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「高円宮」の版間の差分

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2021年4月27日 (火) 14:45時点における版

高円宮
家紋
高円宮菊
家祖 高円宮憲仁親王
三笠宮崇仁親王第3男子/大正天皇皇孫)
種別 皇族宮家
出身地 東京都
主な根拠地 東京都赤坂御用地
著名な人物 高円宮憲仁親王
憲仁親王妃久子
承子女王(第1女子)
〈以下皇籍離脱者〉
千家典子(典子女王・第2女子)
守谷絢子(絢子女王・第3女子)
凡例 / Category:日本の氏族
皇室






高円宮(たかまどのみや)は、憲仁親王宮号

ここでは1984年昭和59年)12月6日に創設された高円宮家についても解説する。現行の皇室典範の下で初の直宮家以外の宮家創設であり[1]2019年令和元年)現在、現存する唯一の直宮家以外の宮家である。現当主は憲仁親王妃久子。

1986年(昭和61年)12月2日に、東京都港区元赤坂二丁目1番6号(赤坂御用地内)に高円宮邸を新営した[2]

概要

「高円宮」の宮号は昭和天皇から賜ったもので[3]、父宮の宮号の由来となった奈良市東部の三笠山の近くにある高円山から採られた。当主の憲仁親王が男子()をもうけないまま2002年平成14年)に薨去した[4]ため、現行の皇室典範においては、憲仁親王妃久子および子の承子女王の薨去または皇籍離脱をもって宮家が断絶することになる。

2014年(平成26年)5月27日、典子女王の婚約が発表され[5]、結婚と同時に高円宮家から臣籍降嫁した。

2018年(平成30年)6月26日、絢子女王の婚約が発表され[6]、結婚と同時に高円宮家から臣籍降嫁した。

構成

性別 生年月日 現年齢 続柄
憲仁親王妃久子ひさこ 女性 1953年(昭和28年)07月10日 71歳
承子つぐこ女王 女性 1986年(昭和61年)03月08日 38歳 高円宮憲仁親王第一女子

薨去・離脱

性別 生年月日 現年齢 続柄 概要
高円宮憲仁のりひと親王 男性 1954年(昭和29年)12月29日 (故人) 三笠宮崇仁親王第三男子 2002年(平成14年)11月21日薨去(満47歳没)
典子のりこ女王(千家典子) 女性 1988年(昭和63年)07月22日 36歳 高円宮憲仁親王第二女子 2014年(平成26年)10月5日、千家国麿出雲大社禰宜)との婚姻により皇籍離脱
絢子あやこ女王(守谷絢子) 女性 1990年(平成02年)09月15日 34歳 高円宮憲仁親王第三女子 2018年(平成30年)10月29日、守谷慧(日本郵船社員・NPO法人国境なき子どもたち理事)との婚姻により皇籍離脱

系図

 
 
123 大正天皇
 
 
 
 
 
 
 
 
124 昭和天皇(大正天皇の子)三笠宮崇仁親王(大正天皇の子)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
第125代天皇
明仁(昭和天皇の子)
寬仁親王(三笠宮崇仁親王の子)桂宮宜仁親王(三笠宮崇仁親王の子)高円宮憲仁親王(三笠宮崇仁親王の子)
 
 
 
久子(高円宮憲仁親王の妻)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
第126代天皇
徳仁(第125代天皇明仁の子)
承子女王(高円宮憲仁親王の子)千家典子(高円宮憲仁親王の子)
千家国麿夫人)
守谷絢子(高円宮憲仁親王の子)
守谷慧夫人)

脚注

  1. ^ その後の直宮家以外の宮家創設は、4年後の1988年昭和63年)に憲仁親王の次兄の桂宮宜仁親王が独身で宮家(桂宮家)を創設した例がある(桂宮家は、2014年(平成26年)に宜仁親王の薨去により断絶)。
  2. ^ 1986年(昭和61年)12月3日『官報』第17941号15ページ「皇族御移転」
  3. ^ 1984年(昭和59年)12月6日宮内庁告示第11号「天皇陛下は、昭和五十九年十二月六日、憲仁親王殿下に、高円宮の称号を賜つた件」
  4. ^ 2002年(平成14年)11月25日宮内庁告示第9号「憲仁親王殿下が薨去された件」
  5. ^ 典子女王殿下のご婚約内定について - 宮内庁 2014年(平成26年)5月27日
  6. ^ 絢子女王殿下のご婚約内定について - 宮内庁 2018年(平成30年)6月26日

関連項目

外部リンク