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「工藤美代子」の版間の差分

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*『なぜノンフィクション作家はお化けが視えるのか』中公文庫、2012年
*『なぜノンフィクション作家はお化けが視えるのか』中公文庫、2012年
*『百花繚乱―熟女が迎える生と性』海竜社、2012年
*『百花繚乱―熟女が迎える生と性』海竜社、2012年
*『悪童殿下 - 愛して怒って闘って [[寛仁親王|寬仁親王]]の波瀾万丈』幻冬舎、2013年
*『悪童殿下 - 愛して怒って闘って [[寬仁親王]]の波瀾万丈』幻冬舎、2013年
*『うつ病放浪記 絶望をこえて生きる』講談社、2013年
*『うつ病放浪記 絶望をこえて生きる』講談社、2013年
*『恋づくし [[宇野千代]]伝』中央公論新社、2015年
*『恋づくし [[宇野千代]]伝』中央公論新社、2015年
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* 『晩香坡の愛 田村俊子と鈴木悦』スーザン・フィリップス共著 ドメス出版 [[1982年]]
* 『晩香坡の愛 田村俊子と鈴木悦』スーザン・フィリップス共著 ドメス出版 [[1982年]]
* 『とはいえ、熟年離婚に物申す』[[ねじめ正一]]、メディア・パル [[2008年]]
* 『とはいえ、熟年離婚に物申す』[[ねじめ正一]]、メディア・パル [[2008年]]
* 『皇族の「公」と「私」 思い出の人、思い出の時』[[仁親王]]との対話、[[PHP研究所]]、2009年
* 『皇族の「公」と「私」 思い出の人、思い出の時』[[仁親王]]との対話、[[PHP研究所]]、2009年
* 『くじけてなるものか 笹川良一が現代に放つ警句80』幻冬舎、2011年、のち文庫 
* 『くじけてなるものか 笹川良一が現代に放つ警句80』幻冬舎、2011年、のち文庫 



2021年4月27日 (火) 14:45時点における版

くどう みよこ

工藤 美代子
生誕 (1950-03-27) 1950年3月27日(74歳)
東京都
国籍 日本の旗 日本
別名 加藤美代子(本名)
出身校 カレル大学中退
職業 ノンフィクション作家
配偶者 加藤康男 (編集者)
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工藤 美代子(くどう みよこ、1950年3月27日[1] - )は、日本ノンフィクション作家。本名は加藤 美代子(かとう みよこ)[1]

略歴・人物

東京都出身[1]。父はベースボール・マガジン社および恒文社を創設した池田恒雄[1]。母の実家は両国の工藤写真館[2]。両親が離婚したため工藤姓を名乗る[2]

大妻女子高校卒業[3]後、父の意向でチェコプラハカレル大学に入学するが中退[4][3]。1973年、カナダバンクーバーに移住[1]。その間、友人のスーザン・フィリップスと協力して田村俊子の伝記を執筆、『晩香坡の愛 - 田村俊子と鈴木悦』として上梓(ドメス出版、1982)。以後、ノンフィクション作家として活動するようになる。また、日本文学研究者の鶴田欣也を追ってバンクーバーに渡り、鶴田と結婚するが[4]、のち、離婚[5]

1991年、『工藤写真館の昭和』で講談社ノンフィクション賞受賞[6]。1993年、元集英社出版部長の加藤康男(元恒文社専務取締役、現ノンフィクション作家)と結婚[7]

新しい歴史教科書をつくる会副会長や国家基本問題研究所評議員を務めていた[3]

著作

単著

共編著

  • 『晩香坡の愛 田村俊子と鈴木悦』スーザン・フィリップス共著 ドメス出版 1982年
  • 『とはいえ、熟年離婚に物申す』ねじめ正一、メディア・パル 2008年
  • 『皇族の「公」と「私」 思い出の人、思い出の時』寬仁親王との対話、PHP研究所、2009年
  • 『くじけてなるものか 笹川良一が現代に放つ警句80』幻冬舎、2011年、のち文庫 

翻訳

脚注

  1. ^ a b c d e デジタル版 日本人名大辞典+Plus『工藤美代子』 - コトバンク
  2. ^ a b 『工藤写真館の昭和』
  3. ^ a b c 工藤美代子 | 2013年度グローバルリーダー育成塾 日本青年会議所
  4. ^ a b 『女が複眼になるとき』
  5. ^ 小谷野敦「鶴田欣也先生のこと」『リアリズムの擁護』新曜社
  6. ^ 講談社ノンフィクション賞”. 講談社. 2017年11月18日閲覧。
  7. ^ 『工藤写真館の昭和』講談社文庫版解説(大倉舜二)