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2020年3月17日 (火) 10:44時点における版
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名前 | ||||||
本名 | イアン・ジェームズ・ラッシュ MBE | |||||
ラテン文字 | Ian Rush | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ウェールズ | |||||
生年月日 | 1961年10月20日(63歳) | |||||
出身地 | セント・アサフ | |||||
身長 | 183cm | |||||
体重 | 79kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1979-1980 | チェスター・シティ | 34 | (18) | |||
1980-1987 | リヴァプール | 224 | (139) | |||
1987-1988 | ユヴェントス | 29 | (12) | |||
1988-1996 | リヴァプール | 245 | (90) | |||
1996-1997 | リーズ・ユナイテッド | 36 | (3) | |||
1997-1998 | ニューカッスル・U | 10 | (2) | |||
1998 | シェフィールド・U (loan) | 4 | (0) | |||
1998-1999 | レクサム | 18 | (0) | |||
1999-2000 | シドニーOFC | 2 | (1) | |||
- | 合計 | 602 | (265) | |||
代表歴2 | ||||||
1980-1996[1] | ウェールズ | 73 | (28) | |||
監督歴 | ||||||
2004-2005 | チェスター・シティ | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。2008年9月6日現在。 2. 2008年9月6日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
イアン・ジェームズ・ラッシュ(Ian James Rush MBE, 1961年10月20日 - )は、ウェールズのセント・アサフ出身の元同国代表サッカー選手。ポジションはFW(CF)。
抜群のスピードと高い決定力を併せ持った1980年代から1990年代のウェールズを代表する選手。スピードを生かした的確なポジショニングと、左右両足から繰り出す正確なシュート(ワンタッチゴール)で得点を挙げた[2]。
来歴
クラブ
ラッシュは1979年に3部リーグのチェスター・シティFCで選手経歴を開始、翌1980年に30万ポンドの移籍金でリヴァプールFCへ移籍した。リヴァプールでは1980年から1987年の間に、UEFAチャンピオンズカップ優勝1回、リーグ優勝4回、FAカップ優勝とタイトルを総なめにし、ケニー・ダルグリッシュ、グレアム・スーネス、らと共にリヴァプールの黄金時代を築き上げた。
1983-84シーズンには32得点を挙げリーグ得点王とヨーロッパ・ゴールデンブーツ賞を受賞、リーグ、リーグカップの二冠とUEFAチャンピオンズカップ 1983-84優勝に貢献[3] 。この活躍によりPFA年間最優秀選手賞とFWA年間最優秀選手賞を同時受賞した。なお、1984年12月にはヨーロッパチャンピオンとしてトヨタカップに出場。前評判ではラッシュやダルグリッシュらを擁するリヴァプールが優位だったが、アルゼンチンのCAインデペンディエンテに0-1で敗れた。
1987年に300万ポンドの移籍金でイタリアのユヴェントスへ移籍[4]。1986-87シーズン限りで現役を引退したミシェル・プラティニの後の得点源として期待をされたが、29試合7ゴールと多くの結果を残すことは出来ず、当時のイングランドクラブの最高額でリヴァプールへ復帰した。
復帰後は本来の調子を取り戻し、1989-90年のリーグ優勝、1991-92年シーズンのFAカップ決勝では得点を決め優勝に貢献、1992-93年シーズンから3年連続2二桁得点を記録し、1994-95年シーズンにはリーグカップの制覇に貢献した。しかし1995-96年シーズンになると若手のロビー・ファウラーの台頭や、コリーモアーの加入もあって出場機会が減少、途中出場が多くなった。1996年FAカップ決勝のマンチェスターU戦で途中出場したのを最後にリヴァプールを離れた。エヴァートンなどの複数のチームが獲得に興味を示したが[5]、 リーズ・ユナイテッドへ移籍したが3ゴールを決めたのみに終わる。その後かつて共にプレーした、ダルグリシュ監督の誘いでニュー・カッスルへ移籍。2000年にオーストラリアのシドニー・オリンピックFCで現役を引退した。
ウェールズ代表
ウェールズ代表としては1980年にデビューを飾り、1996年に引退するまで国際Aマッチ78試合出場28得点を記録した。キャップ数と得点数はいずれもウェールズ歴代最多記録となっている。
1990年から1991年に行われたUEFA欧州選手権1992予選では1990 FIFAワールドカップ優勝のドイツや、同ベスト16のベルギーと同じ組となる厳しい組み合わせだったが、マーク・ヒューズやディーン・ソーンダースらと共にチームを牽引し、1990年10月17日のホームでのベルギー戦を3-1、1991年6月5日のホームでのドイツ戦ではラッシュの決勝点で1-0で勝利するなど、強国を相手に勝ち点9を上げ、本大会出場まであと一歩まで詰め寄った。
しかし、現役生活を通じてFIFAワールドカップやUEFA欧州選手権の予選を突破し本大会へ出場することは叶わなかった。
引退後
引退後の2003年にジェラール・ウリエ監督の下、古巣のリヴァプールFCのストライカーコーチを務めマイケル・オーウェンらを指導。[6] 2004年8月にフットボールリーグ2部のチェスター・シティFCの監督に就任したが、翌2005年4月6日に辞任した[7]。
2006年にイングランドサッカー殿堂入りを果たした。
エピソード
少年時代はリヴァプールFCのライバルのエヴァートンFCのファンであった[8]。ラッシュはエヴァートンとのマージーサイドダービーにおいて現役通算で25得点を記録している。
個人タイトル
- フットボールリーグ1部 得点王 1回(1983年)
- PFA年間最優秀若手選手賞 1回(1983年)
- PFA年間最優秀選手賞 1回(1984年)
- FWA年間最優秀選手賞 1回(1984年)
- 20世紀の偉大なサッカー選手100人 40位(ワールドサッカー誌選出 1999)
脚注
- ^ “Ian Rush - Goals in International Matches”. Rec.Sport.Soccer Statistics Foundation. 2014年6月15日閲覧。
- ^ 週刊サッカーマガジン 編『サッカーマルチ大事典 改訂版』ベースボール・マガジン社、2006年、504-505頁。ISBN 4-583-03880-1。
- ^ 欧州に君臨するレッズ - UEFA.com 2009年4月24日閲覧
- ^ “Ian Rush Biography”. bbc.co.uk. 4 February 2011時点のオリジナルよりアーカイブ。12 July 2014閲覧。
- ^ Royle eyes Rush Daily Record, 29 February 1996
- ^ Liverpoolfc.tv: Profile - 2009年4月24日閲覧
- ^ シェバに影響を与えた英雄 - UEFA.com 2009年4月24日閲覧
- ^ Liverpoolfc.tv: Profile - 2009年4月24日閲覧