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「陸奥市川駅」の版間の差分

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2020年2月15日 (土) 01:44時点における版

陸奥市川駅
駅舎(2010年12月)
むついちかわ
Mutsu-Ichikawa
*八戸 (6.9 km)
(4.2 km) 下田

地図

陸奥市川駅の位置(青森県内)
陸奥市川駅
陸奥市川駅
陸奥市川駅位置図(青森県)
青森県八戸市大字市川町字和野前山17
北緯40度33分47.58秒 東経141度26分21.22秒 / 北緯40.5632167度 東経141.4392278度 / 40.5632167; 141.4392278座標: 北緯40度33分47.58秒 東経141度26分21.22秒 / 北緯40.5632167度 東経141.4392278度 / 40.5632167; 141.4392278
所属事業者 青い森鉄道
所属路線 青い森鉄道線
キロ程 32.8km(目時起点)
東京から650.1 km
電報略号 チワ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度-
162人/日(降車客含まず)
-2016年-
開業年月日 1944年昭和19年)10月11日
備考 無人駅(自動券売機 有)
* この間に八戸貨物駅有り(八戸起点 1.7km)。
テンプレートを表示
ホーム(2007年6月)

陸奥市川駅(むついちかわえき)は、青森県八戸市大字市川町字和野前山にある、青い森鉄道青い森鉄道線である。

歴史

駅構造

単式ホーム2面2線を有する地上駅である。下りホームの2番線は線路が撤去されている。互いのホームは跨線橋で連絡している。

八戸駅管理の無人駅。但し、平日朝6:55 - 7:44の時間帯のみ集改札を行う係員が配置される。自動券売機が設置されている。JR時代は駅員が配置されていた(2000年時点では八戸駅からの駅員派遣[1])。

のりば

番線 路線 方向 行先
1 青い森鉄道線 上り 八戸三戸方面
3 下り 三沢野辺地青森方面

利用状況

  • 2016年度の1日平均乗車人員は162人である[2]
乗車人員推移
年度 一日平均乗車人員
2013 166
2014 167
2015 161
2016 162

駅周辺

駅前は商店が1件だけ存在する。宿泊施設や歓楽街は徒歩10分程度の桔梗野地区に集中している。

バス路線

『陸奥市川駅前』(むついちかわえきまえ)

これまで駅前に乗り入れるバスは朝夕数本の発着があるだけで、徒歩3分ほどの場所にある「陸奥市川駅通」バス停の方が本数が多かったが、市営バスと南部バスは2011年4月1日のダイヤ改正より、バス停の位置を駅前構内から構外の道路沿いへ移設を行うと共に、経路変更を実施した上で全便停車することになった(ただし十和田観光電鉄については経路変更を実施せず、旧経路のまま「陸奥市川駅通」での乗り降りとなる)[3]

市営は「陸奥市川駅前」、南部は「陸奥市川駅」(南部は「通」が入らない)と表記が異なる。陸奥市川駅前が終点だった時の行き先番号は「64番」。バスの車内放送では市営では「陸奥市川駅通」、南部バスでは「陸奥市川駅」とこちらも異なる。

『陸奥市川駅通』(むついちかわえきどおり)

その他

  • 第二次世界大戦中、八戸飛行場のために信号場から駅へと昇格された。
  • 戦後には米軍進駐に伴い構内は大幅に拡張され、その大きな駅舎は、進駐軍輸送司令部仙台地区司令官のマックファーランド少佐神町駅とともに「東北の二つの白象」と呼んだと伝えられる[1][4]。ただし、実際は駅舎外側は空色ないし薄い青色、室内は濃い茶色だったと言われる[1]
  • 日本国有鉄道(国鉄)・東日本旅客鉄道(JR東日本)時代には、特急はつかりが1日1往復停車していた時期もあった。

隣の駅

青い森鉄道
青い森鉄道線
快速「しもきた」
通過
普通
八戸駅 - (八戸貨物駅 - 陸奥市川駅 - 下田駅

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k 河原匡喜『連合軍専用列車の時代』光人社、2000年5月。 
  2. ^ 八戸市統計情報「運輸・通信」による。
  3. ^ 広報はちのへ:2011年3月号 (PDF, 15ページより)
  4. ^ 「消えゆく東北本線/12 陸奥市川駅 東北の白象と…」 毎日新聞青森版 2010年6月24日付

関連項目

外部リンク