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2021年9月6日 (月) 09:21時点における版
錦部郡(にしごりぐん)は、かつて河内国・堺県・大阪府にあった郡。
郡域
1880年(明治13年)に行政区画として発足した当時の郡域は、河内長野市の全域および富田林市の一部(概ね廿山、向陽台、美山台、宮甲田町、甲田、谷川町、川向町、西板持町、楠風台、彼方、伏見堂より南西)にあたる[1]。
歴史
近世以降の沿革
知行 | 村数 | 村名 | |
---|---|---|---|
幕府領 | 幕府領 | 2村 | 伏山新田、西代村 |
旗本領 | 4村 | ○横山村、○板持村、○高向村、上田村 | |
藩領 | 近江膳所藩 | 17村 | ○加太新田[4]、○市村新田、○市村、○上原村、惣作村、○下里村、○古野村、○石仏村、片添村、○上岩瀬村、新町村、下岩瀬村、唐久谷村、○加賀田村、●○天野山、○新家村、○伏見堂村 |
伊勢神戸藩 | 8村 | ○原村、○長野村、○日野村、清水村、天見村、流谷村、○鬼住村、●○寺元村 | |
河内狭山藩 | 3村 | ○嬉村、○小塩村、○河合寺村 | |
膳所藩・狭山藩 | 6村 | 彼方村、○向野村、○滝畑村、○鳩原村、○太井村[5]、○石見川村 | |
神戸藩・狭山藩 | 1村 | ○小深村[5] | |
幕府領・藩領 | 幕府領・膳所藩 | 3村 | ○甲田村、野村[6]、○三日市村 |
旗本領・膳所藩 | 2村 | 喜多村、○小山田村 | |
旗本領・狭山藩 | 3村 | ○錦郡村、○錦郡新田、○廿山村 |
- 慶応4年
- 明治2年
- 明治3年2月27日(1870年3月28日) - 旧狭山藩領を除く堺県の管轄地域が五條県の管轄となる。
- 明治4年
- 明治7年(1874年)1月22日 - 大区小区制の堺県での施行により、河内国第1大区となる。
- 明治8年(1875年) - 上岩瀬村・下岩瀬村が合併して岩瀬村となる。(48村)
- 明治13年(1880年)4月15日 - 郡区町村編制法の堺県での施行により、行政区画としての錦部郡が発足。古市郡古市村の真蓮寺に「古市郡役所」が設置され、同郡および石川郡・八上郡・安宿部郡・丹南郡・志紀郡とともに管轄。同日大区小区制廃止。古市郡役所はまもなく改称して「石川錦部八上古市安宿部丹南志紀郡役所」となる。
- 明治14年(1881年)2月7日 - 大阪府の管轄となる。
- 明治16年(1883年)
- 郡役所が石川郡富田林村の興正寺別院に移転。
- 野村・惣作村が合併して野作村となる。(47村)
- 明治19年(1886年) - 新町村が石仏村に合併。(46村)
- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により、下記の各村が発足。特記以外は全域が現・河内長野市。(11村)
- 明治29年(1896年)4月1日 - 郡制の施行のため、志紀郡三木本村を除く「石川錦部八上古市安宿部丹南志紀郡役所」が管轄する各郡の区域をもって南河内郡が発足。同日錦部郡廃止。
脚注
参考文献
- 角川日本地名大辞典 27 大阪府
- 旧高旧領取調帳データベース
関連項目
先代 ----- |
行政区の変遷 - 1896年 |
次代 南河内郡 |