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2021年8月8日 (日) 12:56時点における版
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![]() アル・アインでのオマル・アブドゥッラフマーン(2016年) | ||||||
名前 | ||||||
本名 |
オマル・アブドゥッラフマーン・アフマド・アッ=ラーキー・アル=アムーディー Omar Abdul Rahman Ahmed Al Raaki Al Amoodi | |||||
ラテン文字 | Omar Abdul Rahman | |||||
アラビア語 | عمر عبدالرحمن أحمد الراقي العمودي | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
![]() | |||||
生年月日 | 1991年9月20日(32歳) | |||||
出身地 |
![]() | |||||
身長 | 173cm | |||||
体重 | 60kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム |
![]() | |||||
ポジション | MF(AMF / WG) | |||||
背番号 | 21 | |||||
利き足 | 左足 | |||||
ユース | ||||||
2000-2005 |
![]() | |||||
2006-2008 |
![]() | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2008-2019 |
![]() | 142 | (38) | |||
2018-2019 |
→ ![]() | 5 | (1) | |||
2019- |
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代表歴2 | ||||||
2007-2010 |
![]() | 4 | (1) | |||
2010-2012 |
![]() | 15 | (1) | |||
2011- |
![]() | 48 | (9) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2019年11月3日現在。 2. 2016年9月1日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
オマル・アブドゥッラフマーン(アラビア語: عمر عبد الرحمن、Omar Abdulrahman、1991年9月20日 - )は、サウジアラビアのリヤドの生まれ、イエメン系[1]。アラブ首長国連邦のサッカー選手。アラビアン・ガルフ・リーグ・アル・ジャジーラ所属。UAE代表。ポジションはミッドフィールダー。日本語では、「オマル・アブドゥルラフマン」と表記されることもある。
経歴
クラブ
カレド・アブドゥッラフマーン、ムハンマド・アブドゥッラフマーンの弟として生まれる。彼らもアル・アインFCで共にプレイするサッカー選手であり、ムハンマドとは代表でも共にプレイしている。
サウジアラビアでハドラマウト人の子として生まれた。そのため、少年時代はアル・ヒラルの下部組織に所属していた。国籍を保持していなかったため当初はサウジアラビアから誘いを受けたものの、オマール以外の家族への市民権付与が拒否されたことで断りを入れている。後にUAEが家族全員に国籍を与えることを提案し、これを受託した。
2000年にアル・ヒラルのユースチームでキャリアをスタートさせ、2007年にアル・アインFCのユースチームに移籍。2008年にトップチーム昇格した。
2009年に前十字靭帯を断裂したものの、2010-11シーズンは若くしてアル・アインのレギュラーポジションを獲得、高い評価を得た。2011年にふたたび大怪我で離脱するも評価は落ちることなく、復帰後はマンチェスター・シティでのトライアルを受験し、ビザの問題などで実現はしなかったものの好感触を得たと言われている。
2015年2月21日、「アル・アインとの契約を延長した」と自身のツイッターで発表した。本人から契約期間は明かされていないものの、メディアでは2019年まで4年間が追加されたと考えられており、これによりアジア屈指のスターが欧州で活躍する可能性は低くなったと伝えられた[2]。
2018年8月9日、サウジ・プロフェッショナルリーグのアル・ヒラルに1年の期限付き移籍が発表された[3]。しかしまもなく代表戦で前十字靭帯断裂の大怪我を負ったため、リーグ戦の出場はわずか5試合にとどまった。そのまま期限付き移籍期間、およびアル・アインとの契約を満了した。
2019年8月8日、アル・ジャジーラ・クラブと3年契約を結んだ。
2021年2月1日、アル・ジャジーラ・クラブとの契約を解除、無所属になる。
代表
アラブ首長国連邦代表として2010年にA代表デビューを果たした。
2010年には若くしてアジア大会に出場し、決勝戦で日本代表と戦い敗れたものの準優勝。AFCアジアカップ2011にも出場した。
「黄金世代」と呼ばれたチームの中心として2012年にはロンドン五輪出場を果たし、グループリーグ敗退もテクニックを見せつけ、マンチェスターシティーやバルセロナのスカウトを唸らせた。さらに2013年にはガルフカップでUAEを優勝に導きMVPに選ばれた
ガルフカップ2013では、2ゴール、2アシストの活躍で自国の優勝に貢献、最優秀選手に選ばれた。AFCアジアカップ2015では、準々決勝の日本戦ではPKでパネンカキックを決め、勝利に貢献した。準決勝のオーストラリア戦では敗れたものの、3位決定戦のイラク戦では精度の高いスルーパスを駆使して2アシストという結果を残し勝利に貢献しUAE代表は3位で大会を終えた [4]。また、個人ではアシスト王(4アシスト)に輝き、大会ベストイレブンに選出されている。
プレースタイル
UAE史上最高の選手と言われる司令塔。アフロヘアーが特徴のゲームメーカー。ポジションは2列目のアタッカーで、足元の柔らかいテクニックを生かしたドリブルやパス、左足での正確なキックが得意な選手。[要出典]
人物・エピソード
- 2012年8月30日、ザ・ナショナル紙は「UAE代表MFオマール・アブドゥラフマンは、マンチェスター・シティへの練習参加を終え、アル・アインに復帰した」と報じた[5]。マンチェスター・シティにトライアル入団していたが、2週間の練習参加を終え、所属クラブのアル・アインに戻ることになった。欧州移籍は実現しなかった。
- 2013年2月24日、ナショナル紙は「UAE代表MFオマール・アブドゥラフマンは、ベンフィカからのオファーを断ったことを明らかにした」と報じた[6]。2013年ガルフカップでチームを優勝に導く活躍を見せたオマル・アブドゥラフマンに対して、大会終了後にベンフィカが『1年間の期限付きで獲得したい』とオファーを提示してきた。しかし、オマル・アブドゥラフマンは所属しているアル・アインへの忠誠を理由にこれを断ったと記者会見で明らかにした。
- 2014年2月9日、ナショナルは「イングランド・プレミアリーグのリヴァプールが、UAE代表MFオマール・アブドゥラフマンの獲得を計画している」と報じた[7]。
- マンチェスター・シティやアーセナル、バレンシア、ドルトムント、ベンフィカ、リヴァプールあたりから関心があったが、ビザの問題やアル・アインが設定している移籍金が、アジア人にしては高額であることで欧州移籍が実現していない。
- 『f2freestylers』は、The F2というビリー・ウィングローヴ&ジェレミー・リンチのユニットとの動画を発表した[8]。
代表歴
出場大会
- U-23UAE代表
- 2010年 - アジア競技大会(準優勝)
- 2012年 - ロンドンオリンピック(グループリーグ敗退)
- UAE代表
- 2011年 - AFCアジアカップ2011(グループリーグ敗退)
- 2013年 - ガルフカップ2013(優勝)
- 2015年 - AFCアジアカップ2015(3位)
試合数
国際Aマッチ 48試合 9得点(2011年- )
非公式試合 4試合 0得点(2012年-2013年)
UAE代表 | 国際Aマッチ | その他 | 期間通算 | |||
---|---|---|---|---|---|---|
年 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
2011 | 4 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 |
2012 | 6 | 2 | 1 | 0 | 7 | 2 |
2013 | 12 | 3 | 3 | 0 | 15 | 3 |
2014 | 9 | 1 | 0 | 0 | 9 | 1 |
2015 | 13 | 2 | 0 | 0 | 13 | 2 |
2016 | 4 | 1 | 0 | 0 | 4 | 1 |
通算 | 48 | 9 | 4 | 0 | 52 | 9 |
ゴール
# | 開催年月日 | 開催地 | 対戦国 | スコア | 結果 | 試合概要 |
---|---|---|---|---|---|---|
1. | 2012年10月16日 | ![]() |
![]() |
6-2 | 6-2 | 親善試合 |
2. | 2012年12月25日 | ![]() |
![]() |
0-1 | 0-1 | 親善試合 |
3. | 2013年 | 1月 5日![]() |
![]() |
1-1 | 3-1 | ガルフカップ2013 |
4. | 2013年 | 1月18日![]() |
![]() |
1-0 | 2-1 | ガルフカップ2013 |
5. | 2013年11月15日 | ![]() |
![]() |
3-0 | 4-0 | AFCアジアカップ2015 (予選) |
6. | 2014年 | 5月27日![]() |
![]() |
2-2 | 3-4 | 親善試合 |
7. | 2015年 | 6月16日![]() |
![]() |
0-1 | 0-1 | 2018 FIFAワールドカップ・アジア2次予選 |
8. | 2015年11月17日 | ![]() |
![]() |
0-1 | 1-2 | 2018 FIFAワールドカップ・アジア2次予選 |
9. | 2016年 | 3月29日![]() |
![]() |
1-1 | 1-1 | 2018 FIFAワールドカップ・アジア2次予選 |
タイトル
クラブ
- アラビアン・ガルフ・リーグ:3回 (2011-12, 2012-13, 2014-15)
- UAE・リーグカップ:1回 (2008-09)
- UAE・スーパーカップ:3回 (2009, 2012, 2015)
- UAEプレジデントカップ:2回 (2008-09,2013-14)
- Emirati-Moroccanスーパーカップ:1回 (2008-09)
代表
個人
- AFCチャンピオンズリーグ ドリーム チーム:1回 (2014)
- ガルフカップ 最優秀選手賞:1回 (2013)
- AFCアジアカップ アシスト王:1回 (2015)
- AFCアジアカップ 公式ベストイレブン:1回 (2015)
脚注
- ^ “Sky Sports Scout - Omar Abdulrahman”. Sky Sports Scout. (2012年8月23日) 2013年5月4日閲覧。
- ^ “UAEの星オマール、アル・アインと契約延長”. Qoly Football web magazine 2015年2月22日閲覧。
- ^ “Omar Abdulrahman joins Al Hilal on loan”. The AFC.com 2018年8月27日閲覧。
- ^ “Goal.com names Omar Abdulrahman as its Asian Player of the Month”. Goal.com. (2013年2月18日) 2013年5月3日閲覧。
- ^ “UAEの若手FW、マンチェスターC入団はならず”. Qoly Football web magazine 2012年8月31日閲覧。
- ^ “UAEの星、ベンフィカからの誘いを断る”. Qoly Football web magazine 2013年2月25日閲覧。
- ^ “リヴァプール、UAEの若きスターを狙う?”. Qoly Football web magazine 2014年2月10日閲覧。
- ^ “日本と最終予選で対戦!UAEの星オマール、圧巻のスキルを見せつける”. Qoly Football web magazine 2016年4月25日閲覧。
外部リンク
- オマル・アブドゥッラフマーン (@amorry10) - Instagram
- オマル・アブドゥッラフマーン (@3moory10) - X(旧Twitter)
- Al Ain FC profile
- UAEFA profile
- オマル・アブドゥッラフマーン – FIFA主催大会成績