「席田郡 (岐阜県)」の版間の差分
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2021年9月6日 (月) 09:54時点における版
席田郡(むしろだぐん)は、岐阜県(美濃国)にあった郡。現在は席田用水にその名をとどめる。
郡域
1879年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、以下の区域にあたる。一里四方の小郡で、美濃国内の郡では最小の面積であった。郡名の由来は、蓆を延べた様な田地であるためという。[1]
歴史
古代
- 和銅8年(715年)7月 - 本巣郡東部地域を割いて独立建置。尾張国の人、外従八位上席田君邇近と帰化人(新羅人74家)が入植。
- 美和、磯部、那珂、名太の4郷が見られ、郡衙は那珂郷にあったと推定される(今の本巣市糸貫町郡府付近)。
- 承和3年(836年)6月、当郡の空閑地70町が宗康親王に下賜された。
- 元慶元年(834年)4月19日、この年の大嘗祭の悠紀国が美濃国と決まり、当郡に斎田が卜定された。
- 仁和3年(887年)に美濃国分寺が焼失した時、当郡内の定額尼寺がその機能を代役した。[2]
近世以降の沿革
知行 | 村数 | 村名 | |
---|---|---|---|
幕府領 | 幕府領(大垣藩預地) | 1村 | 芝原村 |
旗本領 | 7村 | ●北野村、上保村、春近村、郡府村、三橋村、●仏生寺村、加茂村 | |
幕府領(美濃郡代)・旗本領 | 1村 | 石原村 |
- 慶応4年
- 明治4年11月22日(1872年1月2日) - 第1次府県統合により岐阜県の管轄となる。
- 明治12年(1879年)2月18日 - 郡区町村編制法の岐阜県での施行により、行政区画としての席田郡が発足。「本巣席田郡役所」が本巣郡北方町に設置され、同郡とともに管轄。
- 明治22年(1889年)7月1日 - 町村制の施行により、上保村、郡府村、北野村、春近村、石原村、三橋村、仏生寺村、芝原村、加茂村が発足。(9村)
- 明治30年(1897年)4月1日 - 郡制の施行のため、本巣郡・席田郡および方県郡・大野郡の各一部の区域をもって、改めて本巣郡が発足。同日席田郡廃止。
行政
- 本巣・席田郡長
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 明治12年(1879年)2月18日 | |||
明治30年(1897年)3月31日 | 本巣郡および大野郡の一部との合併により席田郡廃止 |
脚注
参考文献
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 21 岐阜県、角川書店、1980年9月1日。ISBN 4040012100。
- 旧高旧領取調帳データベース
- 岐阜県市町村合併等経過一覧表 - ウェイバックマシン(2014年8月8日アーカイブ分)、岐阜県地域計画局市町村室
関連項目
先代 本巣郡 |
行政区の変遷 715年 - 1897年 |
次代 本巣郡 |