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表現力が豊かで、アマチュア時代当時の[[フィギュアスケートの採点法#6.0システム|6.0システム]]による採点法では芸術点が技術点を上回ることが多かった。[[スピン (フィギュアスケート)|スピン]]の技術が高く、中でもレイバックスピンが美しいと評された<ref name="spin" group="注">1990年のNHK杯のショートプログラムでも「綺麗なレイバックスピン」と解説している。</ref>。 |
表現力が豊かで、アマチュア時代当時の[[フィギュアスケートの採点法#6.0システム|6.0システム]]による採点法では芸術点が技術点を上回ることが多かった。[[スピン (フィギュアスケート)|スピン]]の技術が高く、中でもレイバックスピンが美しいと評された<ref name="spin" group="注">1990年のNHK杯のショートプログラムでも「綺麗なレイバックスピン」と解説している。</ref>。 |
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ジャンプは小学校1年生から飛び始めて、[[ルッツジャンプ|トリプルルッツ]]は小学校5年生の時に初めて飛べた<ref name="jump2">2008年12月7日放送『[[ミニ番組#関西テレビ (KTV)|YOSHI!SPO!VITAL!]]』([[関西テレビ放送|関西テレビ]])[http://web.archive.org/web/20090209024806/http://www.ktv.co.jp/yoshispo/onair/036/index.html 第36回 フィギュアスケート](2009年2月9日時点の[[インターネット |
ジャンプは小学校1年生から飛び始めて、[[ルッツジャンプ|トリプルルッツ]]は小学校5年生の時に初めて飛べた<ref name="jump2">2008年12月7日放送『[[ミニ番組#関西テレビ (KTV)|YOSHI!SPO!VITAL!]]』([[関西テレビ放送|関西テレビ]])[http://web.archive.org/web/20090209024806/http://www.ktv.co.jp/yoshispo/onair/036/index.html 第36回 フィギュアスケート](2009年2月9日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>が、アマチュア現役時代はトリプルルッツを苦手としていて、転倒や回転不足が多かった<ref name="Jump" group="注">1989年のNHK杯のフリースケーティングでは解説者の不安をよそに見事成功させた。</ref>。 |
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== 経歴 == |
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== 外部リンク == |
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* [http://ameblo.jp/junko-yaginuma/ 八木沼純子オフィシャルブログ] |
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* [http://web.archive.org/web/20120208100405/http://www.junko-y.com/ 八木沼純子公式サイト] - 閉鎖。(2012年2月8日時点の[[インターネット |
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* [http://www.sports-biz.co.jp/athlete/index.cgi?actmode=AthleteDetail&id=44 マネージメント先「スポーツビズ」のプロフィール] |
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* [http://web.archive.org/web/20060509010311/http://www.inte.co.jp/athlete/006_01.html 対談] - インテリジェンスのアスリート応援サイト(2006年5月9日時点の[[インターネット |
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2017年9月4日 (月) 17:22時点における版
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生誕 |
1973年4月1日(51歳) 東京都 | ||||||||||||||
身長 | 157cm | ||||||||||||||
選手情報 | |||||||||||||||
所属クラブ | 品川プリンスクラブ | ||||||||||||||
引退 | 1995年 | ||||||||||||||
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八木沼 純子(やぎぬま じゅんこ、1973年4月1日 - )は、1980年代から1990年代にかけて活躍した日本のフィギュアスケート選手(女子シングル)。1988年カルガリーオリンピック女子シングル日本代表(14位)。世界選手権通算7回出場(最高11位)、1993年ユニバーシアード大会優勝など。1995年からプロスケーターに転向し、他スポーツキャスター、解説者としても活動している。マネジメント契約先はスポーツビズ。愛称は「ジュンジュン」。
人物
東京都港区出身。森村学園初等部、公立小学校、品川中学校・高等学校(現・品川女子学院中等部・高等部)を経て早稲田大学教育学部を卒業。
母方の曽祖父は鹿児島市長を務めた樺山可也、母方の先祖に松方正義、山本権兵衛、母方の祖父に松方乙彦、母方の親族に松本重治、エドウィン・ライシャワー元駐日アメリカ合衆国特命全権大使、白洲次郎、松方三郎、牛場信彦、牛場友彦、松方正熊、井上保次郎、遠縁には大久保利通、牧野伸顕、麻生太賀吉、麻生太郎、柳原前光、柳原白蓮、堤清二、木内みどり、水野成夫、近藤廉平、樺山資紀、吉田茂などがいる。
1988年、14歳の中学3年生にしてカルガリーオリンピック代表に選出された際、1987年の新語・流行語大賞流行語部門で銅賞に選ばれた「ゴクミ」(女優の後藤久美子の愛称)になぞらえて「銀盤のゴクミ」と呼ばれ、人気を博した[1]。ポニーテールの髪型と赤い頬がトレードマークだった。ポニーテールは1988-1989シーズンまで続けたが、1989-1990シーズン以降は髪型をショートカットにしている。
2009年6月、1歳年上の会社員の男性と婚約。挙式披露宴は同年9月に東京グランドプリンスホテル高輪にて行なわれた[1]。
家族は工業デザイナーの父と母(森村学園で福原美和コーチの1学年上であった)。また、内閣総理大臣を2度務めた松方正義及び山本権兵衛の玄孫にあたる。
技術・演技
表現力が豊かで、アマチュア時代当時の6.0システムによる採点法では芸術点が技術点を上回ることが多かった。スピンの技術が高く、中でもレイバックスピンが美しいと評された[注 1]。
ジャンプは小学校1年生から飛び始めて、トリプルルッツは小学校5年生の時に初めて飛べた[2]が、アマチュア現役時代はトリプルルッツを苦手としていて、転倒や回転不足が多かった[注 2]。
経歴
5歳でスケートを始める[3]。品川プリンスクラブに所属し、福原美和に師事。1987年世界ジュニア選手権規定、ショートプログラムともに1位だったが、フリーでクリスティー・ヤマグチ、柏原由起子に次ぐ3位となり、総合2位で優勝を逃す。
1988年全日本選手権は、カルガリーオリンピックの日本女子代表2枠の選考会を兼ねていた。1枠目は伊藤みどりが確実視され、2枠目は小沢樹里、加藤雅子、結城幸枝の大学生トリオが有力視されていたなか、初出場の八木沼が2位となり14歳で五輪代表に選出された(第2次世界大戦後の冬季オリンピック女子代表選手としては最年少)。同大会3位に入賞した佐藤有香とともに中学生旋風を巻き起こした。しかし、カルガリー五輪本番では調整に失敗し、総合14位に留まった。初出場の世界フィギュア選手権も21位に終わった。
翌シーズンは、まだ優勝の無かった全日本ジュニア制覇と世界ジュニア日本人初優勝を目指してジュニアに残留した。しかし全日本ジュニアでは佐藤有香に逆転され2位。世界ジュニアでも2位に終わった。その後、1993年開催のユニバーシアード大会で優勝を達成するも、全日本選手権では通算7回も表彰台に上った(2位4回・3位3回)ものの、悲願の優勝にはあと一歩手が届かず、アルベールビルオリンピックとリレハンメルオリンピックにも出場できなかった。通算7回出場した世界選手権は、1991年の11位が最高位だった。1994-1995シーズンをもって競技引退。最後のシーズンはNHK杯3位入賞、世界選手権12位の成績だった。
1995年、早稲田大学を卒業し、株式会社プリンスホテル入社。プリンスアイスワールドに所属しプロスケーターとしての活動を始める。10月からはスポーツキャスターとしてフジテレビに出演。1999年4月よりフリーとして活動。2000年8月は当時休業中の長島三奈に変わって熱闘甲子園(朝日放送)のメインキャスターを担当。2007年、「JOCスポーツ環境委員会」環境アンバサダーに就任。
主な戦績
大会/年 | 1986-87 | 1987-88 | 1988-89 | 1989-90 | 1990-91 | 1991-92 | 1992-93 | 1993-94 | 1994-95 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
オリンピック | 14 | ||||||||
世界選手権 | 21 | 15 | 12 | 11 | 19 | 25[注 3] | 12 | ||
全日本選手権 | 2 | 2 | 3 | 3 | 3 | 2 | 4 | 2 | |
NHK杯 | 6 | 8 | 5 | 12 | 3 | ||||
ユニバーシアード | 1 | ||||||||
世界Jr.選手権 | 7 | 2 | 2 | ||||||
全日本Jr.選手権 | 2 | 2 | 2 |
出演
テレビ番組
- フィギュアスケートの各大会の解説(オリンピック、世界選手権、四大陸選手権、全日本選手権、グランプリシリーズなど)
- ソルトレイクシティオリンピックとトリノオリンピック(フジテレビの現地キャスター)
- FNNスーパータイム→FNNニュース555 ザ・ヒューマン→FNNスーパーニュース - 1995.10 - 1999.3
- 熱闘甲子園(2000年8月、保坂和拓朝日放送アナとメインキャスターとして出演)
- 獣拳戦隊ゲキレンジャー(2007.3.11、テレビ朝日)本人役でゲスト出演
- オリキュン(2007.6.27、フジ)オリエンタルラジオの藤森慎吾扮するSHIKKOのコーチ役で出演
- アスリートのチカラ(2010年10月-2014年9月、BSフジ)MCレギュラー
- くりぃむクイズ ミラクル9(テレビ朝日)不定期出演
- フィギュアスケートTV(2015年1月-、BSフジ)MCレギュラー
ラジオ番組
- レギュラー出演
-
- センパツ!(文化放送、2009年10月~2010年9月)「センパツ・ガールズ」(パーソナリティ)として火曜日担当
- Cheer up Station ~Countdown to Vancouver(TOKYO FM、月 - 木 13:50-14:00、2009年11月 - 2010年3月)
- BAY QUARTER CLUB(アール・エフ・ラジオ日本)
- SPORTS DISCOVERY from TOKYO SKYTREE TOWN STUDIO(文化放送、2015年4月 - )
- ゲスト出演
-
- 土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界(TBSラジオ、2009年1月17日)「乙女探検隊」コーナー出演
CM
- ユニクロ「マイクロフリース」(2003年)
- ドクターショール「メディキュット」(2010年)
書籍
- 日本フィギュアスケート 氷上のアーティストたち(日本経済新聞社、2005年11月) ISBN 9784532165444
- 女子フィギュアスケート―氷上に描く物語(角川書店、2006年1月) ISBN 9784047100275
- アイスモデリスト(文藝春秋、2014年2月7日) ISBN 9784167900403
脚注
注釈
- ^ 1990年のNHK杯のショートプログラムでも「綺麗なレイバックスピン」と解説している。
- ^ 1989年のNHK杯のフリースケーティングでは解説者の不安をよそに見事成功させた。
- ^ テクニカルプログラムに進出(24位以内)出来ず予選落ち
出典
- ^ a b “八木沼純子“懐の深い”37歳会社員と結婚”. スポニチ Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2009年6月2日). オリジナルの2009年6月5日時点におけるアーカイブ。
- ^ 2008年12月7日放送『YOSHI!SPO!VITAL!』(関西テレビ)第36回 フィギュアスケート(2009年2月9日時点のアーカイブ)
- ^ 『Stay Gold』p.230
外部リンク
- 八木沼純子オフィシャルブログ
- 八木沼純子公式サイト - 閉鎖。(2012年2月8日時点のアーカイブ)
- マネージメント先「スポーツビズ」のプロフィール
- 対談 - インテリジェンスのアスリート応援サイト(2006年5月9日時点のアーカイブ)
- 八木沼純子 - バイオグラフィーとオリンピックでの成績(Sports Reference)
期間 | メイン | アシスタント | |||||||
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平日 | 週末 | 月 - 木曜日 | 金曜日 | 週末 | |||||
1984.10.1 | 1985.3.29 | 逸見政孝1 | (放送なし) | 幸田シャーミン2 | (放送なし) | ||||
1985.4.1 | 1986.9.30 | 陣内誠 | 城ヶ崎祐子 | ||||||
1986.10.1 | 1987.3.31 | 山中秀樹 | |||||||
1987.4.1 | 1987.9.30 | 幸田シャーミン2 | 野間脩平 | ||||||
1987.10.1 | 1988.3.31 | 野間脩平 | 安藤優子 | ||||||
1988.4.1 | 1989.4.2 | 黒岩祐治 | 安藤優子2 | 小田多恵子 | |||||
1989.4.3 | 1990.6.30 | 上田昭夫 | |||||||
1990.7.1 | 1990.9.30 | 八木亜希子3 | |||||||
1990.10.1 | 1991.3.31 | 田代尚子 | |||||||
1991.4.1 | 1992.3.31 | 黒岩祐治 | 小林穂波 | ||||||
1992.4.1 | 1993.9.26 | 露木茂 | 山中秀樹 | 吉崎典子 | |||||
1993.9.27 | 1994.3.31 | 近藤サト | |||||||
1994.4.1 | 1997.3.30 | 松山香織2 | |||||||
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