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* [http://www.city.kaga.ishikawa.jp/gappei/ 加賀市・山中町合併協議会] |
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* [http://web.archive.org/web/20100702204930/http://www1.kagacable.ne.jp/~enuma/ 江沼地方史研究会] - 閉鎖。(2010年7月2日時点の[[インターネット |
* [http://web.archive.org/web/20100702204930/http://www1.kagacable.ne.jp/~enuma/ 江沼地方史研究会] - 閉鎖。(2010年7月2日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]]) |
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* {{Cite web|author=大幸 甚|url=http://www.city.kaga.ishikawa.jp/article/ar_detail.php?ev_init=1&arm_id=401-0176-5736|title=江沼(えぬ)のくに 加賀三湖の歴史|publisher=[[加賀市]]|accessdate=2009-04-26}}{{リンク切れ|date=2010年4月}} |
* {{Cite web|author=大幸 甚|url=http://www.city.kaga.ishikawa.jp/article/ar_detail.php?ev_init=1&arm_id=401-0176-5736|title=江沼(えぬ)のくに 加賀三湖の歴史|publisher=[[加賀市]]|accessdate=2009-04-26}}{{リンク切れ|date=2010年4月}} |
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* [http://www.archives.pref.fukui.jp/fukui/07/kenshi/T1/2a3-01-04-01-02.htm 道君と江沼臣] - (『福井県史』通史編全6巻 [[福井県]] [[2011年]][[7月1日]] 閲覧) |
* [http://www.archives.pref.fukui.jp/fukui/07/kenshi/T1/2a3-01-04-01-02.htm 道君と江沼臣] - (『福井県史』通史編全6巻 [[福井県]] [[2011年]][[7月1日]] 閲覧) |
2017年9月4日 (月) 17:11時点における版
江沼郡(えぬまぐん・えぬのこおり)は、石川県(加賀国)にあった郡。
郡域
1878年(明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、下記の区域にあたる。
歴史
- 大聖寺川、梯川や動橋川の川を意味する江と加賀三湖の沼から名付けられた。当初は「えぬ」と読まれていた。
- 689年(持統天皇3年)から692年(同6年)頃 - 越国の分割で越前国が設置され、このとき11郡の一つとして手取川以南に設ける。
- 823年(弘仁14年) - 北部を能美郡として分離。
近世以降の沿革
- 明治初年時点で、全域が加賀大聖寺藩領であった。「旧高旧領取調帳データベース」に記載されている明治初年時点での村は以下の通り[1]。《 》は同データベースでは左記の村に含まれていると見られる。(3町140村)
- 大聖寺町[2]、《山田町領》、橘村、永井村、吉崎村、瀬越村、塩屋村、片野村、黒崎村、上木村、下福田村、右村、三ツ村、荻生村、上福田村、極楽寺村、深田村、《宮村》、橋立村、小塩村、田尻村、高尾村、敷地村、岡村、大聖寺町領[3]、熊坂村、細坪村、百々村、曽宇村、直下村、日谷村、南郷村、菅生村、下河崎村、上河崎村、黒瀬村、荒木村、河南村、別所村、中田村、長谷田村、上原村[4]、塚谷村、山中村、下谷村、菅谷村、栢野村、風谷村、大内村、我谷村、枯淵村、片谷村、坂下村、小杉村、生水村、九谷村、《真砂村》、市谷村、西住村、杉水村、上新保村、大土村、今立村、荒谷村、菅生谷村、滝村、中津原村、四十九院村、塔尾村、柏野村、須谷村、水田丸村、小坂村、横北村、二ツ屋村、上野村、尾俣村、桂谷村、山代村、保賀村、加茂村、中代村、大菅波村、小菅波村、作見村、山田村、尾中村、小塩辻村、大畠村、千崎村、塩浜村、野田村、宮地村、篠原村、《篠原新村》、新保村、《伊切村》、柴山村、潮津村、片山津村、富塚村、弓波村、八日市村、西島村、七日市村、庄村、津波倉村、二子塚村、森村、勅使村、河原村、栄谷村、宇谷村、滝ヶ原村、菩提村、山本村、清水村、桑原村、松山村、小分校村、大分校村、梶井村、動橋村、毛谷村、《河尻村》、中島村、高塚村、打越村、箱宮村、二ツ梨村、荒屋村、湯上村、戸津村、林村、下粟津村、矢田村、《矢田新村》、額見村、月津村、《月津新村》、奥谷村、那谷村、矢田野村[5]
- 明治4年
- 明治5年2月2日(1872年3月10日) - 金沢県が改称して石川県となる。
- 明治9年(1876年) - 毛谷村・河尻村が合併して合河村となる。(3町139村)
- 明治10年(1877年) - 小分校村・大分校村が合併して分校村となる。(3町138村)
- 明治11年(1878年)12月17日 - 郡区町村編制法の石川県での施行により、行政区画としての江沼郡が発足。郡役所を大聖寺八間道に設置。
町村制以降の沿革
- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足。特記以外は現・加賀市。(1町24村)
- 大聖寺町 ← 大聖寺町[2]、山田町領、大聖寺町領
- 山中村(単独村制)
- 山代村 ← 山代村、桂谷村、尾俣村
- 三木村 ← 右村、橘村、奥谷村、永井村、熊坂村
- 瀬越村 ← 瀬越村、吉崎村
- 福田村 ← 上福田村、敷地村、岡村、極楽寺村、下福田村、荻生村、三ツ村、菅生村、上木村
- 三谷村 ← 日谷村、直下村、曽宇村、百々村、細坪村
- 南郷村 ← 南郷村、下河崎村、上河崎村、中代村、黒瀬村、保賀村
- 河南村 ← 荒木村、河南村、別所村、塚谷村、上原村、長谷田村、中田村
- 西谷村 ← 菅谷村、下谷村、栢野村、風谷村、大内村、我谷村、片谷村、坂下村、小杉村、生水村、九谷村、真砂村、枯淵村
- 東谷奥村 ← 中津原村、荒谷村、今立村、大土村、菅生谷村、滝村、杉水村、西住村、上新保村、市谷村、四十九院村
- 東谷口村 ← 二ツ屋村、小坂村、横北村、水田丸村、柏野村、須谷村、塔尾村
- 勅使村 ← 勅使村、宇谷村、栄谷村、山本村、松山村、清水村、河原村、上野村、津波倉村、二子塚村、森村
- 庄村 ← 加茂村、桑原村、庄村、七日市村、西島村
- 作見村 ← 作見村、山田村、大菅波村、小菅波村、尾中村、富塚村、片山津村、弓波村
- 黒崎村 ← 片野村、黒崎村、深田村、宮村、高尾村、田尻村
- 橋立村 ← 橋立村、小塩村
- 塩津村 ← 大畠村、千崎村、宮地村、野田村、潮津村、小塩辻村
- 篠原村 ← 塩浜村、篠原村、篠原新村、伊切村、新保村、柴山村
- 動橋村 ← 動橋村、中島村、梶井村、八日市村、合河村
- 分校村 ← 高塚村、打越村、箱宮村、分校村
- 那谷村 ← 那谷村、菩提村、滝ヶ原村(現・小松市)
- 矢田野村 ← 矢田野村、下粟津村、林村、荒屋村、二ツ梨村、戸津村、湯上村(現・小松市)
- 月津村 ← 月津村、額見村、矢田村、矢田新村、月津新村(現・小松市)
- 塩屋村(単独村制)
- 明治24年(1891年)
- 明治29年(1896年)4月1日 - 篠原村の一部(柴山)が月津村に編入。
- 大正2年(1913年)
- 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
- 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
- 昭和5年(1930年)1月1日 - 橋立村・黒崎村が合併し、改めて橋立村が発足。(3町21村)
- 昭和10年(1935年)6月15日 - 福田村が大聖寺町に編入。(3町20村)
- 昭和10年(1935年)時点での当郡の面積は342.02平方km、人口は57,537人(男26,658人・女30,879人)[6]。
- 昭和17年(1942年)
- 昭和22年(1947年)11月3日 - 動橋村が町制施行して動橋町となる。(5町16村)
- 昭和27年(1952年)6月10日 - 橋立村が町制施行して橋立町となる。(6町15村)
- 昭和29年(1954年)
- 3月10日 - 瀬越村が大聖寺町に編入。(6町14村)
- 3月31日 - 篠原村が片山津町に編入。(6町13村)
- 11月3日 - 動橋町・分校村が合併し、改めて動橋町が発足。(6町12村)
- 昭和30年(1955年)
- 昭和33年(1958年)1月1日 - 大聖寺町・山代町・片山津町・動橋町・橋立町・三谷村・三木村・塩屋村・南郷村が合併して加賀市が発足し、郡より離脱。(1町)
- 昭和35年(1960年)7月1日 - 山中町の一部(河南町・荒木町・別所町)が加賀市に編入。
- 平成17年(2005年)10月1日 - 山中町が加賀市と合併し、改めて加賀市が発足、郡より離脱。同日江沼郡消滅。
変遷表
自治体の変遷
明治22年以前 | 明治22年4月1日 | 明治22年 - 昭和19年 | 昭和20年 - 昭和29年 | 昭和30年 - 平成17年 | 平成17年 - 現在 | 現在 | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
山中村 | 大正2年2月15日 町制 |
山中町 | 昭和30年4月1日 山中町 |
平成17年10月1日 加賀市 |
加賀市 | |||
河南村 | 河南村 | 河南村 | ||||||
西谷村 | 西谷村 | 西谷村 | ||||||
東谷奥村 | 東谷奥村 | 東谷奥村 | ||||||
山代村 | 大正2年3月10日 町制 |
山代町 | 昭和30年1月20日 山代町 |
昭和33年1月1日 加賀市 | ||||
庄村 | 昭和17年5月1日 山代町に編入 | |||||||
東谷口村 | 東谷口村 | 東谷口村 | ||||||
勅使村 | 勅使村 | 勅使村 | ||||||
大聖寺町 | 大聖寺町 | 大聖寺町 | 大聖寺町 | |||||
福田村 | 昭和10年6月15日 大聖寺町に編入 | |||||||
瀬越村 | 瀬越村 | 昭和29年3月10日 大聖寺町に編入 | ||||||
橋立村 | 昭和5年1月1日 橋立村 |
昭和27年6月10日 町制 |
橋立町 | |||||
黒崎村 | ||||||||
動橋村 | 動橋村 | 昭和22年11月3日 町制 |
昭和29年11月3日 動橋町 |
動橋町 | ||||
分校村 | 分校村 | 分校村 | ||||||
三谷村 | 三谷村 | 三谷村 | 三谷村 | |||||
南郷村 | 南郷村 | 南郷村 | 南郷村 | |||||
三木村 | 三木村 | 三木村 | 三木村 | |||||
塩屋村 | 塩屋村 | 塩屋村 | 塩屋村 | |||||
作見村 | 昭和17年11月3日 片山津町 |
片山津町 | 片山津町 | |||||
塩津村 | ||||||||
篠原村 | 篠原村 | 昭和29年3月31日 片山津町に編入 | ||||||
月津村 | 月津村 | 月津村 | 昭和30年4月1日 片山津町に編入 | |||||
昭和30年4月1日 小松市に編入 |
小松市 | |||||||
那谷村 | 那谷村 | 那谷村 | ||||||
矢田野村 | 矢田野村 | 矢田野村 |
脚注
- ^ 「旧高旧領取調帳」は加賀国分が欠けているため、木村礎の手により「天保郷帳」をもとに作成され、「日本史料選書13 旧高旧領取調帳 中部編」(近藤出版社、1977年)に掲載されたデータが国立歴史民俗博物館によりデータベース化されている。
- ^ a b 大聖寺荒町、大聖寺鉄砲町、大聖寺稗田町、大聖寺田原町、大聖寺弓町、大聖寺木呂場、大聖寺金子、大聖寺市佐坊、大聖寺菅生町、大聖寺永町、大聖寺敷地町、大聖寺観音町、大聖寺本町、大聖寺福田町、大聖寺魚町、大聖寺京町、大聖寺十一町、大聖寺一本橋町、大聖寺法華坊、大聖寺山田町、大聖寺寺町、大聖寺新屋敷、大聖寺五軒町、大聖寺鍛冶町、大聖寺東横町、大聖寺鷹匠町、大聖寺番場町、大聖寺殿町、大聖寺新組町、大聖寺北片原町、大聖寺新町、大聖寺松ヶ根町、大聖寺相生町、大聖寺麻畠、大聖寺大名竹、大聖寺藤ノ木、大聖寺耳聞山仲町、大聖寺亀町、大聖寺耳聞山、大聖寺今出町、大聖寺関町、大聖寺越前町、大聖寺三ツ屋町、大聖寺五徳町、大聖寺西田町、大聖寺東田町、大聖寺山ノ下、大聖寺庄兵衛谷、大聖寺下屋敷、大聖寺大新道、大聖寺間新道、大聖寺中新道、大聖寺中町、大聖寺馬場、大聖寺穴虫、大聖寺八間道、大聖寺仲町、大聖寺片原町の総称。無高のため「旧高旧領取調帳データベース」には記載なし。
- ^ 記載は大聖寺村
- ^ 上原村・土谷村に分かれて記載。
- ^ 豊野村・西泉村・中村・小島村・稲手村・原田村・大野村・袖野村・宮田村に分かれて記載。
- ^ 昭和10年国勢調査による。国立国会図書館の近代デジタルライブラリーで閲覧可能。
参考文献
- 角川日本地名大辞典 17 石川県
- 旧高旧領取調帳データベース
関連項目
外部リンク
- 加賀市・山中町合併協議会
- 江沼地方史研究会 - 閉鎖。(2010年7月2日時点のアーカイブ)
- 大幸 甚. “江沼(えぬ)のくに 加賀三湖の歴史”. 加賀市. 2009年4月26日閲覧。[リンク切れ]
- 道君と江沼臣 - (『福井県史』通史編全6巻 福井県 2011年7月1日 閲覧)