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* [[木曜ゴールデンドラマ]]「ホスピタルはバラ色に!」(1991年12月26日、[[讀賣テレビ放送|読売テレビ]])
* [[木曜ゴールデンドラマ]]「ホスピタルはバラ色に!」(1991年12月26日、[[讀賣テレビ放送|読売テレビ]])
* [[キライじゃないぜ]](1992年、TBS) - 田中先生 役
* [[キライじゃないぜ]](1992年、TBS) - 田中先生 役
* [[古谷一行の金田一耕助シリーズ#名探偵・金田一耕助シリーズ|金田一耕助の傑作推理16 病院坂の首縊りの家]](1992年12月28日、TBS) - 山内敏男 役
* [[古谷一行の金田一耕助シリーズ#名探偵・金田一耕助シリーズ(1983年 - 2005年)|金田一耕助の傑作推理16 病院坂の首縊りの家]](1992年12月28日、TBS) - 山内敏男 役
* [[悪魔のKISS]](1993年、フジテレビ) - 金田の使いのヤクザ 役
* [[悪魔のKISS]](1993年、フジテレビ) - 金田の使いのヤクザ 役
* [[RUN]](1993年、TBS)
* [[RUN]](1993年、TBS)

2021年4月18日 (日) 07:14時点における版

うかじ たかし
宇梶 剛士
別名義 津村 浩
生年月日 (1962-08-15) 1962年8月15日(61歳)
出生地 日本の旗 日本東京都新宿区[1]
身長 188 cm[2]
血液型 B型
職業 俳優タレントレポーター
ジャンル 映画テレビドラマ舞台
活動期間 1981年 -
配偶者 既婚
著名な家族 宇梶静江(母)
浦川治造(叔父)
事務所 オフィス33
主な作品
テレビドラマ
未成年
ウルトラマンガイア
新選組!
離婚弁護士II〜ハンサムウーマン〜
任侠ヘルパー
仮面ライダーオーズ/OOO
ストロベリーナイト
半沢直樹
映画
お父さんのバックドロップ
キングダム
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宇梶 剛士(うかじ たかし、1962年8月15日 - )は、日本俳優タレントオフィス33所属。劇団PATHOS PACK主宰者。

経歴

誕生 - 少年時代

1962年東京都新宿区西大久保1丁目(現:歌舞伎町2丁目)の「東京都立大久保病院」で生まれる[1]。出生時は体重が5,000gもあり、都の健康優良児の表彰を受けている[1]。3歳から5歳までは東京都小平市に、それから小学2年時までは広島県安芸郡府中町で育ち[1][3]、その後東京都国立市に転居、国立市立国立第七小学校国立市立国立第一中学校を卒業[1]拓殖大学第一高等学校では野球部に所属し、大柄だったこともあり「将来の有望選手」としてプロ球団のスカウトが宇梶を見に何回か足を運びに来たほどの実力であった。

暴走族時代 - デビュー前

だが、その高校時代に部活内でのいじめやシゴキを告発したことにより逆に学校側からの隠蔽にあい2ヶ月間、野球をする事を許されずグラウンドの端に監視付きで立たされていたが、その当時の担任や他の大人は誰一人声をかけてこず、大人を信用できなくなる[4][5]、そのことがきっかけで外で暴力事件を起こし逮捕され、少年鑑別所に入所。出所後に高校を中退し、しばらく叔父のいる北海道浦河郡浦河町二海郡八雲町で労働機会を得るも更生できず、東京家庭裁判所からの呼び出しを口実に帰京[1]。その後は暴走族に加わり、当時日本最大組織とされたブラックエンペラーの三多摩地区のヘッドから後に7代目名誉総長となり、この時代に得た一生の友のことをテレビ番組でたびたび熱く語っている。同じく元暴走族のヒロミは「僕らがガキだった頃、とんでもなく有名だった人」とコメントしている。[要出典]また八王子在住の作家で同世代のゲッツ板谷の著書に、「伝説的存在だった」との記述がある。そして暴走族同士の抗争で再び逮捕。家庭裁判所へ送致され、少年院へ収容。

少年院での生活において改心。この時に読んだチャップリンの伝記が俳優を志すきっかけとなる[3]と同時に高校復学のための勉強に励み、その後明治大学付属中野高等学校定時制を卒業、同級生には近藤真彦野村義男野々村真つちやかおり佐久間レイ、藤慎一郎(神力裕)他多数のアイドル芸能人がいた。パパイヤ鈴木布川敏和らは後輩。

当時、出演したドラマの『ザ・ハングマン』は犯人役であったが、同回の誘拐される少女役の横田ひとみも同級生だった。

デビュー後

にしきのあきらの付き人をしていた18歳の時[6]、事務所の使いで藤映像コーポレーションを訪問したところ、菅原文太から「お前、何者だ。歌い手か」と呼び止められ、「いえ、俳優になりたいんですが、どうやったらなれるのかわからないので、にしきのさんのところでお手伝いをしています」と答えたところ、菅原はすぐにしきのの事務所に電話をかけ、「おたくのところのでかいの、もらっていいか」と言い、電話を切り、「ということでいいな」と言って菅原の付き人となった。以降、菅原をオヤジと呼んで慕っており、逝去後にはマスコミに菅原の追悼コメントを語っている。

美輪明宏に見出され、『青森県のせむし男』(寺山修司作)にて初舞台を踏み、美輪から紹介された渡辺えりなどの元で舞台経験を積む。若い頃はスリムで美男であり、18歳から2年間ほど、同じ事務所だった鶴田浩二から名前をもらって「津村 浩」の芸名で活動をしていた。長く無名で下積みの時代が続き、売れない時期は、芸能以外の仕事をして食いつないだり、もっぱら映画を鑑賞して過ごした。当時鑑賞した作品が現在の芸能活動の糧になっていると発言している。

1980年代後半になり多数のトレンディドラマに脇役で出演するようになると、徐々に知名度が上昇し、『ひとつ屋根の下2』(1997年)のピカリン(前園俊雄)役でブレイク[7]、以降多数のテレビドラマ映画で活躍。一方で舞台出身であることから『打打芝居』(1990年結成)、『damim』(1999年10月結成)といった演劇ユニットを主宰し、自らプロデュース公演の形で舞台を制作してきたが、2007年には「劇団」という形でしか表現できない舞台作りを追求したいとの思いから、金井良信平野貴大らと共に『劇団PATHOS PACK』を結成[8]

2019年4月24日、広島ホームテレビみみよりライブ 5up!』に出演し、手づくり工房ごーあっぷホーム 古民家をDIYで大人の隠れ家を作ろう プロジェクトリーダーに就任。広島で1年かけて活動していく。

俳優業以外での活動

  • バラエティー番組でもたびたび暴走族出身という経歴がネタにされている。
  • 少年時代から続けてきた野球を生かし、2007年3月に岩手県に本拠地を置く野球クラブチーム『岩手21赤べこ野球軍団』の総監督に就任したが、同年12月に廃部。
  • 不良から立ち直ったという体験から、『ジェネジャン』パネリストとしては準レギュラーとも言えるほど頻繁に出演していた。現在も講演活動などを積極的に行っている。
  • 2020年に北海道白老町のアイヌ民族文化財団が運営する、ウポポイ(民族共生象徴空間)PRアンバサダーに就任。なお、ウポポイのオープン前より、ウポポイ開設PRアンバサダーも務めていた。

人物・エピソード

  • 2015年、7月公開の映画『未来シャッター高橋和勧監督作に、故菅原文太が内諾していたナレーターには宇梶が遺志を引き継いで出演している[9]
  • 2017年、富山県南砺市 井波総合文化センターにて行われた「平成29年度 第1回 南砺市民大学講演会」では、「いじめを受け入れることは『あってはならない事の日常化』であり、恐ろしいところに追い込まれているということ。」と、いじめを強く非難し、自らがいじめやシゴキに遭っていた経験から、いじめに対する批判を講演などにて行なっている[4][5]
  • 母親の宇梶静江アイヌ詩人古布絵作家で、民族運動家でもある。この事情から母は家庭不在のことが多く、青年期まで確執があったことや、高校での部活や学校の実態に対する反発が不良になった原因であると著書やメディアで自ら述べている。浦川治造は叔父に当たる。
  • 生い立ちとアイヌとの関わりが深いことから、北海道白老郡白老町にあるアイヌ民族博物館のアイヌ文化紹介VTRに進行役として出演している。また、叔父である浦川を追ったドキュメンタリー映画『カムイと生きる』のナレーションも務めている。
  • 1日に何か1つは甘い物を食べないと落ち着かないと公言する程の甘党である。特にチョコレートあんこが好き。
  • 暴走族時代、タイマンステゴロで挑んできた者には喧嘩の後に和解するなどしていたが、闇討ちなどの卑怯な手段で襲い掛かって来た時は容赦しなかったという。金崎浩之が語ったところによると、その時の宇梶は「鬼のように恐ろしい存在」だったという。

交友関係

出演

テレビドラマ

Webドラマ

  • ROAD TO EDEN(2017年10月26日 - 12月14日、フジテレビオンデマンド / 2018年1月18日 - 3月8日、フジテレビ) - カリコリ 役

映画

Vシネマ

ウェブドラマ

  • 日本をゆっくり走ってみたよ 〜あの娘のために日本一周〜(2017年 - 2018年、Amazonプライム・ビデオ) - バイク乗りのおじさん 役

舞台

劇場アニメ

テレビアニメ

PV

バラエティ番組

ドキュメンタリー番組

教養番組

  • 明日言いたくなる話(2015年10月4日 - 2016年9月11日、BS日テレ)

音楽関連番組

CM

著書

漫画原作

脚注

  1. ^ a b c d e f Profile”. 宇梶剛士公式サイト. 2017年12月25日閲覧。
  2. ^ 宇梶剛士のプロフィール”. 日本タレント名鑑. VIPタイムズ社. 2017年12月25日閲覧。
  3. ^ a b 宇梶 剛士 インタビュー【私のターニングポイント】”. 演劇ライフ. ニジボックス (2008年8月21日). 2013年2月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年12月25日閲覧。
  4. ^ a b お知らせ - 「転んだら、どう起きる?」 俳優の宇梶剛士さんが講演 | 南砺市(なんとし)”. www.city.nanto.toyama.jp. 2020年12月19日閲覧。
  5. ^ a b 宇梶 剛士 – 講演会・セミナー・イベントの講師紹介はコーエンプラス”. kouenplus.com. 2020年12月19日閲覧。
  6. ^ “「でかいの、もらっていいか」菅原文太さんの一言で弟子になった俳優”. dot.. (2015年2月16日). https://dot.asahi.com/wa/2015021300059.html 2016年11月10日閲覧。 
  7. ^ 宇梶剛士、暴走族から立ち直らせてくれたチャップリンとスタ丼”. Smart FLASH (2020年1月24日). 2020年8月31日閲覧。
  8. ^ 劇団プロフィール”. 劇団パトスパック. 2016年10月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年12月25日閲覧。
  9. ^ 見て終わりではなく、見た後が重要な映画 市民全員参加型の「未来シャッター」 | 共同通信社(OVO オーヴォより)、2015年6月23日記事配信、閲覧
  10. ^ 竹原慎二 (2010年1月24日). “府中町 3人 組じゃ”. 竹原慎二 オフィシャルブログ-竹原慎二はブタっ鼻. サイバーエージェント. 2017年12月25日閲覧。
  11. ^ 『仮面ライダー』撮影で山本太郎、吉川晃司にビビってワキ汗止まらず!”. ムービーコレクション (2010年12月19日). 2017年12月25日閲覧。
  12. ^ 武勇伝は数知れず 宇梶剛士“むちゃ飲み”引退決意の理由日刊ゲンダイDIGITAL 2018年3月19日
  13. ^ “17年大河『おんな城主 直虎』新出演者14人発表 柴咲コウ父は杉本哲太、母は財前直見”. ORICON STYLE. (2016年5月26日). http://www.oricon.co.jp/news/2072280/full/ 2016年5月27日閲覧。 
  14. ^ “再ブレイク中の斉藤由貴、平凡な主婦に訪れた刺激的な日々を熱演”. ORICON STYLE. (2016年9月14日). http://www.oricon.co.jp/news/2078435/full/ 2016年9月13日閲覧。 
  15. ^ 登場人物 連続テレビ小説「なつぞら」
  16. ^ “木村拓哉×長澤まさみ「マスカレード・ホテル」追加キャスト20名登場の予告公開”. 映画ナタリー. (2018年10月18日). https://natalie.mu/eiga/news/304104 2018年10月18日閲覧。 
  17. ^ 映画「キングダム」信は山崎賢人、政は吉沢亮!キャスト、監督らが製作発表会見”. コミックナタリー. ナターシャ (2018年10月9日). 2018年10月9日閲覧。
  18. ^ 日本国内での放映開始年。
  19. ^ “宇梶剛士:“腹筋CM”に再登板も余裕の笑み「今回の鉄球は、思ったよりも痛くないな」”. MANTANWEB. (2016年4月28日). http://mantan-web.jp/2016/04/28/20160427dog00m200042000c.html 2016年4月28日閲覧。 

関連項目

外部リンク