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2019年10月1日 (火) 14:32時点における版
きたで せいごろう 北出 清五郎 | |
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プロフィール | |
出身地 |
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生年月日 | 1922年12月5日 |
没年月日 | 2003年1月19日(80歳没) |
最終学歴 | 中央大学 |
勤務局 | NHK東京アナウンス室 |
職歴 | 1947年 - 1980年 |
活動期間 | 1947年 - 2003年 |
ジャンル | スポーツ |
担当番組・活動 | |
北出 清五郎(きたで せいごろう、1922年12月5日 - 2003年1月19日)は東京都出身の元NHKアナウンサー。
来歴・人物
中央大学を卒業後、1947年NHK入社[1]。スポーツ担当アナウンサーとして、大相撲を中心に数多くのスポーツ中継を担当。1979年、NHK理事待遇[1]。1980年に退職した[1]。
大相撲中継はテレビ放送が始まった1953年夏場所から担当し、「相撲の北出」として知られた[1]。正確な描写と徹底した取材に基づいたデータを駆使してテレビアナウンスの基礎を作り出した[2]。定年退職後もアナウンス顧問や解説者として長年にわたり出演した。
また、昭和30年代にNHK総合で中継された有馬記念のレース実況を担当している[3]。
オリンピック中継ではNHKのエースアナウンサーとして数々の大会を担当、特に1964年に日本で初めて開催された東京オリンピックの開会式で「世界中の秋晴れを、全部東京に持ってきたような素晴らしい秋日和であります」や、1972年札幌オリンピックの「さあ笠谷、金メダルへのジャンプ-飛んだ!決まった![1]」などの名実況も残した。
紅白歌合戦では、第4回(1953年)、第18回(1967年)、第21回(1970年)で総合司会を担当した。
2003年1月19日、心不全のため死去[1]。80歳没。
著書
- 栄光のドキュメント 私の見たオリンピック(NHK出版、1976年)
- 大相撲への招待(廣済堂出版、1977年5月)
- 大相撲との日々 相撲アナ一代(日刊スポーツ新聞社、1980年10月2日)
- 話のふれ太鼓(廣済堂出版、1981年11月)
- グラフ社雑学シリーズ「北出アナのすもう雑学」(グラフ社、1983年1月)
- 相撲部屋おかみさん太閤記(文化出版局、1983年11月)
- 人生負けても勝っても - 高見山大五郎物語(小学館、1984年6月)
- 大相撲を支えた人たち(ベースボール・マガジン社、1985年11月)
- 知的生きかた文庫「ものしり雑学 大相撲」(三笠書房、1992年8月)