コンテンツにスキップ

「宮内鎮雄」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
Cewbot (会話 | 投稿記録)
1行目: 1行目:
{{複数の問題|BLP unsourced=2013年8月1日 (木) 08:10 (UTC)|参照方法=2014年11月1日 (土) 14:26 (UTC)}}
{{複数の問題|存命人物の出典皆無=2013年8月1日 (木) 08:10 (UTC)|参照方法=2014年11月1日 (土) 14:26 (UTC)}}
'''宮内 鎮雄'''(みやうち しずお、[[1945年]][[1月24日]] - )は、[[日本]]の[[アナウンサー]]、[[ナレーター]]。
'''宮内 鎮雄'''(みやうち しずお、[[1945年]][[1月24日]] - )は、[[日本]]の[[アナウンサー]]、[[ナレーター]]。



2021年8月4日 (水) 10:53時点における版

宮内 鎮雄(みやうち しずお、1945年1月24日 - )は、日本アナウンサーナレーター

東京都出身[1]武蔵中学校・高等学校卒業[2]国際基督教大学人文科学科卒業[1]。血液型O型[1]。重厚感のある独特の語り口が特徴[3]。Tシャツに長髪、髭とアナウンサーとしては型破りであり[2]奇抜な格好でも知られる[3]。趣味は映画鑑賞。コアなMacユーザーである。

略歴

1967年4月TBSアナウンサー12期生として入社(同期には青木靖雄石森勝之小口勝彦河野通太郎久米宏林美雄米沢光規[4][5]川戸恵子はアナウンサーの1年先輩にあたる。11月15日、アナウンサー研修室設置に伴いアナウンサー研修室付兼ラジオ局第一制作部勤務に[6]

1969年秋、パックインミュージック第二部を担当する。

1973年、当時TBSと提携していたイギリスBBCに派遣されて3年間日本語放送のアナウンスを担当。

2001年、TBS分社後のTBSラジオの第一声を担当。

2005年1月、TBSを定年退職。[2]TBSアナウンサーとして最後の仕事は、TBSラジオの『月曜JUNK 伊集院光 深夜の馬鹿力』での面白ナレーション。2月、フリーアナウンサーとして活動、TBSテレビ『ダイヤモンドシアター』の冒頭新作映画紹介コーナーのナレーションを担当。一部ラジオ番組では社員当時のタイトルコールが引き続き使用されている。また、TBSアナウンススクールで後進の指導に当っている。

人物

中学・高校とポップスが好きで、FEN糸居五郎といったDJに憧れていたが、DJの採用がなくディレクター志望だった。TBS入社時から一貫して音楽番組を担当したが、演歌が大嫌いで、歌謡曲番組を担当させられたのが一番嫌だったというほど。「会社員になるというのは、自分の時間を売ることですが、好き嫌いの立場ははっきりさせたい、と思ってきました。僕のスタイルを会社が認めてくれたのは、ありがたかった」と、特に洋楽にこだわり[2]、さらに洋楽でも「みんながやる。どの番組でもやりたがる」という理由でビートルズサイモン&ガーファンクルを大々的に扱うことはなかった[7]

TBS在籍時は外信部に足しげく通い、欧米の通信社が配信する音楽・映画などのエンターテイメント情報を独自に収集し、番組作りに役立てていた。『パック・イン・ミュージック』担当時にはAP通信が配信したビルボードのチャート情報をいち早く紹介した。また欧米のミュージシャンや俳優が来日した際は記者会見に必ず出席し、時にはその模様を録音して番組で紹介していた[8]

痛快なりゆき番組 風雲!たけし城』などのナレーションが中心だったため、テレビ出演は少なかったが(在局末期に放送の系列局アナウンサー出演特番に登場した程度)、TBS局アナの長老格として一目置かれている存在だった。口の悪い人は、「赤坂原人」と名付けたほどで、『TBSアナウンサー名鑑』には「万年ヒッピー」と記す等、存在感があった[2]

月曜JUNK以前のUP'S時代から『伊集院光 深夜の馬鹿力』で、アナの宇野淑子(2002年定年退職)や鈴木順(2013年定年退職)と共に面白ナレーションなどを務めた。伊集院光はアナの宮内の持つ、重量感ある安定した読み方を大変気にいっていた。番組内で放送されたTBSアナウンサーとして最後の言葉はラジオネーム、「おばあちゃんの本名OK海老沢ミツ」の投稿「デブは喪服もサスペンダー。」だった。

2010年7月9日枡田絵理奈の公式ブログで食事会に集まったメンバーとして元アナウンス部デスク桜井、加藤シルビアと共に文章で紹介されている。

出演番組

テレビ

ラジオ

脚注

  1. ^ a b c アナウンサー通信”. TBS. 2006年10月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年11月1日閲覧。
  2. ^ a b c d e “TBS宮内アナ定年退職しても“万年ヒッピー””. 夕刊フジ. (2005年1月22日). オリジナルの2014年11月1日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20141101222025/http://www.zakzak.co.jp/gei/2005_01/g2005012203.html 2014年11月1日閲覧。 
  3. ^ a b わらしべトーク”. 古舘プロジェクト. 2014年11月1日閲覧。
  4. ^ 東京放送 編「III 放送関係 7.アナウンサーの活動記録」『TBS50年史 資料編』東京放送、2002年1月、238頁。OCLC 166924883。"1967.4<12期生> 8人入社(男8) 青木靖雄 石森勝之 河野通太郎 小口勝彦 久米 宏 林 美雄 宮内鎮雄 米沢光規"。 
  5. ^ 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)東京放送、2002年1月、21-22頁。OCLC 166924883。"67.4 <12期生>8人入社 青木 靖雄 石森 勝之 河野 通太郎 小口 勝彦 久米 宏 林 美雄 宮内 鎮雄 米沢 光規"。 
  6. ^ 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)東京放送、2002年1月、22頁。OCLC 166924883。"1967年11月15日 『アナウンサー研修室』設置 <アナウンサー研修室付兼ラジオ局第一制作部勤務者>今村 稔、小川哲哉、車尾具昭、五味陸仁、桐本幸子、手塚俊子、本田綾子、岩崎直子、遠藤泰子、藤田恒美、堀川恵子、堀川友子、青木靖雄、石森勝之、小口勝彦、久米 宏、林 美雄、宮内鎮雄、米沢光規、河野通太郎"。 
  7. ^ 伊藤・TBSラジオ P206
  8. ^ 伊藤・TBSラジオ P204-208
  9. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)東京放送、2002年1月、22頁。OCLC 166924883。"宮内 鎮雄… R「パック・イン・ミュージック(69)」「ジャストヒッツ・イン東芝(69)」「起きぬけ歌謡曲(70)」「全国ポップスホット(71)」「TBS今週のベストテン(72)」「ホッピンポップ(72)」「ワン・オクロック・ジャズ(77)」「ジャズタイム(79)」「映画PAL(80)」「マンスリー・ジャズ・ワイド(84)」「サンデー・オレンジハイウェイ(84)」「今週のポップスベストテン」「ナイターミュージックランド」「ザ・ヒットパレード(87)」「ポップ・トラフィック(89)」 TV「チャーミングおくさま(77)」「ナイト・スクエア(83)」「こおろぎ橋」「風雲たけし城(86)」「世界めぐり愛(86)」「海外トピックス」「CBSイブニングニュース(88)」「映画に乾杯(89)」「世界の家(93)」「噂のなんじゃもんじゃ」「日本が知りたい」「CBSドキュメント」"。 
  10. ^ a b c d e 東京放送 編「III 放送関係 7.アナウンサーの活動記録」『TBS50年史 資料編』東京放送、2002年1月、238頁。OCLC 166924883。"宮内鎮雄 R「パック(1969)」「ジャズタイム(1979)」「クローズアップにっぽん」 TV「風雲たけし城(1986)」「映画に乾杯(1989)」「噂のなんじゃもんじゃ」"。 

参考文献