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* [[青春の門#テレビドラマ版|青春の門 自立篇]](1978年、MBS / 松竹)
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* [[気まぐれ本格派]] 第15話「男だったらやってみな」(1978年、NTV / ユニオン映画)
* [[気まぐれ本格派]] 第15話「男だったらやってみな」(1978年、NTV / ユニオン映画)
* [[江戸の渦潮]] 第2話「爽やかなり! 五月晴れ」(1978年、CX / 東宝)
* [[江戸の渦潮]] 第2話「爽やかなり! 五月晴れ」(1978年、CX / 東宝)

2021年4月18日 (日) 10:27時点における版

うちだ あさお
内田 朝雄
本名 内田 朝雄
生年月日 (1920-08-01) 1920年8月1日
没年月日 (1996-09-30) 1996年9月30日(76歳没)
出生地 朝鮮民主主義人民共和国の旗 朝鮮民主主義人民共和国 平壌
出身地 島根県横田町
死没地 東京都
国籍 日本の旗 日本
ジャンル 俳優
活動期間 1959年 - 1995年
活動内容 映画テレビドラマ舞台
配偶者 あり
著名な家族 内田岳志(長男)
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内田 朝雄(うちだ あさお、1920年8月1日[1][2] - 1996年9月30日[2])は、日本俳優。本名:内田 朝雄[1](うちだ ともお)[2]

日本領朝鮮(現・朝鮮民主主義人民共和国平壌出生[2]島根県出身[1][2]。平壌府第一中学卒業[1][2]。円型劇場[1]、劇団月光会を経て[1]、コヒナタ企画に所属していた[1]

息子は俳優の内田岳志

来歴・人物

日本領朝鮮(現・朝鮮民主主義人民共和国平壌に役人の子として生れる。中学校卒業後、満州炭鉱傘下の東満和竜炭鉱に入社。1941年(昭和16年)に応召し、終戦仁川で迎え、1945年(昭和20年)に復員。翌1946年北海道開拓公社に入社し、江別市開墾事業に従事した後、長野県上水内郡飯綱高原に入植するが、1950年(昭和25年)、地元の人間との意見対立から同地を引き払う。1951年(昭和26年)には宇部興産大阪支店セメント課に入社。

1952年(昭和27年)、会社員生活のかたわら、劇団「大阪円形劇場・月光会」を旗揚げ。

1958年(昭和33年)、「やる気十分の割に、学歴がなく不遇だった実業界」[3] に見切りをつけ、宇部興産を退社。劇団活動および俳優業に専念する。

1959年(昭和34年)、39歳でNHKテレビに初出演。同年、『花のれん』で映画デビュー。

1961年(昭和36年)、宝塚映画専属となり、多くの作品に脇役で出演。

1962年(昭和37年)、「大阪円形劇場・月光会」を解散。

1965年(昭和40年)、宝塚映画を退社し、東京に移住。『兵隊やくざ』など敵役を演じた。翌年、現代演劇協会・劇団欅に入団し、1969年からフリーとして各社の映画テレビドラマでの活動が中心となる。

1970年以降、『やくざ刑事シリーズ』の黒幕役、『トラ・トラ・トラ!』では東條英機役、『仁義なき戦いシリーズ』での一物持つ長老役、『女必殺拳シリーズ』の温厚な指導者など、幅広く演じ分けた。テレビドラマでは時代劇現代劇双方で活動し、『細うで繁盛記』、『青春の門』、『愛の嵐』などにレギュラー出演した。

宮沢賢治の研究者としても知られ、『私の宮沢賢治』などの著書がある。また、バルザック文献のコレクターでもあった。

1996年平成8年)9月30日午前0時40分、胃癌のため東京都内の病院で死去(享年76歳)[4]

出演

映画

テレビドラマ

著書

  • 私の宮沢賢治 付・政次郎擁護(1981年、農山漁村文化協会
  • 悪役の少年時代 ガキ大将がおしえるワンパクの道(1985年、ポプラ社
  • 続 私の宮沢賢治(1988年、農山漁村文化協会)

脚注

出典

  1. ^ a b c d e f g 日本タレント名鑑'82』VIPタイムズ社、1981年、33頁。 
  2. ^ a b c d e f “内田 朝雄(ウチダ アサオ)とは - コトバンク”. (n.d.). https://kotobank.jp/word/%E5%86%85%E7%94%B0%20%E6%9C%9D%E9%9B%84-1639731 2019年3月31日閲覧。 
  3. ^ 1979年,『キネマ旬報』第772号
  4. ^ 「渋いわき役・内田朝雄さん死去」 読売新聞1996年10月1日朝刊35面

関連項目