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出身地の[[ASDカッシーノ1924|レアル・カッシーノ]]にてプロ選手としてのキャリアをスタート。下部リーグでのプレーを続け、[[1990年]]に[[レガ・プロ・プリマ・ディヴィジオーネ|セリエC1]]の[[ヴィチェンツァ・カルチョ]]に移籍し、中心選手となった。セリエC1から[[セリエA (サッカー)|セリエA]]への昇格に続き、[[フランチェスコ・グイドリン]]監督の下で[[コッパ・イタリア]]優勝(1996-97)、[[カップ・ウィナーズ・カップ]]準決勝進出を果たした。 |
出身地の[[ASDカッシーノ1924|レアル・カッシーノ]]にてプロ選手としてのキャリアをスタート。下部リーグでのプレーを続け、[[1990年]]に[[レガ・プロ・プリマ・ディヴィジオーネ|セリエC1]]の[[ヴィチェンツァ・カルチョ]]に移籍し、中心選手となった。セリエC1から[[セリエA (サッカー)|セリエA]]への昇格に続き、[[フランチェスコ・グイドリン]]監督の下で[[コッパ・イタリア]]優勝(1996-97)、[[カップ・ウィナーズ・カップ]]準決勝進出を果たした。 |
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現役引退後、サッカー指導者としての実績を積む。[[2004年]]から率いた[[マントヴァFC|ACマントヴァ]]では、[[レガ・プロ・セコンダ・ディヴィジオーネ|セリエC2]]からセリエC1への昇格、更に[[セリエB_(サッカー)|セリエB]]昇格を達成。[[2007年]]にセリエAの[[ |
現役引退後、サッカー指導者としての実績を積む。[[2004年]]から率いた[[マントヴァFC|ACマントヴァ]]では、[[レガ・プロ・セコンダ・ディヴィジオーネ|セリエC2]]からセリエC1への昇格、更に[[セリエB_(サッカー)|セリエB]]昇格を達成。[[2007年]]にセリエAの[[パルマ・カルチョ1913|パルマFC]]の指揮官となるも、成績不振のため[[2008年]]3月に解任された。2008年11月、[[ジュゼッペ・イアキーニ]]の後任として[[ACキエーヴォ・ヴェローナ]]監督に就任。最下位のチームを再建し残留に導くと、翌2009-2010シーズンは[[ジャンピエロ・ピンツィ]]ら戦力を活用し、安定して勝ち点を積み重ねた。シーズン終了後に退団、[[UCサンプドリア]]指揮官に就任。しかし、[[UEFAチャンピオンズリーグ]]はプレーオフで敗退。リーグ戦も低迷し、[[2011年]]3月に解任された<ref>[http://www.goal.com/jp/news/1867/%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%A2/2011/03/08/2384325/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%89%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%81%8C%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%AD%E3%82%92%E8%A7%A3%E4%BB%BB サンプドリアがディ・カルロを解任]Goal.com、2011年3月8日</ref>。2011年6月、再びACキエーヴォ・ヴェローナ監督に就任した<ref>[http://jp.uefa.com/memberassociations/association=ita/news/newsid=1641225.html ディ・カルロ氏が再びキエーボへ]UEFA.com、2011年6月9日</ref>が、翌2012年10月に解任される。2014年12月8日、セリエAで降格圏に沈む[[ACチェゼーナ]]の新指揮官に就任した<ref>[http://www.goal.com/jp/news/1867/%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%A2/2014/12/09/6895862/%E3%83%81%E3%82%A7%E3%82%BC%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%81%8C%E7%9B%A3%E7%9D%A3%E8%A7%A3%E4%BB%BB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%AD%E5%B0%B1%E4%BB%BB?ICID=HP_BN_11 チェゼーナが監督解任、ディ・カルロ就任] Goal.com 2014年12月9日付</ref>が、クラブはセリエB降格を免れることはできず半年で退任した<ref>{{Cite web |url=http://www.tuttomercatoweb.com/serie-a/ufficiale-cesena-di-carlo-non-e-piu-il-tecnico-dei-romagnoli-688909 |title=UFFICIALE: Cesena, Di Carlo non è più il tecnico dei romagnoli |publisher=TuttoMercatoWeb.com |date=2015-06-06 |accessdate=2015-12-24}}</ref>。2015年11月23日、セリエBの[[スペツィア・カルチョ]]と2017年までの契約を結んだ<ref>{{Cite web |url=http://www.tuttomercatoweb.com/serie-b/ufficiale-spezia-di-carlo-e-il-nuovo-allenatore-contratto-fino-al-2017-757825 |title=UFFICIALE: Spezia, Di Carlo è il nuovo allenatore. Contratto fino al 2017 |publisher=TuttoMercatoWeb.com |date=2015-11-23 |accessdate=2015-12-24}}</ref>。 |
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== タイトル == |
== タイトル == |
2020年2月4日 (火) 12:19時点における版
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名前 | ||||||
愛称 | Mimmo | |||||
ラテン文字 | Domenico Di Carlo | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
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生年月日 | 1964年3月23日(60歳) | |||||
出身地 | カッシーノ | |||||
身長 | 179cm | |||||
体重 | 74kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF (DMF) | |||||
ユース | ||||||
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クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1979-1981 |
![]() | 37 | (1) | |||
1981-1982 |
![]() | 26 | (1) | |||
1982-1984 |
![]() | 0 | (0) | |||
1984-1986 |
![]() | 55 | (3) | |||
1986-1987 |
![]() | 30 | (3) | |||
1987-1990 |
![]() | 97 | (6) | |||
1990-1999 |
![]() | 268 | (9) | |||
1999-2000 |
![]() | 4 | (0) | |||
2000-2001 |
![]() | 27 | (0) | |||
2001 |
![]() | 0 | (0) | |||
通算 | 544 | (23) | ||||
監督歴 | ||||||
2001-2004 |
![]() | |||||
2004-2007 |
![]() | |||||
2007-2008 |
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2008-2010 |
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2010-2011 |
![]() | |||||
2011-2012 |
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2014 |
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2014-2015 |
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2015-2017 |
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2018 |
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2018- |
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1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ドメニコ・"ミンモ"・ディ・カルロ(Domenico "Mimmo" Di Carlo,1964年3月23日- )は、イタリア・ラツィオ州カッシーノ出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションは守備的MF。現在はセリエA のACキエーヴォ・ヴェローナの監督を務めている。
経歴
出身地のレアル・カッシーノにてプロ選手としてのキャリアをスタート。下部リーグでのプレーを続け、1990年にセリエC1のヴィチェンツァ・カルチョに移籍し、中心選手となった。セリエC1からセリエAへの昇格に続き、フランチェスコ・グイドリン監督の下でコッパ・イタリア優勝(1996-97)、カップ・ウィナーズ・カップ準決勝進出を果たした。
現役引退後、サッカー指導者としての実績を積む。2004年から率いたACマントヴァでは、セリエC2からセリエC1への昇格、更にセリエB昇格を達成。2007年にセリエAのパルマFCの指揮官となるも、成績不振のため2008年3月に解任された。2008年11月、ジュゼッペ・イアキーニの後任としてACキエーヴォ・ヴェローナ監督に就任。最下位のチームを再建し残留に導くと、翌2009-2010シーズンはジャンピエロ・ピンツィら戦力を活用し、安定して勝ち点を積み重ねた。シーズン終了後に退団、UCサンプドリア指揮官に就任。しかし、UEFAチャンピオンズリーグはプレーオフで敗退。リーグ戦も低迷し、2011年3月に解任された[1]。2011年6月、再びACキエーヴォ・ヴェローナ監督に就任した[2]が、翌2012年10月に解任される。2014年12月8日、セリエAで降格圏に沈むACチェゼーナの新指揮官に就任した[3]が、クラブはセリエB降格を免れることはできず半年で退任した[4]。2015年11月23日、セリエBのスペツィア・カルチョと2017年までの契約を結んだ[5]。
タイトル
現役時代
- パレルモ
- セリエC2:1987-88
- ヴィチェンツァ
- コッパ・イタリア:1997
指導者時代
- マントヴァ
- セリエC2:2003-04
脚注
- ^ サンプドリアがディ・カルロを解任Goal.com、2011年3月8日
- ^ ディ・カルロ氏が再びキエーボへUEFA.com、2011年6月9日
- ^ チェゼーナが監督解任、ディ・カルロ就任 Goal.com 2014年12月9日付
- ^ “UFFICIALE: Cesena, Di Carlo non è più il tecnico dei romagnoli”. TuttoMercatoWeb.com (2015年6月6日). 2015年12月24日閲覧。
- ^ “UFFICIALE: Spezia, Di Carlo è il nuovo allenatore. Contratto fino al 2017”. TuttoMercatoWeb.com (2015年11月23日). 2015年12月24日閲覧。