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2021年8月8日 (日) 10:33時点における版
CDテネリフェ | ||||
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原語表記 | Club Deportivo Tenerife | |||
愛称 | Riqui-raca, Tete, Chicharreros(チチャレロス、サンタクルス人), Insulares(インスラーレス、島民), Blanquiazules(ブランキアスーレス、青と白) | |||
クラブカラー | 青と白 | |||
創設年 | 1912年 | |||
所属リーグ | リーガ・エスパニョーラ | |||
所属ディビジョン | セグンダ・ディビシオン | |||
ホームタウン |
カナリア諸島州テネリフェ島 サンタ・クルス・デ・テネリフェ | |||
ホームスタジアム |
![]() エリオドーロ・ロドリゲス・ロペス | |||
収容人数 | 22,824[1] | |||
代表者 |
![]() | |||
監督 |
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公式サイト | 公式サイト | |||
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■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
CDテネリフェSAD(Club Deportivo Tenerife, S.A.D.)は、スペイン・カナリア諸島州サンタ・クルス・デ・テネリフェに本拠地を置くサッカークラブ。2020-21シーズンはセグンダ・ディビシオン(2部)に所属する。
22,824人収容のエスタディオ・エリオドロ・ロドリゲス・ロペスを本拠地とする。カナリア諸島のグラン・カナリア島に本拠地を置くラス・パルマスとの対戦はカナリア諸島ダービーとして知られる。
歴史
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/b0/TenerifeRealSociedad08.jpg/250px-TenerifeRealSociedad08.jpg)
設立からセグンダ参戦まで
CDテネリフェが公式に設立されたのは1912年であるが、CDテネリフェの前身となったSCテネリフェ(Sporting Club Tenerife)がその10年前から存在していたとする文献もある。1928年にスペイン全国選手権(リーガ・エスパニョーラ)が設立されたが、テネリフェは地域リーグ(ディビシオネス・レヒオナレス)でのプレーを続け、セグンダ・ディビシオン(2部)に初昇格したのは1953年のことだった。
プリメーラ初参戦後
1961-62シーズンにはプリメーラ・ディビシオン(1部)に初参戦したが、すぐにセグンダに降格し、その後の27シーズンは主にセグンダに在籍。セグンダ・ディビシオンB(1978年創設、現3部相当)やテルセーラ・ディビシオン(現4部相当、1977年以前は3部相当)でもプレーした。1986年に2度目のセグンダB降格を喫すると、ハビエル・ペレス会長が就任。わずか1シーズンでセグンダ復帰を果たすと、1989年には昇格プレーオフでレアル・ベティスを2試合合計4-1で下し、28シーズンぶりのプリメーラ昇格を果たした。
1990年代 国内外での躍進
1991年にはアルゼンチン人のホルヘ・バルダーノが監督に就任し、2シーズン連続で古巣レアル・マドリードの戴冠を阻止している。バルダーノ監督就任初年度となった1991-92シーズン最終節では、首位レアル・マドリードに3-2で逆転勝ちし、結果としてFCバルセロナの優勝に貢献することになった。これはテネリフェの奇跡と呼ばれ、テネリフェはかろうじて降格を回避した。1992-93シーズンも首位レアル・マドリード、2位バルセロナという状況で最終節を迎えたが、テネリフェはレアル・マドリードと対戦し、またしても2-0で勝利してバルセロナの優勝に間接的に貢献。このシーズンのテネリフェはクラブ史上最高位の5位でシーズンを終え、UEFAカップ出場権を獲得した。1993-94シーズンのUEFAカップではAJオセール(フランス)とオリンピアコスFC(ギリシャ)に勝利してベスト16となったが、3回戦でユヴェントスFC(イタリア)に2試合合計2-4で敗れた。1995年にドイツ人のユップ・ハインケス監督が就任し、1995-96シーズンは再びクラブ史上最高位(タイ)の5位となった上に、コパ・デル・レイでは準々決勝に進出。1996-97シーズンには再びUEFAカップに出場し、1回戦でマッカビ・テル・アビブFC(イスラエル)、2回戦でSSラツィオ(イタリア)、3回戦でフェイエノールト(オランダ)、準々決勝でブレンビーIF(デンマーク)を破って準決勝に進出した。ブレンビー戦セカンドレグは、ロスタイムにアントニオ・マタが決勝点となる直接フリーキックを決める、劇的な試合となった。準決勝では延長戦の末シャルケ04(ドイツ)に敗れたものの、ベスト4という快挙を成し遂げた。その後は負のスパイラルに巻き込まれ、1999年には何度もの監督交代も空しくセグンダに降格となった。
2000年代 財政難と停滞
ラファエル・ベニテス監督が率いた2000-01シーズンには、最終節でウーゴ・モラレスが得点して昇格を決めた。2001年夏にベニテス監督はバレンシアCF監督に栄転し、ペペ・メルがテネリフェの新監督に就任したが、バルセロナに0-6で大敗するなどして、メル監督はシーズン途中で監督の座を追われた。かつてスペイン代表を指揮したハビエル・クレメンテ監督が就任したが、2001-02シーズン終了後には結局セグンダ降格となった。続く数シーズンは深刻な財政難に悩まされ、4000万ユーロ以上の負債を抱えた。ペレス会長の後任としてビクトル・ペレス・デ・アスカニオ会長が就任したが、アスカニオ会長も稚拙なクラブ運営のためにミゲル・コンセプシオン会長に交代した。コンセプシオン会長は地元の政治家や実業家と交渉し、クラブ系列の建設会社を設立した。セグンダでプレーした2008-09シーズンは、序盤戦こそ失点が多くて順位が安定しなかったが、年が変わる頃から守備が安定し、2009年1月から5月にかけて17戦無敗で順位を大きく上げた。ニノとアレハンドロ・アルファロのコンビで50点近くを挙げ、8シーズンぶりのプリメーラ昇格を決めた。2009-10シーズンは19位となり、バレンシア戦での敗戦後にセグンダ降格が決まった。2010-11シーズンには3度も監督が交代し[2]、2シーズン連続での降格となった。2011-12シーズンは実に24年ぶりのセグンダBでのプレーとなった。
サポーター
テネリフェのサポーターはチチャレロス (Chicharreros)と呼ばれる。この単語は「サンタ・クルス人」という意味であるが、これはかつてサンタ・クルスが小漁村だった時代にアジ(スペイン語でChicharro)が主要な食糧だったことに由来する。テネリフェ島やカナリア諸島のその他の島の住民はチチャレロスという言葉を蔑称として用いたが、サンタ・クルスの人々は親しみをこめて用いているようになった。
タイトル
国内タイトル
- セグンダ・ディビシオン : 1回
- 1960-61
- セグンダ・ディビシオンB : 1回
- 1986-87
- テルセーラ・ディビシオン : 1回
- 1970-71
成績
近年の成績
優勝 準優勝 昇格 降格
シーズン ディビジョン 順位 試 勝 引 敗 得 失 点 備考 1997–98 プリメーラ 15位 38 11 12 15 44 57 45 1998–99 プリメーラ 19位 38 7 13 18 41 63 34 セグンダ降格 1999-00 セグンダ 14位 42 14 13 15 50 48 55 2000-01 セグンダ 3位 42 21 11 10 58 32 74 プリメーラ昇格 2001–02 プリメーラ 19位 38 10 8 20 32 58 38 セグンダ降格 2002–03 セグンダ 8位 42 13 18 11 53 39 57 2003–04 セグンダ 8位 42 11 21 10 40 40 54 2004–05 セグンダ 9位 42 13 18 11 42 45 57 2005–06 セグンダ 18位 42 13 12 17 53 60 51 2006–07 セグンダ 7位 42 18 6 18 48 51 60 2007–08 セグンダ 11位 42 12 17 13 51 57 53 2008–09 セグンダ 3位 42 24 9 9 79 47 81 プリメーラ昇格 2009–10 プリメーラ 19位 38 9 9 20 40 74 36 セグンダ降格 2010-11 セグンダ 20位 42 9 11 22 42 66 38 セグンダB降格 2011-12 セグンダB 2位 38 18 10 10 51 32 64 2012-13 セグンダB 1位 38 20 13 5 62 28 73 セグンダ昇格 2013-14 セグンダ 11位 42 15 9 18 46 49 54 2014-15 セグンダ 17位 42 11 15 16 41 48 48 2015-16 セグンダ 13位 42 13 16 13 45 46 55 2016-17 セグンダ 4位 42 16 18 8 50 37 66 2017-18 セグンダ 11位 42 15 14 13 58 50 59 2018-19 セグンダ 16位 42 11 17 14 40 50 50 2019-20 セグンダ 12位 42 14 13 15 50 46 55 2020-21 セグンダ 位 42
過去の成績
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- 13シーズン - プリメーラ・ディビシオン(1部)
- 41シーズン - セグンダ・ディビシオン(2部)
- 8シーズン - セグンダ・ディビシオンB(現3部相当)
- 3シーズン - テルセーラ・ディビシオン(現4部相当、1977年以前は3部相当)
- 22シーズン - ディビシオネス・レヒオナレス(現5部相当、1977年以前は3部相当)
欧州の成績
シーズン | 大会 | ラウンド | クラブ | ホーム | アウェー | 通算 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1993–94 | UEFAカップ | 1回戦 | ![]() |
2-2 | 1-0 | 3-2 | ![]() |
2回戦 | ![]() |
2-1 | 3-4 | 5-5 (a) | ![]() | ||
3回戦 | ![]() |
2-1 | 0-3 | 2-4 | ![]() | ||
1996–97 | UEFAカップ | 1回戦 | ![]() |
3-2 | 1-1 | 4-3 | ![]() |
2回戦 | ![]() |
5-3 | 0-1 | 5-4 | ![]() | ||
3回戦 | ![]() |
0-0 | 4-2 | 4-2 | ![]() | ||
準々決勝 | ![]() |
0-1 | 2-0 (a.e.t.) |
2-1 | ![]() | ||
準決勝 | ![]() |
1-0 | 0-2 (a.e.t.) |
1-2 | ![]() |
現所属メンバー
- 2021年7月18日現在
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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- 監督
リザーブチーム
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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レンタル選手
- in
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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- out
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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歴代監督
エリベルト・エレーラ 1960-1961
リュビシャ・ブロチッチ 1961
エドゥアルド・トバ 1962-1963
ホセイート 1965-1966
エクトル・ヌニェス 1972
エクトル・ヌニェス 1972-1973
ダゴベルト・モル 1973-1974
イグナシオ・エイサギーレ 1973
マヌエル・サンチェス・マルティネス 1977-1978
ホセイート 1981-1982
ハビエル・アスカルゴルタ 1989-1991
ビセンテ・ミエーラ 1989-1990
ホルヘ・ソラーリ 1990-1992
ホルヘ・バルダーノ 1991-1994
ビセンテ・カンタトーレ 1994-1995
ユップ・ハインケス 1996-1997
ビクトル・フェルナンデス 1997
アルトゥール・ホルヘ 1997-1998
フアン・マヌエル・リージョ 1998
マウロ・サンドレアーニ 1999
フェルナンド・カストロ・サントス 1999-2000
フェリペ・ミニャンブレス 1999-2000
ラファエル・ベニテス 2000-2001
アンヘル・カッパ 2000-2001
ペペ・メル 2001-2002
ハビエル・クレメンテ 2001-2002
エバルト・リーネン 2002
ホセ・アントニオ・バロス
ダビド・アマラル 2003-2004
アントニオ・ロペス・アバス 2005
ベルンド・クラウス 2006
ダビド・アマラル 2006
フアン・カスコ 2006-2007
トニョ・エルナンデス 2007
ホセ・ルイス・オルトラ 2007-2010
ゴンサロ・アルコナーダ 2010
フアン・カルロス・マンディア 2010-2011
アントニオ・タピア 2011
ダビド・アマラル 2011
アルバロ・セルベラ 2012-2015
ホセ・ルイス・マルティ 2015-2018
ホセバ・エチェベリア 2018
ルイス・オルトラ 2018-2019
ルイス・セサル・サンペドロ 2019
アリツ・ロペス・ガライ 2019
ルベン・バラハ 2019-2020
フラン・フェルナンデス 2020-
歴代所属選手
GK
ホセ・マヌエル・オチョトレーナ 1992-1994
ロベルト・エンケ 2004
マリアーン・ケレメン 2004-2006
DF
アルベルト・フェレール 1990
カルロス・アギレラ 1993-1996
セルヒオ・マルティネス・バジェステロス 1996-2000
クーロ・トーレス 2000-2001
ハビ・ベンタ 2000-2001
ジョセフ・ヨボ 2001-2002
MF
ルイス・モロウニー 1943-1944
フェリペ・ミニャンブレス 1989-1999
フェルナンド・レドンド 1990-1994
スラヴィシャ・ヨカノヴィッチ 1995-1999
サムエル・スロヴァーク 1997-2002
ルイス・ガルシア 2000-2001
ハイメ・ガビラン 2004-2005
シルバン・エンディアエ 2007-2008
ミケル・アロンソ 2009-2011
ロマン・マルティネス 2009-2010
柴崎岳 2017
FW
ビクトル 1994-1995
フアン・アントニオ・ピッツィ 1994-1996,1998-1999
オリバー・ノイビル 1996-1997
アウレリオ・ヴィドマー 1996-1998
ロイ・マカーイ 1997-1999
ミスタ 1999-2001
エステバン・フエルテス 2000-2001
ブルーノ・マリオーニ 2001-2003
ヴェリコ・パウノヴィッチ 2002-2003
トーマス・フランコフスキー 2006-2007
ニノ 2007-2011
アントニー・ロサノ 2015-2017
脚注
- ^ “Instalaciones” (スペイン語). CD Tenerife. 2016年5月26日閲覧。
- ^ “David Amaral es el nuevo entrenador del Tenerife” (Spanish ). Diario AS (5 April 2011 ). 2011年4月22日閲覧。