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|名 = 津田昭 |
|名 = 津田昭 |
2021年8月4日 (水) 00:26時点における版
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津田昭 | |
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基本情報 | |
国籍 |
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出身地 | 北海道 |
生年月日 | 1940年9月17日(83歳) |
騎手情報 | |
所属団体 | 日本中央競馬会 |
所属厩舎 |
中山・野平省三(1959 - 1969) 中山→美浦・野平富久(1969 - 1983) |
初免許年 | 1959年9月26日 |
免許区分 | 平地(初期には障害競走の免許も保持) |
騎手引退日 | 1982年12月25日 |
重賞勝利 | 11勝 |
通算勝利 | 426勝 |
津田 昭(つだ あきら、1940年9月17日 )は、北海道出身の元騎手・元調教助手。
経歴
1959年に騎手免許を取得し、中山・野平省三厩舎からデビュー。9月26日の中山第1競走3歳未勝利・タマミノル(11頭中4着)で初騎乗を果たし、10月18日の中山第3競走4歳以上未勝利・タマノボルで初勝利を挙げる。若手時代は障害競走を中心にレースに騎乗し、2年目の1960年に東京障害特別(秋)・オーロラで重賞初制覇。所属していた野平省三厩舎の主戦騎手であった野平祐二の影に隠れるような存在であったが、有馬記念2連覇のスピードシンボリのデビュー期の主戦騎手を務めていたのは彼であった。そのスピードシンボリの初重賞制覇となった1966年の京成杯に騎乗している。1969年に野平省三厩舎から野平富久厩舎へ移籍し、これを機に障害免許を返上して平地に専念するようになる。コンチネンタルとのコンビで、1970年から1971年にかけて重賞4勝を挙げている。1973年の東京優駿でイチフジイサミに騎乗し、タケホープの2着に入る健闘を見せた。晩年は騎乗機会が減り、1982年12月25日の中山第3競走3歳新馬・ニシノミカヅキに騎乗したのが最後となる。1983年引退。1982年10月17日の福島第9競走4歳以上400万下・ダイワヤングが最後の勝利となった。
引退後は調教助手に転身し、西塚安夫厩舎のスタッフとしてカネツクロスなどを担当した。2004年度の優秀調教助手賞を受賞するなどしている。2005年に調教助手を引退するとともに、競馬サークルから離れ、会員制競馬予想会社のスタッフに転向している。
騎手成績
通算成績 | 1着 | 2着 | 3着 | 4着以下 | 騎乗回数 | 勝率 | 連対率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
平地 | 340 | 365 | 362 | 2,579 | 3,646 | .093 | .198 |
障害 | 86 | 86 | 68 | 195 | 435 | .198 | .395 |
計 | 426 | 451 | 430 | 2,774 | 4,081 | .104 | .215 |
主な騎乗馬
- オーロラ(1960年東京障害特別 (秋))
- イシリユウ(1965年中山アラブ障害特別)
- スピードシンボリ(1966年京成杯)
- フジイサミ(1966年中山記念)
- タジマオーザ(1968年中山大障害 (秋))
- コンチネンタル(1970年目黒記念 (春)・ステイヤーズステークス、1971年日本経済新春杯・京都記念 (春))
- ダイセンプー(1972年京王杯スプリングハンデキャップ)
- ファイブワン(1975年関屋記念)