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2021年8月8日 (日) 11:00時点における版
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![]() アルゼンチン代表でのディ・マリア (2018年) | ||||||||||||||
名前 | ||||||||||||||
本名 |
アンヘル・ファビアン・ディ・マリア・エルナンデス Ángel Fabián Di María Hernández | |||||||||||||
愛称 | アンヘリート、エル・フィデオ | |||||||||||||
ラテン文字 | Ángel Di María | |||||||||||||
基本情報 | ||||||||||||||
国籍 |
![]() ![]() | |||||||||||||
生年月日 | 1988年2月14日(36歳) | |||||||||||||
出身地 | ロサリオ | |||||||||||||
身長 | 180cm | |||||||||||||
体重 | 75kg | |||||||||||||
選手情報 | ||||||||||||||
在籍チーム |
![]() | |||||||||||||
ポジション | FW (WG) / MF (CH, OH) | |||||||||||||
背番号 | 11 | |||||||||||||
利き足 | 左足 | |||||||||||||
ユース | ||||||||||||||
1991-1992 |
![]() | |||||||||||||
1992-2005 |
![]() | |||||||||||||
クラブ1 | ||||||||||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||||||||||
2005-2007 |
![]() | 35 | (6) | |||||||||||
2007-2010 |
![]() | 76 | (7) | |||||||||||
2010-2014 |
![]() | 124 | (22) | |||||||||||
2014-2015 |
![]() | 27 | (3) | |||||||||||
2015- |
![]() | 198 | (55) | |||||||||||
代表歴2 | ||||||||||||||
2007 |
![]() | 11 | (5) | |||||||||||
2008 |
![]() | 6 | (2) | |||||||||||
2008- |
![]() | 110 | (21) | |||||||||||
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1. 国内リーグ戦に限る。2021年7月17日現在。 2. 2021年07月11日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
アンヘル・ファビアン・ディ・マリア・エルナンデス(Ángel Fabián Di María Hernández, 1988年2月14日 - )は、アルゼンチン・サンタフェ州ロサリオ出身のサッカー選手。リーグ・アン・パリ・サンジェルマンFC所属。アルゼンチン代表。ポジションはフォワード、ミッドフィールダー。スペイン語での標準的発音では「ディ・マリーア」に近い。
クラブ経歴
ロサリオ・セントラル
サンタフェ州ロサリオの労働者階級の人々が住むアルベルディ区に生まれる。幼少の頃から非常に活発な子供で、周囲に多動性障害ではないかと心配され、母マリアーナが小児科医に相談するほどだったという[1]。4歳で地元のクルブ・トリートというサッカークラブに通い始め[2]、14歳でCAロサリオ・セントラルに入団し[3]、2005年に17歳でデビュー。当時はサイドバックでプレーしていたが、スピードはあるもののスタミナや対人プレーが弱かったことから大成しない選手とされ、コーチからは「才能がないから他の職業を探した方がいい」と言われた。しかし、2007年にロサリオ・セントラルを率いたカルロス・イスチアによって左ウィングにコンバートされたことにより才能が開花した[4]。
ベンフィカ
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/cc/%C3%81ngel_Di_Mar%C3%ADa.jpg/180px-%C3%81ngel_Di_Mar%C3%ADa.jpg)
2007年7月、ボカ・ジュニアーズとの獲得争いを制したベンフィカにシモン・サブローザの代役として移籍した[5]。初参加となったUEFAチャンピオンズリーグではグループリーグ6試合全てに出場した。2009-10シーズンはリーグトップの12アシストを決め、優勝に貢献。ディエゴ・マラドーナからは、「2年以内に世界的なスター選手になる」と言われた[6]。ディ・マリアはそのシーズン、ポルトガルリーグ最優秀選手に選ばれた。
レアル・マドリード
2010年6月28日、移籍金2500万ユーロの6年契約でレアル・マドリードに移籍した[7]。クラブ・アメリカとの親善試合でデビューし、RCDマヨルカとのリーグ初戦にもスターティングメンバーに選ばれた。ソシエダ戦ではリーグ初ゴールを記録。その後もコンスタントにプレーし、ディ・マリアのアンヘル(Ángel)というファーストネームから、移籍したラウル・ゴンサレスに代わる『マドリーの新たな天使』というニックネームを授かった[2]。しかし、リーグ、カップ、UEFAチャンピオンズリーグと3つの大会を戦うという過密日程から「疲れた」と心情を吐露した[8]。
チャンピオンズリーグ・ラウンド8でのトッテナム・ホットスパーFC戦1stレグで挙げた3点目は、相手監督のハリー・レドナップから「3点目のようなプレーを見せられてはお手上げだ。あのゴールは本当に素晴らしかった」と賞賛された[9]。FCバルセロナとのコパ・デル・レイ決勝は、延長前半に左サイドのクロスからクリスティアーノ・ロナウドの決勝点を演出した。
2013年にレアル・マドリードがガレス・ベイル獲得に動いていたことにより同じポジションであるディ・マリアが移籍すると見られていたが[10]、新監督のカルロ・アンチェロッティ曰く、「チームのバランスのための技術的な決断」で移籍市場最終日にメスト・エジルの移籍が決定したことにより、ディ・マリアは残留となった[11]。開幕当初は出場機会が減ったものの[12]、セントラルMFとしてプレーすることにより出場機会を増やした。チャンピオンズリーグでは、決勝で鋭いドリブル突破からベイルの決勝点をアシストし、マン・オブ・ザ・マッチに選ばれるなどクラブの「ラ・デシマ」達成に大きく貢献した。
マンチェスター・ユナイテッド
2014年夏にレアル・マドリードがハメス・ロドリゲス、トニ・クロースらを獲得した事により移籍を志願、8月26日にマンチェスター・ユナイテッドFCにプレミアリーグ史上最高額の5970万ポンドで移籍[13][14]、背番号は伝統の7番を背負うこととなった。QPR戦で移籍後初ゴール、リーグ戦27試合に出場、10アシストを記録するも、ゴールは3ゴールに留まった。
パリ・サンジェルマン
2015年8月6日、フランスのパリ・サンジェルマンFCへ移籍することをクラブ公式Twitter上で発表した[15]。契約は2019年6月30日までの4年間で、背番号は11番である。これによりマンチェスター・ユナイテッドFCにプレミアリーグ史上最高額で移籍も1年で退団することになった。
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/1/11/PSG-Shakhter15_%282%29.jpg/200px-PSG-Shakhter15_%282%29.jpg)
2015-16シーズン、18アシストを記録しリーグ優勝に貢献、18アシストはリーグ・アンの新記録となった[16]。
2017年2月14日、チャンピオンズリーグ、ラウンド16のFCバルセロナ戦1stレグでは2得点を決めて勝利に貢献したが、2ndレグでは破れ、準々決勝には進出出来なかった。
2016-17シーズン、4月1日に行われたクープ・ドゥ・フランス決勝、ASモナコとの試合では得点を決め[17]、優勝に貢献した。2017-18シーズン、2月6日、クープ・ドゥ・フランス3回戦のソショー戦ではハットトリック[18]、準々決勝のマルセイユ戦でも2ゴールゴールを決めるなど、トータル7ゴールを決め[18]、同大会制覇に貢献した。
2018-19シーズンはリーグ戦で12ゴール12アシストを決め、リーグ制覇に貢献した[19]。
2019-20シーズン、9月18日、チャンピオンズリーグ、グループステージのレアル・マドリード戦で2得点を挙げ、バルセロナとレアル・マドリードの両方を相手に1試合2得点を達成した史上2人目の選手となった。リーグ戦では26試合で7ゴール14アシストでリーグ3連覇に貢献[20]、チャンピオンズリーグ準々決勝は出場停止で欠場したが、準決勝のライプツィヒ戦では1ゴール2アシストとチームの全てのゴールに関わり、MOMに選ばれる活躍で、チームを初の決勝進出に導いた[21]。
代表経歴
2007年に行われたFIFA U-20ワールドカップでは3得点を記録して優勝に貢献し、多くのビッグクラブの注目を集めた。
2008年の北京オリンピックではラッキーボーイ的な存在となり、アルゼンチンの金メダル獲得に貢献した。準々決勝のオランダ戦では延長後半でチームを準決勝へ導くゴールを決め、決勝のナイジェリア戦では、カウンターから決勝点となる鮮やかなループシュートを決めた[22]。
2008年9月6日にワールドカップ予選のパラグアイ戦でフル代表デビューした[23]。2010年5月24日のカナダ戦でフル代表初ゴールを決めた[23]。
2010年FIFAワールドカップ・南アフリカ大会にも出場し、ギリシャ戦を除く全ての試合に先発出場した。
2014年FIFAワールドカップブラジル大会決勝トーナメント1回戦のスイス戦では延長後半に決勝ゴールを決め[23]、チームの準々決勝進出を助けたが、ベルギー戦で負傷し途中交代、準決勝、決勝には出場出来ず、チームは決勝でドイツに敗れた。
コパ・アメリカ2015では準決勝のパラグアイ戦で1ゴール2アシストを決め、決勝進出るに貢献したが[23]、決勝ではチリに破れ準優勝に終わった。
2018年、ワールドカップロシア大会、決勝トーナメント1回戦のフランス戦でミドルシュートで1ゴールを決めたが[23]、3-4で敗れた。
2021年、コパ・アメリカ決勝のブラジル戦で決勝点を挙げ、28年ぶりのコパ・アメリカ優勝に貢献した[24]。
人物
優れたドリブルを持ち、左右どちらのサイドでもプレーすることが出来るアタッカー[2]。レアル・マドリードではウイングで起用されることが多いが、ウイングとしては発想と判断力を重視してプレーし、またジョゼ・モウリーニョの下で守備への意識を強く持つようになった[25]。
キリスト教を信仰しており、試合前にはロッカールームでお祈りを欠かさない。また、腕に刺青で地元であるペルドリエル地区に対するメッセージを入れており、試合前にはその刺青にキスをしているという[26]。
エピソード
- 2010年9月28日、チャンピオンズリーグのAJオセール戦で自身のゴールが決勝点となりマドリーが勝利した翌日、ディ・マリアはマドリー市街で恋人とデートをしていたが、交通事故に遭ってしまい、愛車のアウディが破損した。ディ・マリアカップルの2人には怪我はなかった。ディ・マリアは、事故後すぐにクラブの責任部署に連絡を取った。また家族にも連絡し、安心させた[27]。
- 体格に反して大食漢である。フェルナンド・ガゴが名付けたことがきっかけとなり、チームメイトからはフィデオ(パスタの意)と呼ばれる[2]。
- 2013年4月24日に、第一子となる女児が生まれた[28]。
- 2014年8月29日、先にマンチェスター・ユナイテッドへ移籍していた同胞のマルコス・ロホがイギリスでの就労ビザ取得に遅れが生じていると問題になっていた頃、ディ・マリアは既にイギリスの就労ビザを取得していた。父方か母方どちらかは定かでないが祖父母がイタリア人であり、ディ・マリア本人もイタリアのパスポートを所有しているが、EU圏内での労働権利を持っていたためである[29]。
- キャリアにおける移籍金の累計額は1億7700万ユーロとされており、これは2015年8月までのサッカー史上最高額である[30]。
個人成績
クラブ | シーズン | 背番号 | リーグ戦 | カップ戦 | リーグカップ戦 | 欧州カップ戦 | その他 | 通算 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | |||
ロサリオ・セントラル | 2005-06 | 20 | 10 | 0 | 0 | 0 | — | 4 | 0 | 0 | 0 | 14 | 0 | |
2006-07 | 25 | 6 | 0 | 0 | — | 0 | 0 | 0 | 0 | 25 | 6 | |||
合計 | 35 | 6 | 0 | 0 | — | 4 | 0 | 0 | 0 | 39 | 6 | |||
ベンフィカ | 2007-08 | 20 | 26 | 0 | 5 | 0 | 3 | 0 | 10 | 1 | 0 | 0 | 44 | 1 |
2008-09 | 24 | 2 | 1 | 0 | 5 | 1 | 5 | 1 | 0 | 0 | 35 | 4 | ||
2009-10 | 26 | 5 | 1 | 0 | 4 | 1 | 14 | 4 | 0 | 0 | 45 | 10 | ||
合計 | 76 | 7 | 7 | 0 | 12 | 2 | 29 | 6 | 0 | 0 | 124 | 15 | ||
レアル・マドリード | 2010-11 | 22 | 35 | 6 | 8 | 0 | — | 10 | 3 | 0 | 0 | 53 | 9 | |
2011-12 | 23 | 5 | 2 | 0 | — | 7 | 2 | 0 | 0 | 32 | 7 | |||
2012-13 | 32 | 7 | 9 | 2 | — | 11 | 0 | 0 | 0 | 52 | 9 | |||
2013-14 | 34 | 4 | 7 | 4 | — | 11 | 3 | 0 | 0 | 52 | 11 | |||
2014-15 | 0 | 0 | 0 | 0 | — | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | |||
合計 | 124 | 22 | 26 | 6 | — | 39 | 8 | 1 | 0 | 190 | 36 | |||
マンチェスター・ユナイテッド | 2014–15 | 7 | 27 | 3 | 5 | 1 | 0 | 0 | — | 0 | 0 | 32 | 4 | |
合計 | 27 | 3 | 5 | 1 | 0 | 0 | — | 0 | 0 | 32 | 4 | |||
パリ・サンジェルマン | 2015-16 | 11 | 29 | 10 | 4 | 0 | 4 | 2 | 10 | 3 | 0 | 0 | 47 | 15 |
2016-17 | 29 | 6 | 3 | 1 | 3 | 3 | 7 | 4 | 1 | 0 | 43 | 14 | ||
2017-18 | 30 | 11 | 6 | 7 | 4 | 2 | 5 | 1 | 0 | 0 | 45 | 21 | ||
2018-19 | 30 | 12 | 4 | 3 | 2 | 0 | 8 | 2 | 1 | 2 | 45 | 19 | ||
2019-20 | 5 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 1 | 1 | 7 | 5 | ||
合計 | 122 | 41 | 17 | 1 | 13 | 7 | 31 | 12 | 3 | 3 | 186 | 74 | ||
通算 | 384 | 79 | 52 | 15 | 25 | 9 | 102 | 25 | 8 | 4 | 571 | 135 |
代表歴
出場大会
- U-23アルゼンチン代表
- 2008年 - 北京オリンピック (金メダル)
- アルゼンチン代表
- 2010年 - 2010 FIFAワールドカップ (ベスト8)
- 2011年 - コパ・アメリカ2011 (ベスト8)
- 2014年 - 2014 FIFAワールドカップ (準優勝)
- 2015年 - コパ・アメリカ2015 (準優勝)
- 2016年 - コパ・アメリカ・センテナリオ (準優勝)
- 2018年 - 2018 FIFAワールドカップ(ベスト16)
- 2021年 - コパ・アメリカ2021 (優勝)
試合数
国際Aマッチ 110試合 21得点 (2008年 - )
アルゼンチン代表 | 国際Aマッチ | |
---|---|---|
年 | 出場 | 得点 |
2008 | 1 | 0 |
2009 | 5 | 0 |
2010 | 11 | 2 |
2011 | 10 | 3 |
2012 | 8 | 3 |
2013 | 9 | 1 |
2014 | 13 | 2 |
2015 | 13 | 4 |
2016 | 12 | 3 |
2017 | 10 | 1 |
2018 | 5 | 1 |
2019 | 5 | 0 |
通算 | 110 | 21 |
ゴール
# | 開催年月日 | 開催地 | 対戦国 | スコア | 結果 | 試合概要 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2010年5月24日 | ![]() |
![]() |
3-0 | 5-0 | 親善試合 |
2 | 2010年8月11日 | ![]() |
![]() |
0-1 | 0-1 | |
3 | 2011年2月9日 | ![]() |
![]() |
0-1 | 1-2 | |
4 | 2011年7月11日 | ![]() |
![]() |
3-0 | 3-0 | コパ・アメリカ2011 |
5 | 2011年9月6日 | ![]() |
![]() |
2-0 | 3-1 | 親善試合 |
6 | 2012年7月3日 | ![]() |
![]() |
4-0 | 4-0 | 2014 FIFAワールドカップ・南米予選 |
7 | 2012年8月15日 | ![]() |
![]() |
0-3 | 1-3 | 親善試合 |
8 | 2012年9月7日 | ![]() |
![]() |
1-0 | 3-1 | 2014 FIFAワールドカップ・南米予選 |
9 | 2013年9月10日 | ![]() |
![]() |
1-4 | 2-5 | |
10 | 2014年7月1日 | ![]() |
![]() |
1-0 | 1-0 | 2014 FIFAワールドカップ |
11 | 2014年9月6日 | ![]() |
![]() |
0-4 | 2-4 | 親善試合 |
12 | 2015年6月6日 | ![]() |
![]() |
1-0 | 5-0 | |
13 | 5-0 | |||||
14 | 2015年6月30日 | ![]() |
![]() |
3-1 | 6-1 | コパ・アメリカ2015準決勝 |
15 | 4-1 | |||||
16 | 2016年3月24日 | ![]() |
![]() |
1-1 | 1-2 | 2018 FIFAワールドカップ・南米予選 |
17 | 2016年6月6日 | ![]() |
![]() |
1-0 | 2-1 | コパ・アメリカ・センテナリオ |
18 | 2016年11月15日 | ![]() |
![]() |
3-0 | 3-0 | 2018 FIFAワールドカップ・南米予選 |
19 | 2017年6月13日 | ![]() |
![]() |
0-6 | 0-6 | 親善試合 |
20 | 2018年6月30日 | ![]() |
![]() |
1-1 | 3-4 | 2018 FIFAワールドカップラウンド16 |
21 | 2021年7月10日 | ![]() |
![]() |
1-0 | 1-0 | コパ・アメリカ2021決勝 |
タイトル
クラブ
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/b6/Di_Mar%C3%ADa_cropped.jpg/180px-Di_Mar%C3%ADa_cropped.jpg)
- プリメーラ・ディビシオン : 1回 (2011-12)
- コパ・デル・レイ : 2回 (2010-11, 2013-14)
- スーペルコパ・デ・エスパーニャ : 1回 (2012)
- UEFAチャンピオンズリーグ : 1回 (2013-14)
- UEFAスーパーカップ : 1回 (2014)
- リーグ・アン : 4回 (2015-16, 2017-18, 2018-19, 2019-20)
- クープ・ドゥ・ラ・リーグ : 3回 (2015-16, 2016-17, 2017-18, 2019-20)
- クープ・ドゥ・フランス : 3回 (2015-16, 2016-17, 2017-18, 2019-20)
- トロフェ・デ・シャンピオン : 4回 (2016, 2017, 2018, 2019)
代表
- アルゼンチン代表
- U-20アルゼンチン代表
- FIFA U-20ワールドカップ : 1回 (2007)
- オリンピックサッカー金メダル : 1回 (2008)
個人
- FIFAワールドカップ・ベストイレブン:2014年
- アルゼンチン年間最優秀選手賞:2014年
脚注
- ^ 「ルーツを訪ねて第60回:幸運を運ぶ本当の天使」 『WORLD SOCCER DIGEST No.278』 第14巻第21号、日本スポーツ企画出版社、2008年、76-78頁。雑誌 29891-11/8
- ^ a b c d マドリーに舞い降りた天使 uefa.com、2011年1月27日
- ^ 移籍金として受け取ったのは、サッカーボール40個だった。
- ^ 「天才プレイヤーの創り方。」Number 771号、2011年1月27日
- ^ Top 10 things you need to know about Real Madrid's new Argentine magician Angel Di Maria mirrorfootball.co.uk、2009年10月28日
- ^ Maradona hails Chelsea target Ontheminute.com、2009年10月28日
- ^ レアル・マドリー、ディ・マリア獲得を発表 Goal.com、2010年5月20日
- ^ 【サッカー】R・マドリー、ハードスケジュールで疲労困憊 searchina.ne.jp、2011年2月5日
- ^ トッテナムのレドナップ監督「クラウチのプレーには失望した」 スポーツナビ、2011年4月6日
- ^ レアル MFベイル加入もエジルを放出 デイリーオンライン、2013年9月2日
- ^ アンチェロッティ:「エジルよりディ・マリアを選んだ」 Goal.com、2013年10月25日
- ^ ディ・マリア、ベイル加入でレアルから移籍? プレミアかフランスが新天地か livedoor.com、2013年12月25日
- ^ “ユナイテッド、ディ・マリア獲得を正式発表”. Goal (2014年8月26日). 2014年8月26日閲覧。
- ^ 2010-11シーズンにリバプールのフェルナンド・トーレスがチェルシーに移籍した際の5000万ポンドがそれまでのプレミアリーグ史上最高額である。
- ^ ディ・マリアのPSG移籍が決定…プレミア最高額で獲得も1年でマンU退団 soccerking 2015年8月6日
- ^ “Di Maria sets new Ligue 1 record with 18 assists”. Goal.com. (2016年5月14日)
- ^ “AS Monaco 4-1 Paris Saint-Germain”. Ligue 1. (2017年4月1日)
- ^ a b “Angel Di Maria 2017/18”. www.transfermarkt.com 2020年4月1日閲覧。
- ^ “Angel Di Maria 2018/19”. www.transfermarkt.com 2020年4月1日閲覧。
- ^ “Angel Di Maria 2019/20”. www.transfermarkt.com 2020年4月1日閲覧。
- ^ “PSG初の決勝進出に貢献! 1得点2アシストのディ・マリアがMOMに選出”. www.footballchannel. (2020年8月19日) 2020年8月19日閲覧。
- ^ アルゼンチン男子 ナイジェリア下し五輪2連覇 AFP BB News、2008年8月23日
- ^ a b c d e “Angel Di Maria Nationa team”. www.transfermarkt.com 2020年4月1日閲覧。
- ^ “メッシ、5度目の決勝戦で悲願の代表初タイトル…!アルゼンチンがブラジル下し28年ぶりコパ・アメリカ制覇”. ゴールコム (2021年7月11日). 2021年7月11日閲覧。
- ^ 「アンヘル・ディ・マリアが語るウイングに求められる条件」『ワールドサッカーキング 2011年8月4日号(No.185)』フロムワン
- ^ 地元を愛するR・マドリーの救世主 livedoor.com、2010年10月2日
- ^ “救世主ディ・マリアが交通事故に!”. サーチナ (2010年10月1日). 2010年10月7日閲覧。
- ^ “新米パパのディマリア過密スケジュール”. デイリースポーツ (2013年4月24日). 2013年4月25日閲覧。
- ^ “Van Gaal: Rojo still needs work permit”. マンチェスター・ユナイテッド公式Webサイト (2014年8月29日). 2014年9月8日閲覧。
- ^ https://www.soccer-king.jp/news/world/ita/20150807/338170.html
関連項目
外部リンク
- Profile at ManUtd.com
- Profile at LFP.es
- Profile at ESPN FC
- BDFutbol profile
- アンヘル・ディ・マリア - Soccerwayによる個人成績
- アンヘル・ディ・マリア - National-Football-Teams.com
- アンヘル・ディ・マリア – FIFA主催大会成績