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== 神話 ==
== 神話 ==
エレペーノールは[[テーセウス]]の子供たち([[アカマース]]、[[デーモポーン]])の保護者としても知られている。[[プルタルコス]]によると[[ヘーラクレース]]に救出されたテーセウスが[[アテーナイ]]に帰還すると、時勢の変化により以前と同じように国政を執ることができなかった。そこで子供たちをエレペーノールのもとに送り、自分は[[スキューロス島]]の王[[リュコメーデース]]のもとに身を寄せたという<ref name=Pl_Th_35 />。[[パウサニアス]]もテーセウスの子供たちがエレペーノールのもとに送られたと述べている<ref>パウサニアス、1巻17・6。</ref>。また[[ポイマンドロス (ギリシア神話)|ポイマンドロス]]の殺人の罪を浄めたという話もある<ref>プルタルコス『ギリシアの諸問題』37。</ref>。
エレペーノールは[[テーセウス]]の子供たち([[アカマース]]、[[デーモポーン]])の保護者としても知られている。[[プルタルコス]]によると[[ヘーラクレース]]に救出されたテーセウスが[[アテーナイ]]に帰還すると、時勢の変化により以前と同じように国政を執ることができなかった。そこで子供たちをエレペーノールのもとに送り、自分は[[スキューロス島]]の王[[リュコメーデース]]のもとに身を寄せたという<ref name=Pl_Th_35 />。[[パウサニアス (地理学者)|パウサニアス]]もテーセウスの子供たちがエレペーノールのもとに送られたと述べている<ref>パウサニアス、1巻17・6。</ref>。また[[ポイマンドロス (ギリシア神話)|ポイマンドロス]]の殺人の罪を浄めたという話もある<ref>プルタルコス『ギリシアの諸問題』37。</ref>。


トロイア戦争ではエウボイア島の好戦的なアバンテス族の軍勢40隻を率いて参加した<ref name=Il_2_536_545 /><ref name=Ap_E_3_11 /><ref name=KD_1_17 />。一説には[[アルゴス (ギリシャ)|アルゴス]]の軍勢30隻ともいわれる<ref name=Hy_97 />。しかし『[[イーリアス]]』初日の戦闘で、[[アンティロコス]]が討った[[エケポーロス]]の遺体を引きずって行くために身をかがめたとき、[[楯]]で隠れていた脇腹が見えたところを、敵の武将[[アゲーノール]]に[[槍]]で突かれて絶命した<ref>『イーリアス』4巻463行-470行。</ref>。あるいは[[ヘクトール]]に討たれた<ref> [[プリュギアのダレース]]、21。</ref>。戦後、エレペーノールの部下たちは[[イーオニア湾]]で難破したのち、[[エーペイロス]]地方の[[アポロニア|アポローニア]]に移住した<ref>[[ツェツェース]]『[[リュコプローン]]注解』911(高津訳注、p.277)。</ref>。
トロイア戦争ではエウボイア島の好戦的なアバンテス族の軍勢40隻を率いて参加した<ref name=Il_2_536_545 /><ref name=Ap_E_3_11 /><ref name=KD_1_17 />。一説には[[アルゴス (ギリシャ)|アルゴス]]の軍勢30隻ともいわれる<ref name=Hy_97 />。しかし『[[イーリアス]]』初日の戦闘で、[[アンティロコス]]が討った[[エケポーロス]]の遺体を引きずって行くために身をかがめたとき、[[楯]]で隠れていた脇腹が見えたところを、敵の武将[[アゲーノール]]に[[槍]]で突かれて絶命した<ref>『イーリアス』4巻463行-470行。</ref>。あるいは[[ヘクトール]]に討たれた<ref> [[プリュギアのダレース]]、21。</ref>。戦後、エレペーノールの部下たちは[[イーオニア湾]]で難破したのち、[[エーペイロス]]地方の[[アポロニア|アポローニア]]に移住した<ref>[[ツェツェース]]『[[リュコプローン]]注解』911(高津訳注、p.277)。</ref>。
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* [[アポロドーロス]]『ギリシア神話』[[高津春繁]]訳、[[岩波文庫]](1953年)
* [[アポロドーロス]]『ギリシア神話』[[高津春繁]]訳、[[岩波文庫]](1953年)
* 『ディクテュスとダーレスのトロイア戦争物語 トロイア叢書1』[[岡三郎]]訳、[[国文社]](2001年)
* 『ディクテュスとダーレスのトロイア戦争物語 トロイア叢書1』[[岡三郎]]訳、[[国文社]](2001年)
* [[パウサニアス]]『ギリシア記』飯尾都人訳、龍溪書舎(1991年)
* [[パウサニアス (地理学者)|パウサニアス]]『ギリシア記』飯尾都人訳、龍溪書舎(1991年)
* [[ヒュギーヌス]]『ギリシャ神話集』[[松田治]]・青山照男訳、[[講談社学術文庫]](2005年)
* [[ヒュギーヌス]]『ギリシャ神話集』[[松田治]]・青山照男訳、[[講談社学術文庫]](2005年)
* [[プルタルコス]]『プルタルコス英雄伝(上)』[[村川堅太郎]]編、[[ちくま文庫]](1987年)
* [[プルタルコス]]『プルタルコス英雄伝(上)』[[村川堅太郎]]編、[[ちくま文庫]](1987年)

2021年11月15日 (月) 11:04時点における最新版

エレペーノール古希: Ἐλεφήνωρ, Elephēnōr)は、ギリシア神話の人物である。長母音を省略してエレペノルとも表記される。エウボイア島アバンテス族の王カルコードーン[1][2][3][4][5]アルキュオネー[5]あるいはイメナレテーの子[6]

ヘレネーの求婚者の1人であり[2][4][7]トロイア戦争におけるギリシア軍の武将の1人[1][5][6][8]

神話[編集]

エレペーノールはテーセウスの子供たち(アカマースデーモポーン)の保護者としても知られている。プルタルコスによるとヘーラクレースに救出されたテーセウスがアテーナイに帰還すると、時勢の変化により以前と同じように国政を執ることができなかった。そこで子供たちをエレペーノールのもとに送り、自分はスキューロス島の王リュコメーデースのもとに身を寄せたという[3]パウサニアスもテーセウスの子供たちがエレペーノールのもとに送られたと述べている[9]。またポイマンドロスの殺人の罪を浄めたという話もある[10]

トロイア戦争ではエウボイア島の好戦的なアバンテス族の軍勢40隻を率いて参加した[1][5][8]。一説にはアルゴスの軍勢30隻ともいわれる[6]。しかし『イーリアス』初日の戦闘で、アンティロコスが討ったエケポーロスの遺体を引きずって行くために身をかがめたとき、で隠れていた脇腹が見えたところを、敵の武将アゲーノールで突かれて絶命した[11]。あるいはヘクトールに討たれた[12]。戦後、エレペーノールの部下たちはイーオニア湾で難破したのち、エーペイロス地方のアポローニアに移住した[13]

一説によるとエレペーノールは祖父アバースを誤って殺してしまったために他国に亡命した。このためトロイア戦争の際もエウボイア島に戻ることが出来ず、海の波間の岩の上からエウボイア島のアバンテス族に出兵を命じなければならなかった。また戦後、シチリア島近くのオトロノス島に赴いたが、大蛇のためにエーペイロス地方のアバンティアーニアに移住した[14]

脚注[編集]

  1. ^ a b c 『イーリアス』2巻536行-545行。
  2. ^ a b ヘーシオドス断片155(ベルリン・パピュルス、10560)。
  3. ^ a b プルタルコス「テーセウス伝」35。
  4. ^ a b アポロドーロス、3巻10・8。
  5. ^ a b c d アポロドーロス、摘要(E)3・11。
  6. ^ a b c ヒュギーヌス、97話。
  7. ^ ヒュギーヌス、81話。
  8. ^ a b クレータのディクテュス、1巻17。
  9. ^ パウサニアス、1巻17・6。
  10. ^ プルタルコス『ギリシアの諸問題』37。
  11. ^ 『イーリアス』4巻463行-470行。
  12. ^ プリュギアのダレース、21。
  13. ^ ツェツェースリュコプローン注解』911(高津訳注、p.277)。
  14. ^ ツェツェース『リュコプローン注解』1034。

参考文献[編集]

外部リンク[編集]