「福光駅」の版間の差分
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|画像説明 = 駅舎(2009年1月11日) |
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|よみがな = ふくみつ |
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|ローマ字 = Fukumitsu |
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2020年2月15日 (土) 08:05時点における版
福光駅 | |
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駅舎(2009年1月11日) | |
ふくみつ Fukumitsu | |
◄東石黒 (2.7 km) (2.8 km) 越中山田► | |
所在地 | 富山県南砺市荒木5327 |
所属事業者 | 西日本旅客鉄道(JR西日本) |
所属路線 | ■城端線 |
キロ程 | 24.7 km(高岡起点) |
電報略号 | フク |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面2線 |
乗車人員 -統計年度- |
556人/日(降車客含まず) -2017年- |
開業年月日 | 1897年(明治30年)8月18日 |
備考 |
簡易委託駅 みどりの窓口有 (e5489サービス対象外・カード不可) |
福光駅(ふくみつえき)は、富山県南砺市荒木にある西日本旅客鉄道(JR西日本)城端線の駅である。また、かつては国鉄自動車名金急行線、太美山線及び井波線の自動車駅であった。
歴史
- 1939年(昭和14年)9月1日 - 金福線当駅 - 総平駅間が開業し、自動車駅として一般運輸営業を開始する[6]。
- 1942年(昭和17年)8月1日 - 中越線の高岡駅 - 城端駅間が城端線に改称され、当駅もその所属となる[7]。
- 1951年(昭和26年)3月10日 - 金福線当駅 - 井波駅前駅及び同線当駅 - 越中吉見駅間の開業が開業する[8][9]。自動車駅として一般運輸営業を行う[9]。
- 1952年(昭和27年)10月18日 - 金福線当駅 - 城端駅間(大西駅経由)が開業する[8][10]。当駅においては一般運輸営業を行う[10]。
- 1953年(昭和28年)12月30日 - 金福線当駅 - 境川橋詰駅間及び同線井波駅前駅 - 小牧堰堤駅が開業し[8][11]、金福線を金白北線と改称する[12]。当駅においては一般運輸営業を行う[11]。また、同線当駅 - 飛野駅間に越中高宮駅が開業する[12]。
- 1954年(昭和29年)12月 - 当駅構内拡張が完了する[13]。
- 1955年(昭和30年)10月28日 - 金白北線を金白北本線と改称する[14]。
- 1957年(昭和32年)10月1日 - 福光東町駅の開業により[15]、昭和24年日本国有鉄道公示第31号「国鉄自動車路線名称」金白北本線の項中の「福光越中吉見間」を「福光東町越中吉見間」と改める[16]。
- 1963年(昭和38年)
- 1月10日 - 福光東町駅を廃止し[17]、昭和24年日本国有鉄道公示第31号「国鉄自動車路線名称」中の金白北本線の項中、「福光東町 - 経塚 - 城端間」を「福光 - 経塚 - 城端間」に改め、「福光越中吉見間及び福光 - 祖谷 - 西太美間」を太美山線、「福光小牧堰堤間」を井波線と路線名称を改定する[18]。また、太美山線当駅 - 開発駅間に福光高校前駅、井波線当駅 - 越中北山田駅間に一日市駅が開業する[19]。
- 3月6日 - 太美山線越中吉見駅 - 下刀利駅間が開業したので[20]、昭和24年日本国有鉄道公示第31号「国鉄自動車路線名称」中の太美山線の項「福光越中吉見間」を「福光下刀利間」と改める[21]。
- 1964年(昭和39年)
- 1965年(昭和40年)9月11日 - 金白北本線当駅 - 越中高宮駅間の飛野駅を廃止し[24]、これに代り当駅 - 越中高宮駅に天神町駅を開業し[25]、昭和24年日本国有鉄道公示第31号「国鉄自動車路線名称」の太美山線の項を「福光 - 越中吉見間及び福光 - 祖谷 - 西太美間」から「天神町越中吉見間及び福光 - 祖谷 - 西太美間」と改定する[26]。また、同線当駅 - 開発駅間の福光高校前駅を福光栄町駅と改称し[27]、開発駅を廃止する[24]。
- 1966年(昭和41年)12月1日 - 昭和24年日本国有鉄道公示第31号「国鉄自動車路線名称」より金白北線の部を削除し、西天龍線の部の次に名金線の部を加え、「名古屋金沢間、城端 - 経塚 - 福光間、福光西町 - 土山 - 上砂子谷間、湯谷温泉口国見ヒユツテ間(後略)」の金白北本線を名金急行線と路線名称を改定する[28]。
- 1967年(昭和42年)12月20日 - 上下線ホームの延長工事が完了し、跨線橋が完成したので、その完工式を行う[29][13][30]。
- 1968年(昭和43年)12月13日 - 名金急行線経塚駅を東太美駅と改称したので[31]、昭和24年日本国有鉄道公示第31号「国鉄自動車路線名称」名金線の項中「城端 - 経塚 - 福光間」を「城端 - 東太美 - 福光間」と改める[32]。
- 1969年(昭和44年)10月1日 - 営業範囲を改正し、手荷物及び小荷物の配達取扱を廃止する[33]。
- 1970年(昭和45年)7月11日 - 同日限りを以て井波線当駅 - 小牧堰堤駅間における一般乗合旅客自動車運送事業を廃止する[34]。
- 1972年(昭和47年)6月1日 - 自動車駅において営業範囲を改正し、手荷物及び小荷物の取扱を廃止する[35]。
- 1974年(昭和49年)10月1日 - 営業範囲を改正し、旅客、荷物及び車扱貨物を取扱う駅となる[36]。
- 1980年(昭和55年)9月25日 - 営業範囲を改正し、車扱貨物の取扱を廃止する[37]。
- 1982年(昭和57年)11月 - 下りホームのかさ上げ工事が完了する[13]。
- 1983年(昭和58年)4月1日 - 新駅舎が完成し、その完工式を挙行する[38]。
- 1985年(昭和60年)
- 1986年(昭和61年)
- 1987年(昭和62年)
- 2001年(平成13年)
- 2002年(平成14年)5月 - 構内にキヨスク福光駅店が開業する[46]。
- 2014年(平成26年)8月25日 - キヨスク福光駅店が閉店する[46]。
駅構造
相対式ホーム2面2線を持ち、列車交換が可能な地上駅である[47][48]。
北陸広域鉄道部管理下の簡易委託駅である[49][44]。駅舎に入居するタクシー会社「福光タクシー」が窓口業務を受託しており、みどりの窓口にJRの端末(マルス)を設置している。
駅舎は1983年(昭和58年)4月1日に竣工した[38]。鉄骨コンクリート平屋建で、総工費は9200万円であった[38]。2002年(平成14年)5月からは構内にキヨスク福光駅店が開設されていたが、2014年(平成26年)8月25日を以て閉店した[46]。同店は城端線内最後の駅構内における売店であった[46]。待合室とホームのベンチには富山県立南砺福光高等学校の生徒が作成した座布団が設置されている[50][51][52]。
2019年(令和元年)8月1日より、それまで窓口業務を受託していた旅行代理店「パールトラベル」の閉業に伴い、タクシー会社「福光タクシー」が業務を受け継いだ[53]。
2020年度末までに構内の跨線橋を自由通路へ改築し、駅東側に東口と改札口を設ける。また東口に交通広場も整備する予定である[54]。
のりば
のりば | 路線 | 方向 | 行先 |
---|---|---|---|
1 | ■城端線 | 上り | 高岡方面 |
2 | 下り | 城端方面 |
貨物取扱
当駅における貨物取扱は、1980年(昭和55年)9月25日に廃止された[55]。
1967年(昭和42年)7月1日現在における当駅接続の専用線は以下の通りであった[56]。
- 中越木材線(第三者使用:日本通運、動力:日本通運所有機関車及び手押、作業粁程:0.3粁)
1970年(昭和45年)10月1日現在における当駅接続の専用線は以下の通りであった[57]。
- 中越木材線(通運事業者:日本通運、動力:日本通運所有機関車及び手押、作業粁程:0.2粁、総延長粁程:0.2粁)
利用状況
「富山県統計年鑑」によると、近年の1日平均乗車人員は以下の通り[58]。
年度 | 1日平均 乗車人員 |
---|---|
1995年 | 1,107 |
1996年 | 1,026 |
1997年 | 932 |
1998年 | 908 |
1999年 | 905 |
2000年 | 873 |
2001年 | 770 |
2002年 | 722 |
2003年 | 666 |
2004年 | 630 |
2005年 | 606 |
2006年 | 598 |
2007年 | 566 |
2008年 | 538 |
2009年 | 514 |
2010年 | 525 |
2011年 | 545 |
2012年 | 563 |
2013年 | 536 |
2014年 | 539 |
2015年 | 570 |
2016年 | 572 |
2017年 | 556 |
駅周辺
路線バス
金沢駅方面などへのバスが発着している。
- 西日本ジェイアールバス(名金線)
- 加越能バス(南砺 - 金沢線)
隣の駅
脚注
- ^ 『官報』(221頁)、1897年(明治30年)11月17日、内閣印刷局
- ^ 『明治三十年度鉄道局年報』(逓信省鉄道局編、1898年(明治31年)10月、逓信省鉄道局)には「中越鉄道福野福光間ハ三十年八月十八日開業セルモ其開業免状ハ同月二十四日到達セルモノニシテ私設鉄道条例違反ニ付キ開業当日ヨリ免状到達日迄ノ営業収入ハ之ヲ没収セラレタリ」とある。
- ^ a b 石野哲、『停車場変遷大事典 国鉄・JR編Ⅱ』(159頁)、1998年(平成10年)10月、JTB
- ^ 『官報』(221頁)、1897年(明治30年)11月17日、内閣官報局
- ^ a b 大正9年鉄道省告示第58号(『官報』、1920年(大正9年)8月17日、内閣印刷局)
- ^ 昭和14年鉄道省告示第150号(『官報』、1939年(昭和14年)8月25日、内閣印刷局)
- ^ 今尾恵介監修、『日本鉄道旅行地図帳 全線・全駅・全廃線 6号』(33頁)、2008年(平成20年)10月、新潮社
- ^ a b c 日本国有鉄道編、『鉄道辞典 上巻』(392頁)、1958年(昭和33年)3月、日本国有鉄道
- ^ a b 昭和26年日本国有鉄道公示第45号(『官報』、1951年(昭和26年)3月10日、大蔵省印刷局)
- ^ a b 昭和27年日本国有鉄道公示第353号(『官報』、1952年(昭和27年)10月18日、大蔵省印刷局)。なお、1956年(昭和31年)4月30日限りを以て、同線経塚駅 - 大西駅 - 野口駅間における一般乗合旅客自動車運送事業は廃止され、同年5月1日からは経塚駅 - 野口駅間に太美駅が開業し、同駅経由の路線に変更された(昭和31年日本国有鉄道公示第166号)。
- ^ a b 昭和28年日本国有鉄道公示第434号(『官報』、1953年(昭和28年)12月24日、大蔵省印刷局)
- ^ a b 昭和28年日本国有鉄道公示第432号及び433号(『官報』、1953年(昭和28年)12月24日、大蔵省印刷局)
- ^ a b c 『北日本新聞』(6面)、1983年(昭和58年)4月1日、北日本新聞社
- ^ 昭和30年日本国有鉄道公示第366号(『官報』、1955年(昭和30年)10月27日、大蔵省印刷局)
- ^ 昭和32年日本国有鉄道公示第356号(『官報』、1957年(昭和32年)9月21日、大蔵省印刷局)。なお、1960年(昭和35年)5月27日からは福光東町駅 - 西太美駅間において一般乗合旅客自動車運送事業が開始された(昭和35年日本国有鉄道公示第256号)。
- ^ 昭和32年日本国有鉄道公示第352号(『官報』、1957年(昭和32年)9月21日、大蔵省印刷局)
- ^ 昭和37年日本国有鉄道公示第656号(『官報』、1962年(昭和37年)12月27日、大蔵省印刷局)
- ^ 昭和37年日本国有鉄道公示第654号(『官報』、1962年(昭和37年)12月27日、大蔵省印刷局)
- ^ 昭和37年日本国有鉄道公示第658号(『官報』、1962年(昭和37年)12月27日、大蔵省印刷局)
- ^ 昭和38年日本国有鉄道公示第84号(『官報』、1963年(昭和38年)3月5日、大蔵省印刷局)
- ^ 昭和38年日本国有鉄道公示第83号(『官報』、1963年(昭和38年)3月5日、大蔵省印刷局)
- ^ 昭和39年日本国有鉄道公示第244号(『官報』、1964年(昭和39年)5月29日、大蔵省印刷局)
- ^ 昭和39年日本国有鉄道公示第367号(『官報』、1964年(昭和39年)8月18日、大蔵省印刷局)
- ^ a b 昭和40年日本国有鉄道公示第495号(『官報』、1965年(昭和40年)9月4日、大蔵省印刷局)
- ^ 昭和40年日本国有鉄道公示第496号(『官報』、1965年(昭和40年)9月4日、大蔵省印刷局)
- ^ 昭和40年日本国有鉄道公示第493号(『官報』、1965年(昭和40年)9月4日、大蔵省印刷局)
- ^ 昭和40年日本国有鉄道公示第494号(『官報』、1965年(昭和40年)9月4日、大蔵省印刷局)
- ^ 昭和41年日本国有鉄道公示第740号(『官報』、1966年(昭和41年)11月26日、大蔵省印刷局)
- ^ 福光町史編纂委員会編、『福光町史 下巻』(396頁)、2011年(平成23年)3月、南砺市
- ^ 『北日本新聞』(10面)、1967年(昭和42年)12月21日、北日本新聞社
- ^ 昭和43年日本国有鉄道公示第463号(『官報』、1968年(昭和43年)12月13日、大蔵省印刷局)
- ^ 昭和43年日本国有鉄道公示第462号及び463号(『官報』、1968年(昭和43年)12月13日、大蔵省印刷局)
- ^ 昭和44年日本国有鉄道公示第309号(『官報』、1969年(昭和44年)10月1日、大蔵省印刷局)
- ^ 昭和45年日本国有鉄道公示第278号(『官報』、1970年(昭和45年)7月10日、大蔵省印刷局)
- ^ 昭和47年日本国有鉄道公示第73号(『官報』、1972年(昭和47年)6月1日、大蔵省印刷局)
- ^ 昭和49年日本国有鉄道公示第208号(『官報』、1974年(昭和49年)9月12日、大蔵省印刷局)
- ^ 昭和55年日本国有鉄道公示第108号(『官報』、1980年(昭和55年)9月20日、大蔵省印刷局)
- ^ a b c 『北日本新聞』(17面)、1983年(昭和58年)4月1日、北日本新聞社
- ^ 昭和60年日本国有鉄道公示第187号及び188号(『官報』、1985年(昭和60年)3月13日、大蔵省印刷局)
- ^ 昭和60年日本国有鉄道公示第181号(『官報』、1985年(昭和60年)3月12日、大蔵省印刷局)
- ^ 「国鉄バス立美線廃止」、『北日本新聞』朝刊21面、1986年(昭和61年)11月2日、北日本新聞社。なお、同線の代替として1987年(昭和62年)10月30日より福光町営バスが運行を開始した(福光町史編纂委員会編、『福光町史 下巻』(432頁)、2011年(平成23年)3月、南砺市〉。
- ^ 昭和61年日本国有鉄道公示第172号(『官報』、1986年(昭和61年)12月10日、大蔵省印刷局)
- ^ 昭和62年日本国有鉄道公示第210号(『官報』、1987年(昭和62年)2月5日、大蔵省印刷局)
- ^ a b 福光町役場企画情報課編、『福光町の歩み私たちの五十年 合併五十周年記念誌』(114頁)、2002年(平成14年)2月、福光町
- ^ なお同線は同年12月1日より加越能鉄道が運行することとなった(「加越能鉄道が来月から代替 福光のJRバス路線」、『北日本新聞』朝刊25面、2001年(平成13年)11月29日、北日本新聞社)
- ^ a b c d キヨスク福光駅店 名残惜しまれ「閉店」へ - 2014年(平成26年)8月15日、北日本新聞社
- ^ 郡司武編、『週刊朝日百科 JR全駅・全車両基地』43号(25頁)、2013年(平成25年)6月、朝日新聞出版
- ^ 川島令三編、『中部ライン 全線・全駅・全配線第6巻 加賀温泉駅 - 富山エリア』(35及び64頁)、2010年(平成22年)9月、講談社
- ^ データで見るJR西日本2016 - 西日本旅客鉄道
- ^ 福光駅に手作り座布団贈る 南砺福光高家庭クラブ - 2010年(平成22年)12月26日、北日本新聞社
- ^ JR福光・城端駅に座布団設置 南砺福光高生が手作り - 2013年(平成25年)12月25日、北日本新聞社
- ^ 手縫い座布団どうぞ 南砺福光高生、福光・城端駅に設置 - 2014年(平成26年)12月24日、北日本新聞社
- ^ 福光タクシー株式会社 お知らせ
- ^ 『福光駅跨線橋 自由通路に 南砺市 東側に改札口新設』北日本新聞 2019年2月28日23面
- ^ 昭和55年日本国有鉄道公示第108号(『官報』、1980年(昭和55年)9月20日、大蔵省印刷局)
- ^ 日本国有鉄道貨物営業局編、『専用線一覧表 昭和42年7月1日』(164頁)、1967年(昭和42年)8月、日本国有鉄道貨物営業局
- ^ 日本国有鉄道貨物局編、『専用線一覧表 昭和45年10月1日』(209頁)、1970年(昭和45年)、日本国有鉄道貨物局
- ^ 統計年鑑 - 富山県
- ^ 高岡-桑の院・坪池線及び砺波-金沢線の廃止について - 2016年(平成28年)9月14日、加越能バス
関連項目
外部リンク
- 福光駅|駅情報:JRおでかけネット - 西日本旅客鉄道
- 『ふくみつ ~昭和38年~』 - とやまデジタル映像ライブラリー。1963年(昭和38年)当時の福光駅の映像を含む。