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「南都夜曲」の版間の差分

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==解説==
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歌詞は恋した客に振られた[[台南市|台南]]の[[遊女]]が失恋の哀愁を嘆く模様を描くものであり、[[安平港]]・[[延平路]]など台南の風物も取り入れられた。ただし、これら風物はもともと[[秦淮河]]・[[紫金山]]など南京のものであり、1964年ごろに台南出身の[[音楽家]]・[[郭一男]]により現在のものに変更されたが<ref name="博物館"/>、台南のものに書き換えた理由はまだ謎のままである<ref name="台灣大百科全書">{{Cite web|url=http://nrch.culture.tw/twpedia.aspx?id=20728|title=台灣大百科全書 - 南都夜曲|accessdate=2018-03-13|author=|date=2009-12-31|publisher=[[中華民国文化部]]}}</ref>。一説によると、[[国共内戦]]で敗れた[[介石政権]]が台湾に撤退した後、この歌詞は[[台湾国民政府|国民政府]]に対する風刺だと見なされ、修正を余儀なくなった。
歌詞は恋した客に振られた[[台南市|台南]]の[[遊女]]が失恋の哀愁を嘆く模様を描くものであり、[[安平港]]・[[延平路]]など台南の風物も取り入れられた。ただし、これら風物はもともと[[秦淮河]]・[[紫金山]]など南京のものであり、1964年ごろに台南出身の[[音楽家]]・[[郭一男]]により現在のものに変更されたが<ref name="博物館"/>、台南のものに書き換えた理由はまだ謎のままである<ref name="台灣大百科全書">{{Cite web|url=http://nrch.culture.tw/twpedia.aspx?id=20728|title=台灣大百科全書 - 南都夜曲|accessdate=2018-03-13|author=|date=2009-12-31|publisher=[[中華民国文化部]]}}</ref>。一説によると、[[国共内戦]]で敗れた[[介石政権]]が台湾に撤退した後、この歌詞は[[台湾国民政府|国民政府]]に対する風刺だと見なされ、修正を余儀なくなった。


== 脚注 ==
== 脚注 ==

2020年9月15日 (火) 15:02時点における版

「南京夜曲」
月鶯シングル
リリース
録音 テイチクエンタテインメント
ジャンル 歌謡曲
作詞・作曲 陳達儒郭玉蘭
テンプレートを表示
南都夜曲
繁体字 南都夜曲
発音記号
閩南語
閩南語白話字Lâm-to͘ Iā-khek

南都夜曲』(なんとやきょく、ラムトーヤーキク、台湾語白話字Lâm-to͘ Iā-khek)は、1939年[1]に発表された台湾語民謡であり、作詞者は陳達儒、作曲者は雪蘭郭玉蘭)である。「南都」とは台南府城の雅称であるが、発表時の題名は『南京夜曲』(台湾語:Lâm-kiaⁿ Iā-khek)であった。戦後にタイトルと歌詞を現在のものに変更された[2][3]

解説

歌詞は恋した客に振られた台南遊女が失恋の哀愁を嘆く模様を描くものであり、安平港延平路など台南の風物も取り入れられた。ただし、これら風物はもともと秦淮河紫金山など南京のものであり、1964年ごろに台南出身の音楽家郭一男により現在のものに変更されたが[3]、台南のものに書き換えた理由はまだ謎のままである[2]。一説によると、国共内戦で敗れた蔣介石政権が台湾に撤退した後、この歌詞は国民政府に対する風刺だと見なされ、修正を余儀なくなった。

脚注

  1. ^ 荘永明 (2010年10月29日). “臺語歌謠史略─兼談日治時代流行歌”. 《大同大学通識教育年報》第七期. 2018年3月13日閲覧。
  2. ^ a b 台灣大百科全書 - 南都夜曲”. 中華民国文化部 (2009年12月31日). 2018年3月13日閲覧。
  3. ^ a b 陳静寛, 黄裕元 (2015年10月30日). “戰爭做為一種流行:從二戰時期(1937-1945)相關商品文物看臺灣本土社會的戰爭觀” (PDF). 《歷史臺灣》第十期. 国立台湾歴史博物館. pp. pp.31-66. 2018年3月13日閲覧。

関連項目