放することで換気(ベンチレーション)を行うことができるため行動中の体温調節に便利である。 |
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{{要出典範囲|着替えを持ち運ぶ必要があるため、特に脱ぎ着の機会が多い中間着では軽量かつ嵩張らないものが好まれる。[[頭巾|フード]]がついた上着は[[目出し帽]]の代わりとなるため、防寒性能が高いとして好まれる<ref group="*">ただし、複数のウェアにフードがついている場合は反って邪魔になることもある。レイヤリングの中で1着だけフード付きのウェアにすると解決できる。</ref>。また、[[線ファスナー|ファスナー]]付きの服は、ファスナーを開放することで換気(ベンチレーション)を行うことができるため行動中の体温調節に便利である。|date=2018年12月22日 (土) 08:08 (UTC)|title=}} |
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; ベースレイヤー |
; ベースレイヤー |
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: [[Tシャツ]]や[[タイツ]]、[[レギンス]]、[[靴下]]などの下着や肌着のことを指す。上のレイヤーに汗を放出する役割を持ち、主に吸湿速乾性が求められる。ポリエステルのような[[化学繊維]]あるいは[[ウール]]が好まれる。保水性のある[[綿]]や[[レーヨン]]などは汗冷えを招くとして好まれない。 |
: [[Tシャツ]]や[[タイツ]]、[[レギンス]]、[[靴下]]などの下着や肌着のことを指す。上のレイヤーに汗を放出する役割を持ち、主に吸湿速乾性が求められる<ref name="モンベル" /><ref name="山渓992" />。ポリエステルのような[[化学繊維]]あるいは[[ウール]]が好まれる。保水性のある[[綿]]や[[レーヨン]]などは汗冷えを招くとして好まれない<ref>『こどもと始める 家族で山登り: 安全に楽しむコツとテクニック』 CSP編、阪急コミュニケーションズ、2013年3月、76-77頁。</ref>。 |
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: また吸湿発熱素材のシャツは熱籠もりを起こしやすく、汗をかきやすくなってしまう。化学繊維であっても登山に向いているとは限らないことに留意するべきである。 |
: また吸湿発熱素材のシャツは熱籠もりを起こしやすく、汗をかきやすくなってしまう。化学繊維であっても登山に向いているとは限らないことに留意するべきである。 |
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: 特に吸湿速乾性に優れた肌着を'''アンダーウェア'''<ref group=" |
: 特に吸湿速乾性に優れた肌着を'''アンダーウェア'''<ref group="*">アパレルメーカーによってはスキンウェアまたはドライレイヤーと称する場合もある。いずれの場合でも汗をベースレイヤーに吸収させる役割を持つ。{{要出典|date=2018-12-22 |title=}}</ref>としてベースレイヤーと別に定義する場合もある。 |
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; ミドルレイヤー(ミッドレイヤー) |
; ミドルレイヤー(ミッドレイヤー) |
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: [[フランネル|フランネルシャツ]]やフリース、インサレーション(化学繊維、[[ダウンジャケット]])などの中間着を指す。主に保温性が求められ、気温が高い夏の低山では省略されることも多い。 |
: [[フランネル|フランネルシャツ]]やフリース、インサレーション(化学繊維、[[ダウンジャケット]])などの中間着を指す。主に保温性が求められ<ref name="モンベル" /><ref name="山渓992" />、気温が高い夏の低山では省略されることも多い。 |
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: [[ベスト]]は体幹を保温し、腕から熱を逃がすとして春や秋の冷涼な時期によく使用される。 |
: [[ベスト]]は体幹を保温し、腕から熱を逃がすとして春や秋の冷涼な時期によく使用される。 |
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; アウターレイヤー |
; アウターレイヤー |
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: [[ウインドブレーカー|ウインドシェル]]やソフトシェル、ハードシェル、レインウェア、ビレイパーカを指す。風雨によって体温を奪われることを防ぐため、防風性や防水透湿性が求められる<ref group=" |
: [[ウインドブレーカー|ウインドシェル]]やソフトシェル、ハードシェル、レインウェア、ビレイパーカを指す。風雨によって体温を奪われることを防ぐため、防風性や防水透湿性が求められる<ref name="モンベル" /><ref name="山渓992" /><ref group="*">冬山用には中綿やフリースを組み合わせてミッドレイヤーとしての役割も合わせ持つアウターもある。{{要出典|date=2018-12-22 |title=}}</ref>。 |
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: 夏山では省略されがちなレイヤーであるが、日本のような多雨の地域ではレインウェアを持参すべきである。 |
: 夏山では省略されがちなレイヤーであるが、日本のような多雨の地域では最低限レインウェアを持参すべきである。 |
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; アクセサリー |
; アクセサリー |
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: 上記以外に保温などを目的として着用する衣類。手袋や帽子、ネックウォーマー、アームウォーマー、[[レッグウォーマー]]、[[スパッツ |
: 上記以外に保温などを目的として着用する衣類。手袋や帽子、ネックウォーマー、アームウォーマー、[[レッグウォーマー]]、[[スパッツ (足首)|レインスパッツ]]、イヤーマフ(耳当て)などが挙げられる。 |
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=== ウルトラ・ライト・バックパッキング === |
=== ウルトラ・ライト・バックパッキング === |
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ウルトラ・ライト・ハイキングとも。90年代後半にアメリカのレイ・ジャーダイン(Ray Jardine)によって提唱された「極限まで荷物を軽くすれば遠くへ行ける」という考え方である |
ウルトラ・ライト・ハイキングとも<ref name="土屋">{{Cite |和書|author=土屋智哉|title=ウルトラライトハイキング|publisher=山と渓谷社|isbn=978-4635150248|date=2011}}</ref>。90年代後半にアメリカのレイ・ジャーダイン(Ray Jardine)によって提唱された「極限まで荷物を軽くすれば遠くへ行ける」という考え方である{{要出典|date=2018年12月20日 (木) 09:15 (UTC) |title=}}。 |
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前述の通り登山には多くの装備、衣類が必要になる。多くは安全や体力温存のために必要な装備であるが、装備品の重さも体力を消耗する原因となる。そのため、一部の装備品を省略したり、素材や構造を変更して軽量化を図ることがある。これをウルトラ・ライト・バックパッキング(以下U.L.)と呼ぶ。<br /> |
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U.L.はクッカーを軽量なチタン製に換えるなど、従来から行われてきた簡単な手段の積み重ねでも実践できる。さらにU.L.を追求するものは、テントを軽量なツェルトに代えるなど快適性などを多少犠牲にしても軽量化を図ることがある。近年ではトレイルランニング向けに企画された軽量な装備を流用することもある。他にも売店があるような山では、水分を売店で買う計画を立てて登山口から持ち込む重量を減らすという手段をとるものもいる。 |
{{要出典範囲|U.L.はクッカーを軽量なチタン製に換えるなど、従来から行われてきた簡単な手段の積み重ねでも実践できる。さらにU.L.を追求するものは、テントを軽量なツェルトに代えるなど快適性などを多少犠牲にしても軽量化を図ることがある。近年ではトレイルランニング向けに企画された軽量な装備を流用することもある。他にも売店があるような山では、水分を売店で買う計画を立てて登山口から持ち込む重量を減らすという手段をとるものもいる。 |
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前述のレイヤリングを例に挙げると、ミドルレイヤーの役割である保温とアウターの役割である防風を中厚手のソフトシェル1着でまかなうケースが想定できる。この場合は対応できる温度帯が狭くなるため、急に天候や運動強度が変化した場合に対応することが難しくなる。このように反って体力を消耗することがあり得るので、ある程度の経験を積んでからU.L.を検討することが望ましい。 |
前述のレイヤリングを例に挙げると、ミドルレイヤーの役割である保温とアウターの役割である防風を中厚手のソフトシェル1着でまかなうケースが想定できる。この場合は対応できる温度帯が狭くなるため、急に天候や運動強度が変化した場合に対応することが難しくなる。このように反って体力を消耗することがあり得るので、ある程度の経験を積んでからU.L.を検討することが望ましい。|date=2018年12月20日 (木) 09:15 (UTC)|title=}} |
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== 登山の目的 == |
== 登山の目的 == |
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{{出典の明記|date=2018年12月20日 (木) 09:15 (UTC)|title=半分以上の段落が無出典。|section=1}} |
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=== レクリエーション === |
=== レクリエーション === |
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[[ファイル:Mt.Minami (Tanzawa) 02.jpg|thumb|説明板と休憩場が設置された山頂部]] |
[[ファイル:Mt.Minami (Tanzawa) 02.jpg|thumb|230px|説明板と休憩場が設置された山頂部]] |
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[[レクリエーション]]としての登山の魅力は、ゆっくりと傾斜を歩くことによる[[有酸素運動]]や、[[新陳代謝]]の活性化、あるいは景観や自然の風景そのものを楽しむことにある。他にも、[[森林浴]](リラクゼーション効果)を楽しんだり、ともに登山をする人との交流、冬山を登る際には[[スキー]]滑走を目的とする場合もある。その目的は人により千差万別であり、それぞれの目的に合った登山の方法がある。また日本は山の国であって、[[散歩]]の延長で登れるような手 |
[[レクリエーション]]としての登山の魅力は、ゆっくりと傾斜を歩くことによる[[有酸素運動]]や、[[新陳代謝]]の活性化、あるいは景観や自然の風景そのものを楽しむことにある。他にも、[[森林浴]](リラクゼーション効果)を楽しんだり、ともに登山をする人との交流や、冬山を登る際には[[スキー]]滑走を目的としたりする場合もある。その目的は人により千差万別であり、それぞれの目的に合った登山の方法がある。また日本は山の国であって、[[散歩]]の延長で登れるような手頃な山から、踏破に3-4日かかるものまで様々な山を歩くことができる。また同じ山でも簡単なルートや難所の多いルートなどがあり、各々の力量や体力に合わせ登山を楽しめる場所が多い。日本においては、以前は登山というと[[ワンダーフォーゲル]]や山岳部のイメージが強く、厳しくつらく、特殊な世界と見られがちであった。しかし近年、登山靴や登山用具の発達・軽量化によって、中高年世代においても一種の登山ブームと言える現象が起きた。高齢者でも気軽に登山(ハイキング)や[[トレッキング]]ができるように整備がなされ、体力にあった登山ルートで無理なく景色や運動を楽しむことができるようになってきている。 |
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標高が高くても、中腹の高所まで[[鉄道]]や[[ロープウェイ]]、[[路線バス|路線]]・貸切バスで上れる山もある。 |
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一方で登山人口における高齢者の割合が高くなるにつれ、遭難事故件数も増えつつある([[#登山における事故]]参照)。 |
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また高山や地形・気候が厳しい山への挑戦と対照的に、高さ数メートルのものを含めた低山巡りも趣味として広まりつつある<ref>[https://style.nikkei.com/article/DGXKZO11781780X10C17A1BC8000 そこに低い山があるから 全国行脚し272の低山制覇/「低山倶楽部」隊長・加藤浩二『日本経済新聞』朝刊2017年1月22日]、[http://www.perikansha.co.jp/Search.cgi?mode=SHOW&code=1000001782 中村みつを『東京まちなか超低山』(ぺりかん社)]など{{Full citation needed |date=2018-12-20 |title=「など」は曖昧なので正確に出典をご記入ください。}}。{{要出典範囲|ただし登山や散策の対象として認識されていないため放置され藪に覆われるなどしていて、却って登頂が困難な低山もある。|date=2018-12-20|title=}}</ref>。 |
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一方で登山人口における高齢者の割合が高くなるにつれ、[[遭難]]・事故件数も増えつつある([[#登山における事故]]参照)。また、速度を競い走る速さで登山をする[[トレイルランニング]]練習者と一般登山者の衝突事故、競技用[[自転車]]との[[交通事故]]も起きている。 |
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=== スポーツ(山岳競技) === |
=== スポーツ(山岳競技) === |
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[[国民体育大会|国体]]には山岳競技があり([[国民体育大会山岳競技]])、縦走 |
[[国民体育大会|国体]]には山岳競技があり([[国民体育大会山岳競技]])、縦走{{efn2|[[尾根]]をつたい、いくつもの山頂を歩いてゆくこと<ref>{{Cite web|和書|url=https://kotobank.jp/word/%E7%B8%A6%E8%B5%B0-77126 |title=縦走(じゅうそう)とは - コトバンク |website= |publisher= |accessdate=2018-12-21}}</ref>。}}競技と[[クライミング]]競技の2種目で構成される。縦走競技は、規定の重量を背負い、決められたコースを歩ききる時間を競う。クライミング競技は、人工壁を[[フリークライミング]]のスタイルで登り、到達高度を競う。 |
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[[全国高等学校総合体育大会|高校総体]]も、競技形式の登山を実施している<ref group=" |
[[全国高等学校総合体育大会|高校総体]]も、競技形式の登山を実施している<ref group="*">体力や装備、あるいは[[天気図]]に関する技能・知識や、[[高山植物]]、[[応急処置]]の方法、[[テント]]の設営技術等を、審査員がそれらの達成度を採点し、高校ごとに順位を決定する。隊列に遅れず登頂を目指すのも体力点として高得点ではあるが、他にも[[マナー]]や態度、知識や服装にも気を遣う必要がある。</ref><ref group="*">3〜4日間をテントで過ごし、食事も寝床もすべて自分達で持ち歩き準備しなければならない登山競技は、インターハイにおいては最も厳しい競技のひとつである。</ref><ref group="*">地方大会では実力の優劣をはっきりとさせるために重量規制があり、現段階では4人で60kgという規定がある。その60kg以外に、飲料として使用する[[水]]、ケガの治療などとして使用するために綺麗な水なども要するため、実質70kgにも75kgにも及ぶことなどが多々あるという。</ref>。 |
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他にも岩を登る行為を競技として行う[[フリークライミング]]、山道を走ってその順位を争う |
他にも岩を登る行為を競技として行う[[フリークライミング]]、山道を走ってその順位を争うトレイルランニングや[[スカイランニング]]等の競技がある。いずれも、山や岩場で行う競技であるため、安全や体調管理に十分に注意する必要がある。 |
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ヨーロッパで盛んな[[山スキー]]も雪山を登ることから登山競技の一種である。 |
ヨーロッパで盛んな[[山スキー]]も雪山を登ることから登山競技の一種である。 |
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=== アート === |
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[[風景画]]や[[山岳写真]]、[[詩]]、[[歌]]や[[小説]]の題材とすることも登山の目的のひとつとして挙げられる。山が多く四季の表情に恵まれた日本では、山岳の美しさ、険しさ、優しさなどを心情表現として、古来からアートの対象になってきた。最近は、[[デジタルカメラ]]の小型軽量化・高性能化に伴い、山岳地での[[写真撮影]]も容易なものとなっている。 |
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=== 宗教活動 === |
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古代日本において[[山岳信仰]]に発祥する[[修験道]]の場として、[[立山]]、[[御嶽山]]、[[甲斐駒ヶ岳]]など全国各地の[[霊山]]で登山が行われてきた。江戸時代に始まった[[富士講]]も、[[山岳信仰]]のひとつとして挙げられる。 |
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[[江戸時代]]の会津や米沢では飯豊信仰に基づき、[[通過儀礼|成人儀礼]]として[[飯豊山]]を登山することが求められた(「[[通過儀礼#日本における通過儀礼]]」および「[[飯豊山神社#補足]]」を参照)。 |
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=== 職業 === |
=== 職業 === |
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もともと伝統的に山で自然資源を得るための登山が存在した。たとえば東北地方に存在する[[マタギ]]と呼ばれる[[狩猟]]集団が行っていたことである。今ではかなり人数が減少したが、マタギを行っている人はいる。また地元住民らが[[山菜]]を採って販売するために入山 |
もともと伝統的に山で自然資源を得るための登山が存在した。たとえば東北地方に存在する[[マタギ]]と呼ばれる[[狩猟]]集団が行っていたことである。今ではかなり人数が減少したが、マタギを行っている人はいる。また地元住民らが[[山菜]]や[[キノコ]]を採って販売するために入山することも仕事としての登山である。山菜・キノコ採りは資源枯渇や自然環境に影響を与えるほどの量を採ることはせず、狩猟をする場合も乱獲は避けるのが望ましいとされる。 |
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山麓から山頂まで荷物を人力で運ぶために登山する職業を[[歩荷]](ボッカ)あるいは強力(ごうりき)といい、現在でもそれを行う人がいる。ヒマラヤ地方の[[シェルパ]]という部族には、山で荷物運びを行ったり(下で説明するような)登山ガイドの仕事をして収入を得ている者が多数いる。 |
山麓から山頂まで荷物を人力で運ぶために登山する職業を[[歩荷]](ボッカ)あるいは強力(ごうりき)といい、現在でもそれを行う人がいる。ヒマラヤ地方の[[シェルパ]]という部族には、山で荷物運びを行ったり(下で説明するような)登山ガイドの仕事をして収入を得ている者が多数いる。 |
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また、[[登山ガイド]]や[[登山家]]などもいる(登山ガイドは広義の登山家に含まれる)。 |
また、[[登山ガイド]]や[[登山家]]などもいる(登山ガイドは広義の登山家に含まれる)。 |
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登山ガイドは登山の初心者やその山に不慣れな登山者のガイドを請け負い、山を案内して収入を得る。そのためその山に対する深い知識と、不慣れな登山者を安全に案内するための経験や技能が必要となる。登山がさかんな国(例えばフランスなど)では |
登山ガイドは登山の初心者やその山に不慣れな登山者のガイドを請け負い、山を案内して収入を得る。そのためその山に対する深い知識と、不慣れな登山者を安全に案内するための経験や技能が必要となる。登山がさかんな国(例えばフランスなど)では高山ガイドの資格認定を行っている組織がある。日本では現在は、公益社団法人[[日本山岳ガイド協会]]が、ガイドの資格認定を行っている。その資格には、世界中の山を案内できる国際山岳ガイドや、里山を案内する登山ガイドなどさまざまな資格がある。また長野県においては独自のガイド資格として[[信州登山案内人]]の資格を策定している。<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.pref.nagano.lg.jp/kankoki/sangyo/kanko/tozan/annainin/index.html |title=信州登山案内人を紹介します |publisher=長野県観光部山岳高原観光課 |accessdate=2018-07-02}}</ref>。 |
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また、あまり数は多くないが、著名な登山家の一部は、[[8000メートル峰|8000m級の山]]を単独で登ったり無酸素登攀したりといった難しいアタックをする際、大企業や[[テレビジョン放送局|テレビ局]]と[[スポンサー]]契約を結び、それによって登山に必要な莫大な費用の一部もしくは大半を確保することがある。幸運にもアタックが成功した場合は企業の広告塔として[[コマーシャルメッセージ|CM]]に出演したりすることなどによって、うまくすれば利益を得ることもある、だがアタックに失敗すると[[死|命を落としてしまったり]]、なんとか生還した場合でも、負傷してしまったり、スポンサー契約を失い苦境に陥ることもある。こういった登山家や山岳ガイドの中でも特に名前を知られている者は講演活動をしたり著書を出版して、生活費の足しにしたり、さらなる挑戦のための費用の一部を得る人もいる。 |
また、あまり数は多くないが、著名な登山家の一部は、[[8000メートル峰|8000m級の山]]を単独で登ったり無酸素登攀したりといった難しいアタックをする際、大企業や[[テレビジョン放送局|テレビ局]]と[[スポンサー]]契約を結び、それによって登山に必要な莫大な費用の一部もしくは大半を確保することがある。幸運にもアタックが成功した場合は企業の広告塔として[[コマーシャルメッセージ|CM]]に出演したりすることなどによって、うまくすれば利益を得ることもある、だがアタックに失敗すると[[死|命を落としてしまったり]]、なんとか生還した場合でも、負傷してしまったり、スポンサー契約を失い苦境に陥ることもある。こういった登山家や山岳ガイドの中でも特に名前を知られている者は講演活動をしたり著書を出版して、生活費の足しにしたり、さらなる挑戦のための費用の一部を得る人もいる。 |
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=== 軍事 |
=== 軍事 === |
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登山は軍事教練に利用される場合もある。[[1902年]]には[[八甲田山]]で[[八甲田雪中行軍遭難事件]]が発生した<ref>{{Cite news |title=八甲田山で雪中行軍遭難、大惨事に |newspaper=佐賀新聞 |url=http://www1.saga-s.co.jp/koremade/timetrip/1902/02.html |accessdate=2014-10-07}}</ref>。 |
登山は軍事教練に利用される場合もある。[[1902年]]には青森県の[[八甲田山]]で[[八甲田雪中行軍遭難事件]]が発生した<ref>{{Cite news |title=八甲田山で雪中行軍遭難、大惨事に |newspaper=佐賀新聞 |url=http://www1.saga-s.co.jp/koremade/timetrip/1902/02.html |accessdate=2014-10-07|archiveurl=https://web.archive.org/web/20171214072034/http://www1.saga-s.co.jp/koremade/timetrip/1902/02.html |archivedate=2017-12-14}}</ref>。こうした訓練を重ね、高地や急峻な地形での戦闘を得意とする[[山岳戦]]部隊を保有する国もある。 |
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== 遭難・死亡 == |
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== 登山における事故 == |
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[[ファイル:一ノ倉沢.JPG|thumb|[[ギネス世界記録]]で最多死亡者数・最多遭難数を持つ山とされた[[谷川岳]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://getnews.jp/archives/2491488 |title=【世界一危険な山】群馬県にそびえる谷川岳を知っていますか? | ガジェット通信 GetNews |access-date=2023-10-08 |date=2020-04-13 |website=ガジェット通信 GetNews |language=ja}}</ref>]] |
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=== 遭難事故 === |
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[[ファイル:South Face of Annapurna I (Main).jpg|thumb|[[8000メートル峰]]で最も死亡率が高いアンナプルナⅠ峰<ref>{{Cite web |url=https://www.guinnessworldrecords.com/world-records/deadliest-mountain-to-climb |title=Deadliest mountain to climb |access-date=2023-08-15 |date=2018-01-31 |website=Guinness World Records |language=en-gb}}</ref>]] |
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====原因と対策==== |
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[[ファイル:Green Boots.jpg|thumb|エベレストで死亡して登山者の目印となっていた身元不明登山者[[グリーンブーツ]]]] |
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{{出典の明記|date=2014年1月|section=1}} |
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=== 時代別世代別状況 === |
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主な原因としては、 |
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<!--- 戦後の日本の情報のみ集まっているので、それ以外の時代、それ以外の国地域の情報がありましたら、追記および節名の調整などお願いします。 ---> |
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* 地図の誤読によるルート間違い、あるいは地図未携帯によるルート間違い(旧登山道や獣道に入ってしまった場合など)からの遭難 |
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警察庁は、[[1961年]](昭和35年)から毎年、日本国内の山岳遭難者数を取りまとめる統計資料によれば、年齢別の遭難者数の割合は、多い順から、 |
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* [[登山道]]から外れたための遭難([[山菜]]採り・茸採りの登山者に多い) |
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* [[1972年]](昭和47年)- 20代:66.6%、10代:16.7%、30代:11.1%、40代:5.6%、50代以上:0% |
|||
* [[ホワイトアウト]](冬山での地吹雪や吹雪による視界不良)による遭難 |
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* [[1998年]](平成10年)- 50代:25.3%、60代:20.8%、40代:15.4%、70代:12%、20代:9.7%、30代:9.1%、10代:4.9%、80代:2.6%、90代および不明:0.1% |
|||
* 雪崩・土砂崩れなどに巻き込まれた場合の遭難 |
|||
* [[2008年]](平成20年)- 60代:29.8%、50代:19.1%、70代:17.5%、40代:10%、30代:7.8%、20代:6.4%、10代:4.6%、80代:4.2%、90代および不明:0.4% |
|||
* 天候不良・日没による下山不能状態 |
|||
となっている{{sfn|羽根田|2010|pp=73-79}}、[[時代]]によって登山をする[[世代]]が異なることを示していると考えられる{{sfn|羽根田|2010|pp=70-73}}。 |
|||
* 怪我人が出るなどした場合の単独行動による遭難 |
|||
* [[高山病]]や[[凍傷]]など・・・酸素濃度や寒冷地の[[気候]]など、登山者が生活する地域との[[自然環境|環境]]の違いによる傷病 |
|||
* [[低体温症]]・・・[[風速]]10m以上、[[気温]]10℃以下、[[雨|降雨]]という[[気象]]条件であれば、夏山でも発症する<ref>朝日新聞2010年7月16日。夏山の低体温、防ぐには。</ref>。 |
|||
* 持病の悪化(持病の悪化に伴って行動がとれなくなることによる遭難) |
|||
* 遭難者救出のために入山し、自身も遭難するケース([[二次遭難]]) |
|||
* [[火山ガス]]([[硫化水素]]など)の吸引 |
|||
* 装備・技術不足による転落・滑落 |
|||
: などがある。 |
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[[1990年]](平成2年)前後からは中高年登山[[流行|ブーム]]が起こっていて{{sfn|羽根田|2010|p=71}}、[[2008年]](平成20年)に発生した山岳遭難者数1,933人のうち40歳以上の中高年者の数は1,567人、死者・行方不明者は281人中256人と過去最高を記録<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.npa.go.jp/safetylife/chiiki28/h20_sangakusounan.pdf |title=平成20年中における山岳遭難の概況 |publisher=警察庁生活安全局地域課 |accessdate=2018-12-21 |format=PDF|archiveurl=https://web.archive.org/web/20130721180813/http://www.npa.go.jp:80/safetylife/chiiki28/h20_sangakusounan.pdf |archivedate=2013-07-21}}</ref>。[[2009年]](平成21年)に発生した山岳遭難者数は2,085人、死者・行方不明者は317人とどちらも過去最高を更新。遭難者のうち55歳以上が6割を占め、とりわけ死者・行方不明者は9割を40歳以上が占めている<ref name="kst">[https://www.j-cast.com/2010/06/09068419.html 中高年の山遭難増える 死者・不明は過去最多] J-CASTニュース 2010年6月9日 18:04、2022年1月22日閲覧</ref>2008年(平成20年)の数字では、遭難事故死者数は全体で253人、そのうち中高年者が234人となっていて、これらの数字からは、中高年者はアクシデントが起きたときに死に至る割合が高いということが読み取れる{{sfn|羽根田|2010|pp=77-79}}。朝日新聞による[[2010年]](平成22年)の調べでは、[[2005年]] - 2009年の7、8月の[[富士山_(代表的なトピック)|富士山]]への登山中に救護された人のうち、体調急変により[[心肺停止]]になった人が14人おり、うち11人が45 - 69歳である<ref name="朝日新聞100626" />。 |
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これらの回避策としては、 |
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* パーティ全員が地図を携帯し、おのおのが地図を繰り返し確認しながら進む |
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* 遭難した場合の非常食や予備食を準備しておく |
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* 事前に天気予報等で気象状況を十分に把握し、天候不良の場合は登山そのものを中止する措置を取る |
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* 天候の急激な悪化に際しては、無理に進まず、引き返す、一旦止まるなどの適切な対処をする |
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* 事前に計画を立てる際は、パーティメンバーの体力を考慮し、決して無理な計画は立てない。また、緊急時の下山ルートなども調査し計画しておく。 |
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* 時間に余裕のある計画を立て、少々のトラブルがあっても日没までには目的地に着けるようにする |
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* 雪崩や土砂崩れはたいがい起こる場所が決まっているため、できるだけそのルートを避けるか、事前に申し合わせ注意しつつ素早くその地点を通過する。また地形を良く把握し、雪崩が起こりそうな場所をあらかじめチェックするのも有効である。 |
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* ケガ人や急病人が出た場合、移動が可能な時は速やかに下山し、不可能な場合は直ぐに医療機関か警察に連絡を取る |
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* 山菜採りなどで登山道以外の場所へ立ち入る際は常に自分の位置を確認し、決して深入りしないようにする |
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* 安易に遭難者救出に向かわない |
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: などが挙げられる。 |
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また、遭難した際にも本来の到着時間や取るべきルートを救出隊が確認できるように、出発前に[[登山計画書|入山届]]を書いておくのも重要である。 |
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=== 要因と対策 === |
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==== 病気・怪我 ==== |
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<!--- 戦後の日本の情報のみ集まっているので、それ以外の時代、それ以外の国地域の情報がありましたら、追記および節名の調整などお願いします。 --->警察庁は、[[1961年]]から<ref name="kst">[http://www.j-cast.com/2010/06/09068419.html 中高年の山遭難増える 死者・不明は過去最多 J-CASTニュース 2010/6/ 9 18:04]</ref>毎年、日本国内の山岳遭難者数を取りまとめており、その統計資料によれば、年齢別の遭難者数の割合は、多い順から、[[1972年]]は20歳代が66.6%、10歳代が16.7%、30歳代が11.1%、40歳代が5.6%で50歳代以上は0%、[[1998年]]は50歳代が25.3%、60歳代が20.8%、40歳代が15.4%、70歳代が12%、20歳代が9.7%、30歳代が9.1%、10歳代が4.9%、80歳代が2.6%、90歳代および不明が0.1%、[[2008年]]は60歳代が29.8%、50歳代が19.1%、70歳代が17.5%、40歳代が10%、30歳代が7.8%、20歳代が6.4%、10歳代が4.6%、80歳代が4.2%、90歳代および不明が0.4%となっていて<ref>『山の遭難 あなたの山登りは大丈夫か』 pp.73 - 79</ref>、[[時代]]によって登山をする[[世代]]が異なっていることを示していると考えられる<ref>『山の遭難 あなたの山登りは大丈夫か』 pp.70 - 73</ref>。 |
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[[高度]]のある山は、見た目でわかる以上に平地と環境が違うので、ふだんの生活では自覚されないで隠れている[[持病]]が悪化することが考えられるという<ref name="朝日新聞100626" />。 |
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2009年(平成21年)夏、[[富士登山]]で[[高山病]]{{efn2|「高山病」の発症リスクは体力の有無とは関係なく、また、高齢者より若い人に多く発症する症候群である<ref>{{Cite web|和書|url=http://mmh.banyu.co.jp/mmhe2j/sec24/ch296/ch296a.html|title=メルクマニュアル家庭版, 296 章 高山病|archiveurl=https://web.archive.org/web/20100514101659/http://mmh.banyu.co.jp:80/mmhe2j/sec24/ch296/ch296a.html |archivedate=2010-05-14 |accessdate=2018-12-21 |publisher=万有製薬, MERCK & CO., INC.}}</ref>。}}と診断された人が537人いるという<ref name="朝日新聞100626">「富士登山 体調急変ご注意」『朝日新聞』2010年6月26日。</ref>。 |
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[[1990年]]前後からは中高年登山[[流行|ブーム]]が起こっていて<ref>『山の遭難 あなたの山登りは大丈夫か』 p.71</ref>、[[2008年]]に発生した山岳遭難者数1,933人のうち40歳以上の中高年者の数は1,567人、死者・行方不明者は281人中256人と過去最高を記録<ref>[http://www.npa.go.jp/safetylife/chiiki28/h20_sangakusounan.pdf 平成20年中における山岳遭難の概況(警察庁生活安全局地域課)]</ref>、[[2009年]]に発生した山岳遭難者数は2,085人、死者・行方不明者は317人とどちらも過去最高を更新、遭難者のうち55歳以上が6割を占め、とりわけ死者・行方不明者は9割を40歳以上が占めている<ref>docomo ich 2010年6月9日0時50分配信のニュース</ref><ref name="kst">[http://www.j-cast.com/2010/06/09068419.html 中高年の山遭難増える 死者・不明は過去最多 J-CASTニュース 2010/6/ 9 18:04]</ref>。2008年の数字では、遭難事故死者数は全体で253人、そのうち中高年者が234人となっていて、これらの数字からは、中高年者はアクシデントが起きたときに死に至る割合が高いということが読み取れる<ref>『山の遭難 あなたの山登りは大丈夫か』 pp.77-79</ref>。 |
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また、天気の急変や高地で温度も低下するため低体温症が、動き回ることで脱水症・熱中症などが起きやすい<ref name=shimanep>{{Cite web|和書|url=https://www.pref.shimane.lg.jp/police/01_safety_of_life/Mountain_distress_prevention/summer.html |title=島根県警察:夏の山岳特有の危険 |access-date=2023-10-08 |website=www.pref.shimane.lg.jp}}</ref>。 |
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朝日新聞の[[2010年]]の調べでは、2005年〜2009年の7、8月の[[富士山]]への登山中に救護された人のうち、体調急変により[[心肺停止]]になった人が14人おり、うち11人が45〜69歳である。[[高度]]のある山は、見た目でわかる以上に平地と[[環境]]が違うので、ふだんの[[生活]]では自覚されないで隠れている[[持病]]が悪化することが考えられるという。また、2009年夏、[[富士登山]]で[[高山病]]<ref group="注釈">※メルクマニュアル日本語版[http://mmh.banyu.co.jp/mmhe2j/about/front/commitment.html 1]によれば、「高山病」の発症リスクは体力の有無とは関係なく、また、高齢者より若い人に多く発症する症候群である。[http://mmh.banyu.co.jp/mmhe2j/sec24/ch296/ch296a.html メルクマニュアル家庭版、296 章 高山病] 2010年6月27日閲覧.</ref>と診断された人が537人いるという。<ref>朝日新聞2010年6月26日 富士登山 体調急変ご注意(静岡県警・山梨県警への調査記事)。</ref> |
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=== 落石 === |
==== 落石・土砂崩れ・雪崩 ==== |
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登山中に上から崩れ落ちてきた石あるいは岩塊が身体に当たって死傷する事故が発生することがある。[[落石 (自然災害)|落石]]の発生原因は自然発生的なものもあれば、人が誤って脆い地盤を踏んで発生させてしまうものもある。 |
登山中に上から崩れ落ちてきた石あるいは岩塊が身体に当たって死傷する事故が発生することがある<ref name=bunshu940>{{Cite web|和書|url=https://bunshun.jp/articles/-/64940 |title=「道がわからなくなった」登山中の40代男性が遭難、3ヶ月後に“白骨化遺体”で発見…知っておきたい“山の死亡事故リスク”と安全知識 | 山はおそろしい |access-date=2023-08-15 |last=治 |first=羽根田 |website=文春オンライン}}</ref>。[[落石 (自然災害)|落石]]の発生原因は自然発生的なものもあれば、人が誤って脆い地盤を踏んで発生させてしまうものもある。 |
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落石の時は、ラク!と叫ぶのがマナーとされるが、落石の落(ラク)か、英語での警告Rock(岩の意、ロック)!から来たものかは不明。 |
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=== 噴火 === |
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2014年9月27日に[[御嶽山]]が噴火して登山者に多数の死傷者を出した<ref>{{Cite news |title=海外メディアも人的被害の大きさ速報 |newspaper=産経新聞|date=2014-09-29|url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/140929/dst14092900030001-n1.htm|accessdate=2014-10-10}}</ref><ref>{{Cite news |title=御嶽山噴火、心肺停止の3人を発見 3日ぶり捜索再開 |newspaper=朝日新聞 |date=2014-10-07 |url=http://www.asahi.com/articles/ASGB72SHFGB7UTIL006.html |accessdate=2014-10-07}}</ref>。この御嶽山での噴火を受けて各地で対応策の検討が行われている。[[山梨県]]の[[横内正明]]知事は御嶽山での噴火を受けて[[富士山]]でも水蒸気爆発等の突発的な事態に備え登山者に[[マスク]]や[[ヘルメット]]の持参を呼び掛ける必要があるとの考えを示した<ref>{{Cite news |title=富士山登山、ヘルメット持参を 山梨知事、避難壕も検討 |newspaper=デーリー東北 |date=2014-10-08 |url=http://www.daily-tohoku.co.jp/news/m2014100801001437.html |accessdate=2014-10-10}}</ref>。 |
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==== 噴火 ==== |
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2014年9月27日に[[御嶽山]]が噴火して登山者に多数の死傷者を出した<ref>{{Cite news |title=海外メディアも人的被害の大きさ速報 |newspaper=産経新聞|date=2014-09-29|url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/140929/dst14092900030001-n1.htm|accessdate=2014-10-10|archiveurl=https://archive.is/anC5A |archivedate=2014-09-28}}</ref><ref>{{Cite news |title=御嶽山噴火、心肺停止の3人を発見 3日ぶり捜索再開 |newspaper=朝日新聞 |date=2014-10-07 |url=http://www.asahi.com/articles/ASGB72SHFGB7UTIL006.html |accessdate=2014-10-07|archiveurl=https://web.archive.org/web/20150924074735/http://www.asahi.com/articles/ASGB72SHFGB7UTIL006.html |archivedate=2015-09-24}}</ref>。この御嶽山での噴火を受けて各地で対応策の検討が行われている。[[山梨県]]の[[横内正明]]知事は御嶽山での噴火を受けて[[富士山_(代表的なトピック)|富士山]]でも水蒸気爆発等の突発的な事態に備え登山者に[[マスク]]や[[ヘルメット]]の持参を呼び掛ける必要があるとの考えを示した<ref>{{Cite news |title=富士山登山、ヘルメット持参を 山梨知事、避難壕も検討 |newspaper=デーリー東北 |date=2014-10-08 |url=http://www.daily-tohoku.co.jp/news/m2014100801001437.html |accessdate=2014-10-10|archiveurl=https://web.archive.org/web/20141015223953/http://www.daily-tohoku.co.jp/news/m2014100801001437.html |archivedate=2014-10-15}}</ref>。 |
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{{Main|2014年の御嶽山噴火}} |
{{Main|2014年の御嶽山噴火}} |
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2014年の御嶽山噴火を受け、2015年7月に[[活動火山対策特別措置法]]が改正されて新たに「登山者は、火山の噴火等が起こった際に円滑、迅速に避難できるよう、必要な手段を講じるように努めなければならない。」(第11条第2項)という規定が定められた<ref>{{Cite web |
2014年の御嶽山噴火を受け、2015年7月に[[活動火山対策特別措置法]]が改正されて新たに「登山者は、火山の噴火等が起こった際に円滑、迅速に避難できるよう、必要な手段を講じるように努めなければならない。」(第11条第2項)という規定が定められた<ref>{{Cite web|和書|url = https://www.bousai.go.jp/kazan/taisaku/pdf/k404_1_03_20151204.pdf|title = 登山者の努力事項ご存知ですか?(制度PR資料)|publisher=内閣府|accessdate = 2016-02-26}}</ref>。また、火山周辺の一部の施設については、避難確保計画の作成等が義務づけられた<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.bousai.go.jp/kazan/taisaku/pdf/k404_1_02.pdf|title=避難確保計画の作成にご協力ください!(制度PR資料)|publisher=内閣府|accessdate = 2016-02-26}}</ref>。 |
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==== 火山ガス ==== |
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無風の際には[[火山ガス]]が散りにくくなる環境、比重が重いことから窪地で窒息事故が起きやすい<ref>[https://www.env.go.jp/park/aso/guide/data/130927aa.pdf 火山ガス事故防止のために] 編集者:環境庁自然保護局、5p</ref>。 |
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==== 天候の変化 ==== |
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山は急に天候が変化する<ref name=weather325>{{Cite web|和書|url=https://weathernews.jp/s/topics/202308/090325/ |title=山の天気はなぜ変わりやすい?登山時に知っておくべき天気急変のサイン |access-date=2023-08-15 |website=ウェザーニュース |language=ja}}</ref>。遭難時が必ず悪天候とは限らないが、その多くは悪天候の時である<ref>[https://www.metsoc.jp/tenki/pdf/1958/1958_02_0055.pdf 山の遭難とその気象の統計]</ref>。 |
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登山前に天気予報の確認と登山計画を立てる。無理そうなら登山を諦める決断。レインコートなどの雨具や[[エマージェンシーブランケット|エマージェンシーシート]]などの備えを準備する<ref name=weather325/>。 |
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雷は、平地より発生しやすく、気温が上昇しやすい午後以降に起きやすいため、早朝や午前中の行動を心掛け、雷を回避する知識を身に着ける<ref name=shimanep/>。 |
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==== 道に迷う ==== |
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最も多いのが道に迷う遭難で<ref>{{Cite web|和書|url=https://diamond.jp/articles/-/172735 |title=山で道に迷ったら絶対に沢に降りてはいけない理由 |access-date=2023-08-15 |date=2018-07-04 |website=ダイヤモンド・オンライン |language=ja}}</ref>、低い山ほど迷いやすい<ref name=nhk409>{{Cite web|和書|url=http://www.nhk.or.jp/seikatsu-blog/news/299409.html |title=「低い山」ほど 迷いやすい |access-date=2023-08-15 |website=NHK生活情報ブログ |language=ja}}</ref>。事前対策として携帯電話のマップ機能を使う<ref name=bunshu940/>ほか、登山届を提出し発信機を持つなどがある<ref name=nhk409/>。また、来た道を引き返し正しいルートに戻るか、山頂や尾根を目指し下ってはいけない<ref name=nhk409/>などがある。 |
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==== 難易度の等級づけ ==== |
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{{seealso|{{ill2|ヨセミテデシマルシステム|en|Yosemite Decimal System}}|{{ill2|グレード (登山)|en|Grade (climbing)}}}} |
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ヨーロッパ・アルプスおよびロシアでは、山のコースごとに難易度を決める試みがなされており、登山者の経験にも等級が付けられつつある{{sfn|平凡社|2011|p=268}}。日本でも、山やルートごとに難易度を示す「グレーディング」(難易度評価)が全国に広がっている<ref name="産経新聞20170808" />{{sfn|平凡社|2011|p=268}}。2014年に[[長野県]]が公表し、2017年夏時点では7県の600以上のコースについてグレーディングが公表されている<ref name="産経新聞20170808">{{Cite news|url=https://www.sankei.com/article/20170808-2Y2B76T2UZJ5PEI4BPC5VUPRF4/|title=登山前に「難易度評価」注意 遭難防止へ必ず確認を|work=|publisher=『[[産経新聞]]』|date=2017年8月8日}}</ref>。 |
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{{ill2|難所 (登山)|en|Crux (climbing)}} |
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==治療やサポート・健康問題== |
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{{seealso|en:Category:Climbing and health}} |
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* [[高山病]]、急性高山病(acute mountain sickness:AMS)、{{仮リンク|高地脳浮腫|en|high-altitude cerebral edema}}(HACE)、{{仮リンク|高地肺水腫|en|high-altitude pulmonary edema}}(HAPE) |
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* [[高度が人に与える影響]]を抑えるためには、徐々に高度を上げる高地順化が求められる<ref>{{Cite journal |last=杉田 |first=正明 |last2=西村 |first2=明展 |last3=加藤 |first3=公 |last4=福田 |first4=亜紀 |last5=松田 |first5=和道 |last6=須藤 |first6=啓広 |date=2013 |title=高地順化のための安静時低酸素吸入がその後のトレーニングに及ぼす影響 |url=https://doi.org/10.11425/sst.2.31 |language=ja |doi=10.11425/sst.2.31}}</ref>。 |
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* [[低体温症]] |
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* [[矛盾脱衣]] - 寒さを暑さと誤解して衣服を脱いでしまう現象。 |
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* [[夏山診療所]] |
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* [[山小屋]] |
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* [[ビバーク]] |
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* 救助要請、[[山岳救助]]([[山岳救助隊 (消防)]]、[[山岳警備隊]]) |
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* [[歩荷]]、{{仮リンク|ポーター (運搬人)|label=ポーター|en|Porter (carrier)}}(剛力)、シェルパ、山岳ガイド |
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* [[登山用GPS地図アプリ]] |
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;薬、処置 |
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* [[デキサメタゾン]] - HACE、HAPEの治療薬。 |
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* 高山病予防薬[[アセタゾラミド]] |
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* [[ニフェジピン]] - HAPE治療薬 |
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* [[ホスホジエステラーゼ阻害薬]] - HAPE治療薬 |
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* [[酸素吸入]] |
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* {{ill2|ポータブル高圧チャンバー|en|Portable hyperbaric bag}}(可搬式高圧治療袋)<ref>[http://www.jsmmed.org/_userdata/no3.pdf ポータブル高圧チャンバー(可搬式高圧治療袋)] 日本登山医学会</ref> |
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* 下山(緊急搬送) |
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* 高地用医療車両<ref>{{Cite web |url=http://j.people.com.cn/n/2014/0912/c95952-8781869.html |title=中国初の高地用医療車両、チベットの「移動救急ステーション」に--人民網日本語版--人民日報 |access-date=2023-08-26 |website=j.people.com.cn}}</ref> |
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* 3SABCDE - 傷病者の初期対応である。2s(安全性Safty・状況確認Scan)、Spine(背骨をまっすぐ)、気道確保(Airway)、呼吸確保(Breathing)、循環器確認([[心肺蘇生法]] Circulation)、障害 (Disability、怪我の確認)、暴露 (Exposure、熱中症や低体温症対策の保温・冷却)<ref>[https://www.jpnsport.go.jp/tozanken/Portals/0/images/contents/syusai/2018/text/text3-7.pdf 登山の医学] サイト:独立行政法人[[日本スポーツ振興センター]]</ref><ref>[http://www.tozan-koutairen.hokkaido-c.ed.jp/?action=common_download_main&upload_id=25 登山の医学「予防とファストエイド」] |
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著:大城和惠、監修:山本正嘉 サイト:北海道高等学校体育連盟登山専門部</ref>。 |
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== 自然に優しい登山 == |
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: ストックの乱用と中高年登山ブームが相乗したことにより、登山道が踏圧による洗掘と流水による土砂流出、拡幅したりすることにより大量の土壌の流出や裸地化を招いてしまっている<ref>{{Cite journal|和書|author=小林昭裕 |year=2008 |url=https://doi.org/10.11492/ceispapers.ceis22.0.381.0 |title=国立公園における登山道の荒廃箇所に対する整備策定過程における課題 |journal=環境情報科学論文集 |ISSN=03896633 |publisher=環境情報科学センター |volume=ceis22 |pages=381-386 |doi=10.11492/ceispapers.ceis22.0.381.0 |CRID=1390001205622955136 |accessdate=2024-02-29}}</ref>。 |
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; ゆっくりと歩く |
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「フラット歩行」を身に付けて、 土や岩をけったり植物を踏むような乱暴な歩き方は極力避けること。「歩かせていただきます」という謙譲な気持ちをもってローインパクトでなければならない<ref>{{Cite web|和書|url=https://chichibunoko-bh.spec.ed.jp/%E9%83%A8%E6%B4%BB%E5%8B%95-1/%E5%B1%B1%E5%B2%B3%E9%83%A8/%E9%83%A8%E5%93%A1%E5%90%91%E3%81%91%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%82%A2%E3%83%AB/%E5%B1%B1%E3%81%AE%E6%AD%A9%E3%81%8D%E6%96%B9|title=疲れない山の歩き方 |format=pdf |publisher=埼玉県立秩父農工科学高等学校|date=|accessdate=2023-08-05}}</ref>。 |
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* 歩幅は小さく小股歩く。 |
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* 足裏全体を地面につけるように斜面に対してフラットに靴をおく<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.yamakei-online.com/yama-ya/detail.php?id=687|title=安定して歩くために欠かせない「フラット歩行」|publisher=山と渓谷社|date=2019-05-29|accessdate=2023-08-05}}</ref>。 |
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* 事故が多く、膝や足を痛めることが多い下り道は、しなやかにゆっくりと歩く。 |
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* ストックの先にはゴムキャップをつけて、登山道を痛めないようにする<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sangakusogocenter.com/shudantozan/docs/syudankyouhon.pdf|title=長野県山岳総合センター登山教本『集団登山』 |format=pdf |publisher=長野県山岳総合センター|date=|accessdate=2023-08-05}}</ref>。 |
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== 登山と自然破壊の問題 == |
== 登山と自然破壊の問題 == |
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{{出典の明記|date=2018年12月20日 (木) 09:15 (UTC)|title=|section=1}} |
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近年、登山人口が増加したことによる自然に対するダメージが目立ってきている。例としては、ゴミやタバコを持ち帰らずポイ捨てする、むやみに木や枝を折る、遊歩道を歩かず、貴重な植物を踏んでしまうなどがある。これらは本来、登山者にとって守るべきマナーであるが、登山を始めたばかりの登山者の中にはそれを知らず結果的に自然や景観に影響を与えてしまうことがままある。以下に具体的な例を挙げる。 |
近年、登山人口が増加したことによる自然に対するダメージが目立ってきている。例としては、ゴミやタバコを持ち帰らずポイ捨てする、むやみに木や枝を折る、遊歩道を歩かず、貴重な植物を踏んでしまうなどがある。これらは本来、登山者にとって守るべきマナーであるが、登山を始めたばかりの登山者の中にはそれを知らず結果的に自然や景観に影響を与えてしまうことがままある。以下に具体的な例を挙げる。 |
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: また、よくあるのが植物の持ち帰りである。[[高山植物]]は学術的にも貴重であり、ほとんどの山で持ち帰りが禁止されている。しかし、それを知らないがために野の花を摘むように持って行ってしまう登山者がある。あるいは、高山植物の生息域にロープ等で立ち入り禁止が示されているにも関わらず、自宅での鑑賞のために持って帰ってしまう者、悪質なものは土を掘り返し根元から大量に持ち去ってしまうこともある。代表的な高山植物である[[コマクサ]]は、その美しさに愛好家も多い花だが、山からの盗掘もまた多い。逆に、盗掘した植物を、本来その植物が自生していない別の山に移植してしまうケースも発生している。 |
: また、よくあるのが植物の持ち帰りである。[[高山植物]]は学術的にも貴重であり、ほとんどの山で持ち帰りが禁止されている。しかし、それを知らないがために野の花を摘むように持って行ってしまう登山者がある。あるいは、高山植物の生息域にロープ等で立ち入り禁止が示されているにも関わらず、自宅での鑑賞のために持って帰ってしまう者、悪質なものは土を掘り返し根元から大量に持ち去ってしまうこともある。代表的な高山植物である[[コマクサ]]は、その美しさに愛好家も多い花だが、山からの盗掘もまた多い。逆に、盗掘した植物を、本来その植物が自生していない別の山に移植してしまうケースも発生している。 |
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; 動物生態系への影響 |
; 動物生態系への影響 |
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: 多くの登山者が山に入ることによる、[[野生動物]]が安心と思う住領域の縮小、また人間の持ち込んだごみにより、野生動物の食環境の変化、また人間が出すごみを好む動物が増えてしまうなどの影響が考えられる。また犬を連れての登山を禁止している山もある。これは犬が[[病原体]]を持ち込んだり野犬となったりして、野生動物の生態が乱されるのを恐れての処置である。犬連れ登山禁止に対しては、長年犬は山小屋、猟師で飼われてきたが、犬から野生動物への病気感染があったか疑問である |
: 多くの登山者が山に入ることによる、[[野生動物]]が安心と思う住領域の縮小、また人間の持ち込んだごみにより、野生動物の食環境の変化、また人間が出すごみを好む動物が増えてしまうなどの影響が考えられる。また犬を連れての登山を禁止している山もある。これは犬が[[病原体]]を持ち込んだり野犬となったりして、野生動物の生態が乱されるのを恐れての処置である。また登山道における糞尿などのトラブルも発生している。犬連れ登山禁止に対しては、「長年犬は山小屋、猟師で飼われてきたが、犬から野生動物への病気感染があったか疑問である」「人間の方が犬より環境インパクトが大きい」などの反論がある。 |
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; 排泄物の処理 |
; 排泄物の処理 |
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: [[槍ヶ岳]]や[[剱岳]]、[[八ヶ岳]]、[[尾瀬]]など、人気のある山においては[[山小屋]]での排泄物の処理が問題となる。以前は[[屎尿]]の処理は土に返すだけの処理であったが、登山人口の増加に伴って人間の排泄物が自然に与える影響が無視できない状況になってきた。加えて、排泄物に含まれる大腸菌等によって[[湧水]]が汚染され、飲用できなくなる事態も発生している。そこで、現在では[[ヘリコプター]]などで排泄物を運搬、しかるべき施設で処理する方法や微生物で分解するバイオトイレなどへと変化して来ている。運送費や諸経費の調達のため、場所によっては山小屋の利用料を値上げしたり、トイレの使用料を取る山小屋もある。登山における休憩中の排泄も人数が多くなれば悪臭や栄養過多で影響を与えるため、簡易トイレの使用も推奨されている。 |
: [[槍ヶ岳]]や[[剱岳]]、[[八ヶ岳]]、[[尾瀬]]など、人気のある山においては[[山小屋]]での排泄物の処理が問題となる。以前は[[屎尿]]の処理は土に返すだけの処理であったが、登山人口の増加に伴って人間の排泄物が自然に与える影響が無視できない状況になってきた。加えて、排泄物に含まれる大腸菌等によって[[湧水]]が汚染され、飲用できなくなる事態も発生している。そこで、現在では[[ヘリコプター]]などで排泄物を運搬、しかるべき施設で処理する方法や微生物で分解するバイオトイレなどへと変化して来ている。運送費や諸経費の調達のため、場所によっては山小屋の利用料を値上げしたり、トイレの使用料を取る山小屋もある。登山における休憩中の排泄も人数が多くなれば悪臭や栄養過多で影響を与えるため、簡易トイレの使用も推奨されている。 |
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:高地への登山では高地順応のため一定期間キャンプに滞在して離れた場所に建てられたテントの下に穴を掘り樽を設置して排便を行う。しかし、さらに標高が高くなると地面が凍り付いて固くなり排便の処理が行いにくくなる。また、高所では寒冷で空気も薄いため自然分解されず、放置されると糞便によって病気にもなるため持ち帰ることが推奨される。そのため[[ポータブルトイレ#登山用携帯トイレ|登山用携帯トイレ]](poo bags、排便用封筒)を義務付けられている場合がある<ref>{{Cite web |url=https://www.bbc.com/news/world-asia-68237123 |title=Mount Everest: Climbers will need to bring poo back to base camp |access-date=2024-02-10 |date=2024-02-08 |language=en-GB}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://japanese.joins.com/JArticle/314880?sectcode=A00&servcode=A00 |title=「岩にあるのがそのまま見える」 エベレスト悪臭の主犯 |access-date=2024-02-10 |website=中央日報 |language=ja}}</ref>。 |
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; 登山道の荒廃 |
; 登山道の荒廃 |
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[[ファイル:Okura-one 070203.JPG|thumb|[[丹沢山地]]・[[大倉尾根]]の大きくえぐられた登山道。前方は登山道が2本に分かれ、中央が島のようになっている。]] |
[[ファイル:Okura-one 070203.JPG|thumb|230px|[[丹沢山地]]・[[大倉尾根]]の大きくえぐられた登山道。前方は登山道が2本に分かれ、中央が島のようになっている。]] |
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: 近年の中高年の登山ブームにおけるオーバーユースによって登山道の荒廃が広がっている。加えて、えぐれた登山道では雨が降るとぬかるみ、それを避けるために登山道脇を歩くことによって植生は失われ、登山道が広がり中には車が通れるほどの広さになっている登山道もある。また、最近では登山時に腰やひざの負担を軽減する目的でステッキやストックなどを使用する人が多くなってきているが、それらで登山道の土が掘り起こされ、柔らかくなった土が雨で流出するなど登山道が荒れる原因になっている。 |
: 近年の中高年の登山ブームにおけるオーバーユースによって登山道の荒廃が広がっている。加えて、えぐれた登山道では雨が降るとぬかるみ、それを避けるために登山道脇を歩くことによって植生は失われ、登山道が広がり中には車が通れるほどの広さになっている登山道もある。また、最近では登山時に腰やひざの負担を軽減する目的でステッキやストックなどを使用する人が多くなってきているが、それらで登山道の土が掘り起こされ、柔らかくなった土が雨で流出するなど登山道が荒れる原因になっている。 |
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== 登山禁止とマナー問題 == |
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西ヨーロッパの最高峰[[モンブラン]]登山の出発点となる{{仮リンク|サンジェルベ・レ・バン|en|Saint-Gervais-les-Bains}}の市長は、2017年8月に「適切な装備を整えていない登山者」に対して即時罰金を科する条例を発布した。これは、連続する死亡事故を受けての措置である<ref>{{Cite web |url=https://www.theguardian.com/world/2017/aug/21/mont-blanc-mayor-tries-to-stop-ill-equipped-hotheads-tackling-peak |title=Mont Blanc: mayor tries to stop ill-equipped 'hotheads' tackling peak |access-date=2023-10-09 |last=Willsher |first=Kim |date=2017-08-21 |website=The Guardian |language=en-GB}}</ref>。 |
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2023年5月31日、インドネシアの[[バリ州]]知事{{ill2|ワヤン・コスター|en|I Wayan Koster}}は観光客の相次ぐ迷惑行為を受けて、「山々は聖なる存在として崇拝されている。その神聖さが損なわれれば、それはバリの神聖さをおとしめるに等しい」と述べ、バリ州にある22山の登山客の登山、宗教儀式や災害対処などの理由のない地元住民の登山を無期限禁止とした<ref>{{Cite web |url=https://www.cnn.co.jp/travel/35205234.html |title=バリ島の登山禁止を検討、観光客の相次ぐ迷惑行為受け |access-date=2023-10-09 |website=CNN.co.jp |language=ja}}</ref>。 |
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日本では、富士山への休憩なし、装備なしの[[弾丸登山]]に対して、多くの自治体などが警戒しており、場合によっては登山制限などの検討を行っている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nhk.or.jp/shutoken/wr/20230630b.html |title=富士山 “弾丸登山”に危機感 今夏の登山者急増見込みで | NHK |access-date=2023-10-09 |last=日本放送協会 |website=NHK首都圏ナビ |language=ja}}</ref>。 |
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== 登山に関する組織・団体 == |
== 登山に関する組織・団体 == |
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=== 山岳会 === |
=== 山岳会 === |
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登山愛好者の団体を山岳会(さんがくかい)と称する。山岳会には山または歩くことにちなんだ名前が付けられることが多い。 |
登山愛好者の団体を山岳会(さんがくかい)と称する。山岳会には山または歩くことにちなんだ名前が付けられることが多い。 |
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学校または職場単位で結成される山岳会は部活動として特に山岳部や登山部、ワンダーフォーゲル部などと称する<ref group=" |
学校または職場単位で結成される山岳会は部活動として特に山岳部や登山部、ワンダーフォーゲル部などと称する<ref group="*">厳密に言えば登山とトレッキング、ハイキング、ワンダーフォーゲルには細かい差異があるが、山岳での野外活動という点で共通している。</ref>。 |
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1857年には世界最初の山岳会である英国山岳会が設立され、1905年には日本最初の山岳会である[[日本山岳会]]が設立された。それ以降も日本国内で様々な山岳会が結成され、全日本山岳連盟(現・[[日本山岳協会]])と勤労者山岳会(現・[[日本勤労者山岳連盟]])のような統括団体が生まれた。 |
1857年には世界最初の山岳会である英国山岳会が設立され、1905年には日本最初の山岳会である[[日本山岳会]]が設立された。それ以降も日本国内で様々な山岳会が結成され、全日本山岳連盟(現・[[日本山岳・スポーツクライミング協会]])と勤労者山岳会(現・[[日本勤労者山岳連盟]])のような統括団体が生まれた。 |
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山岳会は主に団体での山行や会員同士による登山技術の研修指導を行っている。会によっては、登山道もしくは[[山小屋]]の維持修繕、救助活動の支援、非会員への講演・研修、森林の保護、高山へ挑戦する会員の支援などを行っている。また、登山用品メーカーに対しては消費者団体としての側面も持つ<ref group=" |
山岳会は主に団体での山行や会員同士による登山技術の研修指導を行っている。会によっては、登山道もしくは[[山小屋]]の維持修繕、救助活動の支援、非会員への講演・研修、森林の保護、高山へ挑戦する会員の支援などを行っている。また、登山用品メーカーに対しては消費者団体としての側面も持つ<ref group="*">[[ナイロンザイル事件]]を参照。</ref>。 |
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=== 登山ガイド団体 === |
=== 登山ガイド団体・登山学校 === |
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1965年にイタリア、フランス、オーストリア、スイスの山岳ガイド協会の会議が行われ、{{仮リンク|国際山岳ガイド連盟|en|UIAGM}}が設立された。 |
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日本の山岳ガイドは、古くは[[強力]](ごうりき)が行っていた。1934年ごろの富士山表口強力案内組合には100名を超える強力が加盟していた<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.city.fujinomiya.lg.jp/citizen/visuf80000008s5f.html |title=「強力 -富士登山案内人の軌跡─」展 |publisher=富士宮市郷土資料館|accessdate=2018-07-02}}</ref>。1990年に日本山岳ガイド連盟が設立され、翌1991年に国際山岳ガイド連盟に加入した。2003年に日本山岳ガイド連盟と日本アルパイン・ガイド協会は合併し[[日本山岳ガイド協会]]に改組した<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.jfmga.com/setsuritsu.html |title=ガイド協会とは|publisher=日本山岳ガイド協会|accessdate=2018-07-02}}</ref>。 |
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フランス、[[スイス]]、[[オーストリア]]、[[ロシア連邦|ロシア]]、[[インド]]などに登山学校があり、指導者養成と研修が行われている{{sfn|平凡社|2011|p=268}}。日本では立山に[[国立登山研修所]]があるほか、[[神奈川県]]、[[長野県]]、[[兵庫県]]に県立の登山学校がある{{sfn|平凡社|2011|p=268}}。 |
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=== 競技者団体 === |
=== 競技者団体 === |
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* [[日本山岳・スポーツクライミング協会]] |
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* [[日本勤労者山岳連盟]] |
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* [[日本フリークライミング協会]] |
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* [[全国高等学校体育連盟]] |
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=== 山岳遭難対策協議会 === |
=== 山岳遭難対策協議会 === |
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山岳事故を防止・救難するための情報提供を行ったり、警察・消防などの公的機関に協力して救助活動を行う団体である。 |
{{要出典範囲|山岳事故を防止・救難するための情報提供を行ったり、警察・消防などの公的機関に協力して救助活動を行う団体である。山岳遭難防止対策協会、山岳遭難防止対策協議会など地域によって名称に若干の差異があるが活動内容はほぼ同一である。|date=2018年12月20日 (木) 09:40 (UTC)|title=}}1964年以降国立登山研修所とスポーツ庁等が全国山岳遭難対策協議会を毎年開催している<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jpnsport.go.jp/tozanken/kyousai/tabid/76/Default.aspx |title=全国山岳遭難対策協議会 | publisher=日本スポーツ振興センター国立登山研修所 |accessdate=2018-07-07}}</ref>。 |
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また、1992年に東京都山岳連盟の提唱により日本山岳レスキュー協議会が設立され、遭難救助に関する情報交換を行っている{{要出典|date=2018年12月20日 (木) 09:40 (UTC) |title=}}。 |
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=== 行政機関 === |
=== 行政機関 === |
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* 日本では管轄の警察や消防、自衛隊が山岳事故の防止活動と山岳救助を実施している。詳細は[[山岳救助]]を参照 |
* 日本では管轄の警察や消防、自衛隊が山岳事故の防止活動と山岳救助を実施している。詳細は[[山岳救助]]を参照。 |
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* 市町村では地域振興課や観光振興課のような名称の部署があり、登山道に関する情報を発信していることがある。 |
* 市町村では地域振興課や観光振興課のような名称の部署があり、登山道に関する情報を発信していることがある。 |
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* 東京都においては環境局に自然保護専門員を設置し、登山マナーの啓発指導・密猟盗掘の監視・登山道の管理を行っている。詳細は[[東京都レンジャー]]を参照 |
* [[東京都]]においては[[東京都環境局|環境局]]に自然保護専門員を設置し、登山マナーの啓発指導・密猟盗掘の監視・登山道の管理を行っている。詳細は[[東京都レンジャー]]を参照。 |
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* 国においては国立公園の管理を環境省が行っているが、登山技術の向上という点では文部科学省がその担当である。 |
* 国においては国立公園の管理を[[環境省]]が行っているが、登山技術の向上という点では[[文部科学省]]および[[スポーツ庁]](独立行政法人[[日本スポーツ振興センター]]国立登山研修所)がその担当である。 |
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* [[国土地理院]]は自治体と協力して、登山道の調査と地図への反映を担当している。登山道の改廃を早く反映させるため、2017年12月には登山者からインターネットで情報を収集する民間企業である[[ヤマレコ]](長野県松本市)、ヤマップ(福岡市)と協定を結んだ<ref>[https://www.gsi.go.jp/KOKUJYOHO/tozando-teiketsu.html 登山道情報に関する協力協定を締結]国土地理院(2017年12月12日発表)</ref>。 |
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=== 芸術文化団体 === |
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=== 登山用品メーカー・販売店 === |
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山を対象にした画・写真などの作家団体が存在する。山全般を対象にする団体や、富士山など特定の山や地域を対象にする団体がある。 |
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登山用品は多岐にわたるため、登山用品に限っても多くの総合・専門メーカーが存在する。詳細は[[登山用品メーカー・ブランド一覧]]を参照せよ。 |
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=== 登山用品メーカー・販売店など === |
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{{seealso|{{ill2|登山装備ブランド一覧|en|List of mountaineering equipment brands}}}} |
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登山用品は多岐にわたるため、登山用品に限っても多くの総合・専門メーカーが存在する。 |
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また、登山専門を謳わないアウトドア用品メーカーや総合スポーツ用品メーカー、一般の衣類メーカーなどでも登山に使用できる用品を作成・販売している。 |
また、登山専門を謳わないアウトドア用品メーカーや総合スポーツ用品メーカー、一般の衣類メーカーなどでも登山に使用できる用品を作成・販売している。 |
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総合スポーツ用品店を含む登山用品販売店では、登山学校と称して登山知識や技術の講習会を実施していることがある。 |
総合スポーツ用品店を含む登山用品販売店では、登山学校と称して登山知識や技術の講習会を実施していることがある。 |
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この他に登山に関連するビジネスとしては、登山客の輸送・宿泊を担う交通・旅行会社や旅館・ホテル・山小屋などの観光産業、ヤマレコのような[[インターネット]]での登山情報の提供、登山地図や雑誌の出版社などがある。 |
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== 季語 == |
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[[ファイル:Lake Onnetō from Mount Meakan 2009-09-27.jpg|thumb|250px|[[北海道]]の山に登り、見晴るかす大地を望む/画像は[[雌阿寒岳]]からの風景。]] |
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[[ファイル:Komaho hutte1.JPG|thumb|250px|日本の[[山小屋]]/画像は、[[中央アルプス]]、[[空木駒峰ヒュッテ]]。]] |
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[[季語]]としての'''登山'''(とざん)は、[[夏]]の季語([[晩夏]]の季語)である<ref name="Kigosai">{{Cite web|和書|date=2010-03-25 |url=https://kigosai.sub.jp/001/archives/9775 |title=登山 |work=季語と歳時記-きごさい歳時記 |publisher=季語と歳時記の会 |accessdate=2018-02-25}}</ref>。分類は[[行事]]/人事<ref name="大辞泉">『[[大辞泉]]』{{Full citation needed|date=2018-12-21 |title=版やページ番号が不明。}}</ref><ref group="*">「行事」も「人事」も、ここでは、人間が行う事柄を指す。</ref>。季語の世界では「登山」は「山に登ること」全般を指す<ref name="Kigosai" />。 |
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{{quotation| |
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* 例句:いのち負ふ如くにも負ひ'''登山'''の荷 ─ [[後藤比奈夫]] |
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* 例句:<ruby><rb>夜</rb><rt>よ</rt></ruby>は暗き[[鍛冶屋]]'''登山'''の<ruby><rb>案内村</rb><rt>あないむら</rt></ruby> ─ [[山口誓子]] |
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* 例句:'''登山'''する男女や夜の[[諏訪地域|諏訪]]の森 ─ [[星野立子]] |
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}} |
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{{Anchors|山登り|登山宿|登山小屋|山小屋|登山口|登山杖|登山笠|登山馬|登山電車|登山地図|ザイル|寝袋}}「登山」を親季語とする子季語<ref group="*">ある主要な季語について別表現と位置付けされる季語を、親子の関係になぞらえて、親季語に対する「子季語」という。「傍題」ともいうが、傍題は本来「季題」の[[対義語]]である。なお、子季語の季節と分類は親季語に準ずる。</ref>は、以下のとおり、かなり多い。'''山登り'''(やまのぼり。山に登ること。登山)、'''登山宿'''(とざんやど。登山者のための[[宿泊施設|宿]])、'''登山小屋'''(とざんごや。登山者のための[[小屋]])、'''[[山小屋]]'''(やまごや)、'''登山口'''(とざんぐち。山の登りくち)、'''登山杖'''(とざんずえ。登山のときに使用する[[杖]])、'''登山笠'''(とざんがさ。登山のときに使用する[[笠]])、'''登山帽'''(とざんぼう。登山のときに使用する[[帽子]])、'''登山馬'''(とざんうま。山登り用の[[ウマ|馬]])、'''[[登山電車]]'''(とざんでんしゃ。登山用の[[鉄道]])、'''登山地図'''(とざんちず。登山するための[[地図]])、'''[[ザイル]]'''、'''[[寝袋]]'''(ねぶくろ)<ref name="Kigosai" />。 |
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{{quotation| |
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* 例句:[[オダマキ属|をだまき]]の花に<ruby><rb>[[床几|牀几]]</rb><rt>しやうぎ</rt></ruby>や'''山登り''' ─ [[阿波野青畝]] |
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* 例句:<ruby><rb>樹</rb><rt>き</rt></ruby>の<ruby><rb>皮</rb><rt>かわ</rt></ruby>も <ruby><rb>節</rb><rt>ふし</rt></ruby>も<ruby><rb>飾</rb><rt>かざ</rt></ruby>りに '''登山宿''' ─ [[鷹羽狩行]] |
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* 例句:うしろより [[霧]]を噴きゐる '''登山小屋''' ─ [[深見けん二]] |
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* 例句:'''山小屋'''の [[ストーブ|ストーヴ]]の熱 背へ<ruby><rb>徹</rb><rt>とほ</rt></ruby>る ─ [[山口誓子]] |
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* 例句:<ruby><rb>天高</rb><rt>てんたか</rt></ruby>き<ruby><rb>処</rb><rt>ところ</rt></ruby>に<ruby><rb>更</rb><rt>さら</rt></ruby>に'''登山口''' ─ 山口誓子 |
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* 例句:[[ふくらはぎ|ふくら]]<ruby><rb>脛</rb><rt>はぎ</rt></ruby> '''登山杖'''もて 叩かるる ─ 阿波野青畝 |
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* 例句:<ruby><rb>[[来世]]</rb><rt>らいせ</rt></ruby>には <ruby><rb>[[天馬]]</rb><rt>てんま</rt></ruby>になれよ '''登山馬''' ─ [[鷹羽狩行]] |
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* 例句:[[トンネル]]を '''登山電車'''の ひた下る ─ 阿波野青畝 |
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* 例句:<ruby><rb>朱線</rb><rt>しゅせん</rt></ruby><ruby><rb>縦横</rb><rt>じゅうわう</rt></ruby> <ruby><rb>吾子</rb><rt>あこ</rt></ruby>にまかせし '''登山地図''' ─ [[能村登四郎]] |
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}} |
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{{Anchors|夏の山|登山靴|ケルン|積石|冬登山}}関連季語として[[歳時記]]に記載されていないものの、関連性のある季語としては、'''[[夏の山]]'''(なつのやま。三夏の季語。分類は地理)と<ref name="Kigosai-夏の山">{{Cite web|和書|date=2011-02-05 |url=https://kigosai.sub.jp/001/archives/2052 |title=夏の山(なつのやま) 三夏 |work=季語と歳時記-きごさい歳時記 |publisher=季語と歳時記の会 |accessdate=2018-02-25}}</ref><ref name="Sogyusha-夏の山">{{Cite web|和書|author=大澤水牛 |date=2012 |url=http://sogyusha.org/saijiki/02_summer/natsunoyama.html |title=夏の山 |work=水牛歳時記 |publisher=NPO法人双牛舎 |accessdate=2018-02-25}}</ref>その子季語('''夏山'''〈なつやま。夏の青葉が繁った山〉、'''夏嶺'''〈かれい。夏山と同義〉、'''青嶺'''〈あおね、<small>[[歴史的仮名遣]]:あをね</small>。夏山と同義〉、'''夏山路'''〈なつやまじ。草木の生い繁った夏の山路〉、'''夏山家'''〈なつやまが。草木の生い繁る夏の山中の家〉、'''青き嶺'''〈あおきみね。夏の山〉、'''山滴る'''〈やましたたる〉、'''滴る山'''〈したたる山。五月山[さつきやま。[[5月 (旧暦)|陰暦5月]]ごろの[[緑]]の多い山]の異称〉、'''翠巒'''〈すいらん。緑色に連なる山々〉)を始め、'''[[ケアン|ケルン]]'''([[山頂]]や[[登山道|山道]]に[[道標]]や[[記念]]として石を[[円錐]]形に積み上げたもの。登山で亡くなった人を哀悼する記念碑もある。晩夏の季語。分類は人事)、'''積石'''(つみいし。ケルンと同義で子季語)、'''冬登山'''(ふゆとざん。冬山の登山。危険を伴ない、遭難者も多い。[[冬]]の季語。分類は地理)を挙げることができる<ref name="Kigosai-夏の山" />。'''[[登山靴]]'''(とざんぐつ)を挙げる場合もある。 |
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{{quotation| |
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* 例句:君積みし '''ケルン'''探すや <ruby><rb>嶺</rb><rt>みね</rt></ruby>光る ─ [[森村誠一]] |
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* 例句:'''登山靴'''<ruby><rb>穿</rb><rt>うが</rt></ruby>いて歩幅の決まりけり ─ [[後藤比奈夫]] |
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}} |
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== 登山を扱った作品 == |
== 登山を扱った作品 == |
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{{main|Category:登山を題材とした作品|en:Category:Mountaineering books}} |
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=== 漫画 === |
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<!-- 提示する作品は、Wikipediaのガイドライン[[Wikipedia:関連作品]]に準拠した作品であることを証明する記述も含めて記入してください。 --> |
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* 『[[蒼き氷河の果てに…]]』([[島崎譲]]) |
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* {{ill2|登山ガイドブック|en|Climbing guidebook}} |
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* 『[[イカロスの山]]』([[塀内夏子]]) |
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=== 登山雑誌 === |
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* 『[[おれたちの頂]]』(塀内夏子) |
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* 『[[ |
* 『[[山と溪谷]]』[[山と溪谷社]](1930年 - ) |
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* 『ケルン』朋文堂(1933年 - 1938年) |
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* 『[[神々の山嶺]]』(原作:[[夢枕獏]]、作画:[[谷口ジロー]]) |
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* 『[[岳人]]』[[モンベル]]ネイチュアエンタープライズ(1947年 - )[[東京新聞]](1949年 - 2014年) |
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* 『[[カモシカ(漫画)|カモシカ]]』([[鎌田洋次]]) |
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* 『[[岩と雪]]』山と溪谷社(1958年 - 1995年) |
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* 『[[岳人列伝|岳人(クライマー)列伝]]』([[村上もとか]]) |
|||
* 『[[ワンダーフォーゲル (雑誌)|ワンダーフォーゲル]]』山と溪谷社(1975年 - ) 『夏山JOY』、『ヤマケイJOY』を経て現誌名になる。 |
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* 『[[K (漫画)|K]]』(原作:[[遠崎史朗]]、作画:谷口ジロー) |
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* 『[[Fall Number]]』[[白山書房]](1979年 - 1982年) |
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* 『[[強力伝]]』(原作:[[新田次郎]]、作画:[[池上遼一]]) |
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* 『[[クライミングジャーナル]]』白山書房(1982年 - 1991年) |
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* 『[[こちら愛!応答せよ]]』([[上原きみ子|上原きみこ]]) |
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* 『[[ROCK & SNOW]]』山と溪谷社(1998年 - ) |
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* 『[[THE BIG WALL(ビッグ・ウォール)]]』(原作:[[横溝邦彦]]、作画:鎌田洋次) |
|||
* 『[[CLIMBING joy]]』山と溪谷社(2008年 - 2017年) |
|||
* 『[[山靴よ疾走れ!!]]』([[紅林直]]、脚本:[[生田正]]) |
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* 『[[ |
* 『[[PEAKS (雑誌)|PEAKS]]』[[枻出版社]](2009年 - ) |
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* 『[[ランドネ]]』枻出版社(2009年 - ) |
|||
* 『[[北壁の死闘]]』(原作:[[ボブ・ラングレー]]、画:[[井上康彦]]) |
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* 『[[ヒュッテ (雑誌)|ヒュッテ]]』山と溪谷社(2010年 - 2014年) |
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* 『[[魔の山]]』([[手塚治虫]]) |
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* 『[[WILDERNESS]]』枻出版社(2013年 - 2017年) |
|||
* 『[[魔の山大遭難 決死の救出劇]]』(原作・監修:[[日本放送協会|NHK]][[プロジェクトX〜挑戦者たち〜|プロジェクトX]]制作班、作画・脚本:[[こやす珠世]]) |
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* 『[[約束の地(漫画)|約束の地]]』([[谷口ジロー]]) |
|||
* 『[[孤高の人]]』(原案:[[新田次郎]]、漫画:[[坂本眞一]]) |
|||
* 『[[ヤマノススメ]]』([[しろ (イラストレーター)|しろ]]) |
|||
* 『[[山と食欲と私]]』([[信濃川日出雄]]) |
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=== 小説 === |
=== 小説 === |
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いわゆる山岳小説と呼ばれるジャンルである。 |
登山に限らず、いわゆる山岳小説と呼ばれるジャンルである。 |
||
* {{ill2|ボードマン=タスカー山岳文学賞|en|Boardman Tasker Prize for Mountain Literature}} |
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{{節stub}} |
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{{節スタブ}} |
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=== 映画 === |
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{{seealso|{{ill2|山岳映画|en|Mountain film}}}} |
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{{節スタブ}} |
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=== 漫画 === |
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{{節スタブ}} |
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=== 写真 === |
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{{main|山岳写真}} |
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== 登山に関するイベント == |
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{{main|Category:登山に関するイベント}} |
|||
* [[全国高等学校総合体育大会登山競技大会]] |
|||
* {{仮リンク|ピークハント|en|peak bagging}}(peak bagging) ‐ 日本百名山登頂などの著名な山の一覧を登頂する試み。 |
|||
* [[山の日]] |
|||
===賞=== |
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{{main|en:Category:Mountaineering awards}} |
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*[[ピオレドール賞]] - 優秀な登山家に贈られる国際的な賞。フランスの「ピオレドール(金のピッケル)」の事務局によって授与者が決定される<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.asahi.com/articles/ASPBX63M3PBXUOOB001.html?iref=ogimage_rek |title=「登山界のアカデミー賞」から山野井泰史さんに アジア人初の受賞:朝日新聞デジタル |access-date=2023-09-21 |date=2021-10-28 |website=朝日新聞デジタル |language=ja}}</ref>。 |
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*{{ill2|Golden Pitons|fr|Golden Pitons}} |
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*{{ill2|スノーレオパルド勲章|en|Snow Leopard award}}({{Lang-ru|Снежный барс}}) - ソビエト連邦で優秀な登山家に贈られていた賞。旧ソ連国内にある標高 7,000 m以上の山を5つ登ることが条件<ref>{{Cite web |url=http://www.alpklubspb.ru/ass/a388.htm |title=Альпинисты Северной столицы. История появления жетона «Покоритель высочайших гор СССР» («Снежный барс»). |access-date=2023-09-21 |website=www.alpklubspb.ru}}</ref>。 |
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* [[オリンピックの芸術競技・メダリスト一覧#アルピニズム|オリンピックのアルピニズムへのメダル授与]] |
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;芸術 |
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== 注釈 == |
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* {{ill2|ボードマン=タスカー山岳文学賞|en|Boardman Tasker Prize for Mountain Literature}} |
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{{Reflist|group="注釈"}} |
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* {{ill2|バンフ・マウンテン・フィルム・フェスティバル|en|Banff Mountain Film Festival}} |
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* {{ill2|バンフ・マウンテン・ブック・フェスティバル|en|Banff Mountain Book Festival}} |
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== 脚注 == |
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{{脚注ヘルプ}} |
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=== 注釈 === |
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=== 出典 === |
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[[画像:アンナプルナⅢ、マチャプチャレ1.jpg|thumb|登山のメッカ、[[ヒマラヤ山脈|ヒマラヤ]]連峰の[[アンナプルナ]]III峰]] |
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== 参考文献 == |
== 参考文献 == |
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<!-- 本記事の出典として使われておらず、関連しているだけの文献は「関連文献」の節に載せてください。 --> |
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* 『北アルプス この百年』[[2003年]](平成15年)著 菊池俊朗 文春新書 ISBN 4166603477 |
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* {{Cite book |和書|title=北アルプス博物誌 1 登山・民俗 |edition=第5版 |date=1974年|editor=[[大町山岳博物館]] |publisher=信濃路/農村漁村文化協会 |ref={{SfnRef|大町山岳博物館|1974}} }} |
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* {{Cite book |和書 |author=堀田弘司 |authorlink= |date=1990-06 |title=山への挑戦 |publisher=岩波書店 |series=岩波新書 |isbn=4-2-00-430126 |ref={{SfnRef|堀田|1990}} }} |
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* 『峠の歴史学 古道をたずねて』 [[2007年]] 著 服部英雄 朝日新聞社 ISBN 978-4-02-259930-8 |
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* {{Cite book |和書 |title=黎明の北アルプス |date=1994-05 |author=はまみつを |authorlink=はまみつを |publisher=郷土出版社 |isbn=4-87663-255-3 |ref={{SfnRef|はま|1994}} }} |
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* {{Cite book |和書|title=北アルプス この百年 |date=2003-10|author=菊池俊朗 |series=文春新書 |publisher=文藝春秋 |isbn=4166603477 |ref={{SfnRef|菊地|2003}} }} |
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*『山の遭難 あなたの山登りは大丈夫か』 [[2010年]](平成22年) 著 羽根田治 平凡社新書 ISBN 978-4-582-85506-7 |
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* {{Cite book |和書 |title=峠の歴史学 古道をたずねて |date=2007-09 |author=服部英雄 |publisher=朝日新聞社 |isbn=978-4-02-259930-8 |ref={{SfnRef|服部|2007}} }} |
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* {{Cite book |和書|title=山の遭難 あなたの山登りは大丈夫か |date=2010-01 |author=羽根田治 |series=平凡社新書 |publisher=平凡社 |isbn=978-4-582-85506-7 |ref={{SfnRef|羽根田|2010}} }} |
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* {{Cite book |和書 |editor=平凡社 |date=2011-06 |title=世界大百科事典 |volume=20 |edition=改訂新版 |publisher=平凡社 |isbn=9784582034004 |ref={{SfnRef|平凡社|2011}} }}(執筆者は徳久球雄) |
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== 関連文献 == |
== 関連文献 == |
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== 関連項目 == |
== 関連項目 == |
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{{commons|Category:Mountaineering|登山}} |
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* [[オリエンテーリング]] |
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* [[登山用語一覧]] |
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* [[登山家]]、[[登山家一覧]] |
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* [[ハイキング]]、[[トレッキング]]、[[トレイルランニング]]、[[オリエンテーリング]] |
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* [[ワンダーフォーゲル]] |
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* [[ロッククライミング]]、[[フリークライミング]]、[[沢登り]]、[[アイスクライミング]] |
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* [[山小屋]](避難小屋)、[[キャンプ]]、[[アウトドア]] |
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* [[アルピニズム]] |
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* [[日本百名山]]、[[8000メートル峰]]、[[七大陸最高峰]] |
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* [[登山計画書]](入山届、登山届とも) |
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* [[登山条例]] |
* [[登山条例]] |
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* [[山座同定]] |
* [[山座同定]] |
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* [[ジョージ・マロリー]] |
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* [[登山道]] |
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* {{ill2|高地トレーニング|en|Altitude training|recirect=1}} |
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* [[遭難]] |
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* {{ill2|ヴィア・フェラータ|en|Via ferrata}} - イタリア語で「鉄の道」の意。鉄の梯子や階段、命綱をかける場所などが整備されている登山道のことである。 |
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* [[矛盾脱衣]] |
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* {{ill2|エイド・クライミング|en|Aid climbing}} ‐ 補助器具を付けたロッククライミング。 |
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* [[ビバーク]] |
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* {{ill2|クレバスレスキュー|en|Crevasse rescue}} ‐ 氷の割れ目(クレバス)に落ちた登山者を救出すること。 |
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* [[山岳信仰]](山岳に対する[[信仰]]) |
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* [[未踏峰]] |
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* [[山岳仏教]](山岳での[[仏教]]、[[修験道]]) |
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* [[初登頂]]、{{仮リンク|初登頂の一覧|en|List of first ascents}} |
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* [[全国高等学校総合体育大会登山競技大会]] |
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* [[ |
* [[山岳仏教]] |
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* [[山ガール]] |
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2024年12月6日 (金) 02:13時点における最新版
登山(とざん、英: mountain climbing, mountaineering, alpinism)は、山に登ることに楽しみを求め、登ること自体を目的とすること[1]。そのようなスポーツ[1]。
概説
登山は山に登ることではある。だが、登山は登山そのものを目的とし、そこに最大の喜びを見出し、自分の人生に活かしてゆくことである[2]。山菜や動物を採集したり、地質調査のため等々のために山に入ってそこを登ることは登山自体を目的としておらず、異なっている[2]。
狩猟や信仰のための登山は古くから行われているが、これらは今日的な意味での登山からは除外される[3]。山頂から景色を眺めることがしたくて登山をした、という今日的な意味の登山へとつながる登山をした最初の記録はイタリアのペトラルカ(14世紀の詩人)のものである[3]。→#歴史
山に登ることそのものを目的とする登山とその思想(英: alpinism, アルピニズム, 近代登山)が18世紀後半のヨーロッパで始まった[1][4][5]。この意味での登山はスポーツの一種とされる[1][4][5]。
- アルピニズム
英: alpinism(アルピニズム) は広義には登山全体を指すが、特に近代登山(近代的なスポーツ登山)とその思想を指す[4]。18世紀後半を始まりとする近代登山は[注 1]、山に登ること自体に喜びを見出し、登山が精神や肉体に与えるものを重視し、人生のうるおいとすることを目的とする[5][4]。アルピニズムはまた、登山の知識と技術を総合的に養い、全人格的に山に対していこうとする思想でもある[4]。登るという行為以外に目的がない点で近代登山はスポーツの一種であり、この点において宗教的な登山[注 2]や戦争、狩猟、測量、研究などのための登山と異なっている[5][1][4]。
日本では戦後に登山者が増加した[8]。高年齢の登山者や女性も多くなり、登山は野外スポーツとして定着しているとされるが、遭難の続発は社会問題となっている[8]。高齢になって始めた登山者が、体力や技術を過信したり、気象変化を軽くみがちで、それが原因となって遭難し、山岳救助を要請する事態となっている。
登山を広く捉えると、スリーシーズンの(雪が無い時期の)ハイキング、トレッキング、縦走登山といった比較的平易なものから、雪山登山、山スキー、沢登り、藪漕ぎ、岩登り(ロッククライミング)、アイスクライミング、フリークライミング、他にもトレイルランニングなどと登山の難易度が高く技術や経験が必要なものまで、登山の形態は、方法、技術、難易度、季節、時期などによって多岐にわたる。
歴史
近代登山が始まる以前の段階(近代登山から見れば一種の「前史」に当たるもの)から解説する。
先史時代
山を登るということは先史時代から行われていたようである。イタリアとオーストリアの国境にて約5,300年前の男性のミイラであるアイスマンがエッツ渓谷(海抜3,210m)で発見された。アイスマンがここまで登った理由は不明であるが、山に登ったことは確かである。他にも、狩猟などでも登山は行われていたが、これらは今日の登山とは除外される。また、多くの宗教で山は崇拝や信仰の対象とされ、神そのものであるとされる場合もあったことから、様々な聖典や伝説で登山が記録されている。[要出典]。
宗教で山に登った記録としては、旧約聖書にあるモーセの十戒に関連するシナイ山、新約聖書の山上の垂訓などがある。
日本では縄文時代の早い段階から黒曜石を求めて登山したことが長野県の星糞峠黒曜石原産地遺跡や栃木県の高原山黒曜石原産地遺跡群などから確認されている(当項目の「概要」および「発掘調査の歴史」を参照)ことから資源目的の登山は石器時代から行われていた。
15世紀の南アメリカのインカ帝国の都市遺跡であるマチュ・ピチュは王家の別邸説が有力であり、常住するものではなかったことから、登山をしたことが確認できる[9]。
ヨーロッパ
中世以前
前218年、ハンニバルは第二次ポエニ戦争において、6万人の兵と37頭のゾウとともにピレネーやアルプスの山脈を越えたとされている[5]。
125年にローマ帝国のハドリアヌス帝は朝日を見るためにエトナ火山に登った[10]。
ルネサンス期から18世紀前半
ヨーロッパ近代の精神が、山に登ることそのものに喜びを見出す近代登山に道を開いた[4][注 3]。イタリアの詩人ペトラルカがその先駆けとなった[4]。1336年、ペトラルカはフランス南部のアビニョン近郊のモンバントゥーに登った[5][1][4]。これが、山頂からの眺望を得るために登山をした最初の記録とされる[1][4]。その後ペトラルカは、このときの旅程を友人に手紙に書き留めて送っている。このことから、ペトラルカは「登山の父」と呼ばれ、この日を登山の生まれた日としている。これは、文化史家のヤーコプ・ブルクハルトの『イタリア・ルネサンスの文化』の中で紹介されている。旅の途中での必然的な山越えではなく、山に登ること自体を目的として試みられた近代最初の出来事である。[要出典]
ルネサンスの始まりとともに趣味やスポーツとしての登山が行われるようになった。また、測量目的の登山も行われるようになり、フランス王シャルル8世が1492年にエギーユ山の登頂を命じたのは、この範疇に入る。レオナルド・ダ・ヴィンチはヴァル・セシア郊外の雪山に登り、様々な実験や観察を行った。16世紀にはスイスのチューリッヒを中心に登山を賞賛する動きがあり、コンラッド・ゲスナーとジョシアス・シムラーが度々登山を行っていたことが記録されている。2人はロープとピッケルを使ったが、一般には広まらなかった。17世紀のヨーロッパには登山の記録がまったく残されていない。[要出典]
近代登山の始まり
18世紀後半、アルプス最高峰のモンブラン登頂が達成されたことが、近代的登山(近代登山、スポーツとしての登山[1][4])の幕開けとなった[11][1][4]。1760年、自然科学者オラス=ベネディクト・ド・ソシュールがシャモニーを訪れ、モンブラン初登頂を成し遂げた者に賞金を出すと宣言し、それに応える形で1786年にミシェル・ガブリエル・パカールおよびジャック・バルマが登頂に成功した[11][1][4][注 4]。
アルプス黄金時代
19世紀に入って、ヨーロッパ・アルプスの登山は盛んになった[11]。特にイギリス人によってアルプス黄金時代がもたらされ、登山技術の面でも急激な進歩があった[11]。マッターホルン(4,477m)は従来、登ることが不可能と見なされていたが、1865年7月14日にエドワード・ウィンパーが登頂に成功した[11][12]。1857年には世界で最初の登山団体となるイギリス山岳会が設立された[11]。1854年のヴェッターホルン初登頂から1865年のマッターホルン初登頂までをアルプス黄金時代と呼ぶ[12][1]。
アルプス銀の時代
アルプス黄金時代の間に、アルプス山脈の4,000m級の峰が登りつくされ未登峰がなくなると、岩壁や側稜などからの登山といったより困難なルート(バリエーションルート)からの登頂や、冬季登山、案内人を付けない登山などが行われるようになった[11][13]。その背景には、より困難なルートからの登山を提唱したママリー(1855-1895)の思想があり、これがママリズムとして近代のアルピニズムの主な思想となった[11][14]。新しい山を求めてカフカス、アンデスなどにも目が向けられ始めた[11]。1865年のウィンパーによるマッターホルン登頂から、1882年のダン・デュ・ジュアン初登頂までをアルプス銀の時代と呼ぶ[15]。
銀の時代以後
この節の加筆が望まれています。 |
ヒマラヤ
世界最高峰のエベレストが有名である。
日本
山岳修行
日本においては、717年に泰澄和尚が開山した白山、701年に越中国(富山県)国司の息子有頼が開山した立山など、宗教にまつわり山を開いたとする開山縁起が残っている[16][17]。都良香の富士山記に、富士山頂の様子の記述がある[17]。鎌倉時代(1185年頃 - 1333年)・室町時代(1336年 - 1573年)以降も北海道を除く全国各地の山岳寺院に所属する山伏による山岳修行が盛行し[18]、各山地の尾根道をメインルートとした入峰修行登山の記録が残されている[19]。最も記録が多く残されているのは紀伊半島の大峰山脈で、東北では羽黒山・月山、関東では日光、丹沢、中部地方の富士山、九州では英彦山など、調査研究も進んでいる[20]。ただし、この登山文化は明治5年(1872)の修験道廃止令で一旦は途絶えることになった。
近世の登山
日本において、宗教目的以外で記録される著名な登山といえば、安土桃山時代、1584年(天正12年)12月の佐々成政による「さらさら越え」(北アルプス越え)である。しかも、これは比較的容易な無積雪期ではなく、冬季の積雪期に敢行されたという点でも注目されている。ルートは、立山温泉-ザラ(佐良)峠-平の渡し(黒部川)-針ノ木峠-籠川(かごかわ)の経路が有力視されているが、確証はない。立山の一の越-御山谷ルート、別山-内蔵助谷ルートをとったという説もある。
ザラ峠とは安房峠(古安房峠)のことを指す、佐々成政は安房峠を越える鎌倉街道を通って越中富山-遠江浜松を往復したのだ、という説もある[21]。
同様の軍事的な意味合いの登山としては、武田信玄の配下の武将山県昌景が、1559年(永禄2年)に飛騨を攻めるのに上高地から安房峠(古安房峠)を超えて入った事例が知られている[17][22]。
1640年(寛永17年)に加賀藩によって設置され1870年(明治3年)まで続いた黒部奥山廻り役は、藩林保護のための検分登山を行い、北アルプスの主峰のほとんどを登って回った[17]。 文化13年(1816年)、小尾権三郎(延命行者)の甲斐駒ヶ岳、 文化・文政期(1804年 - 1829年)、1819年の明覚法師と永昌行者による乗鞍岳、1828年の播隆上人による槍ヶ岳など、開山が相次ぐ。また、立山講や御岳講、駒ヶ岳講などの講中登山が盛んになる。寛政期(1789年 - 1800年)に寺社詣でが解禁され、『東海道中膝栗毛』(1802年 - 1822年)が人気を博すなど、民衆の間に旅行人気が広まったことが背景として考えられ、参加する者の多くにとっては、宗教的な意味合いよりも、物見遊山としてのものだったと考えられる[16]。
江戸時代、文人画家池大雅、医者川村錦城、医学者橘南谿、画家谷文晁などが、山そのものを味わうために山に登ったことが知られている[17]。
江戸幕末、北アルプス麓にある入四ヵ村で年に薪五千間、板子八万梃を伐採しに二ノ俣あたりまで入っていたなど、多くは記録に残っていないが、歴史を通じて、杣人や狩猟や採鉱などの山仕事でたくさんの人が山に入っていたと考えられる[16]。
江戸幕末以降、複数の欧米人が富士山に登った。1860年(万延元年)7月、オールコックが大宮・村山口登山道から登り登頂している。1867年(慶応3年)10月にはパークス夫人が、1868年(明治元年)7月にサトウが登っている[17]。
日本での近代登山の幕開け
明治時代(1868年 - 1912年)、1874年にガウランド、アトキンソン、サトウの三人の外国人パーティが、ピッケルとナーゲルを用いた登山を日本で初めて六甲山で行った。ガウランドは1881年に槍ヶ岳と前穂高岳に登山して「日本アルプス」を命名した人物で、サトウは富士山に最初期に登った外国人としても知られる[23]。
日本アルプスには、上記3名のほか、ウォルター・ウェストン、バジル・ホール・チェンバレン、フランシス、ミルン など複数の欧米人が登った。15版まで重版されるベストセラーとなった志賀重昂の『日本風景論』が1894年(明治27年)10月に出版されるまでの時期を、明治時代日本アルプス登山史の第一期とする見方がある[24]。
その見方では、それ以降参謀本部陸地測量部による1913年(大正2年)の地図刊行までをその第二期とする。第二期には、冠松次郎、木暮理太郎、小島烏水、近藤茂吉、三枝守博、武田久吉、田部重治、鳥山悌成、中村清太郎 らが北アルプスに登った[24]。陸地測量部は館潔彦、柴崎芳太郎などの測量官を派遣し、一等三角測量を完成し、地図を刊行した。第二期を、小島烏水は日本登山史上の探検時代と呼んでいる[17]。
明治期の日本アルプスの登山では、長野県の内野常次郎、上條嘉門次(梓川渓谷)、小林喜作(中房渓谷)、遠山品右衛門(高瀬川渓谷)、横沢類蔵、富山県の宇治長次郎、佐伯源次郎、佐伯平蔵、山梨県の大村晃平、中村宗義(早川谷)など、地元の猟師が案内をした[24][25]。
日本の「近代登山」の始まりをどの時点に置くかは、人によって解釈が様々であるが、1874年(明治7年)に六甲山における、ガウランド、アトキンソン、サトウの3人の外国人パーティによるピッケルとナーゲルを用いた登山が、日本の近代登山の最初とされることが多い[23]。1889年(明治22年)には、ウェストンによってテント・ザイル等が持ち込まれ、ウェストンの助言で小島烏水らが1905年(明治38年)に日本で最初の山岳会「山岳会」(後の「日本山岳会」)を設立した。この年を近代登山の始まりとする説もある。また今西錦司の言うように1918年(大正7年)の第一次世界大戦の終戦時をもって近代登山の幕開けとされることもある。
測量や地理学的な目的での登山も行われた。1882年(明治15年)8月の内務省地質測量長ナウマン博士の命令による横山又次郎一行の南アルプス横断、1885年(明治18年)全国地質測量主任ライマンの助手坂本太郎の槍ヶ岳-薬師岳縦走、1889年(明治22年)農商務省地質調査所の大塚専一による針ノ木岳-立山-後立山縦走などである[17]。
黎明期は学校登山
明治時代、北アルプスの地元では、学校登山が行われた。1883年(明治16年)に窪田畔夫と白馬岳に登った渡辺敏は、長野高等女学校校長時代、理科・体育教育の目的で、1902年(明治35年)より毎年、戸隠山、白馬岳、富士山などへの登山を実施した。富山師範学校教諭の保田広太郎は、1885年(明治18年)頃より、学生を連れて立山などに登った。河野齢蔵は1893年(明治26年)から動植物採集の目的で北アルプスの山々に登り、大町小学校校長のとき、学校で登山を奨励した[26][27]。
三角点設置
陸地測量部によって、1907年(明治40年)までに、日本アルプスの主峰のほとんどに、三角点が設置された[17]。
登山ブーム到来
探検時代の後[28]、明治末から大正にかけて、日本アルプスへ登山する人たちが増え始め[29]、大正期に大衆化した[30][注 5]1915年(大正4年)の上高地 大正池の出現や、皇族の登山などが、人々を山へ誘った[31][注 6]。
一方、日本の登山は当時のイギリスの上流階級の趣味としての登山の受容から始まっており、戦前の登山において大学・高校の山岳部の現役・OBが大きな役割を占めるのも、彼らの多くが上流階級の子弟で経済的にも時間的にも余裕がある人々だったからだという指摘がある。登山の大衆化はこうした既存の担い手との摩擦も生じ、当時は(お金をかけて)案内人を雇って登るのがマナーと考えられていたためにタブー視されてきた単独行を行ってその草分け的存在となった加藤文太郎は、加藤自身の内向的な性格も相俟って批判の対象とされた[32]。
遭難事故の増加
登山の広がりは遭難事故の増加をもたらすことになる。登山家・作家の春日俊吉の調査によると、近代登山における記録に残る最古のものは、1891年9月に青山学院(当時は東京英和学校)の学生が友人ら2名と木曽駒ヶ岳に登山した際に雨に打たれて体力を消耗したことで下山中に死亡した事故とみられている[33]。初期の遭難事件としては、軍隊の訓練による八甲田雪中行軍遭難事件や学校の集団登山による木曽駒ヶ岳大量遭難事故は著名であるが、前述の春日によれば記録が伝わる遭難事故は明治期には199名の犠牲者を出した八甲田山の遭難事件を除くとわずか3件6名の犠牲者に過ぎないが、大正の15年間(実質14年弱)で21件64名の犠牲者が出ているとしている[34]。
山小屋の設置
1907年(明治40年)に松沢貞逸が白馬岳山頂近くに橋頭堡を築いて営業を開始したのに始まり、1916年(大正5年)に松沢貞逸が白馬尻小屋を、1918年(大正7年)に穂苅三寿雄がアルプス旅館(槍沢小屋)を、1921年(大正10年)に赤沼千尋が燕ノ小屋(燕山荘)を、百瀬慎太郎が1925年(大正14年)に大沢小屋、1930年(昭和5年)に針ノ木小屋の営業を開始するなど、山中で登山者が休憩・宿泊する山小屋の営業が始まった[29]。
登山案内者組合結成
1917年(大正6年)の百瀬慎太郎による大町登山案内者組合結成をはじめ、1918年(大正7年)の赤沼千尋の有明登山案内者組合、1919年(大正8年)の松沢貞逸の四ツ谷(白馬)登山案内者組合、1922年(大正11年)の奥原英男による島々口登山案内者組合結成など、山案内人(山岳ガイド)の利用料金および利用者と案内人の間のルールの明示・統一が試みられた[29][注 7]
アルピニズムの時代
1921年(大正10年)の槇有恒のアイガー東山稜登攀をきっかけとして、大正末期にアルピニズムの時代に入った。「先鋭的な登攀」が実践され、「岩と雪の時代」「バリエーションの時代」と呼ばれた[35]。大学や高校の山岳部が、より困難なルートの制覇を目指して山を登った[36]。
ヒマラヤ遠征
1936年(昭和11年)には日本では初(戦前では唯一)となるヒマラヤ山脈への遠征が、堀田弥一を隊長とする立教大学隊によりナンダ・コート(標高6867メートル、当時はイギリス領インド帝国内)を目標に実施され、初登頂に成功した[37]。
日中戦争の影
1937年(昭和12年)に始まる日中戦争、1938年(昭和13年)に制定される国家総動員法などの時代情勢により、登山ブームは下火になる[38][注 8]。
戦後
1945年(昭和20年)の第二次世界大戦終了後、大学・高校の山岳部の活動が再開された[39]。
日本隊のマナスル初登頂の影響
1950年代、ヒマラヤで、1950年(昭和25年)のアンナプルナ、1953年(昭和28年)のエベレスト、1956年(昭和31年)のマナスルの初登頂など、8000メートル峰(14座ある)の初登頂ラッシュ[40][注 9]が続き、これを受け再び登山ブームが起きた。このブームの特徴は、大学や高校の山岳部に代わって、社会人山岳会の活動が活発になったことである[41]。この時期、1955年(昭和30年)有名なナイロンザイル事件が起きた[42]。また、谷川岳では、多発する遭難事故を受けて、群馬県が1966年(昭和41年)に群馬県谷川岳遭難防止条例を制定した[43][注 10]。1971年(昭和46年)、海外で「先鋭的な登攀」を行ってきた人達が(社)日本アルパイン・ガイド協会を設立し、登山のガイドや山岳ガイドの養成、資格認定などを行い始めた[44]。1960年代 - 1970年代、山岳部や山岳会が「先鋭的な登攀」を続ける一方で、一般の人々がハイキングから縦走登山、岩登りまで、好みと能力にあわせて広く楽しむようになった[45][注 11]。
1966年3月26日、富山県が、全国初の登山届出条例を制定、12月1日実施。12月17日、群馬県は、谷川岳遭難防止条例を制定、1967年3月1日実施。
高齢化社会と登山
1980年代、山岳部や山岳会が衰退し始め、また、登山者に占める中高年者の割合が増え始めた。若い世代が山登りを3Kというイメージで捉えて敬遠するようになり、育児が一段落した人たちが山登りを趣味とし始め、仕事をリタイアした世代が若い頃に登った山に戻り始めたことが理由であると考えられる。これに健康志向と日本百名山ブームが輪をかけ、2010年現在に至っている。このブームで、ツアー登山が盛んになった[46][注 12]。このブームの時代、1990年(平成2年)、各地に設立された山岳ガイド団体が日本山岳ガイド連盟を設立し、ガイド資格の発給を行うようになった。羽根田治は『山の遭難 あなたの山登りは大丈夫か』 (平凡社、2010年)で、近代登山以降という尺度で見た場合という観点からとして、ここから続くブームを第3次登山ブームと呼んでおり[48]、このブームの始期は1980年代後半から1990年代初頭と認識するのが妥当ではないかとしている[49]。
2003年(平成15年)、日本アルパイン・ガイド協会が日本山岳ガイド連盟を合併して(社)日本山岳ガイド協会が発足、日本全国統一基準のガイド資格が生まれた[44][注 13]。
若者層の開拓
2010年前後には旧来の山岳雑誌とは異なったライト感覚の登山・アウトドア雑誌が多く創刊され、それとともに山ガールという言葉がマスコミに踊ったことにより、従来の汗臭い、泥臭い男性中心で危険な登山というイメージからの脱皮が計られるようになった。また、登山ウェアや用具なども技術革新、新素材の登場によって、よりファッショナブルで軽量な物が開発されるようになった。『ゆるキャン△』などの登山を描いた漫画もヒットした。2020年前後頃からは登山YouTuberと呼ばれる人たちがインターネット上で山行動画を公開し始めたことも、初心者の若者中心に登山需要を喚起している。これを第4次登山ブームと呼ぶべきかについてはまだ諸説ある。
一方これらの多くの若者が山岳部や山岳会などに所属しないフリーな登山活動であったため、経験の蓄積のないままランクの高い山に不用意に入ってしまうという安全上の懸念も生んでいる。また、2019年には動画配信中の富士山滑落事故が発生している。
登山の技術
登山は競技ではないので、技術の優劣をつけることは難しいとされる[8]。また、同一の山やコースであっても、自然条件が異なればその難易度は異なる[8]。従って、広い意味においての登山技術とは、十分な準備と訓練をふまえて行動計画を立案することと、自然と人間の力関係を判断していくことが基本であり、登攀・歩行・生活などの具体的な技術は2次的なものである[8]。
登山計画
目的の山を選び[注 14]、期日を決め、パーティ(隊)のリーダーを決める[8]。さらに、予算、各自の任務分担、行動予定、食料・装備などについて協議する会合をもつことにより、全ての参加者が、目的の山についての知識を得て、コースも熟知しているようになれば理想的である[8]。
登山者が2人以上の場合には、必ずリーダーが定められる[8]。パーティ(グループ)が大人数の場合はサブリーダーも置き、リーダーの補助をさせる[8]。
登山にはトレーニングも必要である[8]。筋肉を強くすることよりも、耐久力をつけることと健康の堅持に重点を置くトレーニングを平素から行うべきだとされる[8]。
歩行技術
体力、山の状況、荷物の重さなどに応じて、疲労を少なくするように歩くことが重要だとされる[8]。一定の心拍数で、足の裏全体を使ってリズミカルに歩くことを提唱する説もある[8]。
一般的には、歩き始めて最初の20分で一度休憩し、身体・衣服・荷物を調整する[8]。その後は40-50分ごとに10分程度の休憩をとることが普通である[8]。地図上で位置を確認しながら歩く[8]。パーティでの歩行は、体力的な弱者を標準とする[8]。
極地法
多数の人々の支援を受けて、ベースキャンプから順に前進キャンプを設営しつつ物資や人員を進めてゆき、各キャンプの隊員の援助のもとに、少数の隊員が頂上に到達するという登山法[8][50]。高山や、登頂までのアプローチが長い山で用いられる[50]。登山では1922年にイギリスのエベレスト遠征隊が初めて用いた[50][注 15]。スポーツとしての登山では、最早過去のものだが、気象状況が極めて困難な場所でのトライにわずかに使用されたり、高所へのガイド登山で使用される方法である。
登山の装備
登山というのは主に歩くのであり(自分で荷物を背負わなければならないので)多くの用具や食料を携行することはできない[2]。また、登山では危険に直面することもあるので、十分な安全対策を検討したものである必要もある[2]。「安全」「堅牢(けんろう、=丈夫であること)」「軽量」「扱いやすさ」は登山用具の必要条件である[2]。
- 基本装備品
- 方位磁針(コンパス)
- ヘルメット : 落石あるいは滑落したときに頭を守る。JISマーク製品などの規格品が望ましい
- 防寒具(必携) : フリースジャケットやダウンジャケットなどの防寒着(夏でも北アルプスや富士山などの夜間には氷点下になる)や懐炉。遭難時の対策にエマージェンシーブランケットも有用。
- 雨具(必携): レインウェア(雨合羽)。防寒具も兼ねる。山は風が強く基本的に傘は使えない。
- 靴 : 数百m程度の低山に登るのならスニーカーでも足りる。中程度以上の山では底材がしっかりしていて様々な工夫がこらしてある登山靴が望ましい。
- 手袋 : 怪我防止と防寒。夏山では基本的には軍手で足りる。登山用の機能的でおしゃれなものもありはする。冬季は下記参照。
- 地形図(必携) : 登山の行程ごとの時間や交通機関の問い合わせ等の登山に必要な情報を書き込んだ登山地図がある。国土地理院発行の地図も使える。登山ガイドブックなどに付属することもある。現代ではスマートフォンのアプリやグローバル・ポジショニング・システム(GPS)受信機で代替する場合もあるが、電池の消耗には注意が必要である。
- 光源(必携) : 基本は懐中電灯。最近はLEDのもの。山は日暮れが早く、日が暮れると街とは異なり基本的に明かりがなくなる。懐中電灯などを持っていないと遭難を招く。行動時は両手が自由になることからヘッドランプが好まれ、野営時にはランタンが好まれる。
- 携行食(必携) : チョコレート、飴玉、おにぎり 、一口ようかん等。
- 非常食(必携):上記の行動食とは別に、体を温めるための粉末スープやフリーズドライ食品を少量携行することが勧められる。
- 飲料(必携) : 基本は水。水筒やペットボトルに入れたもの。
- マルチツールナイフ(必携) : (ここは基本を説明する節なので通常の登山について説明するが)通常の登山であれば大型のナイフではなく、マルチツールナイフが推奨される。調理を行う予定がない場合でも携行食の開封やその他装備品のトラブルなどが発生した場合の修理に使える事がある。
- 時計(必携) : 腕時計や携帯電話の時計など。時刻・時間が判らないと、様々な判断が困難になり、遭難の可能性が高まる。
- ツェルト : 必携ではなく、持たない人のほうが多いが、テントを持参した場合はビバークに使え、もしもの時に命を救うことがある
- エスビット等の小型固形燃料ストーブ : 必携ではないが、万が一の遭難時やビバークを行う際に調理や暖房として利用が可能なため持ち込むユーザーも多い。
- 熊鈴 : 登山中に熊による事故も起きている。熊よけスプレーもあるとよい
- 使い捨てカイロ : 3000m以上の高地は夏でも冬である。低体温症を防ぐためにカイロは必須である
- 衛星電話 : 遭難するような奥地はスマホの電波が届かないことも多いが衛星電話ならどこでも救助を呼べる。
- テント泊の場合
- 基本装備に比べ、宿泊および食事に必要な道具と消耗品が増える。
- テント一式[* 1]、寝袋(シュラフ)、寝袋用のシーツインナーシュラフ。山用マットレス。
- 食事の道具。「ストーブ」と呼ばれるきわめて小型の登山用焜炉。コッヘル、カトラリー類(スプーン・フォーク・箸など)
- 食料。調理しやすく、比較的軽く、しかも体力の回復に役立つものが中心になる[* 2]。缶詰、インスタント食品、レトルト食品、フリーズドライ食品、アルファ化米など調理が簡便な物も多用される。
- 岩登り
レイヤリング
体温調節のために防寒具や雨合羽などを含む衣類(ウェア)を組み合わせて、体感温度や運動強度に適した服装にすることをレイヤリング[53][54]、またはレイヤード[55]という。
登山ではできるだけ汗をかかず、なおかつ寒さを感じない程度の快適な服装が求められる。肌寒い季節を例にとると、行動中は体が温まっているために薄手のフリースのみでも寒さを感じないこともあるが、休憩中は体が冷えるために他の防寒着を着込む必要がある。そのまま再び行動をすると汗をかき、反って体が冷えてしまうために防寒着を脱いでから行動をはじめなければならない。このように運動強度や気温、標高、天候の変化に合わせたレイヤリングを行う必要がある。[要出典]
着替えを持ち運ぶ必要があるため、特に脱ぎ着の機会が多い中間着では軽量かつ嵩張らないものが好まれる。フードがついた上着は目出し帽の代わりとなるため、防寒性能が高いとして好まれる[* 3]。また、ファスナー付きの服は、ファスナーを開放することで換気(ベンチレーション)を行うことができるため行動中の体温調節に便利である。[要出典]
- ベースレイヤー
- Tシャツやタイツ、レギンス、靴下などの下着や肌着のことを指す。上のレイヤーに汗を放出する役割を持ち、主に吸湿速乾性が求められる[53][54]。ポリエステルのような化学繊維あるいはウールが好まれる。保水性のある綿やレーヨンなどは汗冷えを招くとして好まれない[56]。
- また吸湿発熱素材のシャツは熱籠もりを起こしやすく、汗をかきやすくなってしまう。化学繊維であっても登山に向いているとは限らないことに留意するべきである。
- 特に吸湿速乾性に優れた肌着をアンダーウェア[* 4]としてベースレイヤーと別に定義する場合もある。
- ミドルレイヤー(ミッドレイヤー)
- フランネルシャツやフリース、インサレーション(化学繊維、ダウンジャケット)などの中間着を指す。主に保温性が求められ[53][54]、気温が高い夏の低山では省略されることも多い。
- ベストは体幹を保温し、腕から熱を逃がすとして春や秋の冷涼な時期によく使用される。
- アウターレイヤー
- ウインドシェルやソフトシェル、ハードシェル、レインウェア、ビレイパーカを指す。風雨によって体温を奪われることを防ぐため、防風性や防水透湿性が求められる[53][54][* 5]。
- 夏山では省略されがちなレイヤーであるが、日本のような多雨の地域では最低限レインウェアを持参すべきである。
- アクセサリー
- 上記以外に保温などを目的として着用する衣類。手袋や帽子、ネックウォーマー、アームウォーマー、レッグウォーマー、レインスパッツ、イヤーマフ(耳当て)などが挙げられる。
ウルトラ・ライト・バックパッキング
ウルトラ・ライト・ハイキングとも[57]。90年代後半にアメリカのレイ・ジャーダイン(Ray Jardine)によって提唱された「極限まで荷物を軽くすれば遠くへ行ける」という考え方である[要出典]。
U.L.はクッカーを軽量なチタン製に換えるなど、従来から行われてきた簡単な手段の積み重ねでも実践できる。さらにU.L.を追求するものは、テントを軽量なツェルトに代えるなど快適性などを多少犠牲にしても軽量化を図ることがある。近年ではトレイルランニング向けに企画された軽量な装備を流用することもある。他にも売店があるような山では、水分を売店で買う計画を立てて登山口から持ち込む重量を減らすという手段をとるものもいる。 前述のレイヤリングを例に挙げると、ミドルレイヤーの役割である保温とアウターの役割である防風を中厚手のソフトシェル1着でまかなうケースが想定できる。この場合は対応できる温度帯が狭くなるため、急に天候や運動強度が変化した場合に対応することが難しくなる。このように反って体力を消耗することがあり得るので、ある程度の経験を積んでからU.L.を検討することが望ましい。[要出典]
登山の目的
レクリエーション
レクリエーションとしての登山の魅力は、ゆっくりと傾斜を歩くことによる有酸素運動や、新陳代謝の活性化、あるいは景観や自然の風景そのものを楽しむことにある。他にも、森林浴(リラクゼーション効果)を楽しんだり、ともに登山をする人との交流や、冬山を登る際にはスキー滑走を目的としたりする場合もある。その目的は人により千差万別であり、それぞれの目的に合った登山の方法がある。また日本は山の国であって、散歩の延長で登れるような手頃な山から、踏破に3-4日かかるものまで様々な山を歩くことができる。また同じ山でも簡単なルートや難所の多いルートなどがあり、各々の力量や体力に合わせ登山を楽しめる場所が多い。日本においては、以前は登山というとワンダーフォーゲルや山岳部のイメージが強く、厳しくつらく、特殊な世界と見られがちであった。しかし近年、登山靴や登山用具の発達・軽量化によって、中高年世代においても一種の登山ブームと言える現象が起きた。高齢者でも気軽に登山(ハイキング)やトレッキングができるように整備がなされ、体力にあった登山ルートで無理なく景色や運動を楽しむことができるようになってきている。
標高が高くても、中腹の高所まで鉄道やロープウェイ、路線・貸切バスで上れる山もある。
また高山や地形・気候が厳しい山への挑戦と対照的に、高さ数メートルのものを含めた低山巡りも趣味として広まりつつある[58]。
一方で登山人口における高齢者の割合が高くなるにつれ、遭難・事故件数も増えつつある(#登山における事故参照)。また、速度を競い走る速さで登山をするトレイルランニング練習者と一般登山者の衝突事故、競技用自転車との交通事故も起きている。
スポーツ(山岳競技)
国体には山岳競技があり(国民体育大会山岳競技)、縦走[注 16]競技とクライミング競技の2種目で構成される。縦走競技は、規定の重量を背負い、決められたコースを歩ききる時間を競う。クライミング競技は、人工壁をフリークライミングのスタイルで登り、到達高度を競う。
高校総体も、競技形式の登山を実施している[* 6][* 7][* 8]。
他にも岩を登る行為を競技として行うフリークライミング、山道を走ってその順位を争うトレイルランニングやスカイランニング等の競技がある。いずれも、山や岩場で行う競技であるため、安全や体調管理に十分に注意する必要がある。
ヨーロッパで盛んな山スキーも雪山を登ることから登山競技の一種である。
アート
風景画や山岳写真、詩、歌や小説の題材とすることも登山の目的のひとつとして挙げられる。山が多く四季の表情に恵まれた日本では、山岳の美しさ、険しさ、優しさなどを心情表現として、古来からアートの対象になってきた。最近は、デジタルカメラの小型軽量化・高性能化に伴い、山岳地での写真撮影も容易なものとなっている。
宗教活動
古代日本において山岳信仰に発祥する修験道の場として、立山、御嶽山、甲斐駒ヶ岳など全国各地の霊山で登山が行われてきた。江戸時代に始まった富士講も、山岳信仰のひとつとして挙げられる。
江戸時代の会津や米沢では飯豊信仰に基づき、成人儀礼として飯豊山を登山することが求められた(「通過儀礼#日本における通過儀礼」および「飯豊山神社#補足」を参照)。
職業
もともと伝統的に山で自然資源を得るための登山が存在した。たとえば東北地方に存在するマタギと呼ばれる狩猟集団が行っていたことである。今ではかなり人数が減少したが、マタギを行っている人はいる。また地元住民らが山菜やキノコを採って販売するために入山することも仕事としての登山である。山菜・キノコ採りは資源枯渇や自然環境に影響を与えるほどの量を採ることはせず、狩猟をする場合も乱獲は避けるのが望ましいとされる。
山麓から山頂まで荷物を人力で運ぶために登山する職業を歩荷(ボッカ)あるいは強力(ごうりき)といい、現在でもそれを行う人がいる。ヒマラヤ地方のシェルパという部族には、山で荷物運びを行ったり(下で説明するような)登山ガイドの仕事をして収入を得ている者が多数いる。
また、登山ガイドや登山家などもいる(登山ガイドは広義の登山家に含まれる)。
登山ガイドは登山の初心者やその山に不慣れな登山者のガイドを請け負い、山を案内して収入を得る。そのためその山に対する深い知識と、不慣れな登山者を安全に案内するための経験や技能が必要となる。登山がさかんな国(例えばフランスなど)では高山ガイドの資格認定を行っている組織がある。日本では現在は、公益社団法人日本山岳ガイド協会が、ガイドの資格認定を行っている。その資格には、世界中の山を案内できる国際山岳ガイドや、里山を案内する登山ガイドなどさまざまな資格がある。また長野県においては独自のガイド資格として信州登山案内人の資格を策定している。[60]。
また、あまり数は多くないが、著名な登山家の一部は、8000m級の山を単独で登ったり無酸素登攀したりといった難しいアタックをする際、大企業やテレビ局とスポンサー契約を結び、それによって登山に必要な莫大な費用の一部もしくは大半を確保することがある。幸運にもアタックが成功した場合は企業の広告塔としてCMに出演したりすることなどによって、うまくすれば利益を得ることもある、だがアタックに失敗すると命を落としてしまったり、なんとか生還した場合でも、負傷してしまったり、スポンサー契約を失い苦境に陥ることもある。こういった登山家や山岳ガイドの中でも特に名前を知られている者は講演活動をしたり著書を出版して、生活費の足しにしたり、さらなる挑戦のための費用の一部を得る人もいる。
軍事
登山は軍事教練に利用される場合もある。1902年には青森県の八甲田山で八甲田雪中行軍遭難事件が発生した[61]。こうした訓練を重ね、高地や急峻な地形での戦闘を得意とする山岳戦部隊を保有する国もある。
遭難・死亡
時代別世代別状況
警察庁は、1961年(昭和35年)から毎年、日本国内の山岳遭難者数を取りまとめる統計資料によれば、年齢別の遭難者数の割合は、多い順から、
- 1972年(昭和47年)- 20代:66.6%、10代:16.7%、30代:11.1%、40代:5.6%、50代以上:0%
- 1998年(平成10年)- 50代:25.3%、60代:20.8%、40代:15.4%、70代:12%、20代:9.7%、30代:9.1%、10代:4.9%、80代:2.6%、90代および不明:0.1%
- 2008年(平成20年)- 60代:29.8%、50代:19.1%、70代:17.5%、40代:10%、30代:7.8%、20代:6.4%、10代:4.6%、80代:4.2%、90代および不明:0.4%
となっている[64]、時代によって登山をする世代が異なることを示していると考えられる[65]。
1990年(平成2年)前後からは中高年登山ブームが起こっていて[66]、2008年(平成20年)に発生した山岳遭難者数1,933人のうち40歳以上の中高年者の数は1,567人、死者・行方不明者は281人中256人と過去最高を記録[67]。2009年(平成21年)に発生した山岳遭難者数は2,085人、死者・行方不明者は317人とどちらも過去最高を更新。遭難者のうち55歳以上が6割を占め、とりわけ死者・行方不明者は9割を40歳以上が占めている[68]2008年(平成20年)の数字では、遭難事故死者数は全体で253人、そのうち中高年者が234人となっていて、これらの数字からは、中高年者はアクシデントが起きたときに死に至る割合が高いということが読み取れる[69]。朝日新聞による2010年(平成22年)の調べでは、2005年 - 2009年の7、8月の富士山への登山中に救護された人のうち、体調急変により心肺停止になった人が14人おり、うち11人が45 - 69歳である[70]。
要因と対策
病気・怪我
高度のある山は、見た目でわかる以上に平地と環境が違うので、ふだんの生活では自覚されないで隠れている持病が悪化することが考えられるという[70]。
2009年(平成21年)夏、富士登山で高山病[注 17]と診断された人が537人いるという[70]。
また、天気の急変や高地で温度も低下するため低体温症が、動き回ることで脱水症・熱中症などが起きやすい[72]。
落石・土砂崩れ・雪崩
登山中に上から崩れ落ちてきた石あるいは岩塊が身体に当たって死傷する事故が発生することがある[73]。落石の発生原因は自然発生的なものもあれば、人が誤って脆い地盤を踏んで発生させてしまうものもある。
落石の時は、ラク!と叫ぶのがマナーとされるが、落石の落(ラク)か、英語での警告Rock(岩の意、ロック)!から来たものかは不明。
噴火
2014年9月27日に御嶽山が噴火して登山者に多数の死傷者を出した[74][75]。この御嶽山での噴火を受けて各地で対応策の検討が行われている。山梨県の横内正明知事は御嶽山での噴火を受けて富士山でも水蒸気爆発等の突発的な事態に備え登山者にマスクやヘルメットの持参を呼び掛ける必要があるとの考えを示した[76]。
2014年の御嶽山噴火を受け、2015年7月に活動火山対策特別措置法が改正されて新たに「登山者は、火山の噴火等が起こった際に円滑、迅速に避難できるよう、必要な手段を講じるように努めなければならない。」(第11条第2項)という規定が定められた[77]。また、火山周辺の一部の施設については、避難確保計画の作成等が義務づけられた[78]。
火山ガス
無風の際には火山ガスが散りにくくなる環境、比重が重いことから窪地で窒息事故が起きやすい[79]。
天候の変化
山は急に天候が変化する[80]。遭難時が必ず悪天候とは限らないが、その多くは悪天候の時である[81]。
登山前に天気予報の確認と登山計画を立てる。無理そうなら登山を諦める決断。レインコートなどの雨具やエマージェンシーシートなどの備えを準備する[80]。
雷は、平地より発生しやすく、気温が上昇しやすい午後以降に起きやすいため、早朝や午前中の行動を心掛け、雷を回避する知識を身に着ける[72]。
道に迷う
最も多いのが道に迷う遭難で[82]、低い山ほど迷いやすい[83]。事前対策として携帯電話のマップ機能を使う[73]ほか、登山届を提出し発信機を持つなどがある[83]。また、来た道を引き返し正しいルートに戻るか、山頂や尾根を目指し下ってはいけない[83]などがある。
難易度の等級づけ
ヨーロッパ・アルプスおよびロシアでは、山のコースごとに難易度を決める試みがなされており、登山者の経験にも等級が付けられつつある[84]。日本でも、山やルートごとに難易度を示す「グレーディング」(難易度評価)が全国に広がっている[85][84]。2014年に長野県が公表し、2017年夏時点では7県の600以上のコースについてグレーディングが公表されている[85]。
治療やサポート・健康問題
- 高山病、急性高山病(acute mountain sickness:AMS)、高地脳浮腫(HACE)、高地肺水腫(HAPE)
- 高度が人に与える影響を抑えるためには、徐々に高度を上げる高地順化が求められる[86]。
- 低体温症
- 矛盾脱衣 - 寒さを暑さと誤解して衣服を脱いでしまう現象。
- 夏山診療所
- 山小屋
- ビバーク
- 救助要請、山岳救助(山岳救助隊 (消防)、山岳警備隊)
- 歩荷、ポーター(剛力)、シェルパ、山岳ガイド
- 登山用GPS地図アプリ
- 薬、処置
- デキサメタゾン - HACE、HAPEの治療薬。
- 高山病予防薬アセタゾラミド
- ニフェジピン - HAPE治療薬
- ホスホジエステラーゼ阻害薬 - HAPE治療薬
- 酸素吸入
- ポータブル高圧チャンバー(可搬式高圧治療袋)[87]
- 下山(緊急搬送)
- 高地用医療車両[88]
- 3SABCDE - 傷病者の初期対応である。2s(安全性Safty・状況確認Scan)、Spine(背骨をまっすぐ)、気道確保(Airway)、呼吸確保(Breathing)、循環器確認(心肺蘇生法 Circulation)、障害 (Disability、怪我の確認)、暴露 (Exposure、熱中症や低体温症対策の保温・冷却)[89][90]。
自然に優しい登山
- ストックの乱用と中高年登山ブームが相乗したことにより、登山道が踏圧による洗掘と流水による土砂流出、拡幅したりすることにより大量の土壌の流出や裸地化を招いてしまっている[91]。
- ゆっくりと歩く
「フラット歩行」を身に付けて、 土や岩をけったり植物を踏むような乱暴な歩き方は極力避けること。「歩かせていただきます」という謙譲な気持ちをもってローインパクトでなければならない[92]。
- 歩幅は小さく小股歩く。
- 足裏全体を地面につけるように斜面に対してフラットに靴をおく[93]。
- 事故が多く、膝や足を痛めることが多い下り道は、しなやかにゆっくりと歩く。
- ストックの先にはゴムキャップをつけて、登山道を痛めないようにする[94]。
登山と自然破壊の問題
近年、登山人口が増加したことによる自然に対するダメージが目立ってきている。例としては、ゴミやタバコを持ち帰らずポイ捨てする、むやみに木や枝を折る、遊歩道を歩かず、貴重な植物を踏んでしまうなどがある。これらは本来、登山者にとって守るべきマナーであるが、登山を始めたばかりの登山者の中にはそれを知らず結果的に自然や景観に影響を与えてしまうことがままある。以下に具体的な例を挙げる。
- ごみの問題
- 登山の途中に発生するゴミは、原則的に当人が持ち帰らなければいけない。プラスチックやペットボトルなどの化学合成品は分解が遅く、長く自然界にとどまるため生態系に悪い影響を及ぼすとされる。また、生ゴミであれば捨てて良いというわけではなく、過多な栄養はその地に住む動植物の生態系を変え、結果的にはそれまでの生態系を破壊してしまう結果にもなる。
- 植物の盗掘
- また、よくあるのが植物の持ち帰りである。高山植物は学術的にも貴重であり、ほとんどの山で持ち帰りが禁止されている。しかし、それを知らないがために野の花を摘むように持って行ってしまう登山者がある。あるいは、高山植物の生息域にロープ等で立ち入り禁止が示されているにも関わらず、自宅での鑑賞のために持って帰ってしまう者、悪質なものは土を掘り返し根元から大量に持ち去ってしまうこともある。代表的な高山植物であるコマクサは、その美しさに愛好家も多い花だが、山からの盗掘もまた多い。逆に、盗掘した植物を、本来その植物が自生していない別の山に移植してしまうケースも発生している。
- 動物生態系への影響
- 多くの登山者が山に入ることによる、野生動物が安心と思う住領域の縮小、また人間の持ち込んだごみにより、野生動物の食環境の変化、また人間が出すごみを好む動物が増えてしまうなどの影響が考えられる。また犬を連れての登山を禁止している山もある。これは犬が病原体を持ち込んだり野犬となったりして、野生動物の生態が乱されるのを恐れての処置である。また登山道における糞尿などのトラブルも発生している。犬連れ登山禁止に対しては、「長年犬は山小屋、猟師で飼われてきたが、犬から野生動物への病気感染があったか疑問である」「人間の方が犬より環境インパクトが大きい」などの反論がある。
- 排泄物の処理
- 槍ヶ岳や剱岳、八ヶ岳、尾瀬など、人気のある山においては山小屋での排泄物の処理が問題となる。以前は屎尿の処理は土に返すだけの処理であったが、登山人口の増加に伴って人間の排泄物が自然に与える影響が無視できない状況になってきた。加えて、排泄物に含まれる大腸菌等によって湧水が汚染され、飲用できなくなる事態も発生している。そこで、現在ではヘリコプターなどで排泄物を運搬、しかるべき施設で処理する方法や微生物で分解するバイオトイレなどへと変化して来ている。運送費や諸経費の調達のため、場所によっては山小屋の利用料を値上げしたり、トイレの使用料を取る山小屋もある。登山における休憩中の排泄も人数が多くなれば悪臭や栄養過多で影響を与えるため、簡易トイレの使用も推奨されている。
- 高地への登山では高地順応のため一定期間キャンプに滞在して離れた場所に建てられたテントの下に穴を掘り樽を設置して排便を行う。しかし、さらに標高が高くなると地面が凍り付いて固くなり排便の処理が行いにくくなる。また、高所では寒冷で空気も薄いため自然分解されず、放置されると糞便によって病気にもなるため持ち帰ることが推奨される。そのため登山用携帯トイレ(poo bags、排便用封筒)を義務付けられている場合がある[95][96]。
- 登山道の荒廃
- 近年の中高年の登山ブームにおけるオーバーユースによって登山道の荒廃が広がっている。加えて、えぐれた登山道では雨が降るとぬかるみ、それを避けるために登山道脇を歩くことによって植生は失われ、登山道が広がり中には車が通れるほどの広さになっている登山道もある。また、最近では登山時に腰やひざの負担を軽減する目的でステッキやストックなどを使用する人が多くなってきているが、それらで登山道の土が掘り起こされ、柔らかくなった土が雨で流出するなど登山道が荒れる原因になっている。
登山禁止とマナー問題
西ヨーロッパの最高峰モンブラン登山の出発点となるサンジェルベ・レ・バンの市長は、2017年8月に「適切な装備を整えていない登山者」に対して即時罰金を科する条例を発布した。これは、連続する死亡事故を受けての措置である[97]。
2023年5月31日、インドネシアのバリ州知事ワヤン・コスターは観光客の相次ぐ迷惑行為を受けて、「山々は聖なる存在として崇拝されている。その神聖さが損なわれれば、それはバリの神聖さをおとしめるに等しい」と述べ、バリ州にある22山の登山客の登山、宗教儀式や災害対処などの理由のない地元住民の登山を無期限禁止とした[98]。
日本では、富士山への休憩なし、装備なしの弾丸登山に対して、多くの自治体などが警戒しており、場合によっては登山制限などの検討を行っている[99]。
登山に関する組織・団体
山岳会
登山愛好者の団体を山岳会(さんがくかい)と称する。山岳会には山または歩くことにちなんだ名前が付けられることが多い。 学校または職場単位で結成される山岳会は部活動として特に山岳部や登山部、ワンダーフォーゲル部などと称する[* 9]。 1857年には世界最初の山岳会である英国山岳会が設立され、1905年には日本最初の山岳会である日本山岳会が設立された。それ以降も日本国内で様々な山岳会が結成され、全日本山岳連盟(現・日本山岳・スポーツクライミング協会)と勤労者山岳会(現・日本勤労者山岳連盟)のような統括団体が生まれた。 山岳会は主に団体での山行や会員同士による登山技術の研修指導を行っている。会によっては、登山道もしくは山小屋の維持修繕、救助活動の支援、非会員への講演・研修、森林の保護、高山へ挑戦する会員の支援などを行っている。また、登山用品メーカーに対しては消費者団体としての側面も持つ[* 10]。
登山ガイド団体・登山学校
1965年にイタリア、フランス、オーストリア、スイスの山岳ガイド協会の会議が行われ、国際山岳ガイド連盟が設立された。
日本の山岳ガイドは、古くは強力(ごうりき)が行っていた。1934年ごろの富士山表口強力案内組合には100名を超える強力が加盟していた[100]。1990年に日本山岳ガイド連盟が設立され、翌1991年に国際山岳ガイド連盟に加入した。2003年に日本山岳ガイド連盟と日本アルパイン・ガイド協会は合併し日本山岳ガイド協会に改組した[101]。
フランス、スイス、オーストリア、ロシア、インドなどに登山学校があり、指導者養成と研修が行われている[84]。日本では立山に国立登山研修所があるほか、神奈川県、長野県、兵庫県に県立の登山学校がある[84]。
競技者団体
山岳遭難対策協議会
山岳事故を防止・救難するための情報提供を行ったり、警察・消防などの公的機関に協力して救助活動を行う団体である。山岳遭難防止対策協会、山岳遭難防止対策協議会など地域によって名称に若干の差異があるが活動内容はほぼ同一である。[要出典]1964年以降国立登山研修所とスポーツ庁等が全国山岳遭難対策協議会を毎年開催している[102]。 また、1992年に東京都山岳連盟の提唱により日本山岳レスキュー協議会が設立され、遭難救助に関する情報交換を行っている[要出典]。
行政機関
- 日本では管轄の警察や消防、自衛隊が山岳事故の防止活動と山岳救助を実施している。詳細は山岳救助を参照。
- 市町村では地域振興課や観光振興課のような名称の部署があり、登山道に関する情報を発信していることがある。
- 東京都においては環境局に自然保護専門員を設置し、登山マナーの啓発指導・密猟盗掘の監視・登山道の管理を行っている。詳細は東京都レンジャーを参照。
- 国においては国立公園の管理を環境省が行っているが、登山技術の向上という点では文部科学省およびスポーツ庁(独立行政法人日本スポーツ振興センター国立登山研修所)がその担当である。
- 国土地理院は自治体と協力して、登山道の調査と地図への反映を担当している。登山道の改廃を早く反映させるため、2017年12月には登山者からインターネットで情報を収集する民間企業であるヤマレコ(長野県松本市)、ヤマップ(福岡市)と協定を結んだ[103]。
芸術文化団体
山を対象にした画・写真などの作家団体が存在する。山全般を対象にする団体や、富士山など特定の山や地域を対象にする団体がある。
登山用品メーカー・販売店など
登山用品は多岐にわたるため、登山用品に限っても多くの総合・専門メーカーが存在する。 また、登山専門を謳わないアウトドア用品メーカーや総合スポーツ用品メーカー、一般の衣類メーカーなどでも登山に使用できる用品を作成・販売している。 総合スポーツ用品店を含む登山用品販売店では、登山学校と称して登山知識や技術の講習会を実施していることがある。
この他に登山に関連するビジネスとしては、登山客の輸送・宿泊を担う交通・旅行会社や旅館・ホテル・山小屋などの観光産業、ヤマレコのようなインターネットでの登山情報の提供、登山地図や雑誌の出版社などがある。
季語
季語としての登山(とざん)は、夏の季語(晩夏の季語)である[104]。分類は行事/人事[105][* 11]。季語の世界では「登山」は「山に登ること」全般を指す[104]。
「登山」を親季語とする子季語[* 12]は、以下のとおり、かなり多い。山登り(やまのぼり。山に登ること。登山)、登山宿(とざんやど。登山者のための宿)、登山小屋(とざんごや。登山者のための小屋)、山小屋(やまごや)、登山口(とざんぐち。山の登りくち)、登山杖(とざんずえ。登山のときに使用する杖)、登山笠(とざんがさ。登山のときに使用する笠)、登山帽(とざんぼう。登山のときに使用する帽子)、登山馬(とざんうま。山登り用の馬)、登山電車(とざんでんしゃ。登山用の鉄道)、登山地図(とざんちず。登山するための地図)、ザイル、寝袋(ねぶくろ)[104]。
関連季語として歳時記に記載されていないものの、関連性のある季語としては、夏の山(なつのやま。三夏の季語。分類は地理)と[106][107]その子季語(夏山〈なつやま。夏の青葉が繁った山〉、夏嶺〈かれい。夏山と同義〉、青嶺〈あおね、歴史的仮名遣:あをね。夏山と同義〉、夏山路〈なつやまじ。草木の生い繁った夏の山路〉、夏山家〈なつやまが。草木の生い繁る夏の山中の家〉、青き嶺〈あおきみね。夏の山〉、山滴る〈やましたたる〉、滴る山〈したたる山。五月山[さつきやま。陰暦5月ごろの緑の多い山]の異称〉、翠巒〈すいらん。緑色に連なる山々〉)を始め、ケルン(山頂や山道に道標や記念として石を円錐形に積み上げたもの。登山で亡くなった人を哀悼する記念碑もある。晩夏の季語。分類は人事)、積石(つみいし。ケルンと同義で子季語)、冬登山(ふゆとざん。冬山の登山。危険を伴ない、遭難者も多い。冬の季語。分類は地理)を挙げることができる[106]。登山靴(とざんぐつ)を挙げる場合もある。
登山を扱った作品
登山雑誌
- 『山と溪谷』山と溪谷社(1930年 - )
- 『ケルン』朋文堂(1933年 - 1938年)
- 『岳人』モンベルネイチュアエンタープライズ(1947年 - )東京新聞(1949年 - 2014年)
- 『岩と雪』山と溪谷社(1958年 - 1995年)
- 『ワンダーフォーゲル』山と溪谷社(1975年 - ) 『夏山JOY』、『ヤマケイJOY』を経て現誌名になる。
- 『Fall Number』白山書房(1979年 - 1982年)
- 『クライミングジャーナル』白山書房(1982年 - 1991年)
- 『ROCK & SNOW』山と溪谷社(1998年 - )
- 『CLIMBING joy』山と溪谷社(2008年 - 2017年)
- 『PEAKS』枻出版社(2009年 - )
- 『ランドネ』枻出版社(2009年 - )
- 『ヒュッテ』山と溪谷社(2010年 - 2014年)
- 『WILDERNESS』枻出版社(2013年 - 2017年)
小説
登山に限らず、いわゆる山岳小説と呼ばれるジャンルである。
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映画
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漫画
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写真
登山に関するイベント
- 全国高等学校総合体育大会登山競技大会
- ピークハント(peak bagging) ‐ 日本百名山登頂などの著名な山の一覧を登頂する試み。
- 山の日
賞
- ピオレドール賞 - 優秀な登山家に贈られる国際的な賞。フランスの「ピオレドール(金のピッケル)」の事務局によって授与者が決定される[108]。
- Golden Pitons
- スノーレオパルド勲章(ロシア語: Снежный барс) - ソビエト連邦で優秀な登山家に贈られていた賞。旧ソ連国内にある標高 7,000 m以上の山を5つ登ることが条件[109]。
- オリンピックのアルピニズムへのメダル授与
- 芸術
脚注
注釈
- ^ うっかりテントのポール(柱)をザックに入れ忘れて、山中で窮地に陥る登山者も多い。
- ^ 登山の楽しみのひとつでもあるので、若干量ならば嗜好品も持ってゆく登山者も多い。
- ^ ただし、複数のウェアにフードがついている場合は反って邪魔になることもある。レイヤリングの中で1着だけフード付きのウェアにすると解決できる。
- ^ アパレルメーカーによってはスキンウェアまたはドライレイヤーと称する場合もある。いずれの場合でも汗をベースレイヤーに吸収させる役割を持つ。[要出典]
- ^ 冬山用には中綿やフリースを組み合わせてミッドレイヤーとしての役割も合わせ持つアウターもある。[要出典]
- ^ 体力や装備、あるいは天気図に関する技能・知識や、高山植物、応急処置の方法、テントの設営技術等を、審査員がそれらの達成度を採点し、高校ごとに順位を決定する。隊列に遅れず登頂を目指すのも体力点として高得点ではあるが、他にもマナーや態度、知識や服装にも気を遣う必要がある。
- ^ 3〜4日間をテントで過ごし、食事も寝床もすべて自分達で持ち歩き準備しなければならない登山競技は、インターハイにおいては最も厳しい競技のひとつである。
- ^ 地方大会では実力の優劣をはっきりとさせるために重量規制があり、現段階では4人で60kgという規定がある。その60kg以外に、飲料として使用する水、ケガの治療などとして使用するために綺麗な水なども要するため、実質70kgにも75kgにも及ぶことなどが多々あるという。
- ^ 厳密に言えば登山とトレッキング、ハイキング、ワンダーフォーゲルには細かい差異があるが、山岳での野外活動という点で共通している。
- ^ ナイロンザイル事件を参照。
- ^ 「行事」も「人事」も、ここでは、人間が行う事柄を指す。
- ^ ある主要な季語について別表現と位置付けされる季語を、親子の関係になぞらえて、親季語に対する「子季語」という。「傍題」ともいうが、傍題は本来「季題」の対義語である。なお、子季語の季節と分類は親季語に準ずる。
- ^ ただしアルピニズムという語が生まれたのは19世紀後半であるとされている[4][6]。
- ^ モーセはシナイ山で神から十戒を授かり、神との契約関係に入ったとされる(平凡社 2011, p. 265)[7]。
- ^ 山が美の対象として認識されるようになったのはルネサンス時代からであるとされる(平凡社 2011, p. 266)。
- ^ 翌年にはソシュール自身も登頂に成功した(平凡社 2011, p. 266)。
- ^ 羽根田治『山の遭難 あなたの山登りは大丈夫か』 (平凡社、2010年)は、近代登山以降という尺度で見た場合という観点からとして、この大正期から昭和初期、戦争によって下火になるまでの間のブームを、第1次登山ブームと呼んでいる(羽根田 2010, pp. 18, 25)。
- ^ 東久邇宮稔彦王や秩父宮雍仁親王が登山に親しんだ(羽根田 2010, pp. 18, 19)。
- ^ 1925年(大正14年)長野県制定の登山者休泊所及案内者取締規則により山案内人の公的な資格認定が始まり、その流れは1953年(昭和28年)の長野県観光案内業条例に引き継がれた。この条例の資格を受けた者は、2001年(平成13年)は579人(菊地 2003, pp. 178–180)。
- ^ 登山者は非国民と呼ばれるなどの時代情勢になった(羽根田 2010, p. 25)。
- ^ アンナプルナはフランス隊による「人類初」の8000メートル峰登頂、エベレストはイギリス隊のエドモンド・ヒラリーとシェルパのテンジン・ノルゲイによる世界最高峰初登頂、マナスルの初登頂は槇有恒率いる日本山岳会隊の今西壽雄とシェルパのギャルツェン・ノルブによるもの。
- ^ 谷川岳の遭難死者数は2008年(平成20年)までに792人であり、「世界でいちばん遭難死者が多い山」としてギネス世界記録に認定されているという(羽根田 2010, pp. 32–35)。
- ^ 羽根田治『山の遭難 あなたの山登りは大丈夫か』 (平凡社、2010年)は、近代登山以降という尺度で見た場合という観点からとして、このブームを第2次登山ブームと呼んでいる(羽根田 2010, pp. 29–30, 39)。同書によれば、一般的には、このブームを第1次登山ブームと呼ぶ場合が多いという(羽根田 2010, pp. 18)。
- ^ 「旅行会社のパック旅行のような[47]」形態のツアー登山の先駆けは、1970年代末頃と考えられる(羽根田 2010, pp. 224–227)。
- ^ 2007年(平成19年)日本アルパイン・ガイド協会が日本山岳ガイド協会を脱会、2010年(平成22年)1月現在、山岳ガイドの資格認定を行う全国的な団体は2団体となっている(羽根田 2010, pp. 236–238)。
- ^ メンバーの体力・技術・経験からパーティの能力を考え、それに適合した山を選ぶ(平凡社 2011, p. 267)。
- ^ 極地法と反対に、少人数でメンバー交代をせず、行動開始地点から短期間で一挙に目的地に達する方法をラッシュタクティクスという[50][51]。
- ^ 尾根をつたい、いくつもの山頂を歩いてゆくこと[59]。
- ^ 「高山病」の発症リスクは体力の有無とは関係なく、また、高齢者より若い人に多く発症する症候群である[71]。
出典
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- 菊池俊朗『北アルプス この百年』文藝春秋〈文春新書〉、2003年10月。ISBN 4166603477。
- 服部英雄『峠の歴史学 古道をたずねて』朝日新聞社、2007年9月。ISBN 978-4-02-259930-8。
- 羽根田治『山の遭難 あなたの山登りは大丈夫か』平凡社〈平凡社新書〉、2010年1月。ISBN 978-4-582-85506-7。
- 平凡社 編『世界大百科事典』 20巻(改訂新版)、平凡社、2011年6月。ISBN 9784582034004。(執筆者は徳久球雄)
関連文献
- 『日本アルプスの登山と探検』 1896年(明治29年) 著 ウォルター・ウェストン 岩波文庫
- 『日本アルプス』4巻 1910年(明治43年) - 1915年(大正4年) 著 小島烏水
- 『山と渓谷』 1930年(昭和4年) 著 田部重治 岩波文庫
- 『日本百名山』 1959年(昭和34年) - 1963年(昭和38年) 著 深田久弥