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* 三郎左:[[岩田翼]]
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* 加納久道:[[石塚理恵]]
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2021年6月16日 (水) 06:52時点における版

大奥
ジャンル 時代劇歴史改変SF
漫画
作者 よしながふみ
出版社 白泉社
掲載誌 MELODY
レーベル ジェッツコミックス
発表号 2004年8月号 - 2021年2月号
巻数 全19巻
話数 全79話
テンプレート - ノート
ポータル 漫画

大奥』(おおおく)は、よしながふみによる日本少女漫画。隔月刊誌『MELODY』(白泉社)にて2004年8月号から2021年2月号まで連載された[1]

連載中からいくつかの重要な日本の漫画賞を受賞しているほか、ジェンダーに対する理解を深める内容を称えられジェイムズ・ティプトリー・ジュニア賞を受賞するなど、日本国外からも評価されている。雑誌『ダ・ヴィンチ』が発表した2012年の「Book of the Year 2012」では、女性誌コミックランキング部門で4位を記録した[2]。2020年12月時点でコミックスの累計発行部数は電子版を含めて600万部を突破している[1]

メディアミックスも行われ、2010年に実写映画化され[3]、2012年にテレビドラマと映画第2作による続編[4]が製作された(#実写作品を参照)。

作風

日本の江戸時代をモデルとした世界で、謎の疫病で男子の人口が急速に減少した結果、社会運営の根幹や権力が男から女に移っていく様を江戸城大奥を中心に描く。

徳川家の代々の将軍達や要職にあった者など、歴史上では男性である人物が女性に、女性である人物が男性に置き換えられている。春日局が大奥を作ったことや、当時の「カピタン本国報告」にある、「御簾越しに家光拝謁し、少年のような声だと思った。拝謁の場は若い男性ばかり同座していた。市中で女性が多く働いているのを見た」などの詳細な史実と、フィクションを織り交ぜたストーリー構成となっている。掲載誌『MELODY』での扉絵や柱にある粗筋では「男女逆転!パラレル時代劇」「これは日本の江戸時代とは似て非なる物語」と必ず記載されており、いわゆるSF作品(歴史改変SF)であると位置付けされている。

あらすじ

江戸幕府将軍徳川家光の時代、関東のとある田舎村で熊に襲われた少年を発端に、後に「赤面疱瘡(あかづらほうそう)」と呼ばれる奇妙な病が日本中に広がっていった。この病は「若い男子にのみ感染」「感染すれば致死率80%」ということ以外対処法も治療法も発見されず、結果として男子の人口は女子の約1/4にまで激減し、日本の社会構造は激変した。男子は希少な種馬として育てられ、他家に婿に行くか、婿の取れない貧しい家に一晩いくらで貸し出されるか、遊郭で体を売るかの人生を送ることに。一方、女子はかつての男子の代わりとして労働力の担い手となり、あらゆる家業が女から女へと受け継がれるようになる。江戸城でも三代家光以降将軍職は女子へと引き継がれ大奥は将軍の威光の証であるがごとく希少な男子を囲い、俗に美男三千人などと称される男の世界が築かれていた。

女子相続が当たり前となり、かつて男が社会を取り仕切っていたことも忘れられた時代。八代将軍に就任した吉宗は、女が男の名を名乗りながら家督を継ぐ世の中を疑問に思い、御右筆による大奥の歴史の記録『没日録』を読み始める。

以降の作中では、吉宗の時代に追いつくまで、家光時代以来の過去の歴史が語られる。なお章分けについては、公式では「家光・有功編」など連名による名称や、「医療編」「幕末編」など複数の将軍の時代を跨いで展開するものもあるが、本項では便宜上、将軍の代替わりで区切って記述する。

家光編

赤面疱瘡が日本中に広まりつつあった三代将軍・家光(男)の時代。京から江戸城を訪れた公家出身の美貌の僧・有功は、春日局の脅迫により小僧の玉栄とともに無理矢理還俗させられ、家光の小姓となるべく大奥に入れられる。しかしそこで明かされたのは、「実は本来の家光はすでに赤面疱瘡で死亡しており、有功の大奥入りは家光の落胤である少女・千恵に世継ぎをもうけさせるため。将軍家の存続のために、大奥は春日局によって男性中心の世界に作り替えられている」という真実だった。

有功は千恵と交流するうちに、彼女が将軍の身代わりにされ女としての人生を剥奪されてきた数々の辛い過去を知る。有功は千恵の女性としての存在を肯定、千恵もまた彼を愛し、愛情に満たされた彼女は元々の聡明さを発揮して政への才覚を見せるようになる。

春日局亡きあと、千恵は全国の大名たちに対して本来の家光の死を明かし、自ら女将軍・家光として統治していくことを宣言する。男子の減少に悩まされていた大名らもこれに追随し、世の家督は女子が相続することが基本となってゆく。

その後、有功との間に子を成せなかった千恵は、玉栄を含む側室たちとの間に3人の女児をもうけ、27歳で死去する。千恵の死にともなって玉栄は落飾桂昌院となったが、有功は出家せず、大奥総取締として千恵の遺言に従い大奥に留まり続けることとなる。

家綱編

千恵の長女・千代姫は11歳で四代将軍・家綱となる。家綱は政治に興味を示さず、幕臣の進言に対して全て「左様せい」で片付けてしまうため「左様せい様」とあだ名されていた。しかし、有功や家光時代の優秀な幕臣の支えにより政権は安定を維持する。

江戸で明暦の大火が発生した晩、避難の際に有功と二人きりになった家綱は、突如彼への好意を告白する。有功は大火からの大奥の復興に尽力したあと、出家し大奥を去った。家綱はその後、世継ぎの無いまま死去し、五代将軍は千恵と玉栄の娘である綱吉となる。

綱吉編

五代将軍となった綱吉は、側用人・柳沢吉保と共に先代とは打って変わって政治的手腕を発揮する一方、愛くるしく妖艶な容姿を武器に奔放な性生活を送っていた。綱吉は正室・信平が京から呼び寄せた側室候補・右衛門佐を気に入るが、右衛門佐は年齢を理由に側室を辞退し、代わりに大奥総取締の地位に就く。

その矢先、既にもうけていた唯一の世継ぎ・松姫の急死により、綱吉は再度の子作りを迫られる。これにより、父・桂昌院と右衛門佐、それぞれの子飼いの側室たちによる綱吉の寵愛を巡る権力争いが激化。綱吉は自分に愛情を注いでくれる父の意向を無下にできず、閉経を迎えてなお若い男を囲い続け、江戸市中では赤穂事件生類憐れみの令も手伝って綱吉の評判が下落していった。善政を布けず世継ぎも作れない自分はなぜ生きているのかと自嘲する綱吉に、右衛門佐は「女と男の関係は子をなすことだけではない」と説く。右衛門佐と結ばれた綱吉は父の呪縛を断ち切り、次代将軍に父が嫌う綱重の子・家宣を指名するが、直後に右衛門佐は急死する。

その後、父・桂昌院はこの世を去り、綱吉も麻疹に倒れ危篤となる。側用人・吉保は病床の綱吉のもとを訪れ、心に秘めてきた綱吉への思いを告白しながら窒息死させる。その死は公式には麻疹による死とされ、吉保は家宣の将軍就任に伴い江戸城を去る。

家宣編

時はやや遡って綱吉存命時代。江戸の町でやさぐれた暮らしをしていた勝田左京は、賭けのトラブルで怪我を負ったところを家宣の側用人・間部詮房に拾われる。やがて左京は間部に恋心を抱くが、間部の思惑は左京を家宣の側室にすることだった。家宣に接した左京は家宣の人格に感銘を受け、間に後に世継ぎとなる千代姫をもうける。

六代将軍となった家宣は綱吉の悪政を正す事に奮闘し、庶民からも政治を期待されたが、虚弱のため就任後3年でこの世を去る。この時、主の死に乱心した間部に対し左京が半ば強引に一夜限りの関係を持ってしまったことが、江島生島事件の序章となる。

家継編

家宣の死により國熙は天英院、左京は月光院と落飾して名を改め、家宣と月光院の娘・千代姫が七代将軍家継となる。わずか4歳の家継は病弱ゆえに成人も危ぶまれたため、大奥では次代将軍候補を巡って紀州吉宗派の天英院と尾州継友派の間部・月光院が対立していた。そんな折、江島生島事件により、月光院側の人間である大奥総取締・江島が捕らえられる。月光院と間部の不義密通を証言させようという吉宗派の陰謀だったが、江島は一切を否定し、死罪を言い渡される。月光院は天英院に、次代将軍に吉宗を推す代わりに江島の助命と将軍交代後の間部の待遇維持を乞い、天英院はこれを受け入れる。

これにより八代将軍は吉宗に決定、その後、家継は7歳で病死する。

家重編

ここまでの大奥と日本の歴史を『没日録』を読んで知った吉宗は、男が少ない現状で諸外国に攻め込まれることを危惧し、赤面疱瘡撲滅に向けた取り組みを始める。同時に表の政治についても画期的な改革を行ない、やがて3人の娘にも恵まれ、将軍・吉宗の治世は安泰であるかに見えた。しかし世継ぎである長女・家重には言語障害があり、一方で次女の宗武は容姿端麗で聡明だったため「家重を廃嫡して宗武を世継ぎに」と周囲から提言される有様。家重の知能が正常であり身体の障害に苦しんでいることを知っていた吉宗は、家重が次代将軍であると宣言するが、周囲からの偏見と嘲りにさらされ続けていた家重は歪んだ性格になり、酒色に溺れる日々を送る。吉宗治世の負の遺産が出たこと、天災、さらには大御所として吉宗が健在であったため、家重の治世は無能と評価される。一方で家重の側用人・田沼意次は吉宗に見識の才を見出され、政治の表舞台で活躍し始める。

吉宗の死後、意次は吉宗の遺志を継いで赤面疱瘡対策に乗り出す。長崎で蘭方医学を学んでいた混血児・青沼を大奥に招いて大奥の男達に蘭学の講義を行ない、諸国を渡り歩く平賀源内からも情報を集めた。その過程で青沼らは、赤面疱瘡の治療策ではなく予防策を講じるべきではないかとの考えに至る。

家治編

家重は将軍職を長女・家治に譲り西の丸へ隠居し、家治は側用人・田沼意次を老中に取り立て幕政と赤面疱瘡の全面解明を託す。田沼はその手腕で大奥や幕閣から絶大な支持を得るが、蘭学奨励や唯金主義を推し進めたことにより、幕臣や江戸市中の庶民の中にも田沼を快く思わない者達が出始めていた。さらにその裏で、吉宗の孫であり一橋家の当主である治済が暗躍し始める。

一方、青沼と彼から蘭学を学んだ黒木らは、赤面疱瘡の予防法を探り、洋書で得た情報を元に人痘(種痘)法に辿り着く。源内が弱毒性患者を見つけてきたことによって人痘は成功し、成果をあげたが、接種を受けた者のうち松平定信の甥が副作用で死亡してしまう。さらに度重なる天災(浅間山噴火天明の大飢饉)・家治の世継ぎである家基の死・田沼の娘意知の暗殺等の出来事が積み重なり、力を失った田沼は家治の死と同時に失脚。青沼は死罪に処され、蘭学を学んだ黒木らは大奥から追放される。治済の陰謀により梅毒を患っていた源内も死亡し、残された黒木はあまりの理不尽に怒りをあらわにする。

十一代将軍の座に就くかと思われた治済だが、彼女は自身の息子・家斉を将軍にすると告げる。治済は、かつて家斉は青沼らの人痘接種を受けており、赤面疱瘡の心配は無いとして幕臣を説得。これにより、家光以来の男将軍・家斉が誕生する。

家斉編

男将軍として就任した家斉だが、政治に口を出すことは許されず、実権は母・治済が握っていた。治済は家斉に子作りを強制させ、その一方で、生まれた子らを退屈しのぎに暗殺していく。そんな中、家斉は治済に隠れて黒木らに接触し、極秘裏に赤面疱瘡研究を再開させる。やがて黒木らは熊の弱毒赤面疱瘡を種とする熊痘法に辿り着き、副作用のない赤面疱瘡予防に成功。だがその評判が江戸城まで届いたことにより、家斉が隠れて赤面疱瘡研究に手を貸していたことが治済に露見してしまう。

治済は家斉を毒殺しようとするが、その瞬間、毒に倒れたのは治済の方だった。実は家斉の正室・茂姫と側室・お志賀が、それぞれの子を毒殺したのが治済であることに気付き、長年にわたって家斉すら欺きながら治済暗殺の計画を進めていたのだ。治済の毒見役として自らも長年毒を摂り続けていたお志賀はその場で死亡、治済は一命をとりとめたものの話すことも身動きすることもできない身となった。

その後、家斉は本来の将軍としての力を発揮し、半ば強権的に赤面疱瘡予防接種を普及させていった。結果として男子の人口は急速に回復し、化政文化は頂点に達する。家斉は将軍職を息子・家慶に譲りつつも引き続き大御所として政治の実権を握り続け、数年後、治済毒殺未遂事件以来疎遠だった茂姫と和解し、この世を去った。

家慶編

男子の人口回復により、武家における男子相続が復活しつつある中、古くから徳川家に仕える阿部家では阿部正弘が女性当主として家督を相続した。寺社奉行として数々の手柄をあげた正弘は、幕閣から女性が減りつつある時勢の中、若くして老中に取り立てられることになる。正弘は懇意にしていた武家出身の陰間・瀧山を身請けし、共に日本のため、将軍のために働こうと誘いかける。

そして1853年、黒船来航の年に十三代将軍に就任したのは、家慶の娘・家定であった。

家定編

家定は幼少時より実父である家慶から性的虐待を受けていた。老中として江戸城に上がった正弘はそれを察知し、広大院(落飾後の茂姫)の協力を仰ぎつつ、家定を西の丸奥に囲い込んで家慶から守ることに成功する。西の丸奥の総取締には瀧山が就任した。その一方で、家慶の家定に対する執着は止んでおらず、家定が迎えた正室は二人連続で暗殺されてしまう。

その頃、日本の状況は変化し攘夷論が高まっていた。1853年に黒船が来航すると江戸は大騒動となり、家慶はパニックに陥り急死、家定が将軍となる。正弘は武士、町人、農民問わず意見を募らせ、海軍伝習所を設置するとともに日米通商条約を結び、二百年続いた鎖国体制は終焉を告げた。

そんな折、家定は島津胤篤と再々婚することになる。家定は胤篤が薩摩の策略により一橋家・徳川慶喜を擁立する使命を帯びて来たものと見破るが、家定の人となりに触れた胤篤は家定に心から尽くし、家定もまた胤篤に心を開いていった。やがて家定は胤篤の子を懐妊するも、臨月を迎えることなく薨去してしまう。胤篤は家定の遺言により、落飾することなく天璋院と名を改め、紀州徳川家から福子を養子に迎えて将軍に据えた。

家茂編

福子が家茂と名を改め将軍に就いて間もなく安政の大獄が起こる。公武合体の一環で孝明天皇の弟・和宮と家茂との婚礼が行われることとなったが、やって来た和宮は男のなりをした女だった。彼女は本物の和宮の姉・親子で、婚礼を嫌がる弟の身代わりをかって出たと明かす。弟ばかりを慈しむ母・観行院の愛情を欲しがっての行動だったが、家茂はそんな和宮に寄り添い、和宮も家茂に心を開いていく。

一方政治の世界では、攘夷派と開国派の軋轢が表面化してきており、薩摩に幕政の改革を求められたことから一橋慶喜を将軍後見人に据えることとなる。しかし慶喜は頭は切れるものの横柄な態度ゆえに人心を得ることができず、今後の政について協議すべく発足した参与会議もわずか二ヶ月で瓦解してしまう。薩摩・長州や朝廷などさまざまな思惑が入り乱れ、徳川幕府の存続も危ぶまれる事態になっていった。

そんな折、家茂は脚気に倒れる。国の、徳川の、そして和宮の行末を案じる家茂は病をおして孝明天皇のもとへ上洛するも、そのまま京で病死してしまう。「次代将軍には養子の亀之助を」との家茂の遺言は握り潰され、慶喜が徳川最後の将軍の位に就くこととなった。

大奥の終焉

家茂の死を口実にして幕府と長州の戦は回避されたが、大政奉還王政復古の大号令を経て、幕政の終わりはもはや避けられないものとなっていた。慶喜は官軍の名乗りを上げた新政府軍によって朝敵と謗られることを恐れ、前線から退いてしまう。慶喜から幕府軍の全権を丸投げされた勝海舟は、江戸への総攻撃を阻止すべく、新政府軍の指揮官・西郷隆盛との談判に臨んだ。西郷は、慶喜の身柄か江戸への総攻撃かを迫り、「女によって国を統治してきた徳川の恥ずべき歴史を無に帰す」ために慶喜の死が必要だと説く。それを聞いた和宮は激怒し乱入、自らが女であることを明かし、和宮の身代わり事件や孝明天皇の毒殺に新政府側の岩倉具視が関わっていることを盾に総攻撃の中止を迫った。その結果、「徳川家の代々の将軍はみな男であった」とすることで西郷は合意し、江戸城の無血開城は果たされた。徳川の女たちの歴史が全て闇に葬られる代わりに、彼女らが守り愛した江戸の町と民は守られることになったのである。

明治四年。薩摩の男子・島津胤篤として洋行に赴く天璋院が、同じ船で留学に向かう少女・(おそらく津田梅子)に、「女でも国を動かす人物になれる。実はこの国はかつて代々女が治めていた」と語るところで物語は幕を閉じる。

登場人物

吉宗編の人物

単行本1巻および7巻の吉宗編に登場する者についてまとめて記述する。

水野祐之進(みずの ゆうのしん) / 進吉(しんきち)
江戸生まれの貧乏な旗本の家の息子。物語開始時点で19歳。武芸に秀で師範代の腕前。多くの女から子種をと頼まれる美男子だが、貧しい女達への同情から金品を受け取らず種付けに応じていた。母の方針もあり金で体を売ることはせず、他家の手伝いをアルバイト的に多数こなしていたため大奥での労働も苦ではなく柔軟な一面もある。幼馴染みのお信のことが好きだが、身分が違うため結婚は諦めており、彼女への想いを断ち切るためと家計を助けるために、叔父の伝手で大奥にあがる。大奥では「水野」と呼ばれる。藤波の策略により御中﨟に昇進。吉宗のご内証の方に選ばれ、公には死罪になったが、吉宗の計らいで新しい名を与えられ、町人として生きることに[5]。お信と結婚して田嶋屋の婿となり店を手伝っていたが、後に吉宗考案の町火消しに参加する。
お信(おのぶ)
水野の幼馴染み。裕福な商家、薬種問屋・田嶋屋の跡取り娘。祐之進のことが好きで、彼が大奥に上がった後も忘れられず両親からの婿取りの話を拒み続けていた。後に進吉となって帰ってきた祐之進と結婚。
徳川吉宗(とくがわ よしむね) / 信(のぶ)
8代将軍。肝の据わった器で聡明。サバサバとしており物事をはっきりと言う性格だがそれ故に人情の機微が今ひとつ理解できない面がある。本人も自覚している。武芸の達人。質素を好み、将軍職に就く前は木綿小袖で過ごしていた。仕事に熱心で幕府の財政難において質素倹約を宗に掲げる。豪華な打掛を持ってきた間部詮房を解雇。合理性を重視する性格で、大奥や政事などでの不合理な慣習にも疑問を持つ。堅物に見えるが男性関係は意外と奔放で手も早い。男の器量の良し悪しにはあまりこだわらないが、リストラの口実[6]を残すために基本的に美男子には手をつけない主義。大奥での仰々しい夜伽の作法も嫌って当初はどこででも男に手をつけていたが、後には父の連れて来た紀州出身の不細工な側室の男達を平等にローテーションで相手することにしている。3人の娘を儲けるが、子どもの父親は適当(政治に口出ししない男)に決めている。当初は開国も考えていたが、村瀬から過去の真実を聞いた後は「女子の多い現状の日本では武力で外国に侵略されかねない」との判断から鎖国を続ける考えに変わっており、すたれかけていた男子の武芸を国防力を高めるため奨励し、小石川養生所を設立させ赤面疱瘡の撲滅のための研究にも取り組ませる。
加納久通(かのう ひさみち) / おみつ
吉宗の幼なじみで、紀州時代から吉宗に仕える片腕的存在。遠江守。
柔和な造りの容姿も手伝い一見のんびりしているように見えるが、実はキレ者で肝が据わっており、藤波とも堂々と渡り合う。夫が1人いるが、「1人で手一杯」とのことで自身は側室を持っていない。お庭番の宮地を江島の下に送り込み、天英院と共謀して吉宗を将軍に据える。
大岡忠相
町奉行を務める堅物な中年女性。吉宗には面白みがないと言われているが、基本的にケチな性分のため意外と気が合っている。
間部詮房(まなべ あきふさ)
6代将軍・家宣、7代将軍・家継側用人を務めていた女性。吉宗を田舎大名と侮り、引き続いて家宣の改革路線を推し進める抱負を持っていたが、吉宗に派手な着物を薦め解雇される。
藤波(ふじなみ)
大奥総取締で、御年寄筆頭。年は40代初頭。水野をご内証の方にするために、御中﨟に昇進させる。吉宗の着任以降は彼女のペースに勝てず扱いも良くないが、弓の腕前だけは誉められている。家継編にも登場し、その頃、天英院に仕えていた。
松島(まつしま)
大奥の御中﨟の一人。大奥の人員整理にあい、大奥を去る。家継編にも登場。
杉下(すぎした)
御三の間の一人。大奥で仕えて10年経つ古参で物語開始時点で33歳。実家は最下級の貧しい御家人で、家のため14歳から金で女の相手を毎晩させられ18歳で婿入りしたが子ができず離縁され実家に帰ることも出来ず他に行き場所がないため大奥にいる。実家や婚家で虐待も受けていた経験から、言動の節々に諦観が漂う。水野を何かと助け、彼の御中﨟昇進に伴い部屋子となる。その後、温厚で真面目で忠実な人柄を買われ、吉宗の御中﨟になる。人の心への配慮は細やかだが武術は苦手なようで、鷹狩りの際に落馬している。家継編にも登場しその頃も変わらぬ平静さを持つ。
副島(そえじま)
御三の間の一人。いい年をしているが若衆髷を結っている。新参者の水野に何かと程度の低いいじめをするが彼の昇進後は媚びへつらう器の小さな性格。
鶴岡(つるおか)
松島のお気に入りの美青年。剣術の達人。
垣添(かきぞえ)
呉服の間に仕える少年で水野に憧れている。水野のを仕立てる役目に就く。
柏木(かしわぎ)
御中﨟の一人。聡明な美男子で御中﨟の中でも抜きん出た存在。藤波のお気に入り。大奥の人員整理にあい、大奥を去る。家継編にも登場。
三郎左(さぶろうざ)
公儀お庭番。普段は呉服の間に務める。家継編の終盤にも登場する。
卯之吉(うのきち) / お須磨の方
お半下の者。美男子ではないが、清掃の仕事をしている時に吉宗の手がついた。後に吉宗の長女福姫の父であると告げられ、側室となるが、若くして病死。死の直前に吉宗が見舞いにきたことを喜んでおり、彼女への恋心はずっと持っていたようである。
村瀬(むらせ)
御右筆頭。97歳。春日局の命でずっと大奥に残り続け、日記「没日録」を執筆。吉宗に「没日録」を伝えた直後に死亡。
水野頼宣(みずの よりのぶ)
祐之進の母。息子の祐之進と、その姉にあたる跡取り娘の志乃、彼らの父でもある夫1人を持つ貧しい旗本。既に24歳になっている娘の婿の確保と婿に行きたがらない息子に頭を抱える。口うるさい母親だが、旗本としての誇りは高く息子を金で売ることはない矜持も持ち合わせる。
福姫
吉宗の長女でのちの9代将軍・家重。父親は母吉宗が適当に卯之吉と決めたものの、成長した後の顔立ちは卯之吉そっくりである。障害があるため言葉が上手く喋れずよだれをこぼしている。
吉宗の父
身分の低い出身で、容姿もあまり美形ではない。初登場時は既に出家しており、娘の将軍就任後暫くは紀州住まいだったが、吉宗に呼び寄せられ大奥で暮らし始めた。娘のために側室用の男達を連れてきた。「飯を食うのが早い男は丈夫で働き者」との持論に基づき前述の男達を選定しており、容姿のいい者は選んでいない。
小宮山加解由(こみやま かげゆ)
吉宗の父が紀州から連れてきた側室用の男達の中から選ばれた書の得意な男。村瀬の死後、吉宗から御右筆頭に任ぜられる。

家光編の人物

徳川家光(とくがわ いえみつ)
3代将軍で、千恵の実父。男色家であり女性に興味を示さなかったが実母に関心を持たれず逆に乳母の春日局からは世継ぎを作るようにとの重圧を受け続けて性格が歪んでしまう。20歳の時、辻斬り目的の夜歩きに出た際に出会ったお彩を半ば八つ当たり的に暴行し千恵をもうける。その後赤面疱瘡に罹り、31歳で逝去。春日局他重臣達によりその死は長く隠蔽されていた。外見的には決して美男子ではない容貌に描かれているが、口元や眉の特徴が千恵に引き継がれているらしい。
千恵(ちえ) / 家光(いえみつ)
家光亡き後、その死を偽装するために3代将軍・家光として据えられた少女。家光とお彩の間にできた娘だが、父の素性を長らく知らず育った。11歳の時に春日局に拉致され、以降は亡き父の代理としての生活を強要されていた。当初は身代わりであることを隠すために男装していたが、後に女将軍家光として、男子の減った日本社会の維持を図る。
14歳のときに城内で男に暴行を受けて不本意な妊娠をし、産まれた娘は死産だった。この経験のトラウマから彼女が定めた制度が「御内証の方」である(後述)。
勝気で気性が荒く、癇癪を起こすこともしばしばあったが、本来は無邪気で優しい性格。自身が周囲から女性としての人格を否定され続けてきたため、街の女性から髪を奪ったり、家臣を女装させて笑うなど歪んだ行動がみられた。しかし有功との出会いや他の側室達との間にもうけた娘達の存在により将軍として、また母性を含めた女性として成長していき、自身の運命を受け入れる覚悟を決める。春日局には愛憎半ばする複雑な感情を抱いている。その振る舞いとは裏腹にとても頭の回転が早く賢く周りの状況を全て解った上で行動している。またその境遇故か人の思惑に聡い一面を見せ、政治にも優れた才覚を発揮していき時に冷徹な政策も躊躇なく行った。27歳で死去したが最後まで心は有功1人にあった。側室達との間に数人の子を儲けたが幾人かは流産・死産しており育ったのは3人の娘だけであった。このため次期将軍以降は女性となった。側室は「お万の方」「お楽の方」「お玉の方」「お夏の方」。
春日局(かすがのつぼね)
家光の乳母を務めた女性。明智光秀に仕えた斎藤利三の娘。幼名はお福。幼い頃から容貌により虐められたり戦乱で辛い目にあい続けたため戦乱のない世の中を願う執着心が強い。一度は嫁いで千熊(後の正勝)らを儲けたものの、千熊を虐待した夫の側室を殺害してしまったことで婚家を出て家光の乳母となる。これらの経験から家光の血を残すことにも激しく執着しておりそのためには手段を選ばず人命を奪うことも厭わない(口封じのために、家光の御典医、千恵の母「お彩」、千恵の乳母「とよ」、遊女「桔梗」「よつ葉」「小菊」を殺害)。幕府内の和を重視する面もあり自身の血縁者らを贔屓することはしないため重臣達にも一定の信頼を得ている。彼の生前には家光に跡取りを産ませるため女性を多数並べた大奥を造り、家光の死後は彼の唯一の遺児である千恵を拉致し、同じく彼女に跡取を産ませる目的で大奥を男性中心に作り替え、有功に大奥入りを強要する。戦場での働きを本分とする武家の跡取りに女子を認めることには反対していた。
万里小路有功(までのこうじ ありこと)/ お万
公家・万里小路有純卿の三男。貧しい人々の暮らしを垣間見、出家する。真面目で温厚で芯の強い性格だがお茶目な一面もある。本音が出る時や玉栄と話す時に、京言葉になる。自身が美男子である自覚はない。女装姿も美しい。
慶光院の新院主となった際に、跡目相続の御礼を将軍に告げるため京都から江戸へ下る。春日局により還俗を強要され実家にも手を回されて戻れなくなったため大奥に入り、千恵の側室としてつけられる。やがて「お万の方」と呼ばれ、千恵と相思相愛の仲となる。学問のみならず武芸(弓術)にも才覚を持つ。千恵との間に子ができなかったため苦しみながらも身を引き、公の面から千恵を支える。後に大奥の組織の基礎を築き、大奥総取締役としてそれらを仕切ることとなる。他の側室の男子に対しても慈愛を持って接する。なお、側室からの大奥総取締は有功(本作品内では、家斉側室のお志賀の方も)のみである。
玉栄(ぎょくえい)/ お玉
有功のお付きとして江戸に随行してきた小僧で、彼とともに還俗した。親に死なれ、身寄りがなかったところを有功に助けられ有功に対し忠義に近い念を抱いている。その一方でしたたかで気性の荒い一面があり、武芸(剣術)の筋も良い。
有功の部屋子として大奥に入り、後に有功の嘆願により千恵の側室「お玉の方」となる。有功の還俗の遠因となり、以降も(やむを得ぬ事情があったとは言え)有功に愛されながらも彼の悩みの種にもなり得ている千恵には良い感情を抱いていなかったが、寝所を共にするようになってからは同族意識を抱き始め、和解。千恵との間に娘・徳子(後の5代将軍綱吉)を儲ける。
明慧(みょうけい)
有功に随行してきた僧侶。徳川家をよく思っていない。有功を還俗させるための脅迫の一環として彼の目前で殺害される。
稲葉正勝(いなば まさかつ)
春日局の実子で家光の側近。幼名は千熊。家光が亡くなってからは、春日局の命で家光の表向き用の影武者的存在となり、事情を知らない者が将軍に謁見する時は身代わりとなる。
公には赤面疱瘡で死んだものとされている。千恵の死により自らも殉死。
村瀬正資(むらせ まさすけ)
浪人の身で生活に困窮していたところを春日局の引きで大奥に勤務することになった男。妻子を市中に残してきているが、口封じに殺された可能性があることを理解しており家族との再会は諦めている。有功の身の回りの世話係に命じられた。後に御右筆の役目を命じられる。吉宗編の村瀬の若き日の姿。
お彩(おさい)
夜歩きしている時に3代将軍家光に襲われ千恵を妊娠。家光に同道していた稲葉正勝に譲られた脇差を持ち江戸城を訪ねるも門前払いされるが、春日局の計らいで江戸郊外に乳母と屋敷を与えられる。11年後、家光の死に伴い千恵を奪われ、殺害される。
とよ
春日局により千恵につけられた乳母。千恵が江戸城に連行される際、口封じのため殺害される。
勝田頼秀・和田正隆・角南重郷
御中﨟。角南は玉栄の罠に嵌り、千恵の命令で切腹を命じられる。後に勝田は表使、和田は毒味係としての役目を命じられた。
澤村伝右衛門(さわむら でんえもん)
剣術指南役。明慧を斬り殺した男。赤面疱瘡で息子を亡くしている。4代家綱時代に、明暦の大火で焼死。
六人衆
千恵の近臣。松平信綱堀田正盛三浦正次阿部忠秋太田資宗阿部重次。家光の死により、堀田正盛と阿部重次が殉死。
松平信綱
幕府の重臣。跡取りの長男輝綱を始めとした息子達が全員早世してしまったため、苦肉の策で娘しずを男装させて輝綱として育てる。結果しずが男らしくなりすぎていることでしずの生母でもある正室からきつく責め立てられ、自身も本来女である娘に無理を強いていることに苦い思いを抱えるが、娘の正体が露見するのを恐れている。
しず / 松平輝綱(まつだいら てるつな)
松平信綱と正室の間に産まれた娘。赤面疱瘡で死んだ兄・輝綱として元服させられ普段は男装していた。恰幅の良い体格と威勢のいい顔立ちや口調のため男装に全く違和感がなく、両親を気遣ってわざと男らしい生活や趣味の方が性に合っているかのような軽口を叩いている。
千恵が女将軍となった後は女の姿に改めている。
酒井忠朝(さかい ただとも)
松平家のしずと同様の事情で男装していた女性大名だが、しずにはあっさり女性であることを見破られている。千恵が女将軍となった後は女の姿に改めた。
捨蔵(すてぞう) / お楽
古着屋の息子で街で暮らしているときはプレイボーイだった。春日局により大奥に上げられ、千恵の側室となり彼女との間に娘の千代姫(後の4代将軍家綱)をもうけ、「世継ぎの父の名に捨蔵では不適切」という理由で、彼の呑気な性格もあり千恵に「お楽」の名を与えられる。有功に顔立ちはそっくりだががさつでお調子者で失言も多い。20歳で赤面疱瘡にかかり死亡[7]
しかし娘への愛情は深く、乳母の乳を元気に吸う姿を見て涙を流す程喜び、死に際に願ったことはもう1度娘の顔を見ることであった。
千代姫(ちよひめ)
千恵と捨蔵の間に生まれた子。後の4代将軍徳川家綱
溝口左京(みぞぐち さきょう) / お夏
名門の出の男。春日局により大奥に上げられ、千恵の側室となり、浅黒い肌から彼女に「お夏の方」の名を与えられ娘を1人もうける(後の綱重)。玉栄を千恵の側室に勧めた有功を軽侮したため、玉栄から激しい対抗意識を燃やされている(この時の発言が、玉栄が家宣(お夏の孫娘)を徳子の後継にすることに反対する一因となった)。
神原さと(かんばら さと)
百姓を営む神原家の長女。父の死後、女の身で家や村を支えようと奮闘するが、過労がたたり若くして病死する。本作品で数少ない史実にモデルの居ない完全なオリジナルキャラクターで、庶民の生活例となっている人物である。

家綱編の人物

徳川家綱(とくがわ いえつな) / 千代姫(ちよひめ)
家光の長女。4代将軍。政治や色めいたことに興味を持たず、能や狂言、水墨画など文化的なことに関心を示す。保科正之から政務を奏上されても早く片付けたい一心で全て肯定して終わらせようとするその口癖から「左様せい様」と呼ばれる。母である家光や、実父であるお楽が有功に非常に似た美貌の持ち主であるのに対し、本書ではあまりぱっとしない地味な容貌で描かれている。性格はたおやかであり、優しい気性の持ち主。有功が大奥を去った年に宮家の浅宮顕房(あさのみやあきふさ)を御台所に迎えるが子どもはできなかった。41歳で死去。
万里小路有功(までのこうじ ありこと) / お万
家光編に続いて登場。家綱の父親代わり的存在。家光亡き後、大奥総取締として周囲に信頼されている。家綱から好意を寄せられているが全く気づいていない。明暦の大火の後、再び仏門に入る。
保科正之(ほしな まさゆき)
家綱の大叔母。家光の弟[8]の名を名乗っている。
家綱が政治に関心を持っていないことを心配し、有功に口添えを頼む。
矢島局(やじまのつぼね)
家綱の乳母。女性。3巻では春日局の看病を任されたものの、縁側で菓子を食べているなど傲慢な女性だった。家綱編では男ばかりになった大奥の長局でひっそりと暮らしている。
花房(はなぶさ)
新参の御右筆。
倉持(くらもち)
家綱の「ご内証の方」に志願し選ばれた男。大奥に上がる前に離縁した妻子のことを有功に頼み役を引き受けた。

綱吉編の人物

徳川綱吉(とくがわ つなよし) / 徳子(とくこ)
5代将軍。家光の三女で元は館林城主。男性に関して奔放だが、母としては一人娘の松姫を溺愛する。実母の家光(千恵)が多忙だったうえ早世したことから、幼少時は父の桂昌院しか親身に面倒を見てくれるものがおらず、その経験から父に見捨てられたくないという思いを過剰に抱えており父の意向には理不尽と解っている事柄でも逆らえない。実年齢より若く見える[9]愛くるしい美貌と豊満な肢体を持ち、身近にいるものを男女問わず翻弄する魅力を持っている。性質は気弱で素直だが、本来は怜悧な頭脳の持ち主で少女時代から勉学にも優れ手も器用。したたかな一面も持ち合わせており就任当初は職務にも熱心だったが松姫の死以降は娘を失った傷心と「世継ぎを産まなければ」という重圧から徐々に精神的なバランスを崩していく。政治への関心も失い、右衛門佐と桂昌院の競い合いによる男遊びに耽溺して行くが子供はできないまま閉経を迎えていた。気まぐれで退屈を嫌う性格のため、金品や男女関係で関わらなかった者でも面白いと思った人物[10]を重用したり褒めたりすることもある。桂昌院が痴呆状態になってもなお父からの呪縛に囚われつづけるが、右衛門佐との一夜で自己を取り戻し、自身の意思で世継ぎを決める。麻疹で危篤状態になった際に吉保に窒息死させられるが、公には「麻疹で死亡」と公表される[11]
柳沢吉保(やなぎさわ よしやす) / おもと
綱吉の側用人。綱吉の館林時代から幼少の頃より綱吉の小姓として仕え、妹のような存在として重用される。「切れ長の目にすらりとした体つき」で幼少の頃から評判の美人。綱吉の少女時代から晩年に至るまでその化粧をほどこすのは彼女のみに許された仕事であった。職務には真面目で綱吉を支える切れ者だが、牧野成貞の追い落としや、桂昌院との密通など魔性ともいえる冷酷で手段を選ばない一面を持つ。しかし綱吉への忠誠心は篤く、権力を持ちながらも政治に関して綱吉の意に反することは行わず、彼女の側で仕え続けることのみを望み自らの地位に拘泥もしない。綱吉の娘である松姫には優しい[12]が、右衛門佐には何故か強烈な敵意を抱く。綱吉の危篤時に、長年彼女へ抱いていた感情が主君への忠義以上の感情であったことを吐露しつつ綱吉に手をかけ、その後は家宣の江戸城入りにともない静かに大奥を去り隠居した。
右衛門佐(えもんのすけ) / 水無瀬継仁(みなせ つぐひと)
綱吉御台所の信平が京より呼び寄せた貧しい公家出身の上臈御年寄。京に居た頃は家のために女に体を売る日々を送っていた。妹が2人いる。桂昌院に有功を思い出させる美男子。都の貧しさと退屈さから抜け出すため、翌年にはお褥すべりの年齢を迎えることを承知で大奥に入る。初対面で綱吉に強く魅かれ彼女と対等に渡り合いたいと願い、男女関係よりも権力の座を望んだ。綱吉に「曲者」と気に入られ、望み通り大奥総取締の座を得て大奥に君臨。その立場と性格から桂昌院や吉保と対立し、やがて正室である信平以上の権力を事実上持つ。松姫の死後は桂昌院と「どちらの手下が綱吉に世継ぎを産ませるか」という競争状態になってしまうが、それが結果的に綱吉を追い込んでしまったことに後悔し、彼女が少しでも安らぐように心を砕く。若い時はしたたかな計略家の面が目立ったが、根は学問好きで理もわきまえた人物であり、大奥の男達に学問を教えたり、綱吉を諌めることもあった。年老いてからやっと綱吉と関係を持ち「まことの男と女の夜」の幸せを噛み締めるが、その翌日急病死した。
秋本惣次郎(あきもと そうじろう)
大奥では「秋本」と呼ばれる。御台所信平付の御中﨟だったが右衛門佐に引き抜かれて彼の部屋子となり、計略の手先として暗躍する。当時高価であった眼鏡を買うために大奥に入ったと公言。地位にはこだわらずただ大奥で過ごせればいいという態度を取っている。武術にも優れ、綱吉を刺客から守る活躍を見せた。右衛門佐の死去後に大奥総取締役を引き継ぐ。綱吉が死去した後は将軍の代替わりに伴い役職を江島に引き渡し、実家に戻り妹・絹江と姪・汀の元で余生を過ごした。実は姪の汀は彼が絹江との間にもうけた子で、実妹への禁断の想いを断ち切れず「他の女性との間には子を作りたくない」という理由で大奥入りしていた。
秋本絹江(あきもと きぬえ)
惣次郎の妹。美人で料理上手。夫はなく汀(てい)という娘を仕事をしながら一人で育てている。一度大奥を訪問し、兄が自分の元を去った真意を問いただしに来るが、兄の自分への変わらぬ想いを知り涙する。兄が大奥を辞した際には娘と2人で彼を迎え、ともに暮らした。
秋本汀(あきもと てい)
絹江の娘。表向きは惣次郎の姪とだけされており、物心つかないうちに別れた惣次郎が伯父であると同時に実父とは知らなかった。惣次郎が大奥を辞して実家に戻った際には惣次郎の帰宅を喜んで迎えたが、出生の秘密は知らされないままだったのか「伯父上」と呼んでいた。
桂昌院(けいしょういん)
綱吉の父。家光編の玉栄(「お玉の方」)で「桂昌院」は落飾後の名。出家した身でありながら娘の側近である吉保と関係を持ち、将軍の実父として政治にも大きな影響を及ぼすなど俗欲にまみれた人物となっている。御台所の信平を「気取っている」と嫌って娘から遠ざけようとし、彼に呼ばれた右衛門佐をも快く思わず、自身と同じ身分の低い出である伝兵衛に味方する。「出来ることなら自分が婿になりたい」と言う程に娘の徳子(綱吉)を溺愛する反面、家光の側室時代に有功を面と向かって中傷した順性院(「お夏の方」)をこの時代に至ってもなお憎み続けており、彼の血筋に将軍を継がせまいと綱吉に跡継ぎを産むよう迫り、多数の男を呼び寄せ彼女の相手をさせる。溺愛する娘が「子供の出来にくい体質」である現実を受け入れられず、若い頃からの大奥での偏った環境暮らしで女性の体に対する知識の欠如もあり「子が産まれないのは自分が過去に猫を殺したため」と思い込み「生類憐れみの令」を綱吉に実行させる。綱吉の後継に順性院の孫である徳川綱豊をつけることには堅く反対していた。作中に登場する将軍の側室達は(自身より身分の高くなっている)娘に敬語を使い「姫様」付け、将軍就任後は「上様」で呼んでいるが、彼だけは娘が将軍になっても「徳子」と呼び捨て、敬語を使わない[13]。晩年は痴呆状態になる。風呂嫌いで、好物は羊羹。
鷹司信平(たかつかさ のぶひら)
綱吉の正室。公家出身。正室として京から迎えられた際綱吉に一目ぼれするが、彼女の寵愛を得ることはできず、桂昌院からも嫌われて遠ざけられ綱吉に愛想をつかして大奥内の権力争いに明け暮れていたように見える態度を取っていた。跡継ぎを作った伝兵衛の台頭に対抗するため右衛門佐を京から呼び寄せるが逆に彼の方が権力を持ってしまい影が薄くなってしまう。しかし内心では綱吉を想い続けていた。晩年は痛風を患ったため十年以上綱吉から離れ、綱吉に忘れ去られていた。綱吉の危篤時に彼女の元へ赴いた際に感染した麻疹で死亡したため、綱吉を殺したと噂される。
小谷伝兵衛(こたに でんべえ) / お伝
綱吉の側室「お伝の方」で、松姫の父。綱吉の館林城主時代に吉保と桂昌院の関係を目撃したショックで泣いていた若き日の綱吉に魅入られたことがきっかけで、黒鍬者から取り立てられ側室となった。良く言えば善良で一途、悪く言えば単細胞な性格で頭も良くなく何か気に病むことがあると立ち直りも遅い性格。そのため彼に仕える部屋子達にも呆れられるほどだが、綱吉への想いは一途で彼女に金品や地位をねだることは決してない誇り高い一面も持つ。
松姫の死後は綱吉の足が遠退いていたが、彼女の晩年になってから「松姫の父と母」として和解。2人で娘の仏壇に手を合わせる。綱吉の死後は出家し80歳で死亡。落飾後の号は瑞春院
小谷さよ
伝兵衛の姉で、館林時代は身分が低く草履取りなどをしていたが弟が側室になり世継ぎの父となったことで小谷家は御家人に取り立てられる。しかし彼女は博打に溺れたびたび弟に金を無心しにきていた。松姫が死去した後にも弟・伝兵衛の元を見舞うが目的は金の無心であり、弟の説得にも全く心を動かさなかった。その帰りに吉保に手切れ金を渡されて伝兵衛に近づかないように釘を刺され、賭博場の争いに巻き込まれ何者かに殺害される。
牧野邦久(まきの くにひさ) / 阿久里(あぐり)
綱吉の腹心・牧野成貞の夫。館林城主時代の綱吉と親密な関係にあり、阿久里の名はその頃に綱吉に戯れにつけられた女名。
綱吉が牧野邸を訪れたことで再び関係を(綱吉に半ば強制される形で)持つが、次第に体を弱らせ病死。
牧野貞安(まきの さだやす)
牧野成貞・邦久夫妻の長男[14]で、この時代には珍しくなった男子の跡取り。綱吉が父に手をつけたことで崩壊してゆく自家を目の当たりにし綱吉を恨んでいたが、彼女に迫られた際その色香に抗しきれず関係をもってしまい、綱吉の求めのまま時江を離縁し大奥に上がるがやがて病死する。
牧野時江(まきの ときえ)
貞安の妻。彼とは仲睦まじい夫婦で義両親を慕う優しい嫁だったが、綱吉に夫を奪われたことで嘆きのあまり自害する。
牧野成貞(まきの なりさだ)/ 貞(さだ)
邦久の妻で綱吉の腹心。家族を綱吉に奪われて行きながらも逆らうことができず、鬱状態になり領地を返上し職を辞する。
松姫(まつひめ)
綱吉と伝兵衛の娘。両親に溺愛され育つが、5歳の年にあっけなく病死してしまう。
吉良上野介(きら こうずけのすけ)
老女の大名。松の廊下で浅野に斬りつけられる。被害者とされ、綱吉からの処分は無かったが、赤穂浪士達に討ち取られる。
浅野内匠頭(あさの たくみのかみ)
この時代には数少なくなった男性の大名。男系による家督相続を重んじ、家臣にもそれを推奨してきたが年々片身の狭くなる男性大名の立場にコンプレックスを持ち物事を悪く捉える癖がある。虚勢を張っている小心者。赤穂事件の発端となった人物で、誤解から吉良に馬鹿にされたと思い込み彼女に切りつけ「抵抗できない老人に斬りつけた」と綱吉の怒りを買い、切腹させられる。
伊達左京亮(だて さきょうのすけ)
若い女性大名。浅野長矩と共に勅使饗応役を務めていたが、期せずして浅野が吉良を逆恨みする種をまいてしまう。
赤穂浪士
吉良邸に討ち入りに入った浅野の遺臣たち。城代家老大石内蔵助(男性)を始め、男子42名、女子5名。年齢は若い者で16 - 18歳だったという。庶民の喝采を浴びるが綱吉により切腹させられる。
徳川光貞(とくがわ みつさだ)
紀州藩主。幼い信(吉宗)を江戸へ連れてきて綱吉と面会させる。隠居後、期待していた跡取りの長女・綱教が急死したショックで体調を崩し後を追うように亡くなる。
徳川綱教(とくがわ つなのり)
紀州藩主・徳川光貞の長女。聡明で母にも期待され妹にも慕われ、20歳のとき隠居した母の跡を継いで紀州徳川家3代藩主となる。徳川綱豊(家宣)と共に次期将軍候補として名前が挙がるが本人は綱豊の方がふさわしいと思い、またそのような姿勢をとっている。藩主となって7年後、食中毒で死亡する。
徳川頼職(とくがわ よりもと)
光貞の次女で、姉・綱教の急死を受けてわずか18歳で藩主となるも、母には影で「調子のいいだけの娘」と評されており大名としての力量は期待されていなかった。藩主となって約4ヵ月後、急死する。
お信(おのぶ)
光貞の3女で、後の8代将軍吉宗。十歳の時に母・徳川光貞と共に綱吉に拝謁。当時から華美な服装や世間一般で美形とされる男性には興味がない。
年少でありながら肝の据わった態度を気に入られ、綱吉に彼女が過去使っていた簪や櫛と三万石の領地、それに加え成人後の名として綱吉から「吉宗」と偏諱を受ける。
後に母と二人の姉を立て続けに失い12歳で5代紀州藩主の座に就く。
永光院
有功が再び仏門に戻った姿。己の所行を悔い苦しむ老いた桂昌院に昔と変わらぬ優しさで接し、彼の死後もすぐ駆けつけて弔った。

家宣編の人物

徳川家宣(とくがわ いえのぶ)
6代将軍。甲府宰相時代の旧名は綱豊(つなとよ)。家光の側室「お夏の方」の孫で、綱吉の姪。かつて実母の綱重が下男と火遊びをして産んだ子であるため母に疎まれて育った。そのため、身分の低いものにも分け隔て無く接する心優しい女性である。主君としても賢明で民を思いやることに篤く、部下思いで甲府時代より名君と名高い。が好きで、踊りの巧かった猿楽師のおふさ(間部)を取り立てて家来にし、長年一番の家来として重用した。大柄でややいかつい容貌に描かれているが実は病弱でかつて三人の子を出生後すぐに失っていた。左京との間に跡取りの千代姫をもうけるが数年後病死する。
間部詮房(まなべ あきふさ) / おふさ
家宣の側用人。元は猿楽師(役者)であったのを甲府宰相時代の綱豊(家宣)に気に入られ小姓となり懸命に仕える。敬愛する家宣や彼女のごく身近な人物以外には、極めてクールで傲岸不遜な態度を取るが、身分の低かった自分を取り立ててくれた家宣への忠義心は純粋で誰よりも強い。その忠誠心があまりに強すぎたことと、美貌にもかかわらず独身を通していたため、家宣と同性愛の関係にあるのではと噂されるほど。非常に仕事熱心だが精神的にはややもろい所があり、つらい目に合うと泣き出したり、人を恨んだりする一面もある。
勝田左京(かつた さきょう)
江戸生まれの寺の住職の息子。元は武家の出身。14歳のころより母から強引に近親相姦の関係を迫られる。成人後も元服をさせてもらえずやさぐれ荒れた生活をしていた。たいへんな美形で多数の女に言い寄られるが、母に支配された暮らしに失望し、他の女と関係をもつことに関心もなくなっていた。ある日酒場での賭けごとのトラブルで袋叩きにされていたところ、偶然家宣の一行が通りがかり家宣の命を受けた間部らの仲裁により救出される。手当てのため家宣の屋敷に連れて行かれた折、母から逃れるため下男として屋敷に置いてくれるよう間部に懇願し採用される。この頃から、間部にひそかに思いを寄せていたが、やがて間部の頼みで家宣の側室「左京の方」となる。本来は心優しい性格で、家宣らとのふれあいや彼女との間にできた娘・千代姫の存在によりその優しさを取り戻していく。
左京の母
かつては「勝田玄白」の男名で加賀藩士をしていたが、出家し住職をしている。息子の左京に自身との関係を強要して二人もの子をもうけており、彼に元服すらさせない異常な執着を見せる。
江島(えじま)
家宣に仕える男衆を束ねる男。不器量な容貌が女性に嫌われ婿の貰い手がなかったため家宣の屋敷に仕えていた。間部詮房の依頼で左京に武術や朱子学など武士のたしなみを一通り教える。家宣が将軍となった後はそのまま大奥にあがり、秋本惣次郎の後を引き継ぎ大奥総取締となる。
千代姫(ちよひめ)
家宣と左京の間に生まれた子。後の将軍家継。幼いながらも聡明さを発揮するが母同様体が弱い。
國熙(くにひろ)
家宣の正室。すでにお褥すべりを迎えている。亡くなった家宣の子供たちのうち2人は彼の子だったが、その辛い思いを表には出さず、家宣とも仲睦まじく左京にも優しく対応する。
新井白石
中年女性の学者で、千代姫に学問を教える。

家継編の人物

徳川家継(とくがわ いえつぐ)
千代姫が7代将軍となった姿。幼いながらも優しく聡明な性格で、江島や間部にもなついている。成長してもなお病気がちで、7歳で死去する。
月光院(げっこういん)
左京が仏門に入った姿。家継の父。次期将軍は尾州継友派。間部に心底惚れており、彼女が主の死に錯乱した時に一度だけ強引に関係を持ったことがあるものの、それ以後間部からは距離を置かれ、将軍の父としてしか見られていないことに苦悩している。天英院らの策略で陥れられた江島の命を救うため、吉宗を次期将軍に推薦することと間部の失脚をやむなく了承した。
間部詮房(まなべ あきふさ)
家宣編から続いて登場。家継の母親がわり的存在の側用人。家宣の死に動転した弾みで一度だけ月光院と関係を持つが、彼女の中ではそれはすでに「なかったこと」にされており、その後月光院から向けられる好意は拒絶している。月光院と共に、次期将軍として尾張徳川家の継友を推していた。
江島慎三郎(えじま しんざぶろう)
大奥総取締で月光院の側近。大奥では「江島」と呼ばれる。若い頃から文武両道に優れ月光院にも忠義を尽くし人格者だが、外見が毛深く不細工。実家にいる時は容貌故に男不足の世で結婚を断られ続け、仕方なく先代将軍家宣の甲府宰相時代に母の紹介で仕えてそのまま出世した身。故にコンプレックスを持ち、恋愛も自分には無縁と考えていたがあるきっかけで見た芝居で新五郎に一目惚れし、やがてお互い好意を抱いた矢先に天英院ら吉宗派の共謀により謀られ、拷問の末死罪(のちに月光院の嘆願で流罪に減刑)に処せられた。流刑先の高遠で28年間幽閉され生涯を終える。しかし嘘の供述をした新五郎を恨むことはなく、幽閉先で彼の世話をしたわずかの人間にもその人徳を慕われた。民衆の間で江島生島事件が話題になるが、庶民は彼の姿を見たことがないのと、瓦版などで話に尾ひれがついていたため、「絶世の美男子」という事実と食い違う評判が広まっていた。
生島新五郎(いくしま しんごろう)
歌舞伎の美人女性役者。ベテランで美しい立役を演じ民衆の人気が高いが、金のために茶屋で芝居見物帰りの大奥の男達の相手を嫌々ながらしているためスレている。しかし芸への情熱は高く人を見る目もある。江島と一度きりの会食をし他の大奥の男達とは違った純朴な彼に好意を抱く。しかしそれを政局に利用され江島との密通容疑をかけられて公演中に逮捕され、拷問で役者にとって大事な足を潰されかけたことで江島と関係を持ったと嘘の証言をしてしまう。その後三宅島に遠島になり、老女となってから釈放され江戸に戻ってまもなくひっそりと世を去る。
市川團十郎(いちかわ だんじゅうろう)
新五郎の後輩格の女性役者。小柄な若い娘だが、人気も新五郎と並んで高い。自分に合った芸を教えてくれた新五郎を慕っている。
天英院(てんえいいん)
國熙が仏門に入った姿。若くして紀州藩を立て直した吉宗の政治的手腕を買っており、彼女の部下らと密かに連絡を取り吉宗を次期将軍にするため暗躍する。穏やかな態度に似合わず、月光院や江島を陥れる冷酷さはあるものの、彼らが善人であるため自身の行為に後ろめたさも持っている。吉宗の就任後は月光院とも穏やかな関係を保っている。
藤波(ふじなみ)
天英院付きの男で、月光院派の人間達に敵意を燃やすが不始末も多く天英院に叱責されることも。新五郎を気に入っておりたびたび金で彼女を買っているが実は嫌われていることに気がついていない。江島失脚後は大奥総取締に就任したが、村瀬には影で「今までで一番小物」と評されている。吉宗編に登場した藤波と同一人物。
松島(まつしま)
藤波の部下。芝居後にハメをはずし、芸者と遊んで門限に遅刻しそうになる。水野・吉宗編にも登場。
柏木(かしわぎ)
藤波の部下。時代の流れを正確に読み、次期将軍吉宗の側室になることを考えている。松島と同じく、水野・吉宗編にも登場する。
宮路(みやじ) / 弥助(やすけ)
江島の部下。実は吉宗派が送り込んだスパイ。江島生島事件の発端を作る。三郎左にお庭番を引き継ぎ、他地域での別の忍びの任務につきいずこかへ旅立つ。
尾州吉通(びしゅう よしみち)
尾張徳川家の当主。継友の姉。生前の家宣が吉宗と共に次期将軍の候補として名前を挙げていたが、食事後に吐血し、目の前の側近たちの誰にも助けられずに死亡する。

家重編の人物

徳川家重(とくがわ いえしげ)
吉宗の長女。言語・排尿障害などの障害を持っているため、周囲からは廃嫡を望む声も出ていた。知能は正常なため、周囲の偏見や悪意に触れ、性格が歪んでしまう。周囲に期待されていないと理解しており、何をやっても世の中すべての人々が幸せになることはないと諦観しているため政治に関わろうとしない。男には手が早く、気まぐれ。いつも酒を飲んでいる。
田沼意次(たぬま おきつぐ) / 龍(たつ)
家重の小姓、のち側近(主殿頭)。はじめは吉宗の小姓で、後に家重の小姓に任じられる。中々家重に馴染めなかったが、家重が失禁を恥じ入る姿を見て、家重の心を理解する。
長じては美貌を鼻にかけず、聡明で配慮の行き届いた人物となり、大奥に信奉者が多い(ただし、配慮は善意ではなく政治的な判断によるもの)。
商人の徴税など先進的な思考を持ち、家重の元で出世、政治の表舞台で活躍する。
平賀源内(ひらが げんない) / 権太夫(ごんだゆう)
女性の研究者。権太夫の名で男装している同性愛者だが、世間には平賀源内の名で知られている。田沼意次に起用される。さまざまな発明を行い、大奥内にもファンを持つ戯作者としての顔も持つ。全国を旅して赤面疱瘡撲滅のための研究を続けており、マタギの話などからこの病が熊からヒトに広まった感染症であることを見抜き、種痘などに近い方法で予防ができないかと考えているが、そのためにクマ牧場を作ろうというなど発想が突飛なため青沼らには呆れられている。
吾作(ごさく) / 青沼(あおぬま)
吉雄耕牛の弟子の外科医、通詞。オランダ人の父親と日本人の母親の間に生まれた金髪碧眼混血児。赤面疱瘡の研究のため源内と共に江戸に赴く。兄が赤面疱瘡を患い自ら命を絶った過去がある。自身も赤面疱瘡を患ったが二、三日で回復している。大奥入りして青沼と名乗り、御右筆の一員となる。
お幸の方(おこうのかた) / 梅渓守幸(うめたに もりゆき)
家重の側室。はじめは家重の正室比宮附中﨟として大奥入りした。比宮死去のため帰京しようとしたが、家重に望まれ側室となり、一人娘の竹姫をもうけた。しかし家重の心が移ったお千瀬の方に嫉妬し、彼を斬りつけたことで家重の怒りを買い、牢獄に入れられてしまう。33歳で死去[15]
善次郎(ぜんじろう) / 芳三(よしぞう)
江戸の料亭・かね清の板前。のちに芳三の名で大奥入りし、家重から遠ざけられた傷心のお幸の方の料理を一任される。後の御仲居頭。
徳川宗武(とくがわ むねたけ)
吉宗の次女。見目麗しく、聡明。周囲から世継ぎとして望まれる。
徳川宗尹(とくがわ むねただ) / 小夜姫(さよひめ)
吉宗の三女。家重を嫌う。
松平乗邑(まつだいら のりさと)
老中。宗武を将軍にするよう吉宗に強く推挙する。
比宮実行(なみのみや さねゆき)
家重の正室。心優しく、家重との間に子を授かるが、家重が流産し、直後に病を得て亡くなった。
お千瀬の方(おちせのかた)
家重の側室。お幸の方の嫉妬にあい、斬り付けられた。
吉野(よしの)
家重の側室。
貴子(たかこ)
守幸の許婚の公家の女性。家重の手回しのため、他の男性と結婚する。
徳川家治(とくがわ いえはる) / 竹姫(たけひめ)
家重の長女。父はお幸の方。聡明で利発だが、調子がよいところがある。将棋の腕は家重以上に優れている。
杉下(すぎした)
大奥御年寄。家重の時代は大奥総取締に昇進。早くに「父」を亡くした、家重・宗武・宗尹の父代わりを務める。温厚で配慮深いため、周囲の人々に慕われている。
吉雄耕牛(よしお こうぎゅう)
蘭方医、オランダ通詞。六二郎という息子がいるが、吾作を養子にし、大通詞の役目を継がせようと考えていた。
大岡忠光(おおおか ただみつ)
家重の小姓頭。家重を支え、「家重の心がわかってなかった」と暇乞いを願った龍を「そなたのような者にこそ家重様のお小姓に来てもらいたかったのです」と慰留するほどの忠義者。
加納久通(かのう ひさみち)
吉宗の側近。吉宗を将軍に据えるため、3人(尾州吉通・紀州綱教・紀州頼職)を毒殺したことを吐露し隠居。
徳川吉宗(とくがわ よしむね)
大御所。将軍職を退いてもなお大きな影響力を持つ。家重、宗武らの母。58歳[16]で死去。中興の名君と称えられる。死の直前、田沼意次に赤面疱瘡の解決を託す。

家治編の人物

田沼意次(たぬま おきつぐ)
家治より幕政を託され、老中の地位に上り詰める。私欲のない人物で、赤面疱瘡の全面解明に取り組み、干拓事業にも着手したが相次ぐ天災で頓挫、娘の暗殺に見舞われ、ついに失政の責任を取らされ失脚し蟄居、領地没収を受け、のちに死去する[17]
平賀源内(ひらが げんない) / 吉(きち)
本草学者。讃岐国出身で幼少のころからからくり作りが得意で人々を喜ばせてきた。幼馴染の少女と恋仲になり兄に心配をかけさせた。しかし、弟・彦次郎(ひこじろう)が赤面疱瘡で他界、男装し遊学する決心をする。田沼、青沼とともに赤面疱瘡の解明に取り組んだが、暴漢に襲われ梅毒をうつされる。その後も志を諦めず奔走し、弱毒性の赤面疱瘡に罹患した患者を見つけて青沼のところに届けることに成功。のちに病状は悪化し、田沼失脚後にこの世を去った。
青沼
田沼、源内とともに赤面疱瘡の治療法確立に取り組む。洋書から種痘の仕方を学び、大奥をはじめ多くの大名の男子に種痘を施したが田沼の失脚で死罪となった。
徳川宗武(とくがわ むねたけ)
田安徳川家の初代当主。吉宗の次女で定信の母。娘たちの中で自身の母・吉宗似の聡子を厳しく育てるが、それは自身が果たせなかった世継ぎの道を彼女に果たさせるためであったことを吐露し死去する。
松平定信(まつだいら さだのぶ) / 聡子(さとこ)
宗武の娘だが治済の計略で松平家の養子とされる。田沼意次母子に対抗心を激しく燃やす。田沼失脚後、老中となり幕政を一新する。
徳川治済(とくがわ はるさだ)
一橋徳川家の2代目当主。宗尹の娘で吉宗の孫。計略家で定信を松平家の養子にさせ、田沼意次に敵意を向けさせる。自分の息子・竹千代に種痘を受けさせる。
田沼意知(たぬま おきとも)
田沼意次の娘。老中になった母とともに幕政に尽力する。母同様、私欲はない。しかし、江戸城中で暗殺される。
徳川家基(とくがわ いえもと) / 千代姫(ちよひめ)
家治の娘で後継者。幼少のころは病弱であったが成長するにつれて健康体になる。だが、突然の病で死去する。享年18。
五十宮倫仁(いそのみや ともひと)
家治の正室で家治から愛され男児を儲ける。家治が側室との間に千代姫を儲けたことを知り落胆するが、家治の配慮で千代姫の養父となる。蘭学に興味を示し青沼の元で勉学に励むが、病を患い死去する。
お知保の方(おちほのかた) / 保川(やすかわ)
家治の側室で家基の実父。
豊千代(とよちよ)
治済の長男。元は竹千代(たけちよ)と名乗っていたが青沼より種痘を受け回復し、母から「豊千代」と改名された。家治の死後、治済の尽力により家光以来初の男将軍、家斉として就任する。
黒木良順(くろき りょうじゅん)
御祐筆で青沼の世話係。父は蘭医者であるが治療とは名ばかりの行為に嫌気がさし、母の取り成しで大奥入りする。そのせいで当初、蘭学に対して嫌悪感を抱いていたが、青沼の懸命な姿勢に心を打たれ共に行動するようになる。田沼失脚で大奥を追放され村の医者となる。
高岳(たかおか)
大奥総取締で田沼意次の信頼を受ける。家治没後、田沼失脚で解任される。
松方(まつかた)
御中﨟で蘭学に嫌悪感を持ち、田沼らに敵意を持つ。高岳解任により総取締に就任する。
青海伊兵衛(おうみ いへえ) / 伊予吉(いよきち)
呉服の間のお針子で廻船問屋の次男。書道が得意であったが不祥事で母から勘当同然で大奥に入れられる。不平不満の毎日を送ったが青沼の助手となり活躍し、事件の真相を知った母とも和解した。しかし、田沼の失脚で黒木とともに追放され、黒木の助手となる。
僖助(きすけ)
青沼が大奥入りして最初に看た男。御半下の自分にも分け隔てなく治療を施す青沼に好感を持ち、徐々に「医学を学ぶことで自分も他人様の役に立てたら」と思うようになり、青沼の講義を受ける。赤面疱瘡の治療法を模索する仲間の一人。実家は紙問屋。
瀬川菊之丞(せがわ きくのじょう)
歌舞伎役者で源内の情人。源内に振り回され恨みを抱いたこともあったが、彼女のことを常に心配している。源内の死の5年後に死去している[18]
杉田玄白(すぎた げんぱく)
蘭学者で源内の友人。『解体新書』の著者で大奥を見学し、家治の突然の謁見を受ける。男性。
青海屋仁左衛門(おうみや・にざえもん)
田沼の信頼を受ける廻船問屋の主人で伊兵衛の母。長男を次期当主として期待し伊兵衛を疎んじていた。しかし、長男の自殺に衝撃を受け、女中と恋仲になった伊兵衛を勘当し大奥に送り込んだ。その後、出家した元女中から事件の真相を聞き伊兵衛と和解した[19]。田沼失脚による連座で財産没収され行商人に転じた[20]
佐野善右衛門政言(さの ぜんえもんまさこと)
没落旗本。江戸城中で意知を待ち伏せし、彼女を暗殺。捕らわれた後処刑されたが佐野の行為が江戸市中で絶賛され、「世直し大明神」として崇められる。
北橋(きたはし)
聡子(定信)の乳母。

家斉編の人物

徳川家斉(とくがわ いえなり)
二代将軍秀忠以来の男将軍として将軍職に就任したが実権は母に握られ子孫をつくることを強要される。ある日、「没日録」で自分に種痘した青沼の名が削除されているのを知り、彼の安否を確かめたくなる。しかし彼の死を知り家斉は青沼の下で赤面疱瘡の治療研究に取り組んだ黒木を探し出し、共に赤面疱瘡の撲滅に取り組む。母が全身不随となり全権を握ってからは今までと打って変わって強権的になり、かなり強引に赤面疱瘡撲滅を推進した。
徳川治済(とくがわ はるさだ)
家斉の母。事実上の江戸城の支配者で家斉に多くの女性をあてがい子孫を残すことを強要した。しかし自分の孫を躊躇なく殺害し自分に逆らう者はたとえ息子といえども容赦しなかった。過去に実の姉、そして母・宗尹を殺害したことがある[21]。自分の与り知らぬところで赤面疱瘡の撲滅に取り組んでいた息子を毒殺しようとしたところ逆に自分が毒を食わされ全身不随となる。
茂姫(しげひめ)
家斉の正室で秀忠時代以来の女性の御台所。島津家の出身で聡明な人物。愛する息子に先立たれたショックで正気を失ったように見せかけていたが、実は同じく娘を治済に殺されたお志賀と結託して復讐のチャンスを伺っていた。
松平定信(まつだいら さだのぶ)
徳川家一門として初の老中に就任し、「寛政の改革」を起こし蘭学を排除した。しかし彼女の急激な政策は江戸市中の庶民を苦しめ、治済の大御所の地位要求に異を唱えたため罷免。領地の白河藩に戻り、その後赤面疱瘡の予防接種を積極的に推し進めた[22]
黒木良順(くろき りょうじゅん)
元大奥御祐筆。青沼の下で赤面疱瘡の撲滅に取り組んだが田沼意次失脚の連座で追放。村の医者として暮らしていたが、ある日家斉の極秘訪問を受け、天文方の役人として再び赤面疱瘡の撲滅に取り組む。
青海伊兵衛(おうみ いへえ)
元大奥呉服の間針子で黒木と共に追放され、黒木の助手となる。生涯、所帯を持つことはなかったが、近隣の女性との間に複数の子をもうけた。
僖助(きすけ)
黒木、伊兵衛と同じく大奥から追放され、「田嶋屋」の婿となり肥えた容貌となった。密かに家斉に招かれ登城した際、毅然とした態度で彼を批判した。
青史郎(せいしろう)/黒木青順(くろき せいじゅん)
黒木の一人息子。赤面疱瘡の予防接種を受け、父の助手となる。黒木の死後、診療所を相続し医者として診察にあたる。
るい
黒木の妻、青史郎の母。
源三郎(げんざぶろう)
清史郎の息子[23]
高橋景保(たかはし かげやす)
女性学者で眼鏡をかけている。赤面疱瘡撲滅に取り組む黒木に協力する。黒木が天文方の職を辞した後シーボルト事件に関与して投獄され、獄死したと文中で語られている。
遼太(りょうた)
高橋景保の息子で青史郎の親友。母と同じく眼鏡をかけており、算術が得意。赤面疱瘡で死去。
杉田玄白(すぎた げんぱく)
家治編に続き登場。黒木の協力者となる。
渋川正陽(しぶかわ まさてる)
天文方の学者。
武田(たけだ)/武女(むめ)
治済の侍女。治済から家治、家基暗殺等影の仕事を受け持ち、家斉の将軍就任に伴い大奥入りし女性の大奥総取締となった。しかし辞任を願い出たため治済によって毒殺される。
お志賀(しが)の方/滝沢(たきざわ)
家斉の側室。娘・総姫を亡くした後治済に取り入り大奥総取締に就任、治済の為に美男を提供しもてなした。表向きは御台所茂姫と不仲であるように見せかけていたが、実は協力して治済に復讐しようとしていた。治済の食事にずっと毒を混ぜていたが、自身が毒見役を務めていたせいで本人も大量の毒を摂取しており、本懐を遂げた直後に死亡した。
お美代(みよ)の方
家斉の側室。
安藤信成(あんどう のぶなり)
老中。
堀田正敦(ほった まさあつ)
若年寄。
青山忠裕(あおやま ただひろ)
老中。
徳川家慶(とくがわ いえよし)
家斉年長の息子で愚鈍な容姿、性格を持つ。治済から家斉に代わる傀儡として期待され、45歳で父から将軍職を譲られ傀儡将軍となる。
徳川家定(とくがわ いえさだ)
家慶の娘で第10代・家治以来の女将軍[24]

家慶編の人物

徳川家慶(とくがわ いえよし)
徳川家斉の息子で将軍職を譲られるが父の傀儡であるのを不満に持つ。祥子(家定)を溺愛し、親や側室ら周辺への不信感から歪み父子相姦に及ぶ。その性癖が広大院に知られ注意を受けるがシラを切り通し、のちに自分の失態による江戸城本丸焼失事件を起こし家定を遠ざけられる[25]
徳川家定 (とくがわ いえさだ)/ 祥子(さちこ)
徳川家慶年長の娘。四女。諸大名の事情を熟知し次期将軍と目される。父親から性的虐待を受け苦しみ江戸城を出たがっていたが、次期将軍に選ばれ、落胆する。阿部正弘と出会い、彼女と過ごす時間を増やす。やがて広大院の計らいによって父から解放される。
阿部正弘(あべ まさひろ)/ 真佐女(まさじょ)
阿部家の娘。兄から当主の座を相続し幕府に許された。寺社奉行として難事件の解決に挑み幕府、市中から称賛を受け[26]、老中に就任。家定と出会い、彼女が家慶から性的虐待を受けていることを知り広大院に報告し、家定の避難所である西ノ丸奥(表向きは世継ぎを儲けるための施設)を設置することに成功する[25]カステラが大好物。
瀧山(たきやま)/ 新之助(しんのすけ)
葭町陰間で武家出身。女性と間違える程の類いまれな美貌を持つ。元は百人組の与力を母にもつ武家の次男であったが、母が殺傷事件を起こしたため断絶、陰間に沈んでいた。料理茶屋で出会った阿部正弘と意気投合し、身請けされ西ノ丸奥の総取締に就任する。のちの大奥総取締。
徳川家斉(とくがわ いえなり)
家斉編から続いて登場。家慶の父、家定の祖父。大御所として実権を握り赤面疱瘡撲滅を徹底した。母・治済の悪行と、御台所茂姫による母の毒殺未遂で極度の女性不信に陥り、第5代・徳川綱吉以来断絶した男子相続を復活させる。
広大院(こうだいいん)
家斉御台所茂姫が夫の死後落飾した姿。大奥の風紀悪化に懸念を示し正弘に真相究明を託し解決させる。正弘により家定が家慶から性的虐待を受けていることを知り、家慶から家定を切り離す。
お美津(みつ)の方
家慶の側室、家定の母。娘の性的虐待被害に対して無関心だが、家定の次期将軍決定には喜んでいた。
鷹司任親(たかつかさ ただちか)
家定の正室。鷹司家から輿入れ、初夜を迎える段階で家慶によって毒を盛られ、寝たきりとなる。家定編では故人となっている。
阿部正寧(あべ まさやす)
阿部家の当主、正弘の兄。母・阿部正精(あべ まさきよ)から名門阿部家を相続したが当主の重責に耐え兼ね、妹に譲り隠居。
水野忠邦(みずの ただくに)
女性の老中。正弘に多大な期待を寄せている。改革を行うがのちに失脚。
遠山左衛門尉(とうやま さえもんのじょう)
奉行。左腕に刺青がある。
日啓(にっけい)
感応寺の住職でお美代の方の父。娘の権威を利用し大奥の奥女中と不義を働いたが正弘によって暴かれ流刑に処される。
青海(おうみ)先生
青海伊兵衛の息子で寺子屋の教師。新之助(瀧山)にオランダ語を教えるが複雑な家庭事情を持つ彼のことを心配していた。将来、瀧山に自分の跡を次がせようと考えている。
歌橋(うたはし)
家定の乳母。
瀧山の母
百人組の与力で、男子相続に移行する世の中に不満を持つ。やがて自分の上司が夫と密通していることを知り二人を殺害した末、自害。
良左衛門(りょうざえもん)
瀧山の父。息子同様美貌の持ち主であり、妻の上司である大塚(おおつか)と通じるが、妻に発覚し殺害される。
瀧山の兄
父とその浮気相手・大塚が母により殺害され、母もその場で自害したことを新之助(瀧山)に告げた後、自刃。

家定編の人物

徳川家定(とくがわ いえさだ)
次期将軍として西の丸奥に住み、父親を見事に追い返したが報復を受け毒を盛られ、自身は助かったものの再婚相手を亡くす。黒船来航の中、父の死により第13代将軍に就任、アメリカに対する適格な対応を取らす。
阿部正弘(あべ まさひろ)
阿部家11代当主。老中主座。数少なくなった女性幕臣として政務に励み反対勢力を丁重に抑え、また家定を厳重に守っていたが家慶に隙を狙われてしまう失態を犯した。それに反省し家定の継室探しを慎重に進め、アメリカ来航に対するべく全国から意見を募った。
瀧山(たきやま)
西の丸奥総取締→大奥総取締。元陰間で武士に戻り、再び「男の園」に戻った大奥を阿部正弘から任され家定の警護兼健康管理を徹底し注意も辞さなかった。しかし正弘同様、家慶による家定と彼女の二番目の正室へ毒を盛られる失態を犯してしまう。自身の処分を求めたが家定に制され続投、悪評や動乱によって緩みきった大奥をもう一度管轄し、将軍への忠誠をより明確にした。
徳川家慶(とくがわ いえよし)
家定の父。故・広大院から家定に触れることを厳重に禁止され、また娘から追い帰され激しい憎悪を抱く。その報復として家定の二度目の結婚に細工し、その果てに家定二度目の正室・秀久を毒殺、家定自身にも毒を盛らせた。しかし、黒船来航で恐怖を抱き、発狂した末、死去。
徳川斉昭(とくがわ なりあきら)
水戸徳川家当主。極度な攘夷論者で女性である正弘を嫌悪。しかし正弘から海防御用掛(かいぼうごようがかり)を任される。だが開国派とぶつかり井伊直弼によって失脚、表舞台から姿を消す。
一条秀久(いちじょう ひでひさ)
一条家の子息で家慶の陰謀によって家定の二人目の正室として送られた。成人しているが小柄で少年のような容姿であり、家定はじめ周囲の驚きと戸惑いをもたらす。のちに家慶によって毒殺。
お志賀の方
家定の側室。病弱な男性として登場。
島津斉彬(しまづ なりあきら)
薩摩藩主島津家当主。正弘から家定三度目の正室の依頼を受ける。
勝義邦(かつ よしくに)
旗本。攘夷論を嫌い、先ず開国し外国から交易した利益で軍艦を購入するよう意見を出し、採用され海軍伝習所に赴く。のちの勝海舟。
島津胤篤(しまづ たねあつ)
島津斉彬の養子。公家風の容貌。

幕末編の人物

徳川家定
13代将軍。当初、将軍家に輿入れした胤篤を警戒したが彼の手厚い配慮で心を開き今までしなかった外出、乗馬を行うようになる。後に懐妊するも病で「薨去」。
瀧山
大奥総取締。家定三人目の正室・胤篤に対し警戒心を抱くが胤篤の人柄を理解し協力していく。
阿部正弘
老中主座。家定と幕政に尽くし、その心労で病に臥す[27]。日本の行く末を家定、胤篤、瀧山に託し逝去[28]
島津忠敬(しまづ ただすみ)/胤篤(たねあつ)
薩摩今和泉家・島津忠剛の次男。頭脳明晰で島津斉彬に見出だされ島津宗家の養子となり、近衛家の養子を経て大奥入りする。輿入れ当初、家定に真の目的を見抜かれたが彼はそれを認め、薩摩時代の思い出話を語り、家定の警戒心を解き健康に配慮し、彼女を懐妊させるに至るが、「薨去」した事実を知らされ落胆する。「遺言」より落飾することを許されず「天璋院」と称し、「家茂」と名を改めた福子の養父となる。
島津斉彬(しまづ なりあきら)
外様大名、島津宗家当主。 野心家で幕政関与すべく攘夷派で御三家の一つ、水戸家・徳川斉昭と手を組み、その息子・徳川慶喜を次期将軍に擁立せんと目論む。しかしそれは表向きで幕府滅亡を目論み、自分の養子にした胤篤を継がせようとした。斉昭が井伊直弼により失脚させられ幕府に抗議する触れ込みで江戸攻撃に向かう直前、急逝。
西郷吉之助(さいごう きちのすけ)
薩摩藩士。胤篤の輿入れの為の品々を手を尽くして揃え、その働きを労われて感涙にむせぶ。その後、郷中教育を年少の藩士らにしている姿が胤篤の語りにより描かれる。
井伊直弼(いい なおすけ)
大老。強硬な開国派で攘夷派の排除を主張するが正弘によって一喝される。正弘の死後、大老に就任し攘夷派を一掃する「安政の大獄」を起こす。やがて水戸の恨みを買い、「桜田門外の変」で暗殺、市中からの同情はなかった。
徳川慶喜(とくがわ よしのぶ)
水戸斉昭の息子。時期将軍候補で皇族の母を持ち、その血統にこだわり島津出身の胤篤を軽蔑。聡明と謳われるが家定から民を尊ぶ心が無いと評される。慶喜は安政の大獄で失脚されるも復帰、朝廷との信頼に厚く家茂から取り持ち役を任される。
福子(とみこ)/ 徳川家茂
紀州徳川家の姫。開国派から将軍候補として擁される。神田祭観覧の為、江戸城に招待されお菓子をいただくが毒に盛られるが命に別状なく、家定死後、開国派により将軍職に就く。朝廷から輿入れした和宮の正体が女性だと知るも「夫」として受け入れ姉妹のように親しむ。上洛時は男装し朝廷の公卿らを驚かせた。
和宮(かずのみや)/ 親子(ちかこ)
孝明天皇の弟宮。公武合体で家茂と結婚するが実は女性。同母弟にあたる本物は足が不自由で江戸に下ることを拒み、出立前に自害に見せ掛けて出家。その身代わりとして降嫁した。生まれつき左手が無く実母から隠されて育ち、母親の愛に飢えていた。
孝明天皇(こうめいてんのう)
和宮の兄。強硬な攘夷意識を持ち幕府に外国排除を呼び掛けている。
観行院 (かんぎょういん)
和宮の母。仁孝天皇の側室で密かに育てた皇女・親子(ちかこ 自分の娘)を自害に見せ掛けて出家した同腹皇子の身代わりに立て、その秘密を隠すため自ら男装し侍従・庭田(にわた)として江戸に下る。しかし京に残した皇子の身を案じ心を病み、それに気付いた親子(偽和宮)、家茂の計らいにより江戸城から退出、尼僧になり皇子と再会し、皇子を亡くした後、逝去。
土御門(つちみかど)
和宮の侍従。実は親子の乳母。観行院と同じく男装し江戸に下る。男女の区別のつかない容貌。
豊倹院(ほうけんいん)
家定の側室。家定薨去後、落飾し天璋院に挨拶を交わす場面で登場。
堀田正睦
老中主座。正弘から外交政策を任されるが困難を乗り切る能力に欠け、独断で勅許を得ようとして失敗したため家定の怒りを買い失脚。
黒木源次郎(くろき げんじろう)
黒木清順の次男で、青沼の配下であった良順の孫にあたる。医者として才能がなく、大奥にあがった。胤篤の中﨟。
幾島(いくしま)
胤篤の侍従。
津村(つむら)
胤篤の中﨟。実は薩摩の密偵。
志摩(しま)
家茂の紀州家時代に仕えていた侍女。家茂の要請により男装して大奥に入り観行院、土御門の世話をする。

用語解説

赤面疱瘡

赤面疱瘡(あかづらほうそう)は、本作にて登場する、架空の伝染病

症状はまず高熱を発することから始まる。そして真っ赤な発疹が全身に広がり、爛れ上がり死に至るというものである。発病した者は「十人のうち八人が死ぬ」。罹患者はほとんど10代から20代の男性である[29]。しかし、長崎で吾作らが赤面疱瘡を発症した際、罹患した全員が2、3日で全快して流行には至らなかったというケースもある。

日本特有の風土病のように描かれており、外国で発症した例は確認されていない。

本作での大奥

本作での大奥内の役職

大奥に仕える男性の身分は、将軍にお目通りが許される「お目見え以上」と、お目通りが許されない「お目見え以下」の大きく二つに分かれる。

帯刀が許されるのは「お目見え以上」の者と、御火の番の者のみ。また御年寄や御中﨟などお目見え以上の中でも上級職に就いた者には専用の部屋と使用人が与えられる。

お目見え以上

  • 大奥総取締(おおおくそうとりしまり)
    • 大奥に起こることごとくのことを取り仕切る役目。御年寄の中から一名がその任に就く。御年寄は上臈御年寄より格下だが、実際には大奥に仕える男達の中で最も力を持つ存在である。
  • 上臈御年寄(じょうろうおとしより)
  • 御年寄(おとしより)
  • 御客応答(おきゃくあしらい)
  • 中年寄(なかどしより)
  • 御中﨟(おちゅうろう)
    • 将軍御台所の身辺の世話係。この中から、「お手つき」つまり側室が出る。専用の部屋と使用人が与えられ、使用人からその部屋の主人という意味で「旦那様」と呼ばれる。年齢制限はないが、いずれも家元及び器量の良い若い男子が選ばれる。
  • 御小姓(おこしょう)
  • 御錠口(おじょうぐち)
    • 表御殿と大奥の境の詰め所で錠口の番にあたる役目。
  • 表使(おもてづかい)
    • 大奥で必要な種々の日用品の買い物を取り仕切る。
  • 右筆(ごゆうひつ)
    • 表向きへの文書作成、諸家への書状作成の他に、大奥で起きた全ての出来事を記録・執筆する役職。
  • 御伽坊主(おとぎぼうず)
    • 将軍付きの役職。正式な僧侶ではなく、去勢されて男性ではないことを示すために墨染め衣を纏っている。
  • 呉服の間(ごふくのま)
    • 大奥中の全ての衣服を仕立てる役職。一日中裁縫に明け暮れる。
  • 御広座敷(おひろざしき)

お目見え以下

  • 御三の間(おさんのま)
    • お目見え以下の中では最も地位が高く、旗本以上の子息しか就くことが出来ない。奥仕えの振出しとも言える役職。御年寄や御中﨟の目に留まり、念者・念弟の間柄になれば、一気に出世が叶うこともある。
    • 御三の間に仕える人々は揃いの(はなだ)色の着物と袴をつける決まり。帯刀は許されない。
    • 仕事内容は、主に以下のようなものである。
      1. お目見え以上の人々(「旦那様」と呼ばれる)が勤めを終えて部屋に戻るまでに、部屋の掃除を済ませる。
      2. 旦那様方の身の回りの世話全般。着物などに香を焚き染める。
      3. 湯水の運搬など雑用。
      4. 旦那様方が部屋に戻った後は、膳部の仕度。指示された部屋に夕餉を運ぶ。
  • 御火の番(おひのばん)
  • 御半下(おはした)
    • 清掃などに従事。お目見え以下の中でも地位は最下位だが、身元のしっかりした裕福な商家などの息子たち。

本作での大奥内の決まりごと

御内証の方(ごないしょうのかた)
本作では3代将軍となった千恵が制定。未婚の女将軍に夜伽の手ほどきをする最初の男を大奥の中から選び、「御内証の方」とし、お勤めを終えた後に内々に死罪にすると定めた。(水野・吉宗編では10日後になっているが4代家綱編では翌日に執行されている)
破瓜によって将軍の体に傷をつける大罪人であるというのが建前であるが、実際は前述にある千恵のトラウマが原因である。
綱吉・家宣は就任前に既に御台所がおり、家継は幼少で死亡、吉宗は密かに相手の男を釈放したため実際死罪に処せられたのは1人である。
お褥すべり(おしとねすべり)
大奥に居る男で35歳を越えたものは将軍と閨を共にすることは許されていない。

作中の社会の風習

家光の時代

  • 江戸時代初期までは日本の男女構成比はほぼ1:1であったが、家光の時代に赤面疱瘡が大流行したため、男子が激減し、女子の約4分の1になった。その結果、土地を守るために畑仕事を始める女性が増え始め、力仕事も女性の手にとって変わられてゆく。作業がしやすいように、髷を結う髪型が女性の間で流行し始める。
  • 一家に一人男子が成人することは稀になり、民百姓ばかりでなく大名の間でも世継ぎに死なれて難渋するが増えた結果、幕府にとって脅威である有力な大名家が次々にお取り潰しになる。武家の女子の跡取りを認めたのはこの時点では赤面疱瘡の流行が落ち着き男性人口が回復するまでの暫定措置の予定だった。
  • 吉原は男子の減少で廃れ、女性に体を売る不健康な男達が残った。千恵はこれを大奥の財政のためリストラした健康な男達を送り込むことで補い、花街吉原を復活させ価格を下げる。

吉宗の時代

  • 女が労働の担い手となっていく。あらゆる家業が女から女へと受け継がれ、駕篭かきや刑吏のような重労働も女の仕事である。
  • 歌舞伎役者は女性であり立役も男装した女性。家重の時代には大奥の男達が寺への代参がてら芝居小屋に寄り、そのまま茶屋で女性役者を買うのが常態化しており、ここでのみ男が女を買う買春が事実上行われていた。
  • 男は子種を持つ宝として大事にされるあまり、一般庶民には夜の種付け以外特に何もせず家でぶらぶらしている成人男性も多かったが、国防上男子の体力増強も必要と考えた吉宗の意向で火消として町人の男子が公募され、進吉のように体力をもてあましている若い男達が応じた。
  • 貧しい女たちは夫を持つことも出来ず、花街で男を買い種を付けてもらって子供を産むか、成長できた息子のいる家に謝礼を払って種付けを依頼する。当然吉原の花魁も男性である。容色の良い男子には種付け依頼が相次ぐ。
  • 貴重な男子を婿として迎えるには相手方に多額の結納金を払わねばならず、このため高位の武士階級や富裕な商人・庄屋など以外は夫を持つことがほぼ不可能である。大名や将軍など身分の高い武士は正室の他に側室として複数の夫を持つことができるが、貧しい下級武士や公家は娘婿の確保に苦労しており庶民同様夫を持てず子種を買うことしかできない場合も多い。
  • 家業を継ぐ者は、男名を名乗る。記録には男名で記され、夫がいても書かないか、わざわざ女名で「妻・〜〜〜」などと記される。家督を継ぐ時は男名で公儀に届け出る。
  • この時代には家督は女が継ぐのが当たり前と考えられており、成長することのできた若い男は謝礼を貰って子種をばら撒くよう、主に母親である世帯主によって管理される立場であった。一般庶民はもちろん公家・武家でも貧しい家は息子を毎晩のように金で売るのが常態化しており、作中の水野家のように息子を売らないポリシーの家は稀であった。
  • 諸外国には日本が女性中心の国家になったことは伏せられており、鎖国はその事情を隠す意味もあった。外国からの使いが来たときは将軍は男装し、直接対面はせず御簾越しに会い会話は男性の側近が代わりに行う。長崎の出島には男性か男装した女性しか入れない。幕府の表向きの公文書にも将軍は男性であるかのように描写され、体格や年齢に関しても事実と異なる表記が行われる。事実を書いた文章は将軍と執筆者である御右筆頭のみが閲覧できるようになっていたが、家重時代には青沼など御右筆の全員がこれを読み男女逆転の歴史を知っている。

家督相続の事情

  • 武家では女子が元服し、男子名を名乗らせる家が増える。当初は取り潰されないために跡取り娘を男装させて男子と偽って届け出ていた家もあったが、次第にそうした家の数が増え男装に明らかに無理のある女性大名も増えたこともあり、千恵が女将軍として公に名乗りをあげ女子の跡取りが認められて以降は女性大名達も女性用の服装や髪型に改めている。しかし当初の名残として家督相続者が男名を持つ慣習だけは残った。
  • 庶民の間でも、男子の激減のせいで娘に家業を譲ることが多くなる。
  • 男子が生まれると家業を手伝わせずに家の奥で大事に育て、高い値で息子の体を売る家も増える。
  • 寛永の大飢饉のために農村から流れてきた物乞いが増える。それでも江戸の町は活気付いている。
  • 幕府は、諸国を治める大名家をこれ以上取り潰すと少数の大名家が広大な領地を統治することになり、必然、一家の所有できる兵士も多くなり藩幕体制を揺るがしかねない事態になると恐れ、大名家の後継に女子が立つことが認められた。その際、千恵が正式に女将軍となる[30]
  • 5代将軍綱吉が、男子相続を絶対視して武の家風を誇っていた赤穂藩浅野家が起こした松の廊下刃傷や赤穂浪士討ち入りの一連の事件を受け、血生臭い気風とともに男を政治から追い払おうと男子の相続を禁止する命を発した。後に6代将軍家宣により(生類憐れみの令と共に)廃止されるが、その頃には武家でも女子が家督を継ぐ慣習は既に定着しており、昔を知るごく一部の老齢者以外はそれを当然のものと考えもはや疑うこともない[31]
  • 100年後、2代将軍秀忠以来の男将軍、11代将軍家斉が赤面疱瘡予防接種を強制執行し、男子の人口が回復。男子への家督を受け継ぐ習慣が可能となり、庶民の順に移行した。それを受け家斉は綱吉以来断絶した男子相続を復活させ諸大名に通達した。しかし相続したもの重責に耐えかね放棄する男性当主や一部、女子相続する家が存在した。

派生作品

ドラマCD

『大奥』極上音絵巻

  • 掲載誌『MELODY』と1巻連動で行われた応募者全員サービスのために作られた。

声優

ドラマCD『大奥』

  • 第十五巻の初回特装版に同梱されたもの。初期の人気エピソード「有功・家光編」を音と声で物語る。

声優

実写作品

2010年の水野・吉宗を主人公とした映画に続き、2012年に連続テレビドラマで有功・家光の時代、映画第2作で右衛門佐・綱吉の時代を描いた実写映像作品が製作されている。いずれもTBSテレビを中心とする製作委員会によるプロジェクトで、監督およびメイン演出は金子文紀による。

受賞歴

書誌情報

コミックス

  • よしながふみ 『大奥』 白泉社ジェッツコミックス〉、全19巻[33]
    1. 2005年10月4日発行、ISBN 4-592-14301-9
    2. 2006年12月4日発行、ISBN 4-592-14302-7
    3. 2007年12月25日発行、ISBN 978-4-592-14303-1
    4. 2008年12月24日発行、ISBN 978-4-592-14304-8
    5. 2009年10月5日発行、ISBN 978-4-592-14305-5
    6. 2010年8月28日発行、ISBN 978-4-592-14306-2
    7. 2011年6月28日発行、ISBN 978-4-592-14307-9
    8. 2012年9月28日発行、ISBN 978-4-592-14308-6
    9. 2012年12月3日発行、ISBN 978-4-592-14309-3
    10. 2013年10月28日発行、ISBN 978-4-592-14310-9
    11. 2014年8月28日発行、ISBN 978-4-592-14545-5
    12. 2015年6月26日発行、ISBN 978-4-592-14546-2
    13. 2016年4月28日発行、ISBN 978-4-592-14547-9
    14. 2017年2月28日発売、ISBN 978-4-592-14548-6
    15. 2017年12月28日発売、ISBN 978-4-592-14549-3
    16. 2018年10月29日発売、ISBN 978-4-592-16276-6
    17. 2019年8月28日発売、ISBN 978-4-592-16277-3
    18. 2020年6月26日発売、ISBN 978-4-592-16278-0
    19. 2021年2月26日発売、ISBN 978-4-592-16279-7 / ISBN 978-4-592-16280-3(大奥-没日後録-付き特装版)
  • 英語訳 "Ōoku: The Inner Chambers" (VIZ Media) 既刊17巻(2020年8月現在)[34]
    1. 2009年8月18日、ISBN 1-4215-2747-2
    2. 2009年12月15日、ISBN 1-4215-2748-0
    3. 2010年4月20日、ISBN 1-4215-2749-9
    4. 2010年8月17日、ISBN 1-4215-3169-0
    5. 2010年12月21日、ISBN 1-4215-3669-2
    6. 2011年7月19日、ISBN 978-1-4215-3961-4
    7. 2012年7月10日、ISBN 978-1-4215-4220-1
    8. 2013年9月17日、ISBN 978-1-4215-5482-2
    9. 2014年1月21日、ISBN 978-1-4215-5877-6
    10. 2014年11月18日、ISBN 978-1-4215-7242-0
    11. 2015年11月17日、ISBN 978-1-4215-7979-5
    12. 2016年11月15日、ISBN 978-1-4215-8643-4
    13. 2017年11月21日、ISBN 978-1-4215-9215-2
    14. 2018年11月20日、ISBN 978-1-4215-9775-1
    15. 2019年5月21日、ISBN 978-1-9747-0316-6
    16. 2019年12月17日、ISBN 978-1-9747-0840-6
    17. 2020年8月18日、ISBN 978-1-9747-1488-9
  • 中國語訳 『大奥』 (尖端出版) 既刊15巻(2019年2月現在)
    1. 2007年2月15日発行、EANコード 4717702205171
    2. 2007年9月10日発行、EANコード 4717702214357
    3. 2008年4月14日発行、EANコード 4717702216856
    4. 2008年12月24日発行、EANコード 4717702229382
    5. 2009年11月20日発行、EANコード 4717702230074
    6. 2011年1月1日発行、EANコード 4717702236724
    7. 2013年6月19日発行、EANコード 4717702242053
    8. 2014年4月3日発行、EANコード 4717702259983
    9. 2014年9月16日発行、EANコード 4717702262730
    10. 2015年6月16日発行、EANコード 4717702264390
    11. 2016年4月22日発行、EANコード 9789571065700
    12. 2016年9月30日発行、EANコード 9789571069111
    13. 2017年4月14日発行、EANコード 9789571073361
    14. 2017年12月8日発行、EANコード 9789571078557
    15. 2019年2月27日発行、EANコード 9789571084800

関連書籍

脚注

  1. ^ a b 大奥:16年の連載に幕 よしながふみの人気マンガ 実写化も話題に”. まんたんウェブ. MANTAN (2020年12月28日). 2020年12月28日閲覧。
  2. ^ ダ・ヴィンチのブックランキング1位は銀の匙&ちはやふる”. コミックナタリー. ナターシャ (2012年12月6日). 2013年1月5日閲覧。
  3. ^ 「大奥」 よしながふみ
  4. ^ よしながふみ「大奥」TVドラマ&映画で再び実写化”. コミックナタリー. ナターシャ (2012年1月17日). 2012年1月18日閲覧。
  5. ^ 水野を助けた件については秘密裏に行われたはずだが、お幸の方ら後の大奥の人間は何らかの形でこの件を伝え聞いているものと思われる。
  6. ^ 「美男子ならば解雇されても婿の貰い手がいくらでもある」という理由で大奥のリストラを行っているが、自分が手をつけてしまった男は跡継ぎの問題もありリストラする訳にいかなくなるため。
  7. ^ 史実のお楽の方は1651年(慶安4年)、32歳で死去した。
  8. ^ 家光が逝去した時、家光の弟の保科正之が存命していた(第2巻)。
  9. ^ 異父姉の家綱が41歳で死去した後に就任しており、生母の千恵の死亡年齢から家綱との年齢差は10歳以内であるため就任時は既に30を過ぎていると思われる。
  10. ^ 右衛門佐やお信(吉宗)がそうした例である。
  11. ^ 幼少時に麻疹にかかったと綱吉が語る場面があり、麻疹は一度かかると再発しない(終生免疫)ため、不自然な話の流れとなっている
  12. ^ 設定上は吉保自身にも夫と子がいる。
  13. ^ 後に登場した吉宗の父も娘にそのような呼び方をしている
  14. ^ 史実では牧野安は次女である。
  15. ^ 史実のお幸の方も投獄されているが、理由は全く異なる。徳川家重#人物・逸話を参照。
  16. ^ 史実の吉宗は68歳で薨去。
  17. ^ 『メロディ』2013年12月号 P.120
  18. ^ 『メロディ』2013年12月号 P.119
  19. ^ 『大奥』第10巻 P.59-88
  20. ^ 『メロディ』2013年12月号 P.118
  21. ^ 『大奥』第11巻
  22. ^ 『大奥』第12巻 P 204-205.
  23. ^ 『大奥』第12巻 P229.
  24. ^ 『大奥』第12巻 228-231.
  25. ^ a b 『メロディ』2015年12月号掲載
  26. ^ 『メロディ』2015年10月号掲載
  27. ^ 『メロディ』2016年8月号
  28. ^ 『メロディ』2016年10月号
  29. ^ ただし、作中の家光のように、30代前半での発病例も存在する。
  30. ^ 寛永後期頃と思われる。春日局は寛永20年没。
  31. ^ 宝永年間の頃と思われる。
  32. ^ James Tiptree, Jr. Award 2009 Winners”. 2010年3月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年3月18日閲覧。
  33. ^ ジェッツコミックス>>大奥、2021年2月26日参照。
  34. ^ VIZ Media products”. VIZ Media. 2018年3月8日閲覧。[リンク切れ]

外部リンク

  • 大奥 - 白泉社による作品紹介