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「小岩井農場の基礎輸入牝馬」の版間の差分

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2021年11月10日 (水) 00:23時点における版

小岩井農場の基礎輸入牝馬(こいわいのうじょうのきそゆにゅうひんば)とは20世紀初頭に小岩井農場日本国外から輸入した繁殖牝馬のことである。これらの子孫は日本でたいへん繁栄しており、ほかの輸入繁殖牝馬とは特別に区別する場合がある。とくに、1907年イギリスから輸入した20頭だけを指すこともある。

背景

おおよそ1950年代ごろまでの日本では、小牧場の経営者が単独で外国から繁殖牝馬を輸入するのは難しかった。外国から優れた繁殖牝馬を輸入できるのは民間では三菱財閥の小岩井牧場、官では宮内省御料牧場など一部の大資本を持つ牧場に限定されていた。理由は以下の通りである。

  • 渡航に費用がかかり、内外の価格差もある。
  • 繁殖牝馬購入に投資してから、産駒を売却して回収するまでに時間がかかる。更に産駒の競走成績が確定するまでには、牝馬の購入から5年から10年は先のことである。小さな牧場ではその間の資金繰りが難しい。
  • 日本の牧場の多くは家族的経営によって運営されていたため、経営者が購買のために長期間牧場を留守にすることはできない。
  • 購買にあたって、外国語での交渉力が求められる。
  • 諸外国で競走のグループ制ブラックタイプが導入されるまでは、血統や競走成績の良し悪しに関する情報が不足していた。
  • 欧米から繁殖牝馬を輸入するには太平洋航路やインド洋航路などを非常に長い時間かけて移動してくる必要があり、動物の輸入は困難。

一般にある牧場の生産馬から優秀な馬がでた場合、その母親や兄弟姉妹などの一族はその牧場の経営の根幹となり門外不出とされることが多い。ある牧場固有の牝系(ファミリーライン)をハウス血統もしくはハウス系統と呼ぶこともある。

しかし当時は国内産の馬の品種改良のため、小岩井牧場や御料牧場は輸入馬から生産した牝馬は自分の牧場に戻さずに売却し国内の生産牧場はこれを買うことで外国の優秀な血統の普及をはかった。このため、特に太平洋戦争以前に大牧場が輸入した繁殖牝馬は非常に子孫(ファミリー)が増えている。

1980年代以降はそれぞれの牧場が自前で海外から繁殖牝馬を輸入することが容易になり、国内の血統地図も大きく塗り替えつつある。それでも戦前の基礎輸入牝馬の子孫からは例年多くの活躍馬が登場し、一部の系統はブランド化している。

明治40年輸入の20頭とその子孫

ここでは牝馬の子(いわゆる「ファミリー」)のみを記載する[1]

※馬名が斜書体の馬はセントサイモンの血を一切含まない

ビューチフルドリーマー Beautiful Dreamer (ファミリーナンバー121904年産 父:Enthusiast
カブトヤマハクリヨウメイヂヒカリオーテモンオーハヤブサシンザンタケホープエリモジョージビクトリアクラウンエルプスニッポーテイオーテイエムオーシャンなど
フロリースカップ Florrie's Cup (ファミリーナンバー:3-l)1904年産 父:Florizel II
ガーネツトコダマダテテンリュウキタノカチドキカツラノハイセイコニホンピロウイナーサンドピアリスナリタハヤブサシスタートウショウポレールマチカネフクキタルスペシャルウィークメイショウサムソンウオッカレイパパレなど
アストニシメント Astonishment (ファミリーナンバー:7-c1902年産 父:Quickly Wise
クリフジチトセホープヤマトキョウダイリュウズキテンモンブロケードメジロデュレンメジロマックイーンオフサイドトラップトロットスターインテリパワーリージェントブラフショウナンカンプなど
プロポンチス Propontis (ファミリーナンバー:4-d1897年産 父:Ravensbury
ワカクサアスコットニットエイトグランドマーチス、ゴールドスペンサー、アイネスフウジンハクタイセイレガシーワールドトーホウエンペラーなど
フラストレート Frustrate (ファミリーナンバー:1-b1900年産 父:St.Frusquin
トキツカゼクモノハナオートキツフェアマンナオンワードゼアトウメイホウヨウボーイミナガワマンナトロットサンダーウメノファイバーヤマカツスズランアジュディミツオーなど
ヘレンサーフ Helen Serf (ファミリーナンバー:16-c1903年産 父:St.Serf
ハクシヨウ(初代)、ブランドソールトキノキロクアカネテンリュウリニアクインオヤマテスコオサイチジョージブルーファミリーヒシミラクルマイネルホウオウなど
キーンドラー Keendragh (ファミリーナンバー:1-o1898年産 父:Enthusiast
シーマーテスコガビーヤエノムテキなど
エナモールド Enamoured (ファミリーナンバー:2-h)1897年産 父:Gonsalvo
コイワヰチェックメイトマイネルダビテなど
ライン Rhine (ファミリーナンバー:5-e)1900年産 父:Suspender
スウヰイスーグルメフロンティアダブルハピネスなど
フェアペギー Fair Peggy (ファミリーナンバー:6)1902年産 父:St.Gris
トヨウメオーヒメヒシマサル(初代)ステートジャガー、フォーカルポイントなど
ウェットセール Wet Sail (ファミリーナンバー:9-b)1898年産 父:Prince Charles
バンブービギン、カズサライン、クラキンコなど
ボニーナンシー Bonny Nancy (ファミリーナンバー:10-b1903年産 父:Queen's Birthday
シノグ、ハイレコード、リユウゲキ、グンシンオオシマスズランカルストンライトオなど
ラヴァレリー La Valerie (ファミリーナンバー:61899年産 父:Perigord
ラングトンなど ※1930年代以前に牝系子孫断絶
クロンファート Clonfert (ファミリーナンバー:14)1903年産 父:Hackler
ゴールドウヰングなど ※1980年代にサラブレッドとしては牝系子孫断絶?
イリタント Irritant (ファミリーナンバー:9-d1901年産 父:Jaquemart
サイピットなど ※1940年代以前に牝系子孫断絶
カウンテスケンダル
ハンプトンチェリー
パルムビーチ
グードフェース
ミスモルガン
輸入直後に死亡

※特別なものを除き、輸入初期の帝室御賞典勝馬などは割愛した。JRA賞受賞馬を中心に、著名と思われるものを重点的に抜粋。該当馬が少ない場合は2000年以降の重賞勝馬を記載した。

明治40年輸入の20頭の特徴

20頭の繁殖牝馬は1897年から1904年のイギリスの生産馬である。セントサイモンがイギリスのリーディングサイアーになったのは1890年から1896年1900年1901年のことで20頭の牝馬は比較的セントサイモンの血を強くは受けていない。一方、これより前の時代の主流血統であるハーミット1880 - 1886年のイギリスリーディングサイアー)やガロピン1888年1889年、1898年のリーディングサイアーでセントサイモンの父)、ドンカスターストックウェルなどの血も少なく全体として当時の主流ではない血を多く持っている。

1900年代当時、イギリスの馬産はセントサイモンの近親交配インブリード)が盛んに行われていた。小岩井農場が20頭と同時に輸入した種牡馬もセントサイモンの孫のインタグリオーである。したがってこれら20頭とインタグリオーなどの種牡馬と基礎輸入牝馬を交配してセントサイモンの近親交配を繰り返してもほかの馬のインブリード(近親交配)が発生しにくく、結果としてセントサイモンの長所だけを引き出しやすくなる可能性がある。

小岩井農場では後の時代にシアンモアプリメロを種牡馬として輸入し、この20頭の子孫との交配によって空前の大成功を収める。この配合はセントサイモンの近親交配を徹底的に繰り返すものである。

代表的な例

その他の主な基礎輸入牝馬とその子孫

関連項目

脚注

  1. ^ 競馬では一般に、牝馬の子(牝系子孫)を「ファミリー」と称する。子孫の側から見た場合に、母、その母、そのまた母…と遡ったものを指す。というのは、種牡馬は一年に何十頭も子を作るため、これらをすべて子孫とみなすと膨大な数になってしまうが、牝馬は1年に1頭しか子を産まないため、整理上便利であるからである。詳しくはファミリーラインサイアーライン競走馬の血統を参照。