コンテンツにスキップ

「桒田慎一朗」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
219.118.244.56 (会話) による ID:80556341 の版を取り消し
タグ: 取り消し
Cewbot (会話 | 投稿記録)
36行目: 36行目:
[[沼隈郡]][[沼隈町]](現・福山市)にある、[[ツネイシ・スポーツアクト]]が運営する[[FCバイエルン・ミュンヘン|バイエルン・ミュンヘン]]提携スクールのFCバイエルン・ツネイシ出身。桒田が在籍していた当時は[[サンフレッチェ広島F.C|サンフレッチェ広島]]の提携スクールで、名前は「サンフレッチェ[[みろくの里]]ジュニアユース」であった。2期上に[[寄井憲]]がいる。このころはFWとして活躍していた。
[[沼隈郡]][[沼隈町]](現・福山市)にある、[[ツネイシ・スポーツアクト]]が運営する[[FCバイエルン・ミュンヘン|バイエルン・ミュンヘン]]提携スクールのFCバイエルン・ツネイシ出身。桒田が在籍していた当時は[[サンフレッチェ広島F.C|サンフレッチェ広島]]の提携スクールで、名前は「サンフレッチェ[[みろくの里]]ジュニアユース」であった。2期上に[[寄井憲]]がいる。このころはFWとして活躍していた。


2002年、広島ユースに昇格、同級生に[[前田俊介]]、[[佐藤昭大]]、[[高萩洋次郎]]、[[柳一誠]]、[[森脇良太]]、[[藤井大輔 (サッカー選手)|藤井大輔]]、[[大屋翼]]、[[冨成慎司]]。昇格後、FWからトップ下やボランチにコンバートされる。2003年2年次に試合経験をつみ急成長<ref name="TYUGOKU050119">{{Cite web|date=2005-01-19|url=http://www1.chugoku-np.co.jp/Sanfre/05kikaku/shinjin/kuwada.html|title=飛翔へ サンフレの新人たち|publisher=[[中国新聞]]|accessdate=2014-01-05}}</ref>、2004年3年次にはトップ下としてチームの中心的な選手<ref name="tyugoku20090222">{{Cite web|publisher=中国新聞|date=2009-02-22|url=http://www1.chugoku-np.co.jp/Sanfre/Sw200902220069.html|title=MF桑田、練習試合3発 「判断力磨く」 宮崎キャンプ|accessdate=2014-01-05}}</ref> として活躍、[[高円宮杯U-18サッカーリーグ プリンスリーグ中国|JFAプリンスリーグU-18中国]]ではMVPを獲得。同年にはユース3大大会のうち3大会とも決勝に進出、2冠制覇に貢献した<ref name="TYUGOKU050119" />。
2002年、広島ユースに昇格、同級生に[[前田俊介]]、[[佐藤昭大]]、[[高萩洋次郎]]、[[柳一誠]]、[[森脇良太]]、[[藤井大輔 (サッカー選手)|藤井大輔]]、[[大屋翼]]、[[冨成慎司]]。昇格後、FWからトップ下やボランチにコンバートされる。2003年2年次に試合経験をつみ急成長<ref name="TYUGOKU050119">{{Cite web|date=2005-01-19|url=http://www1.chugoku-np.co.jp/Sanfre/05kikaku/shinjin/kuwada.html|title=飛翔へ サンフレの新人たち|publisher=[[中国新聞]]|accessdate=2014-01-05}}</ref>、2004年3年次にはトップ下としてチームの中心的な選手<ref name="tyugoku20090222">{{Cite web|publisher=中国新聞|date=2009-02-22|url=http://www1.chugoku-np.co.jp/Sanfre/Sw200902220069.html|title=MF桑田、練習試合3発 「判断力磨く」 宮崎キャンプ|accessdate=2014-01-05}}</ref> として活躍、[[高円宮杯U-18サッカーリーグ プリンスリーグ中国|JFAプリンスリーグU-18中国]]ではMVPを獲得。同年にはユース3大大会のうち3大会とも決勝に進出、2冠制覇に貢献した<ref name="TYUGOKU050119" />。


2005年にトップ昇格、同期に前田、佐藤、高柳、森脇、[[入船和真]]、[[中尾真那]]、[[西河翔吾]]<ref name="TYUGOKU050119" />。常石JYから初のトップ昇格選手。同年、ナビスコカップでは初ゴールも決めた。[[小野剛 (サッカー指導者)|小野剛]]や[[望月一頼]]時代はほぼ毎試合ベンチ入りを果たすものの、怪我による離脱もありなかなか試合出場が叶わなかった<ref name="sigma200704">[[紫熊倶楽部]]2007年4月号</ref><ref name="sanyo101218">{{Cite web|date=2010-12-18|url=http://svr.sanyo.oni.co.jp/feature/sports/fagi/2010/12/18/20101218123526.html|title=広島のMF桑田を獲得|publisher=[[山陽新聞]]|accessdate=2010-12-18|deadlinkdate=2014-01-05}}</ref>。2006年終盤には持ち前のユーティリティーな能力を[[ミハイロ・ペトロヴィッチ]]監督に評価され、MFだけではなくFWとしても出場した。2008年[[FUJI XEROX SUPER CUP|XEROX SUPER CUP]]にも先発出場。同年10月でリーグ戦初ゴール、2009年も活躍が期待されていた<ref name="tyugoku20090222" /> が、リーグ戦開幕前の3月5日練習中に左膝[[前十字靭帯]]断裂と内側側副靭帯損傷し長期離脱することとなった<ref>{{Cite web|publisher=サンフレッチェ広島公式|date=2009-03-05|url=http://www.jsgoal.jp/official/00078000/00078645.html|title=桑田慎一朗選手の負傷について|accessdate=2014-01-05}}</ref><ref>{{Cite web|publisher=中国新聞|date=2010-01-12|url=http://www1.chugoku-np.co.jp/Sanfre/Sw201001210072.html|title=桑田、再起へ「今年こそ」 きついメニュー黙々|accessdate=2014-01-05}}</ref>。復帰し、トップ下として出場するもチャンスを生かせず、2010年末に構想外となった<ref>{{Cite web|publisher=中国新聞|date=2010-11-28|url=http://www1.chugoku-np.co.jp/Sanfre/Sw201011280076.html|title=桑田、下田も 計5選手と来季契約せず|accessdate=2014-01-05}}</ref>。
2005年にトップ昇格、同期に前田、佐藤、高柳、森脇、[[入船和真]]、[[中尾真那]]、[[西河翔吾]]<ref name="TYUGOKU050119" />。常石JYから初のトップ昇格選手。同年、ナビスコカップでは初ゴールも決めた。[[小野剛 (サッカー指導者)|小野剛]]や[[望月一頼]]時代はほぼ毎試合ベンチ入りを果たすものの、怪我による離脱もありなかなか試合出場が叶わなかった<ref name="sigma200704">[[紫熊倶楽部]]2007年4月号</ref><ref name="sanyo101218">{{Cite web|date=2010-12-18|url=http://svr.sanyo.oni.co.jp/feature/sports/fagi/2010/12/18/20101218123526.html|title=広島のMF桑田を獲得|publisher=[[山陽新聞]]|accessdate=2010-12-18|deadlinkdate=2014-01-05}}</ref>。2006年終盤には持ち前のユーティリティーな能力を[[ミハイロ・ペトロヴィッチ]]監督に評価され、MFだけではなくFWとしても出場した。2008年[[FUJI XEROX SUPER CUP|XEROX SUPER CUP]]にも先発出場。同年10月でリーグ戦初ゴール、2009年も活躍が期待されていた<ref name="tyugoku20090222" /> が、リーグ戦開幕前の3月5日練習中に左膝[[前十字靭帯]]断裂と内側側副靭帯損傷し長期離脱することとなった<ref>{{Cite web|publisher=サンフレッチェ広島公式|date=2009-03-05|url=http://www.jsgoal.jp/official/00078000/00078645.html|title=桑田慎一朗選手の負傷について|accessdate=2014-01-05}}</ref><ref>{{Cite web|publisher=中国新聞|date=2010-01-12|url=http://www1.chugoku-np.co.jp/Sanfre/Sw201001210072.html|title=桑田、再起へ「今年こそ」 きついメニュー黙々|accessdate=2014-01-05}}</ref>。復帰し、トップ下として出場するもチャンスを生かせず、2010年末に構想外となった<ref>{{Cite web|publisher=中国新聞|date=2010-11-28|url=http://www1.chugoku-np.co.jp/Sanfre/Sw201011280076.html|title=桑田、下田も 計5選手と来季契約せず|accessdate=2014-01-05}}</ref>。

2020年11月30日 (月) 03:01時点における版

桒田 慎一朗
名前
愛称 クワシン
カタカナ クワダ シンイチロウ
ラテン文字 KUWADA Shinichiro
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1986-12-06) 1986年12月6日(37歳)
出身地 広島県福山市
身長 176cm
体重 67kg
選手情報
ポジション MF
利き足 右足
ユース
2002-2004 日本の旗 サンフレッチェ広島ユース(吉田高)
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2005-2010 日本の旗 サンフレッチェ広島 55 (1)
2011-2013 日本の旗 ファジアーノ岡山 46 (2)
2014 タイ王国の旗 ナコーンラーチャシーマーFC
1. 国内リーグ戦に限る。2014年1月5日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

桒田 慎一朗(くわだ しんいちろう、1986年12月6日 - )は、日本の元プロサッカー選手、サッカー指導者。広島県福山市奈良津町出身。ポジションはミッドフィールダー広島県立吉田高等学校卒業

来歴

沼隈郡沼隈町(現・福山市)にある、ツネイシ・スポーツアクトが運営するバイエルン・ミュンヘン提携スクールのFCバイエルン・ツネイシ出身。桒田が在籍していた当時はサンフレッチェ広島の提携スクールで、名前は「サンフレッチェみろくの里ジュニアユース」であった。2期上に寄井憲がいる。このころはFWとして活躍していた。

2002年、広島ユースに昇格、同級生に前田俊介佐藤昭大高萩洋次郎髙柳一誠森脇良太藤井大輔大屋翼冨成慎司。昇格後、FWからトップ下やボランチにコンバートされる。2003年2年次に試合経験をつみ急成長[1]、2004年3年次にはトップ下としてチームの中心的な選手[2] として活躍、JFAプリンスリーグU-18中国ではMVPを獲得。同年にはユース3大大会のうち3大会とも決勝に進出、2冠制覇に貢献した[1]

2005年にトップ昇格、同期に前田、佐藤、高柳、森脇、入船和真中尾真那西河翔吾[1]。常石JYから初のトップ昇格選手。同年、ナビスコカップでは初ゴールも決めた。小野剛望月一頼時代はほぼ毎試合ベンチ入りを果たすものの、怪我による離脱もありなかなか試合出場が叶わなかった[3][4]。2006年終盤には持ち前のユーティリティーな能力をミハイロ・ペトロヴィッチ監督に評価され、MFだけではなくFWとしても出場した。2008年XEROX SUPER CUPにも先発出場。同年10月でリーグ戦初ゴール、2009年も活躍が期待されていた[2] が、リーグ戦開幕前の3月5日練習中に左膝前十字靭帯断裂と内側側副靭帯損傷し長期離脱することとなった[5][6]。復帰し、トップ下として出場するもチャンスを生かせず、2010年末に構想外となった[7]

2011年、ストヤノフと共にファジアーノ岡山に完全移籍した[4]。主力として期待されていた[8] が、リーグ戦開幕前の2月21日練習中に右膝前十字靭帯損傷し長期離脱することとなった[9]。復帰以降主力として活躍するも、2013年シーズン終了後、契約満了により退団[10]

2014年、タイ・ディヴィジョン1リーグ(2部)のナコーンラーチャシーマーFCに移籍する[11] も1年で退団する。

現在は地元のツネイシ・スポーツアクト所属でバイエルン常石コーチ。広島県東部サッカーリーグ所属の福山市職でもプレーする。

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2003 広島Y 20 - - - 1 0 1 0
2005 広島 32 J1 8 0 2 1 1 0 11 1
2006 9 0 3 0 1 0 13 0
2007 20 12 0 7 1 1 0 20 1
2008 J2 14 1 - 2 0 16 1
2009 J1 0 0 0 0 0 0 0 0
2010 12 0 3 0 1 1 16 1
2011 岡山 11 J2 2 0 - 0 0 2 0
2012 21 0 - 0 0 21 0
2013 23 2 - 1 0 24 2
タイ リーグ戦 リーグ杯FA杯 期間通算
2014 ナコーンラーチャシーマー Div1
通算 日本 J1 41 0 15 2 4 1 60 3
日本 J2 60 3 - 3 0 63 3
日本 - - 1 0 1 0
タイ Div1
総通算 101 3 15 2 8 1 124 6
その他の公式戦
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFCACL
2010 広島 20 2 1
通算 AFC 2 1

出場歴・タイトル

クラブチーム

個人タイトル
アンダーカテゴリー
トップチーム

代表

アンダーカテゴリー

脚注

  1. ^ a b c 飛翔へ サンフレの新人たち”. 中国新聞 (2005年1月19日). 2014年1月5日閲覧。
  2. ^ a b MF桑田、練習試合3発 「判断力磨く」 宮崎キャンプ”. 中国新聞 (2009年2月22日). 2014年1月5日閲覧。
  3. ^ 紫熊倶楽部2007年4月号
  4. ^ a b 広島のMF桑田を獲得”. 山陽新聞 (2010年12月18日). 2010年12月18日閲覧。[リンク切れ]
  5. ^ 桑田慎一朗選手の負傷について”. サンフレッチェ広島公式 (2009年3月5日). 2014年1月5日閲覧。
  6. ^ 桑田、再起へ「今年こそ」 きついメニュー黙々”. 中国新聞 (2010年1月12日). 2014年1月5日閲覧。
  7. ^ 桑田、下田も 計5選手と来季契約せず”. 中国新聞 (2010年11月28日). 2014年1月5日閲覧。
  8. ^ 主力の桑田 一柳大けが”. 山陽新聞 (2011年3月1日). 2011年3月1日閲覧。[リンク切れ]
  9. ^ 桑田選手、一柳選手の怪我について”. J's GOAL (2011年2月28日). 2014年1月5日閲覧。
  10. ^ 契約満了選手のお知らせ”. ファジアーノ岡山 (2013年11月29日). 2014年1月5日閲覧。
  11. ^ อีวาน คุวาดะ ร่วมซ้อม และเก็บตัว กับเพื่อนร่วมทีม ที่ อ.ปากช่อง แล้ว” (タイ語). koratswatcat.com (2014年1月5日). 2014年1月5日閲覧。

関連項目