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: 第8巻「陸棲動物の性質 30」に記述あり。マンティコラは[[エチオピア]]に棲んでおり、人語を真似るという。
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: [[160年]]頃から[[176年]]頃までの間に成立。使用言語は古代ギリシア語。
: [[160年]]頃から[[176年]]頃までの間に成立。使用言語は古代ギリシア語。
: 著者自らが[[ローマ]]で見たという動物マンティコラについて言及している。インド人はこの獣を mantichora と呼ぶが、この名は androphagos(人を喰う者)を意味している。著者は目撃したマンティコラを[[トラ|虎]]と見做しており、伝説は恐怖に駆られたインド人たちの口々から発せられた根拠の無い言葉の集約ではないかという懐疑論を展開した。
: 著者自らが[[ローマ]]で見たという動物マンティコラについて言及している。インド人はこの獣を mantichora と呼ぶが、この名は androphagos(人を喰う者)を意味している。著者は目撃したマンティコラを[[トラ|虎]]と見做しており、伝説は恐怖に駆られたインド人たちの口々から発せられた根拠の無い言葉の集約ではないかという懐疑論を展開した。
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* [[紀元前4世紀]] - 古代ギリシアの[[アリストテレス]]が『[[動物誌_(アリストテレス)|動物誌]]』を著す。同書にマンティコラの記述あり。
* [[紀元前4世紀]] - 古代ギリシアの[[アリストテレス]]が『[[動物誌_(アリストテレス)|動物誌]]』を著す。同書にマンティコラの記述あり。
* [[77年]]頃 - [[古代ローマ]]の[[ガイウス・プリニウス・セクンドゥス]](大プリニウス)が『[[博物誌]]』を著す。同書にマンティコラの記述あり。[[エチオピア]]に棲むライオンで、人語を真似るとのこと。
* [[77年]]頃 - [[古代ローマ]]の[[ガイウス・プリニウス・セクンドゥス]](大プリニウス)が『[[博物誌]]』を著す。同書にマンティコラの記述あり。[[エチオピア]]に棲むライオンで、人語を真似るとのこと。
* [[160年]]頃~[[176年]]頃(推定)- [[2世紀]]の[[パウサニアス]](2世紀ギリシアの[[旅行家]]で[[地理学者]]のパウサニアス)が[[パウサニアス#『ギリシア案内記』|『ギリシア案内記』]]を著す。[[ローマ]]で見たという動物マンティコラについて記述あり。インド人はこの獣を mantichora と呼ぶが、androphagos(人を喰う者)の意味である。著者は目撃したマンティコラを[[トラ|虎]]と見做しており、伝説は恐怖に駆られたインド人たちの口々から発せられた根拠の無い言葉の集約ではないかという懐疑論を展開した。
* [[160年]]頃~[[176年]]頃(推定)- [[2世紀]]の[[パウサニアス (地理学者)|パウサニアス]](2世紀ギリシアの[[旅行家]]で[[地理学者]]のパウサニアス)が[[パウサニアス (地理学者)#『ギリシア案内記』|『ギリシア案内記』]]を著す。[[ローマ]]で見たという動物マンティコラについて記述あり。インド人はこの獣を mantichora と呼ぶが、androphagos(人を喰う者)の意味である。著者は目撃したマンティコラを[[トラ|虎]]と見做しており、伝説は恐怖に駆られたインド人たちの口々から発せられた根拠の無い言葉の集約ではないかという懐疑論を展開した。
* [[170年]]頃~[[247年]] - [[ローマ帝国]]の[[ピロストラトス]](フラウィウス・ピロストラトゥス)が『{{仮リンク|ティアナのアポロニウスの生涯|en|Life of Apollonius of Tyana}}』を著す。同書ではマンティコラについて作中の登場人物たちが語り合っている。同書の主人公で[[1世紀]]に実在した[[ローマ人]][[哲学者]]{{仮リンク|ティアナのアポロニウス|en|Apollonius of Tyana}} (c15-c100) は、マンティコラの伝説に半信半疑であるが、彼が聞き手を務めた証言者の言うには、[[サソリ|蠍]]のような尾の先には長さ1[[キュビット]](約46[[センチメートル]])ほどの鋭い[[棘]]の束があり、その棘を矢のように撃ってくるという。
* [[170年]]頃~[[247年]] - [[ローマ帝国]]の[[ピロストラトス]](フラウィウス・ピロストラトゥス)が『{{仮リンク|ティアナのアポロニウスの生涯|en|Life of Apollonius of Tyana}}』を著す。同書ではマンティコラについて作中の登場人物たちが語り合っている。同書の主人公で[[1世紀]]に実在した[[ローマ人]][[哲学者]]{{仮リンク|ティアナのアポロニウス|en|Apollonius of Tyana}} (c15-c100) は、マンティコラの伝説に半信半疑であるが、彼が聞き手を務めた証言者の言うには、[[サソリ|蠍]]のような尾の先には長さ1[[キュビット]](約46[[センチメートル]])ほどの鋭い[[棘]]の束があり、その棘を矢のように撃ってくるという。
* [[3世紀]]頃 - 古代ギリシアの[[アイリアノス]]が『{{lang|grc|Περὶ ζῴων ἰδιότητος}}({{small|[[ラテン語|羅]]題}}: {{lang|la|[[:en:Claudius Aelianus#De Natura Animalium|''De Natura Animalium'']]}})』を著す。同書にマンティコラの記述あり。インドに棲む動物であり、[[辰砂]]のような赤い色の人面ライオンである。蠍のような尾に毒の無い長い[[棘]]があり、これで刺すことによって獣や人を殺して喰らう。特に人の肉を好むがゆえにその名がある。
* [[3世紀]]頃 - 古代ギリシアの[[アイリアノス]]が『{{lang|grc|Περὶ ζῴων ἰδιότητος}}({{small|[[ラテン語|羅]]題}}: {{lang|la|[[:en:Claudius Aelianus#De Natura Animalium|''De Natura Animalium'']]}})』を著す。同書にマンティコラの記述あり。インドに棲む動物であり、[[辰砂]]のような赤い色の人面ライオンである。蠍のような尾に毒の無い長い[[棘]]があり、これで刺すことによって獣や人を殺して喰らう。特に人の肉を好むがゆえにその名がある。

2021年11月15日 (月) 10:30時点における版

装飾写本におけるマンティコラ
動物寓意集"Bestiary with theological texts"(大英図書館管理コード: Royal MS 12 C XIX)に描かれたマンティコラ[1]。イングランドの北部か中部(一説にはダラム)にて1200年頃から1210年頃にかけて制作された。羊皮紙着彩。姿形は、古代オリエント風のとんがり頭巾をかぶった赤毛で髭づらの男の頭部に、ライオンの体躯という取り合わせ。ライオンの部位の毛色は美しい煉瓦色(腹側は白色)。同書は動物を美麗な筆致で描いているが、この怪物でさえ例外としていない。なお、サソリの尾は具えていない。
動物寓意集 "Bestiary with theological texts"(大英図書館管理コード: Royal MS 12 C XIX)に描かれたマンティコラ[1]
イングランドの北部か中部[1](一説にはダラム)にて、1200年頃から1210年頃にかけて制作された[1]羊皮紙着彩。姿形は、古代オリエント風のとんがり頭巾をかぶった赤毛づらの男の頭部に、ライオンの体躯という取り合わせ。ライオンの部位の毛色は美しい煉瓦色(腹側は白色)。同書は動物を美麗な筆致で描いているが、この怪物でさえ例外としていない。なお、蠍(さそりの尾は具えていない。
装飾写本『ロチェスター動物寓意集 en:Rochester Bestiary』(大英図書館管理コード: Royal 12 F xiii)に描かれたマンティコラ[2]。イングランドの南部か東部(おそらくロチェスター (イングランド))にて13世紀前期後半に制作された。羊皮紙着彩。姿形は、長く流麗な金髪と髭を蓄えた凛々しい面構えの男の頭部に、しなやかな体躯のライオンという取り合わせ。ライオンの部位の毛色は青みがかった黒錆色で、ライオンと言うより黒豹を思わせる。体勢は、紋章学でいうところのカウンター・ステータントになっている。
装飾写本ロチェスター動物寓意集英語版』(大英図書館管理コード: Royal 12 F xiii)に描かれたマンティコラ[2]
イングランドの南部か東部(おそらくロチェスター)にて[2]13世紀前期後半に制作された[2]。羊皮紙着彩。姿形は、長く流麗な金髪と髭を蓄えた凛々しい面構えの男の頭部に、しなやかな体躯のライオンという取り合わせ。ライオンの部位の毛色は青みがかった黒錆色で、ライオンと言うより黒豹を思わせる。体勢は、紋章学でいうところのカウンターステータントになっている。
動物寓意集"Theological miscellany"(大英図書館管理コード: Harley MS 3244)に描かれたマンティコラ[3]。1236年から1250年頃にかけて制作された。羊皮紙着彩。ここでは全裸の男がマンティコラに襲い掛かられている。怪物の姿形は、胴と脚がライオンで、肩口から上だけはたてがみのようなフードをかぶったコワモテの男に見えるもの。眼は血走り、歯を剥き出しにした口の中は犠牲者の血の色であろう赤で染まっている。尾は蠍のものであろうか、先端部が棘になっているように見える。
動物寓意集 "Theological miscellany"(大英図書館管理コード: Harley MS 3244)に描かれたマンティコラ[3]
ペラルドゥス (Peraldus) ことフランス人ウィリアム・ペロー英語版[3]1236年から1250年頃にかけて制作し[3]、イングランド[3]に伝えられた。羊皮紙着彩。ここでは全裸の男がマンティコラに襲い掛かられている。怪物の姿形は、胴と脚がライオンで、肩口から上だけは鬣(たてがみのようなフードをかぶった強面(こわもて)の男に見えるもの。眼は血走り、歯を剥き出しにした口の中は犠牲者の血の色であろう赤で染まっている。尾は蠍のものであろうか、先端部がになっているように見える。
木版画におけるマンティコラ
エドワード・トプセル en:Edward Topsell『四足獣誌』(1607年刊)の「ハイエナ」章の半ばに「マンティコア」名義で掲載されているマンティコアの木版画挿絵。原書データと補説[4]あり。
エドワード・トプセル英語版『四足獣誌』(1607年刊)の「ハイエナ」章の半ばに「マンティコア」名義で掲載されているマンティコアの木版画挿絵
■原書データと補説[4]あり。
ヨハネス・ヨンストンの"A description of the nature of four-footed beasts"(1678年刊)に掲載されているマンティコラの木版画挿絵。
ヨハネス・ヨンストンの "A description of the nature of four-footed beasts"(1678年刊)に掲載されているマンティコラの木版画挿絵
ウィリアム・ヘイスティングス (初代ヘイスティングス男爵)の紋章となったマンティコラ。画像は下絵で、インクによる素描。1466年頃から1470年までの間に作成されたと見られる。クテシアスの古典で語られている「人の顔」「男の耳」および「下顎から生えた長い牙」がここではしっかりと描写されている。体勢はステータント。
初代ヘイスティングス男爵ウィリアム・ヘイスティングス (1431-1483) の紋章となったマンティコラ
画像は下絵で、インクによる素描1466年頃から1470年までの間に作成されたと見られる。クテシアスの古典で語られている「人の顔」「男の」および「下顎から生えた長い」がここではしっかりと描写されている。体勢はステータント
マンティコラと犬狼クロコッタ(en:Crocotta)の生態図。スイスの医師フェリクス・プラッター(en:Felix Platter)が1546年から1558年までの間に編んだ『動物誌』の、第2版に掲載されている。動物としてのリアルさを重視した描かれ方がされており、ここでのマンティコラは、雄ライオンの胴と脚、原産地にいそうな男の顔(耳を含む)、多すぎる歯列、体節のあるサソリようの尾、尾の先端部の小さな棘(返し付き)を具えている。
マンティコラ(上)と犬狼クロコッタ英語版(下)の生態図
スイス医師フェリクス・プラッター英語版1546年から1558年までの間に編んだ『動物誌』の、第2版に掲載されている。動物としてのリアルさを重視した描かれ方がされており、ここでのマンティコラは、雄ライオンの胴と脚、原産地にいそうな男の顔(耳を含む)、多すぎる歯列体節のある様の尾、尾の先端部の小さな(返し付き)を具えている。
ヴァールブルクのドイツ人画家で金銀細工師でもあるアントン・アイゼンホイト(en:Anton Eisenhoit)の銅版画"Haeresis Dea"。1589年の作。技法はエングレービング。アントン・ウルリッヒ公爵美術館所蔵。マンティコラは異端の女神の足元にはべっている。
ヴァールブルクドイツ人画家で金銀細工師でもあるアントン・アイゼンホイト英語版銅版画 "Haeresis Dea"
1589年の作。技法はエングレービングアントン・ウルリッヒ公爵美術館所蔵。マンティコラは異端女神の足元にはべっている。

マンティコラ: manticōra)は、伝説の生物の一種。ライオンのような胴とのようなをもつ怪物で、怖ろしい人喰い(マンイーター)と伝えられる。それ以外の特徴についても様々に語られているが、文献によってかなりの違いがある。原産地(繁殖地)はインドとされるが、他の地域に棲むともいう。森に棲むとされる[5]

名称

日本語名「マンティコララテン翻字: mantikora)」の直接の由来語はラテン語manticōra日本語音写例:マンティコーラ)であると考えられる。イタリア語manticora日本語音写例:マンティコラ)や、スペイン語名およびポルトガル語名である mantícora日本語音写例:マンティコラ)も、綴りと発音は近いものの、直接には関係しない。一方、英語名は第一に manticore日本語音写例:マンティコーァ、同慣習読み:マンティコア)で、英語から引用している日本語表現についてはこちらに由来している(例:ELPとマンティコア)。英語(原題英語)には別名として manticora もあるが、前者に比して用いられていない。

英語の系統におけるこの怪物を表す語の初出は、ラテン語manticōra日本語音写例:マンティコーラ)に由来して派生した中英語 "manticore" で、1300年頃のことであった[6]。他の語形はそれよりずっと遅れて、17世紀イングランド劇作家ジョージ・ウィルキンズ英語版(?-1618) が1607年に著した "The Miseries of Enforced Marriage"(en) の中に現れた中英語 "Mantichoras" が確認し得る早期のものである。

ヨーロッパ諸言語での名称は、この怪物を意味しつつ語構成の上では "man-eater"「人を喰う者(マンイーター)」を意する古代ギリシャ語 μαρτιχόραςラテン翻字: martikhórās、日本語音写例:マルティコラース)に由来しており[6]、ここでのマンイーターは現在でもインドにおいて人食いの猛獣として被害の止まないと連想上の繋がりがあると考えられている。しかし、語源はさらなる過去に求めることが可能で、"man"「人」"human being"「(動物的存在ではない)人間」"mortal"「死を免れない」「死ぬ運命にある」「死を免れぬ運命の」などを意する古代ペルシア語𐎶𐎼𐎫𐎡𐎹ラテン翻字: m-r-t-i-y [/martiya/]、日本語音写例:マルティヤ)にまで遡れる[6]。また、学術的推定ではあるが、語源学比較言語学の知見に基づいて、上述の語には "man-eater"「人を喰う者(マンイーター)」を意する 𐎶𐎼𐎫𐎹-𐎧𐎺𐎠𐎼ラテン翻字: [/martya-χvāra/]、日本語音写例:マルティヤ クスヴァーラ)という用法があったと推定されており、この語が同じ意味をもつ上述の古代ギリシア語を派生させたと考えられている。さらにはまた、ここからも学術的推定ではあるが、語源学や比較言語学の知見に基づいて源流を究極まで遡れば、"to die"「死ぬこと」を意するインド・ヨーロッパ祖語語根 mer-日本語音写例:メル…)に辿り着ける[6][7]

中国語では、「サソリ」を意する「」と「獅子」の「」の組み合わせて「蝎獅拼音: shī ; 日本語音写例:フゥーシィー)」といい、簡体字では「蝎狮」と記す。

特徴

地中海世界ではマンティコラのことは古くから知られており、紀元前5世紀古代ギリシア医師歴史家クテシアスが著した『インド誌英語版』や、紀元前4世紀の古代ギリシアの哲学者アリストテレスの『動物誌』、古代ローマ博物学者政治家軍人ガイウス・プリニウス・セクンドゥス(大プリニウス)が77年頃に著した『博物誌』(同書ではエチオピアに生息していることになっており、人語を真似るとしている)などに紹介され、やがてはヨーロッパ世界でも語り継がれるようになった[8]

中世盛期にあたる12世紀から13世紀にかけてのヨーロッパで盛んに作られた動物寓意集(ベスティアリ)にもマンティコラはしばしば登場し(■右列上段に3つの画像あり)、恐るべき速さで人間に襲いかかって食い殺すと考えられていた。キリスト教の教義では悪魔を象徴するものとされた[9]

定義文で触れたように、この怪物の姿形はライオン様の胴と人間様の顔が固定されたイメージとしてあり、それ以外は語る者によってかなりの相違がある。そのような条件があることを前提として、現代の一般人がイメージするマンティコラは以下のような特徴をもつのが通例と言えよう。

毛色は赤く、尾は蠍(さそりのそれに似た形状で、そこに針があり(毒が無い代わりに矢のように飛び散る24本の棘と数がはっきりしているものや、太い1本というものもある)[10]、それで相手を刺したり[11]相手にのように投げつける[12]。3列に並ぶ鋭いを持つが、顔と耳は人間に似ている。大きさはライオンぐらいである。走るのが非常に速く、人間を好んで食べる[13]

古典

ここでは、古典の基本情報や詳細情報を記載する。

紀元前5世紀中に成立。使用言語は古代ギリシア語マンティコラについて歴史上初めての記述がある
紀元前4世紀中に成立。使用言語は古代ギリシア語。
77年頃の成立。使用言語はラテン語
第8巻「陸棲動物の性質 30」に記述あり。マンティコラはエチオピアに棲んでおり、人語を真似るという。
160年頃から176年頃までの間に成立。使用言語は古代ギリシア語。
著者自らがローマで見たという動物マンティコラについて言及している。インド人はこの獣を mantichora と呼ぶが、この名は androphagos(人を喰う者)を意味している。著者は目撃したマンティコラをと見做しており、伝説は恐怖に駆られたインド人たちの口々から発せられた根拠の無い言葉の集約ではないかという懐疑論を展開した。
170年頃から247年までの間に成立。使用言語は古代ギリシア語。
1世紀に実在したローマ人哲学者ティアナのアポロニウス(生没年:15年頃 - 100年頃)を主人公としている同書では、本当にいるのかさえ疑わしい動物マンティコラについて、作中の登場人物たちに語り合わせている。主人公はマンティコラの伝説に半信半疑であるが、彼が聞き手を務めた証言者イアルカス (Iarchas) の言うには、蠍(さそりのような尾の先には長さ1キュビット(約46センチメートル)ほどの鋭いの束があり、その棘を矢のように撃ってくるという。
3世紀頃に成立。使用言語は古代ギリシア語。
マンティコラはインドに棲む動物であり、辰砂のような赤い色の人面ライオンである。のような尾に毒の無い長いがあり、これで刺すことによって獣や人を殺して喰らう。特に人の肉を好むがゆえにその名がある。大人になりきらないマンティコラは人に敵わないので、インド人はマンティコラがまだ若いうちであれば逃げたりせずに立ち向かい、石でもって打ち殺そうとする。著者はペルシア帝国を訪れた際にインドからシャーハンシャー(大王)に贈られた個体を実際に見たという。
1546年から1558年までの間に成立。使用言語は未確認。
実在する動物のほか、ユニコーンなどとともにマンティコラが掲載されている。マンティコラは、インドにいるともエチオピアにいるともいわれる邪悪で凶暴な伝説の犬狼 (dog-wolf) クロコッタ英語版と1ページを分け合う形で掲載されているが、名称は表記されていない。クロコッタ (Crocotta) はブチハイエナ学名 Crocuta crocuta の語源になっている[14]"動物"であるから、ここでもマンティコラはハイエナのグループか近縁という扱いで紹介されていることが分かる。ハイエナの生態とクロコッタの伝説を照らし合わせた時、人の笑い声に似た発声を頻用するハイエナと人語を話すというクロコッタがこの点でも繋がっていることに気付くが、エチオピアが原産地であると主張される時のマンティコラにも同じ特徴が具わっていることは、偶然か必然か、いずれにしても興味深い事実である。
同書は博物学的現実性を旨に動物を描いており、実在しないかも知れない未知の動物についても可能な限り虚飾を取り除いて描こうという姿勢が見える。そのような書にあって、マンティコラもまた、リアルさを重視した描かれ方をされており、現実に生きている生物であれば具えているであろう無駄の無さが表されている。なお、これら同書に掲載されている生態図は無名の絵描きたちによるものである。
1607年刊行。使用言語は中英語。後世には、1658年に刊行された『四足獣誌および蛇の話(原題:The History of Four-Footed Beasts and Serpents)』として伝わっている[15]。こちらの書は著者の死の33年後に刊行されたもので[15]、1607年刊行の "The History of Four-footed Beasts" に明くる1608年刊行の "The History of Serpents" を合わせて構成し直した再編本である[15]。マンティコア(※マンティコラの英語名)は『四足獣誌』のほうに掲載されている。
  • 344” (English). Biodiversity Heritage Library (BHL). 2020年11月11日閲覧。※原書のデジタルアーカイブより、344ページ目。
まるまる1ページを割いてマンティコアの木版画挿絵が掲載されている。解説は343ページ下段(12行分)と挿絵のページを挟んだ345ページ上段(6行分)にある。「マンティコア」節は「ハイエナ」章の半ばに配されており、343ページ中段にある「ブチハイエナ」節の次、「ハイエナの医療」(ハイエナを生薬として活かした医療)についての節の前という位置に掲載されている。同書ではマンティコアをハイエナの類としながらも、原産地(原意:繁殖地)インドで伝えられているその姿は、ライオンのような胴と人のような顔と蠍のような尾を具えた人喰いで、眼は灰色、毛色は赤いと記している。
1678年刊行。使用言語:英語初期近代英語)。書籍販売者:モーゼス・ピット英語版。刊行場所:ロンドン

ギャラリー

これらの石刻がある石は中世初期にスコットランドのピクト人が作った石碑墓石で、ピクティッシュストーン英語版と呼ばれている。画像の1点は、所蔵する博物館の管理コードで Meigle 26 と呼ばれる横臥墓石の、表面に刻まれた様々な浅いレリーフのうち、最後の面に描かれたマンティコラと人であり、後ろから忍び寄るマンティコラとそれに気付いて振り返った人が目を合わせてしまったシーンを描いたものと解釈されている。なお、同じ石の他の面には、とぐろを巻いた3匹のの文様、文様化された向かい合うシーホース(two sea-horses. 造形は四肢が魚のになっている)、狩猟する人、グリフォン、人々の死体と獣たち、獣たちに喰われる人の死体、その他が描かれている。メイグル彫刻石博物館英語版所蔵。
教会堂はドイツ騎士団領時代の後期ゴシック様式で建てられており、施設の古い部分は14世紀半ばから15世紀半ばにかけての建築物をよく遺している。ここに挙げた壁面彫刻群は15世紀半ばのもので、赤煉瓦を材にした彫りの浅いレリーフである。長い首と蠍の尾をもつ(左)と(右)のマンティコラが向かい合って仲睦まじくしており、雄はづらであるが、雌には髭が無い。
  • 3. 同じ教会堂の別のマンティコラ
首がきわめて長く、性別は不明。首が長いのは描画面の都合かも知れないが、とにかくここのマンティコラは4頭すべてが蛇のように長い首を持っている。見た目には首の長い恐竜の一グループである竜脚類のようなフォルムをしている。
  • 4. 同じ教会堂のまた別のマンティコラ
髪を三つ編みツインテールにしている雌で、首も尾もとにかく長く、しかもこの1頭に限っては蛇のようにのたうっている。脚はなぜか2本しか描かれておらず、そのためにの怪物のように見えてしまう。

年表

先史時代

古代

中世

近世

2000年代のイラストレーターが描いたマンティコラ。D&Dのものとは違って、トプセルの書やヨンストンの書などの古典の造形を踏襲したイメージの一例。
2000年代イラストレーターが描いたマンティコラ / トプセルの書やヨンストンの書などの古典の造形を踏襲したイメージの一例。
娯楽分野のキャラクターとしての
マンティコラ
テーブルトークRPGの金字塔『ダンジョンズ&ドラゴンズ』「ホワイトボックス」(1974年発売)における、新たな創作要素を加えられたマンティコラ。伝説には無かったコウモリの皮膜のような翼をそなえており、顔つきは人より雄ライオンのそれに近い。それでも、耳の形と位置は人間のそれである。一方で、サソリに似ると伝えられてきた尾の造形は、体節があるという点でおおかたの古典よりもそれらしく描かれている。
テーブルトークRPGの金字塔『ダンジョンズ&ドラゴンズ』「ホワイトボックス」(1974年発売)における、新たな創作要素を加えられたマンティコラ
伝説には無かった蝙蝠の皮膜のような翼を具えており、顔つきは人よりライオンのそれに近い。それでも、耳の形と位置は人間のそれである。一方で、に似ると伝えられてきた尾の造形は、体節があるという点でおおかたの古典よりもそれらしく描かれている。

近現代

1974年以降の大衆文化

世界初のロールプレイングゲーム (RPG) であるテーブルトークRPGダンジョンズ&ドラゴンズ』(D&D) が1974年に発売されて以降、ドラゴンは「商業ファンタジー世界」に欠くべからざるキャラクターとして以前にも勝るような多様性と存在感を獲得していったが、D&Dに牽引されたRPGの世界観が一般に広く普及してゆくなかで、マンティコラという怪物もそれ以前との比較においては広く知られるキャラクターになっていった。

なお、D&Dに登場するマンティコラは蝙蝠(こうもりが持つような皮膜状の大きなを具えており(■右に画像あり)、伝承から著しく逸脱しているという言い方もできる。この D&D版を嚆矢として、商業的ファンタジー世界のマンティコラは見栄えのする蝙蝠様の翼を具えたものが多くなってゆき、ついにはむしろ有翼タイプこそが主流というところまで来た。画像検索キーワードを[ manticore picture ]などと設定してインターネット上で調べるだけでも、係る状況は確認することができる。この傾向はデフォルメを利かせたキャラクターでも同様で、マンティコラというえば有翼という方向で推移している。画像検索キーワードは[ manticore character ]を推奨。

そうは言っても、都市文明と対峙する自然の中にある強力な存在での権化という古来のイメージが大きく変化を来したドラゴンに比べれば、マンティコラは本質的イメージに大きな変化が見られず、姿形は「合成獣」とでも言うべきキメラで、気味が悪いか怖ろしいかする人面ネコ科の猛獣の体躯を具えた恐怖のキャラクターであり続けている。

関連事象

ELPとマンティコア

画像外部リンク
en:File:Emerson, Lake & Palmer - Tarkus (1971) front cover.jpg
『タルカス』のディスクジャケット
オオアルマジロ戦車の合成獣のような怪物タルカスが描かれている。
画像外部リンク
en:File:ELPROTM.gif
『リターン・オブ・ザ・マンティコア』のディスクジャケット
ELPのバンド用ロゴタイプであるアルファベット3文字に、レーベル用ロゴタイプであるマンティコアの蠍の尾が絡んでいる。

イギリスロックグループであるエマーソン・レイク・アンド・パーマーは、1971年発売のセカンド・アルバムタルカス』のアルバム・アートワークとして、本作のテーマである組曲「タルカス」の物語をビジュアル化したパネル作品をディスクジャケット内側のゲートフォード英語版観音開き)部分に収録しているのであるが、その中に怪物マンティコア(※マンティコラの英語名)を登場させている[16][17]火を噴く山卵から孵ったアルマジロ型の怪物タルカス(※本作のために創作された、伝説に無いクリーチャー)の行く手には数々の怖ろしい怪物が現れ、最後にマンティコアがラストボスとして立ち塞がる[17][注 1]。タルカスとマンティコアは闘い、最後にはマンティコアが蠍の尾の棘でタルカスの眼を刺して後退させる[17]。本作で描かれたマンティコアの姿形は、顔付きや体付きから「人面ライオン」と言うよりは「バタ臭い男の顔をした狒々(ひひ」といった感じで、しかもどこかコミカルである[17][注 1]。その体にリアルな蠍の尾が付いている[注 1]。ただ、ブラッシュアップされたイラストレーションなどでは、打って変わって格好良い怪物として描かれているものもある[注 1]グラフィックデザインを担当したのは、同グループのアートワークを一手に手掛けていたウィリアム・ニール英語版[17]

1973年には、同グループは自ら興したレコードレーベルの名称を「マンティコア・レコード」とし、ロゴタイプにはマンティコアのシルエットを採用した[18][19]。また、代表曲集の一つであるCDボックスセットとして1993年に発売された『リターン・オブ・ザ・マンティコア』には、レーベルのほうではあるが、「マンティコア」の名が含まれている。

Manticore Games Inc.

Manticore Games Inc.(マンティコア・ゲームス株式会社)はコンピューターゲームの開発企業[20][21][22]。企業ロゴタイプもマンティコラを図案化したもので、雄ライオンの横顔を中核に周辺で円を描く蠍の尾がライオンの眼前まで回り込んでいるデザインになっている[23]。独自の Core (en:Core (video game platform)) である Manticore' s Core Platform を開発する[22]2016年創業[20]。本社所在地は、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンマテオ[20]CEO:Frederic Descamps(フレデリック・デカン)(創業時-2020年時)[22]。非上場[20]。社員数:51-200名(2020年時)[20]

脚注

注釈

  1. ^ a b c d 検索キーワード[ tarkus manticore ]

出典

  1. ^ a b c d Royal 12 C XIX.
  2. ^ a b c d e Royal 12 F XIII.
  3. ^ a b c d e Harley 3244.
  4. ^ a b BHL Topsell (1608).
  5. ^ 松平 (2005), p. 196.
  6. ^ a b c d OED.
  7. ^ OED *mer-.
  8. ^ 松平 (2005), pp. 194–196.
  9. ^ 松平 (2005), pp. 195–196.
  10. ^ 安田ら (1986), p. 270.
  11. ^ 松平 (2005), p. 194.
  12. ^ 松平 (2005), p. 195.
  13. ^ 松平 (2005), pp. 194–195.
  14. ^ Funk (2010).
  15. ^ a b c d Topsell's History of Four-Footed Beasts and Serpents (1658)” (English). The Public Domain Review. Adam Green. 2020年11月13日閲覧。
  16. ^ Macan (1997).
  17. ^ a b c d e Artist: Emerson, Lake and Palmer Title: Tarkus” (English). Album Cover Art Gallery. Tralfaz-Archives. 2020年11月12日閲覧。
  18. ^ Easlea, Daryl (31 July 2015). “A Brief History of Manticore Records: Mythological Beast” (English). official website. Louder. 2020年11月12日閲覧。■ロゴタイプの画像もあり。
  19. ^ 小学館日本大百科全書(ニッポニカ)』. “エマーソン・レーク&パーマー”. コトバンク. 2020年11月11日閲覧。
  20. ^ a b c d e Manticore Games Inc.”. LinkedIn. LinkedIn Corporation. 2020年11月12日閲覧。
  21. ^ CORE” (English). official website. Manticore Games Inc.. 2020年11月12日閲覧。
  22. ^ a b c Lucas Matney「製品がまだないのに投資家が殺到、多様な派生ゲーム体験を作れるManticore Games」『TechCrunch Japan』Iwatani、a.k.a. hiwa訳、ベライゾンメディア・ジャパン株式会社 (Verizon Media Japan KK)、2019年9月25日。2020年11月12日閲覧。
  23. ^ Verizon Media Japan KK (23 September 2020). “Epic Games Leads $15M Investment in Manticore Games” (English). Yahoo! Finance. Yahoo!. 12 November 2020閲覧。■ロゴタイプの画像あり。

参考文献

  • 松平俊久「マンティコラ」『図説 ヨーロッパ怪物文化誌事典』蔵持不三也監修、原書房、2005年2月24日、194-196頁。 
ISBN 4-562-03870-5ISBN 978-4-562-03870-1OCLC 676348619
ISBN 4-8291-4209-XISBN 978-4-8291-4209-7OCLC 673372514
  • Funk, Holger (2010) (English). Hyaena: On the Naming and Localisation of an Enigmatic Animal. München: GRIN Verlag. pp. 52-54 
ISBN 3-640-69784-7, ISBN 978-3-640-69784-7, OCLC 705887919.

関連項目

外部リンク