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ダイオライト

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ダイオライト
欧字表記 Diolite
品種 サラブレッド
性別
毛色 黒鹿毛
生誕 1927年
死没 1951年8月25日
(24歳没・旧25歳)
ディオフォン
ニードルロック
母の父 ロックサンド
生国 イギリスの旗 イギリス
馬主 ヒューゴ・ハースト卿
調教師 フレッド・テンプルマン(イギリス)
競走成績
生涯成績 24戦6勝
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ダイオライトDiolite)はイギリス競走馬。競走馬として2000ギニーなどを制し、1935年日本宮内省下総御料牧場によって種牡馬として購買され輸出。日本初の三冠馬セントライトなどを送り出した。1941年 - 1943年1946年リーディングサイアー

馬名は「閃緑岩」の意。

経歴

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日本輸入まで

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2000ギニー馬ディオフォンの初年度産駒の一頭。産まれて間もない頃はかなり小柄だったためあまり期待されず、ニューマーケットのイヤーリングセールでは480ギニーの値しか付かなかった。しかし競走年齢に達する頃には立派な体格に成長し、2歳時にコヴェントリーステークスモールコームステークスなどを制してイギリス2歳馬チャンピオンとなり、3歳になってクラシック初戦の2000ギニー[1]を制した。これは父ディオフォンとの父子制覇ともなっている。エプソムダービー当日は「ダイオライト・デー」と呼ばれるほどの大本命となったが、3着に敗れている。

24戦6勝の成績を残して4歳をもって競走馬を引退し、その後は同地で種牡馬となったが活躍馬に恵まれず、1935年に日本の宮内省が管理する下総御料牧場に導入された。種牡馬として精彩を欠いていたとはいえ、近代競馬発祥の地イギリスのクラシック競走優勝馬が日本に輸入されるのは当時異例のこと[2]であり、購買価格は8500ギニー、当時の日本円でおよそ18万円[3]と極めて莫大なものになった。この輸入は当時の人々の耳目を集め、宮内省主導の輸入であったこともあり、ダイオライトの横浜税関到着時には政府高官を対象とした観覧に供された。その雄大な馬格はそこで概ね好評を博したが、御料牧場の関係者は後ろ脚が曲がっていることを危惧し、「本当に大丈夫なのか」という疑問の声も上がったという。

種牡馬として

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日本における種牡馬生活を開始した初年度から1940年の中山四歳牝馬特別(現・桜花賞)優勝馬タイレイ、京都農林省賞典四歳呼馬(現・菊花賞)優勝馬テツザクラを送り出し、不安を杞憂に変えた。特にテツザクラの長距離戦における優勝は、ダイオライトの産駒傾向はスピードタイプになると目されていたために驚きをもって迎えられた。翌1941年にはセントライトが連戦連勝。2戦目で横浜農林省賞典四歳呼馬(現・皐月賞)に優勝し、東京優駿は現在まで史上最大着差タイの8馬身差で圧勝、引退レースとなった京都農林省賞典四歳呼馬も制し、日本初のクラシック三冠馬となった。

セントライトの大活躍によりダイオライトの評価はますます高まり、翌年末より始まった太平洋戦争中にもクラシック優勝馬を含む多くの活躍馬を送り出した。セントライトが活躍した1941年から1943年まで3年連続のリーディングサイアーとなり、戦争激化による競馬休止から明けた1946年にもリーディングを獲得している。戦後も秋の天皇賞トヨウメなど活躍馬を送り出していたが、1951年夏、老衰により24歳で死亡した。

代表産駒セントライトは種牡馬としてもまずまずの成績を残したが、父系を繋ぐまでには至らなかった。しかしダイオライトはブルードメアサイアーとしても優秀な成績を残し、ハクチカラハクリヨウなど多くの名馬に影響を与えた。

またダイオライトが日本に輸入された年にフランスで産まれた牝駒Nymphe Dicteは、母となって、プール・デッセ・デ・プーリッシュ(仏1000ギニー)の勝ち馬Dictawayを産んでいる。Dictawayもまた母になると、ガネー賞ワシントンDCインターナショナルの勝ち馬ダイアトム(Diatome)を産んだ。そしてダイアトムは種牡馬として、春の天皇賞クシロキングアイリッシュダービー馬Steel Pulseなどを輩出している。

繋養されていた千葉県にある船橋競馬場では、その功績を記念した重賞競走ダイオライト記念が行われている。

主な産駒

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太字は八大競走優勝馬

主なブルードメアサイアー産駒

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上記のうち、オーハヤブサ・ケゴン・チエリオ・マツカゼオーはオーマツカゼを母とする兄弟、クリヒデ・クリペロはケンタッキーを母とする兄弟である。

血統

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ダイオライト血統オーム系 / Galopin4×5.5=12.50%、Wenlock4×5.5=12.50%、St. Simon5×4=9.38% (血統表の出典)

Diophon
1921 栗毛
父の父
Grand Parade
1916 黒鹿毛
Orby Orme
Rhoda B.
Grand Geraldine Desmond
Grand Marnier
父の母
Donetta
1900 鹿毛
Donovan Galopin
Mowerina
Rinovata Wenlock
Traviata

Needle Rock
1915 鹿毛
Rock Sand
1900 鹿毛
Sainfoin Springfield
Sanda
Roquebrune St. Simon
St. Marguerite
母の母
Needlepoint
1908 鹿毛
Isinglass Isonomy
Dead Lock
Etui Bread Knife
Pindi F-No.4-p


脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ この第122回2000ギニーは28頭立てで行われ、現在に至るまで史上最多出走頭数となっている。
  2. ^ ダイオライトは史上初めて日本の地を踏んだイギリスクラシック優勝馬である。
  3. ^ この翌年に民間の小岩井農場が導入した種牡馬プリメロの購買価格が、当時最新の戦闘機1機分とされる6万円であった。

外部リンク

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