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「大学前駅 (新潟県)」の版間の差分

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2020年2月15日 (土) 12:10時点における版

大学前駅
だいがくまえ
DAIGAKUMAE
土合口 (0.4 km)
(0.4 km) 高校前
地図
所在地 新潟県長岡市四郎丸
北緯37度26分26.6秒 東経138度51分31.5秒 / 北緯37.440722度 東経138.858750度 / 37.440722; 138.858750座標: 北緯37度26分26.6秒 東経138度51分31.5秒 / 北緯37.440722度 東経138.858750度 / 37.440722; 138.858750
所属事業者 越後交通
所属路線 越後交通栃尾線
キロ程 1.9 km(悠久山起点)
駅構造 地上駅
開業年月日 1924年(大正13年)5月1日
廃止年月日 1973年(昭和48年)4月16日
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大学前駅(だいがくまええき)は、かつて新潟県長岡市四郎丸に存在した、越後交通栃尾線である。1973年(昭和48年)4月16日、栃尾線の部分廃止により廃駅となった。

駅構造

地上駅。詳しい構造は不明であるが、有効長約60mの荷役線があり、後述のように昭和30年代まで貨物取扱が行われていた[1]

歴史

  • 1924年大正13年)5月1日 - 栃尾鉄道による悠久山 - 長岡間開業(これにより全線開通)に伴い開業。 当初は四郎丸(しろうまる)駅と称した[2]
  • 1956年(昭和31年)
    • 11月20日 - 社名変更に伴い栃尾電鉄の駅となる。
    • 12月1日 - 大学前に駅名変更。
  • 1960年(昭和35年)10月1日 - 長岡鉄道、中越自動車との3社合併により越後交通の駅となる。
  • 1961年(昭和36年)9月 - 浪花屋製菓、星野製菓の貨物取扱終了。
  • 1973年(昭和48年)4月16日 - 栃尾線の悠久山 - 長岡間部分廃止により廃駅となる。

駅跡

敷地全体は分譲住宅地となり痕跡はないが、跡地の悠久山通りに面した一角に四郎丸交番が立つ。その正面より北に延びる路盤跡は遊歩道「シンボルロード」として整備され、車輪のモニュメントがある。

駅周辺

駅のすぐ北を悠久山通り(国道352号国道404号)が東西に走る。 当駅近傍には浪花屋製菓、星野製菓(後に合併、現・越後製菓)の工場があり、当駅から貨物発送が行われていた[1]がトラック輸送に切り替えられ終了した。現在は両社とも他所に工場移転している。 その他、周辺施設等を以下に示す(あいうえお順)。

その他

  • 1927年(昭和2年)、四郎丸町を起点、荒屋敷町(現・長岡市表町、平潟神社付近)を終点とする延長線(約1.8km)敷設免許が交付されたが、着工に至らず免許失効、幻に終わった。
  • 直近には越後交通バス・学校町一丁目停留所が悠久山通りにあり、悠久山行き系統を含め長岡駅東口を起点とする多数の便が停車する。ただし悠久山方面のルートは路線跡からやや離れている。
  • 駅周辺は線路を境界線として東側が学校町、西側が四郎丸町となっており、線路などは四郎丸側(現・四郎丸1・2丁目)に位置した。


隣の駅

越後交通
栃尾線(廃止)
土合口 - 大学前 - 高校前

出典

  1. ^ a b 『懐かしのトッテツ(栃尾鉄道)』, p. 25.
  2. ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1924年5月8日(国立国会図書館デジタルコレクション)

参考文献

  • 多川昌敏 著、懐かしのトッテツ編集委員会 編『懐かしのトッテツ(栃尾鉄道)』小川作蔵、あさひ印刷所、2009年5月25日。 

外部リンク