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2020年3月23日 (月) 09:50時点における版
大阪教育大学附属天王寺小学校 | |
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過去の名称 |
大阪府師範学校附属演習小学校 大阪府尋常師範学校附属小学校 大阪府師範学校附属小学校 大阪府天王寺師範学校附属小学校 大阪府天王寺師範学校附属国民学校 大阪第一師範学校附属国民学校 大阪第一師範学校男子部附属小学校 大阪第一師範学校附属小学校 大阪学芸大学附属天王寺小学校 大阪教育大学教育学部附属天王寺小学校 |
国公私立の別 | 国立学校 |
設置者 | 大阪教育大学 |
設立年月日 | 1877年 |
創立者 | 大阪府 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
所在地 | 〒545-0053 |
公式サイト | 大阪教育大学附属天王寺小学校 |
プロジェクト:学校/小学校テンプレート |
大阪教育大学附属天王寺小学校(おおさかきょういくだいがくふぞくてんのうじしょうがっこう)は、大阪市阿倍野区にある大阪教育大学附属の国立小学校。
概要
1877年(明治10年)に開校し、1953年(昭和28年)3月から1955年1月に現在の校地へ移転した。
2012年度から1クラス35名で3クラス編成で、教育基本法と学校教育法に基づき義務教育として行われる普通教育のうち基礎的なもの[1]を教育し、「個が生きる学校」を教育目標に生活習慣の確立を目指している。保護者とともに居住する居宅から、天王寺駅・大阪阿部野橋駅から学校までの10分を含み公共交通機関で40分以内で通学可能なことが、入学条件である。
教育大学に付属する研究校であるため、新しい試行、他施設の教職員らの見学、教育実習などが多く、本校独自の研究会は年度毎に研究テーマを設け、毎週木曜日に1クラスだけが研究授業を行ない結果を翌年2月に発表する。研究団体の会場校として夏休みや休日に授業することもある。
大阪教育大学附属天王寺中学校へ例年約60人程度が連絡進学する。
指導方針
- 高い学力を目指すには、正しい生活習慣を確立することが必要なことだと考えている。
- 公共機関の車中では「喋らない。動かない。座らない」。
使命
初等普通教育を行うとともに、大阪教育大学の附属学校として、教育の理論と実践に関する研究を行うことを目的としている。
校内施設
- 給食制である。土曜の授業はない。
行事
3年より宿泊行事がある。
- 修学旅行(6年、5月)- 富士山方面
- 林間学舎(3・4年、8月)
- 臨海学舎(5・6年、7月)- 5年生は300m、6年生は1kmを泳ぐ。学校で1年生の時から水泳教室で指導する。
- 運動会(10月)
- 学芸会(12月)
- 耐寒遠足(1~5年、2月)- 二上山へ行く。1月中は、そのための練習として、校庭で早朝マラソンを実施している。
- スキー教室(6年、2月)
沿革
大阪府師範学校(1874年教員伝習所として創設)は1877年6月、北区常安町(現在の北区中之島4丁目)に校舎を構えた。これに伴い1877年7月15日、大阪府師範学校内に附属演習学校を設置したことが学校の始まりとなっている。
大阪府師範学校は1880年以降一時法円坂に移転し、当時東区にあった私立森小学校を附属演習学校とした。旧敷地は大阪府立中学校(大阪府立北野高等学校の前身)となった。大阪府師範学校は1881年に、中之島の旧敷地に再度移転して大阪府立中学校と合併している(後に再分離)。旧敷地復帰の際には公立田蓑小学校(のち中之島小学校[2])を附属演習学校とした。
1882年9月には師範学校内に附属小学校を併設した。
明治時代中期には中之島の校地が狭隘化したため、1901年に師範学校の男子部と女子部を分離し、それぞれ別の校地に移転することになった。師範学校男子部は1901年に南区天王寺南河堀町(現在の大阪教育大学天王寺キャンパス)へと移転している(1908年大阪府天王寺師範学校に改称)。その際に附属小学校も天王寺の師範学校校舎内に移転している。
1941年には国民学校令により、大阪府天王寺師範学校附属国民学校となった。1943年には師範学校が官立に移管し、従来の大阪府天王寺師範学校は大阪府女子師範学校(かつての大阪府師範学校女子部)と合併した上で、大阪第一師範学校へと改編された。これに伴い附属国民学校も国立となり、大阪第一師範学校男子部附属国民学校へと改称した。
太平洋戦争の戦局悪化により、1944年には初等科3年以上の児童を対象に南河内郡東条村(現在の富田林市)へ学童集団疎開を実施している。また高等科生徒については1945年、泉北郡信太村(現在の和泉市)へ勤労動員された。
学制改革に伴い、1947年に新制小学校・大阪第一師範学校男子部附属小学校が発足した。高等科は廃止され、新設の附属中学校へと転用されている。
なお学制改革に伴って師範学校が新制大阪学芸大学に移行したことに伴い、小学校の校名も大阪学芸大学大阪第一師範学校男子部附属小学校(1949年)・大阪学芸大学附属天王寺小学校(1951年)と短期間で変遷している。
また新制大阪学芸大学の発足により大学設備の拡充が必要になったことから、従来師範学校および大学に同居していた附属小学校については別の敷地に移転する必要が生じた。1951年5月には3年生以上の児童について、浪速区・大阪市立敷津小学校の校舎を借りて仮移転した。1・2年生児童については天王寺の旧校舎に残っていた。
1951年12月には現在地の校地の買収が行われ、1953年3月に3年生以上の児童が敷津小学校から現在地の校舎へと移転している。その後1945年4月に2年生が天王寺から現在地に移転し、また1955年1月に1年生が天王寺から現在地に移転して完全移転となった。
1967年には設置母体の名称変更により、大阪教育大学附属天王寺小学校へと改称した。また1973年には大阪教育大学教育学部附属天王寺小学校と改称し、2004年には独立行政法人化により大阪教育大学附属天王寺小学校へと再改称している。
年表
- 1877年7月 - 中之島に設置された大阪府師範学校内に附属演習学校を設置。
- 1883年
- 7月 - 大阪府尋常師範学校附属小学校へ改編。
- 9月 - 高等科を併設。
- 1898年4月 - 大阪府師範学校附属小学校と改称。
- 1901年3月 - 南区天王寺南河堀町(現在の大阪教育大学天王寺キャンパス内)に校舎を新築移転。
- 1908年4月 - 大阪府天王寺師範学校附属小学校へ改称。
- 1941年4月 - 国民学校令により、大阪府天王寺師範学校附属国民学校へ改称。
- 1943年4月 - 師範学校の改編(国へ移管)により、大阪第一師範学校附属国民学校に改称。
- 1944年9月 - 南河内郡東条村(現在の富田林市)へ集団疎開。
- 1947年4月 - 学制改革に伴う新制小学校の発足により、大阪第一師範学校男子部附属小学校となる。高等科廃止。
- 1951年
- 1953年3月 - 阿倍野区の現校舎へ移転(1955年1月完全移転)。
- 1967年6月 - 大学の名称変更により、大阪教育大学附属天王寺小学校へ改称。
- 1973年4月 - 大阪教育大学教育学部附属天王寺小学校に改称。
- 2004年4月 - 国立大学法人(独立行政法人)化に伴い、設置者が国立大学法人大阪教育大学へ移管。大阪教育大学附属天王寺小学校に改称。
交通
参考文献
- 大阪教育大学教育学部附属天王寺小学校『若松 創立百二十周年記念誌』1997年。
- 大阪教育大学教育学部附属天王寺小学校『若松 創立百十周年記念誌』1987年。
- 大阪教育大学附属天王寺小学校『若松 創立九十周年記念誌』1967年。
脚注
- ^ 平成27年度 大阪教育大学附属天王寺小学校【学校評価】 (PDF)
- ^ 1944年堂島小学校へ統合し廃校。統合先はさらに複数回の統合を重ね、大阪市立大阪北小学校を経て現在は大阪市立扇町小学校。