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「ゲーリー・グッドリッジ」の版間の差分

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並外れた怪力の持ち主で、完全に極まったアームロックを腕力のみで外してしまったこともある。左腕に刻まれた“'''剛力'''”のタトゥーは、文字通り自らのパワーを誇示するために彫ったものである。筋骨隆々とした強面な風貌とは裏腹に、普段は温厚で紳士的な人物として知られ、格闘技関係者から尊敬を集めている。PRIDE参戦当時のニックネームは「'''PRIDEの番人'''」。これはグッドリッジが、PRIDE初参戦の選手と数多く対戦したことに起因する。初参戦の選手にとっては立ちはだかる厚い壁、ファンにとっては積極的なファイトで会場を沸かせる名物選手として人気を集めた。
並外れた怪力の持ち主で、完全に極まったアームロックを腕力のみで外してしまったこともある。左腕に刻まれた“'''剛力'''”のタトゥーは、文字通り自らのパワーを誇示するために彫ったものである。筋骨隆々とした強面な風貌とは裏腹に、普段は温厚で紳士的な人物として知られ、格闘技関係者から尊敬を集めている。PRIDE参戦当時のニックネームは「'''PRIDEの番人'''」。これはグッドリッジが、PRIDE初参戦の選手と数多く対戦したことに起因する。初参戦の選手にとっては立ちはだかる厚い壁、ファンにとっては積極的なファイトで会場を沸かせる名物選手として人気を集めた。


2008年12月15日、[[カナダ]][[オンタリオ州|オン タリオ州]][[トロント]]郊外に自らのジム「Fighting University」をオープンさせた<ref>[http://web.archive.org/web/20081228234518/http://www.kamipro.com/photonews/detail.php?id=1230223247 ゲーリー・グッドリッジがジムをオープン] kamipro.com 2008年12月26日(2008年12月28日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>。2012年、CTE(慢性外傷性脳症)による[[認知症]]であると診断された<ref>[http://www.mmaweekly.com/gary-goodridge-diagnosed-with-ctepugilistic-dementia-says-no-regrets-about-his-fighting-life Gary Goodridge Diagnosed with CTE/Pugilistic Dementia; Says No Regrets About His Fighting Life ] MMAWEEKLY.com 2012年2月14日</ref>と伝えられていたが、本人曰く、脳にダメージは有るものの軽症とのこと。
2008年12月15日、[[カナダ]][[オンタリオ州|オン タリオ州]][[トロント]]郊外に自らのジム「Fighting University」をオープンさせた<ref>[http://web.archive.org/web/20081228234518/http://www.kamipro.com/photonews/detail.php?id=1230223247 ゲーリー・グッドリッジがジムをオープン] kamipro.com 2008年12月26日(2008年12月28日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>。2012年、CTE(慢性外傷性脳症)による[[認知症]]であると診断された<ref>[http://www.mmaweekly.com/gary-goodridge-diagnosed-with-ctepugilistic-dementia-says-no-regrets-about-his-fighting-life Gary Goodridge Diagnosed with CTE/Pugilistic Dementia; Says No Regrets About His Fighting Life ] MMAWEEKLY.com 2012年2月14日</ref>と伝えられていたが、本人曰く、脳にダメージは有るものの軽症とのこと。


== 来歴 ==
== 来歴 ==
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== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
* [http://web.archive.org/web/20110120065419/http://www.garygoodridge.com/ ゲーリー・グッドリッジ公式サイト] - 閉鎖。(2011年1月20日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])
* [http://web.archive.org/web/20110120065419/http://www.garygoodridge.com/ ゲーリー・グッドリッジ公式サイト] - 閉鎖。(2011年1月20日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])
* [http://web.archive.org/web/20091229113658/http://www.k-1.co.jp/jp/fighter/player.php?index=goodridge K-1 選手データ](2009年12月29日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])
* [http://web.archive.org/web/20091229113658/http://www.k-1.co.jp/jp/fighter/player.php?index=goodridge K-1 選手データ](2009年12月29日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])
* [http://www.dreamofficial.com/free/fighters/detail.php?id=1262053721 DREAM 選手データ]
* [http://www.dreamofficial.com/free/fighters/detail.php?id=1262053721 DREAM 選手データ]
* [http://web.archive.org/web/20100812085740/http://www.hero-s.com/06fightersinfo/02ka/02goodridge/02goodridge.html HERO'S 選手データ](2010年8月12日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])
* [http://web.archive.org/web/20100812085740/http://www.hero-s.com/06fightersinfo/02ka/02goodridge/02goodridge.html HERO'S 選手データ](2010年8月12日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])
* [http://web.archive.org/web/20090228094811/http://www.prideofficial.com/free/fighters/details/1090497880.html PRIDE 選手データ](2009年2月28日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])
* [http://web.archive.org/web/20090228094811/http://www.prideofficial.com/free/fighters/details/1090497880.html PRIDE 選手データ](2009年2月28日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])
* [http://www.boutreview.com/fightsspiral/GARY_GOODRIDGE.html バウトレビュー 選手データ]
* [http://www.boutreview.com/fightsspiral/GARY_GOODRIDGE.html バウトレビュー 選手データ]
* {{SHERDOG}}
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2017年9月4日 (月) 18:23時点における版

ゲーリー・グッドリッジ
基本情報
本名 ゲーリー・ヘンリー・グッドリッジ
(Gary Henry Goodridge)
通称 剛力王
PRIDEの番人
ビッグ・ダディ (Big Daddy)
国籍 トリニダード・トバゴの旗 トリニダード・トバゴ
カナダの旗 カナダ
生年月日 (1966-01-17) 1966年1月17日(58歳)
出身地 トリニダード・トバゴの旗 トリニダード・トバゴ
セントジェームス
所属 フリーランス
→ビッグ・ダディ・ファイトチーム
身長 186cm
体重 111kg
階級 ヘビー級
バックボーン アームレスリング
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ゲーリー・グッドリッジGary Goodridge1966年1月17日 - )は、トリニダード・トバゴの元男性総合格闘家キックボクサー。セントジェームス出身。カナダオンタリオ州在住。ビッグ・ダディ・ファイトチーム所属。

アームレスリング世界王者。

人物

並外れた怪力の持ち主で、完全に極まったアームロックを腕力のみで外してしまったこともある。左腕に刻まれた“剛力”のタトゥーは、文字通り自らのパワーを誇示するために彫ったものである。筋骨隆々とした強面な風貌とは裏腹に、普段は温厚で紳士的な人物として知られ、格闘技関係者から尊敬を集めている。PRIDE参戦当時のニックネームは「PRIDEの番人」。これはグッドリッジが、PRIDE初参戦の選手と数多く対戦したことに起因する。初参戦の選手にとっては立ちはだかる厚い壁、ファンにとっては積極的なファイトで会場を沸かせる名物選手として人気を集めた。

2008年12月15日、カナダオン タリオ州トロント郊外に自らのジム「Fighting University」をオープンさせた[1]。2012年、CTE(慢性外傷性脳症)による認知症であると診断された[2]と伝えられていたが、本人曰く、脳にダメージは有るものの軽症とのこと。

来歴

総合格闘技

1996年、アームレスリングをバッグボーンとしてUFCで総合格闘技デビューする。その怪力を活かしたファイトで戦績は悪くなかったが、ドン・フライやマーク・コールマンといったレスリング経験者は苦手としていた。IVCを経て、1997年初来日。 1997年10月11日、日本の総合格闘技イベントPRIDEの旗揚げ戦となった『PRIDE.1』で、サンボ選手権王者のオレッグ・タクタロフをその豪腕で殴り倒し、戦闘不能に追い込みKO勝ち。

そのアグレッシブなファイトスタイルを買われ、『PRIDE.2』でマルコ・ファス、『PRIDE.3』でアミール、『PRIDE.4』でイゴール・ボブチャンチンと連続で出場。その後も『PRIDE.16』までほぼ連続で参戦した。

2000年に開催した『PRIDE GRANDPRIX 2000』では、開幕戦で大刀光にギロチンチョークで一本勝ちするも、決勝戦では因縁の相手イゴール・ボブチャンチンにKO負けを喫した。その後リコ・ロドリゲスギルバート・アイブルに連敗するも、谷津嘉章ヴァレンタイン・オーフレイムに連勝した。

しかし、2001年7月29日の『PRIDE.15』では、PRIDE初参戦のアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ三角絞めを極められ、タップアウト負け。

2001年10月8日、新日本プロレス東京ドーム大会に参戦。

2003年に開催した 『PRIDE GRANDPRIX 2003』では開幕戦、決勝戦ともに第1試合のワンマッチに出場。8月10日の開幕戦ではエメリヤーエンコ・ヒョードルにTKO負け。しかし11月9日の決勝戦ではPRIDE初参戦のダン・ボビッシュにKO勝ちし、番人の面目躍如を果たした。

2003年12月31日の『PRIDE SPECIAL 男祭り 2003』で、ドン・フライと対戦。1R27秒右ハイキックでKO勝ち。試合前に勝敗にかかわらず、体力の限界を理由に格闘家からの引退を表明しており、これがPRIDEでの引退試合となった。

2004年4月30日に現役復帰し、K-1 WORLD GP 2004 in LAS VEGASに参戦。

2008年3月30日、『The Khan』でチェ・ムベと対戦、2Rにカウンターの右フックからダウン後、パウンドでTKO負け。

2008年7月19日、Affliction旗揚げ戦Affliction: Bannedポール・ブエンテロと対戦し、判定負けを喫した。

2009年12月31日、Dynamite!! 〜勇気のチカラ2009〜ゲガール・ムサシと対戦し、パウンドでTKO負け。

K-1

1999年からK-1に参戦し、武蔵佐竹雅昭ジェロム・レ・バンナグラウベ・フェイトーザらと対戦した。

K-1歴代王者のピーター・アーツマーク・ハントとも互角に渡り合い、マイク・ベルナルドシリル・アビディカーター・ウィリアムスなど多くのK-1ファイターに勝つなど、期待以上の活躍を見せる。

2005年7月29日、『K-1 WORLD GP 2005 in HAWAII』で開催されたHAWAII GPでは、カーター・ウィリアムス藤本祐介らを全試合KOで破り優勝。

2005年9月23日、『K-1 WORLD GP 2005 in OSAKA 開幕戦』では、再びジェロム・レ・バンナと激突。リベンジを狙ったが、ローキックからパンチ連打を浴びて3回目のダウンを喫しKO負け。

2005年11月19日、『K-1 WORLD GP 2005 inTOKYO 決勝戦』のリザーブファイトに選ばれるも、グラウベ・フェイトーザに判定負け。

人物

  • アームレスリングを始める前はウエイトリフティングの選手だった。
  • K-1では数多くの大会に出場しているが、その多くが欠場者の代役であり、十分な準備期間のないままの出場となってしまっている。しかしそんな中でも白熱した戦いを繰り広げ、会場をおおいに盛り上げている。
  • K-1地区予選レベルの試合では、試合が始まった途端、一気に間合いを詰め、自慢の豪腕でKOする豪快なパフォーマンスが見られるが、トップファイターが対戦相手だと、逆に何もできないままKO負けを喫してしまうことも多い。具体例を挙げると、2005年ジェロム・レ・バンナ戦などがある。
  • マイク・ベルナルドをKOした際に、彼を侮辱する行為をしたため、彼との間に確執が生まれる。その後、お互いきっちりと和解し、ベルナルドのファンサイトにゲーリーの動画メッセージが届いたり、ベルナルドのコーチであるスティーブ・カラコダがゲーリーのセコンドを務めるなど、関係は改善したようである。
  • 試合終了後にリングに上がってくる黒人女性は、実妹のスージーである。
  • ファンから『PRIDEで八百長試合が行われたことはありますか?特に日本での試合が疑わしいと思います』と質問された際、「そういうタイプの試合はPRIDEで常に存在した」と返答した。グッドリッジは更に「私も小川直也陣営から「小川にパンチでKOされてくれ」という注文の話を持ちかけられたことがある。しかし彼らが提示した報酬は充分な金額ではなく、それ以上は用意出来ないことも判ったため話が流れた」とかつての内情を告白した。「私の現役時代に少なくとも1人、ダイブ(八百長を承諾することの隠語)するために金を受け取った選手がいる」とも述べている[3]

戦績

総合格闘技

総合格闘技 戦績
46 試合 (T)KO 一本 判定 その他 引き分け 無効試合
23 13 9 1 0 1 0
22 10 8 4 0
勝敗 対戦相手 試合結果 大会名 開催年月日
× リュボミール・シメオノフ 1R 3:01 TKO(パンチ連打) MAXFIGHT: Warriors 18 2010年12月17日
× ペドロ・ヒーゾ 2R終了時 TKO(試合放棄) Washington Combat: Battle of the Legends 2010年5月15日
× ゲガール・ムサシ 1R 1:34 TKO(パウンド) Dynamite!! 〜勇気のチカラ2009〜 2009年12月31日
× アリスター・オーフレイム 1R 1:47 キムラロック GLORY 10: The Battle of Arnhem 2008年11月9日
× ポール・ブエンテロ 5分3R終了 判定0-3 Affliction: Banned 2008年7月19日
× テロル・ディーズ 5分3R終了 判定0-3 Iroquois: MMA Championships 4 2008年6月21日
× チェ・ムベ 2R KO(右フック) The Khan 1 2008年3月30日
ヤン・"ザ・ジャイアント"・ノルキヤ 1R 3:00 TKO(パウンド) HERO'S 2007 開幕戦 〜名古屋初上陸〜 2007年3月12日
タダス・リンケビュチス 1R 4:31 TKO(パンチ連打) HERO'S FIGHTING NETWORK '06 Lithuania Round 2006年11月11日
× ヒース・ヒーリング 2R 1:55 KO(スタンドパンチ連打) HERO'S 2006 2006年3月15日
アラン・カラエフ 1R 2:58 ギロチンチョーク HERO'S 2005年3月26日
ザ・プレデター 1R 1:22 KO(左フック→パウンド) ROMANEX 格闘技世界一決定戦 2004年5月22日
ドン・フライ 1R 0:27 KO(右ハイキック) PRIDE SPECIAL 男祭り 2003 2003年12月31日
ダン・ボビッシュ 1R 0:18 TKO(スタンドパンチ連打) PRIDE GRANDPRIX 2003 決勝戦 2003年11月9日
× エメリヤーエンコ・ヒョードル 1R 1:09 TKO(パウンド) PRIDE GRANDPRIX 2003 開幕戦 2003年8月10日
ロイド・ヴァン・ダム 1R 3:39 TKO(マウントパンチ) Dynamite! SUMMER NIGHT FEVER in 国立 2002年8月28日
ラバザノフ・アフメッド 3R(10分/5分/5分)終了 判定2-1 PRIDE.21 2002年6月23日
エベンゼール・フォンテス・ブラガ 3分5R終了 時間切れ INOKI BOM-BA-YE 2001 2001年12月31日
谷津嘉章 1R 3:05 TKO(タオル投入) PRIDE.16 2001年9月24日
ヤン・"ザ・ジャイアント"・ノルキヤ 1R 1:11 腕ひしぎ十字固め K-1 ANDY MEMORIAL 2001 〜JAPAN GP 決勝戦〜 2001年8月19日
× アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ 1R 2:37 三角絞め PRIDE.15 2001年7月29日
ヴァレンタイン・オーフレイム 1R 2:39 ギブアップ(グラウンドの膝蹴り) PRIDE.14 2001年5月27日
ボブ・シュライバー 1R 2:32 アンクルホールド 2H2H 2: Simply the Best 2001年3月18日
谷津嘉章 1R 8:58 TKO(スタンドパンチ連打) PRIDE.11 2000年10月31日
× ギルバート・アイブル 1R 0:28 KO(左ハイキック) PRIDE.10 2000年8月27日
× リコ・ロドリゲス 10分2R終了 判定 PRIDE.9 2000年6月4日
× イゴール・ボブチャンチン 1R 10:14 TKO(右フック→パウンド) PRIDE GRANDPRIX 2000 決勝戦
【2回戦】
2000年5月1日
大刀光 1R 0:51 前腕チョーク PRIDE GRANDPRIX 2000 開幕戦
【1回戦】
2000年1月30日
× トム・エリクソン 10分2R終了 判定0-5 PRIDE.8 1999年11月21日
× 小川直也 2R 0:36 V1アームロック PRIDE.6 1999年7月4日
アンドレ・ロバーツ 1R 0:43 ギブアップ(パウンド) UFC 19: Ultimate Young Guns 1999年3月5日
× イゴール・ボブチャンチン 1R 5:58 KO(スタンドパンチ連打) PRIDE.4 1998年10月11日
アミール 1R 7:22 TKO(パウンド) PRIDE.3 1998年6月24日
× マルコ・ファス 1R 9:09 ヒールホールド PRIDE.2 1998年3月15日
オレッグ・タクタロフ 1R 4:57 KO(右フック) PRIDE.1 1997年10月11日
ペドロ・オタービオ 1R 16:08 ギブアップ(マウントパンチ) IVC 1: Real Fight Tournament
【決勝】
1997年7月6日
キャル・ウォーシャム 1R 8:17 TKO(カット) IVC 1: Real Fight Tournament
【準決勝】
1997年7月6日
アウグスト・サントス 1R 0:32 フルネルソン IVC 1: Real Fight Tournament
【1回戦】
1997年7月6日
× ドン・フライ 1R 11:19 ギブアップ(疲労) Ultimate Ultimate 1996
【1回戦】
1996年12月7日
× マーク・コールマン 1R 7:00 ギブアップ(疲労) UFC 10: The Tournament
【準決勝】
1996年7月12日
ジョン・キャンペテーラ 1R 1:27 KO(マウントパンチ) UFC 10: The Tournament
【1回戦】
1996年7月12日
× マーク・シュルツ 1R 12:00 TKO(カット) UFC 9: Motor City Madness 1996年5月17日
× ドン・フライ 1R 2:14 ギブアップ UFC 8: David vs. Goliath
【決勝】
1996年2月16日
ジェリー・ボーランダー 1R 0:48 TKO(パウンド) UFC 8: David vs. Goliath
【準決勝】
1996年2月16日
ポール・ヘレラ 1R 0:13 KO(グラウンドの肘打ち) UFC 8: David vs. Goliath
【1回戦】
1996年2月16日

キックボクシング

キックボクシング 戦績
34 試合 (T)KO 判定 その他 引き分け 無効試合
12 11 1 0 2 0
20 12 7 1
勝敗 対戦相手 試合結果 大会名 開催年月日
× カタリン・モロサヌ 2R終了時 TKO(タオル投入) Local Kombat 32 2008年12月12日
× 天田ヒロミ 3R終了 判定0-3 日韓親善国際格闘技大会 GLADIATOR
【K-1ルール】
2008年8月16日
× ルボス・スーダ 3R終了 判定0-3 K-1 Czech 2007 Heaven or Hell 2007年12月15日
コンスタンチン・グルチョフ ドロー K-1 Latvia 2007年10月13日
× チェ・ホンマン 1R 1:34 TKO(パンチ連打) K-1 WORLD GP 2007 IN HONG KONG 2007年8月5日
× パトリック・バリー 1R 1:07 TKO(右目のカット) K-1 WORLD GP 2007 in HAWAII
【USA GP 1回戦】
2007年4月28日
× レミー・ボンヤスキー 3R 0:52 KO(左ハイキック) K-1 WORLD GP 2006 in OSAKA 開幕戦
【1回戦】
2006年9月30日
× カーター・ウィリアムス 3R終了 判定0-3 K-1 WORLD GP 2006 in LAS VEGAS II
【世界最終予選 1回戦】
2006年8月12日
× ピーター・アーツ 3R終了 判定0-3 K-1 REVENGE 2006
K-1 WORLD GP 2006 in SAPPORO
〜アンディ・フグ七回忌追悼イベント〜
2006年7月30日
× ハリッド"ディ・ファウスト" 3R 1:00 KO(右フック) K-1 WORLD GP 2006 in LAS VEGAS
【USA GP 決勝】
2006年4月29日
スコット・ライティ 1R 0:34 TKO(2ノックダウン) K-1 WORLD GP 2006 in LAS VEGAS
【USA GP 準決勝】
2006年4月29日
謙吾 1R 0:40 KO(右フック) K-1 WORLD GP 2006 in LAS VEGAS
【USA GP 1回戦】
2006年4月29日
× アレクセイ・イグナショフ 3R終了 判定0-3 K-1 Hungary 2006 2006年2月25日
× グラウベ・フェイトーザ 3R終了 判定0-3 K-1 WORLD GP 2005 in TOKYO 決勝戦
【リザーブマッチ】
2005年11月19日
× ジェロム・レ・バンナ 1R 2:13 KO(3ノックダウン:パンチ連打) K-1 WORLD GP 2005 in OSAKA 開幕戦
【1回戦】
2005年9月23日
藤本祐介 3R 1:19 TKO(左フック) K-1 WORLD GP 2005 in HAWAII
【HAWAII GP 決勝】
2005年7月29日
カーター・ウィリアムス 1R 1:15 KO(右フック) K-1 WORLD GP 2005 in HAWAII
【HAWAII GP 準決勝】
2005年7月29日
ウェズリー"キャベージ"コレイラ 2R 2:43 TKO(右ローキック) K-1 WORLD GP 2005 in HAWAII
【HAWAII GP 1回戦】
2005年7月29日
× グラウベ・フェイトーザ 1R 2:40 TKO(左ハイキック) K-1 WORLD GP 2005 in LAS VEGAS
【USA GP 決勝】
2005年4月30日
スコット・ライティ 1R 2:55 TKO(右ローキック) K-1 WORLD GP 2005 in LAS VEGAS
【USA GP 準決勝】
2005年4月30日
ショーン・オヘア 1R 0:55 TKO(右アッパー) K-1 WORLD GP 2005 in LAS VEGAS
【USA GP 1回戦】
2005年4月30日
× レイ・セフォー 1R 0:24 TKO(レフェリーストップ) K-1 PREMIUM 2004 Dynamite!!
【K-1ルール】
2004年12月31日
シリル・アビディ 1R 3:00 KO(右フック) K-1 WORLD GP 2004 決勝戦
【リザーブマッチ】
2004年12月4日
サミー・アティア 1R 2:49 KO(左ボディブロー) 新日本キックボクシング協会「TITANS 1st」 2004年11月6日
× マイティ・モー 1R 2:58 KO(3ノックダウン:右フック) K-1 WORLD GP 2004 in TOKYO 開幕戦
【1回戦】
2004年9月25日
デューウィー・クーパー 3R終了 判定2-1 K-1 WORLD GP 2004 in LAS VEGAS 2004年8月7日
× ピーター・アーツ 3R 1:40 KO(右ローキック) K-1 WORLD GP 2004 in NAGOYA 2004年6月6日
TOA 1R 2:43 TKO(右アッパー) K-1 WORLD GP 2004 in LAS VEGAS
【GP開幕戦出場者決定戦】
2004年4月30日
× マーク・ハント 5R終了 判定0-3 K-1 WORLD GP 2003 in LAS VEGAS 2003年5月3日
武蔵 5R終了 判定0-1 K-1 BEAST 2003 〜山形初上陸〜 2003年4月6日
× マイク・ベルナルド 1R 2:12 KO(右ストレート) INOKI BOM-BA-YE 2002 2002年12月31日
× ジェロム・レ・バンナ 1R 0:42 KO(右ストレート) K-1 WORLD GP 2002 開幕戦
【1回戦】
2002年10月5日
マイク・ベルナルド 1R 1:38 TKO(レフェリーストップ) K-1 WORLD GP 2002 in LAS VEGAS 2002年8月17日
× 佐竹雅昭 3R 2:47 KO(左ローキック) K-1 SPIRITS '99 1999年8月22日
× 武蔵 1R 2:15 反則(金的攻撃) K-1 REVENGE '99 1999年4月25日

獲得タイトル

  • アマチュアボクシング カナダ王者
  • IVC 1 優勝
  • K-1 WORLD GP 2005 in HAWAII 優勝

出演作品

脚注

関連項目

外部リンク