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「保守中道」の版間の差分

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以下のように、用いる者により、その指す対象も異なる、多様な概念である。
以下のように、用いる者により、その指す対象も異なる、多様な概念である。
# [[中野晃一]]を中心とする[[アジア・パシフィック・イニシアティブ]]の「政党政治検証プロジェクト第2弾『検証 日本の中道保守』」は、[[政策]]的な文脈に基づき、[[宏池会]]などの「'''[[保守本流]]'''」を指して「中道保守」と呼び、「戦後保守」の「土台」だったと分析している<ref name="中道保守"/>。
# [[中野晃一]]を中心とする[[アジア・パシフィック・イニシアティブ]]の「政党政治検証プロジェクト第2弾『検証 日本の中道保守』」は、[[政策]]的な文脈に基づき、[[宏池会]]などの「'''[[保守本流]]'''」を指して「中道保守」と呼び、「戦後保守」の「土台」だったと分析している<ref name="中道保守"/>。
# 古くは、[[戦後]]の[[連合国軍占領下の日本|占領下]]に結成された[[日本進歩党]]→[[民主党 (日本 1947-1950)|民主党(1947~1950)]]{{Efn2|name=民主党(1947~1950)|中道とされた[[協同民主党]]、[[国民党 (日本)|国民党]]の両党が合流した[[国民協同党]]と、更に合流して[[国民民主党 (日本 1950-1952)|国民民主党(1950~1952)]]を結成し、その後、[[改進党]]、[[日本民主党]]を経て[[保守合同]]に至り、[[55年体制]]下で現在の[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]の源流の一つになっている。}}など、「[[日本自由党 (1945-1948)|日本自由党]]の左、[[社会党右派|日本社会党右派]]{{Efn2|name=社会党右派|後の民主社会党→[[民社党]]の母体。}}の右」の位置を指して使用され<ref name="民主党・日本進歩党"/>、この[[人間関係|人脈]]的な文脈では、いわゆる「'''[[保守傍流]]'''」を指す。
# 古くは、[[戦後]]の[[連合国軍占領下の日本|占領下]]に結成された[[日本進歩党]]→[[民主党 (日本 1947-1950)|民主党(1947~1950)]]{{Efn2|name=民主党(1947~1950)|中道とされた[[協同民主党]]、[[国民党 (日本)|国民党]]の両党が合流した[[国民協同党]]と、更に合流して[[国民民主党 (日本 1950)|国民民主党(1950~1952)]]を結成し、その後、[[改進党]]、[[日本民主党]]を経て[[保守合同]]に至り、[[55年体制]]下で現在の[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]の源流の一つになっている。}}など、「[[日本自由党 (1945-1948)|日本自由党]]の左、[[社会党右派|日本社会党右派]]{{Efn2|name=社会党右派|後の民主社会党→[[民社党]]の母体。}}の右」の位置を指して使用され<ref name="民主党・日本進歩党"/>、この[[人間関係|人脈]]的な文脈では、いわゆる「'''[[保守傍流]]'''」を指す。
# [[森田実]]は、[[自公連立政権]]のことを[[保守政党|'''保守'''政党]]である自民党と[[中道政治|'''中道'''政党]]である[[公明党]]との[[連立政権]]という意味で「保守中道政権」と呼んでいる<ref name="自公連立"/>。
# [[森田実]]は、[[自公連立政権]]のことを[[保守政党|'''保守'''政党]]である自民党と[[中道政治|'''中道'''政党]]である[[公明党]]との[[連立政権]]という意味で「保守中道政権」と呼んでいる<ref name="自公連立"/>。
# [[玉木雄一郎]]は、自らが代表(党首)を務める[[国民民主党 (日本 2018)|国民民主党]]として「『中道保守』を目指している」と述べている<ref>{{Cite news|和書|title=国民民主党・玉木雄一郎代表インタビュー!「『中道保守』政党を目指す」「小沢氏は『政権交代実現担当』として不可欠」|newspaper=[[夕刊フジ]]|date=2019-05-29|author=[[安積明子]]|url=https://www.zakzak.co.jp/soc/news/190529/soc1905290006-n2.html|accessdate=2020-06-10|publisher=[[産業経済新聞社]]}}</ref>。
# [[玉木雄一郎]]は、自らが代表(党首)を務める[[国民民主党 (日本 2018)|国民民主党]]として「『中道保守』を目指している」と述べている<ref>{{Cite news|和書|title=国民民主党・玉木雄一郎代表インタビュー!「『中道保守』政党を目指す」「小沢氏は『政権交代実現担当』として不可欠」|newspaper=[[夕刊フジ]]|date=2019-05-29|author=[[安積明子]]|url=https://www.zakzak.co.jp/soc/news/190529/soc1905290006-n2.html|accessdate=2020-06-10|publisher=[[産業経済新聞社]]}}</ref>。

2020年12月26日 (土) 10:42時点における版

保守中道(ほしゅちゅうどう)[1]、又は、中道保守(ちゅうどうほしゅ)[2]とは、遅くとも1980年代から使用され[3]、2020年現在も使用されている[4]、政治的な保守から中道政治にまたがる概念。

用法・対象

以下のように、用いる者により、その指す対象も異なる、多様な概念である。

  1. 中野晃一を中心とするアジア・パシフィック・イニシアティブの「政党政治検証プロジェクト第2弾『検証 日本の中道保守』」は、政策的な文脈に基づき、宏池会などの「保守本流」を指して「中道保守」と呼び、「戦後保守」の「土台」だったと分析している[2]
  2. 古くは、戦後占領下に結成された日本進歩党民主党(1947~1950)[注 1]など、「日本自由党の左、日本社会党右派[注 2]の右」の位置を指して使用され[3]、この人脈的な文脈では、いわゆる「保守傍流」を指す。
  3. 森田実は、自公連立政権のことを保守政党である自民党と中道政党である公明党との連立政権という意味で「保守中道政権」と呼んでいる[1]
  4. 玉木雄一郎は、自らが代表(党首)を務める国民民主党として「『中道保守』を目指している」と述べている[5]

脚注

注釈

  1. ^ 中道とされた協同民主党国民党の両党が合流した国民協同党と、更に合流して国民民主党(1950~1952)を結成し、その後、改進党日本民主党を経て保守合同に至り、55年体制下で現在の自由民主党の源流の一つになっている。
  2. ^ 後の民主社会党→民社党の母体。

出典

関連項目