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シラオキ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
シラオキ系から転送)
シラオキ
第16回優駿競走決勝線手前(ゼッケン7番)
品種 サラブレッド
性別
毛色 栗毛
生誕 1946年4月7日
死没 1973年2月(27歳没・旧28歳)
プリメロ
第弐スターカツプ
生国 日本の旗 日本岩手県雫石町
生産者 小岩井農場
馬主 大倉トヨヱ
→児玉復太郎
→長峰常次郎
→伊藤由五郎
調教師 藤本冨良東京
伊藤勝吉京都
競走成績
生涯成績 48戦9勝
獲得賞金 203万4000円
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シラオキ日本競走馬繁殖牝馬。おもな勝ち鞍は1951年の函館記念[1]のみであるが、ほかに優駿競走(日本ダービー)2着の成績を残している。繁殖牝馬として顕彰馬コダマ皐月賞優勝馬シンツバメといった活躍馬を送り出し、さらに子孫の活躍により今日シラオキ系と呼ばれる一大牝系の祖となった。半弟京阪杯優勝馬タツテル(父ライジングフレーム)、大阪杯優勝馬ホマレイチ(父ハルステーツ)がいる。

  • 馬齢は2000年以前に使用された旧表記(数え年)で記述する。

経歴

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1946年、三菱財閥が経営する小岩井農場に生まれる。父は当時の名種牡馬の1頭プリメロ、母の第弐スターカツプは、3度のリーディングサイアーを獲得したダイオライト帝室御賞典優勝牝馬スターカップの娘という良血馬だった。幼名は駒興(こまおき)。3歳の4月に小岩井農場主催のセリ市に出品され、50万6000円で調教師藤本冨良に落札された。その後大倉トヨヱの所有馬となり、秋に競走名「シラオキ」と改名され藤本厩舎に入った。

戦績

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3歳11月にデビューを迎え、初戦は蛯名武五郎を背にレコードタイムで勝利する。しかしその後は好走を続けるものの勝利には至らず、2勝目を挙げたのは4歳の4月末の条件戦でのことだった。その5日後には皐月賞に出走し、トサミドリの5着。続いて4歳牝馬特別を桜花賞優勝馬ヤシマドオターの2着として優駿競走へと駒を進めた。

この競走はトサミドリが不動の本命と目され、シラオキは23頭立ての12番人気に過ぎなかった。ところがレースではトサミドリが第2コーナーから暴走気味に加速してスタミナを浪費、さらに向正面で馬群が混乱した煽りを受けたミネノマツ、コマオー、ヤシマドオターが落馬競走中止という事態となる。最後の直線に入るとトサミドリは早々に失速し、代わりに中団に控えていた19番人気のタチカゼが抜け出して優勝、さらに半馬身差の2着に後方から追い込んだシラオキが入線し、優駿競走史上空前の歴史的な波乱となった[2]

その後シラオキは連闘で出走した優勝戦で、目黒記念優勝の古馬タピトをハナ差で降し優勝。次走のオープン戦も連勝し、11月の優駿牝馬競走では3着となった。古馬となった5歳時にはやや精彩を欠き、しばし勝利から遠ざかる。秋には馬主が替わり、それに伴い京都伊藤勝吉厩舎に移籍となった。転厩後、関西での初出走となったオープン戦でおよそ10ヶ月振りの勝利を挙げた。その後も頑健に走り続け、6歳8月には函館記念を制した。その後4戦し、引退レースとなったオープン戦に優勝して競走馬を引退。ダービーの年に故郷・小岩井農場が母体の三菱財閥の解体によりサラブレッド生産から撤退していたため、北海道浦河町の冨岡牧場で繁殖牝馬となった。

繁殖牝馬時代

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初年度にはヴィーノーピュローが種付けされ、翌年無事に初産駒となる牝馬を出産した。しかしこの直後、馬主の伊藤由五郎と牧場主の冨岡清己がシラオキの処遇を巡って対立、さらに翌年から不受胎と流産を繰り返し、3年間を産駒のないまま過ごした。これを受けてシラオキは冨岡牧場の縁戚に当たる鎌田牧場に移された[3]。以降は一転して順調な繁殖生活を続け、1957年、ブッフラーとの間に第2仔となる牡駒コダマを産んだ。同馬は皐月賞、東京優駿、宝塚記念等に優勝し「超特急コダマ」と称され、さらにその1年下の半弟シンツバメも皐月賞に優勝、名繁殖との評価を確立した。以降の産駒は競走馬としての大成はできなかったが、各牝駒が母あるいは祖母として優秀な産駒を次々と輩出し、牝系が大きく広がった。

シラオキ自身は1973年に老衰により28歳で死去する。しかしその死後も子孫から活躍馬が続出し、確実に活躍馬が出る牝系として生産者からの高い人気を獲得した[4]。シラオキから派生した系統は特に「シラオキ系」と呼ばれ、その子孫からは桜花賞優勝馬シスタートウショウ菊花賞優勝馬マチカネフクキタルや、東京優駿などGI競走4勝を挙げたスペシャルウィーク、牝馬として史上3頭目の日本ダービー優勝馬となったウオッカなど、数々の活躍馬が出ている。特に1990年代後半、外国産馬や欧米からの高価な輸入牝馬の産駒が大勢を占めていた中でのスペシャルウィークの活躍は、その父がリーディングサイアーサンデーサイレンス だったことから、流行血統と在来血統の融合として日本の牝系が改めて見直されるきっかけとなり、血統解説書等でその血統背景が詳細に取り上げられた。

2000年には、日本中央競馬会の機関誌『優駿』が選出した「20世紀のベストホース100」の1頭に名を連ねた。100頭のうち、旧八大競走GI級競走に勝利していない選出馬はシラオキのみであった。また、2007年には六代孫の牝馬ウオッカが東京優駿に勝利。優駿競走2着のシラオキに再び着目する報道もあった[5]

系図

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---↓シラオキ牝系

牝系図の主要な部分(太字はGI級競走優勝馬)は以下の通り。「f」は「filly(牝馬)」、「c」は「colt(牡馬)」の略。

牝系図の出典:Galopp-Sieger


血統

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シラオキ血統ブランドフォード系 / Isingrass 5×5=6.25%、Gallinule 5×5=6.25%、Orby 5×5=6.25%) (血統表の出典)

*プリメロ
Primero 1931
鹿毛 アイルランド
父の父
Blandford 1919
黒鹿毛 イギリス
Swynford John o'Gaunt
Canterbury Pilgrim
Blanche White Eagle
Black Cherry
父の母
Athasi 1917
鹿毛 アイルランド
Farasi Desmond
Molly Morgan
Athgreany Galloping Simon
Fairyland

第弐スターカツプ 1937
栗毛 日本
*ダイオライト
Diolite 1927
鹿毛 イギリス
Diophon Grand Parade
Donnetta
Needle Rock Rock Sand
Needlepoint
母の母
スターカツプ 1930
鹿毛 日本
*シアンモア
Shian Mor
Buchan
Orlass
フロリスト *ガロン
第四フロリースカツプ F-No.3-l

1907年に小岩井農場がイギリスから輸入した20頭の繁殖牝馬のうちの1頭・フロリースカップの流れを汲む。母第弐スターカップ、祖母スターカップ、曾祖母フロリストはいずれも名繁殖馬として知られ、それぞれに掛け合わされている種牡馬も代々最高のものである。特にフロリストからはスターカツプを含む4頭の帝室御賞典優勝馬に加え、第11回東京優駿優勝馬ミナミホマレなどが出ている。

主な近親

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脚注

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  1. ^ かつて函館競馬場で施行されていた「明四五歳馬特別競走」の機能を引き継いだもので、現在施行されている函館記念は1965年に創設された別の競走である。
  2. ^ タチカゼと3着に入ったホウシュウは、いずれも小岩井農場生産馬であり、シラオキと同じセリ市で落札されている。
  3. ^ 『書斎の競馬』第4号 p.108
  4. ^ 吉沢 p.212
  5. ^ 『スポーツニッポン』2007年5月28日 第9版15面 「牧太郎氏観戦記 - 6代前のおばあちゃんが乗り移ったように」

参考文献

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  • 伊与田翔「小岩井の至宝シラオキへの旅 上/中/下」(『書斎の競馬』第2-4号〈飛鳥新社、1999年〉所収)
  • 吉沢譲治『競馬の血統学PART2 - 母のちから』(NHK出版、2003年)

外部リンク

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