「陸奥市川駅」の版間の差分
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|画像説明 = 駅舎(2010年12月) |
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|よみがな = むついちかわ |
|よみがな = むついちかわ |
2020年2月15日 (土) 01:44時点における版
陸奥市川駅 | |
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駅舎(2010年12月) | |
むついちかわ Mutsu-Ichikawa | |
◄*八戸 (6.9 km) (4.2 km) 下田► | |
青森県八戸市大字市川町字和野前山17 | |
所属事業者 | 青い森鉄道 |
所属路線 | ■青い森鉄道線 |
キロ程 |
32.8km(目時起点) 東京から650.1 km |
電報略号 | チワ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面2線 |
乗車人員 -統計年度- |
162人/日(降車客含まず) -2016年- |
開業年月日 | 1944年(昭和19年)10月11日 |
備考 | 無人駅(自動券売機 有) |
* この間に八戸貨物駅有り(八戸起点 1.7km)。 |
陸奥市川駅(むついちかわえき)は、青森県八戸市大字市川町字和野前山にある、青い森鉄道青い森鉄道線の駅である。
歴史
- 1926年(大正15年)11月5日 - 轟信号場(とどろきしんごうじょう)として開設。
- 1942年(昭和17年) - 陸軍八戸飛行場までの専用線敷設[1]。
- 1944年(昭和19年)10月11日 - 駅に昇格(旅客・貨物扱い開始)。同時に陸奥市川駅に改称。
- 1945年(昭和20年)9月20日 - 進駐軍鉄道運輸事務所(RTO)を設置[1]。
- 1947年(昭和22年)7月10日 - 進駐軍輸送のための設備第1期工事完成。駅本屋前に進駐軍専用ホーム(現1番線)新設。当時は2番線(現撤去済み)が上り本線、3番線が下り本線とされていた[1]。
- 1948年(昭和23年)1月31日 - 進駐軍輸送のための建物および設備竣工[1]。
- 1952年(昭和27年)3月24日 - 豪雪のためホーム屋根300坪が崩壊[1]。
- 1952年(昭和27年)3月31日 - RTO廃止[1]。
- 1965年(昭和40年)6月30日 - 尻内(現:八戸) - 陸奥市川間複線化。この3年後に東北本線の全線複線化が完成する。戦後の一時期は、自衛隊駐屯地の引込み線が存在した。
- 1968年(昭和43年)5月16日 - 1968年十勝沖地震により構内で貨車8両脱線、うち4両が転覆。建物にも被害を受け、のち建物のうち進駐軍用に使われた部分のほとんどを撤去[1]。
- 1971年(昭和46年)10月1日 - 貨物の取扱いを廃止。
- 1985年(昭和60年)3月14日 - 陸奥市川駅長が廃止され、八戸駅長管理下となる。(駅員配置は八戸駅派遣により継続)
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により東日本旅客鉄道(JR東日本)に移管。
- 1988年(昭和63年) - 老朽化のため駅本屋の待合室を撤去。駅事務室だった約89m2の部分だけが残される[1]。
- 1999年(平成11年) - 無人化。
- 2010年(平成22年)12月4日 - 東北新幹線全線開業に伴い、青い森鉄道に移管。
駅構造
単式ホーム2面2線を有する地上駅である。下りホームの2番線は線路が撤去されている。互いのホームは跨線橋で連絡している。
八戸駅管理の無人駅。但し、平日朝6:55 - 7:44の時間帯のみ集改札を行う係員が配置される。自動券売機が設置されている。JR時代は駅員が配置されていた(2000年時点では八戸駅からの駅員派遣[1])。
のりば
番線 | 路線 | 方向 | 行先 |
---|---|---|---|
1 | ■青い森鉄道線 | 上り | 八戸・三戸方面 |
3 | 下り | 三沢・野辺地・青森方面 |
利用状況
- 2016年度の1日平均乗車人員は162人である[2]。
乗車人員推移 | |
---|---|
年度 | 一日平均乗車人員 |
2013 | 166 |
2014 | 167 |
2015 | 161 |
2016 | 162 |
駅周辺
駅前は商店が1件だけ存在する。宿泊施設や歓楽街は徒歩10分程度の桔梗野地区に集中している。
- 陸上自衛隊八戸駐屯地
- 八戸警察署市川駐在所
- 桔梗野郵便局
- 八戸航空基地
- 南部山公園
- ハイテクパーク
- 北インター工業団地
- 桔梗野工業団地
- 八戸西霊園
- 多賀台団地
- 俊公園(障害者福祉施設)
- 市川トンネル(東北新幹線)
- 青森県道167号陸奥市川停車場線
バス路線
『陸奥市川駅前』(むついちかわえきまえ)
これまで駅前に乗り入れるバスは朝夕数本の発着があるだけで、徒歩3分ほどの場所にある「陸奥市川駅通」バス停の方が本数が多かったが、市営バスと南部バスは2011年4月1日のダイヤ改正より、バス停の位置を駅前構内から構外の道路沿いへ移設を行うと共に、経路変更を実施した上で全便停車することになった(ただし十和田観光電鉄については経路変更を実施せず、旧経路のまま「陸奥市川駅通」での乗り降りとなる)[3]。
市営は「陸奥市川駅前」、南部は「陸奥市川駅」(南部は「通」が入らない)と表記が異なる。陸奥市川駅前が終点だった時の行き先番号は「64番」。バスの車内放送では市営では「陸奥市川駅通」、南部バスでは「陸奥市川駅」とこちらも異なる。
『陸奥市川駅通』(むついちかわえきどおり)
その他
- 第二次世界大戦中、八戸飛行場のために信号場から駅へと昇格された。
- 戦後には米軍進駐に伴い構内は大幅に拡張され、その大きな駅舎は、進駐軍輸送司令部仙台地区司令官のマックファーランド少佐が神町駅とともに「東北の二つの白象」と呼んだと伝えられる[1][4]。ただし、実際は駅舎外側は空色ないし薄い青色、室内は濃い茶色だったと言われる[1]。
- 日本国有鉄道(国鉄)・東日本旅客鉄道(JR東日本)時代には、特急はつかりが1日1往復停車していた時期もあった。
隣の駅
脚注
関連項目
外部リンク
このテンプレートはプロジェクト‐ノート:鉄道/駅/各路線の駅一覧のテンプレート・隣りの駅での議論を受けて廃止されました。 代わりに{{いわて銀河鉄道線・青い森鉄道線}}を使用してください。 |